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こんにちは。皆さん、日曜日はいかがお過ごしでしょうか。
私は、第13期海軍甲子飛行予科練習生、第52回巡国の慰霊祭という指揮隊に、末席で参列してまいりました。
我々の近くの神宮に、慰霊碑があるのですが、昭和51年頃にきれいに整備されて、慰霊碑が建てられたらしいのです。
それまでは、慰霊碑を建ててほしいという要望があったのに、なかなか建てることができなかったというふうに、後人様のご説明でした。
高松宮殿下をお招きして、最初に除幕式が行われたみたいです。
最初にできたのが、昭和48年か47年とおっしゃっていました。
昭和51年は、公園が整備されて、一回できない時期があったらしいです。
今は桜の木が非常に美しく咲き誇っています。
この時期に毎年慰霊祭があるということは知っていたのですが、伺ったことはなかったのです。
来賓の方々を見ましたら、地元の奈良基地の官房補正学校の校長であるとか、
国会議員であるとか、市長であるとか、相当とある来賓の方がいらっしゃるのですが、
3列車が非常に少ない。申し訳なく存じました。
もうそうなるんでしょうね、きっと。
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我々が小さい頃は、慰霊祭はあちこちでしょっちゅうされていたのですが、
そういう方々がお亡くなりになって、咲きぼそりになってきているのでしょうね。
うちの方では、戦没者はいないのですが、珍しいでしょう。
古い家で戦没者がいないうちって珍しいのですが、
ただ、つらいワンコの事件がありましたね。
終戦3日前に連れて行かれちゃったみたい。
夫の父が押入れの中でずっと隠れて、市役所の人と応戦したらしいのですが、
そういうこともあって、一度、慰霊祭にも参加したいと思っていたのです。
今回お近くの方が、元海獣自衛隊の方でしょうかね、
トランペットのように押すところがない楽器で、
国の沈めとか、決戦の大空へとか、若橋の歌、ちょっと思い出せないんですけど、
そういうのを演奏されるということで、行ってまいりましたね。
海床場と同期の桜は全員で合唱なんですね。
海床場はしょっちゅう練習しているんですけれども、
同期の桜って練習する機会が全くないですね。
海床場は非常に声楽の練習にはうってつけの曲だと思いますね。
海床場と君が嫁。
でも同期の桜はちょっと難しいですね。
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テンポがちょっと早すぎましてね。
ちょっと難しい。
それに午前中参列しまして、帰ってまいりましてね。
お食事も済ませて、昨日の話の続きなんですけれどもね、
株のおばちゃんがね、経理部長とやり合うシーンがございました。
子供に貸す金はないとか言って。
子供とおじちゃまの喧嘩が始まって、
海床が連れてきたおばちゃんというか子供なんでね、
一応経理部長は海床宅にお電話を入れたんですって。
そうしましたらね、経理部長が運転して、
株のおばちゃんが中学校卒業して半年以内ぐらいですよね。
その株のおばちゃんが小さい頃、車に乗せて海床宅が神戸だったらしいんですが、
神戸まですぐ来るようにというご指示だったんですって。
で、そのことを株のおばちゃんに告げるわけなんです、経理部長が。
海床がそうおっしゃってるからすぐに用意しなさいって。
で、私が運転して神戸まで今から行くからって言って、
後ろに乗せられて神戸の大きな大きなお屋敷に着いたんですって。
で、そうして門のところで入れていただきまして、
お玄関の方まで入ってきまして、
そこで従中さん、お手伝いさんが出てこられて、
海床は席を外しておりますが、受けたまわっておりますので、
これを持ち帰りくださいということでね。
で、黒塗りのお盆に乗せた乗し袋ですよね。
御礼膳なのか御仏膳なのか。
で、それを株のおばちゃまにお渡しするときにね、
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これは海床からあなたにお送りするそのお父さんのお悔やみですと。
お返しは全く必要ありません。
って言って一つ渡されたんです。
で、もう一つ、その乗し袋。
で、そちらはちょっと分厚かったらしいです。
で、それを蹴り部長の方にお渡しして、
で、これでお葬式を会社の方で取り仕切ってしてきてほしいということだったらしいです。
で、すぐにこの子を連れて帰って打ち合わせをして連絡くださいということだったらしいです。
で、その蹴り部長と一緒に車に乗って、そのまま車で自宅まで帰るわけなんですね。
そうしたら親戚の人たちが、おばちゃんが車に乗って帰ってきたからびっくりしましてね。
で、蹴り部長がご親戚の前でご挨拶されて、
で、会長からこういうご伝言ですので、
うちの会社の方で葬儀をお手伝いさせていただくことになりましたがよろしいでしょうかって言ってくれね。
で、立派なお見送りができたらしいんですね。
で、その間も会社から何人か応援の方も来てくださって、
お式の当日は取締役が2人来てくださって、花輪を2つ賜ったということを聞いてました。
で、ご近所の方とかご親戚の方はほっと胸を撫で下ろすと同時にびっくりされたと思うんですよね。
まだ働きだして数ヶ月しか経ってない子ども同然のおばちゃんがですね、そういうふうにして帰ってきたもんですからね。
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失礼しました。電車の音だ。
でね、そのお手伝いさんから渡された時にね、持った時にね、ずしっと重いものを感じたらしいです。
当時の葬儀って言ったら結構お金かかりましたしね。
それでお悔やみっていうのがいくら入ってたって言ったらもう破格のお値段でしたね。
でもこれはお悔やみだからお返しとか一切しないようにと、私の気持ちだからということだったらしいです。
で、それをね、伺ってもう何年経つでしょう。もう15年ぐらい経つでしょうかね、そのお話を伺って。
で、やはり時が経ってね、そのことを、おばちゃんを思い出す時ですね。やはりね、おばちゃんの成功っていうのはね、やっぱりその時に始まったんじゃないかなと思うんですよ。
あのね、やはりね、会長がね、潤沢なキャッシュを持ってなければね、いくら切りごとを言ってもおばちゃんを助けることはできない。そう思いません?
お金の力ってね、ありがたいですよね。
今私が自宅のダイニングのテーブルに座って、その時と同じ椅子に腰掛けて、前に株のおばちゃんがいらっしゃいました。
いろんなことをね、教えていただきましたけれどもね、ある意味反面教師でもあり、ある意味厳しい工事でもありましたけれども、いろんなものをいただきましたね。
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あの、靴はね、何足もいただきました。もう私が手の出せないような高価な靴を何足もいただきましたね。
その時のやはり、表とかね、その当時の会長のなさったこと、やはり日ごろのね、小さいことに積み重ねなんですよね、節約であったり。
節約しながらもですね、そういう方って必ず心遣いをされますでしょう。
例えば、夫なんか農舎に行くたびにね、いろんなところに農舎に回りますが、高価なお車とかをね、農舎に行く場面に出くわしたりしたらね、インターホンをピンポンって押しましたらね、
そうしたら、その時に、おはようございますっていうね、子供が帰ってくるんですって。
だから、そういうお宅に行きましたら、必ずそのお菓子、箱入りのお菓子とね、それと帰りにお召し上がりくださいって言って、
奥様がコーヒーかお茶かと、小さなお菓子が何個か入った袋を持たせてくださるんですね。
男性のお客様の場合は、現金をよくね、いただいてくるんですね。
お昼の私にしてね、という感じで、2000円とか5000円とかね、2人で行ったら5000円とかね、そんないろんなパターンがありますけれどもね、
そういうお気遣いをね、されるんですよね。
生きた使い方ですよね。本当に。
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そういう風にして、おばちゃんが子供の頃ですね、そういう非常に苦しい体験の中から、
この人のためならみたいな、そういう人に恵まれていくんですよね。
おばちゃんにしてみたら、絶対絶命みたいな場面があったからこそ、そこからV字逆転していくわけなんですよね。
亡くなったのもね、9月9日なんですよ。
9月9日ってね、私はね、旧歴でね、行事をしていくのが大好きなんですよ。
祖母がそうやってましたのでね、私もね。
旧歴でね、自分だけそんなことやってるね、祖母も。
何やってんの?みたいに小さい頃は思ってたんですが、
だから旧歴も大事なんですけれども、旧歴の新歴である9月9日っていうのもね、
結局大事になってくるんですよ。3月3日もそうですし、
旧歴の場合は今年は4月31日ですよね。
そういう関係でね、そしたらまあ、私の家では3月3日とかね、9月9日って言ったらね、
もうワクワクドキドキなんですよ。もうお月見でしょ。
3月3日はお雛さんでしょ。だからね、
ああ、私がね、忘れないように5月9日にしたんだとかね、夫がね。
もうね、全然ね、だからまさか、
おばちゃんのお話を皆さんにお伝えするとは思わなかったんですけれども、
これからまあ、時々思い出してですね、供養していきたいと思いますね。
では皆さん、すごい鼻声になってしまいましたが、
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ちょっとこれはもう朝から、なんか礼祭でなんかじわっと来て、
でね、私ね、服用のね、カバンの中にね、中軸を書いたメモを入れてあるんですよ。
それに私ね、あの鏡とハンカチは必ず持参すること。
間違えてもティッシュで涙を拭かない。書き足しましたよ、私も本当にもう。
ちょっとね、涙があふれましたね、今日ね。
それでね、なんか鼻水とか出てきたのでね、黒のレースのハンカチ入れてるんですけどね、
ちょっとその前にティッシュが必要だと思って、ティッシュでね、頬を拭いてたんです。
そして帰ってきてね、鏡を見ましたらね、なんかね、桜の花びらみたいなのがね、両方の頬についてるんですよ。
で、私ね、絶対ね、これ花吹雪の中帰ってきてから桜の花びらだと思ってよく見たらね、ティッシュなんですよ、もうね、私本当に。
あまり帰りは、どなたとも合わないように、こう、裏道を通って帰りましたが、もうね、いろいろメモをして書いてるんですね。
家で泣いていくこととかね、会場では泣いてはいけないとかね、1時間以上前に到着すること。
で、三列車同士の会話は涼しむこととかね、目で会話はできると知ることとかね、すごいですね。
目立たないところにひっそりと座ること。派閥が見える時は、どちらとも距離をとること。
どんな時も理想の女性になりきって座っていること。何も守られてないじゃないですか。
いや、もう本当ちょっとね、黒の手鏡を忍ばせるようにちょっと買いに行きます。
そういうことで、まさかね、慰霊祭でね、号泣するとは思わなかったんですけど。
本当にすごい体験でした。
で、海床バーをちょっとキーが低かったんですけどね、歌えたので、ちょっとそういうので心を落ち着けてね、
どんな場面でも泣かずに歌えるように、これは歌の練習だと思って、来年に向けてまた練習したいと思います。
では皆様、素敵な日曜日をお過ごしくださいませ。ごきげんよう。