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みなさん、こんばんは。
今日は非常にこちらは寒いございまして、風がすごく吹いてましてね。
近所の桜の花びらが舞いまして、我が家の裏の方のお庭まで花吹雪が舞っております。
もう、なんだか一瞬で終わりましたですね、桜もね。
花びえっていうところでしょうか。
今日はね、長年、我が家の行事の旅にお菓子を作ってくださってました。
大和高田市の水本菊水堂さんが配業されたのでね、
ちょっとご挨拶に伺ってたんですね。
そうしましたら、もうお店の方、店舗の方を取り壊しましてね。
中の厨房の方も改装しておりましてね。
リフォームの業者さんが入ってたんですけれどもね、
あまりにも急なことで、もうびっくりしてしまいましてね。
今後、いろんな場面でそこのおじさんお二人が作ってくださるお菓子なくしてはね、
行事が成り立たないような行事もあるんですよね。
大和高田市なんかでしたらね、死の行事でね、歓月の縁ってあるんですけれどもね。
それには5色団子って、5色の紫と黄色とピンクとブルーと、
それと緑、薄いグリーンの5色の中の編まで同じ色のお団子をたくさん作るんですけれども、
それには地元のお茶の先生が関わってらっしゃるんですけれどもね、
こういうお団子を作ってほしいと、京都のお菓子屋さんが作っているこれと同じのを作ってほしいということで、
おじちゃまのところに持っていきましたらね、すぐお作りになったらしいですよね。
その月見団子を、5色のお団子を我が家も途中から買うようになったんですよね。
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30個買って、3本に、4×4、3×3、2×2です。一番上に黄色を置きましてね。
もうそれはそれは綺麗なお団子なんですよ。
中を開いて、いただくときにね、黒文字で切りましたらね、中が同じ色だったとき、
最初それを見たときにはね、もうびっくりしましたですね。本当にびっくりしました。
紫だけね、中にね、つぶあんが入っているんですけれどもね、
それもまた絶妙な薄くね、紫がかった色になるようにそういうふうにしてるんですよね。
ああいう技術って途絶えてしまったらね、どうなるのかしらって思いますよね。
とりあえずご挨拶に伺って、それでどうされたんですかって、
うちはこれからどうしていったらいいんですかっていうことを申し上げたんですよね。
そうしたらね、うちどこの仕事ぐらいはね、どこのお菓子屋さんでもしおりますからとか言ってね。
いや、それがダメだから皆さん大騒ぎしてるんじゃないですか、おじさん。
言ったんですけども、なんか涙がポロポロ出てきまして。
本当にもう、だってね、全部の行事にね、その季節にあったぴったしのものすごく綺麗なね、お菓子を作ってくださるんですよね。
1月はお正月のお菓子、表千家と裏千家とちょっと違いますけどね、両方どちらもお作りになりますね。
2月はのりこ星を中心にね、もう本当に綺麗ですよ。
もうこちらは東大寺のね、お水取りがございますでしょう。
で、それにはもうのりこ星は欠かせないですよね。
で、一番寒いときにそれが出てきましてね。
で、つつじゃわにそのお菓子ってもうお決まりのようにね。
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で、まあ寒い夜に家でテーブルで一服立ててもね、まあおじいちゃん作ってくださったお菓子でね、まあみんなでいただくみたいなこと。
それと2月3日は節分でございますよね。
節分にはね、大きなお豆さんのお菓子が出るんですね。
それもおも菓子です。生のね、練り切りの大きなおたふく豆みたいなのがね、あるんですね。
まあ2月は他にもいろいろ何種類も出るんですけれどもね。
で、また3月になったらお雛さんでしょう。4月になったらお花見でしょう。
で、まあもうすぐね、あの9のおせっこが終わって、それでこのお雛様を片付けますでしょう。
そしたらもうすぐにあの5月人形を出すんですよ。
我が家では夫の初ゼックの時の金太郎さんがいつも出すんですけれどもね。
まあその時にはもう本当においしいかしわ餅。で、かしわ餅はもうその日のうちに食べてくださいと。
で、どっかにお餅する時もその日の朝に取りに来てくださいというような感じですね。
もう本当に大きくておいしくて綺麗で、しかもね甘さとか色とかがもうどう言ったらいいんでしょうかね。
上品なんですよね。
まあそれでね、ずっとまあ6月に入って、また6月に入ったらね、あの葉っぱの上にね梅雨がピッと落ちたね。
えっと、あれはフミンナンとか言うんですよね。名前を忘れてしまう。
で、7月はもう田中さんが来るでしょ。
そしたらお星様が乗ったね、お菓子が出てくるんですよ。
田中さんって言ったらもう本当にもう家庭の中では大きな行事でしょ。
もう笹を取ってきてもらってね、短冊にいろんなことを書いてね、楽しいでしょ。
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で、8月になったら今度もうお盆でしょ。
もうお盆にはやっぱりお菓子は欠かせないですよね。
それでね、お盆が終わったと思ったら、今度はもう最大級にね楽しむね、お月見が来るんですよ。
もう私はお月見大好きでね。
で、先ほど申し上げた5色団子、私も途中からそれを買うようになったんですよね。
それで、まあ今は夫婦2人ですのでね、その30個がなかなか食べきれないので、
ちょっとご近所のお寺さんとかに持って行ったりしてね、お供えの。
一体それ、今年の中秋の明月どうしたらいいんですかってね、
おじちゃんに泣きついたんですよ。
そうしたらね、作り方教えてあげるからまあ座りとか言ってね、
紙切れをボールペン持ってきてくださってね。
それで、もうなんだかね、残地物を撤去するために、
なんかあの死の袋にいっぱい入れたのが、もう山積み、玄関山積みになっているところ。
で、少しだけスペースを空けてですね、そこにまあその紙とペンを置きましてね。
でもね、そんな70年もやってきたことをね、
一瞬で聞いてね、できるわけないんですけれどもね、
それでもね、やはりね、あの私は教えてほしかったんですよね。
そうしたらね、あの、
それでまあ帰ってきましてね、
その五色団子というのは、普通の団子だと思ってたんですが、
表面はウイローだったんですよね。
で、中は白あんに着色してたんですね。
で、その中はね、
で、中は白あんに着色してたんですね。
で、紫だけ黒あんですよね。
まあそういうことを書き留めながら、
もうほとんど残ってないんやけど、この本持って行き、持って行きとか言ってね、
おじちゃんがね、もうずっと使ってた、
もうボロボロになったね、
月別の本をくださって、
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もう4月、5月、6月しか残ってないわとか言って、
それと、ステンレスのバットがそこにあったんですよ。
で、そのバットに広げて、冷やすんやとか言ってね、
これも持って行きってね、くださってね、
もうね、なんとも言えなかったですね。
でね、どうしてこんなに急にね、
こういうことを決心されたのかということを聞いたんですよね。
そうしましたらね、
まあ前々からね、
あちこちが悪いとか言って通院されてることは、
よく存じ上げてたんですけれどもね、
ちょっとわんこを抱っこしてしゃべっておりました、申し訳ございません。
あの、そのね、
ある日、お昼休憩で、
お食事をして、ちょっと休憩をしてさ、
午後からの仕事っていうときにね、立てたくなったんですって。
それでね、びっくりして、
車に乗せてもらって、病院に行ったんですって。
ごめんなさいね、わんこを抱っこして。
で、そのね、お医者様に行きましたらね、
仕事をやめなさいって言われたらしいんですよ。
で、立てなくなったっていうショックもあり、
今は歩行はちゃんとできてるんですよ。
そのとき急に立てなくなったっていうショックとね。
それとね、いくら名人とはいえね、
指先のね、回すような、
それがね、できなくなっちゃったんですって。
でもこれはね、こんなことでは迷惑がかかると思って、
もう決心したって言うんですよ。
でも迷惑かかってもいいから、
うちのだけ作ってとか言うねん。
お電話がね、私が言ってる間にね、2件ほどかかってきましてね。
で、一人の男性の方なんかね、
もう喧嘩越しでしたね。
これからどなしていくねんとか言ってたら、
いや、あの、じじい2人ぐらいでどなにかなりますって言ったら、
あんたのことちゃうわ。うちの家をどなしていくねんとか言って。
まあ私たちでしたらね、
家庭の中の行事のことですけれどもね、
まああの行政の方であったりね、
行政が関わっている行事であったり、
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大きな団体の行事であったり、
それとかまああの、
本当に切実な問題は、
お茶の先生ですよね。
まああんれだけ美しくておいしくて、
大きくて安い、4拍子揃った、
あの、お菓子が急になくなるとなれば、
先生方は、
困られるでしょうね。
どこでも求めになるんでしょうね。
だから、まあ夫といろいろ相談しましてね、
まあこの近辺では、
土手手に入らないし、
まさか京都までね、
毎月毎月買いに行くわけにもいかないし、
あのー、
せめてお月見のご食団子だけね、
作れるようにお茶に習ってきたらどうだって言われてね、
今日行ったんですけれどもね、
うーん、
まあ最初は、
本当に真っ白で、
何も味のついていないお団子だけをずっと作っておりましたので、
そのことを思えばね、
あのー、まだ、
教えていただいた通りに作って、
まあ同じにはできないでしょうけれどもね、
まあ何回も失敗しながらでもね、
家の中に飾るぐらいでしたらね、
どうにかなるのかなと、
思いながら、
まさか、
まさかお菓子作りをしなければいけなくなるなんて、
本当にね、想像もしてなかったんですが、
でもね、
ご高齢のおじちゃんお二人のご兄弟がね、
されてるんですよ。
お二方とも独身でね、
お二方とも結婚に失敗して、
お二方ともお子さんいらっしゃらないんですよ。
で、二代目さんなんですよね。
先代が昭和9年に開業されましてね、
なんだかね、そういった、
すごい名人の方の技術って、
その産業が成り立っていかない場合であるとかね、
後継者がいない場合であるとか、
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そういった時に消滅するんだなって、
本当に思いましたですね。
しかし、予想はしてたんですよ。
いずれこういう時は来るだろうなということを、
誰もが予想してたんですけどね。
非常にご高齢だと今85歳でしょうかね。
それでずっと働きっぱなしですので、
本当にもう皆さんが倒れっぱなしだったので、
あのおじちゃんが倒れたら私たちどうなるのっていうお話は、
やはりしてたんですが、
その対策を自分の中で考えていなかったっていうことは、
正直申しましてね、ございますね。
いつまでもいてくれてると、
どこかで思ってるんですよ。
私自身がね。
市内のおじちゃんにしたってそうでしたし、
いつまでもいてくれるもんだと、当たり前のように。
それでいなくなって、大慌てするんですよね。
まあでも、こうやって時代って流れていったんでしょうね、昔から。
ですので、私も家庭内の行事は主婦としてね、
ギチッとやっていきたいと思っておりますのでね。
もうそれが楽しみですしね。
小さい時に母がそうやってやってくれたので、
非常にそれが本当にいい思い出になっているんですよね。
仕事から帰ってきて忙しかったと思うんですけどね。
帰ってきて、公務員でしたのでね、きっちり5時まででしょ。
帰ってきて、ブワーッと用意をするんですけれども、
家に帰ってきて、
家に帰ってきて、
帰ってきて、ブワーッと用意をするんですけれども、
よくやってくれたなとは思うんですね。
うちにはおじいちゃんおばあちゃんはいなかったのでね。
それで、おじいちゃんおばあちゃんいている同居のこの家に来た時はね、
本当に嬉しかったですね。
友達を絶対にやめろと言いましたけれどもね。
一つの行事にしても、5人でお祝いするのと全然違いますもんね。
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それが今は夫婦2人になっておりますけれどもね、
おひなさんも全部出して、
4つとも全部出して、
9のおせっくまで全部出しっぱなしでね。
やっぱりそれにはね、もうお菓子はなくてはならないよ。
だから私ちょっとね、お菓子作り勉強します。
もうこの年になってね、お菓子作りを勉強するってね。
本当にね、思いもよりませんでしたが、
もう勉強せざるを得ない状態になっておりますので、
京都まで毎月毎月買いに行くなんて私にはできませんし、
送っていただくとなるとすごい料金になっちゃいますので、
ちょっと形がお菓子食っても味がお菓子食っても、
そこはもう勝てないということで、夫に了承してもらうようにいたします。
では皆様、ご近所のお菓子屋さんに是非とも感謝していただきたいと思います。
我々の生活を潤してくださっているお菓子屋さんの存在ってありがたいと思います。
では皆様、今宵はご近所のお菓子屋さんに感謝して、
どうぞお休みなさい。失礼いたします。