母親の役割について
こんにちは、森川まりえです。今日はですね、さっきまで読んでた本がありまして、その中にもう目から鱗の衝撃的なことが書いてありましたので、それをね、こちらでシェアしたいなと思います。
読んでいたのは、藤本咲子さんの、「お金の神様に可愛がられる人付き合いの魔法」っていう本ですね。
なんかね、その、育児と仕事との間で悩んでる、なんていうワーママさんにきっと共感していただけるんじゃないかな、何かね、こうちょっとヒントになるんじゃないかなっていうお話ができると思いますので、最後まで聞いていただけると嬉しいです。
咲子さんはね、この間ちょっと前の配信で、私は藤本咲子さんに憧れることにしました、なんていうお話もしたんですけど、そう憧れることにね、決めたので、咲子さんの本を読もうと思って、今順番に読んでたんですね。
これがね、3冊目の本なんですけど、その中で本当に衝撃を受けるフレーズがあって、もう天地がひっくり返るような、雷に打たれるっていうのはこのことだと思うっていうね、フレーズに出会いましたので、それをね、お話ししたいなと思います。
はい、そのフレーズっていうのはね、「私の代わりはいないけど、ママの代わりはいる。」っていうことなんですよ。
え?って一瞬思いません?ママの代わりはいるんですよ。母親の代わりはいるの。え?と思って。
で、これ読んでいくと、咲子さんのね、言葉、書いてあるのは、子供に対してもママの代わりはいないと思い込んでいました。
でも、よく考えたら、ママという役割の代わりはいくらでもいるのです。
って書いてあって、衝撃です。衝撃。雷が落ちたようなっていう表現はこういう時に使うんじゃないかと思って。
で、確かにそうだと思う。その通りだと思ったんですよ。すごい天地がひっくり返るぐらいの衝撃でした。
で、もちろんね、その子供を産んだっていう意味での母親は一人しかいない。私しかいないですよ。
だけど、その母親の役割を果たすっていう意味では、別に他の人でもできますよね。
別に保護者としての責任を放棄するとかそういうことじゃないんですけど。
これになんで衝撃を受けたかっていうと、私自身がもう2年前ですけど、すごくその仕事、学校の先生をしてた時ですね、その仕事と子供のことですごく悩んだんですよね。
悩んで悩んでどっちも大事、どっちも取りたい。でも私は一人しかいない。時間は1日24時間しかないっていうので、もうなんか壊れちゃったんですよね、私自身が。
っていうことがあって、この時に思ってた、あるいはそういう辛い時期を経て、今年の3月に先生を辞めたんですけど、その時に思ってたのは何かっていうと、
その先生、学校の先生の代わりはいるけど、母親の代わりはいない。先生は辞められるけど、母親は辞められないって私は思ったんですよ。
それで仕事を辞めたんですよね。母親であることを選んだんですよ。母親であることを選ぶっていうか、母親であるのは常に母親なんですけど。
でも先生は代わりはいるけど、母親の代わりはいないと思って辞めたんですよ、言ってみれば。でもそうじゃなかったと思って。
より厳密に言うと、先生の代わりはいるっていうのも、私っていう先生は私一人しかいないから、そういう意味では代わりはいないですよね。私と同じ授業をする人は他にはいないんですよ。
私と同じ生徒との関わり方をする人は私しかいない。だけど、私が果たして、例えば高校1年生の英語の授業を担当してますっていう、
高校1年生の英語の授業を担当するっていう役割で言ったら、他にもいっぱいいるわけですよね。英語の先生は他にいっぱいいるわけじゃないですか。
そう、だから仕事で私の代わりがいるっていうのも、つまりはその役割を担う人がたくさんいるってことですよね。
私は私しかいないんですよ。仕事の場だろうと、どこだろうと、ということに気づいて、すごいハッとしました。
その母親の代わりは、確かに母親は一人しかいないですよね。生物学的に。だけど、母親の役割ができる人は他にもいるわけですよね。
だから例えば、ベビーシッターに頼むとかね。あるいは自分の母親、夫の母親に頼むとかね。そういうこともできるわけじゃないですか。
あるいは保育園もそうだし、今年の夏もうちの子供は、下の子は学童に行ってましたしね。
それも言ってみれば、母親の代わりをしてもらっているわけじゃないですか。だから母親の代わりっているんですよね。
というのが、めちゃくちゃ衝撃だったし、2年前の苦しいかった時に、この本を読めてたらなーってすごい思って泣けてきました。
選択肢の幅を広げる
だからこそ、なんかもしね、昔の私みたいに苦しんでいる人がいたら、まだこういう考え方に触れたことがない人がいたら、
さきこさんがこうやって本を書いて伝えてくれたように、私は私の手段で伝えていけたらいいのかなというのはすごく思いますね。
それがね、学校の先生のキャリアサポートをしていきたいという最近の思いなんですけどね。
それでね、もう少し、同じっちゃ同じなんですけど、もう一つこれも衝撃だった。
衝撃っていうかね、これはね、そりゃそうだって感じなんですけど。
でもこれもね、すごく響いたことなんですけどね。もう一つ紹介すると、選択肢はいつも4つあるっていうふうに本の中でさきこさんは言ってるんですね。
AとB2つ選択肢があったら、選択肢は2つだって思うじゃないですか。
私がその仕事と子供とで苦しくなっちゃった時も、仕事か子供かっていう2択だと思ってたんですよ。
だけど違うんですよ。2択じゃなくて4択なんです。
どういうことかっていうと、AとBがあったならAを取る、Bを取る、AとBの両方取る、AとBの両方取らないっていう4つの選択肢があるんですよ。
確かにって思いません?
当たり前っちゃ当たり前なんだけど、これも見えてなかったですよね、その2年前苦しかった私には。
さっきもお話ししたみたいに、AとBの両方取る、仕事と子供の両方取るっていうのは、私は1人しかいないし、1日は24時間しかないし、物理的にちょっと無理だったから、その選択肢は選べなかったんだけど。
仕事か子供かじゃなくて、どっちも選ぶ、どっちも選ばない、どっちも選ばないっていう選択肢もあったんだなと思って。
どっちも選ばなかったら、Cを出してくればいい、Cっていう選択肢をまた新しく考えることもできるわけじゃないですか。
だけど私はもうAとBの2択としか思えてなかったっていうのがすごくあります。
でも結果として、結果としてですよ、今私はどうしてるかって言ったら、どっちも選ばなかったっていう生活をしてるなっていうのは思いましたね。
その仕事か子供かと思って、さっき言ったみたいに母親の代わりはいないと思ったから、私は仕事を辞めた。
母親を選択したつもりだったんですけど、最近というかここ数ヶ月、半年ぐらい私がやってることを見たら結局どっちも取らなかったんだなっていうのは思いますね。
好きなことをやってるし、仕事も英語コーチで起業して、高校生さんと楽しく勧めさせていただいてるし、
7月8月は短髪のレッスンとかも自分で企画してやってみたり、これからは三原佳林さんの発信力プラスっていう講座を受けてみたり、キャリーコンの資格を取ろうとしてみたり、好き放題やってますよね。
母親っていう方は先生をやってた時よりは仕事をやってるかなと思います。
子供の塾の送り迎えとか先生の仕事を続けてたらこんなにできなかったと思うし、当然子供と過ごす時間は今の方が多いのでね。
その意味では母親を取った部分は残ってますけどね。
当初母親か仕事かって思った時に母親を取るって思ったほどは結局やってないですね。
っていうのにも傷がかされました。
でもそれをもっと苦しかった最中に自覚的に選べてたら違ったかもしれないなと思いますね。
だから選択肢が4つあるっていうこと。それに自覚的に慣れてたら良かったのかなっていうのは今思いますね。
ということでね、今日はさきこさんの本を読んで、本当に雷が落ちた衝撃を食らったフレーズを2つ紹介させていただきました。
新たな視点の提供
みなさんいかがですか。これは私が知らなかっただけなんでしょうか。
私の代わりはいないけどママの代わりはいる。
選択肢は常に4つある。どうですか。
なんかね、ちょっとこれからの自分自身の行動の指針になっていくかななんていうふうにね私は思いました。
はい、では今日も最後まで聞いてくださりありがとうございます。
皆さんにも何か拾えるところがあったら嬉しく思います。