1. 小松正史『耳の保養』
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2025-07-16 11:51

【耳トレ!】音を削る、耳を澄ます。和琴に学ぶ「引き算の美学」

常識を覆す、音を「引く」音楽。古代楽器「和琴」の引き算の奏法から、日本の美意識の根源を探ります。音が消えた瞬間に立ち現れる環境音に耳を澄ませば、日常の聴こえ方が変わるかもしれません。
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サマリー

このエピソードでは、音楽の演奏における「引き算の美学」について説明されています。和琴を用いた耳のトレーニングを通じて、音の減衰が周囲の音に対する意識を高めることが述べられ、日本の伝統的な美意識とその重要性にも触れられています。

引き算の美学の始まり
おはようございます。小松正史でございます。
今日は、引き算の美学ということで、音を弾いていくことによって、感覚世界がより研ぎ澄まされて、
日本人といいますか、古来から日本が備えている和びさびの方向性を強く感じ、そしてそれが現代でも幸せにつながるような話をしてみたいなと思います。
それで、和琴っていうね、和と書いて琴っていう字があってですね、和琴、これ13弦とか17弦とかある琴なんですけども、
その琴の奏法、つまり演奏方法なんですね。それがありまして、琴っていうのは発弦楽器って言って、弦があるとそれを弾いてですね、
弾いた音が消えるまで音がずっと当然鳴り響くんだけども、どんどん音が減衰していって、減衰していくあたりで周辺の音がありますよね。
周囲の空間から鳴っている音とか、こういうそのものの音があると思うんですけど、その音を測らずもというか、必然的に聞こえてしまうという状況になるんですね。
これをですね、僕いつもあの耳のトレーニングをするときに、ティンシャっていう金属打楽器をチーンって音を鳴らすんですよね。するとチーンって鳴らして後ですね、
音が消える瞬間に注意を向けるっていうことをしていくとですね、自然とね、背景の音とか周囲の音も聞いてしまうような状況になるんですよね。
これ不思議なことにですね、周りの音に耳を澄ませてみてねっていうふうに促さないんですよね。消える瞬間に注意を促すだけで、もともとそこの場所に鳴り響いていた音とか環境音っていうのが、
いつにないほどですね、音量が大きく聞こえてくるっていう状況になって、それこそが耳のトレーニング。普段ね、脳には届いてるんだけども、意識として立ち上ってこないような、
そういう音の種類っていうのがありますけど、そこにあえてですね、注意を向かざるを得ない状況になることによって、耳の感度が瞬間的に上がるっていうことをよく耳トレではやってました。
そこがですね、特に耳のトレーニングっていうわけではないんですけど、和音もですね、そういう状況になる。特に音が減衰して消えるあたりぐらいで、そうした状況になるっていうような、そういう演奏方法があるんですね。
これ具体的にどういうものかというと、和音をですね、すべての弦を一度に鳴らすっていう状態ですね。これ開放弦、ギターでいうところの開放弦があると思います。開放弦でシュッと音を鳴らすと、なんか独特のアコギとかエレキでも鳴りますよね。ああいう状態です。
開放弦ですべての弦を一度鳴らしていくとですね、和音っていうような不協和音というか複雑な音が鳴っているわけですね。音は複合音であることは間違いないですけどね。
ちなみに複合音というのはですね、倍音が同時に鳴り響いていて、基音という基本となる音も数種類が同時になっているという非常に複雑な状態なんですけれども、その一度鳴らした状態で一つ一つですね、不要な音を指で消していくっていう奏法があるんですよ。
ジャーンと鳴った時に、17弦だったら17弦が同時になるんだけど、真ん中の3番目の音を手でミュートする。ミュートっていうのは音の響きをなくすっていうことですよ。それをやっていくことによってですね、引き算していくっていうような、そういう奏法があるんですね。
だんだん音が少なくなっていく。少なくなっていくっていうことに、エネルギーというかですね、音の吸引力が一見なさそうに感じるじゃないですか。音が消えるっていうのが音がない、つまりエネルギーが減るっていうことだからね。
するとエネルギーが減っていくことによって逆にですね、さっき伝えていたような背景の音がワーッと立ち上ってくるんですよね。ワーッとね。そうすることによって結局音を削るという作業をしているわけですよ。
それをやっていくと、残された音とか周囲の環境にですね、必然的に意識を集中させてしまうという効果があるんですね。これ面白いのがですね、意識をするというよりもそうなっちゃうっていう、自動的に音のね、背景まで聞いてしまうっていう状況になるんですね。
これをね、引き算の美学っていうふうに言われることがありますけれども、これがね、さっき最初に言ってました、日本の伝統的な美意識の根源だと僕も思うんですね。静寂の中にね、存在している音っていうのはたくさんあります。特に現代社会ではなくて、近代とか中世とか江戸の時期ぐらいの話になるかもしれないですけれども。
静寂の中にいろいろな音があったと思うんですよね。その当時はエンジンの音とか電子音とかスピーカーがないので、そこでリアルになっている音そのものがですね、存在してたわけですよね。
で、そういう自然的に音が発生している状況ですね。音を引き算することによって、自分とかその周りを取り巻く環境に耳をすますっていう状況になってたと思うんですよね。これがですね、実は僕がね、耳トレだ、耳トレだとかって言ってね、よくレクチャーとかね、そういうのが行うことがありますけれども、音に対する感性を高めていくという意味では、
音の減衰と耳トレーニング
めちゃくちゃ耳トレと共通したものがですね、和音の演奏方法につながるというね、そういうことが言えると思うんですね。すべての音を鳴らして、それを一個ずつ消していくっていうね、これあのピアノでも実はできるんですよね。
ピアノでダンパーペダルっていうのがありますけれども、これ音を伸ばすシステムなんですよ。で、そのダンパーペダルを始めから踏まないでですね、例えばCのコードっていうのがドミソってあったとしたら、それをね、あの演奏ね、同時に押すわけですよね、バーンとね。
すると、そこで最後はね、ルートのドの音を残すかもしれないけど、ミの音を外す、ずっと指を鳴らし、押し続けていて、ドの音をね、高いドの音をね、今度は外す、ミの音を外すっていう風にどんどん音をね、消していっていくとですね、これがね、何とも言えない効果になるというね、これすいません、実は演奏してたらよかったですね。
やってたらすごくわかるんだけど、またいずれね、静寂のお話で、あの紹介し、あの実際に音を鳴らして紹介しようかなと思うんですけども、まあ音を引き算するということが、やっぱりね、あの音そのものの吸引力を強く感じることになるし、特にね、音フェチの、まあ僕なんかめちゃくちゃ音フェチですし、まあ僕の番組聞いていただいてる方はね、
もうすべからく、あの音フェチの方がほぼほぼ多いと思うんですけども、消える瞬間っていうのがね、なんかね、じわっとね、僕ね、なんか口の中から唾液が出る感じで、音のその終わる瞬間っていうのをこう慈しむっていうことがね、あるんですよね。
僕の曲もダンパーペダルは使いますけれども、もう最後の最後まで音を伸ばしきってですね、そしてダンパーペダルも実はね、ハーフペダルっていって、いきなりスパッてこう音を消すんじゃなくて、だんだんだんだんと音が消えていくような奏法ができるんですよね。
グランドピアノとかアップライトのアコースティックの生楽器はもちろんできますし、僕はミディピアノを使ってるんですけど、いつも自宅でやるときは。それもね、ついてるんですよね。
ダンパーペダルも深くペダルを踏むとき、そしてだんだんと上げていく、その上げ方のスピード感によってですね、音がね、サーッと消えていく、モワッと消えていくみたいな感じで、音の鳴り立ちっていうのがね、もう自由自在にコントロールできるんですよね。
そんな感覚を演奏中にね、意識的に音を消すことに対して意識的にすることが多いし、曲調とかスピード感によってその消し方をね、僕はもう都度都度変えてますね。
例えばこの曲だったらちょっとゆっくりめにしていこうかなとか、あとはスパッとね、9割5分ぐらいまでの音を伸ばした後はスッと消すとかね、それによってもね、音の演奏の印象が大きく変わると思うんですよね。
なので、演奏っていうのはね、最後の最後の部分に美学があるんじゃないかなと思いますね。特にね、コンサートホールでね、演奏を聞いたりするときなんかは、もうね、最後のところそこまで音をどんどん聞いてですね、第4楽章とか例えばあったとしたら、
終わった後の余韻ですよね。うわーっとこう全部のフルオケがね、鳴って、そしてコンダクターというかね、指揮者がこう振り切ってですね、そして止めると、オーケスタラの音を止める。で、止めた後にコンサートホールの空間の部屋鳴りがするんですよね。
ふわーって言うね。で、部屋鳴りの空気感が収まったところを聞き測ってですね、拍手をするっていう。このね、部分が一番大事だと思うんですね。いきなりもう歓喜はまってブラボーっていうのもいいんだけど、やっぱ最後の音の極み、音楽の演奏の極みは最後のね、一振りというか、最後の音が消える瞬間にね、あるというね。
演奏における音の消失
そんな引き算のところの重要さをですね、ぜひぜひ感じてほしいなと思いました。なのでね、音を出すこと、音をね、あの大きく出すことではない、そのもう一方の対比的な音が消える。絶対音はね、鳴ると消えますから、消し方のね、あの感覚っていうのもね、あのよく感じ取って、音の深みにね、あの感じをね、あの音の深みの楽しさをね。
実感していただければなと思って今日はですね、和音のね、日本固有の楽器の音切れのお話をしてみました。
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