ポッドキャストの趣旨とゲスト紹介
さて、今日も始めていきましょう。読書のまにまに。この番組は、あらしろゆうきがナビゲートをしてお届けします。
読書のまにまには、今読み終えていない読みかけの本をきっかけに、人生の土壌を生きるゲストと語り合う多様型ポッドキャストです。
本は最後まで読むことだけが目的ではありません。閉じられたページ、困った一節図、そこにその人だけの時間や思いが刻まれている。
本に触れながら、本や書き手の命に触れる。そうすると、あの頃の自分の記憶や、これからの自分の命の声が浮かび上がってくる。
そんな読みかけのままの一冊に、まだ語られていない物語が眠っているのではないか。
そんな余白をですね、ゲストの方と一緒にそっと耳を澄ませていきます。
さて、今回もゲストの方を呼びをしております。今回のゲストは、滋賀県で弁当野菜の唐辛子屋さんを営んでいらっしゃるふぎた若子さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ではでは、なんかこうやってポッドキャストを、今1年ぐらいとかやってきているんですけど、
よく考え、唐辛子屋さんを営んでいらっしゃるという発言を初めて聞いて、なんか嬉しい気持ちになりました。
そうですね、なかなかないですよね。
なかなかないですよね。
ちなみに、そういえば、先日藤谷さんのところのピギリをいくつか購入をさせていただいて、
ありがとうございます。
ありがとうございます。
今、僕、沖縄の妻の実家にいるんですけれども、普段、今月、先月からか、
そのピギリを持ってったらですね、家族中から大好評でして、
嬉しい。
買ったのはいつだったかな、5月末とか、5月後半ぐらいで、
そんな感じ。
開いてから開けようと思って、6月の前半ぐらいに沖縄に行って、ピギリの瓶、今もう半分ぐらいなんですよ。
すごい。
ちょっと早くないみたいな、みんなかけすぎてないみたいなことをちょっと。
すごい。
そうそうそう。
結構なんか1年の賞味期限なんですけど、それが切れても全然なくならないって言われたりするんで、
それはなんか驚くペースですね。
本当ですか。
今日、ピギリの方とお話ししてくるよ、みたいな言ったら、妻のお母さんがよろしくお伝えしといてみたいなことを。
なんかすごい不思議な感じだけど、OKですみたいな感じ。
なんか嬉しいな。
そんな感じがございました。
あとはですね、この番組のリスナーの皆さんの中で、ピギリという単語だったりピギリの皆さんについて、
知らない方も結構いらっしゃるんじゃないかなというふうに思いますので、
最初に簡単に自己紹介お願いしてもよろしいでしょうか。
私が県で株式会社FMクラックという、何ですかね、さっきおっしゃっていただいたピギリっていう、
現地の伝統野菜のヤヘイトウガラシっていうのがあるんですけど、
それを使った調味料を製造販売している会社をやっているクギだと申します。
その会社自体はですね、知人が始めた会社で2011年に始まった会社なんですけど、
ちょっとその知人が続けられなくなったタイミングでたまたま私が引き継いで、
今は5年目くらいという状況でやっております。
ありがとうございます。
なんかね、今の伺っても思い出したんですけど、何でしたっけ、5月だったかな、お会いしたの。
そうですね、1ヶ月ちょっと前くらいかな。
ですよね。
5月にはちょっと仕事絡みでというか、
滋賀の琵琶湖のほとりでふとおしゃべりをしたことがきっかけで、
ポッドキャスト出てくださいよみたいな話をさせてもらったなというふうに思っておりまして。
そうですね。
なんか印象としては、この唐辛子の話をちょっとし始めたときに、
藤田さんがちょっと出してもいいかなっていうふうなお顔をされながらも、
どんとパンフレットを出しながらされているのがすごく印象に残ってるなって。
そうなんですね。
そうでしたね。
一応パンフレットは持ち歩いてて、いつでもご紹介できるようにと思ってて。
いやぁ、いいなぁ。
そうでしたね。
何気にお話しするの2回目ですもんね。
そうですね。この前本当に琵琶湖のほとりでふとお話しして、
たぶん1対1でお話したわけじゃなくて複数人いる中でちょろちょろと2時間ぐらいお話をしてから、
まあ確かに今日2回目ですね。
そうなんですね。
確かに確かに。
ちょっと購入させてもらったり何々のやり取りを何回かさせてもらった気がしなかったんですけど。
そうそうそう、実は。
ありがとうございます。自己紹介いただいて。
ありがとうございます。
ちなみに何か、何でしょう、
今日のこの番組としてもちろん本の話とかもしてみたいんですけど、
ちょっとなんか今の自己紹介の日って、
唐辛子屋さんの事業を表敬してやるってどういうこと?みたいなことを思われる方も結構いらっしゃるんじゃないかと。
そうですよね、そうですよね。
そう思っていて、もともと藤田さんがどんなことをしていらっしゃって、
そこからどんな経緯でここに今いるのかみたいな話もちょっと軽くだけ聞けたら嬉しいなみたいなことを思ったりもしたんですけど、
どこら辺からがいいのかな。
どこら辺からがいいんだろう。
どこからがいいんだろうな。
どこから、どうしようかな。
どこから話せばいいかな。
そうですね、じゃあ、
でも結構昔に、もともと私、ずっと中学生くらいからインドに興味がありまして、
で、なんかその興味がずっと続いてたんですけど、
大学時代に初めてバックパックでインドに行って、またハマり、
で、その後大学を休学して、またインドに現地の言葉を勉強しに行ったりとかして、
で、結構、その後ちょっと一度社会に出た後にインドで働く機会があって、
4年くらい働いてたんですけど、
ちょっといろいろあって日本に帰ろうと思って日本に帰ってきて、
で、日本に帰ってきてからは地元に関わるような仕事がしたいなっていうことでいろいろやった結果、
その中で知り合った、先ほどの今私がやってる会社を創業した方に会って、
で、それでしばらくお手伝いとかをしてたんですけど、
その方の旦那さんの転勤でどうしても腰がお離れないといけないということになって、
で、会社を畳むかどうかってなった時に、やりたかったらやってもいいよって言われて、
そこから、じゃあやってみようかなみたいな話で会社を引き継いだっていう感じなんですけど、
インドへの興味と体験
すごいなんかざっくり、どこから話していいか。
そうですね、でもまさか中学生から行くと思ったかたですけど。
そう、ほんとどこまで畳むわ。
そうですよね、でもそうなりますよね。
ちなみになんかここだけでもすでにすごい聞きたいことがたくさんなんですけど、
中学生の時にインドに意識が向いたら何なんでしたっけ?
中学生の時とか結構なんかいろんな音楽が好きで、
近所のお兄さんで音楽好きな方がいて、
その人から当時CDとかを借りたりとかよくしてたんですけど、
その中でたまたま使われてたのがインドのシタールっていう楽器で、
で、なんかもうその音を聞いた時にすごい衝撃的で、
何これ?みたいな感じで。
なんかすごい、なんだろうな。
なんかもう引きつけられて、
で、そっからこう何の楽器なんだろう、シタールみたいなんで、
シタールって何?みたいな感じで選べていったら、
インドっていうふうにつながった感じですね。
いや、なんかすごいですね、またふと借りた曲に、
インドの楽器が使われてるってことは、僕は人生中なかったような気がするなと思って。
気づいてないだけかもしれないけど。
いや、なかなかないですよね。
ないですよね。
仮にその人がいなかったら、
福井太さんはインドには関わってないかもしれないけど。
そうですね、ほんとにそうですね。
そっかそっか、なるほどな。
なるほど。
ちなみに、インドに関わって行った時に、
インドに入る前とインドで出た時のことを思い返していただきつつ、
インドに対する印象ってどんなふうに変わったのかとか、
すごい興味があって聞きたくなっちゃったんですけど。
実際行きたいと思ってて、初めて行った時ですか?
もう帰国しますっていう時。
で、インドに対する思いというか印象みたいなものとかって、
なんかすごい、やっぱり何て言うんですか、
変化の大きい場所だろうし、日本とは全然違う場所だと思うので、
そこに地下から行かれた時の感覚と戻られた時の感覚って、
すごい同じようなものはあるんだろうけど、
すごい変わってるものはあるんじゃないかな、みたいなことを勝手に思ってまして。
確かに。
そうですね、最初、
実はインドに一番最初に行く前の年にネパールに、
友達に誘われて行って、
なので、ああいう南アジアの雰囲気っていうのは、
最初はネパールだったんですけど、
ネパールの印象で行くと、やっぱり日本とあまりに違いすぎて、
すごい、なんか誇りっぽいと思ったのかな、なんか。
そうですね、それでなんか色がカラフルだなって思ったのもあると思うし、
なんか人がわちゃわちゃ声かけてきたりとか、
なんか面白いなっていうのを思った気はするんですけど、
それネパールで、翌年その印象もありつつインドだったので、
なんかめちゃくちゃびっくりするってわけではなかったんですけど、
なんかこれがやっとこのシタールの国のインドかって思った感じがあったりとか、
シタールの国のインドか、
来たみたいな感じがあって、
そうだな、最初、一番最初に行った時はやっぱなんか、
空港から宿に行く道がすごい暗かったみたいなのとか、
そうか、そういうのもあったんですね。
ありますね、暗い道にボワーッと牛がなんかいるみたいなのとか、
よくありますけど、こう違うところに連れて行かれるとか、
それが一番最初だったんですよね、インド行った時。
でもやっぱりなんか刺激的で面白かったのもあって、
そうだな、最初のインドどれくらい行ったのかな、
1ヶ月くらい確か行ったんですけど、
なんかいろいろ回って騙されたりもしたけど、
なんかまあ面白かった、なんか強烈だったっていう感じかな、
なんか何を見ても。
ああ、そうなんですね。
インドとのつながり
憧れてた国でもあるし、
なんか人が本当にワーワー喋りかけてきたりとか、
親切だったり、なんか悪い人もいたりとか、
そうだな、ガンジス川行って、
なんか本当に人が多くて、
みんなが一回よくよくしてるとか、
なんか本当にいろんなことがこう洪水のようにというか、
色もね、すごい鮮やかでボワーってなってくるし、
人もずっと喋ってて、ワーってなんか入ってくるしみたいな感じで、
なんか最初行って帰る時は多分、
なんかなんだろうな、
なんかね、もっと知りたいと思いましたね、そうそうそう。
へー、そうなんだ。
いろいろ行ったけど、なんか足りないというか、
もう終わっちゃったみたいな感じで、
で、実際そこで本当に足りないと思ったので、
後に休学して半年行くことに決めるんですけど、
そうですね、最初行った時はそんな感じでした。
なんか変わったというよりは、なんかもっともっとみたいな感じかな。
滋賀の伝統野菜
へー、そうなんだ、なるほどな。
その後はもうあれですか、
もう数年間行かれた時ですか?
いえ、その後は1年くらい置いて半年くらい大学を休学して、
半年くらい行ったのが、大学3年を終えてから休んだんだったかな、休学したのは。
で、半年行った感じですね。
なるほどなるほど、じゃあ本当にお仕事としてあちらにいらっしゃるっていう期間以外にも、
その手前でも何度も何度も行かれていたんですか?
そうです、そうですね。
いやー、そうなんだ、なるほどな。
でもなんかそんな、なんて言うんですか、インドから帰って、そういったお仕事でも行かれて、
で、帰って唐辛子をやるってことは、人生の想像上にあったんですか?
いや、全然ないですね。
あ、そうか。
あったらすごいなって思った。
計画してたらすごいですよね。
そっかそっか、なるほどな。
ちなみにその唐辛子を始める、唐辛子やってるよっていう話と、
インドに関わってきたよっていう話って、
何かふやさんの中だと共通項というかつながっている思いってあったりするんですか?
そうですよね。
最初はやっぱり引き継いでみるって言われた時に、
親和性はあるのかなっていうのは思いましたね。
全くなんかインドにももちろん唐辛子あって辛いものとか多いので、
スパイスとかそうか。
そうですね、そういうところで、自分がやることとしてかけ離れてはないのかなとは思ったんですけど、
そうですね、だからそっちは今はインドに寄せていけば全然インドっぽいこともできるという感じはあるんですけど、
そうですね、それで言うと、よくそうそう、なんで引き継いだんですかとかよく聞かれて、
最初はなんかうまく言葉にならなかったんですけど、
今ちょっと整理できてきてるのは、
私もいろいろ旅行とかして、その土地その土地のものがあるし、
なんかそれがいいなと思うんですけど、言葉とかもそうですし、
もちろんその土地に残っている文化とかもあるんですけど、
なんかこうそういうものがインドにいる時に結構ちょっと辺境の方から消えていってるみたいなのを実感することとかもあって、
辺境の方から消えていってる?
そうですね、例えば言葉で言うとインドだともう英語ができないといい仕事につけないみたいなのが本当にあるんですよね、
そうなるとみんな早くから早期から英語で教育を受けさせたりするんですけど、
じゃあそうすると地元の言葉がしゃべれなくなったりして、
なるほどね、
本当に辺境の子だとおばあちゃんと話ができないと言ってたんですよ、
早めのうちから何歳かわかんないですけど、
もう全寮生でその土地から離れて全寮生の学校に入って教育を受けるとか言ってたので、
じゃあもう本当の現地の言葉っていうのがわかんなくなって、
もうおばあちゃんと直接話せないみたいなことを聞いた時に、
なんかこうやって小数言語がなくなっていくとか、
なんかこうあったものが消えていくみたいなのが結構寂しいなぁと思って、
なるほどな、
それは結構象徴的なお話なんですけど、
結構あるじゃないですか、宿命が消えていくとか、
なんかそういう経済の原理でなくなっていってしまうものがあるなっていうのがあった時に、
なんかそういうベースがあって、
滋賀県に帰ってきて、何か地元に関わることがしたいなと思ってた時に、
ちょうどそういう伝統野菜のお話だったので、
それを残していくみたいなことにちょっとピンときたというか、
多分そうなんだなって今数年経って整理できてきたんですけど、
だからその唐辛子が好きかとか、
もうこの唐辛子が好きでしょうがないっていう感じというよりは、
それを残していくことの意義とか、
こういうちょっとした、
スパイスの魅力
なんだろうな、
その土地にしかなかったものとかを残していくみたいなことに興味があるんだなっていうのを感じたところですね。
そこなんですね、そうなんですね。
そうなんです、そうなんです。
今の聞いてるとなんかいろんなこと思い出すというか、
例えば今、返協の方からって言ってくれてましたけど、
例えば僕が今住んでいる、一時的にですけど、数ヶ月住んでいる沖縄も、
沖縄の言葉って内縄口って言ったりするんですけど、
それもやっぱり今ほぼほぼの人が話さなくなってきてる。
そうなんだ。
それは戦争が終わった時とかにある意味禁じられたみたいな時期もある。
その直後にアメリカの国の中に入ってるから、
そもそも主要言語が英語になったりとかしてるっていうのもあるんですけど、
やっぱり今もおじいちゃんおばあちゃんとか、
本当に離島の奥の方からと内縄口を話すけど、
そこの孫たちはわからないみたいな。
リスニングができるけど、
スピーキングができないみたいな。
実際、妻の親族も離島が結構多かったりするので、
行ったりすると本当に文字が全然わかんないみたいな。
そうなんだ。
孫たちとかは何かを感じ取りながら話してるみたいな。
みたいなのがあって、やっぱり今ね、
全部が全部残すことが大事なわけじゃないけど、
あれは確かにそうやってなかなかなっていっちゃうのも寂しさもあるよなって。
寂しさはね、ありますよね。
思ったりしますよね。
そうなんですよね。
確かに、なるほどな。
ちなみに、僕あんまり定義わかってなくて恐縮なんですけど、
伝統野菜っていうのは、
どういうもののことを伝統野菜って言ったりするんですかね。
確かにそうですよね。
どういう定義だったかな。
なんか滋賀の伝統野菜っていう時どういう風に書いてたかな。
確かにちょっとぼやっとはしてるんですけど、
種で言うと、種屋さんとかが扱ってるのってF1って言って、
言ったらちょっと人工的な手が入っている種で。
いっぱい量とか。
そうですね。
それでもどれを植えても同じようにできるとか、
本当に種量が多くなるように品種改良されてるんですけど、
伝統野菜っていうとその種をいじってないっていうイメージですね。
もう原種のまま生きてる感じ。
原種のままなんだ。
なのでブレるというか、個体差がすごい多かったりとかするのかな。
多分その種はそういうところ。
なるほど。確かにそういう意味でそうですよね。
確かに本当に農業というかその世界の中で全てそれを育てさせて、
本当に生産性が高かったりそのだけにやろうと思ったらできるわけではあるけど、
そうですね。
そうじゃなく今それこそ扱ってらっしゃるゴガラシとかは、
その中には巻き込まれず、今もその原種の状態で残っているってことなんですね。
そうですね。
なるほどな。
そういうの僕聞くのすごい好きなんで、
すぐ聞かれちゃうんですけど、
そろそろ本の話にも行ってみようかなと思って。
確かに。
ちょっとまた後でお話ししたら聞かせていただいて。
ぜひぜひ。
じゃあちょっと話の内容を変えてですね、
今日の主題というか読みかけの本、今読んでいる途中の本でもいいですし、
またまた昔読んでいて止まってしまっている本とかでもいいんですが、
そんな読みかけの本、杉田さんにとってどんなものがあるのかというのを、
一冊でもいいですし、聞けると嬉しいなと思ったんですけど。
分かりました。
そうですね。
インドっていうところでバックパッカーとかが憧れる深夜特急ご存知ですか?
はいはい。分かりました。
私は深夜特急を読んでからインドに行ったわけじゃなくて、
インドに行ってから読んだか、
私が行った当時って面白くて、
インドに安宿街があって、
そこに貸し本屋さんみたいなのがあったんですよ。
貸し本屋さんですか?
そうなんですよ。
そう思い出しました、当時あって。
そういうバックパッカーがいっぱい集まるので、
みんな本を各国から持ってくるんですけど、
読み終わったら重いだけじゃないですか、
バッグに入れとくのも。
その本屋さん、貸し本屋さんに持って行って売るんですよ。
買い取ってくれて、
そこにまた本棚みたいになっているので、
そこで買って、また読んで返すみたいな、
もちろん買って売るっていう感じなんですけど、
そのマージンで設けてるんですけど、
そこに昔結構日本語の本もあって、
そこに深夜特急があったような気がして。
そうなんだ、すごいな。
それで読んだのか、ちょっと帰ってきてから読んだのかは忘れたんですけど。
深夜特急、沢木さんです。
沢木小太郎さん。
そうですそうです。
私、確か深夜特急始まりがネパールかインドから始まって、
それで西へ西へ向かってヨーロッパで終わるんですけど、
私多分それ読んで、最後の方だけ読んでなくって、
そうなんだ。
多分本当に熱中して読むんですけど、
この話が終わってしまうのが寂しいって思ってしまって、
和加子さんの深夜特急の思い出
最後まで読まないまま多分本当にもう10年以上放置、
放置というかもう読まないでそのままにしてるっていう感じなんですよね。
すごい、なるほど。
私同じ沢木小太郎さんめっちゃ好きで、
いろいろなノンフィクションとかも読んだりとかしてるんですけど、
去年か一昨年、結構深夜特急並みに壮大な冒険の話が出て、
それが天狼の旅人っていう本なんですけど、
天女、天女の旅人。
天狼なんですよ。
天狼。
天狼。
ごめんなさい、天狼ですね。
道、天狼の旅人っていう本で、
これはどこ行ったらいいのかな、
戦中の話かな、戦中には大陸に渡ってスパイになったような方の話で、
その方が本当に中国からモンゴルに行って、
チベットに行って、インドに行って、
そこで身元がバレて帰るみたいな話なんですけど、
それもすごいやっぱ深夜特急以来の大きい旅の話だったんです、
インドでの読書体験
すごい面白くて、
一気にわーって読んだんですけど、やっぱこれも同じで、
最後がなんかちょっと終わるのが嫌すぎて、
まだこれも最後の本当に最後の最後にしおりが今挟まってるっていう。
そうなんだ。
そうそうそう。
すごい。
まさに読みかけの本ですね。
なるほど、まさにですね、なんかすごい。
ちなみになんかさっきのあの深夜特急の話もうちょっと聞きたくなっちゃったんですけど、
そのインドの貸本屋さんっていうのはそもそも、
そういうのもあるんだって聞きながらびっくりしてたんですけど、
この貸本屋さんというのは結構なんかインドに行きたての頃からよく使われてたんですか?
そうですね、インドに行った、
たぶんその半年インドに大学休んで行った時に結構インドの中も旅行したりしたんですけど、
たぶんそういう安宿街とかにそういうのがいくつかあって、
そうですね。
あったような気がします。
で、そこで読んだやつをまた別の本屋さんに売ってとかしてたと思うので、
なんか利用してたような気がしますね。
なるほどな。
半年行ってた時は手持ちぶさたじゃないですか。
そんなにいっぱい本も持って行ってなかったから、
結構使ってたような気がしますね。
そうなんですね。
ちなみにそういう時に深夜特急以外でなんか読んだ記憶のある本とか、
タイトルじゃなくてもこんなのに手を触れてたかなーみたいなの思い返すのってどんなのあったりするんですか。
どうだっただろう、インドで読んだ本。
なんだったかな、なんか読んだんだけどな。
あれはなんか、その歌詞本屋さんじゃなくて、
インドって仏教の、生まれたじゃないな。
仏教がほとんど、そうですね、育ったような土地なので、
物跡がいくつもあって、そこに日本寺とかがあるんですけど、
そこでもなんか本をお借りして読んだような記憶があるんですけど、
タイトルが思い出せない。
そっかそっか。
半年長いこと言ったら結構やっぱ日本語の本に飢えてたなって思いますね。
なるほどね。
それこそなんかそういうふうに日本語の本に飢えていたっていうのをおっしゃっておられましたけど、
日本語の本に飢えていて、そして日本語の本が仮にその歌詞本屋さんに深夜特急1冊しかないんだったら、
確かに日本語を取るかもなって僕だったら思ったんですけど、
たぶんさっき結構その時会ってっていう話をされてたから、
その中でもその沢木さんの深夜特急というものを手に取ったのって何か、
何でしょう、理由というか背景みたいなものがあったりするんだろうかみたいなことを思いながら今聞いてたんですけど、
その時ってどんなお気持ちでそれは手に取られてたんですか?
なんかこの深夜特急自体は有名で、
本当にまさにインドにいてインドの話を読むみたいなのが多分重なるんでしょうね。
そうそうみたいな、こういう感じみたいなのが。
だからかな。
読んだことあったんですか?
なんかそこが定かじゃないんですよね。
なんか読んでから言ったのか、
その中で初めて読んだのかがちょっとあやふやではあるんですよ。
そっかそっかそっか、なるほどな。
なんかその本の中で、さっきまだ最後まで言ってないっておっしゃってましたけど、
その本の中でもなんかすごく記憶に残っている印象に残っている一説だったり言葉だったり、
なんか目に浮かんできたシーンみたいなのってどんなのがあったりするんですか?
あれインドのシーンだったか忘れたんですけど、
すごいやっぱ熱、病気になってなんか熱にうなされて、
なんかふわふわとしてる時になんかインドの男の人が入ってきて、
なんかこれはまずいとか言ってるんですけど、
あれでも結局どういう話だったか忘れたんですけど、
なんかその情景がすごい残ってて、
インドでそんなことになったらどうなるんだろうみたいな、
すごくドキドキした。
それが結局いい人だったのかどうだったのかよくちょっと今覚えてないんですけど、
インドでそんな人が入ってきたら怖いなみたいな、
どうなっちゃうんだろうみたいな感じは。