五輪の書の紹介
みなさま、こんにちは。
今日からね、武蔵の五輪の書を臨書している、巻物に臨書している文が全然進んでないので、ちょっと読み進めていきたいと思います。
5つの巻物になっているんですが、私は細川家の所蔵してます五輪の書の写しの巻物の方のレプリカを見ながら臨書しておりますが、書き方は非常に自由で柔らかい曲線で読みやすい字ですので、
完全に臨書するというよりも、自分の書体に少し変えて、私も自由に字の大きさも少し小さくして書いております。
地の巻、一番最初の部分なんですが、読んでみます。
序ってある文もあるんですが、この細川家の文は序とは書いてないですね。
小山に登り、天を拝し、観音を礼し、仏前に向かう。将国ハリマの武士、新面武蔵の神、藤原春信、年積りて六十。
これが最初の部分なんですが、
二天一流という名を合して、数年の鍛錬のことを初めて書物に表さんと思い、
時に還栄二十年、金月、成春の頃、九州秘後の地。
岩戸山に登り、天を拝し、観音を礼し、仏前に向かう。将国ハリマの武士、新面武蔵の神、藤原春信、年積りて六十。
六十歳にして初めて、自分の兵法に関する書物を書き始めるんですけれどもね。
武蔵の兵法の道
この神筆は残っていないと思うんですね、五輪の書。
しかし、大きな武士、武家の、細川家を人とする武家に写本が残っているんですね。
巻物であったり和時であったり、写本が残っておりますが、数年にわたりって書いてますが、多年にわたりのことだと思うんですけれども、
二転一流という、自分で名前をつけているのですけれども、初めてその神筆をするということでね。
我、若年の昔より兵法の道に心を懸け、十三にして初めて将防す。その相手、新東流有馬騎兵という兵法者に打ち勝つ。
十六にして田島の国明山という強力の兵法者に打ち勝ち、二十一歳にして都へ上がり、天下の兵法者に遭い、数度勝負を決すといえども勝利を得ざるということなし。
その後、国々諸々に至り、諸流の兵法者に行き合い、六十余たびまで勝負をすといえども、一度もその利を失わず、そのほど都市十三より二十八区までのことなり。
二十八歳、九歳ぐらいまで、日本諸国の腕に覚えのある方と勝負をするような運命になるのですが、一度も負けてはいないということですよね。
負けていれば命を落としてますのでね。
我三十を越え、後を思い見るに兵法を至極して勝つにはあらず。自らの道、貴をありて天竜を離れざるゆえか、又は他流の兵法不足なるところにや。
その後、尚も深き道理を得むと、長短赤練、朝に鍛えて夕に鍛錬するということですね。長短赤練してみれば、自ら兵法の道に遭うこと、我五十歳の頃なり。
それよりこの方は、尋ね入るべき道なくして後院を贈る。兵法の理に任せて諸芸諸能の道となせば、万事において我に支障なし。
今、この章を作るといえども、仏法、柔道の古号も枯らず、軍旗、軍法の古きことをも用いず、この一流の見立て、誠に誠の心を表すこと、天竜と完全の神として。
鏡として、10月10日の夜、虎の一点に筆をとって書き始めるものなり。旧暦の10月10日の夜に書き始めたということですね。
すごいですよね。師匠はいないというふうに断定しているんですよね。
この書物を書くにあたって、太竜とか昔の書物の引用などは一切用いずに、天道と天の道と完全音を鏡とし、
神と仏法を鏡として書き始めるというふうに書いています。
これが、このように今の時代にまで伝わり、武家の間で、しかも武家といっても、これだけ大切に、
木の箱に入れられ、まず巻物を紫の福佐で包み、霧の箱に入れ、またそれを塗りの箱に入れるという厳重な取り扱いということは、
これは、殿に対する武芸の教育に使われたと思うんですね。他の藩に絶対流れないようにしたと思うんですよね。
それほどやっぱり、武蔵は昔から天才として認められていたんでしょうね。
これを、このレプリカを手にするきっかけとなったのも、私、天道の先生方のおかげというか、引き合わせというか、不思議なんですよね。
これは絶対不思議すぎるよと夫に言われたんですけれどもね、またそれはおいおいお話しするとして、私はこれは裏打ちの必要のない巻物の紙に書いています。
結構安価なものなんですけれども、法書巻紙というもみじシリーズに書いているんです。
空の巻の謎
これを裏打ちしてもらおうとしたら、地の巻だけでも9メートルあったと思うんですよ。それを裏打ちしてもらって巻物に仕上げてもらうといったら、ものすごい費用になると思うんですよね。
ですので、これね、全部書き終えたらね、ちょっと巻物を作る勉強をして、そして自分でやってみようかしらとは思っているんですけれどもね、
これね、非常に渋い色で、地の巻のところは金紙を貼って地の巻って書いているんですけれどもね、
これね、私が練習して自分のものを作ろうとしたら、どうしてもね、きらびやかなものを作って、福佐もね、宗家なんかでね、したいですね。福佐。
ちょっとそれは武蔵のあれに反するでしょうかね、イメージに。
ねえ、武蔵に怒られそうですか。
これね、五輪ですので、五巻あるんですが、最初、最後ね、空の巻ですか、今地の巻言ってるでしょ。水の巻あるでしょ。
そんで最後が地の巻、水の巻、火の巻、空の巻ですよね。いや風の巻。地の巻、水の巻、火の巻、風の巻、空の巻、だんだん空に上がっていくんですよね。
というか、土地があって、それでそこに水が降ってきて溜まってきて、何日かの拍子で燃えて、風が起こって空に舞い上がるという感じですよね。
五輪の章の空の巻が非常に短いですね。これは途中で、武蔵が途中で亡くなったのではないかとか、いろいろ説はあるんですけれどもね。
武蔵が書き終えられなくて、弟子が書いたのではないかといろいろな説があるんですが、その絶対に途中で止まって完了していないという説は、戸間別地拍子の説ですね。
武蔵の古文書の専門家の天理大学の岩澤明教授によりますと、これはこれで完了しているという説を取っていらっしゃいました。
戸間別地拍子の方は、空の巻の続きを掛けという啓示があったとか言っていらっしゃいましたけどね。本当なんでしょうかね。
すごい刀をお持ちですのでね、戸間別地拍子。それをお手入れするときに抜いたんですって。
そうしたら、木先に光があって、武蔵らしき人が立って、空の巻を完成せよと言ったとおっしゃったんです。
それで慌てて、側近の弟子の方たちを何十人か呼んで、もっともっと詳しい状況を説明したんですって。
これどういうことなんだろうということでね。それを説明して、その刀を抜いて、武蔵らしき人に語られたという日を調べたら、
武蔵の旧暦の御明日だったらしいんですよ。それでざわつき始めちゃって、それは書くべきじゃないでしょうか、教授とか拍子とかいう話でね。
お書きになるということは、ラジオで聞いたんですよ。スポティファイに戸間別地拍子のコズミックレディというのがあるんですね。
それのシャープ11だったと思うんですけど、武蔵のことが語られているんですよ。びっくりしましたね。それをきっかけにして、私は臨床を飾ってあったんですが、これを臨床しようと思いました。
何をさておいても、五輪の章を臨床しようと思ったんですね。他の手をつけている部分も、紫式部に手をつけているんですけれども、それもしながら、五輪の章を最優先にしていかなければいけないなと思ったんですよね。
本当に思うのはいつでも思うんですけれどもね。そんな感じで、頑張って書いてみようと思っておりますので、皆様もどうぞご声援くださいませ。
皆様もこの際にしようと思うのは、やられたらいいと思いますね。一銭のお金にもならない。何の得にもならない。得にもならないと言ったらおかしいですけどね。でもやりたいという部分ですよね。
例えばね、書道を書きたい。でもそれの目的というのは、子供に教えて、授業料が欲しいからとか、1ミリもそれが入っていないものを必ず何個かやれというのは、
それもトマベチ博士が言ってらっしゃったんですよね。ちょっとやりたいと思いますので、長いお付き合いになると思いますが、どうぞお付き合いくださいませ。ではごきげんよう。