自己需要への取り組み
こんにちは、初心者からの英語学習をサポートしています、森川まりえ🌍️です。
今日は、自己需要の話、英語じゃなくて、自己需要の話をしたいなと思います。
というのも、私は先日、いがらしみちこさんが販売されている、許しと需要のワークっていうのを購入したんですね。
モニターとして購入させていただいて、今、いち早くそのワークに取り組んで、みちこさんとセッションもしていただいたりしてね。
その中で、ちょっと大きな気づきを得たので、ちょっとそのことをね、自分のためにも、あとはどなたかのね、もしかしたら気づきになるかもしれないと思って、シェアさせていただきます。
で、需要の、許しと需要のワークっていうのは、最終的な目標は、ありのままの自分自身を需要する。
これでいいんだっていうふうに思って、自己需要して、その結果なんだろうな、自信を持ってっていうのかな、生きやすくなるっていうね、そのためのワークなんですけど。
自分を需要する前に、まずは親。親と向き合うっていうかね、親子関係っていうのはやっぱりすごく自分に影響を与えてるっていうことでね。
まずは親のことを許す。で、それから他人のことを許す。で、最後に自分を許すっていう、まあその3ステップでワークが組まれてるんですけど。
で、そのね、最初の親を許すっていうところ、ここでね、ちょっとすごく大きな気づきをね、つい最近得たんですよ。
っていうのは、もともと私、親、特にお母さんなんですけどね、お母さんに対してネガティブな感情って持ってなかったんですよ。
別にお母さんのこと大好きだし、子供の時とかも、なんだろう、別にね、怒られたりしたことがないわけじゃないけれども、でもすごく愛情を持って育ててくれたっていうふうに思ってるし、感謝をね、してるわけですよね。
で、そう、だから、結構その、お母さんなんて大っ嫌いみたいな、そういう方の話を時々聞くと、あんまりそういう感情感わかんなかったんですよ。
反抗期らしい反抗期もなくてね、まあいい子で、まあ来たんですよね。で、私、だからお母さんとの関係別に問題ないなーって思ってたんですよ。
だけど、まあそれはそれでね、ちょっと注意した方がいいっていうお話もみちこさんの方からあって、それは何かっていうと、結局疑いもなくお母さんの価値観を受け継いじゃってる。
で、もちろん価値観を受け継いでて、それで自分が苦しくなければいいんだけれども、でも基本的に、いくら親子でも別の人格なので、価値観は違うはずなんですよね。
だって生きてる、生きてるっていうか、育ってる時代とかも違うしね。だから価値観をまるっとそのまま受け継いじゃってるのも危ないですよと。
で、私自身は特に子育てにおいて、お母さんがやってくれたことを全部やらなきゃみたいな思いもすごく強くて、それで苦しくなってた部分っていうのはあったんですね。
で、なんですけど、よくよく考えてみたらというか、お母さんこんなにひどかったみたいな方の話を最近よく聞くようになって、最初の頃はうちのお母さんそんなことなかったなって思ってたんですけど、だんだん変わってきたんですよ。
いや、待ってよと思って。うちの母親も、もしかしたらダメ母だったんじゃないかってことに、最近うすうす気がつき始めたんですよ。
で、別にね、お母さんを貶めたいわけでもなんでもなくって、だって当たり前のことなんですけど、完璧な人間なんていないじゃないですか。だから完璧な母親なんていないんですよね。
なんだけど、私自分の母親はすごい、お母さんすごいって思い込んでたんですよね。
だけどそう、完璧なわけないんですよ。
で、よくよく考えてみると、私のお母さんもそういうとこあったかも、ダメなとこあったかも、感情的に怒ってたりしたかもとか、すごいケチケチしてたかもとかね、全然ほめてくれなかったなとか、すごいね、そういうふうに思うことがだんだん出てきたんですよね。
で、今までもね、そういうことはわかってはいたんだけど、結局うちの母って田舎から一人出てきたんですよね。
で、他の兄弟とか親戚とかはみんな、基本的に田舎に残ってて、母親だけ一人、こっちに関東にね、出てきたんですよ。
で、だから頼る人もいないし、たぶんすごい心細い中で、必死にね、たぶんだから、鎧を何重にも着て頑張ってきてたんだと思うんですよね。
だから、余裕なかったんですよ、うちの母には。なかったはずなんですよ。だから、余裕がないがゆえの言動が絶対あったんですよ。
だけど、たぶんそういうのも、なんか、お母さんそういう状況だから仕方ないよねとか、お母さんには感謝しなきゃいけないとか、育ててもらったんだからみたいな、
あるいはその親のことっていうのは愛情を持ってて当たり前みたいな、なんかそういうふうにも思ってたんですよね。
だからある意味すごい物分かりのいいことを演じてたっていうか、自然にやってたんですけど、やってたんだなーっていうのにやっとようやく気づき始めて、
で、もちろんお母さんは田舎から一人出てきて大変だったんですよ。だから、母親をせめるってことはないんだけど、
その、お母さん田舎から出てきて大変だったよねっていうふうに認めることと、自分がネガティブな感情を抱くことっていうのは、別物であり両立していいんですよね。
今までの私は、お母さんも大変だったんだし、お母さんにそんな感情を抱いちゃいけない、ネガティブな感情を抱いちゃいけないと思ってたんですよ、多分。
だから、お母さんにされた嫌なこととかを見ないふりしてきたんですよね。
自分もそういう悲しい思いとか悔しい思いとか、自分自身もそういうネガティブな感情って感じたくないから、
なんかそういう物分りのいい子を演じてた方が楽だから、多分そうやってきちゃったんだなってようやく気づいたんですよね。
だから本当は、お母さんって全然理想のお母さんじゃないし、よくよく振り返ればダメなところがいっぱいあって、私自身も多分いっぱい傷ついてきてるんですよね。
そのはずだっていう事実に、やっと気づいたんですよ。ちょっとしつこいんですけど。
だから、ちょっとね、そういう視点でもう1回ちょっと記憶掘り起こしてみようって今思ってるんですよね。
新たな理解と気づき
で、その時自分が感じてた悲しい気持ちとか、悔しい気持ちとか、嫌だったなっていう気持ちを今更だけど、ちゃんと感じてあげようっていうふうに思ってるんです。
なんかやっと、ちょっとその…なんだろう…凝り固まってた心が緩んだ?なんか扉が開きかけた?っていう感じがね、今してるんですよ。
でね、そうやって、あ、お母さんってダメだったんじゃんって思ったら、そのお母さんの価値観の呪縛からちょっと抜け出せて、
私もダメ母でいいやって、子供に対してなんか一生懸命理想のお母さん演じなくていいやって、最近思えるようになってきたんですよ。
だからすごく、ほんとここ数日、1週間、せいぜい1週間ぐらいの話なんですけど、すごく子供に対しても、あるいは夫に対しても楽になってきました。
そうだから夫に対しても多分いい妻を、理想の妻をやらなきゃいけないと思ってたんですよね。
それはね、ちょっとお母さんに対しては反面教師的な部分もあるんですけど。
でもね、何かいずれにしても、お母さんって私が思ってた理想のお母さんじゃなかったんだっていう気づき?気づきなんですよ。
なんかこれちょっとうまく伝わってるかわかんないんですけど。
でもなんかこれは、そのみちこさんの許しと需要のワークに取り組んで、取り組んだだけだと気づかなかったんですよ。
取り組んで、かつここ最近のね、みちこさんの発信とか、あるいはワーク購入した人だけのズーム会があるんですけど、そのズーム会もこの間ね、
まあ耳だけだったんですけど参加させていただいて、そこでもね、お母さんのこと嫌っていいんだよっていうことをみちこさんおっしゃってて。
で、そういうことをちょっとずつちょっとずつ積み重ねてきて、最近ようやく思えるようになってきたっていう感じなんですよね。
なので、もしかしたら、そのね、なんかみちこさんはいつもおっしゃってるんですけど、お母さんにわかりやすい反抗期があった人はいい。
まあ逆にいいみたいなっていう、いいっていう感じ?
反抗期がなくて、すごいいい子できた、お母さん大好きっていう人?
もうでも実は注意だよっていう、たぶん私パターンの人?きっとね、いるんじゃないかなと思って、最近の私の気づきをシェアさせていただきました。
本当にね、ここ最近すごく気持ちが軽くなってきているので、なんか別にね、無理やり自分の母をダメ認定する人はもちろんないんですけど、
ないんですけど、まあでも世の中完璧な人ってやっぱりいないのでね、きっとお母さんもお父さんも完璧じゃなかったんですよ。
っていうふうに思うと、なんか楽になるなと思ったので、どなたかの役にも立って気づきにもなればいいなと思って収録してみました。
最後まで聞いていただきありがとうございます。