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2025-12-03 14:18

【チームラボ】脳が着地点を見失う。デジタルアートの「物質感のなさ」

実体のない光の乱舞は、美しさ以上に脳への負担でした。物質としての「重み」や安定感がない空間で、感覚が迷子になったチームラボ京都での実体験。
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サマリー

チームラボが東京と京都に設置したデジタルアートミュージアムでは、物質感のない空間が提供されています。アート空間は参加型であり、視覚、聴覚、香りによる刺激が強く、体験者は脳に負担を感じることがあると言われています。また、自然空間とは異なり、固定された情報の流れが続くため、飽きやすい印象を持たれています。

チームラボのデジタルアート体験
おはようございます、小松でございます。今日は、チームラボの話をしたいんですよ。
デジタルアートを最先端を駆使して、エンタメ的に提供している空間のデザインの話なんですけどね。
今、東京と京都にチームラボのミュージアムがあって、京都は今年の夏前後ぐらいにオープンになって、本当に人気ですごい人が来られる感じなんですけど。
12月の1日か、月曜日の日なんですよ。ゼミ生と一緒にですね、3年生のゼミでチームラボ、バイオボルテックス京都っていう、ちょっと聞き慣れない言葉っぽいですけど。
そこ行ってですね、デジタルアートの表現ですね、音とか空間の使い方みたいなものをフィールドワークしたんですね。結果的にめちゃくちゃ疲れたって感じなんですよね。
すごい情報量なんですよね。壁とか床とかですね、天井とかにですね、動く映像がね、ずっと流れててですね。これプロジェクションマッピングの固定版みたいな感じかな。
だからすごくそれがたくさん部屋があってですね、光る物体とか、なんかのれんみたいなものがあってですね、表現しづらいんですけど、それで光ったりとかですね、点滅したりとか、そこの制御というのはあまり見たことがないというか、見たことがあるんだけれども、
イルミネーションがありますよね、クリスマスの。あれの上位互換というか、すごい細かいし、刺激が強いし、ピカピカしてるしっていうような感じなんですね。
音もね、連続的にあるような音というか、ずっと流れてるんですけど、ドローンというかね、連続的な音とあと繰り返しの音源みたいなものも結構あったりとかして、すごいね、刺激が強いんですよね。
結果的にこれ1時間半とかで見れるかなと思ったら、とっても見れなくてですね、うちらの13時30分の会というか、そこの入場の時間帯が指定できるんですけど、そこに入ってですね、気がついたら1時間半とか2時間くらい経ってて、
途中、3時ごろ分かち合いしようかなと思ったんですけど、やめちゃってですね、もう見たいだけ見ろっていうような状態で話し合いをしたわけなんですね。
ちょっと言えるのは、デジタルアートってマテリアルというか物質的なものがないですから、宙に浮いてる感じなんですよね。しかもその空間に配置されているものとして特徴的なものが鏡なんですよね。
鏡って写るでしょ、周りの。それがね、対面上に鏡があって上下に鏡があるから、なんかね、万華鏡の一部に自分がいるような感じで、四方八方、16方、32方くらいにそこのデジタルアートでね、ぐるぐる動いてるやつがですね、どうにか連鎖して広がるんですよね。
で、そうするとちょっと思ったのが酔っちゃうんですよ。連続的にそういうのが流れてるので、軸、自分のいる軸みたいなものがわかんなくてですね、しかも上下にエレベーターみたいに動くような感じなので、多分ね、船酔いとか映像酔いする人はかなり脳に負担がかかるというか、そんな感じなんですね。
あまりにもすごく刺激が強かったりするから、もう考え事ができないぐらいにね、刺激や視覚、聴覚、そして香りもブースごとにありましたね。香りも結構あってですね、すごい鼻から目から耳からすごい影響を与えられるような、
すごい刺激の強い空間なんですね。それでね、京都のチームラボの特徴としてはですね、参加型なんですね。ただ見るっていうことだけじゃなくて、手を例えば動かすとそれに応じて映像が変わったりとか消えたりとかね、漢字みたいなものが上から降ってくるんですよ。
で、それを触るとその漢字が消えるみたいな、そういうこともありましたし、あとね、すごい特徴的なのがね、泡が、石鹸というかね、泡がね、空間中ワーッと出てくるんですよ。
泡は一応触れたりしてちょっと汚れるんですけど、泡を見ながらデジタルアート。壁の方にね、デジタルアートが動いているので、プロジェクションマッピングの、それの真ん中の方というかね、空間に湿られているところで泡が出たりとかですね。
あとね、似たようなものとしてボールというか、円形のね、だいたい20センチから30センチ、40センチぐらいの銀色のボールがあるんですけれども、それがですね、入ってくるというか、ワーッと上から出てくるんですよね。
それでもうワーッと出てきてね、なんか気持ち悪いというか、血管、血液の中にいるような感じになって、とにかく刺激が強いというか、触れますからね、割とそういうボールみたいなものがね、100個も200個も30個もね、来るわけなんですけれども、なんかね、そういうものがよーっけあるというかね、すごいですね。
参加型アートの刺激と体験
あとね、デジタルアートと苔もありましたね、3階。この建物1階から3階まであって、じっくり見るとやっぱね、1日かかると思いますよ。それで苔がね、ワーッとね、苔の山というか、こんもりしたものがあって、そこにデジタルアートみたいなものがあったり、あとはね、泥が下にね、その泥を歩きながらね、デジタルアートを見るっていう。
なんか、うーん、まあこれ批判的なことを言うのはよくないかもしれないけど、なんかね、苦し紛れな感じだよね。うーん、すごくね、プラスプラスプラスの情報を足していくっていう感じのアートだから、その日本画とか、従来からあるね、洋画とか日本画とかね、そのあたりって、あまりそこまで刺激の強い感じで、作品が存在してないですよね。
で、そういうものって自然と人間の見る側がですね、ちょっと集中してみようかなとかね、これどんな描き方してるんだろうっていうふうに、自分から情報を取りに行きますよね。それがね、デジタルアートはほぼないんですよ。
向こうからどんどこどんどこ来るから、それで情報の波に溺れる感じですよね。で、まあ刺激はあっていいんですよ。すごくいいんだけど、なんか残らないというか、残ると言えばね、情報が多いから感覚遮断した頭の脳みそであるとかですね。
あとは疲れるんですよね、そういうのずっと見てみとくと。なんかね、もともとあの状態に戻るのに、どうだろう、2時間くらいかかったかな。なんかね、次ワークショップ終わった後にすぐ大学に帰って、4年生のゼミやったんですけど、どうも頭に入らないというか、すごいね、結構残っちゃうんですよね。
そんなところが割とありました。すごく刺激的でいいんですよ。すごくいいけど、これ例えば今年に夏前後くらいにできたチームラボ京都だけど、来年見ようかな、再来年見ようかなっていった時に、そういうデジタルアートってやっぱり日清月報の技術を使うから、すぐ古くなるんですよね。
一回行った人はね、人工空間だから飽きるじゃないですか。自然空間とか日本庭園だったら、それは時々コクコク聞こえてくる音も違うから、しかも生の植物使ってますからね、日本庭園とか。すごくいいんですけど、いいというのは飽きがないっていう多様性があるんだけれども、デジタルアートは人間が作った間違いなく作為の枠の中で、
そこで見るものの体調とか感じ方っていうのは毎日毎日違うんだけれども、入ってくる情報としては固定してますよね。そういう中でどうなのかなっていう、ちょっと疑問が湧きましたね。
さらにそれを突き詰めていくと、やっぱりドゥーとビーなんですよ。ドゥーっていうのは何か刺激を自分から、何かを手を動かせば画面が動くとか、靴を履いて泥の中に入れば何かそこでアートが体感できるとか、
自分が強制的にというか、仕組みを作られたレールの仕組みの上でドゥーをしていくとコラボレーションできるっていう、何か設計された感覚なんですよね。そういうドゥーが多かったかなと。
その一方で、僕が日常的に提想しているのは、やっぱり今街の中、市場通り歩いてるけど、音が何気なく聞こえてきたときに空白があったりとか、あれこれ何の音かなと思って自分で探すことができるじゃないですか。
そういう余裕、間があるんですよね。いくら今人工空間の中にいたとしても、そういう遊びとか空白があることによって、あれこれもうちょっと知りたいなとか、もうちょっとこの音聞いてみたいなと思って近づくことってあるじゃないですか。それがやっぱりビーなんですよ。
だからデジタルアートはやっぱりドゥーが多いなって感じがまず1点目ですね。2点目は、さっきちょろっと話したんだけど、空白がないね。
なんか一つのデジタルアートの時間的な流れがあるでしょ。あれが終わらないんですよ。ずっと続いてるので、人間って生まれては死ぬっていうのが説理だけど、そのアートの刺激は、快感、平感はあるけれども、すごいね、わりとずっと定常的なんですよ。
それがね、すごくね、しんどいなあっていうね、空白がないっていう感じ。あとは重力ね、物質的なものがないから、最初に伝えましたけど、やっぱり軸というか、そういうね、質感がないなっていう感じ。
だってそこが、停電になったら全部消えるじゃないですか。全くないわけですよね。その反面、日本庭園って停電しても石はあるし、庭もあるし、木は残ってるしってことですよね。
だからね、そういうあたりの物質的な重力というかね、そこがね、やっぱりあるんですよね。従来の作品は。ただね、デジタルアートはそれが少ない、ほぼないっていうのがあって、それどうなのかなっていうね。
デジタルアートの課題と見解
楽しいんだけど疲れる感じがね、して仕方がないなあっていうのがあります。はい、ということで、今ちょっとね、やってきたのは、ちょっと室内に入ったんですけど、ココンからすまっていうところで、ちょっと今ね、映画を見ようかなと思って、来てる最中でちょっとね、喋ったりしてるんですけど。
まあね、そういう違いがあるので、ただ僕は否定してるわけじゃないんですよ。否定じゃなくて、そういうデジタルアートの面白いのはどんどん追求したらいいと思うんだけれども、ちょっと違和感があるかなとかね、そういうあたりは何が原因なんだろうっていうのはやっぱりね、言語化した方がいいと思うんですよね。
まあそういう感じでやっぱりね、学生にしてもね、皆さんにしてもね、言えるのは、いろんな空間を体験する、できる範囲内で疲れない程度で、新しいとこ行ってもいいしね、いろんな人工空間に行ってもいいと思うんだけれども、そことただ海を見るとか、庭園でボートするとかっていう、その往復運動っていうのをやるというか、多様性をね。
自然空間ばっかりだとやっぱり人間飽きますからそれはそれで、そういうところでしっかりと多様なところで見ていくというところが必要かな、そういう意味でデジタルアートっていうのは良しも悪しもね、いい築きに仕上がってくるんじゃないかなというふうに思ってますので、そんな感じで今日はね、チームラボバイオボルテックスの現状をお伝えさせていただきました。
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