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みなさんこんにちは。昨日の東北と北海道の地震のニュースを、私は今朝の明け方に知ったんですね。
それを知ったのは、早朝5時頃でしたか、昨日の続きの、途中で眠ってしまったボイシーの加藤先生の残りの部分を聞いてましたらね、
そうしたら、地震の中放送されていまして、震源地が東北の方だということで、すぐに時間も考えず、
東北の遠いの方で、一斉さんにご連絡しましたね。反射的にメールをしてしまいました。
朝早くからそうしましたら、今日10時頃にご返信いただきましてよかったですね。本当にね、どういう感じなのか詳しいことは全然わかりませんが、里里先生の方とか大丈夫なんでしょうかね。
私はその二方ぐらいしかあまり存じ上げないんですが、笹窯坊さんとかもそうですものね、どうでしょうか。ご無事で何も被害がないことを心よりお祈りしております。
物件に何か被害があったりね、そういうことがございませんようにお祈りしております。
兵法の本質
武蔵を呼んでいくことをずっとサボっておりましたが、いよいよ膵の巻の後半、最後の部分に入ってまいります。
まず、この前は胸を刺すということ、勝つととつ、張り受けということ、多敵、多くの敵を一度に打ち倒す方法ですよね。そこまでいったと思いますね。
次、これ全部で36項目あるんですけれども、いよいよ34まできました。
打ち合いの理のこと、この打ち合いの理ということにて兵法、太刀にて勝つ理をわきまえることなり、細やかに書き記すにあらず、稽古ありて勝つところを知るべきものなり、大方兵法の誠の道を表す太刀なり。
で、最後に九伝って書いてあるんですよ。
最後のこの九伝っていうのは、この後、武蔵が弟子に九伝でいろいろ伝えたっていうことなんでしょうかね。そのメモなんでしょうかね。
打ち合いの理っていうふうに書かれてるんですね。
これが34番のことで、3の太刀、4の太刀、5の太刀、6の太刀のことをおっしゃってると思うんですね。
兵法、太刀にての勝つ理、利益の理をわきまえるところなり、細やかに書き記すにあらず、稽古ありて勝つところを知るべきものなり、稽古で打ち合いに負けてはいけないということなんでしょうかね。
負けた時点で命を落としますものね。そういうことなんでしょうかね。打ち合いの理のこと。
打ち合うことによって、こちらに利益がもたらされるよっていうことじゃないかしらと思ったりもするんですね。
何て言うんでしょう。
前が詰まって、両方が守って、刀が交差したまま、力が均衡してて動かないみたいな、そういう場面ってあるんですね。
切り結ぶって言うんですけどね。その切り結んだ状態の次の瞬間はもう勝負が決まっているよと。だから切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれっていう歌があるんですね。
打ち抜ける先に極楽があるのだと。打ち抜ける先に勝利があるのだっていう歌なんですけれどもね。
そういった一本に全部自分自身捨ててですね、捨て身で一本にかけていくっていう捨て身と、
それと、もう間合いが詰まって打ち合いになった時の、そこに利益が、利があるよっていうふうなことをおかけになっているんじゃないかなって思うんですね。
打っていつ行ったりしたらもうそこで終わりですもんね。いつ来たるを打てですから。
ですので、もう五の太刀六の太刀ぐらいまでは一瞬にして打てるように稽古しなさいっていうことじゃないかしらと私は解釈してるんですけれどもね。
一つの打ち
35番、一つの打ちということ。この一つの打ちという心を持って確かに勝つところを得ることなり、兵法よく混ざれば心得がたし、この技よく鍛錬すれば兵法心のままになって思うままに勝つ道なり、よくよく稽古すべし。
一つの打ちっていうところが、注釈がありますので、
63番、はいこれですね。さっき言った、捨て身で一本にかけるっていう打ちですね。
一つの打ちというふうに書いてますね、武蔵はね。
もうこの一つに心を持って確かに勝つところを得ることなり、一つの打ちという心を持って確かに勝つところを得ることなり、兵法をよく学ばざれば心得がたし、
この技をよく鍛錬すれば兵法心のままになって思うままに勝つ道なり、なんだかね、漠然としてますが非常に重要なことを言ってるんでしょうね、きっと。
もう一瞬で勝負が決まるのだから、その捨て身の一本というのに全力を傾けようということなんでしょうかね。
しかし、兵法をよく学ばざれば心得がたしってあるんですよね。兵法をよくよく学ばなければ、その捨て身の一本というのは打てないと。
その兵法というのは、武蔵で言えばこの五輪の書の中に書かれていることをよくよく学ばなければということなんでしょうね。兵法心のままになってって書いてあるんですよね。
兵法の心になりきってっていうのって、今の現代人の我々にはちょっと想像しにくい部分があるんですけれども、この何回も振り返して読んでいくうちに兵法心というのが分かってくるかも分からないですね。
分からないかも分かりませんが。だからその兵法を学ぶということと、日頃の稽古というのはどちらも必要で、どちらも全力を出さなければいけないということなんでしょうね。
最終の直結の直に通るという字ですね。直結の位ということ。直結というのはですね、瞬時に2.1流の語句意を体現するありようなんです。
直通の位ということ。直通の心、2.1流の誠の道を受けていうところなり、よくよく鍛錬してこの兵法を身をなすこと勧ようなり。また句伝って書いてあるんですね。
その直通の位というふうになったら免許改伝になるんでしょうかね。よくよく鍛錬してこの兵法を身をなすこと勧ようなり。
推の巻の後書き
で、その後ね、後記というふうに後書きが続くんです。推の巻の後書きですね。
右書き作るところ、一流の剣術、大方のこと、この巻に記し置くことなり。兵法、太刀を取って人に勝つところを覚ゆるは、まず五つの表を持って五方の構えを知り、太刀の道を覚えて相対柔らかになり。
心も気入れ、道の表紙を知り、己と立ち手さえて、身も足も心のままほどけたる時に従い、一人に勝ち、二人に勝ち、兵法の良し悪しを知るほどになり。
この一書、一つの書くって書いてますね。この一書の打ちを一箇条一箇条と稽古して、敵と戦い、次第次第に道の利を得て、絶えず心に懸け、急ぐ心なくして、折々手に触れ、徳を覚え、いずれの人とも打ち合い、その心を知って戦利の道も、
一足ずつ運ぶなり、ゆるゆるゆるゆると思い、この法を行うこと、武士の役なりと心得て、
今日は昨日の我に勝ち、明日は下手に勝ち、後には上手に勝つと思い、この書物のごとくにして、少しも脇の道へ心のゆかざるように思うべし。
たとえ、何ほどの敵に打ち勝ちても、習いに背くことにおいては、誠の道にあるべからず、この利、心に浮かみては、一心をもって数十人にも勝つ心の脇前あるべし。
しかる上は、剣術の智力にて、大部、一部の兵法をも得得すべし、千日の稽古を単とし、万日の稽古を連とす、よくよく吟味あるべきものなり、
しんめん 武蔵の神 春信 正法2年5月12日
寺尾孫の将 信政
しばた さんざいもん しょう さんざいもんの女 よしのり
明暦2年
これなんていう字なんでしょう。文構えに王様の王って書いてます。
4月10日 吉田忠財門真央面殿に対して書かれております。
すごいですね。この結びの一文ですよね。
ところどころに有名な動きが出てまいりますが、すごいですね。
この後期だけでもすごいですね。
すごいですわ。
炊の巻き、味わわせていただきましたが、
今年もね
くれようとしてますけれどもね。
よくよく吟味し、鍛錬あるのみということでございます。私に関しましては。
はい、では明日からは
蚊の巻き、火ですね。
蚊の巻きに入ります。 私これずっと火の巻きって言ってたんですが
蚊の巻きと書いてますね。でひらがなでくわと振りがなが打たれてます。
私が小さい頃祖母は
かきくけ子のことを
くわきくえこみたいな発音しておりましたね。
で、それが
私は間違ってるからかーだと訂正したんですが
私の名前にかーが一時入ってたんですね。
で、それの振りがなも
くーわーが正しいって言ってね。
祖母に言われたんですよ。
それで私は
保育所のお絵かきのね
お絵かきの画用紙の裏にね
必ず自分の名前の書ける子は自分の名前をひらがねで書きましょうっていうのがあったんですね。
それにね、かーの部分をくわっと書いて
先生に大笑いされたことがございましたが
やっぱり
昔の方の発音なんかも
現代人の我々と
少しずつ少しずつ変わってきてるんですね。
明治生まれと昭和生まれでもこれだけ違うんですからね。
では皆様午後からも頑張って
お仕事
とか
リフォームとか
執筆とか
まあ
そうですね。
お勤めの
方なんかでしたら
ちょっと
まあ
納得のいかないところはあるかもわかりませんが
とりあえず
お勤めの方はボーナスというすごいものをいただけるのですか
ボーナスのない方は
そもそもまあお勤めをするか
時間
時給ですよね
ご自身の時給ね
もったいないんじゃないかっていう風に
思いになった方がいいかもわからないですね
とか偉そうに言ってますが
私の時給を観察したら
すごいことになると思う
本当に
こんなね
低所得でね
よくね
文句も言わずにね
毎日ケラケラ笑ってられるわねみたいな感じでございますが
武蔵曰く
今日は昨日の我に勝ちですね
明日は下手に勝ち
後は上手に勝つ
ほんとですよね
まあ皆様
あまりご無理もせずに
でも
ね
自分が
自分が
自分が
自分に
昨日の我に勝ちましょう
人のことはどうでもいいじゃないですか
昨日の我に勝ちましょう
では皆様ごきげんよう