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2024-12-30 37:37

日常としてのTāheru Anatomia ep3

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コレカラもコンスタントに更新をめざします。

連載はこちら→ ⁠⁠普段着としての名著⁠⁠


■今回のダジャレ

「連載もポッドキャストもコンスタントに上げていきましょう」65点(コンスタントにでる点数)


⁠⁠⁠⁠⁠⁠chiro⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠muro⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

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00:07
【ミスメラ】。
普段着としての名調、反省会、です。
イエーイ!
今回は、近代人の自由と古代人の自由。
近代人の自由と古代人の自由って、読んだことあります?
ないです。すいません。
これを書いた人、バンジャマン・コンスタンっていう人なんですけど、ご存知ですか?
書者の名前すら知りませんでした。
ねえ、名調とか名打っておきながら、あんまり誰も知らない本を選んでしまうっていう。
いや、私は物を知らないだけだと思いますけど。
いや、多分誰も知らないんじゃない?コンスタンって。
じゃあ、なんで選んだんですか?この人。
ちゃんとしたこと言ってんなーと思って。
なるほど。
コンスタンって、政治学を勉強している大学生なら知ってるんじゃないかな。
政治学を勉強したことない人は、多分誰も知らない可能性が高い。
ナポレオン・ボナパルトと同じタイミングのフランスの人なんだよね。
高校世界史とかでは出てこないですよね。
高校世界史だと多分出てこない。
つまりフランスがナポレオンの登場によって、だんだんナポレオンの独裁に入っていって、ナポレオンが皇帝になるっていう時代なんだけど、
コンスタンは自由主義っていうのを標榜していて、誰かが独裁したり誰かが王様になったりするのにはずっと反対だった人なんだよね。
フランス革命の時に大きく分けると、王様抜きの政治をするっていう共和派と王様ありでやるっていう応答派っていう人たちがいたんだけど、
王様ありのタイプの人と王様なしのタイプの人のちょうど接中案みたいな感じで、王様はいるんだけれども王様も従わなければいけない憲法っていうのを作って、
立憲王政にしたらいいんじゃないっていう人たちとかもいたわけ。
今の日本みたいな。
そうそうそうとかイギリスみたいな感じで、当時イギリスは立憲君主制の国だったから、みたいな色々な考え方があるんだけど、
コンスタン自身は王様とかなしにして、人間が自由で平等なんだっていうのが非常に大切だと考えた、自由主義者なわけ。
おまけに自由主義な国家っていうのは憲法を持って、その憲法に縛られた政府っていうのが国家を統治すべきだっていうふうなことを考えてた立憲主義者でもあったわけ。
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この辺のシステムが全然未整備の時代だから、別に憲法なしでも独裁してしまう、民衆に支持された人が独裁してしまうみたいなことは全然あったわけよね。
ロペス・ピエールとかが出てきちゃうみたいな感じで、そういうのも良くないと思ってた人で、だからコンスタンはナポレオンがどんどん出世していく中で、これは良くないってずっと思ってた人なんだよ。
ナポレオンが戦争に負けて1回追放されちゃうんだよね。追放されたところから戻ってきてもう1回皇帝に復活するんだよ。
復活した時にナポレオンはずっと敵対してたコンスタンを自分のところに呼んで、自分の仲間になってくれって言ったわけ。
フランスの中の敵対勢力だけど、その敵対勢力の指導者だったリーダー格だったコンスタンが仲間に入ってくれたら、自分を支持してくれる人がフランス国内に増えると思ったんだよね、ナポレオンは。
ナポレオンはそのために皇帝である自分っていうのを縛る憲法っていうのを作るのに合意します。だからコンスタンは憲法を作ってくださいって言ったわけ。
コンスタンは憲法を起訴するんだけど、ナポレオンがいっぱい修正して、思い通りにならなかった上にナポレオンが100日の間にもう1回戦争に負けてまた追放されちゃうっていうことになって、コンスタンの目論み通りにいかなかったわけ。
で、コンスタンは昔の仲間にお前ナポレオン政府に入ったじゃねえかみたいな感じで、日和民主義者だなみたいな感じで。
それで風見どりって言われてたんですね。
そうそうそう、コンスタン乱コンスタンっていう、風見どりコンスタンっていうね、風見どりって風でパタパタ向きが変わっちゃうから、風向きで態度変える人だとみんなに思われちゃったんだって。
この頃のフランスってもうあっち行ったりこっち行ったり大変な感じになってますよね。
だけど、歴史がすべて終わった我々の視点から見ると、コンスタンの言ってることっていうのはそんなに風見どりっていうタイプじゃなくて、立憲主義と自由主義が大事だっていう話をずっとしてるの、この人は。
で、ナポレオンがそれやるって言ったから仲間になっただけで、別にナポレオンがいいと思って仲間になったわけじゃないんだよね。立憲主義と自由主義が大事だっていうところで一貫してるの、この人。
むしろじゃあナポレオンの方がその考え方を利用しようとしたみたいな。
そうそうそうオレスタンだよね。そこでこの人が書いた近代人の自由と古代人の自由っていうのが、近代社会における自由という概念を考える上で結構大事な概念になっていく。
これは第二次世界大戦ぐらいの時のイギリスの哲学者でアイゼア・バーリンっていう人がいて、この人は自由論っていう本を書いてて、積極的自由と消極的自由が合ってたねみたいな話をしている人なんだけど、この積極的自由と消極的自由の話の元ネタになったのはこの近代人の自由と古代人の自由っていう考え方。
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それはアイゼア・バーリン風にアレンジされちゃってるから、コンスタンの分け方とはちょっと違うんだけど、その意味で今我々の社会での自由を考える上でアイゼア・バーリンっていうのは必ず言及される哲学者だから、それに影響を与えた人としてコンスタンっていうのはみんな知ってるっていう感じの人なの。
じゃあ僕たちの社会で自由ってなんだろうなっていうことを考えるときに、この本を名著として取り出して、今回ネタ本にしました。
私選挙多かったから、その部分が身近な日常部分って感じですかね。
そうね、選挙の話と絡めて書いたんだよね、この原稿をね。で、選挙っていうのが質的に変わっちゃってるよねっていう話をして、でどういう風に変わっちゃってるかっていうと、もうすごいハックをするっていうシステムをハックにする。
この原稿を書いた段階ではまだ起きてなかったんだけど、兵庫県知事選挙とかすごかったもんね。
タイムリーな。
タイムリーな、もうまさにシステムのハックみたいなのが行われたし、SNSを通じた人間の認知のハックみたいなのも行われたっていう。
で、このハックされるということと、我々の自由っていう、システムをハックするということとか、他人の認知をハックするっていうことが当たり前になっている世界で、自由ってどういう風に存在できるだろう、みたいなことを考えたのが今回の話っていうことだよね。
これってあれですかね、要は発信する側、選挙で言ったら立候補する側も、で、選ぶ有権者側も近代の自由っていうのは何なのか、もっと考えたほうがいいよっていう話ですかね。
そうですね。どっちかというと有権者側だよね。だって犯罪者が出てくるのって止められないじゃん。だから大衆の認知をハックしようとする政治家が出てくるのって絶対に止められないんだよね。社会の中で犯罪者が存在するのが止められないように、政治家の振る舞いみたいなのをどのように取り締まろうとしても、大衆のハックを試みる人っていうのは絶対に現れるっていうことだよね。
なぜなら可能だから。人から盗んだり、人から物を盗んだり、人を殺したりするのは可能だから、やる人はやってしまうわけだよね。犯罪者をゼロにすることはできないんだけど、じゃあその犯罪者が社会に出現したときにどのように対応するかっていうことは、僕たちの社会で決められるわけだよね。
僕たちの社会で決まっている方法っていうのは、犯罪者の人権っていうのは一定制限される。例えば犯罪を起こしたかもしれないってなったら逮捕されるし、これは自由というか身体の自由とかを侵害されている状態なんだけれども、だから日本国憲法に照らすとそんなことやってはいけないはずなんだけど本当に。ただ犯罪自体が社会を破壊するので、その社会を破壊するという観点に立つと犯罪者の人権っていうのは一時的に停止されて叱るべきだっていう考え方があるわけだよね。
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これが刑が確定していくと、じゃあ何年かあなたの身体の自由を奪いますねっていうことが刑罰としてワークするようになってて、日本の場合は究極的にはあなたの人権っていうのを完全に停止しますっていうことで死刑っていうことができるシステムになっているわけだけど、でもこれは犯罪が起きた後に社会がどういうふうに対応するかっていうプロトコルが決まっているだけで、犯罪者を出さないっていうことはできないんだよね。
僕たちの社会において。
全く同じ構造として政治家が政治家を我々の社会の中で作り出そうとする限り、その政治家が我々の認知をハックしようってするのはどうしても止められない。なぜならできるから。
誰かがやろうと思っただけで、我々の社会はそれを止めることができないんだけど、そういう人が出てきたときにそういう人たちにどういうふうに対処するかっていうプロトコルは本当は我々の社会だと決められるんだけど、これがかなり新しい現象なので、僕たちの社会はそういう政治家が出てきたときに対応するプロトコルを持ってないわけだよね。
持ってない上に、このプロトコルが定まる前にその政治家は我々の社会を破壊してしまうかもしれない可能性に僕たちは晒されてるんだけど、それを防ぐにはどっちかというと有権者がそれを知らないといけなくて、だからこれは政治家に向けられた話というより、むしろその有権者に向けられた話として僕は書いてるって感じかな。
なるほど。
政治家が犯罪者だって言ってるわけじゃないよ、だから。
そうなることは政治家だろうが犯罪者だろうが、止める術はないからってことですね。
ない。もっと言うと、ノーベル科学賞を取る人を止められないのと一緒だよね。国民に高等教育を与え続けたら、研究費を十分に払い続けたら、そこからノーベル科学賞が出るのって止められないじゃん。
勝手にやるから。可能ならやるし、不可能ならできないっていう、ただそれだけの話だから、社会のほうでそれをコントロールするみたいなのできない。ノーベル科学賞だと良くないか、研究費止めるだけで、教育を止めるだけでノーベル科学賞を防げるもんね。
だから、プラス方面でいい例えが浮かばないな。いずれにせよ、事前にはコントロールできないってことだよね。
でも有権者のみんなに語りかけているんだとしたら、途方のない話ですね。
途方のない話だけど、コンスタンもそれをしたんだから、そういうもんじゃない。しかもナポレオン以後もさ、フランス人が共和制をちゃんと確立するのってさ、ほぼ戦後だからさ。
12:03
で、バーリンがコンスタンを再発見したのも戦後だから。
わかんない。戦前かもしれない。それくらいの時代。20世紀の半ばくらい。だから言っときゃいいんだと僕は思うわけ。
こっちは向けて書くけど、別に向けて書くことがそれを達成するかみたいなのが本質的に大事なんじゃなくて、言っとくみたいなことをしないと。書かれるものってそういう性質のものだから。
もしかしたら大バズりして、有権者の質がいつやにして変わる可能性もあるから。
ゼロ。全くゼロではないですね。 全くゼロではないね。でも、なんていうか、僕が考えるに今の時代の流れっていうのは僕が言ってることと全く逆の方向に進んでるから、これを言ったところで別に受け入れられることはないだろうし、僕がこれを言ったことによって社会の流れみたいなのが変わるみたいなことは多分ないんだよ。
多分ないけど、また社会の流れっていうか歴史の流れみたいなのって潮目が変わってくるからさ。その潮目が変わった時に、2024年にもこういうこと考えてた人がいるんだなみたいなことが大事なわけで。
残しておきたいってことですかね。 そうそうそう。残しておきたいっていうか、人間の歴史に参画するってそういうことだなって思うって感じ。
内容の話とはかなり違くなっちゃうんですけど、今回はくだらない要素は薄めでしたね。 そうね。そんなにね、くだらないことばっかりは起きませんよ、僕の人生にも。
そっか。 でもSNSで有権者の認知をハックしてるなんてくだらない話だと思うよ。
単純にやっぱ、選挙の話ってなると恋愛の話よりはどうしても固い話になるじゃないですか。 なるね。
でもこれを言いたかったってことですよね。 言いたかった。あんまり人に話しても聞いてもらえないしね、こういう話。
事前に見せてもらうじゃないですか。その時にいつも私なりの、私の視点からの感想みたいなのをお伝えしてるんですけど、
この連載のコンセプトに沿ってるかみたいなことを、どうしても別に編集者でもないのにちょっと考えちゃう、考えながら読んじゃうんですけど、
反ってなかったとしても、言いたいことがあってそれをちゃんと言い切れてるみたいなのが何においても一番大事だなって読んでてすごい思いました。
ありがとうございます。本当は反ってた方がいいんだけどね。
僕は難しい話をなるべくふざけてしたいっていうことを言ってるんだけど、それが害していることっていうのが、日常のこととして難しい本を読みたいっていう話なんだよね。
15:17
難しい本ってすごくアカデミックな話だから、学問のための学問みたいに受け止められがちじゃん。
でも多くの名著っていうのは別に学問のための学問をしてなくて、その本が言わんとしていることみたいなのの中に、僕たちの日常生活にものすごく関係のあることがあるっていう考えなんだよね、どっちかというと。
例えばマルクスの資本論みたいな分厚くて難解な本で、それを読んだことって自分の人生に何の意味があるの?みたいな本だけど、あれまさに僕たちが巻き込まれているこの資本主義っていうシステムについて、かなり明快に面白く書かれている本だなと思ってて、それって僕たちの日常生活に実は関係してるじゃないですか。
だからこの小難しい本っていうのが僕たちの生活にどう関係しているのかみたいなのが、名著の普段使いみたいなものを考えているわけなんよね。それをなんかくだらないっていう言い方をしているんだけど。
なるほど。難しいと思われている本であっても、実は身近な部分に引き寄せて読むことができるよ、みたいなことを文章で表現していきたい感じかな。
この連載はね、どっちかというと、だから1回目の花束の話とかもさ、花束の話をあれだけ聞くとさ、恋愛初心者にありがちなプレゼントのミスの話とかさ、好きな女の子との距離感の詰め方のミスの話とかさ、そういう話と読めるじゃん。
雑魚論の話の方はさ、南太平洋の日本からすごく遠いところにいるよく知らん民族の、よく知らん人々のやり方みたいなのを、よく知らん昔の偉い先生がなんか難しいこと言ってるみたいな本なわけじゃん。
で、それで物をあげたりもらったりあげたりもらったりするのって、なんかいいらしいぜみたいな本なわけじゃん。でもこの2つが実はくっついてると思うと双方の見え方が変わってくるじゃん。
そうですね。 そういうのが面白い。だから古代人の自由と近代人の自由もフランス革命の時のなんていうかなイデオローグがなんていうかなフランス人に語りかけた本なんだって思うと、なんか関係のない話だと思うじゃん。だってもうナポレオンはいねえしなこの世にって思うわけじゃん。
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すごい昔の歴史上の人物みたいな、その人がいた時の話みたいに感じちゃいますよね。
でも実際には僕たちの社会にはナポレオンみたいな奴いるわけだよね。憲法どうでもいいやって思ってる奴いるわけで、無能な人間は社会から追放してしまえばいいと思ってる奴いるわけで。これナポレオン時代のフランスとあんま変わんないわけだね。
そうしたら身の回りにそういう人がいっぱいいる中で、コンスさんが何を言ったのかっていうのは、今の僕たちがこの社会をどう見るかっていうことをまた豊かにしてくれる。変えるっていう言い方はしたくないんだよな。
確かに変わっちゃうんだけれども、それを良く変えるとか悪く変えるとかいうことじゃなくて、複数の見え方になる。プレデターの目みたいな感じでさ、熱源が見えるようになるとか、紫外線が見えるようになるとか赤外線が見えるようになるみたいな感じで。
今日の選挙で起きてきた社会、選挙によって起きた社会的現象みたいなのを、この古代人の自由と近代人の自由というフィルターで見ると、こう見えませんかみたいな話よね。花束が潜在的なゴミだと言われたっていうことが、ただ恋愛の文脈だけで見ると残念で悲しい話だねってなるんだけど、
そういうフィルターでピッて見ると、自体はそのように単純な話ではないんだっていうことになるわけじゃん。
だから僕が文壇バーに行ってさ、みんなと話が合わないみたいなのもさ、まあ気が合わなかったんだねみたいな話ではないわけだよね。文化資本のフィルターを通すと。それが意味するところっていうのは、もっと大きい社会的なそのメカニズムと接続しているわけで。
という読み方もできるよっていう。
という読み方もできるよっていう。だから本の読み方っていうより現実の受け取り方みたいなのが、その本というものを通すことによってどうなるのかみたいなのがおもろいかなと思ってやってるって感じ。
構造が見えてくるって感じですか。
構造が見えることもあるし、今回の話はどっちかというと社会的なメカニズムとか構造の話はあんまりしてないから、その自由主義とか立憲主義ということが大事だと思うと、今の起きていることがどう見えるのかっていうことだよね。ある思想の立場に立つとっていうことだよね。
そのような考えに立って選挙を見てみると、じゃあこの選挙で起きてたことっていうのはどういうことになるかっていうのが、本の視点を通すことによって少し見えてくるみたいな感じかな。
そう。
21:00
なんかそう言われるとすごい読んでみたくなりますね。近代人の自由とか外人の自由。
ムロさんの連載を読むと繋がりが見えてくるから、ぜひ読んでください。
なんか唐突にPRが入った。ごめんね。
ストレート。
言わせたみたいな感じにして申し訳ない。
僕の文章も下手だし、やっぱり僕の物書きとしての力量が足りてないから、面白くはないんだけど、そういうふうになればいいなと思って書いてるって感じだよね。
だから今回この本で言いたかったことっていうのは、今僕たちの社会、特にこの選挙の争点になっているような事柄っていうのは、コンスタンが近代人の自由と古代人の自由ってまとめたのとまた同じことでまた揉めてないっていう話なんだよね。
今その勢いづいている人たちが言っているのっていうのは、自分たちを縛る法律とか憲法とかそういったものを最終的には書き換えて、より自分たちが自由に振る舞える社会にしましょうっていう話をしていて。
僕たちは自由っていう言葉だけを見ていると、その人たちの言ってることがめちゃくちゃ正しそうに感じるわけだよね。なんだけどコンスタンの本を読むと、当時のフランスでもそういうことを言ってる奴はいたっていう話で、コンスタンはそういうことを言ってる奴が言ってる自由っていうのは今日的な意味の自由とちょっと違うんじゃないっていう話をしてるわけだよね。
その話をもう既にしているよっていう。
そうそうそうそう。既にしているし、かつ古代人の自由っていうのが今日僕たちの社会を作り出している自由、つまり近代人の自由とどう違うのかっていうことをコンスタンは言ってるわけだよね。
で、この2つを選ぶときにあなたはどっちを選びますかっていう話をコンスタンはしていて、それは近代の自由っていうものを選ばないと、なんかあなたが思ってるのと違う社会になりますよっていう話をしてる。あなたは自由が大事なんですよねと。でも彼らが約束しているのは古代人の自由であって近代人の自由じゃないですよと。
彼らが約束した古代人の自由の社会になったらあなたの近代的な自由ってなくなるんですよっていう話をコンスタンはしている。
で、僕は確かにねって思ってるわけ。今年の選挙、まあ大きいやつ、全国を騒がしたやつ3つあるけど、特許都知事選と衆議院選挙と兵庫県知事選挙、全部同じ構図だったので。
で、日本人は投票権なかったけど、あとアメリカ大統領選挙、これもまた同じ構図なので、このフィルターで見ればね、別のフィルターで見れば全然違う話だよ。これってどのフィルターをかけてどういう問題を見るかっていう問題なんで、選挙みたいなことってめちゃくちゃ複雑な現象だから論点とかフィルターによって見え方がめっちゃいっぱいあるわけ。
24:23
でも今回この僕たちの自由という論点でコンスタンのフィルターで見ると、2024年という選挙イヤーはこう見えませんかっていう話を僕はしてる。
でもやっぱり最初に戻っちゃうんですけど、それをこういう形で不特定多数の人に呼びかけるっていうのはすごい途方もない試みだなって。途方もないっていうのは、届くかどうかわからないものを残してるっていう感じがすごいする。さっきの話だとそれでもいいっていう話だったんですけど。
でもそれをちゃんと届けたい人に届けるっていうことを徹底すると、まさにハックの話になっていく。
そうなんですよね。そうなんですよ。だから、だから途方もないなって思いました。
TikTokで可愛い女の子に踊ってもらいながら、近代の自由大事とかいうのを繰り返せばいいわけで。
でもそんなことをしても本質的には僕の言いたいことは伝わってないわけで。
すごい難しいなって思った。誠実でいるのって。
でも今回僕がコンスタントの方を読んだようにさ、僕のテクストがネット上にあるみたいな、もしくは将来本にならなくても、何らかのことで、このポッドキャストで残るみたいなこととか、いろんなことがあるわけだね。
このいろんなことがあることによって、誰かには届くんだと思うんだよな。
で、それはもうタイミングとかの問題だから。もっと言うと僕のテクストみたいなのが大事なんじゃなくて、僕のテクストを通してその人がコンスタントにたどり着くことが本当は大切なのかもしれないし。
コンスタントの向こう側に、例えばルソーとかモンテスキューとかフランス革命の他の出来事みたいなのにたどり着くことが大事なのかもしれないし、それが繋がっていることみたいなのが多分大事なんだと思うんだよね。
読んだ人がこの文章によって何を発見するかは、その人の読んだタイミングとか知識量とか置かれた状況とかによるかもしれませんもんね。
ティックトックとかYouTubeとかで世界の真実を見つけた人たちがこの僕の文章を読んで、あ、すげえってなるとはあんまり思えないもんね。
27:09
でも彼らはもしかして自分の信じていることを間違っているかと思ったときに僕の文章を読んだら、あ、こうだったんだってなる可能性あるから、別に僕の文章じゃなくてもいいんだけど、他にたくさんあるツイッターの投稿とか、
ハテナブログの投稿とかノートの投稿とかでもいいし、それこそコンスタントの本でもいいし、他にもいろいろな人がいろいろな文章を書いているから、それなんでもいいんだと思うんだけど、そのときにそこにあることが大事だから。
人間の知の営みって本質的にそうだから、届けたい人たちにどうしても届けるみたいなこと、そのものの中にある種の欺瞞というか傲慢さみたいなのがあるなって僕は思う。
それはそう。意図が強くなっちゃうからな。
だから僕は分かりやすく伝えることの悪さみたいな、悪みたいなことについて、やっぱ今年はすごく考えたよね。
僕、言われたことあるから、それを分かりやすく説明して、広く知らしめることっていうのに価値がありますよねって言われたことある。
で、そのときは僕はその意見に必ずしも賛同しないっていう言い方をしたんだけど、より強い否定をした方が良かったんじゃないかなって思い出しますもんね、そのこと。
何かを分かりやすくするということの中に本当は作為が入ってるんだよね。
つまり事実と意見を分けるみたいな話をいくらしたところで、どの事実をどのようにセレクトしたかっていうクリエーションが入った時点で、実はかなりバイアスがかかってる、かなり思想的な行為なんだよね。
人間の知能営みに参画する人っていうのは、それが思想的な行為であり、そこからは逃れられないということを知ってやってると思うんだけど、
昨今のPodcastなりYouTubeなりTikTokなり、ノートとか文字媒体とかウェブ記事とかでも全部そうなんだけど、タイムパフォーマンスとかコストパフォーマンスを最大化するために分かりやすさみたいなのを重視して、
それがクイックに相手に情報として伝わるっていうことを目論んでおり、その人たちは自分たちの行為っていうのが中立的なもんなんだっていう、無色透明なんだっていう言い方をするんだけど、やっぱそれが嘘なんだよね。
30:06
その人の作意が入ってる。でもそれが中立的で透明なものなんだとする振る舞いによって相手をハックしてるわけだよね。自分の言ってることは真実だと相手に知らしめようとしてるわけで、そのようにコントロールしてるんだよね。
私はもうさっきからずっとあまりにも途方のない作業だっていう気持ちに囚われてますね。でもそれをして続けるっていうことがやっぱり大事なのかな。
だから僕アカデミアって指定の関係がなくならないんだと思うんだ。ホリエモンがさ、寿司なんか練習すれば誰でもできるんだから10年も修行するのはバカバカしいって言ってたじゃん。
で、そりゃそうかなって僕も思うわけ。寿司握るぐらい、今どき機械でも握るわけだしさ。それに10年修行するっていうのはどういうことなんだって思うんだけど、寿司をただ抽象的な食い物だと思うとそういうことになるんだと思うんだよね。
でもおそらく寿司職人って店とか仕事とか、仕事の産品として出てくる寿司みたいなものを抽象的な食い物だと思ってないと思うんだよね。具体的な思想だと思ってるんじゃないかなと思ってて。
それって寿司を握ればいいという問題じゃないと思うんだよな。寿司を握るというのはどういうことなのかという話になっていくんだと思ってて。それって自分の師匠の振る舞いを10年ずっと見ることでしかわからないことなんだと思うんだ。
アカデミアが指定関係なのもこれに近しいことがあるんじゃないかなと思ってて。つまり本をどう読むかみたいな。特に人文系の人たち。僕は人文系出身だからさ。理系のラボとかがどうワークしてるのか深いところはよくわからんからさ。
人文系の人たちとかが自分の師匠を持つっていうのは、どう本を読むか。姿勢みたいなものを受け継ぐのにそれ以外の方法があんまりないみたいなことなのかなって思ってるんだよね。
だって情報を取ろうと思ったらさ、その抽象的な情報みたいなのがこの世に存在すると思ってるやんさ。中立的で透明な事実みたいなものの羅列の中から情報を受け取れるって思ってるんだったら、それはわかりやすかった方がいいわけだ。
でも現実にはそんなものないわけで。起きた現象をどのように切り取るかというところにすでにバイアスがかかってるわけだよね。となるとそのような情報発信をどう読むかということが問われるのであって、それをアカデミアの人たちっていうのはその師匠を持つことによってどういうふうな態度を持つかっていうことを10年ぐらいかけてなんとなくわかっていくわけだよね。
33:11
そういう訓練のない人が情報って無色透明だからさと思ってわかりやすく編集したものみたいなのがあって、その人たちを専門家と見るみたいなことの、それが権威化することによってさらにそれを聞く大衆みたいな、それを受け取る大衆みたいなものが無色透明の情報としてめちゃくちゃバイアスかかったものをある種の真実として受け取り、
それを発信する人たちをその情報の権威だと思うみたいなことが起きており、これはかなりこれまでの人間の知能営みに対するめちゃくちゃすごい攻撃だなと思ってて、これに比べりゃ文書控除の方がマシだったよと思うんだよね。
たぶんね、本を焼かれて受写を殺されても残った本や残った受写が知能営みを続けていけるんだけど、今人間の知能営みの中にウイルスを埋め込むみたいなことやってるわから、
高生の人はどれが知能営みに則ったもので、どれがそうじゃないのかみたいなのの判別がどんどんつかなくなっていくと思うんだよね。
数が多いことがいいことだとか、みんなが支持してることだみたいな考え方みたいなのもすごいそれに加担してそうだなって思った。
わかりやすくて、わかりやすいからみんなが見てる、それは当然いいことだみたいな。
たとえば数がたくさん回ってる動画だから、これは客観的な事実だけをわかりやすく伝えている良いものなんだと思ってしまってる。
でもそうじゃない。
数が多いのは大事だのは、それが儲かるからだよね。
でもそれが儲かるっていうこととそれが真実ってあることが同一されてるのが今だと思うんだ。
でもそれは実は別々の現象だからねって僕なんか思うんだけど、
ただ昨今の人々の話みたいなのを聞いてると、僕のこのような態度自体がめちゃくちゃエリート主義的で、大衆に対する差別的で抑圧的な態度だって言われるから、
まあしょうがないねと思ってる。
僕は僕の思ったようにやるけど、その結果もしかしたら大衆に縛り首に合うのかもしれないけど、やるしかないね。
お前エリート主義だなとか言って、突然殺されたりとかするのかもしれないけど、言わないわけにはいかないしなと思って言ってるけど。
36:10
でもじゃあ難しい内容のものが本当は日常と結びつけられるんだよっていうことをいろんな角度から言える連載って結構、
今話してる中では最も誠実な地の遺憾の波へのアプローチになるのかな。どうなんだろう。
分かんない。まあそれも本式の研究者がいるからできることであって、本来は僕のような人間は別に口を閉じてりゃいいんだけど、僕も食っていかなければいけませんから。
食っていくということと、その界面で僕の取れるポジションがここであるっていうただそれだけの話なんだけど、それがもうちょっと大衆に対する神話的な人もいれば、もっと神話的でない人もいるっていう中で、
グラデーションでいろんな人たちがいるから、どこからどこがいい、どこからどこが悪いみたいな話にするには結構絶妙な話だと思うんだけど。
まあそれはそうですね。
まあなかなかね、そこを決めることはできないんだけど、まあそういうのは歴史が決めてくれるから、今あんまり考えてもしょうがないかなと思うんですね。
どこかの誰かに室さんのテクストが届くように、連載もポッドキャストもコンスタントに上げていきましょう。
60点。
37:37

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