文楽劇場の体験と兵法の始まり
みなさん、こんばんは。ちょっと遅くなったんですけれどもね、今日は夫と出ておりましてね、久しぶりに、久しぶりにというか、私だけちょっとね、途中から、
初めての体験だったんですけれどもね、国立文楽劇場の方に行く機会がありましてね、で、ご一緒させていただいてたんですけれども、
ああいうね、何て言うんでしょう、時代劇みたいなのをね、間近に見るっていうのが、あまり経験ございませんのでね、面白かったですね。
文楽劇場って言いましたら、人形浄瑠璃みたいなね、そういうのをご専門にされる劇場だとは思うんですけれども、独特の雰囲気ございましたね。
どう言ったらいいか、あまり私が興味を持って行ったわけではないんですけれども、行ってみて楽しい時間を過ごしてまいりました。
何だかお弁当とかも出て、客席でお弁当を食べていいというのがね、何だか意味がよくわかりませんが、お相撲みたいでしたね。そんな感じで。
五輪の書の水の巻を読み進めていきますが、兵法みなりのことって書いてあるんですね。自分の立ち姿って言いましょうか、身のかかりのことっていうのを参照せよって書いてあるんですね。
兵法三十五箇条っていうのが最後の方に出てくるんですけどね。それの第四条、身を浅く思い、よう深く思う。
これもちょっと、今から書いている自分の立ち姿っていうのはこうでなくてはいけないというのと、自分の内面のことを三十五箇条には書いてますけれどもね。
まずは、この水の巻では、自分の立ち姿のことをまずおっしゃっているんですね。
身のかかり、身のかかりって何でしょうね。身のかかり。
姿、姿ですね。身のかかり。
身のかかり、川を俯かず、仰ぐという字にのかず。
だから、上に向いてもいけないし、俯いてもいけない。まっすぐっていうことですよね。
傾かず、右左に傾いてはいけない。
ひずまず、なんとなく感覚的にわかりますよね。
目を乱さず、額にシワを寄せず、非常にここから細かい部分に入ってくるんですけれどもね。
額にシワを寄せず、眉間にシワを寄せて。
わかりますよね、女性の場合。
寄せて、目の玉を動かざるようにして。
目の玉はキョロキョロと動いてはいけない。
瞬きをせぬように、思いて。
瞬きはしないように、思って。
目を少しすくめるようにして。
すごい細かいでしょ。
で、うらやかに見える顔。
うらやかに、にゅわに明るく。
ですよ。
眉間にシワを寄せて、うらやかに見える顔。
ちょっと難しいですよね。
鼻筋直にして、鼻筋まっすぐ。
鼻筋を曲げるっていうのもちょっと難しいですけど。
少しおとがいに出す心なり。
顎に鼻筋を出す心なり。
鼻筋をまっすぐして、少し顎を出すぐらいでいいと。
首は後ろの筋をすぐにして、まっすぐにして。
同じに力を入れて。
肩よりそうみは等しく覚え。
肩から体、全身、肩だけ重くなってたり、力入ってたらダメっていうことなんでしょうかね。
そうみは等しく覚え、量の肩を下げて、力を入れてはいけないということですよね。
怒り方とか、力をとにかく抜かなければいけないということですね、肩の。
肩筋を六にして、肩筋はまったいら。
六っていうのは陸上の陸って書いてますが、平という意味ですね。
尻を出さず、膝より足先まで力を入れて、膝から下は力を入れて。
非常に難しいですよ。細かすぎて。
腰の蚊が混ざるように腹を張り、くさびをしむるといいて。
くさびをしむるといいて。
くさびをしむるといいて。
くさびをしむるといいてですね。
くさびをしむる。
つなぎ目が離れないようにするために両方にまたがらせて打ち込む。
くさびをしめるようにお腹を張って、
脇差しの鞘に腹を持たせて。
脇差し入ってますよね、左に。
その鞘に腹を持たせて、帯のくつろがざるようにくさびをしむるという教えあり。
帯とお腹の間に脇差しが入っているので、脇差しの鞘が入っているので、
それに腹部を持たせて、くさびをしめるという教えあり。
関節がつながっているということなんでしょうか、どういうことなんでしょうかね。
非常に細かい指示ですよね。
目つけの技術とその意義
掃除て平方の実において、常の実を平方の実とし、平方の実を常の実とすること、寛容なり。
よくよく吟味すべし。
これね、新職さんが24時間すり足のような方いらっしゃるんですよ。
新職さんで非常に姿勢がよろしくて、切り返しも非常にお上手で、
6段の方なんですけれどもね。
頭が床と平行なんです、いつもいつも。
静かに移動されるんですが、
とにかくね、剣道している時も、お仕事なさている時も、日常も、
あまりそのお姿が変わらないんですよ。
この人形を呼んで、その方のことを思い出しましたですね。
だから稽古の間だけビシッとなっているのではなくて、
日常ビシッとなってなければいけない。
常と相手と対峙しているその時の構えと常の構えが、
常の姿勢が一緒でなくてはいけないということなんです。
常と相手と対峙しているその時の構えと常の姿勢が一緒でなくてはいけないということなんです。
もう少し進めてみますね。
兵法の目つけということ、次の段に行きますね。
兵法の目つけ用は、大きく見なさいということで、
広く作る目なり、大きく広く目つけをしなさいと。
一点に集中してはいけない。
観の見、観の見、二つのこと。
観というのは、観撃するの観ですね。観賞するの観。
見は見るということですね。
この二つの目つけのことをね、観の目強く、見の目弱く、
近きところを近く見る、近きところを遠く見ること。
遠きところを近く見る、近きところを遠く見ること。
兵法の戦なり。
遠きところを近く見て、近きところを遠く見て。
難しいですね。
よく次、この技を決めたいとか思うときに、
遠間であるときからチラッと見ちゃうときはありますよね。
目のいい人はそれに気がついたりするので、
視線というのは、全力で見る。
その次の段にすごいこと書いてあるんです。
敵の立ちを知り、いささかも敵の立ちを見ずということ。
兵法の大事なり。
これね、衝撃だったんです。
私、これ初めて読んだときに。
これね、衝撃だったんです。
これね、衝撃だったんです。
これね、衝撃だったんです。
これね、衝撃だったんです。
これね、衝撃だったんです。
これね、衝撃だったんです。
これね、衝撃だったんです。
いささかも敵の立ちを見ず。
これね。
だって、この年になるまでね、
敵の立ちばっかりを見て、
剣光してきた私にとってはね、
いささかも敵の立ちを見ずという世界観、
全くございませんでしたので、
昨日も申し上げたとおり、
たちを見ながら中心の取り合いに終始している先生方のお姿を拝見しながら 子供の時から大きくなって今かなり大人になってしまいましたが
兵法の大事なり工夫あるべし この目つけ小さき兵法にも大きなる兵法にも同じことなり
目の玉動かずして両脇を見ること寛容なり
目の玉を動かさずに両サイドをしっかり見なさいと 見れると
武蔵の立ち姿と精神
かようのことせわしき時には あせわしき時にわかにはわきまえがたし
この書き付けを覚え常にこの目つけになりて何事にも目つけの変わらざる ところよくよく義務あるべきものなり
忙しい時にはね すぐにはね
理解できない かもしれないが
ここに書き記したことをね
常に
この目つけで 日常生活を送り
何事にもこの目つけで変わらないように よくよく義務して
そうあるべきものなんですからというふうに 強調なさってます
いささかも敵の立ちを見ず 見るべからずですよね
っていうことに関してね 止まるべき日でとがこのようにおっしゃってますね
昔は
刀を抜いていない
状態で相手の刀を見た瞬間に それは敵だと判断されたらしいんですね
でそこで見た瞬間に
先に抜かれて切られても何も言えないっていうのが
あの 武士の
世界ではあったらしいんですね だから刀を刺してある方を
守るために
左側通行 だったというお話ですね
まあ 刀はそれほどまでに
重要な一心同体の状態だったんですね で次ね
まあ明日いよいよ 立ちの持ち方について
お話が進みます ただね今日ね立ち姿を
読みましてね
まああの顔の表情まで細かく
指示されてるんですね そこまで細かく
言うのかしらって思うぐらい細かく しかもどちらかといえば
自然の
表情に近いなんか無表情のような そんな気合いの入っている顔じゃなくて
ちょっと目をそば立てる と書いてましたがそれぐらい
で後はね 力が入ってないような
感じなんですね 立ち姿も全体的にも
だから
非常に細部にわたって細やかな方ですね 宮本武蔵はね
でそれを実行しようとして
雑な我々とは真逆の方ですね
でこの時にえっとここを読んだ時にね 一つ思い出したことがあるんですね
と前に申し上げたかな 8戦場所ねー
夫がお相撲を見てた時に 保証流のね
まあ最後の仕様の部分を見ましてね この人力張りすぎてるよって言ったんですね
顔に力が張りすぎてるって でえっと夫はいう9度をしてますよね
9度のことを持ち出してよく私と 喋ってくれるんですけれども
雑念が入ってたらね 顔に力が入ると思うと
で それを気合を入れてるんだって言うかもしれないけれど
そういうあの気合を入れ るということ自体雑念だと
そういうことは 花道の奥で済ましてこなければいけない
言われたことがあったんですね だからね
もちろん中野富士が尊居した時の
顔の表情というのをねその時瞬間的に思い出しましたけれども 非常に普通のお顔をなさってましたよね
ですのでああいうふうに変身する 変身みたいな保証流とこと桜
の顔ん 絵の力の入れよっていうのは武蔵は嫌ってるんですね
ん ここらへんは
と研究の余地はありますけれども女性の私には非常に難しくございますが私も 面の中の自分の顔がどのようになっているかというのは非常に
あの想像するのも嫌ですね ですので
冷静あくまで冷静な 表情をしなければいけないのだっていうことを
まあこの年になって今ここで知ったというか わけでございます
ちょっと恥ずかしいですよね いやあの自分の姿ってねえっと
見るの嫌な時もありますで
ご集合写真とかね撮っていただいた時に もう嫌だわって思うような写真になっちゃう時もあるんですね
やっぱりそれはやっぱ常日頃ですよね
あの常に見られているような a 俳優の方とか立ち姿とかまああの公室の方とか
王族の方とか 非常に入った政治家でもトップレベルの方とか立ち姿が非常に美しいです
よね
そこらへんもちょっと見習わなければと つくづく思います
ああ本当に だから
写真もバンバン撮ってもらわなきゃいけないなと思いましたね 本当に
やっぱり自分の姿を振り返るっていうのは非常に難しいことですね でも勇気を持って
ちょっと 無様な自分の姿を修正していきたいと
思います では皆様あのご機嫌よう明日も
と ねちょっと寒くなるかもわかりませんがどうぞお気をつけてお健やかにお過ごし
くださいませ ではごきげんよう