母との関係の再評価
こんにちは、森川まりえ🌍️です。今日は昨日の、私のお母はダメ母だったって気づいたよっていう配信の続編という形になります。
昨日の内容はね、ぜひ昨日の配信聞いていただけたら嬉しいんですけど、まぁ簡単におさらいしておくと、私は親子関係はすごく良好だと思ってきたんですね。
お母さんのことは大好きだし、すごく感謝してるし、いつも応援してくれて、味方でいてくれてすごくありがたかったなっていうふうに思ってるんですよ。
なんですけど、ここ最近、茨城みちこさんの許しと需要のワークっていうのに取り組む中でね、ズーム会とかにも参加して、
最近ね、あれ?もしかしてうちの母親もダメ母じゃない?って思うようになってきたんですよ。
別にね、お母さんのことを貶めたいわけでもなんでもなくって、事実としてね、ダメだったんじゃないかって。
ダメな部分もいっぱいあったよねっていうふうに、なんか気づき始めたんですよね。
で、そしたら、自分自身が楽になってきたっていうのが昨日の配信ですね。
その子育てにおいて、私はやっぱり自分の母親がやってくれたことを同じようにやらなきゃいけないっていう、
やってあげたいと思うし、やらなきゃいけないっていうふうに思ってて、その思い込みがすごく強くて、苦しくなっちゃった部分があったんですけど、
そこがね、緩んできたっていう感じですね。
だってお母さんがダメだったなら、別に私もダメでいいじゃんみたいな、私ちゃんと育ったしっていうね、そういう感じです。
で、今日はそっからね、さっきのお話なんですけど、
じゃあなんで本当はダメなとこいっぱいあったのに、私がお母さんのことをダメだって思えてなかったか?
お母さんのことをそんなにいい母親だっていうふうに、ある意味思い込んでたわけですけど、
じゃあなんでそういうふうに思い込んでたのかな?って、どうして気づかなかったのかな?っていうことをちょっとね、深掘ってみたんですよ。
で、まあこれはある意味、今の私が後付けでね、解釈してるだけであって、もちろんどうだったかなっていうのは分かりません。
でも私はこの今のね、自分なりの後付けの解釈がすごく負に落ちたので、それをね、ここでシェアしておこうと思います。
それは何かっていうと、私末っ子だったんですよね。
で、親戚の中でも、まあ下の方で、あるいはその近所の子供たちの中でも下の方で、だからまあ結構ね、常に可愛がってもらえてた。
私もそれでね、甘えん坊で育ってきたんですけど、でもなんかその一方で、周りの大人たちとか、その年上の子たちの
様子、表情を多分ね、すごく気にしてたんだと思うんですよね。
なんか、ある意味それが自分の生存戦略だったと思うんですけど、そうやって周りの様子を伺って、周りの機嫌とかを伺って、
可愛がってもらえるように。なんか大人の機嫌とか悪いと、ちっちゃい子だから、あっち行けみたいになるんですよね。
どうせお前話わかんないんだから、みたいな。だから、なんかそういうのに触れないようにしてきたなっていうふうに、最近こう思い当たってるんですよ。
で、特に例えば両親がね、喧嘩をしてる、言い合いをしてるっていうような時とか、
なんか、だから私はちっちゃいからね、そこに当然入れないし、ただ怖いと思って見てたんですよね。
あるいは、だからそうやって、両親が機嫌悪くならないように、多分すごい気使ってきたんだよなーって、今さらながら思ってるんですよね。
あるいは、母と姉、あるいは父と姉がすごい言い合ってる、お姉ちゃんがすごい反抗してる、みたいなのを見て、
まあ、そういうのを見て、私自身は上手く立ち回ってね、妹の特権で上手く立ち回れるようになったっていうところもあるんだけど、
でも、その姉と両親がやり合ってるのを見て、多分それもすごい怖かったんですよね。
だから、なんか私はそういうふうにしないようにしよう、ならないようにしよう、お母さんとかお父さんに反抗しないようにしよう、みたいにしてきたんじゃないかなーっていうふうなのが最近の気づきなんですよ。
そう、だから、お母さんとかお父さんとかの顔色を伺って、怒らせないようにして、なんかマリエはいつもちっちゃくて可愛いね、みたいに言ってもらえるように。
あるいはその、なんだろうな、お父さんとかお母さんの機嫌が悪い時に、私が、なんていうの、私をよしよしすることで、その気持ちが落ち着くみたいなね、なんかそういうポジションを取ってきた気がすごくするんですよ、子供の時を振り返って。
で、勉強もね、私比較的頑張ってやってきたんですけど、それも結局、なんか怒られないためとか、お母さん、好かれるためとはまで言わないんだけど、なんか、怒られるのが怖いし、そうやってこう、ハミミソッカスって今言わないのかな、にならないようにしてきたのかなーっていうふうに感じてます。
だから、そういうことで、お母さんへの本当の感情、本当は、悲しかったり、傷ついたり、嫌だったり、あるいは怒ったりしたこともあったと思うけど、そういう感情をぶつけてしまったら、なんか、お母さんがいなくなっちゃうじゃないけど、可愛がってくれ、甘やかしてくれなくなっちゃうみたいな、多分そんなふうに思ってきたんじゃないかなと思って。
で、その解釈がね、今すごく腑に落ちてすっきりしてるっていう感じになります。
で、ちなみに、このことに気づいたら、もう一つここから派生して気づきがあって、それはパートナーシップの話なんですけど、私、夫が家でイライラしてるのとか、怒ってるの、娘に対して怒ってるのとか、見るのとか聞くのが本当に嫌で、
なんか別に私に対して怒ってるわけじゃないんですけど、それでもすごく嫌なんですよ。もう怖いって思うぐらい。
で、なんでこんなに夫がイライラしてるのが嫌なのかなと思って、今まで結構ノートとかでも掘り下げてみたりしたんですけど、結局思い当たらなくて分かんなくて、でもそれも、あ、根っこは同じだ、根っこはここにあったんだって気づいた。
っていうか繋がったんですよね。つまり、ちっちゃい時に、私がその親とか、あるいはお姉ちゃんなんかも含めて、その様子を見て怒られないように、かわいがってもらえるようにしてきたから。
だから、多分今も夫が怒ってるのを見るのが怖いんですよね。夫に怒られないようにしよう。なんで怒るの?私のことかわいがってよ、みたいに多分思ってるんですよ。
気づきと成長
っていうことに気づいたんです。で、あとは、夫が娘に対して結構怒ったりすることもあるんですけど、うちの娘は負けないんですよ、それに。だいぶ頑固に反抗して言い返して、バトルになるんですね。
で、それも私すごく嫌で、いい加減言うこと聞けばいいのにとかって思うんですよ。娘に対しては思うし、逆に夫に対してはもういい加減諦めればいいのにってすごく思うんですけど、それも多分自分の子供の時の記憶が影響してるんだなって思ったんですよ。
つまり、私は親の言うことを聞いてきたから。怒られないように。私がいい子だったって言いたいわけじゃなくて、私は自分の気持ちをふたして、見ないようにして、当たり障りのないように、かわいがってもらえるように過ごしてきたから。だから、多分娘が羨ましいんですよね。
この年になって自分が親になって、自分の子供なんだけど、そうやって自分の感情とか思いをお父さんに対してね、爆発させてるのが羨ましくもあり、怖くもあるし、私はそんなことしてこなかったのにって思いとか。
まあそういう、まあいろんなねことが絡み、複雑に絡み合ってたと思うんですけど、それで嫌だなっていう感情になってるんだなーっていうのも、ここまで繋がってね、気づきになりました。
で、気づいたらやっぱり楽になるんですよね。だから、ほんとここ数日ですけど、夫がイライラしてても、嫌だなって思うんですよ。当然嫌だなって思うんだけど、これは、なんていうのかな、私が子供の時の感情っていうか、が刺激されてるっていうか、子供の時にきちんとその感情を感じてあげなかった。
見ないふりをしてないものとして、振る舞ってきちゃった。それが反応してるんだなっていうか、だから今は別に大丈夫だよ私っていう風に、なんかね自分に言い聞かせてるというか、そんな感じですね。
だから大丈夫、大丈夫、これは別に、なんていうんだろう、今の私は大丈夫みたいなね。今だってもう大人だし、みたいな風に思えるようになってきました。
なのでね、まあ今更なんですけど、もう30年も40年も経っちゃってるんですけど、なんか子供の時に感じたかった、本当は感じたかった気持ちっていうのをちょっと思い出して、今からでも感じてあげようかな、しっかりその気持ちを受け止めてあげようかな、なんていう風に思ってます。
だからね、なんかその子供の時の自分に、自分でよしよししてあげたい気分にね、今なっています。
はい、ということで、そのお母さん嫌いって思っていいんだっていうね、嫌いって思いつつ感謝していいし、その気持ちって両立するし、嫌いっていうか別に嫌いじゃないんですけど、嫌いじゃない、嫌いじゃないです。
ダメ母かもしれないって思った。でもダメ母であっても好きでいていいし、ダメ母であっても感謝していいし、なんか両立するんですよね。私は多分そこが両立しないと思って、見ないふりをね、最近までしてきたと思うんですけど。
そう、まあそのダメ母だったかもっていう気づきから、ちょっとね、いろいろなんか芋づる敵式にいろんなことがこう、パーッと開けてきた感じでね、最近ちょっと心が軽くなってきています。
はい、というお話をシェアさせていただきました。聞いてくださった方の何か気づきになっていたら嬉しいです。それではまた。