2026-01-23 36:49

#88 師匠が遺した逆欠如の日米比較文化論で拓く道【明治大学 眞嶋専任准教授 前編】

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今回は明治大学国際日本学部 ・スタンフォード大学visiting scholarの眞嶋亜有専任准教授に、ご自身の研究キャリアやその原体験について伺いました。

✨大学ホームページ

https://www.meiji.ac.jp/nippon/teachingstaff/Ayu_Majima.html

🔍 Wiki

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9E%E5%B6%8B%E4%BA%9C%E6%9C%89


✏️Researchmap

https://researchmap.jp/ayu.majima


『「肌色」の憂鬱ー近代日本の人種体験』(中公叢書、2014年)

https://www.chuko.co.jp/zenshu/2014/07/004627.html


スタンフォード大学での研究活動概要(2026年3月まで)

https://profiles.stanford.edu/ayu-majima


眞嶋亜有@明治大学国際日本学部(エッセイ「両想いの人生を」リンク有)

https://gyoseki1.mind.meiji.ac.jp/mjuhp/KgApp?kyoinId=ymdiyogeggy


🗽トピック🗽 

国際日本学部/幼少期の米国体験/「サンキュー」事件/外山滋比古氏の「転石苔を生ぜず」/酔っ払いの戯言?/ハーバードへの挑戦/水虫の眞嶋/あえて海外で「日本」を研究する


本配信は個人的な見解であり、所属する組織とは全く関係ありません。


★番組のX ⁠⁠⁠@ANG_2024⁠⁠⁠

⁠⁠⁠メッセージはこちら⁠⁠⁠

★パーソナリティ ⁠⁠⁠NAKAMURA ⁠⁠⁠

★雑務 ⁠⁠おニューのわら人形⁠⁠

★オープニング: ⁠⁠⁠Trick style(まんぼう二等兵様)⁠⁠⁠

★エンディング: ⁠⁠⁠Night trip(Make a field Music様)⁠⁠⁠

★ジングル:

気分一新 (otologic様)

OP/EDジングル41 (t12ya様)

サマリー

日本とアメリカの文化的な違いに焦点を当て、特に水虫の捉え方の違いについて触れています。明治大学の眞嶋准教授は、日米比較文化論に関連する自身の研究テーマや経験、思い出を語ります。このエピソードでは、眞嶋准教授が日米の文化の違いや師匠との関係を通じて、自らの研究者としての道を話します。特に、逆欠如という概念を用いて比較文化を探求し、ハーバード大学での経験に基づき日本研究の重要性に焦点を当てています。また、松島氏は日米の大学のハイアラキーの違いや、日本の学問における研究の重要性について説明します。さらに、彼の経験に基づく比較文化論は、日本とアメリカの研究環境における特異性を際立たせます。

水虫の文化的違い
アメリカからこんばんは、NAKAMURAです。
この番組では、アメリカ研究留学4年目を迎えた私、NAKAMURAが、
ゲストとお話ししながら、アメリカ留学の魅力を再発見し、沖縄のあなたにおすわけすることを目指しています。
今回出ていただくゲストの先生が、水虫の研究をされているんですけども、
水虫って、俺、あんまかかったことないんですよ。
たぶん、父親とかあるのかもわからないですけど、
なんか結構、僕らの父親世代が水虫とかよく言ってたような気がします。
あったしね、薬とかもなんか。
そういう水虫ってやっぱ、僕が今聞いても水虫って、
なんか汚ねえなとか、足洗ってねえんじゃねえかなっていう印象があるんですけど、
たぶんそれって日本人の多くが持っている水虫の印象だと思うんですけど、
アメリカだと、なんか調べてみると、運動選手がよくなる感じのもので、
そんな汚いとかそういうものではなくて、むしろ活動的ですごい、
健康的な生活を送っているからこその副産物みたいな感じで考えられていて、
ただの一種の病気、汚いものではなく。
そういう日本とアメリカで水虫っていう一つの病気というか、
ものに関しても考え方が違う。
その背景には、いろんな文化だったり、
清潔っていう観点での社会の歴史、
そういうのがあるというような研究をされている、
今回先生にお話をしていただきたいと思います。
明治大学の国際日本学部
今月1月のアメゴは、日本人研究者のサバティカルをテーマに、
現在サバティカル制度でアメリカにいらしている、
日本の大学で活躍されている研究者の方をお迎えします。
第3週は明治大学国際日本学部専任準教授で、
現在スタンフォードでサバティカルをしていらっしゃいます。
アメリカンナイトGOLD。
改めましてNAKAMURAです。
今回のゲストは真島先生です。よろしくお願いします。
お願いします。
自己紹介をお願いします。
はい、私は千代田区生まれでして、
現在勤務している大学の隣の病院で生まれました。
国際キリスト教大学に行きました。
現在勤務している大学の隣の病院で生まれました。
国際キリスト教大学の大学院比較文化研究科の博士課程を終えた後、
日本学術振興会の特別研究員のポスト読をやらせていただきまして、
それからハバド大学の来週は日本研究所のポストドクトラルフェロー等を経て、
明治大学に着任し、今は専任準教授なんですけれども、
国際日本学部というところに勤めてまして、
今、スタンフォード大学に短期在外研究中、サバティカルをいただいております。
私の専門は近現代日本社会文化史ですとか比較文化論、
特に日米比較文化論なんですけれども、
2014年に一作目の単調、肌色の憂鬱、近代日本の人種体験というのを
中古装飾から出させていただきまして、
2022年かな、中国語に翻訳していただきました。
その他のエッセイ活動をしておりまして、2015年から
自立金茶の金融財政ビジネスというところで、
ジャパンコードというまさに比較文化論、日本とは何かというところをですね、
比較文化の視点から捉えるというエッセイを続けておりまして、
最近ちょっとお休みさせていただいた時もあるんですけれども、
今回スタンフォードでの短期在外研究を機にですね、
またエッセイを再開させていただいたというところです。
よろしくお願いします。
はい、お願いします。
アメリカでの思い出
あれですね、この前バスの回でお会いさせてもらって、
そうですね。
結構お話しさせてもらって、先生がやってらっしゃること面白いなと思って、
ありがとうございます。
今回出ていただいたんですけど、
ジャパンコードのエッセイもいくつか共有していただいたんですけど、
あれも面白いですよね。
短くてすごい読みやすい分量ですし、あれいいですね。
ありがとうございます。
読者がなかなか特定のところにしか配られない雑誌なので、
一般には出回らないんですよね。
なので、読んで感想いただけるとすごい嬉しいです。
あれはオンラインで手に入らないんですか?
だと思うんですよ。
金融財政ビジネスって特定のところしか配布されないみたいなので、
そうなんだ。
そうなんです。
だからコメントいただけるのすごい嬉しいんですよね、とっても。
僕らがアメリカに行くからこそ、
そういうアメリカと日本の比較っていうのは、
僕らからしても面白い分野かなっていうのは思うんで。
そうですよね。
ぜひ公開してほしいですね。
ウェブサイトには一定期間過ぎれば、
ウェブサイトにはアップできたらいいなって思ってるんですけど、
私は本当にパソコンが苦手なので、アップの仕方がわからないっていう。
今、日本の所属が明治大学の国際日本学部。
そうです。タイトルもね。
結構あれですね、矛盾されてますよね。
国際なのに日本っていう。
そこフックにね、オープンキャンパスとかではね、
お話させていただいてるんですけど、
そうなんですよ、一応ね、元祖なんですよ。
今ね、国際日本学部っていう名前の学部が結構あって、
でもここの学部が元祖なんで、
学部長には元祖というようにっていうお礼が。
あれですね、YouTubeでもなんか。
YouTubeに出てました?
共有してもらったホームページのところにYouTubeが埋め込んでありました。
なるほどね。あれですよね、国際日本学部って一体何?ってね。
たぶん合格した学生もそういうふうにね、
親戚から国際日本学部ってとかね、聞かれたりよくするので。
3年生くらい、今2年生くらいでインターンとかいろいろやりますけど、
その頃にも国際日本学部って一体何?みたいなね。
国日って訳すんですけど、学部では。
国日不安って私名付けてるんですよ。
国日不安はね、結構あるんですよ。
要するに、私って何?っていうね。
ここでもね、国際日本って何すかっていう話で、
結局それね、キノコの山に問えるんですけど、
国日不安っていうのは何かっていうと、
キノコの山がですね、ほら、先ほどNAKAMURAさんおっしゃったでしょ。
国際なのか日本なのか、何なのかってね、おっしゃってくださったじゃないですか。
キノコの山で、頭にはチョコが乗っかってて体はビスケット。
自分はチョコなのかビスケットなのかなんだろうって悩むあれなんですよ。
明治の板チョコを見ると、あの人いいなってどっから見てもチョコレートなのにってね。
マリーのビスケットを見ると、あの人どっから見ても正真正銘なビスケットなのに
私の頭にはチョコがくっついてて、
あら、ビスケットどっちかなーっていう国日不安が、やっぱりオーカリスクでですね、
出くわすテーマなんですよね。
ただ、なんでキノコの山がチョコとビスケットなのかって、
本当にチョコとビスケットが食べたければ、
明治のチョコレートとマリーのビスケットを食べればいいのになぜか
キノコの山っていうのはアメリカにも売ってますよね。
アメリカのコンビニにもありますよね、キノコの山って。
キノコの山じゃなきゃいけないんですよ。
キノコの山はチョコとビスケットじゃなくてキノコの山なんです。
要するに日本というものを知るには世界を知らなきゃいけないですね。
世界というものを知るには日本を知らなきゃいけない。
それがキノコの山であって国際日本楽部なんですよ。
なるほど。両方必須なんですね。
で、実は私の研究テーマってまさにそれなんですよね。
要するに日本を知るっていうことは世界を知るっていうことで、
世界を知るっていうことは日本を知るっていうところが、
もう軸にあるのが国際日本楽部で、
私のやってる国際的日本研究っていうのもまさにそれなんですよね。
そういう先生がなんでそもそもそういう文化というか、
その違いに興味を持ったきっかけとかなんかあったんですか。
そうそう。私ね、カルフォルニアは実は小さい頃すごいよく訪れてたんですよ、シリコンバレー。
私のビジネスで、本当に言うか多分年に何回も来てたんですよね、シリコンバレーに。
だから未だにね、私が小さい頃に家族ぐるみでお付き合いしてた家族がロスアルトスヒルズにおられて、
だからもう何十年ぶりに私再会したんですよ、その家族と。猫家族と。
そうしたら、こんなに大きくなって、私もこの歳でまさか言われるとは思わなかったっていう、
まさかに大きくなってっていう感動の再会をしたりとか。
ここね、だからセンチメンタルジャーニーなんですよね。
スイーズキャンディーもよく私も小さい頃の思い出にありますし、
だから非常に懐かしいところに帰ってきたっていう感じなんですよ、実は。
思い出の地なんですね。
そうそうそうそう。なので、家族でよくここに来てたので、ベールにスキーとかも行ってたんですよ。
レイクタホーとかね、ヨセミテとかいろんなところに行ってたので、
だから私にとってはセンチメンタルジャーニーだけじゃなく、
私が比較文化論を始める発祥の地と言いますか、ここで始まったっていう感じなんですよね。
やっぱりたしたような人種がいてみたいな。
小さい頃たしたよう、この国はたしたような人種がいてっていう認識にはならなかったんですけど、
私がすごく衝撃を受けたのは、やっぱり空港にね、空港の匂いが違うじゃないですか。
もうね、今は違うかもしれないですけど、
サンフランシスコの空港を降り立った途端に、すごいクッキー、チョコチップクッキーの香りとか、
リタージェントの香りとか、やっぱり小さい頃の私にとっては衝撃で、
いろんなご家庭にもお招きいただいたりしてるところで、
どうしてこんなに同じ人間で同じ地球上に暮らしていて、
どうしてこんなに違うんだろうって文化がね、それが私の原点なんですよね。
で、特に父がアメリカのビジネスパートナーがたくさんいたんですよ。
で、こちらに来れば、いろんなホームパーティーに呼ばれたり、
あとあれなんですよね、こちらってビジネス一緒にやるのに、
なんか、USバージン諸島とか、2週間家族ぐるみでみんなで行くみたいな、そういうのもあるんですよ。
で、みんなでベールに好きに行くとか、
それで昼間、お父さんたちは会議して、
お母さんとか子供たちはそれぞれ楽しんで、夜はパーティーやってみたいな、
そういうあれがあったんですよね。
だから小さい頃の記憶って、やっぱりそういうのがすごく多くて、
彼らが東京に来た時は私たちが接待するんですよ。
だからそういう時にね、本当に小さい頃、いまだにイースターの時で、
私がね、たぶんね、本当に小さかった頃なんですけど、
今もロスアウトヒルズに住んでるね、私にすごく大きくなってって言ってくださった方ね、
その方がイースターの時に、新宿のセンチュリーハイアットかな、
そこで会った時も今でも強烈に覚えてるんですよね。
私にね、大きなウサギのチョコレートくださったんですよ、イースターだったから。
その時に、両親が私に向かって、サンキューって言いなさいって言ったんですよ。
このイースターのウサギの大きいチョコレートくれたから。
それを持ってる私にね。
その時に全てが変わっちゃったというか、その時が人生の衝撃で、
なぜかというと、いや、待てよと。
私たちがアメリカにいてサンキューと言えって言うんだったらわかると。
しかしながら、今回はアメリカの方がですね、
新宿に来て、娘にチョコレートをくれたのに、
日本の両親がなんでサンキューと言いなさいと言うんだというところにね、
私ね、すごいね、刺さっちゃったんですよね。
すごいですね、子供なのに。
多分、ウサ通りに分かれると思うんですよ。
満面の笑顔でサンキューって言って終わり。
私はそこにちょっと刺さっちゃって、
それで、小語科なんかの時に、
私、日本英語排斥論みたいなのを書いたんですよね。
とにかくこの日本に蔓延している英語問題をどうにかせなあかん、みたいな。
っていうのを書いたんですよ。
それが三つ子の魂100までで。
そういうのもありまして、それ一つ。
で、もう一つは、
だから小さい頃から日本と米国行き来してたんで、
なんでこんなに同じ人間なのに、こんなに全てが違うんだろうってすごく興味があったんですよ。
で、多分中学2年生かなんかの時に、
エッセイストの富山茂彦先生っていう先生が原石国語小説に関するエッセイを書かれたんですよ。
それね、教科書に出てたんです。
ご覧になりました?って、ちょっと年代違いがあるかもしれないんですけど。
そこで書かれていたのは、
原石国語小説っていうことわざは、
どこにでもあるんだけれども、
特に英語ね、英語でもあるし日本語でもあるんだけれども、
日米文化の比較
解釈が全然違うと。
なぜかというと、日本では、
いろいろね、今転職って当たり前になってますけれども、
石の上に3年とかね、やっぱり一つのものを極めないこと、
苔がつかないっていうネガティブなコノテーションなんですよね。
なんだけれども、例えばアメリカは、
原石国語小説、要するに、
いろんなことにチャレンジするから苔がつかないんだっていう、
ポジティブなコノテーションなんだっていうことを、
書いておられたときに、
本当にそれで人生決まっちゃったというか、
私たぶん小学校の頃からエッセイとか書きたかったんで、
エッセイストになりたかったんですよ、私。
で、富山先生のエッセイを読んで、
いやもう本当に私エッセイストになりたいって思って、
今に至るっていうところなんですけど、
ただエッセイストって、
それだけで食べれる人ってかなり少ないんですよね。
それでなんか、評論家とかもいいなとか思ったら、
なんか父が、評論家っていうのは、
なんか社会で最も無責任な職業だからって、
そんなのやめなさいみたいな。
評論家に失礼なんですけど、
要するに父が言いたいのは、
自分がやってもいないのに、
ああだこうだとか勝手に評論してるっていう風な言い方だったんですけど、
で、エッセイストってね、
いろいろ活躍されてる方々を拝見してみても、
やっぱり何かメインで仕事をされていて、
その型裏でエッセイを書くっていうスタンスなんですよね、多くが。
もともとエッセイストになりたかったっていうのが、
やっぱり幼少期からの夢で、
かつやっぱり日米の比較文化っていうのは、
研究者としての道
もう私のライフワークみたいになってるっていう、
やっぱり幼少期の体験が大きいですかね。
そういうちっちゃい頃から、
そういう思いがあって、
大学院まで行くわけじゃないですか。
で、それで大学院に行って、
たぶん就職、普通に企業に就職するっていう道もあったと思うんですよ。
それこそ、そういう出版業者とか、
ただそこで出版の会社行かずに、
研究者の道に行くっていうのは、
それはどういう、
なんで研究者の方を選んだんですか。
そうですね。
私もともとエッセイストになりたかったっていうのがありますし、
研究者っていうと、
すごい頭のいい人がやる職業なんじゃないかなって、
思いますんで。
確かにイメージとしてはそうですね。
私、とても研究者になりたいとか、
発想を持つほどそんなに、
あれではなかったんですけど、
私の師匠、いろんな師匠がいるんですけれどもね、
一人の師匠が、
私は博士論文を書いてたときに、
博士論文ってちょっとしんどいじゃないですか。
たぶんすごいしんどいですよね、あの頃って。
そうですね。
だいぶ暗闇ですよね。
皆さんそうじゃないかもしれないですけど。
メンタルきますよね。
メンタルきますし、
やっぱり人物系って輝きのある将来が待ってる可能性が
すごい高いと思うんですけど、
人物系ってやっぱりね。
そうなんですか。
どうか問題っていうのがありますし、
やっぱりだいぶ暗闇だったんですけど、
私の一人の師匠は博士論文でだいぶ苦しんでるときに、
けっこう真顔で、
今これを書いてるのは、
博士になるためでも、教授になるためでもないって言ったんですよね。
マジマイユになるために今書いてるんだって言ってたんですよ、
私の一人の師匠は。
しかも、
その師匠がですね、
これアメリカの留学なんで留学っていうのが
多分テーマになってると思うんで、
シェアさせていただくと、
そもそもですね、私、日本研究、
日本人が、私純情はですよ、
帰国師匠じゃないんで、教育も日本ですから、
帰国師匠でもない日本研究をやっている人間がですね、
フラブルのポスト読を受けるっていう発想自体、
通常運転だったらないわけですよ。
だってアメリカのポスト読って基本的にはやっぱりアメリカで学位取った、
特に人文社会系って、ステム系は違うかもしれないんですけど、
人文社会系は特にそうなので、
そういう発想自体ないですよね。
なんですけど、その師匠が、
結構師匠お酒好きだったんですよね。
私にですね、何度か、
何度か、これ酔っ払いの戯言だと思わないで聞いてほしいって、
必ずハーバードの来週はのポスト読受けてくれってずっと言ってたんですよ。
で、また先生酔っ払って、
それ以外覚えませんから、はい、はい、はい、はい、みたいな感じだったんですよね。
それ何度か先生おっしゃってて、
私ドクター取ってからね、いただいてから。
あれって、ドクター取ってから5年っていう期間があるんですよ。
受けれる資格が、ドクター取ってから5年未満とかなんですよね。
確か5年未満だったんです。
で、それで何回も言われてたんですけど、
そんなの受かるはずないでしょ、みたいにね。
私もバカじゃないですから、
また先生って。
そしたらちょっと先生が亡くなっちゃったんですよ。
急にね、60で。
結構ね、それしんどいことなんですけど、
今もね、思い出すと結構涙出ますけど、
それで亡くなっちゃって、
それで本当につらいことだったんで、
やっぱり師匠がすごく応援してくださってたんですよね。
私が水虫研究ってポスドクの時にやってたんですけど、
水虫の国際委員会から日本っていうものを考えるっていうのを、
師匠の共同研究から始まったことなんですよ。
共同研究をやっていて、
その先生が世界の中の日本っていう視点でね、
日本研究を極めるっていうことをやってらっしゃった先生なんですよね、ずっと。
それで共同研究で、逆結晶の時点から日本を考えるっていう理論を考えられて、
その逆結晶っていうのは、要するに日本にあって世界にないもの、
世界にあって日本にないもの、
そこから日本というものを多角的に捉えるっていう試みをなさったんですよ。
それで共同研究では、その逆結晶の視点から、
世界にあるものは日本にあるかっていうところでね、
逆結晶の日本生活文化っていう論文集にもなってるんですけど、
そこで私、水主研究っていうのを初めてやったんですよね。
それも多分、共同研究のメンバーって本当に名だたる方々もばっかりで、
私本当に一番下っ端で、あんた誰?みたいなね、あれだったんですよ、
ドクターとったばっかりで。
私も発表するなんておこがましいっていうふうに思ってたんですけど、
そのメンバーになったからにはですね、発表しなきゃいけないっていうのがあって、
それで最後に、私どうしようって、このまま逃げれないかなと思ってたんですけど、
先生が東京いらっしゃったときにどうすんだと、
東京駅の大使館っていう喫茶店があったんですよ。
今ないですけど、先生が京都に戻られるその前に、
どうすんだと、最後の京都研究会だし、
何すんだって言われて、水蒸しやりますって言ったのが水蒸し研究の始まりで、
それで、この水蒸し研究をやって、一本論文出した後に先生亡くなったんですよね。
亡くなる前にも、ばかりの戯言だと思わないでほしいって、
ハーバードの来週のポスト必ず受けるから受けてくれって何度もおっしゃってたんですよ。
それで、たぶん私が亡くなる直前かな、
先生がそこまで言うんだったらと思って、考えなきゃいけないなと思って、
周りのハーバード出身の方に東京で聞いたら、
受かるわけないでしょって何人の方にも言われたんですよ。
受かるわけないからって、まじまが受かるわけないからって言われて、
そりゃそうだよなって思って、そしたら先生亡くなって、
それがハーバード受けられる最後の年だったんですよね、5年目で。
最後の年で先生亡くなって、もう先生の言い言と思うしかないかなって、
先生の学問に報えるためには受けるしかないやって思って、
本当にそれしかないと思って受けたら採択いただいて、採用いただいて、
それでハーバード行くことになったんです。
ハーバードの大シャワーっていうのは、そういう文学研究ではやっぱり。
日本研究所なんですよ。
日本研究所なんですね。
北米の日本研究所っていう研究所はかなり少ないんですよね。
ハーバードとかミシダンとかUCLAとか、今何個かでき始めてますけれども、
死にせの一つではあって、
大シャワー日本研究所のポストクっていう、この師匠はそれでおっしゃってて、
本当に受かるわけがないっていうふうに周りにもお住みつきいただきましたし、
ハーバード大学での経験
ただ師匠の学問に報えるためだけに受けたら、本当に師匠の言うとおり、
採用していただいたっていうところで、今に至るっていうところですかね。
それは何で、何か増島先生の強さが、
ハーバードの人たちに見出されたっていう感じなんですか。
それとも何か特別なことをされたんですか。
いや、水虫研究で採用いただいたんですよ。
なるほど。恩師の先生との研究が認められたっていう。
そういうことになりますよね。
常識的に考えてですね、水虫の国際比較から、
特に水虫に対する振る舞いの国際比較から日本を考えるって、
常識的には考えないですよね。
面白い視点です。なかなかない視点ですよね。
やっぱりその師匠は独創的な日本研究っていうのにすごく価値を置いてたんですよ。
そこからどれだけ日本とは何かということを問えるかっていうところを、
すごく重きを置かれていたんで、
通常では水虫からって、
いまだに水虫研究やってますって言うと大丈夫かなって思われるのが大半ですから、
特に水虫研究でいろいろ発表とかするとですね、
水虫研究のまじまじゃなくて、水虫のまじまさんとかって言われるようになって、
なんで研究を省くんだろうとかって思ううちに、
私もですね、あ、そうですそうです、水虫のまじまですとかって、
学会の帰りの電車の中でとか、
もしかして水虫のまじまさんとか言われて、
水虫のまじまですとかって、電車の中で盛り上がったりとか。
それ嫌ですね。
でも慣れちゃって、
そうすると講演活動とかで大体最後に聞かれるのが、
私は水虫なのかとか、水虫の直し方とかで一般向けの講演とか。
そんなこと聞かれるんですか。
聞かれたりするんですけど、してた時もあって、
とにかく水虫の支援から、
日本を考えるっていうところで採用いただいたんですよね。
だからね、師匠の酔っ払いのタワゴトツじゃなかったんですけど、
そんな感じです。
師匠は専研の命があったわけですね。
そうかもしれないですね。
橋本先生の可能性を見出してたっていう感じですね。
私の可能性っていうよりも水虫の可能性っていうか、わからないですけど。
ハーバードの人ってあんまり会ったことないんですけど、
ハーバードってどんなところなんですか。
ボストンにあるってことぐらいしか知らないんですけど。
厳密にはですね、ボストンじゃなくて隣町のケンブリッジにあるんですよ。
ただね、ケンブリッジって言うとイギリスのケンブリッジって思いやすいじゃないですか。
なのでボストンとか行っちゃったりするんですけど、
ボストンのエリアってご存知のように大学が密集してるんですよね。
MITとかありますもんね。
しかも電車もあるので、車なくても生活できるところなんですよ、場所によっては。
なので電車で通ってましたし、私。
学園都市みたいな感じなんですね。
そうですね。今バイオテクとかも強いですけど、
集中してるところなので、
ボストン日本人研究者交流会もすごい密ですよね。
未だにご縁もありますし、
あそこでね、めずむすと日本人も発表させていただいてたんですよ。
で、先ほどトップオブトップっておっしゃってて、
確かにトップオブトップの方々ばっかりですし、
大学もそうだと思うんですけど、
アメリカの大学の特徴って、
それこそね、私の師匠、東京大学問題っていう論文書かれたんですよね。
逆欠乗の論文でね。
それ何かっていうとね、
日本では何が何でも東大が一番っていうね、
ハイアラキを抱いてる方多いじゃないですか。
もちろんそういう面もあると思うんですけれども、
アメリカってやっぱりね、分散されてるんですよね。
どこどこ大学だからといって、
日米の大学の比較
トップっていうわけじゃないじゃないですか。ご存知のようにね。
例えばUCSFはもう世界のトップですし、
分野はやっぱり分散されてる。都市も分散されてますよね。
東京一極集中じゃないじゃないですか。
金融は、例えばニューヨーク、ワシントンDC、LA、サンフランシスコ、
分かれてるじゃないですか。
でも東京って一極集中しちゃってるんで、
大学に関してもそういうふうに見がちの方もいるかもしれない。
長い方は全然そうじゃないと思うんですけれども、
だから決してハバドに優秀な方いらっしゃいますし、
私もね、ポスドクとしていただけですから、
言える立場じゃないんですけれども、
どこがトップと言えないとこがアメリカの大学のすごさですよね。
どうですか。
確かに、それは確かに。
生物系でもそうですね。やっぱ分野によっても違うし。
なんなら、いわゆるランクが低いって言っちゃうんですけど、
そういう大学にも超有名教授とかやっぱりいますし。
そうなんですよ。
日本でもそうなんでしょうけど、確かに東大、京大、
そういうトップスクールにだいぶ集中してるなってイメージありますね。
そういう点でもね、世界の東京大学問題っていうふうに
お書きになられ、師匠が書かれたのも、
やっぱり日本の大学のハイラーキーっていうものを
捉え直すっていう視点があったからなんだと思うんですよね。
先生、もともと多分日本で博士課程卒業して、
日本でポスドクして、
4年ぐらいポスドクしたアメリカに、
ポスドクとして行ったっていう形ですよね。
そうなんですよ。
私、学士のポスドクいただいて、3年間ね、
京都の研究所でお世話になって、
その上でハーバードのポスドクもいただいたんで、
ありがたい限りです。
セカンドポスドクで留学されたっていう感じですかね。
そうなんですよ。
そうなんですね。
実際、ハーバードでは何年ぐらいいられたんですか?
それから行ったり来たり、
アソシエイトの身分をいただいて、
そうなんですよ。
向こうで研究活動を続けたかったんで、
ただ冬は東京で非常勤したりとか、
大学院を教えたりとか、
学部を教えたりとか、
そういう行ったり来たりをしばらくして、
それで本を出させていただいて、
なぜかというと、私の本って、
近現代日本エリート層の海外体験、
米国体験が主なんですけど、
そこをメインにしてたんで、
ボストンでの資料が結構たくさんあったんですよね。
というところで行き来させていただいて、
それで本を出して、
明治大学に就職したっていう、
そういう流れです。
なるほど。
だから、そういう共同研究みたいな感じで、
2つの所属を持って、
日本とアメリカで研究して業績を出されたから、
比較文化論の重要性
今、明治大学で職を取れたっていう感じなんですね。
そんな業績って言えるかは分からないんですけれども、
ちょうど日本表彰文化論っていう、
特に私がずっとやってきていた分野に近いところの、
先生がリタイアされるっていうタイミングで、
公募があったので、
それに受けさせていただいたっていうところですね。
もともと日本で研究をしようっていう思いがあったのか、
それかアメリカで研究したいなみたいな。
いや、もうその時は本を出すのに一生懸命で、
本を出してからどうするんだっていうのも、
分からなかったですよね。
師匠も亡くなりましたし、
本当に分からなかったですし、
もしかしたらヨーロッパ行くかもしれないみたいなこともあったんで、
本当に分からなかったんですけど、
ご縁をいただいてっていうところですかね。
だから戦略的にとかでは全然ないですね。
今までの話からしても役に立つか分からないんですけど。
こういう研究って日本とアメリカで、
どっちの方が優れてるとかっていうのはあるんですか?
例えば理系だとお金の分ではアメリカの方がお金は多いと思うんですよ。
そこがなかなか難しいところですけど、
やっぱりステム系と人文社会系の大きな違い。
人文社会系の中でも日本研究とそうじゃないかでだいぶ違いますよね。
だって日本研究って考えたら、
日本研究でなんで米国行くのっていうツッコミ盛りだくさんじゃないですか。
確かに。
日本研究の定義にもよりますけど、だってそうじゃないですか。
それだけ聞いたらそうですよね。
なんで米国行くのっていう話になるので。
日本でやれよってなっちゃいますよね。
そこが私の日米の比較文化論ですとか、
学際的日本研究っていうところのポイントではあるんですよね。
やっぱりあえて私、今回もサバティカルでスタンフォードに来させていただいてるっていうのも
実はそういうところがあって、
かつ東海岸でなく西海岸で研究生活を送らせていただくっていうのは
私にとってはすごく大きいことなので、
今回あえてこちらに伺うことになったんですけれども、
あえて海外で日本研究をやるっていうところに、
私の比較文化論としてのといいますか、
その展開も含めて目的といいますか、
願いといいますかっていうところがあるっていうところですかね。
スタンフォードにどういう生活をされてるかっていうのを、
また後半で聞かせていただければなというふうに思います。
というわけで、ここまで松島先生の研究キャリアの編成を伺ってきました。
なかなかこういう文系という言い方もあるんですけど、
文系の先生と話すっていう機会が、
多分大学時代からほぼないので、
理系だと多分国際問題とかにも触れてあまり来なかった分、
こういう学問があるんだっていうのが面白い。
そういう、もっと若い時にこういうのも興味持ったら、
もうちょっと僕の幅も広がったのかなと思いながら、
ちょっと話が面白かったです。
ありがとうございます。
さて、アメリカンナイトGOLDは、
毎週日本時間の金曜0時に配信をしています。
番組のご意見ご感想は、
ハッシュタグアメ号をつけてSNSで呟いていただくか、
メールフォームにお寄せください。
皆さんからのコメントをお待ちしています。
ここまでのお相手はNAKAMURAと、
松島でした。
また来週。
36:49

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