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2025-07-14 34:17

#53 『深夜特急』ーー旅を重ねて、私は“わからないまま”でいたくなった。そして行き着いた唐辛子の世界 | ゲスト・滋賀の伝統野菜を使った唐辛子屋さん 株式会社fm craic代表 / 釘田和加子さん 【読書のまにまに】

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前回に引き続き、滋賀で伝統野菜を使った唐辛子屋さんを営む釘田和加子さんをお迎えして、人生と“読みかけ本”について語り合います。
 
【今回のゲスト】

JICAインド事務所勤務後、滋賀県にUターン。予てからご縁のあった株式会社fm craicの元代表より事業承継の打診を受け、創業者の「想い」を絶やさぬよう伝統野菜の「弥平とうがらし」事業を承継。経営の難しさと奥深さに日々触れています。
インドとの出会いは中学時代。そこからインドへの興味が失われることはなく、新たにインドのことを知ることが喜びです。「自分の中のインドを深める」ことをライフワークとしつつ、それをどのように自分の人生で表現していくかということを考えています。

Instagram : https://www.instagram.com/fmcraic?igsh=aGNiNW80NG1ydTZ1
 
【登場した本】
『深夜特急』沢木 耕太郎

サマリー

このエピソードでは、釘田和加子さんがインド旅行の体験について語り、特に女性の一人旅の困難さやインドの文化について深く掘り下げています。また、彼女のJICAでの活動やインドでのプロジェクトの進行状況にも触れています。このエピソードでは、釘田和加子さんが滋賀の伝統野菜とスパイスを通じて、インドへの思いやその繋がりについて語ります。また、深夜特急との関係や、その影響を受けた旅のスタイルについても触れています。今回のエピソードでは、滋賀の伝統野菜に焦点を当て、スパイス屋さんの釘田和加子さんが自身の経験やエッセンスを話します。また、自分を知ることの重要性についての問いを通じて、リスナーに考えさせる内容が展開されます。

インド旅行の女性一人旅の困難
何て言うんですか、今でこそ確かにだんだんと発展してきてる部分もあるとは思うんですけど、
とはいえなんか今でも何て言うんですか、バックパックする人の中でもインドに行く人って、なんか若干インド行くんだね、みたいな感じ。
ありますよね。
あるんじゃないかな、みたいな気がしてて、なんかちょっと何て言うんですか、僕結構東南アジアとかは結構よく行ってたんですけど、一人でバックパックとかで。
ベトナムにバックパックで行くよ、みたいなニュアンスとインドに行くよ、みたいなニュアンスとインドに行くって若干、若干違いがある気がしてて。
ありますね、なんかね。
何なのか分かんないんですけど、なんかあるような気がしてて、今日なんか行かれたタイミングとかでも、何て言うんですか、例えば僕が大学生の時とかもインドに行く、
男性、男友達もいたし、またまた女友達も一人でインドに行くわ、みたいな人もいたら、
ただ、そういう女友達のことを思い返して、大体親に反対されたりとかしてたりとか。
そうですよね。
してるよな、そうだね、みたいなことを思いながら、ひいひいな記憶があったりするんですけど、
なんかそういうどうなっちゃうんだろう、みたいなものとかって、杭田さんが行かれる前と行った後って、どんなふうに思ってたんですか。
ですね、確かになんかまあ、今思うと、やっぱその若い女性が一人で行ってっていうのは、まあ今思うと結構いろいろな目には合ってたなと思います。
なんか若干のその、時間的なことはすごい多かったですし、
外国人の女性に対してっていうのが裏腹なんですけど、なんかこう、インドの人じゃなければ、説明が難しいな、
なんかこう、自分たちのこう、コミュニティとか、まあ言ったらカーストとかある中で、
正直その低いカーストみたいな人って、やっぱり軽く扱われるところがあるので、
なんか外国人でそのカースト外なので、
すごい扱いが難しくって、何をしてもいいって思う人もいるし、
一方でなんかこう、なんていうのかな、手を出したら、なんていうか、まずいみたいなところもあって、
なるほど、はいはい。
すごい説明が難しいんですけど、
ああ、そう、階層に紐づくのか、なるほど。
そうですね、だからなんか、服装とかもすごい気を使って、
当時はわかんなかったんですけど、
例えばすごいボロボロの格好をしている外国人だったら、
正直こう、何をしても大丈夫だろうって思われてしまったり、
逆にこう、外国人です、私、あなたたちと違います、みたいな高級なものとか身につけてたら、
この人には手を出してはいけないと、なんか偉いことになるみたいな見られ方をするみたいなのがあって、
私、何を話そうとしてたのかなって。
質問が何でしたけど、変わったこと。
どうなっちゃうんだろうみたいなものとかって、フリーズさんはどんなふうに思って、どんなふうに捉えて生きてたのかなと思って。
そうですね、最初はなんかそういう、そういうことが多分わかってなかったので、
なんかいろいろこう、女性だから結構大変だったようなことはあったなと思いますね。
インドにおける文化の理解
なるほどな。
なんか今の人たちってすごく思い出すのが何でしょう。
僕なんかよくわかんないけど、そこの階層というかの話、話というか単語だけはやたらと世界史の中で覚えたのが、
確かにそうですよね。
バラのサトリーナ会社シュドラじゃないですか。
そうですね。
なんでそれ覚えてるんだろうみたいなことを聞きながらすごく思ったんですけど、
確かに外国人はそうですよね。そこの階層の範囲外だときにどう考えられるかって。
確かにあんまり認識しそうになかったけど、そこはいろんな認識のばらつきが生まれるんですね。
そうなんです、そうなんです。
あとは誰と仲良くするかで、上の階級の人と仲良くしてたら、あの人はそういう人なんだなって思われるし、
下の人と仲良くしてたら、あの人はそうだなって思われるし、みたいな感じで。
こっちの意思とは別に、この人はこうっていう、勝手に決められるみたいな。
誰と付き合うかによっていろいろ違ってくるっていう感じですね。
それも徐々に分かっていった感じでしたけど。
なるほど、なるほど。
そんなことを今教えていただきましたけれども、
さっきおっしゃっていた病気になって熱になされて、
まずその部屋にいいのにどこの人が入ってきてまずいみたいな話を先してくれたじゃないですか。
そこのシーンを覚えてるよって。
そこを一番覚えていて、他を覚えていないということがクリアされたっていうのは、どんなふうに捉えることなんですか。
どうなんでしょうね、確かに。
なんでそこがそんなに印象深かったのか。
そういう、私、お部屋にいきなり人が入ってたことはあったのかな。
さすがにそこまではなかったのかな。
そうだな、結構それに近いような経験あるのかな。
今はないというか、インドに長く関わってて、
だんだん楽になっていくのが、やっぱりちょっと年が上がるごとに尊重されていくというか、
インドも年がいくほどマダムって呼ばれたり、なんかそういうふうになっていく文化なので、
若い時は多分結構いろんなことに、いろんな目にあったなっていうのを今ちょっと話しながら思い出してるんですけど。
そうですね、だからそうか、そういう現地の人と触れ合って、
この人がどういう動きをするかわかんないみたいなことは、
最初の旅とか、大学半年休んで行った時とかは結構実は気を張っていたのかなと今思い出してるんですけど。
そうですね、旅の仕方も全然今とは違ったし、
バックパックとかで行くとある意味やっぱちょっと騙されたりとか、
っていうこともあったから、
そうですね、だからそのシーンに紐づいてるのかな、そこの印象が大きかったのかな。
なるほどな、最初は何かそういう何でしょう、いろんなこと、いろんな目にあったっていうのもおっしゃってたけど、
やっぱある程度長く関わっていらっしゃると、最後はそういうのあんまりなかったんですよね。
そうですね、半年行った後とかちょこちょこインド行って、後に4年くらいインドで働くことになるんですけど、
その時になるとどういうのかな、言ったら日本の組織に勤めてるっていう感じなので、
なんていうんですかね、丸腰じゃないというか、なんて言ったらいいんだろうな、
ただの若い女の子が一人でポンと着てるというよりは、
なんというかこう日本の組織に勤めてる人です、みたいな風になると、
変な目には合いづらいというか、さっきの見た目でカテゴライズされるのと一緒で、
なんかこの人にはこういう振る舞いをしないといけないんだけど、
見た目でカテゴライズされるのと一緒で、
なんかこの人にはこういう振る舞いをしないといけないんだろうな、みたいなことがひっついてくるんで、
なんかそうめちゃくちゃ変な目に合うとか、すごい騙されるみたいなのはなくて、
なんかその時は多分自分もどうしたらそういう風に軽く扱われないかみたいなのをすごい身につけてたなって思いますね。
なるほどなるほど。
なんかそれがないと逆に軽んじられて、変な目に合うみたいなことはすごいそこは考えてたなーって感じですね。
なるほどなるほど、そうかそうか。
ちなみにインドで働かれて4年間は主にどんなことに携わられていたんですか?
はい、組織としてはJICAという組織にいたんですけど、
そこで草の根のプロジェクトの担当みたいなことをしていて、
日本のNGOさんがインドで事業をする時にJICAから資金をつけてやってもらってたんですけど、
そのプロジェクトを進捗管理とかするポジションにいたので、
日本のNGOさんはインドのNGOさんとパートナーシップを組んでそのプロジェクトをするっていう立て付けだったので、
日本の担当の方が現地に行かれるときに一緒に現場に行ってフィールドに行って、
いろいろ聞き取り調査したりとかそういうことをやってましたね。
そういうことをやってたんだ、なるほど。
あとはインドのNGOの情報とかも日本の方に提供とかしてたので、
月に何回かインドのNGOを訪問して、それをニュースレターにして発信とかしてましたね。
それは日本の人向けにってことですね。
そうですね。
そういうことされたんだ。
そうなんです。
そういうのを聞いてみると、さっきの話に立ち返りたくなってきて思ったんですけど、
この深夜特急の本を読みかけであるとおっしゃってたじゃないですか。
それはさっきおっしゃってたのを思い返すと、最後まで行ってしまうのはその話が終わってしまうのが寂しいなって思って、
10年以上放置していくっていうふうにおっしゃってましたけど、
JICAでの活動
さっきの印象的な覚えているシーンだけを聞くと、すごく楽しいような読書だったり、
なんて言うんですか、嬉しい読書というよりかは、印象残っている部分だけで言うと、
自分のそわそわハラハラしているみたいなところにつながってらっしゃるのかなって思ったんですけど、
そこのドキドキハラハラみたいな話と、終わっちゃうのやだなみたいなところが、
漢字話としてちょっとずれている感を個人的に感じていて、
そこがどういうふうにPSPさんの中でつながっているのか、すごく興味があるなと思った。
確かにそうですね。深夜特急自体が本当にアジアから始まってヨーロッパで終わるんですけど、
やっぱり冒頭の方がインドとかだったので、そこにすごい入りがテンション高く、
こういう感じだなみたいなのが共感するところがあったんですけど、
たぶん深夜特急に関しては、旅のテンションも落ち着いていくんですよね、きっと確か。
沢木さんも最初は熱狂して入るんですけど、たぶん旅が長くなるにつれて、
どこで旅を終わらせようかみたいな話になっていくと思うんですけど、
それもあって、たぶん自分も冒頭の方の熱狂のままでいたいのかもしれないですね。
なるほど。
今おっしゃってたところ、どこで旅を終わらせようかってなかなか難しい問いですね。
そうですよね、そうなんですよ。
もう一つの天路の旅人っていう、去年か一昨年出た本の方でいうと、
私はスパイで行かれて、インドあたりで捕まって見つかるみたいなタイミングで読むのをストップしちゃって、
それは終わるところまで一旦見届けた感じなんですけど、
それは終わるところまで結構熱狂して読めましたね、旅の話が。
なるほど。
仮に深夜特急で読み終えているわけじゃないわけですけど、
それは仮に終わった時にどんなことを感じそうなんですか?
どうなんでしょうね。
今思うのは、やっぱり自分の関心がインドとかだったので、
なんか結構すんなり読めるかもしれないですね。
なるほどね、こうやって終わるんだっていうのは、
意外とスラッと入ってくるかもしれないですね。
わかんないですけど、終わりを知らないから、
なんかがどんな終わり方があるのか知ってるのか知らないので、
なんかまた思うところがあるのかもしれないですけど。
さっきのほら、あの本だと熱狂、旅の始まりで熱狂していたっていうところが、
途中から落ち着いていくっていう話をしてたじゃないですか。
なんか今のその時の話聞いてると、
なんか熱狂したまま何かが続いていったらいいなみたいな、
福田さんとしては何か願いっぽいものってあったりしたんだろうか、
みたいなことを聞きながら思ったんですけど、
なんか福田さんの、それこそインドとの関わりみたいなものは、
インドへの思いと滋賀の活動
熱狂みたいな言葉と掛け合わせるとどんなふうな感じの変遷があったりしたんですか?
そうですよね。
確かに、1回最初その1ヶ月行って、
で、半年行ってっていう形で、
で、半年行って帰ってきてからも、
結局その後就職したので、また長期滞在とかはしな、
しばらくはしなかったんですけど、
それが終わっても、半年から帰ってきてもまた同じで、
なんかまだ足りないっていう感じで、
もっと長く生きたいっていうのをずっと思っていて、
で、そこから何年空いたのかな?
そこからまあ、7、8年空いて、
で、それで仕事として4年行くことになるんですけど、
確かに空いてるんですね、そこは。
そうですね、そこは社会人で日本にいたんですけど、
そうですね、そこの4年終わったところで、
なんか一旦こう、ちょっと落ち着いたというか、
だいぶやったなっていう感じがあったのかな。
うん、だからそこ7、8年空いても、
なんかこう熱はずっと冷めてなかった感じがあって、
あ、すごい。
4年済んだらちょっと一旦やり切った感はできたかなって。
そうなんですね。
うん、だからまあ熱狂っていう意味では、
一旦そこで落ち着いて、で、そこから帰ってきて、
で、志賀のことやりたいとか言って会社をやって、
今なので、だからなんかこう、熱狂ではないけど、
でもなんかインドとはつながっていたいっていう思いがあって、
へえ。
うん、なんかそれをどういう形にしていくかっていうのは、
ずっとなんか悩んでるところがあります。
伝統野菜の重要性
はい。
せっかくいろいろこんだけ関わってきたのに、
なんか形にしたい気もするし、
なんかもったいないような気もするし。
なるほどね。
うん。
インドへのその熱というか熱狂みたいなもの、
落ち着いているっていう、
4年たってやり切ったかなって、
確かにさっき言葉としてはおっしゃってたけど、
とはいえ今のその後の話、
とはいえやっぱりそことつながって、
今もいるみたいな感覚ってあられるんだろうなと思って、
今もその熱狂がなんか、
僕が勝手に聞いている、
僕の身からするとなんかすごいその熱狂がまだどこかにあるんだろうな。
ああ、そっか。
なんか聞きながら感じていて、
いやなんかそれって、
インドのどういうところに熱狂しているって話はあるかもしれないけど、
福田さんのどういうところが反応しているんでしょうね。
そうですよね。
私これずっと考え続けてて、
なんかあの言葉になってない部分なんですよね。
これがすごい難しい問題、
難問だなって思ってるんですよ。
そうそうそうそう。
なんなんでしょうね。
なんか一つ言えるのは、
本当にもう20年以上、
初めて行ってから20年以上だし、
もし中学とかからカウントするともう30年とか関わっているので、
なんかこう時間とともに蓄積されてきているものとか、
知識もそうだし人脈とかもそうだし、
でなんかそこからの比較が面白かったりとかしますよね。
あの時はこうだったのが今こうみたいな。
なんかこうみたいなのとかもあるので、
もうその時間の蓄積は確実にあって、
それをあの別の国とか別のものに行って、
あの無形容がないというかなんとか。
今からそんな30年はまれるものあるかなっていうと。
今見つけてとかいうよりはなんかやっぱりこう、
そうだな自分が面白いと思って関わってきた既に蓄積があるので、
なんかそこに重ねていくのがまた面白いというか。
なるほど。
ですね、一つはそれがあるなって思ってます。
あとは何だろうな。
はいはい。
なんか今一つって言ってくれてたから、
なんか二つ目があるのかなと思ったんですけど。
時間とかだけではないなとは思ってた。
それはどう言葉にするんだろうなっていう。
なるほどな。
それって、なんて言うんですか、
今シガに戻られてるじゃないですか。
シガに戻るということと、
そのインドへの熱狂みたいなもの、
繋がりってなんかあったりするのかなみたいな気が個人的に興味があってですね。
どうなんだろう。
ほら別に地元に戻る必要性が絶対あるかって言ったらないんじゃない?
そうですよね、確かに。
それで何なのかなというのが若干無邪気に思っちゃいました。
なるほどな。
そうですね。
なんか一つ覚えてるのは、
私インドにいたのが2010年から14年なんですけど、
その間に東日本大震災があって、
そっかそっか、はい。
確かに。
で、私が行った次の年になるのか。
2011年ですよね。
そうですよね。
そうですよね。
だから本当にインドの在下の事務所で、
日本がえらいことになってるみたいな感じで、
みんなで津波の映像を見たりとか、
とにかくみんな家族の無事を確認してくださいみたいな感じで、
みんなが一斉に日本に電話かけたりとか、
そういう経験をして、
インドに行きたくて行ったんですけど、
あの瞬間からちょっと、
やっぱり日本がどうなっちゃうんだろうみたいなことで、
気にかかってたことがあって、
そうですね。
なんかそういうこともあって、
なんか日本に帰ったら、
なんとなく地元っていう思いはあったんですよね。
そうなんですね。
そうかそうか、
そういうのがあったんですね。
そうですね。
で、インドに行く前も、
ずっとほぼ滋賀かな、滋賀か京都にいたので、
なんか就職で東京とかも出てないので、
インドから戻ったら、
そうかそうか、
ジャイカのオフィスはあるんですね、京都とか。
違うんですよ、
私はジャイカのインド事務所のスタッフだったので、
日本からの集団の派遣とかではなくて、
そういうことなのか。
そうなんです、
インドピンポイントで就職したみたいな感じなんです。
確かにそうか、
誰かに入っちゃうとインドピンポイントにならない。
そうなんです、
私はインドに行きたいっていうので。
はいはいはいはい。
そうですそうです。
なので、なんとなく自然にインドから帰ったら、
滋賀に帰ってとか、
で、日本のことなんかやりたいと。
日本のローカルなことやりたいと思ったのかな。
インドでもやっぱり関わってたNGOのプロジェクトって、
やっぱり地方が多くて、
そこのローカルな人の生活がどう良くなるかみたいなことをやっていたので、
なんかまあそれなら、
自分の地元のローカルなことをやりたいと思ったような気がしますね。
深夜特急と旅のスタイル
なるほどな。
それってローカルのどんなことに、
今藤田さんとして意識を向けているんですか?
そうですね。
なんかその時もね、ローカルとか言っときながら、
まあ結構バクっとはしてたんですけど。
だから今は、そのローカルが結局唐辛子につながっているので、
ローカルじゃないですか、その土地にしかない伝統野菜なので、
まあそれが存続していくっていうことに関われているのが、
つながってるっちゃつながってますね。
はいはいはい。
そっかそっか。
なんか聞いてて、いや面白いなと思って、
その、なんていうんですか、
中学生の時のその曲から始まって、
なんか気がついたら唐辛子にするっていう。
そうそうそうそう。
なんかその旅路というか、流れが。
いやそういうことあるんだ。
そうですよね。
いや本当に私でも全然こう意図してないのが、
なんか流れてこうなってきたのが面白いですね。
いやーすごい。なるほど。
ちなみに今この深夜特急の話から、
こういったところまで話してみましたけど、
深夜特急のことを改めて思い返すと、
藤田さんと深夜特急という2人というか、
2冊というか、藤田さんと深夜特急の2つの関係性を
言葉にしてみたりすると、どんな関係性な気がします?
どうなんだろう、えー難しいな。
なんか深夜特急もそうなんですけど、
私作者の沢木孝太郎さんがすごい好きで、
なんかこう作品に現れるその沢木さんの人柄とか、
なんだろうな、現地の人に対する眼差しとか、
なんかそういうのがすごい好きなんですけど。
なるほど。
だからそれはなんか深夜特急に限らず、
沢木さんの本、作品にすごい共通してる感じで、
なんだろうな。
沢木さんがすごく素敵な、
なんだろうな、
感性の人だなっていうことがありますよね。
その後もずっと沢木さんの本はいっぱい読んでるので、
なんかこういう方がいるんだっていう、
なんか喜びというか。
なるほど。
そうだな。
すごい旅のスタイルというか。
そういう、そうだな。
物飲み方とか旅のスタイルとかに影響を受けたところがありますね。
沢木さん自身のっていう感じかな。
じゃあなんか沢木さんからもらったものが、
無理だったらたくさんあるんだろうなって思ったんですけど、
何一番もらった気がします?
なんだろう。
えー、なんだろうな。
なんか本以外で沢木さんが喋ってたこととかいうと、
すごくこうね、自由を、自由っていう言葉が出てくるんですよね。
なんかこう、自由でいるからこそ、
フラットに物が見れるというか、
あー、なんかうまく言葉にならないなって。
難しい。
自由でいるからこそ、フラットに物が見れるか。
そうですね。
で、その自由でいるために自分はめちゃくちゃ努力してきてるっていうことはおっしゃっていて、
あー、はいはい。
そこは頑張ってるんだっていうことでおっしゃってて、
なるほどなーって思ったことがあるんですけど、
なんか、そうだな。
なんだろうな。
フラットっていうのは相手が誰であっても、
先入観なく関わりを相手と持っていたりとか、
本当に人に対する優しい目というか、
あとはなんだろうな。
そうですね。
なんかそういう大人がいて嬉しいっていうのは、
なんか思ったことはありますね。
大人っていうか。
そういうなんか自由だったりとか、
先入観なく関わった優しい人に対して優しい目みたいなものを、
杉田さんとしてはそれと同じようなものを持とうという憧れはあったりするんですか?
そうですね。持ちたいなって思いますし、
そうだな。
そういう人と関わりたいですよね。
優しい人とか。
あー、なるほどね。
そうそうそうそう。
へー、そうなんだそうなんだ。
そうですね。
確かにそう思ってるのかも。
ありがとうございます。
なんかだんだんといい時間になってきたなーみたいなことを思っていて、
あと一つ二つぐらい来させてもらいながら、
滋賀の伝統野菜とエッセンス
だんだんと終わっていけたらなーみたいな気がしているんですけど、
なんか今日の話とかも思い返しながら、
なんか今立ち返ってみると、
悪鬼とさんが今すごく大切にしてることだったりとか、
今めちゃめちゃ考えたいなこれ、
みたいなものってどんなのがあったりするのかなーみたいなことを聞いてみたくなっちゃったんですよね。
あー、そうですよね。
そうですね。
なんかさっきのインドの熱が冷めてないんじゃないかみたいなこともおっしゃってもらったんですけど、
えーとですね、インドから帰ってきて、
で、会社引き継ぐことになって、
で、実はその後に結婚してすぐ子供を産んでるんですよ。
だからなんかすごい激動でなんか、
あの、人生が動く。
そうかたりも。
激動だなーって。
そうなんですよ。
で、なんかこう、インドとじゃあどう関わるとかもあるし、
なんかこう、この先どうしていこうみたいなこととかもあるんですけど、
なんかこう、去年あたりからやっぱそこを突き詰めたいなーと思って、
自分でまあ、なんだろうな、考えることを考える時間を増やしたりとかしていって、
で、なんかこう、えっと、えっと、
キタムさんの会社のエールに参加したのも、
まあそういう流れでやってみたりしていて、
で、なんか今役割が結構ね増えてきて、
なんか6つくらい今ちょっと肩書があって、
いろいろなことを同時進行でさせていただいて、
で、なんかこう、
そうなんですよ。
なんかこう、もがいてるうちにだんだんなんかこう、
こうありたい形に近づいてきたかなーみたいな感じはしていて、
うーん、
まあ今考えたいことはあんまりないと思うんですけど、
なんかこう、
なんかこう、
なんかこう、
なんかこう、
なんかこう、
で、
うーん、
まあ今考えたいことはなんかその、
どうしたらこう自分が一番こう、
自分が心地よくというか、
で、自分らしくいられるのかなーみたいなことを考えてますね。
漠然としてますけど。
なるほどな。
なんかどうしたら自分が一番心地よく自分らしくいられるんだろうと。
そうですね、そうですね。
ちなみになんかういださん的には、
ちょっとそこで見えてきたものとかはあるんですか?
そうだなー。
一つは多分私いろいろやってるのが好きなんだなとは思ったので。
で、まあその今ムチとか言ったのも、
でも結構要素的にはこう似てたりとか関連したりしていて、
それがなんかこう、
そこからこう自分の大事にしているエッセンスとかを抽出すると
こうだなーみたいなのも見えてきたりした感じで、
今だからそこをもうちょっと突き詰めていきたいなーって感じで。
はいはいはいはい。
なるほど、ありがとうございます。
すいません、追加して聞きたくなっちゃった。
今の自分の大事にしているエッセンスを抽出するとこうだなっていうところ、
その大事なエッセンスってどんなのですか?
興味あるでしょうか?
いくつか出てきたんですよね。
ちょっと待ってくださいね、私どっかに書き留めて。
そうそうそう、抽出したらインド出てきたんですよね。
インドと地元シガも出てきて、
あとは女性とか、
あとは何かを引き継いでいくこと、
自分が事業生計したこともあるんですけど、
文化とかいろんなものを次の世代に残していくみたいなこととか、
あとは冷え入りかけるビジネスって書いていて、
これ実はこの間もキーワードで出てきたんですけど、
私が今までインドで関わっていたのって冷え入りの分野があるんですけど、
冷え入りだけじゃなくてそこにビジネスを入れた方がいいなって思ったことがあって、
今ちょっとそれもエッセンスとして書いてる感じですね。
へー。
はい。
なるほどなるほど、そっか。
それがまたしばらくあってくるとどんなものがエッセンスが増えてきてるのか、
またいずれ聞いてみたくなっちゃいますね。
自分を知るための問い
全然です。
ありがとうございます。
これラストかな、質問としては。
さっきちょっともしかしたら話せるんですかなって気もするんですけど、
一応毎回この番組最後終わるときに一つ問いを伺って終わっていくみたいなことをしておりまして、
それこそリスナーの方々に対しての贈り物みたいになったらいいなみたいな気もして終わったりもしますし、
またはたまた例えば1年後の藤田さんへの贈り物みたいな感じで、
一つの問い、今日の中で出てきている問いでもいいですし、
たまた別にそうじゃなくてもこれまでの、
今日だけじゃない時間全てひっくるめて出てきている問いみたいなものでもいいかなと思ってるんですけど、
何か一つご自身で今考えたい、一番考えたい問いみたいなものをもらって終わっていきたらなと思ってますが、いかがでしょうか。
そうですね、今お話ししたような自分の大事にしているエッセンスみたいな話をしたんですけど、
なんかこれ私今、自分のこと何パーセントくらいわかってるんだろうみたいなことも思っていて、
自分のことだいぶわかってきたなぁと思ってはいるんですけど、
みんなどうなんだろうと思います。
昔から結構自分のことわかって、うまく自分を舵取りしている人もいるのかもしれないなぁと思うし、
やっと私の今の年齢になってちょっとわかってきたみたいな人もいるかもしれないんですけど、
何パーセント自分のことわかっていると思いますっていうことを聞いてみたいですね。
なるほど、何パーセントのことわかってますかっていう。
わぁ、おもしろい。
それあれですね、今の自分を感じて、49パーかなとか思ったとしても、
1年後ぐらいにもう一回考えたら、11パーだったみたいな。
そうそう、そうなんですよ。
エテして上がってからですよ。
そうなと思うんですよね。
なんかそれがおもしろいなと思って。
いやぁ、ありがとうございます。
ありがとうございます。
いやぁ、そんなこんなでいい時間ができたので終わっていこうかなというふうに思っております。
今日もリサーノンの皆さん、そしてクリタさん、ありがとうございました。
ありがとうございました。
読みかけの一冊から少しだけ人生の土地を見つめる時間になっていたら嬉しいです。
ではまた次のまにまにでお会いしましょう。
では今回ですね、読書のまにまに今回のゲストが、
滋賀でですね、弁当野菜の唐辛子屋さんを営んでらっしゃる福田若子さんでした。
福田さんありがとうございました。
ありがとうございました。
34:17

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