1. 1年後の自分を楽にするラジオ
  2. 5月27日は泣いてもいい日。
2024-05-27 18:34

5月27日は泣いてもいい日。

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はい、ということで、5月27日は泣いてもいい日という話です。
いろんな意味で泣ける1日だったり、今日はしたんですけど、
1つは、今日ね、リブライカキャット、LLACっていうNFTが、ちょっと大口の方がね、お金が必要になったっていうことで、一時大量にリストがあって、
正直これはきついなーって思ってたら、本当に、
コミュニティメンバーの方がね、トコトコさんはじめ、リコさんとかノリさんとか前田区さんとか、
皆さんがどんどんお迎えしてくれて、初LLACの新太郎さんという、キャンプ系の、確かプロジェクトされてる方もお迎えしてくれて、
非常にありがたいなーと思ったし、泣けるなーと思って、あとそうだ、一番最初はプニペンさんがね、なんかオファーとかでお迎えしてくれて、
いやーありがたいなーと思うんですよね、で、
まあそういう泣けるという意味もあるんですけど、あのまあ、今海に来てて、
子供の頃よく親父と、まあここで釣りを、まあ船があったのね、船の、船つってもあのクルーズ船とかじゃなくて、本当にあの、
おんぼろな、沈みそうな、沈みそうなではないか、まあ本当に普通のエンジン付きの船ですけど、
でまあ、親父がアマチュア漁師みたいなことやってたんで、あのー、よく来てた、それが海に、海っていうかそのこの大島、愛媛県まばり市大島の、
名古屋、名古屋っていうね、漁港があって、そこに泊めてたんですけど、そこに来ていて、
まあ、懐かしがっているわけですよ。で、まあ今日、
まあその親父が亡くなって7年たんですね。えーと5月27の夜10時ぐらいだったかな。
えー、まあ亡くなって、で、
まあ理由は、その10ヶ月ぐらい前から、呼吸がしんどい呼吸がしんどいね、苦しいって言ってて、
まあ、なんか風邪だろうとか、人工透析してたんで、よく入院してたんですよ。だからまあ、そのまたなんかあれだろうと思って、
えー、いつも通り流してたら、
まあ入院して、で、入院してしばらくしたら、
あの、救急治療室、ICUに入って、
あのー、人工呼吸器つけないといけなくなっちゃってね、いやもう一瞬でしたね。
そう、で、それで10ヶ月、まあ、
気管切開もして、もう言葉も出せなくなってね、
で、最後はちょっとだけ異動もしたかな。
なんか難しい判断だなと思ったけどね。で、まあ足も細くなって、丸毛もなくなって、
うん、喋れなくなって、
うん、ガリガリ見やせて、
で、最後はもう顔が腫れたりとか、うん、で、意識不明が2週間ぐらい続いて、
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そう、ずっと病院でね、なんかこう、1日過ごして、
うーん、なんか、なんか難しいよね。なんか心配が今日も、は、まだ止まらなかったみたいな、でもやっぱ最後の瞬間は来てね、
まあ夜10時ぐらいに息を引き取った、息を引き取ったというか、もう人工呼吸器だったから難しいね。
まあ心配が止まったっていうのが、5月に17の、あ、27の、まあ夜10時ぐらいだったんですけど、
うーん、そうそう、まあそれが7年前ですよ。
そうで、
まあなんか、やっぱこの日は、
まあバタバタしててもあって、思う日で、
で、なんかね、よくね、この明日の前後っていうか、少し前に、なんか結構夢に出てくることがあって、
まあつい最近も出てきたんですよね。で、親父はなんか、
ヒゲ、ヒゲ面だったんで、まあ子供の頃、あのね、親父がね、43歳の時の子供なんで、
僕は結構こう、遅く生まれたというか、で、親父白髪家系だったんで、僕も白髪増えてるんですけど、
まあなんかもう、
じいちゃんなんですよ、見た目がね。僕が小学校中学校の頃、参加見とったら、お前んとこ、じいちゃんが来てんじゃん、みたいな、お父さんは、みたいな、あれがお父さんなんだけど、と思うよ。
で、母親とは離婚してたんで、まあお前のお母ちゃん見たことないとかね、運動会で、お前、じいちゃんとベッド食ってんじゃん、みたいな、運動会でご飯食べてるの見られたくなくて、
体育館裏とかで行って食べたりとかね、おー、シュー、なんでこんなところで食べるんや、みたいなね、いやいや、もういいけん、こっちこっちって言ってね、
そう、で、43歳の子供だったんで、まあまあ、じいちゃん面だし、まあヒゲも生やしてて、なんかこう、
そのヒゲがチクチクして痛かったの覚えてる、ちっちゃい時とか。で、なんか夢の中で、
親父が出てきて、ほうずりするんじゃん、ヒゲ面で。で、痛い痛い痛いって思って、もうやめて、みたいな、お父さん何しよう、みたいな感じで起きて、
で、なんかばあちゃんがなんかに、おー、あれちょっと待てよ、親父死んだよなと思って、夢の中で気づいて、で、ばあちゃんに、親父死んどんのにここに来たよ、ここに今親父おるよ、つって、
で、ちょっと待てよってばあちゃんもその前亡くなっとったみたいな、なんだこの夢と思いながら、で、そこで確か起きた気がしますけど、
うーん、ね、まあ明日だからちゃんと覚えておけよ、みたいなね、感じで出てきたのかわかんないんだけど、
まあ明日に、お墓、前後にお墓行くことがあるんですけど、それよりも僕は、なんか親父がいつもやっぱ海にいたし、海が大好きだったんで、
なんか海に来るんですよね、で、よくあの釣りに行くときは、観光費買って、クーラーボックスなんか入れて、
で、それで釣りに行って、で、親父が釣ってるときに、あの僕は寝たり、釣りしてもそんなに釣れないからさ、
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そう、で、だから、こうやって毎日の日っていうか前後にね、観光費買って来るんですよ、で、まあしばらくうろうろするんですけど、
そう、なんかもう死ぬ前からずっとね、墓にはいれんなーって言ってて、
まあその親父のお母さん、お母さんみたいなばあちゃんですけど仲良くなかったら、墓にはいれんなよ、おばあと一緒の墓に住んだよって言ってて、
もうタコツボに骨入れて、それでもあの磯に埋めてくれ、あの磯のあたりで沈めてくれって言って、
その磯があるんですよ、なんかよくあのこっちで言うと高級魚で、アコ、キジハタって言うんですよ、アコ、アコってこっちで言いますけど、
アコが釣れるあの磯にね、沈めてくれーい、まあリュウジンさんともあるんですけど、リュウジンさんのところで沈めてくれーいってね、なんか言ってて、
まあ墓入れましたけどね、めちゃめちゃ怒ったけど、そうそう、でもまあ一部はね、本当は多分ね、これ法律グレーゾーンな気がするんだけど、
もう粉ですよ、もうほんと灰みたいなものを少し海に、船で行って、少し任せてもらったりはしました。
で、骨じゃないからね、骨とか本当は埋めたらダメなんだよね、確かね、まあでもいいと思うけどね、人骨が見つかったら多分大変だから、多分そうなんでしょうけど、昔は土葬だったし、
はい、で、そう、まあこうやって来て、まあなんか泳いでんじゃないのかなってやっぱ思うんですよね、
釣りが好きで海が好きで、あのね、入院しててもう本当に最後の方ですけど、ずっと熱だしてて、まあ意識がないっていうか寝てることが多かったですけど、たまに起きてね、
こんなのは僕がお庭に行ったら、なんかこう口の動きでわかるんですよ、うん、なんかもう会話もさ、声出せないけど口の動きでなんとなく理解できるようになってて、
海、海帰るぞ、家帰るぞ、海が見たい、海に帰るぞ、みたいな、なんかそういうことをよく、よくっていうか急に言ったときがあって、そう、でも単位できるような体じゃないから、いやいや帰れんよって言うんですけど、
そんな答えをたぶん求めてるわけでもないし、なんかそのときに海の映像とかさ、なんかわかんないVRとかで連れて行けたらよかったのになとも思いながら、そうそうそう、なんかそんなことを思い出すたびに、まあやっぱ海に帰りたかったんだろうなっていうのがあって、
なんかね、ティム・バートンのビッグフィッシュっていう、僕映画好きでさ、たまに見るんですけど、あそこのなんかお父さんが最後、海に帰っていく川か、あれがなんかすごくうちの親父っぽくてなんか重ねて見ちゃうんですよ。
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なんか雨が降ってきたな、もうさっきからね、ずっとね、雨なんですよ、なんか外に出たくてもすごい雨で、なんかお見舞いしに来るんじゃねえみたいな、お見舞いじゃないわ、海に行くんじゃねえみたいなこと言われてるような気がして、そう、まあ今日も缶コーヒーを2本買って、まあ30分ぐらいかな、今歩いてますけど、ちょっと雨が降ってきたね、ちょっと車に戻ろうか。
はい、車に戻ってきて、ちょっと音が良くなったと思いますけど、USBマイクを使ってます、はい、そう、だから、なんだろうね、まあ1年に1回こうやって何か思い出しながら、そして言葉にしながら、特に何か新しい気づきとかね、何か新しい思いがとか、思いがあるとかではないのかもしれないんだけど、
なんかこうやってたまにボケーッとしながら思い出すっていうのはね、すごく大事なのかなっていうふうに思います。だから、まあ僕ももう30、今年5ですけど、7年前っていうと27、8だったのかな、まだ7だったか。
そう、で、まあよくこのね、ボイシーとかポッドキャストでたまにこの親父の話しますけど、まああれからね、家族というか大事な人がずっといるわけじゃないんだなっていうのはすごく自分の中では思うようになったし、で、この前ちょっとおかんが、咳が長引いてたんですよね、10日間ぐらい。
いつもの風邪だろうって思うこともできたんだけど、やっぱり心配になって、で、長引くと肺炎なったりね、気管支援になるからまあ気をつけてよと。
で、まあLINEとかで細かく咳大丈夫治ったっていうので、まあだいぶ良くなって楽そうになってたんですけど、そう、本当におかんとかもたまにね、酔っ払って道端でこけるんですよ、あの人。
あと、一回ね、おかんの家で寝てたときに玄関でトトロターって言って、えぇーって思って、何かと思ったらもうガチャって開けたら、なんかこう額からね血を流した中年のおばさんが座ってたんですよ。
いやーって思って、もうついに見てしもうたかって思ったんですけど、まあ酔っ払ったおかんで、で、扉開けようと思ったら開けれずにそのままこけて、眼鏡したまま多分顔からこけちゃったんでね、危ない本当に。
で、眼鏡が割れてね、目の中とか入るとかもさ、泣きにし回らず、まあ大丈夫だったんですけどね、そのおでこから血が出てるだけで大丈夫だったんだけど、心配だな、あんま伸びすぎんようにねって、まあいつも言えるわけなんですけどね。
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だから、まあおかんも今年で70なったんかな、うん、ね、まあそうぐらい年になると本当に何があるかわからないし、それはまあ、僕らね、10代20代30代も同じなんですけどね、何が起こるかわからない、急にいつ病気がね、見つかるかわからないし、だから本当に今日またこうやって1日終えられることとか無事にね、事故もなく、そしてそうやって家族がね、2人だろうが3人だろうが4人だろうが5人だろうが、みんな揃った。
でさ、元気である、まあいろんな仕事とか学校での悩みとかあるかもしんない、うーん、自分のダメなとことかあるかもしんない、でもそうやって家族がやっぱみんな、まあとりあえずは元気である、いられるっていうこと、で、雨風しのげてさ、とりあえず今日ご飯食べれてお風呂に入ってゆっくり眠れるっていうことは、うーん、ものすごくやっぱ奇跡的なことなんだなっていうのはすごい、まあ親父の亡くなったことも含めてね。
うーん、あと冒険家の阿部さんが亡くなったことも含めて、なんかやっぱりこう、より一層生きてることがいかに尊いのか、で、僕もなんかその、ね、事業とか会社のお金のことで悩むんだけど、まあ悩めてるぐらいが本当に幸せなんだなってなんかね、やっぱ思いますよね、っていう風に話してたら雨が強くなって、雨の音がもしかしたら入ってるかもしれませんが。
はい。なんか不安定だね、今日の天気。なんかもう、さっきもね、缶コーヒー買った時は雨が止んでたんだけど、買って飲もう、さあ親父の海に行こうと思った瞬間また降り始めたりとか。
ね、うん。もう親父が生きてたらブチギレてる場所ね。なんか、ああ、雨が。すぐ切れる人だったからね。それは高血圧だわと思いながら。うーん、まあいろんな生きてた頃は、おい、みたいなね。
うーん、なんなんやと思ってても、やっぱ弱ったりとか入院したりするともうなんか本当にヘナヘナになって、なんかあの怖かった親父ってどこ行ったんだろうっていう風にやっぱ寂しく思った時もあったんですけど、うーん。
まあなんかこう、この1年に1回やっぱ最後に思い出すのが、うーん、親父がね、本当にこう、入院して、何ヶ月か経った頃かな、まあ毎日なるべくね、お見舞いに行ってタオル交換したりとか、親父が急に寿司が食べたいって言ったらね、まあそんな量食べれないんですけど、うなぎの寿司持ってたりしてたんですよ。うまいうまいって言って嬉しそうに食べてるのはよくあったんですけど。
で、雨がひどいですけど、そう、あのー、なんだ、まあ嬉しいなってもう一言ね、なんか言ってくれたらそれずっと残ってるんですよね。
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まあ僕43歳の時に生まれた子供で、なんかね、そう、卸そうと思ったらしい。これ親父から聞いてないんだけど、お母さんから後々聞いた話で、僕ができたのがあった瞬間、卸せ!みたいなことを言ったらしい。まあお金がきつかったのかな。
あのー、ジャズ喫茶とかやっててうまくいってなかったんで。うーん、本当は雨がめちゃくちゃひどくなった。そう、あのー、あんまこんな急に、まあまあ夕立?夕立じゃないかな、まあなんかあったんでしょうね。で、まあ、そう、ジャズ喫茶とかうまくいってなかったんで、たぶんお金がなくて、なんか卸せって言ったらしいんですよ。
なんかそれをこう、親父が亡くなった後にお母さんから聞いて、なんか悲しい気持ちにはなったんですけど、うーん、まあでも当時も、なんか親父もいろいろ考えるところがあったのかなって、まあ思うんですよね。はい、すいません、なんか雨音がすごい邪魔だったら申し訳ないんですけど。
はい、そう、で、まあそれでも育ててくれて、ね、高校、大学と、まあ、じいちゃんの年金を活用しながらね、出させてくれて、うーん、で、その後にまあ、僕もね、えー、故郷から帰ってきて、うつ借金抱えてね、で、その時もまあ、いろいろ思うことがあっただろうけど、こう、まあ迎えてくれて、うーん、まあありがたかったし、
はい、で、それからこう、親父が逆にこう病気っていうかね、入院して、それをこう、僕が面倒見るような形になった、なんかこう、まあなんか親父の中でもなんか素直に言え、言っとかないとって思ったのかもしれないけど、うーん、なんかこう、まあ周平、まあ僕がね、いることで、まあ生きる希望になってたっていうことを、うーん、言ってくれたことがあったんですよね。
うーん、なんか、機関接会してて声も出せないし、うまくこう、やりとりできない中なんだけど、うーん、なんかこう、うるうるした目でね、うーん、お前が生きる希望やったって伝えてくれたあの瞬間はほんとね、まあ忘れられないっていうか忘れることができない、うーん、瞬間だなってやっぱ思いますね。
うーん、そう。
だからまあ、そんな話。
そういうことはやっぱこう、やっぱこの日に思い出すと、どうしてもなんかちょっとうるっときちゃうというかさ、いろんなことが思い出されて、変な不思議な気分な1日なんですよね。
うーん、っていうことを話そうと思ったらこの雨が降って、まあ家に帰りゃいいんですけど、なんかちょっと車で撮り始めちゃったんで、まあ引き続き撮ってるわけですけど、まあ雨音がまあ聞きにくくないレベルでいい感じにバックグラウンドミュージックで入ってたら、いいんですけど、音ダメだったらちょっとまた撮り直さないといけないけどね。
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はい、ということで、まあ5月27はまあ泣いてもいい日みたいな雑談ですけど、そんな話でございました。
こういった放送もね、変わらず聞いてくださって本当にいつもありがとうございます。
はい、ということで家に帰ってご飯を作って、明日のセミナーがあるので、明日のセミナーの資料を作りたいと思います。
はい、ということで今日も聞いていただいてありがとうございました。また次回お会いしましょう。バイバイ。
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