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2025-07-04 36:08

ピネル最終章:サルペトリエール病院改革と精神医学の神話へ

第8回では、ピネルがサルペトリエール病院で実践した精神科医療改革の集大成を紹介します。患者の分類、道徳的治療、拘束の廃止、病棟の分化、記録整備など、現代につながる基本理念が形成されました。弟子エスキロールによってピネルは「神話化」され、啓蒙思想の象徴として広まりました。彼の理念は、今日の精神医療にも脈々と受け継がれています。

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サマリー

このエピソードでは、フィリップ・ピネルがサルペトリエール病院で精神医学の改革を推進した過程を探ります。ピネルは、患者観察の体系や道徳的治療の実践を通じて、精神科医療の新たな基礎を築き、精神疾患にまつわる神話を乗り越える努力をしています。彼の改革によって、サルペトリエール病院は精神医学における新たなスタンダードを確立しています。エピソードでは、ピネルの業績や彼が直面した困難、そして精神医学の神話化について探求します。ピネルの病院改革は精神医学における重要な転換点を示しており、過去の医療の歴史を知ることが現在の質の向上に寄与することを強調しています。特に、福祉の世界との関わりや医療従事者の成長についての洞察が深まる内容です。

ピネルの改革の始まり
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオ。この番組では、精神科医療を作った人々、現在のトピックスを精神科医が解説します。
精神科専門医30年、医学博士で現在、開業医のマリモと、
その姉で、障害を持ちの方の就労支援事業所を経営していて、つい先日、初孫を抱っこしすぎて腕が筋肉痛になった、サクラがお送りします。
フィリップ・ピネルが鎖を取る物語。その第6回として、ピネルは鎖を解く物語の現実です。
前回の続きからお送りします。
ピューさんをビゼトル病院からサリペトル病院に扶任させてもらいます。
ピネルは現場の人ではないんですよね。管理とか考えたりする方が得意だと思うんですけれども、
病棟改革っていうのはあんまりやってないし、そうじゃないんだろうなと。それをやっぱりするのはピューさんが必要なんですよ。
ピューさんをサリペトル病院に呼んでもらうと、この呼んでもらった時にシャプタルさんが尽力してくれるんですよね。
この時は内部大臣にまでなってたらしい。
出世して春から。
出世言うても革命政府ですから、今まで丈夫に人たちが一気にいなくなって、そこでシャプタルさんとかが登用されたんでしょうね。大学時代に知人だったし。
お願いして、ピューさんをサリペトル病院に来てもらうと。そこからサリペトル病院で改革されます。
心理的アプローチの実践
いわゆる監禁から観察とか治療とかする病院に変わると言われてますね。
なるほど。体制を整えるところをピネルさんが頑張ったってところですね。
そうですね。人員を整えて方向性をね、こんな風にやろうっていうことをやるんでしょうね。
実際あった内容っていうのが5つぐらいあって、サリペトル病院でピネルがやった病院改革。
まず第一番は精神疾患の観察と分類ってやつですね。
今まで精神疾患っていうのは人まとまりというか、あまり分けられてなかったけれども、実は分けられるんじゃないかってね。
今から考えたら当然ですけども、診断ですよね。
診断体系もなかったので、診断体系っていうのはピネル自身が作ってやってたので、ピネルなりの分類をしていくんですね。
分類好きな方でしたもんね。
そうなんですよ。
もともとがね、ここにつながるわけだ。
そうなんですよ。
これメランコリーとか、妄想伴いの相状態、妄想伴う興奮状態、思法の状態、先天的な知的障害とかね。
これ5つに分類して、この患者さんをそれぞれ分類しましょう、みたいなことをまずやる。
で、2つ目は身体的拘束とか鎖とかで、折からの解放ということですね。
で、暴力的な監視とか管理とかする方をいなくなるにして、観察したりとか話しかけるような看護師さん、看護婦さんを置くと。
患者さんっていうのは、ずっと精神障害になっているわけじゃなくて、回復できるんですよということを皆さんに知っていただくということをやったということですね。
道徳的治療も実践したと言われてて、この道徳的治療っていうのはダッシュの時にもありましたけれども、
精神障害を持っている方っていうのはいてるんやけれども、全ての精神障害が起こっているんじゃなくて、一部障害になられているだけで、健康な部分を生かすと治るんですよっていう考え方ですね。
そいつを生かしていきましょうということで、ダッシュの場合は作業療法みたいなことが割とやりましたけれども、
ピネルが割と特徴的なのは、健康な部分を活性化するのに、いろんな刺激を与える健康なところに。
有名なのが旅行に行ったりするんですって。
裕福な患者さんとお医者さんとグループ旅行みたいな感じで、観光地みたいなところに行って、元気なところを活性化させるとかね。
あるいは演劇みたいなのを体験させると。ドッキリみたいな感じですよ、患者さんに。
それをさせて、元気な気持ちを活性化させて、狂気を治そうということをしたらしい。
一部効果があったと言われてます。道徳的治療ってやつですね。
効果になる人いるでしょうね。みんながみんなじゃないけどね。
みんながみんなじゃないけどね。
余計悪になる人もいるよ。
その通りです。ただある種の方がこれが効果があるという人もいてたという、道徳的治療。
今では全くこういうのでよくならんと言われてたけど、よくなるというのを一つ見つけたということです。
なるほど。
あと病棟自体を機能分化させて、症状とか重症とか回復の見込みに応じて病棟を分けたりとか、
看護人の方を見合わせるんじゃなくて支えるようにしましょうということとか、衛生状態を管理しましょうとか。
あと病院の記録とか統計とかっていうのを今までとってなかったので、しっかりと統計をとりましょうというようなことをやっていきました。
すごいですね。現代医学につながってますね。
そうなんですよね。これが成功するんですよ。何年かかかるんですけどね。
ただやっぱり反対する人もいてて。
そりゃそうでしょう。
はい。今までの看護人とか管理してた人とかね、一部の保守的なドクターとかもね。
そりゃそうですよね。想像つくわ。そんなしたことないし。
そう。やっぱりダメ。そんなしても良くならないし危険だとかね。
そうね。
宗教勢力とかっていうのもやっぱり精神疾患というのは、前世の罪によって行われてるんだからっていうような考え方があるのでね。
そうね。
また宗教的な方からも批判を浴びたりとか、警察関連というか治安関連の方からやっぱり危険な人がいてるので、そういう人をきっちり管理しないとダメじゃないかみたいなね。
反対した人もいたらしい。
なるほど。
ただ一直線に成功したわけじゃないらしいけど、こういう反対者たちをなだめたりすかしたりとかいろんなことをしながら、ピンデルの改革っていうのは成功していくということになりました。
すごい。
この1802年ですね、サルペトリエル病院の改革というのがうまいこと言って、この時代からフランスの精神科病院というのは成立したなっていうふうに言われています。
だから実際その鎖を解いたのがピュさんなんですけど、この病院自体を改革したっていうのは確かにピンデルなんですよね。
そうですね。
ピュさんも使って、いろんな力を使ってその精神科病院っていうのを作ったというのももちろん事実かなと思うんですね。
それもその前回あったようなバティさんみたいなですね、私立の病院じゃなくて公的な病院ですよね。
すべての国として受け入れなければならない人たちを受け入れる病院を改革したっていう大きなところがあるんだと思うんですよ。
すごいです。公立病院ね。
そう、公立病院で国の制度を動かして、制度と一緒にこの改革をやったということがですね、ピンデルのすごいことを説こうかなと思うんですけどね。
素晴らしい。面白い。
面白い、そうですか。ありがとうございます。
私的感情ですいません。
いやいや、それが一番あれかなと思うんですけど。
時代すごいな。
この時代ですね。だからやっぱり革命の時代ですからね、やっぱり今までの旧体制が動くんですよね。
みんなそれぞれいろんなことをしたと思うんですけれども、やっぱりうまいことを言ったんですね、このピンデルの改革っていうのは。
もちろん全部がね、すべて革命がうまいことを言ったわけでもないみたいなんですけれども、
一つこのピンデルの改革っていうのは、このフランス革命の大きな身取りの一つだったんでしょうね。
そうですね。ほぼほぼ現代の医学の基礎につながってきてますもんね。
基本的な考え方っていうのは、このピンデルの考え方に大きくずれてはないと思うんです。
治療法とかはね、やっぱり進化するし、分離の中身とかはどんどん変わるんですけれども、
精神科病院の考え方の基礎っていうのはやっぱりここでできたかなと思うんですね。
そうですよね。見張りの人から支援者に変わっているってことやもんね。
そうそう。これはもう200年そうなってますからね。
ただ、看護っていうのと、今のピンデルが言ってた看護っていうのはちょっと違うんかもね。
ナイチンゲール精神がまたこの19世紀に入ってくるので、ちょっとまたそこでプラスアルファというのが出てくるんだと思うんですけれども、
でも大まかなところはね、この時代で確立されたのかなというところですね。
エスキロールと改革の広がり
ではですね、そんなピンデルの改革があって、その後どうなったかということをちょっと言っておこうかなと思うんですけどね。
実はこのピンデルの改革がうまくいってですね、シャプタルは内大臣になってます。
また修正してますね。
修正してますね。
このピンデルの改革がサルチュペトリオイル病院のうまくいったので、これをフランス全土に広げたいって思いますやんか。
それは思います。モデルケースですね。
モデルケースとしてね。じゃあその全国に広げていきますよということになるんですね。
ピンデル自身は基本やっぱり大学の先生ですし、あんまり現場というわけでもないので、実際全国を飛び回ったりする人っていうのが必要になってくるんですね。
そこでピンデルの弟子としてめっちゃ有名なのがエスキロールっていう精神科医がいてるんですよ。
お弟子さん。
このピンデルの学弟子なんですけどね。
エスキロールっていうのがピンデルの後を継いでフランス精神医学を大きく育てる人になります。
エスキロールっていう名前はね、実は私たち精神医学を学ぶ中でもピンデルと共に出てきますね。
エスキロールっていうのは。やっぱり聞きますわ。
日本ってね、フランスの精神医学ってあんまり入ってないんですよ。
同一精神医学の流れを継いでるんで、あんまりフランスの話ってよくわかんないんですけれども、それでも知ってるので、フランスの中では大きな人なんですよね。
ちょっとその話も見ておきましょうかね、と思うんですけど。
ピンデルの弟子としてサルペトリエル病院でエスキロールは1799年に勤務します。
お医者さんにこの時になってたんですよね。サルペトリエル病院で実地で勉強していって、ピンデルの片腕と右腕となっていろんなことをやるんですけれども。
そこから2年後ですね、このピュさんの名があったと思うんですけれども、全国の精神科病院の実体調査を行うことになります。
で、マルタ県という別の県の県立精神科病院で、このエスキロールは精神科病棟を改革します。
シャプタルの構想というかですね、新しい精神科病院の構想をこのマルタ県の県立精神科病院で行うんですよね。
それがうまいこと言って、全国に広がると。エスキロールも含めてエスキロールのまた弟子というかですね、兄弟分が全国に広がって、フランス各地の精神科病院を改善していくということになるんですね。
だからこのシャプタルさんはエスキロールをですね、この精神科病院のリーダーとしてですね、各地の精神科病院のリーダーとして扱ったというか、2人ですね、組んでやっていたということですね。
で、この近代的なフランスの精神科病院というのが誕生するということになりました。
でね、そこでさ、やっぱりエスキロールというのは各地を巡るわけじゃないですか。
で、精神科病院というのは改善、改革しないとダメだよということをもちろんいろんな人に訴えるんだと思うんですよね。
で、実際パリではうまいこと言ったんですよということを言うと思うんですよね。
で、その時に私の師匠のピネル中偉い先生がいててねという話を当然言うだと思うんですよ。
当然言うてたんですね。ピネルがこんな風にやってて、こんな風にうまいこと言ったんやから、僕たちの病院もうまいこと行くんですよという風にですね、ピネルを結構神話化するんですよね。
ああ、なるほど。会ったことない人やしね。
そう、みんなとしてはね。そうそう。で、ここでピネルさんというのが神話化されていくことになるんですよ。
なるほど。
で、その当時の政府としても非常に都合良かったみたいですね。
ああ、なるほどね。
都合良かったというか、うまいこと言った、革命でうまいこと言った人の一人なわけですわ。
はい。
で、ピネルさんという名前というのはちょっとそういうことでね、深刻化していくというか、いいように利用されていくことにつながっていくことになります。
なるほど。だから歴史に名前が残っていくんですね。
そうなんですよ。この絵あるじゃないですか。
はいはい。
この下の絵あるじゃないですか。これが一番有名なんですよね。これが教科書に出てくる絵なんですよ。
はい。
これは真ん中の白い女性が精神障害者を持っている方で、左側にいる黒い服を着て杖を持っている人いますやんか。
はい。
あれがピネルさんってされてるんですよね。
現場に行ってないのに。
はい。まあ行ってたかもわからないけど。
なるほど。
で、その白い女性の腰に手を挙げている人あるじゃないですか。
はいはい。
あれがピュさんと言われてます。
あ、そうなんや。
ピネルのサルペトリエール病院改革
そうそう。だからまあまあね、その鎖を取ったのはピュさんやということではあるんですけれども。
なるほど。
大体その史実を描かれててね、って思うんですけどね。
へえ。
まあその周りにも女性とかがさ、ちょっと鎖につながったり寝込んでたりとかいう人いますやんか。
そうですね。
これサルペトリオール病院は女性の病棟ですからね。
そうか。
だから女性が患者さんなんですよね。
そうかそうか。これはじゃあ本当の事実を絵画にしてるってことですね。
そうなんです。
で、この映画ね、実は描いた人はですね、
この時代から70年後、違う75、6年後の方なんですね。
史実をもとに描いたって。
史実をもとに描いたんですね。
でね、トニー・ローベル・フローリーさんっていうですね。
まあこの人は、例えばそういう歴史的な事実を描くのが有名だったみたい。
ガリレオ・ガリレイのいろんな場面を描いたりとか、
フランスの美術の教授先生になる感じで、こういう歴史的なものを描くのが得意だった人みたいですね。
この当時わりとこういうのが流行ってたっていうことですね。
例えばこういう絵とかを利用して、フランス政府はですね、啓蒙主義というか、
まああまり宗教ばかりに頼るんじゃなくて、人間の知恵、
上手く進めると上手いことできるんですよ、という象徴にしたわけですね。
なるほど。
だから僕たちを信用してくださいねっていうことになったということですよ。
まあ目で見たら分かりやすいもんね。
目で見たら分かりやすい。
そう、分かりやすいですね。
でね、この当時面白いのがあるんですけれども、
この右上のところにちょっとマンガチックな絵があるでしょ。
ありますね。
あれね、ピネルって書いてるんですよ。
ピネルっていうのが赤でかかわれた中にあって、
ピネルが鎖を取る絵みたいなのがちょっと残ってますやんか。
これ何かっていうと、この当時にですね、
フランスのお菓子メーカーが作ったチョコレートのね、
表紙というかパッケージ、残ってるんですよ。
つまりね、この我が国の偉人たちシリーズなんでしょうね、きっとこれね。
歴史上でピネルさんが出てるってこと?
そうそうそうそう。
すごいなあ。
国為発用もあったのかも分かんないですけれども、
私たちの国のこんな偉い人が出てたんだよっていうような一つの場面として、
こういう子供がですね、食べるようなお菓子のところのパッケージに使われてたっていうようなことがあって、
割とだから、こういう時代が起こって19世紀の後半ですね、
ピネルさんというのは神話にこうなっちゃってたってことですね。
ピネルの生涯と影響
お弟子さんのおかげ。
お弟子さんのおかげもあって、政府からも利用された姿勢もあってなってたんかなと思うんですけどね。
だからその当時は割とフランスの中では有名だったみたい。
なるほど。
その動きが実は精神科院にはずっと脈々とあって、
だから精神科を学ぶ人たちっていうのはこの絵をずっと教科書に掲げててね。
そうなんですか。
大体教科書にはこの絵載ってますわ。
載ってるんや。
大体載ってますね。載ってないのもありますけども、大きな本とかには載ってて、これは明治時代からそうですね。
だから初め精神科院で習うのはピネルっていうことになってて、僕たちはね。
そっからエスキロールになってウンヌンカンヌンってなるんですけれども、
っていうのが未だにね、またどうかな、僕が習ったのは20世紀だから、21世紀の若者はもう習ってないかもわからないんですけど、
でも、脈々と250年続いてた伝統の一つなんですよね。
あと最後に、このピネルさんの最後、晩年をちょっと言うときたいなと思うんですけど、
晩年って言うのもあれですけどね。
サルペリトル病院に上級になったので、3年経った後ですね。
ピネルさんっていうのは、このトルフっていうパリ近郊の高級住宅地に邸宅を購入できますっていうね。
ちょっと裕福になったんですね、さすがに。
その後、3年後にレジオンドヌール勲賞っていうのを得たりとか。
勲賞もらったんですか。
勲賞もらったんですよ。でも実際改革したしね。
その翌年には皇帝好きの古文芸。皇帝ですよ、皇帝。
皇帝ってナポレオンですよね。
そうですよね。
この当時、フランス政府ってあっち行ったりこっち行ったり、右行ったり左行ったりするので難しいところになるんですけど、
そういう政府にも一応利用されたり、本とかも結構出したりしてたってことですね。
ピネルが66歳の時に妻ジャンヌが43歳で亡くなったり。
23歳したやったのにね。
亡くなったんですよね。
同い年にピュさんも亡くなったって書いてますけどね。
ちょっとそういう悲しいこともありつつ。
77歳に教授職、パリ大学の教授職を解任されてます。
あら。
これ辞任じゃないですよ。
77歳まで教授があったんかってこともあるんですけれども、元気だったんでしょうね、ピネル自身はね。
なるほど。だいぶこの時代だったらお年ですよね。
お年だと思うんですけどね。でも解任っていうのは政治的な理由があって、学生運動みたいなのが起こったんですって。
あら。
で、結構その突き上げを食らったんですよ。
この時にはピネルさんはさ、旧体制派ですから。
あ、そうか。
もう20年30年になってますからね、その改革してから、ピネルの改革から。
世の中はどんどん進むので、大学自体を粉砕しようみたいなことになって、警察とかになって、解任ってことになります。
で、解任された後、就職させてくれよ、みたいなことをピネルは訴えたらしいんですけれども、叶えられず。
で、脳卒中になって亡くなった、寂しい老後を迎えた、みたいな記載がありました。
奥さんもいてないしね。
ただ、あの、再婚してるんですけどね。
あ、え?
66歳で亡くなった後、何歳かちょっとあれでしたけど、70代ぐらいで結婚してるんですよ。
すごいな。
だから、ある程度勢力的な方だったんだろうなと思うんですけれども、とはいえちょっと辛い晩年でもあった部分もあるということですね。
精神医学の神話化
っていうのが、ピネルさんの生涯でした。
このピネルの生涯って言いましたけれども、ピネルがうまいこと改革できたっていうのは、ピネル一人の能力もありますけれども、それだけじゃなくて社会の改革ですよね。
そうですね。時代が大きく変わったんですもんね。
そうそうそう。やっぱりこの啓蒙主義というかね、人間の理性を第一に考えて社会を良くしようという動き、これが一番役立っちゃうかなと思うんですよね。
で、実際フランス革命も起こったし、うまく乗っていけたんですね。
それがうまいこといって、フランスの精神科医療の改善の原点になったと。
これは間違いないことかなと思うんですけれども。
その後やっぱり神話化したっていうかね、これを実際以上にいろんな物語として語られるということにもつながったんですよね。
その後の人々の事情も大きかったんだろうなと思うんですけど。
もう実際この人動いたのは40代後半からですからね。
そうね。
人生後半になってガーって動き出したっていう方ですね、ピネルさんというのはね。
近代精神医学の知事って言われる割には、あんまり現場でバリバリやってるとかっていうんじゃなくて、どっちかというと学者っていう感じなんですよね。
実際患者さんに触れ合った云々感というのはあんまりなくて。
ここではあんまり言わなかったですけれども、ピネルさんというのは診断には結構こだわりがあって、分類とかですね、精神疾患の分類とかっていうのはきっちりやろうということとか。
あとその道徳療法とかについても、あるいは精神科の治療ということに関しても、いろいろ興味がつきんかったみたい。
だからね、あんまりこだわりがなかったんですよ、要するに。
いろんなことに興味を持って、柔軟に変えていくという姿勢は多分持ってた人なんですよね。
だから上手いこと言ったっていうところもあるしっていうところですね。
はい、ありがとうございました。
ありがとう。
じゃあエンディングを撮っていこうかなと思うんですけれども、どうですか、この人の人生などなどを見てみて。
フランスの時代が大きく、もう本当に大きくひっくり返る時期じゃないですか。
そこに合わせてその精神医学も大きく変われてるっていうのが、上手に波に乗ったなあって思います。
そうですね。
無理やり変えられるとか、無理やり押し付けられて、変えなさいって言われたわけじゃなくて、
黙って看護人のピュさんさんがやってたことを自然と取り入れたっていうのが、
時代の波に本当に上手に乗った方だなあって思います。
そうですよね。
やっぱり若い頃、苦労したのも大きかったんでしょうね。
そうやね、本当にそんな気がする。
そうそう、王族のお医者さんになれなかったっていうところは、ちょっと失意やったと思うんですけど、
それがかえってよかったし、いろんなところに興味を持ってその分類をしたかったっていうのも、
今も精神学って分類めちゃくちゃ大事じゃないですか。
ごちゃ混ぜに精神科っていうんじゃなくて、いろんな病気の分類に分けて、
それに合わせての治療が行うっていうのも基本やから、
それを作ったっていうか分類できたっていうのもすごいなあ、
本当に時代、大きな時代の変わり目に生まれてきはった方なんやなあって思います。
そうですね。
一番でも私すごいなと思ったのがこの宮殿みたいな病院。
ああ、はいはい。
こんな立派なのをとりあえず建てて、
使い方はいろいろ時代の不衛生だったりとかっていう問題はあるけど、
こういうのを建てれる国の力っていうんですか、
その頃のルイ16世の14世とかもそうやったと思うんですけど、
そういう時代なんやなあっていうのも思いました。
今だってこんな立派な病院、世界中探してもないじゃないですか。
まあそうですよね。宮殿みたいな病院というか施設ですよね。
やっぱりそういう施設とか病院にはそれぐらいのものを建てないとっていう思いがあったんですよね。
この改革が起こる前もね。
必要だったってことですよね。
ということですよね。
あとね、僕的には1個思うことがあって、
ピネルさんじゃないんですけど、ピネルさんの後の人、エスキロール以降の話なんですけどね。
ピネルさんを祭り上げたっていう話を僕言ったじゃないですか。
これってすごくよくわかるんですよ。
わかるというか、言いたくなる気持ちっていうのがあって。
つまり、新しい科学というか医学じゃない?
でも精神医学も医学やから、患者さんとかに、あるいは家族とかに、
人生を左右するようなことを言わなあかん時って僕らもあるんですよ。
なるほど。
だからこうですよっていうかね、やっぱり言わざるをえんし、
実際にこれを決めることでこうなるんやろうなっていうことって結構大きいじゃないですか。
その時にね、僕らが持ってる理屈というかっていうことが、
ほんまに正しいんかっていうことを聞かれた時に、
どこまで言えるかっていう問題があるんですよね。
確かに。
圧倒的な治療できる、例えば外科的なものとか、
あるいはめっちゃようきく薬を持ってる医者であればさ、
これで本当によくなってる人がこんなにいてんねんから、
絶対僕の言うことは正しいんですよっていうことが言えるけど、
精神医学ってちょっとそこまで行ってないところもあって、
でも言わざるをえんこともあった時に、
どうするかっていうと、
過去の人たち、こんな偉い人がいてて、
この人もこんなこと言うてたんですよっていうことをついつい言いたくなる気持ちが出てくるんです。
すがるっていう言い方は悪いんやけれども、
僕たちのこのバックボーンにはこんな医学があるんだっていうことをですね、
やっぱりちょっと言いたくなるというか、
そういうのも考えたくなるっていうことになるんですよね。
それを言ったところで別に家族が納得していただけるわけではないんだけれども、
でもそういうバックボーンがあっての医療なんですよっていうことを
ちょっと言いたくなるなっていうのが、
今までの僕の臨時診療の経験ではあって、
だからエスクロールさん以降っていうのは、
やっぱりピネルさんをそんなに深刻化したっていうのは、
精神医学の歴史と改革
そういう事情もあったんやろうなって思うんですよね。
先生方自身も自信持って言わなきゃってなりますもんね。
そうなんですよ。
でも実のところ、分かんないこと多いし、
分かんないのはもちろん分かんないんですけれども、
その中でもこれを決めなあかんし、
これをせなあかんっていうことは分かっているので、
そこのところを共有するにはね、
ちょっとこう、えいやって言わなあかん時でもあるので、
そういった時には必要なんやね、こういうのもね、
とかって思ったりしましたね。
なるほどね。実際おる人やしね。
なんかそれすごく分かる気がします。
そうそう。だからね、僕がこのポッドキャストをやっている原因の一つも
それかもしれないですね。
ああ、なるほど、なるほど。
昔のことを知って、今の医療をね、
もうちょっと質を上げたいなっていうことがほんまなんですけど、
でもまあその昔の人はどんなふうにやってたんやろうなっていうことを
もうちょっとしっかり知っておくこと、
やっぱり今後大切なことになるんかなと思うんですけどね。
ずっとそう続けてやってて、
現代につながるっていうのがすごく分かる。
何百年も前の話やけど、
こういう時代の流れがあって、
今のこの精神科の先生たちの医学があるっていうのが分かるので、
はいはい。
あの、なんだろう、
安心はしたらだめだけど、
今はこういう時代の流れがあって、
みんな良くしていこうとか失敗もあって、
つながってるんやなっていうのは事実やから、
そういう意味では日々のお家でいう利用者さん、
病院でいう患者さんたちに対する言葉掛けとか、
治療の方針とかっていうのは、
そういうことがベースになってるんだなっていうのは学べるから、
そういう意味で神話化したことで、
私たち支援する者も、
自信持ってできるようになっていくんやろうなっていうのは分かります。
そうですね。やっぱり医学しっかりしないとね、
愚痴の方も難しくなりますよね。
もう絶対医療とは話せないので。
あとまあさ、全然ここで言うのもどうかなと思うけど、
スピネルがさ、やっぱり40代ぐらいからさ、
大きくちょっと方向を変えていきましたやんか、
状況を選んでっていう、精神学の方に舵を切ってっていうのがあったと思うけど、
これ以上も割と福祉の方にさ、
あんまり縁もゆかりもなかったような気もしたけど、
舵を切ったじゃないですか。
それで何かあったの?
私の場合はもうすごい個人的なことなんですけど、
すごく若い時に大学を出てすぐに結婚してっていう人生をずっと歩んできて、
40歳になった時に、
人生80年って現代の日本は言われてたじゃないですか、私たちの頃は。
折り返し時点にきて、
このまま80年また残り40年いっちゃうんじゃなくて、
何かし残したことというか、
今までとは違うことをしなきゃいけないんじゃないかなっていうのに、
すごく焦りを覚えました。
だからピネルさんとは全然違う理由だと思うんですけど、
ただ自分を振り返るというか、今の自分でこのままでいいのかっていうのは、
もしかしたらあったかも、私の中で。
やっぱり福祉の世界をどう何かしたいという思いもあったんですか?
福祉の世界は本当に私にとっては身近ではなかったので、
知らん世界ではあったんですけど、
弟のマリモ先生が精神科医をやってたっていうことと、
全然精神医療とかの世界もわからないんだけど、
ただ弟がそういう世界にいたっていうことと、
あとやっぱり私の子供の親友、
次男の親友のお姉ちゃんが知的障害を持たれてて、
でも会うたび3日目にお母さんが連れてくるんだけど、
本当にいい子で、ただ意思の疎通ができないよね。
でも一緒にいろんなことを、ご飯食べたりとか、
一緒に移動したりとかってしてる中で、
この人がずっと命を得るまでに生きていくのにも何が必要なんだろうかなっていうのを、
そのお母さんと一緒にお話した。
その時がやっぱり一番のきっかけになったかなって思います。
私に何かできない。
だから支援者としてやりたいんではなくて、
母親の園長として福祉の世界を選んでるって感じ。
だから私は利用者さんの支援というよりは、
利用者さんでもう一度子育てをさせていただいてるかなって思ってます、毎日。
そういう感じなんや。
そうそう。私の支援のやり方って、本当にお母さんだったらどうする?
この方が若子だったらどうする?っていうのが私の支援の柱にしてるので。
なるほど。
だから本当に精神医療とか、福祉の歴史とかっていうものも全然知らなくて飛び込んでるので、
今こうやってポッドキャストで勉強させてもらってるっていうのが、すごいいい機会になります。
そうですか。
初めて触れる歴史やし。
そうですか。
だから今の先生って今こういう治療とかこういう考え方で動いてるんだっていうのが、
今ようやくわかるっていう。
なるほどね。
そうですか。
だからすごい新鮮で、もっと知りたいし、もっと勉強したいなっていう気持ちに実はなってるんです。
そうですか。
じゃあぜひぜひ、一旦このピネルの話は終わりますけれども、また別の話を持ってきてやっていきたいなと思いますね。ありがとうございました。
福祉との関わり
はい、楽しみにします。
精神科の知識を学べる番組、歴史から学ぶ精神科ラジオは、毎週金曜日午前9時に最新話が更新されます。
お聞きのアプリでフォローして最新話を聞きください。
また番組を聞いた感想やご意見を募集しています。
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