普段は教育系のプロジェクトマネージャーとして、企業さんだったり、教育委員会さんとか自治体と連携して、
子どもたちに本物の体験機会を届けるということを日々試行錯誤していたり、
その傍ら、私は認知特性の偏りがあるといいますか、人の話を絵や文字で書いて理解するタイプでして、
小さな会議からいわゆる世界カンファレンスというところまでで、人の話を聞いて絵や文字で表すということを仕事としてやったりしています。
はい。
ありがとうございます。なんかこうやってお話が上がってると、ライリーさんと初めて話したのいつかなみたいなことを今聞きながら思い返してたんですけど、
最初って多分2020年とかですかね。
そうですね。2020年頃にプロジェクトミントの第一期生として参加させてもらったときがきっかけでしたね。
そうだそうだ。そのときにライリーさんがそこに参加されて、僕がコーチ側として参加させてもらっていて、
それこそ僕もこのプロジェクトの中で初めて役割をコーチとしてもらったときに、最初に担当させてもらったのがライリーさんだったというところで、もう5年ぐらいになるんですね。
わあ、全部ですね。
そうですよね。多分あれですよね、一緒に話したときは基本全部オンラインで話していて、最後の方に1回インパクトデイとかでお会いするタイミングがあったのかな。
そうでしたそうでした。インパクトデイと、あと1回京都にお邪魔して。
あー、そうでしたね。
はいはいはいはいはいはい。
そうでしたそうでした。京都に1回何か来てくださったときにちょっと駅地下でおしゃべりをしたりとかした記憶がありますね、確かに。
そうでした。
あー、そうでした。懐かしいってのと、あとあれか、直近で言うと、直近でもないけど、去年、去年じゃない、一昨年か。
去年、僕が今妻との結婚式が去年あったんですけど、そのときに掲示する、何でしょう、これまでの10年、これからの10年みたいな妻と僕の、何て言うんですかね、話というのかな。
とある篠輪さんっていう僕の同僚に聞いてもらっているのを、それをライリーさんに絵で描いてもらって、それを結婚式で掲示するみたいなことをさせてもらって、それを一緒にやらせてもらったというところで。
あの絵もですね、今家に飾っておりまして、改めてありがとうございます。
いやー、素敵な機会でした。
デュアルライフキャリアカップルでしたっけ、ごめんなさい、名前忘れちゃった。
あー、そうそうそうそう、デュアルキャリア、そうそうそう、そういう本。
はい、その本のもとに対話をして。
あー、そうでした、そうでした。
いやいや、ありがとうございました。
あれあの、その後もですね、家に飾っていて時折目に入り、あーなんかこの時こんなことを言ってたな、僕みたいな、ちょっと思い返したりとかしておりますね。
いやー、ぜひまた定点観測していけたらいいです。
ぜひぜひ、そうなんです。結構あれ、親族みなさんからかなり好評でして、こんな可愛く描いてくれてるの、みたいな感じで、結構ね、今もあのボードにあんな話書いてあったじゃない、みたいなことを親族の方に言われることがあって。
本当にライリーさんがああいう風に描いてくれたからだなという風に思っておりまして、改めてありがとうございます。
いやー、妙利に尽きます、本当に。ありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあちょっとライリーさんに、徐々に徐々に話し進めていけたらな、みたいなことを思っているんですけど、僕自身もライリーさんとそんなになんか最近めっちゃガッツリ話したっていうのもあんまなくて、最近ライリーさんがどんなことしてるのかみたいなことがなんとなくSNSでやってるみたいなことを見ていたりするところはあるんですけど、
さっき聞かせてもらった教育系プロジェクトマネージャー兼日系ビジュアルファシリテーターってところが、多分リスナーの方からすると、え、なんだろう、みたいなところもあったりするんじゃないかな、みたいなことを思っていまして、今結構一番時間使ってるの、その役割として、どんなことやってるの、みたいなところをもうちょっと聞けると嬉しいな、みたいなことを思ったりしたんですけど、なんか最近だとどういう場があったりするんですか、言える範囲でもちろん。
そうですね、最近特に結構心、パッション込めてやっているプロジェクトは、まさに北梅さんがきっかけなんですけれども、北梅さんのご縁をいただいたというか、どこから話せばいいんだろうな、まさにそうですね、
そう、プロジェクトミントの第一期生のチーム名を決めるっていうときに、ちょっと話がだいぶ遡るんですけど、きっかけの話をすると、
なんかそのときにアイディアを出すときに、言葉で出していたり、メモを取ったりしている人がいる中で、私がどう貢献できるかなって思ったときに、なんか二つの道が見えて、何気なくやり過ごす、そのアイディアの出す場を、もしくは自分の認知特性を使って出てきた言葉、すごい大事な言葉がいっぱい出てきたから、
それが宙に浮かばないように、絵と文字で表していくみたいな、その二択が自分の道として選ぶ選択として立ち現れたときに、いつもと違う方を選んでみようと思って、いつも普段自分のためだけに使っていた、そのビジュアライズをチームのディスカッションのために使うということをやってみたんですね。
そしたら、その絵や文字の中にビヨンドという言葉が立ち現れてきて、
ビヨンドだったわ、そうでした。
そうそう、一期生のチーム名がビヨンドだったんですね。
そう、だから、これは自分のためだけじゃなくて、誰かのためにもなるかもしれないみたいなことを、多分おそらく北宗さんとミントンのときに、コーチングセッションと言いますか、週に1回オンラインで話してたときに北宗さんが、ライリさんもしかしたらこれ興味あるかもしれないって教えてくれた本が、ケルビーバードさん作のバカアラミラを描き出すっていう本。
その本がきっかけで、私のビジュアライズの探求がより一層深まったと言いますか、それで今まさに日英のビジュアルファシリテーターの仕事のお土田というか、この本はまさに私のバイブルなんですけれども。
なるほど。
で、話が長くなりました。それが背景としてあって、この本の中国語訳を訳した台湾の方と、昨年1週間東京で世界カンファレンスのビジュアライズのお仕事でご一緒する機会がありまして、
彼女のすごい、技術はもちろんなんですけど、彼女のプレゼンスというかあり方みたいなものにすごい心をつかまれまして、これは、私が日本人そのとき一人私しかいなかった、私だけだったので、
はいはいはいはい。
もっと日本のいろんな人に知ってほしいって思って、そこからオンラインのプロトタイプをやったりとかして、今何をしてるのっていうところで言うと、その8月の2日3日に会面でその方をお招きして、
そこでビジュアライズのリーダーシップの探求みたいなものを東京でやるっていうのに向けて、今結構心も時間も結構使ってるっていうのが最近ですかね。
なるほど、そうなんですね。来月ちょうど1ヶ月弱後ぐらいなんですね。
はい、そうなんです。
そっか、いやなんか今のキーセッション思い出しました。ビヨンドってなんかビヨンドなんだってことをすごく思った記憶があるのと、そうですよね、なんかそうライリーさんがと話してどこのタイミングでなんかシェアしたのかもわかんないし、なんで僕がその本をどこで出会ったというか見たのかも何も覚えてないんですけど。
ただそうですよね、なんかその本はライリーさん好きかなーってなんか思って、ふと思いつきで行ってみたみたいなことをすごくその日のことをなんとなく覚えてる気がしましたね。
いやー本当にあの本に出会わせてもらったおかげで、今いろんな道が開けてるなぁと思って、本当に感謝です。
いやー、そう言っていただくとね、なんか僕が好きかつ自分で、自分の趣味のためだけに本を読んでることも何か誰かの役に立つんだなみたいなことをちょっと思いまして、むしろ逆にありがとうございますという気持ちになりました。
わかります。
ありがとうございます。ちなみに、さっき話し聞いてる中で聞いてみたくなっちゃったなーみたいなことを思ったものがいくつかあったんですけど、
あのほら、台湾の方と去年一緒にっていうふうな話されてたじゃないですか、その彼女のプレゼンスに心をつかまれたっていうふうにおっしゃったと思うんですけど、
なんかそれってもうちょっと聞いてみたくなったのが、いやそれライリーさんが心つかまれたのってどういうことだったの?みたいなことを思いつき聞いてみたくなっちゃったんですけど、そこでなんか聞いてもいいですか?
もちろんです。そうですね、何だろうな、彼女の一挙一動と言いますか、すごい1週間かなり世界カンファレンスなので結構スケジュールもタイトだったり予定が急遽変更になったりとか、カオス度が高い中でも彼女はすごいそこにずっといる。
何て言えばいいのか。そこにずっといる。はいはいはい。
すごいそこにただ応じる、なんか反応することなくただずっとそこにいて、かつ自分だけのことじゃなくて他のチームの人たちのことをケアし合ったりとか、私が初めて日本の日本人がそのチームに入った初めての人だったので。
ずっと継続的にやるやつなんですね、それ。
そうなんです。それで私が入ったことによって、なんか何だろう、少し私が輪の外になっていたら龍本こっちおいで、みたいな感じ声かけてくれたりとか、
はいはいはい。
そういうすごい周りを見ているっていうところと、あとそれもですし、環境あるクリエイティビティというか、
へー。
なんかこう、何て言うんですかね、すごい日にちがタイトな中で、どんどん製作物を作らないといけないときに、
なんか、なんていうのかな、人前で話すとか、
そういうのはもちろんすごい緊張している様子もすごい見せるし、
すごい人間らしい、そう。
だけど、そう自分の与えられた使命に関しては、
本当にこう勇気を持ってこう一歩、いつもこう一歩踏み出し続けてる、
その彼女の姿勢にすごい、なんだろう、勇気をもらってますね。
へー、面白い。
なんかその方の話聞いてちょっと聞きたくなっちゃったのが、まさにもしかしたら、
ケルビーワードさんのバカラミライを描き出すっていう本が、
読みかけの一冊だったりするのかな、みたいなことを思いながら聞いていたんですけど、
なんかその本についてもうちょっと聞いてみたくなっちゃったのが、
ライリーさんにその本を、僕がこれどう?みたいなことを言った時、
比較的僕は本当に直感的に何かそれを言っただけで、
ライリーさんと絶対いいっていう確信が別にさして何もなかったような気がしてて、
ただライリーさんがすごくその後テンション上がって、その次の週とかにすごい良かった、みたいな言ってくれたのを、
すごくそのライリーさんの表情をなんとなく覚えてるんですけど。
最初に見た時って、ライリーさんはその本のことをどんな風に受け止めていたんですか?
っていうのをなんか、今聞かれるとどんなことを思ったりするんですか?
そうですね。なんかあの、この当時は、なんだろうな、そう思った感覚としては、
よく世間ではこう、いわゆる技術的なグラフィックレコーディングとか、
なんかそういう、技術的な本がたくさん巷にあふれていて、オンラインの講座とかもいっぱいある中で、
なんか若干こう、大衆化みたいなことを感じていたんですよね。
このビジュアル。グラフィックレコーディングが大衆化してる感じ?
ああ、なるほど。はいはい。
なんかそれに、それをなんか違うような気がするよな、みたいな若干こう、違和感を持っていて、
そんな中でこの本に出会った時に、この本は、この本はなんていうのかな、一回読んでわかるというものでもなく、
これを読めば、スクライビングができるとかそういうわけでもなく、
なんかこう、なんていうのかな、すごい深い、なんていうのか、お守り、私にとってお守りというか、
なんかこう、ふと折りに見ては、なんかこう、力をもらえるような本なんですね。
へー、そうなんだ。
そう、まさかこういう本が世の中に、そのビジュアライズの観点で、こういう、ビジュアライズの観点というか、
ビジュアライズの、そういう、なんか一つのこのツールを通じて、こういった本がある、存在するっていうことを全く私は知らなくて、
これは、なんだろう、なんていうのか、私にとって、私、合気道を小学校か大学1年生ぐらいまでやってたんですけど、
なんかそれぐらいの、こう、答えのなさ、なんか終わりのない道みたいなものをすごい感じて、
これは探求しなければならないってふうに思ったのが、最初の印象ですかね。
なるほど、なるほど。いやー、なんか面白いですね。確かにそっか、合気道されてましたね。そうでしたね。
はい。
ちなみに、なんか、もしかしたら、これ聞いていらっしゃる方の中で、改めて、スクライビングって何?みたいなのを見らっしゃるような気がしてて、
スクライビングって、なんか、どんな定義というか、どういうものとして、なんか、なんていうんですか、説明できるものなんですかね。
そうですよね、はい。失礼しました。聞いている方には、だんだんのことや、みたいな。
スクライビングは、この本の1ページ目開いたところに書いてあるのが、
人々が対話をしている間に、発言者の話の内容や考えを視覚的に表すこと、というふうに書いてありますね。
あー、なるほど、なるほど。なるほどね。
はい。
はいはい。
まあ、そうかそうか。
それこそ、あれですね。もしかしたら、そういうワークショップとか、研修みたいな場に慣れ親しんでいる方からすると、ああいうやつか、みたいな方もいらっしゃるかもしれないし、
もし、なんか、そういうところが何だろうなって思われる方いらっしゃるかもなと思うので、そういう方はぜひ、なんか、
スクライビングとかで検索いただくと、いろんな絵がたくさん出てくるんじゃないかなというふうに思うんですけど、
なんか確かにそうですよね。人々が対話をしている間に、その考えを視覚的に表すって、今表現してくれてましたけれども、
確かになんか、それによって何が起きるのかみたいな話を、なんかちょっと軽く、僕の体験を、なんかちょっと一瞬話そうかなって思ったんですけど、
それこそライリーさんに書いてもらった、僕の結婚式の時に、結婚式会場に置いた大きいボードにライリーさんにいろいろ書いてもらっていたんですけど、
それって何かって、さっきちょっと軽くだけ話したけど、妻と僕の中で、これまでどういうふうな人生がそれぞれ歩んできていて、
これからどういうふうな人生にお互い一緒に、より一緒になることによって何が起きるのかみたいなこととかで、それぞれ何を感じていたり、今何を大切にしてるんだっけってのを、
なんかそのタイミングで言葉にしておきたいねみたいな話をしてたんですよね。それはそのタイミングだけじゃなくて定点的になったらいいなっていう話は前提であるような気はするんですけど、
今のタイミングどうなんだっけってのを、この結婚式に来てくれている人に見てもらうことによって、この子たちはこんな風になっていきたいと思っているのねとか、こういうふうなことを大事にしていきたいと思っているんだなぁみたいなものを感じてもらえると、
結婚というものが何を表そうとしているのかみたいなことを結構皆さんにも知ってもらえるし、僕たちが何か困ったり止まったりしたときとかに、こういうふうなことを大切にしてるんだったら、こういうふうな関わりができたらいいなというふうに助けてくれたりするかなみたいなことをちょっと思ったりもしてまして、
そんな感じで、それを僕の会社の同僚、同僚というか経営者に話を間に入って聞いてもらいつつ、ただやっぱその内容を文字で表現するだけだと、やっぱなんかわかりづらかったり、僕たちも感覚的に認識できなかったりとか、思考的に理解するようになっちゃう、文字にすると。
より一層その結婚式に参加してる皆さんからすると、文字読むのも結構大変だったり、それから、それがなんかやっぱり絵になって、何かすごくわかりやすい形で感覚的に入ってくるようになったら、もっとなんかみんなに伝わりやすそうでいいなーみたいな、思ってるときに、ライリーさんがいるみたいな感じで、ライリーさんに連絡させてもらって書いていただいたっていうところでありましたと。
やっぱああいうのがあったから、そのご親族と話してる間にも、あのボードライブとか会社じゃんって言ってくれる人いたりするんですよ。いるし、僕たち夫婦も、なんか家でそれがとある部屋に飾ってあるんですけど、それを時々見ながら、ちょっと目に入って、ちょっとなんか一瞬考えるみたいな機会になったりとか、ああいうのなんか、一年に1回はちょっとわかんないけど、時々やりたいよねーみたいな話とかしたりするので、
なんかそういうふうな効果、意味みたいなものを、なんか与えてくれてるなーってすごく思っていました。なんかそういうものは、あくまでの僕の目線ですけど、スクライビングおよびライリーさんがしてくれたことの意味、効果みたいなものとしてあったなーみたいなことをちょっと思い返してみましたね。
いやー、ありがとうございます。なんか嬉しいです。なんていうのかな、作ったもの自体に私は、なんかそれほどの意味というものを私は感じていなくて、ちょっとそれ語弊があるかもしれないんですけど、なんかその絵を媒介にその人がまた話を続き始めたり、話をし始めたりとか、
なんかそれをもとにまた誰かと新しい話が生まれたりとか、なんかそういう、なんて言うんですか、そういう媒介物と言いましょうか、なんかそういうものになったらいいなーと思って、あの普段私がビジュアライズする理由としても、こう変化になろうとしている人たちの背景とかその思いとかってすごいたくさん詰まってるけれども、
なかなかそれは人に伝えるときに伝わらないというときに、視覚言語っていうのは人間の脳は8割9割以上が視覚で脳が処理をするようにすごいパワフルなツールだと思うんですね。
なので、そういった変化になろうとする人たちの大事な言葉とか思いとかを、私のレンズを通してではあるんですけど、残していくことでその人がよりその変化になることの力に少しでも貢献できたらなというふうに思ってやっているので、
キタムさんたちのパートナーシップのあり方がこれからも含まれていく中において少しでも貢献できたらなと思ってやっていたので、本当に嬉しいです。ありがとうございます。
ありがとうございます。今それを聞いてから思い出しました。そのボードの中でとてもよく覚えているものの一つで、僕が結構家のいろんなところに本を置くっていう話を妻にされ、それがなんかちょっと嫌だみたいな話をされて、それをなんで置くんだろうみたいな。
その時にその場の話として結論がついたのが、僕はいろんなところに本を置くことによってマーキングしてるんじゃないかみたいな。犬が散歩しながらおしっこするような感じで。いろんな場所に自分という痕跡を残そうとしてるんじゃないかみたいな話にその場でいたり、結構僕が思ってもなかったことだったので、すごい衝撃を受け、そうなのかなって思って、自分に対して不安になったみたいなこともちょっと今思い出しました。
そういう大事な話って、言葉だけだと宙に浮いちゃうからこそ、悔いうっておくというか、一つのお札と言いますか、残しておくことで、こうやって次の話が生まれたらいいなという、次の変化の種になればいいなというふうに思って。
さっきおっしゃっていた、この本を一回読んでわかるというものではなくっていうふうな表現されてたと思うんです。
それこそライリーさんは折に見て、その本を見て力をもらっているっていうふうな話をされておりましたけど、ライリーさんはあの本をどういうタイミングで見ているんですか。
そうですね、なんかこう、本当に大事な現場のちょっと数日前とか。
へー、そうなんだ。
なんだろうね、パラパラ折りに、本当にパラパラって見て、目に止まったところをじっと見てみるみたいな。
はいはいはい。
そんな感じかもしれないです。
それはなんか、その大事な現場の数日前にパラパラ見ることによって、ライリーさんはどんなものを受け取っているんですか、受け取ろうとしているんですか。
そうですね、なんかこう、どうしても大事な現場の前って、いろんなものをインプットしなきゃとか、こうしなきゃとか、結構プレッシャーがかかっているときに改めて大事な原点に戻るというか、
なんで今この仕事をしているのか、みたいなところを思い出す。
自分が生き物としての力を思い出させてもらえる、その一つのツールとして、この本はすごい力になってくれてる感じがします。
めっちゃ面白いですね。自分の生き物としての力を思い出させてもらえる本っていう。
なるほど。そっか、そういうものなんですね。
そのさっき話の後に、ほら、合気道の話と通ずるって言ってくれたじゃないですか。
終わりのない道だということを感じているっていう表現をしてくれたのかな。
なんかちょっとライリーさんにとっての合気道をすごく聞いてみたくなっちゃったんですけど、合気道自体はどういうタイミングからやってたんですか。
そうですね、合気道はたまたま地元の実家の近く、自転車で行ける範囲で道場があって、
私が一人っ子だったのもあって、親が自分の身は自分で守りなさいっていうことで。
そういう感じか。
それでまず一旦道場に連れてかれて、私も何か習い事はもうちょっと増やしたいなって思っていたタイミングもあり、
それで双方のニーズが一致して、合気道の稽古が始まったんですけど、
なんかすごい、なんだろうな、
一人っ子だったり、本当に田舎だったので、なかなか社会と繋がる機会が少なかったので、
道場に行けばいろんな年齢の人だったり、いろんな国の人だったりと一緒に稽古できるし、
あと正解がないというか、この稽古の中では自分の理解を超えるものがある。
世の中には自分の想像、目に見えないものとか、自分の理解を超えるものがあるんだなっていうのを体感覚を通じて教えてもらったような気がしています。
理解を超えるってどういうことを理解を超えるものだと認識されたんですか?
型が合気道ってあるんですけど、その型通りやれば必ず毎回うまくいく、全くそういうわけではなくて、
その人の、一緒に稽古する相手によって、これでバッチリと思ったら全然違う、本当に終わりのないもので、
あと道場長とかだと、本当にもう偶の寝も寝ないというか、なんていうんですかね、
もう到底かなわないというか、言葉では説明できない、出てる空気というか、
そういうもの、目に見えないでも感じてる、このすごい力みたいなものは感じてましたかね。
今それを聞いて思い出すのが、合気道と同じじゃ全然ないと思うんですけど、
もしかしたら道という意味合いでは共通してるかもしれませんが、僕、茶道を昔すごいやってた時期があって、
その時も、なんていうんですか、目に見えないものとか、言葉では説明できないものっていうのに、
たくさん向き合ったとか、出会ってきたらみたいな気がするんですよ。
例えば茶道とかで言うたらば、わかりやすいなんだろうな、例えばほら畳の縁を踏んではいけないみたいな話とか、
器を扱う、持つとき、手に持つときはこういうふうに持つのであるみたいな話とかって、
いろんなお作法があったりするわけですけど、器なんでこう持ってるんですかみたいな話とかすると、
そこらへんいいからやりなさいみたいな、そういう理由はあるの?ないの?みたいな感じのことって、
すごい茶道という世界の拡散があったなって思って、すごいそれに対して怪異的だった時期もあったりしたような気もするけど、
意外となんか続けていってみると、これってこういう意味なのかなってちょっとふと思う瞬間があったりとか、
説明するとかじゃないってことなのかな、なんなのかな、でもそうしないとわかりづらいけどな、みたいなことを思ったり、
みたいなことと、なんか昔あったなーみたいなことを、今の合気道の話を聞きながらすごく思ってたんですけど、
ライリーさんはそういう世界に入りながら、ある意味そういう言葉で説明できない柏みたいなものとか、
そういうものとかっていうのは、どんなふうに捉えていく変遷があったんですか?
なんかそうですね、なんていうのかな、頭で理解しようとすると全くうまくいかないっていうことをすごい稽古の中で教えてもらって、
なんていうのかな、もうわからないもの、よくわからないものに対して、
頭で理解すること手放し、そのわからなさのままそこに居続けるみたいな、
そこでひたすら稽古し続ける、その弾力みたいなものは、すごい合気道の中でいろんな人に教えてもらったなーっていう気がしています。