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みなさん、こんにちは。今、鳥がたくさん来てますので、このうちに録音してみようと思って、マイクをセットしたんですけれども、聞こえますでしょうか?
何種類かの鳥が来てくれてるんですけれどもね。
一応ね、朝から残った菊で稽古してたんですよ、自分で。
そうしましたらね、やはりね、師匠が行けてるそばで、ちょっと違った時に指摘してくれましたらね、その都度治せるんですけれどもね。
やはり一人で行けるのはね、なかなか体力も精神力もいりますね。
本当にね、数をこなさなければいけないと思いつつ、もう何十年という感じでございますが。
昨日、加藤先生のラジオでお伝えしてました、株のおばちゃまのお話なんですね。
今ちょっと電車が通りますが、申し訳ございません。電車の近くなんで申し訳ないと思いながら、そのまま窓をアミドにしたまま録音しておりますが、
我が家では株のおばちゃまというふうにお呼びしてたんですね。
そうなんですよ、我が家にも来ていただいて、このダイニングでね、本当に1時間以上おしゃべりさせていただいたんですね。
もういろんな思い出があるんですが、一番の思い出は、やはり株のおばちゃまの一大挙を最初から最後まで聞いたときですね。
その驚きだるや、これは何、お芝居?小説?みたいな感じでしたね。
加藤先生がちょっとご興味を示してくださったので、その一部をかいつまんでお伝えしたいと思います。
もうお亡くなりになっているんですけれども、夫も私も株のおばちゃんと呼んでいたその方は、
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お一人で生涯、体が少し悪い妹さんと二人で暮らしながらね、ものすごい財産を築いた方なんですよ。
それでね、お小さい頃から物心ついたときから、お母様が病弱で、本当に寝たり起きたりだったらしいんですね。
そのお母様がお亡くなりになり、お父様は中学を卒業して間もなくお亡くなりになったと記憶しています。
でね、中学を卒業して高校に行きたかったらしいんですが、もうその頃お父様も悪くなって、高校進学を断念するわけなんですね。
それでね、どうしたかと言いますと、仕事をしようと決意しましてね。
で、私は仕事をしてお金を儲けるんだと、それで妹を食べさせていくんだということでね、
喜び遺産でか何かわかりませんが、中学を卒業してすぐに制服のままでね、森宮っていうところに行くんですね。
森宮には大昔から、今のハローワークですね、昔で言いますところの職業安定所っていうのがありましてね。
で、飛跃とい労働者のおじちゃまたちが、もういっぱい集まるところだったんですね。
で、私はその大人になってからしか前を通ったことございませんでしたが、大人かな。
でも私が若い頃に通った時にもね、そんなに開けたところではなかったんですよね。
で、今のようにビジネスパークとかね、ああいうふうに綺麗な高層ビルが建つような場所ではなかったんですね。
それで、そこに行けば仕事が見つかるっていうふうなことを大人から聞きつけましてね。
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で、電車に乗ってそこまで行くわけなんですね。
中学を卒業したばかりのオカッパの少女だったらしいですけれども。
で、そこに行きましたらね、何をしに来たのっていうことで、子供が何をしに来たのっていうこと。
ここはあなたが来るところじゃないよって、周りを見たらおじちゃまばっかりらしいですよね。
危ないから早く帰りなさいって、どこから来たのって。
まあ、そんな遠いところからということでね、早く帰りなさいっていうことだけを言われてね、
もう玄関ドアのところから追い出されちゃったらしいですね。
でもどうしようと思ってね、ここに来れば仕事は必ず見つかるって大人に聞いてきたのに、
追い出されてしまった。どうしようって思って、そこに座り込んでたらしいんですね。
石のところにね、つかれて、張ってて。
そうしましたらね、お一人の老人が通りかかって、どうしたのって声をかけてくださったらしいんです。
仕事を見つけに来たの。
どうしたのって言ったら、お母さん亡くなって、お父さんも体が悪くなって、
ご自身の商売を辞めちゃってる状態だと。
妹も体が悪い。どうしたらいいのか、元気なのは私だけ。
中学卒業式が終わったので、仕事を見つけに来たのということでね。
どんな仕事がしたいのって聞かれたらしいんですね、その老人にね。
ひとつの希望は、お茶組みだけはしたくないって言ったんです、その時代に。
ああ、そうって聞いて。
私が働いて、妹とお父さんを楽しさせていくんだっていうふうにね、元気よく言ったらね。
よし、わかったって言って。
その方が、明日、朝何時にここに来なさいって、来れるって。
これから何でもするって。
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お茶組みはささないから。
事務の手伝いやけれども、するって言って、呼んでくださったらしいんですね。
それが北浜だったらしいんですよね。
中学卒業したてですので、15歳ですかね。
で、その次の日に、親戚の方とか、お父さんとかね、
いろんな方にね、どこ行ってたのって。
高校で、このおじちゃんが明日ここに来いと、この会社使ってやると言ってくれたって。
びっくりして、そんな危ないこと、そんな遠いところまで行ったらあかんと言われたらしいですけれども、
絶対に行くんやっていう感じでね。
振り切って、次の日の朝から始発に乗ってですね、奈良から大阪の北浜まで通う日が続くんですね。
で、行きましたらね、経理部長のおじちゃんが座ってて、みんな木の机に座ってるんですって。
で、株のおばちゃんにはお机がなくてね、どっかそこに座っときなさいとか言ってね。
で、ちっちゃい椅子のところに座って、時々お使いに行ってらっしゃいとか、はいとか言ってね。
お使いに行ったりしてたんですって。
で、少しのお給料をいただいて、少しずつお手伝いができるようになって、
でも1日もお休まずに行ってたのですが、半年経ってないって言ってましたか、3ヶ月くらいって言ってたかしら。
まもなくね、お父さんも亡くなられるんですね。
で、お父さんがもう終わるっていうことで、お父さんも亡くなられて、
親戚の方とか来てくださったんですが、お葬式を出さなければいけないってことでね。
それで、その時ね、お母さんもご病気でもいろいろ使ってたらしくてね、
お父さんも個人事業主で、戦争中、戦後まもない時は非常にね、景気のいい時もあったらしいんですが、
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ご自身の体も悪くなってしまって、逼迫した生活だったらしいですね。
で、お母さんがお亡くなりになった時にね、
お布団の下からね、いっぱい制約書みたいなのが出てきたんです。
制約書というか、信仰宗教みたいなのに引っかかっちゃってたらしいですね。
で、お布団の下からお供えした莫大な金額の領収書みたいなのが出てきたんですって。
で、それを取っておいてね、いつか文句を言おうと思ってたらしいんですよね。
で、もうこの時とばかり、その信仰宗教のところに出向きましてね、
この分を返してくれと。
で、お父さんが亡くなったら明日か明後日のうちにお葬式を出さなあかんということでね、
行ったら、家や敷居全部手放したら返してあげるっておっしゃったんですって。
で、そんなことをしたら私と妹は明日から怒鳴するんやっていうことで、
なんかね、怒鳴り合い、子供と大人の怒鳴り合いになったんです。
でね、それで帰ってきて、会社に行ってくるって言ってね。
その日、遅れて会社に行ったらしいんですね。
そしたらね、経理部長がね、どうしたんだと。
実はお父さんが亡くなって、明日か明後日に、
お葬式を出さなければいけないからお金を貸してくれないかと交渉するんですって。
経理部長に。
そしたら経理部長がね、子供に貸す金なんかあるわけないわって言ってね。
もう一周されたんですって。
そしたらね、子供とちゃうわと帰ってね。
その経理部長とね、なんかね、怒鳴り合ってたらしいんですけどね。
とにかく帰りなさいということでね。
すぐに帰らなければいけないよということでね。
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帰るし対抗してすぐ帰りなさいって言って。
その後、その経理部長が会長にね、高校でお父さんが亡くなってこういうことを言ってきましたって。
今から返しますって言ってたらね、経理部長と2人でですよ。
すぐに神戸の自宅まで来いって。
続きは明日にいたします。