1. アポカリ
  2. EP08|オトナと共同体(後編)
2025-08-15 1:22:11

EP08|オトナと共同体(後編)

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投票マッチングサービス/共同体と国家/日本国は何に立脚しているか/突きつけられているトレードオフの重さ/欧州基準の「考えるチカラ」/クズだけどオトナ〜大卒だけどコドモ/キューバからの亡命/逃げ出すサムライ/オタク第一世代に見える貴族性/没頭力と自立/宇野常寛「庭の話」/インターネットに共同体は存在するのか/SomewhereとAnywhere/逃げる気満々の3人/西郷隆盛を尊敬しているのに

製作・配信:密談 @mitsudan_net

毎月第三金曜日配信

有料メンバーシップルーム『セクト』が8月末ローンチ予定

限定トークやエッセイ、メンバーチャットなど、インタラクティブマガジンとして楽しめます

muro @ryunosukemuro

アンソロポロジスト。九州大学人間環境学府博士後期課程単位取得退学後、在外公館やベンチャー企業の勤務を経て独立。社会人向け人文学ゼミ「le Tonneau」を主宰。法人向けの調査、研修、諮問などを請け負っている。Podcast番組「新日本駄洒落協会」「のらじお」を配信中。

つかさ @t_tanimoto

建築事務所勤務。東京生まれ、ブリュッセル育ち。ベルギー国籍。仏語と英語を活かして、翻訳者/編集者としても時々活動。UCL(ロンドン大学)で化学工学、パリ政治学院でコミュニケーションを学ぶ。Accenture SongやBCG Xなどでサービスデザイナーとして勤務後、キャリアチェンジし、現在に至る。valkneeとリー子と『ラジオ屋さんごっこ』配信中。

メチクロ @maticlog

1995年〜造形家として「S.M.H. (ホビージャパン)」誌にて全18作品連載

2000年〜グラフィックデザイナーとして活動開始 [BLAME! 特装版/ バイオメガ / アバラ特装版 / シドニアの騎士(弐瓶勉)] [ハイスコアガール (押切蓮介)] などを担当

2002年〜弐瓶勉・林田球・D[di:]・L?K?O・メチクロによるポータルサイト[MHz/メガヘルツ」を開設

2005年〜MHzSHOPにて、ドロヘドロ・東亜重工などのアパレルプロダクトを製作販売開始

2009年〜造形家として、宇川直弘・THE LEFTY・フルカワミキ・マヒトゥザピーポー(GEZAN)・大友克洋・灰野敬二らのオリジナルマスクを製作

2010年〜オーディオプロダクトデザイナーとして、[HP-A8 / HP-P1 / KOTORI301(FOSTEX)] の他、[TOON WORKSHOP(Mr.Harn / LINKINPARK)/Doublezero(ZEDD)]のブランドディレクターを担当

2019年〜JAPAN PODCAST AWARDS製作総指揮(第三期を以て退任)

2019年〜IKEUCHI HIROTOの顧問として参画

2021年〜ぷにぷに電機と共にPodcast『LAUNDRY AM』配信開始

2022年~株式会社雑談を設立 [CRAFTBEER BAR & PODCAST STUDIO雑談・営業開始]

サマリー

このエピソードでは、共同体と個人の関係、政治参加におけるリテラシーについて議論します。投票マッチングサービスを通じて、現代の民主主義における意識の変化や、選挙に対する個人の責任について掘り下げます。また、個人の自由や社会契約について考察し、特に日本の民主主義やその運営について討論されます。エリートと一般市民の関係や、自己決定の難しさについても探求されます。フランスの教育と日本の教育の違いについては、考えることの重要性が強調されています。特に、大人とは何か、共同体における政治や社会的意識の形成について深く掘り下げます。経営者としての責任や組織の崩壊、国家の共同体の重要性についても言及され、個人の没頭力や自立の重要性が強調されます。特にオタク文化が社会的価値を生み出す様子が描かれています。国家と人権、共同体の概念について議論が交わされ、現代社会における共同体の存在と意義について考察します。インターネットがもたらすつながりの形や、一人一人のアイデンティティについても触れられています。共同体の持つ力やそれに対する個々の責任についても議論され、参加者は自由意志や個人の生存の観点から共同体との向き合い方を模索し、結束や連帯の重要性を考え直します。

共同体への意識
さあ、じゃあちょっと後半戦で、今いい流れで、個人とか大人っていうのの定義を一生懸命話した後、muro さんの問いかけで、共同体につながる話題に来たなと思うから、ちょっと次。
個人っていうものがそれぞれ認識としてありながら、じゃあ僕らって共同体とどう向き合うのか、付き合うのかっていう話をしていきたいんだけど。
じゃあ、僕らって日本語話者として、日本国民として1億2000万人の国に暮らしていることにはなっているか、今あらゆるところで、僕らって一緒に暮らしている仲間ってその数いるのかっていうことがなんか脅かされてる気がしていて、
で、まあそれは民主主義の話だったりにもつながると思うんだけども、じゃあ僕らって隣人をどう見てるのかの話からしたいんだけども、さっきちょっと休憩中面白い話題があがって、ちょっと塚曽さんから、今共同体の話をする前提として思いついた話をちょっとしてほしいんだけど。
はいはいはい、なんかさっきその前編で、メチクロさんがおっしゃってた、考える力を人に委ねるみたいなことをおっしゃってて、そのいろんなところの意思決定を委ねれば委ねるほど、違う立場とか違うシステムに委ねれば委ねるほど、大人と見れないみたいな話をする。
見ちゃう。で、僕も全然それはある程度思っていて、で、それでパッて思いついたのが、その選挙の、選挙期間にすごい話題になるとか、普通に利用される、投票マッチングサービスっていうのがあって。
今ちょっと前提として伝えると、今日が実は、7月9日で、都議選と参院選の中間にある日取りで今収録していて、実際公開されるのはもと後なんだけれども、ちょっとその前提でもさらにホットな話になる。
まさにそうですね。ちょうど今いろんな人が使って、まあそのような人たちはもしかしてお二人には周りには、いい意味でいないかもしれないですけど、僕の周りではもう投票マッチングサービスを使って、それを結果をスクショして、インスタとかに載せてる人がめっちゃいるんですよ。
マジか。使ってる人いるんだっていうのが驚きだった。
使うのは僕も使いました。
だってさ、質問に答えたら、自分が投票すべき投票を先に教えてくれるなんて、最高じゃんってなるじゃないですか。
やってみたら、全然教えてくれないから、アルゴリズムが狂ってると思うんですけど、投票結果が出て、もうある程度1ヶ月、2ヶ月経ってから多分この配信出ると思うので、予言しておきますけど、
もう皆さん自分の投票行動に、今反省しているところだと思うんですけど。
確かに。
で、室田さんにとっては大事な話だよね。
大事な話。
大事な話なんで、ちょっとあなたの自由を侵害するっていう風に思えるかもしれない感じで言いますけど、
やっぱね、このアルゴリズムは狂ってると思ってて、全然自分が本当に投票すべき投票先を返してくれないんですよね。
でもそれ使ってみて初めてわかったから。
だってサービスの立ちつけはやっぱパラダイスみたいな約束ですもんね。
最高ですよ。
質問に答えたら。
質問に答えたら、自分が投票したいところを教えてもらうっていうところで。
やってみてってなりますよ。
そのデータベースは基本的に候補者や政党が公表しているマニフェストだったりっていうものをベースにして。
超シンプルで、投票マッチングを設計してる側は、項目を20個ぐらい作って書く分野で、
それをいろんなスタンスあるじゃないですか。
そのスタンスを4つか5つの項目にして、各回答に政党を当てはめて、
投票マッチングの実態
最後に一番近かった政党をバッて出してくれるんですけど。
じゃあ例で言うと、夫婦別姓を賛成の人かどうかっていうのを、質問が夫婦別姓どう思いますかみたいな。
そういう意味がね。
まさにそういう夫婦別姓、賛成やや賛成、反対やや反対、わからないみたいな。
で、反対に言ったら、自民党の相性とか賛成党との相性めっちゃいいですねとか。
ただ、賛成にすると、本当に賛成な人たちの政党が今めっちゃ多いじゃないですか。
その全政党とNパー寄与されるんですよ。
じゃあ、これシンプルな質問なんだけど、多くの人はマニフェスト、彼らが言ってるマニフェストがその通り実行されてるという期待をもとに投票してるってことなんだ。
そうです。なので、そういう政治の、それは別に市民を僕批判したくはないですし、
細かいところなんで、まあまあ政治興味持ってないとそこの温度差は理解できないと思うんですけど、
まさにその実現するかどうかとか、
手法とかまでは、減税とか増税とか、イエス、ノーとかで、どうやってそれするのとかは全く書かれてないんですよ。
その投票マニフェストに。
そうなるよね。
なので、僕は今話してて気づいたのが、使ってる人たちより投票マッチング設計してる者たちをすごい非難してる。
やばいね。やばいけど、でも確かに一事業者としてそのアプリをワークさせようとしたら、そういうことをやるよなとも思った。
でも政治の力学っていうのが、そんなマニフェストを守るとか、そういうことと関係なく動いてるっていう事実みたいなもの自体を多くの有権者は知らないから、それがワークするという。
そうです。リテラシーの話になると思いますね。
ちょっと話を広げると、先ほどメチクロさんが言ってたことにすごい近いことがあると思ってて、
この投票マッチングを入り口として、
投票マッチングを使ってる時点では部分的にその意思決定を委ねてるじゃないですか。
で、その中で、なんかスクショしたり、投票しようとか言ったりしてる。
で、なんかすごい情熱持ってるようにしてるのに、
政治とかにある程度興味持ってないのが、すごい違和感を持ってて、僕は。
だからそれは、選挙マッチングしたアプリの結果をSNSに上げて、みんな投票しようねって言ってる友人とかフォローフォロワーが、
塚田さんの見える範囲にいるっていう事実があるってことで。
めっちゃいます。
めっちゃいる。
それを別に非難してるわけじゃないですけど、
人によっては、その熱があるんだったら、
それが本当に実在として、さっきの言い方を変えると、
実在としてそれを本当に思ってるんだったら、
別にオタクになるとは思えないし、学者になるとは思わないけど、
ある程度その途中の期間も興味持ってよって思うんだよね。
その政治への興味と、言ってることが全く乖離があるから、
よく違和感いただけますよね。
大前提さ、僕らってそういう人たちと同じ共同体にいるんだよね、きっとね。
だって、1個投しているじゃないですか。
つかささんの友人なのか、周りにいる人がそうっていうことだよね。
全然一部友人ですし。
僕は共同体にいると思ってない。
同じ国家に所属してると思うけど。
じゃあ、共同体と国家っていうのは、今言語的にムロさんの中で定義として考えてる。
ちょっと説明してもらってもいい?
確かに。
やっぱり共同体っていうのは、
自分の生きる場所みたいなのを提供している自分の所属集団だと思うんですよね。
それは1個じゃない人もいるし、複数いる人もある人もいるはずで。
国家っていうのは、ただそのようなものであろうって思う人もいると思うんですけど、
でも、僕からすると国家ってどちらかというと、
組織的なものというか、
共同体と組織みたいなものを分けて考えた時に、
国家は共同体というよりやっぱり組織的な性格の強い存在だなと思っていて、
ある特別な目的のために作られた社会集団。
共同体っていうのはそれが存続していて、
そのメンバーが生きていくっていうのができればOKなんだと思うんだけど、
国家っていうのはある特定の目的っていうのを
コンプリートしないって意味がない社会集団だなと思っていて、
国家が体現する目的っていうのは基本的に憲法で定められているっていうもんですね。
この国っていうのはこういう国であって、
こういう国になろうとしていますよっていうことが基本的には憲法に書かれている。
で、そうなってくるとそこに所属している人っていうのは、
生活を共にしてやろうが共にしてまいが、
意見が同じであろうと間違っていようと、
その目的のためにコミットするみたいな話なんだと思うんですよね。
で、たまたま日本の国家っていうのは、
日本に住む人っていうのが平等で幸福を追求できるような状況を提供するっていう話をしているので、
それにコミットするっていうことだとは思うんですよね。
政治参加の重要性
ムロさんの言う共同体と仲間ってどのぐらい乖離している?それとも含まれる?
共同体の中に仲間があるっていう感じかな。
より少ないサブカテゴリーみたいなもの。
で、その仲間の単位がムロさんが前回言っていた、
なんだっけ、セックスさせてくれる人と話が通じる人みたいな、
そこが超最初。
あとお金をくれる人。
お金をくれる人。
はいはいはい。
直接的な。
文だけな人とセックスしてくれる人はいい。
マジで意味わかんないかもしれない。
前回聞いてね。
だから要はムロさんが日々生きる営みの中で関わりのある人っていうのがムロさんにとっては仲間っていう範囲。
でもそうかもしれない。
なんか共同体とあんまり被ってないかもしれないですね。
だってその人が自分の共同体のメンバーかどうかあんまり僕にとっては大事じゃないから。
別にそれがキューバ人でもコロンビア人でも中国人でも何でもいいし。
そうね。
だから今すごく僕の中でクリアになったんだけど、
選挙や政治が大事って言ってるムロさんのその感覚は僕もある程度近いのだが、
僕がそういう政治とか選挙をどう感じているかっていうと、
僕にとっては自然現象と同じだと思ってて、
例えば気候変動に影響を与えるからCO2に対する取り組みを自分なりにできることは何かっていうのかなり近いっていうか、
だから自分の力ではどうにもならないような自然のようなものなんだけれども、
僕の行動1個の影響がバタフライエフェクト的に何かしら作用するものが政治だと思っていて、
だからこそ僕が例えば漁師だったら、
今日の海の荒れだったりとか風の強さだったりとかが直接影響するから自然に関心を持つのと一緒で、
僕は世界の情勢や日本の国勢みたいなものも自分に自然的に影響、自然の転向のように影響があるから関心を持っている。
ただしそこが自分と切り離されているのはなぜかっていうと、
やっぱり自然のこと、風だったり流れなので、
じゃあそこの流れに対して僕っていうのは地中海性気候に生きてるんだろうか、
アネッタに生きてるんだろうかっていうところのもう逃れられない日本国っていう枠があるので、
そこの気候の中で僕っていうのはこの自然をどう見て、
その自然に対してどう関わろうかっていうところの責任はある。
そういう意味ですごく大事。
ただ僕がよくリベラルの話をするときに言っている話っていうのは、
そういう政治とか国家っていうよりもどっちかというと共同体の話をしているような気がしていて、
僕らの仲間が仲間として存続するためにすごく重要な関わりのある共同体っていうのは、
僕に関係のある政治の話だったりするみたいな。
そういう切り分けをしている3段階ぐらい。
なるほどな。
わかんないな。ちょっと塚田さんの意見も聞いてみたいですけど、
僕は全然、何て言うかな、自然現象的なものだと思っているんですよね、政治を。
かなりリアルな僕たちの生活の話がされていると思っていて、
塚田さんはどっちかという、どっちですかね、また別の立場かもしれないですけど。
選挙…投票券ないんで、選挙券ないんですけど、僕が見てる限りは、地方選と国政でちょっと分かれるかな。
地方選だとリアリティが当たり前ですけど、かなり増すんで、どちらかというとムーロさんに近づきますし、
国政だと最近は、特にこれは自分のムードでしかないんですけど、
なんか無力さが強いんで、ちょっと自然災害ほどはいかないけど、気持ちはわかるっていう感じがします。
なるほどな。
でも、めちくらさんほどは、外部化はしてないかなと、自分も。
ただ、僕すごく興味を持って、たぶん普通に無関心な人に比べたら圧倒的に色々調べるし、持ってるんだけど、
その自然との距離っていうのって、たぶん田舎育ちだから、ちょっと感覚が、説明がいると思うんだけど、
どちらかというとアニミズム的な自然として考えてるから、かなり繋がっている。
関与して自分の影響によって大きく明日の台風を止めるみたいな力はないんだけれども、
個人と社会契約
僕の信仰として、例えば海に今日釣りで使った釣り糸をそのまま放置したら、この自然環境っていうものが変化してしまうっていう意味でいくと、
日々の営みの中のディティールの中にも、僕の影響っていうのがかなりあるっていう意味でいくと、かなり繋がってる。
離れてるものというよりは、その一体の中にいるので、逃れられないその一部だっていうのがあった上での自然。
ただ人間のことあり祭りごとみたいなものほど、いわゆる民主主義の中の一員っていうほど、そこにリアリティ持ってないって感じ。
だからそこは西洋と日本だったり、地方民としての僕だったりっていうところがかなり違う。
民主主義の手触り感っていうところのギャップを言ってるような気がする。
なるほどな。
まあ、そうですよね。
僕、メテクロさんのおっしゃってることは、結構多くの日本人の素朴な感覚なのではないかなと思っていて、
つかずさんの分析、地方線はリアリティが増すけど、国勢はリアリティが減るみたいなのっていうのも、
おそらく分析としてそうだろうなとは思っているんですけど、
その上で僕は考えるのは、とはいってもやはりという話であって、
今、日本という国家、日本国というものが何に立脚しているかということを考えなければならず、
それは憲法に基づいた政府っていうのが、民主主義によって浮躍する国家だっていうことだと思うんですよね。
これが何を意味するかっていうと、そのように僕たちがサインしたわけでも、
ハンコついたわけでもないから、理解しづらいところではあると思うんだけれども、
社会契約が存在するっていう話だと思うんですよね。
僕たちはそのように社会を営むということをあらかじめ契約した状態に今ここに存在しているっていうのと、
その社会契約をするときに大事なのは、すべての国民、ないしは日本に住む外国籍の人もそうだと思うんですけれどもが、
平等に扱われるように基本的な人権っていうのをすべてのホームサピエンスが持つという立ちつけのもとに、
それらの基本的な人権を持つホームサピエンス同士の相互契約の結果、この国家を運営するっていう立ちつけだと思うんですよね。
そうね。
で、なんていうかな、ってなるとこの立ちつけをワークさせる必要があるっていうのは僕の意見なんですよね。
自由の重さとエリートの責任
要は機能しなかったら壊れてしまうというか危うさを生むってことですね。
そうですね。で、それはつまり社会契約も人権もない社会になるっていうことだから、
それは人類の歴史で言うと、ほとんど人類の歴史は大部分そうなんだけれども、
序列が支配を生む社会っていうことに、で、暴力が基本的には暴力っていうものが支配する社会になるっていう、
まあそれだけの話だとは思うんだけれども、
つまり国家が自分たちの意思によってコントロールできる、自分たちっていうのは自分の意思じゃないですか、
自分一人っていうのは非常に小さい力なので、自分たちの意思によってコントロールできるっていう感覚を持たない、
もしくはそれを嘘だとか、なんかキレイごとのまやかしだと思えば、
今のところ人類に残されている選択肢っていうのは支配と暴力の社会っていう、
この2者卓一に常に晒されているっていうことだと僕は理解しているんですよ。
で、その意味でリアリティがあるっていう話ですね。
だから中世に戻ってしまいますけど、いいんですかっていう問いでもあります。
そうですね。
で、そこでさっきの個人の話にちょっと戻すんだけど、
そうそう。さっきエイリフ・フロムがね、
さっきの話の中で、中世ヨーロッパには個人に自由がなかったって言ってて、
誰もが社会的秩序の中で役割を持っていた封建社会においては、
個人的な自由がないが心の安定はあったって言ってるんですよ。
要はさっき言った人権だと、圧倒的な序列や階級っていうのがあるんだけれども、
そこに役割を与えられてるから、別にその個人の自由だなんだっていうことを考える必要がなかったから、
ある意味心の安定があったのが中世だと言ってる。
で、そこからいろんな闘争を経て、人類っていうのは西洋は特に民主主義だったり人権だったりっていうものを獲得したのが今の近代だとしたら、
で、そこで個人っていうのは自分の自己決定責任とかっていうものを与えられたんだけれども、
自分の役割を与えてもらうことができなくなったとも言える。
だからみんな苦しんで、そこから闘争するためにまたファシストたちを選んでしまった。
自己決定しなくても勝手に上から自分の役割を与えられるものを選んでしまって、
ああいうことになったって彼も言っていて。
だからどっちなんだろうねとも思える。
今みんなが向かってるのって、自己決定、それこそ選挙ですらマッチングで自動的にそこに委ねるし、
さっきも言ったんだけど、自分の恋愛や結婚ですらマッチングアプリに委ねるしっていう、
自己決定、自由がこんだけ与えられているにも関わらず自分で決めるっていう苦しみから逃れるために何かに答えを求めるっていうのをやるってことは、
より法権的な忠誠のことを、民衆を求めているようにも言えるよね。
僕はそこに、それがピザよりも重い問題かなって思ってる。
そこが本当にトレードオフであることを分かって決断しているのかなっていう。
ツイッターとか見てても、今日のリベラル批判をしている人は、リベラルの人たちっていうのが、
自由の重さっていうのに民衆が耐えられないってことを分かってないっていうのが首相だと理解しているんですよね。
なるほどね。
で、僕にはそれが客観的外形的にどうであるかは判断できない。分からない。
多くのホモサピエンスが本当に自由に耐えられないかどうかは、僕には分からない。
そんなこともないだろうと思ってるんですけど、そんなことはないだろうという、いくつかの説もあるんだけれども、
でも、もしかしたら本当に耐えられないかもしれない。
でも、本当に耐えられないからといって、それを手放すのかみたいなのは、ちゃんと問われてないと思うんですよね。
今、多くの人たちはそこがトレードオフになっているっていうことを理解しないとか、
教育と共同体の考察
もしくはかなり意図的に隠蔽されたまんま決断させられようとしていると思っていて、
それがやべえじゃね?って思ってるっていう話ですね。
で、僕が言う、その今リベラルな発言をしている人たちのインテリア・エリートっていう人たちっていうのは、
本当にそれでいいの?っていう警告を本気で発しているとも思ってはいるんですよ。
でも、その声が届かず、さっきのようなレーション的に扱われて、
小集団だからね。エリートやインテリのいうことって。
でも、室さんを含めて、そこは本当にいいんですかっていう言い方でずっと言ってるつもりなんだけども、
ずっと言われ方は、さっきのレーション的にはない人にそう言われるみたいな。
それはある意味しょうがないですよね。だって、こっちは自由意志を信じているから、
このこれとこれですよっていうことを説明することしかできない。
最終的な決断権はあなたにありますっていう話をしていて、
エリフロムの説明のような形で安定を求めている人たちっていうのは、
安定をしたいのであるから、決断をしたくないって言ってるわけですよね。
ただ決断を迫る人間っていうのは、残酷で冷酷に見えるのは当たり前のことで、
分かってないって言われるのはその通りなんだけれども、
リベラルな人たちが、あなたの自由の方が大事なんだから、
自由をあなたの代わりに選んでおきましたよって言った瞬間に、
それはまた崩壊していくわけですよね。
そこが難しいところだなとは思うんですよね。
だから、伝え方の問題だとか、もっと分かりやすくみたいなことを
みんな言うし、それは部分的には正しいと思う。
エリットが対象を理解していないっていうのは本当にそうだと思うし、
間違ってはないと思うんだけれども、
ただ究極のところは、いくら分かりやすく言っても、
いくら対象の中に入っていっても、
その問いを突きつけるというところは変えられないと思うので、
あんまり根本的解決にはならないと思うんですよね。
そういう気がするよね。
僕も立場は違うんだけど、ほぼ同じ感覚はあって、
どっちかっていうと、僕はそこから離脱してるから、
距離を取りたいって言ってるんだと思うんだけど、
メッセージは一緒なんだよね。
僕が許せないエリート、この前から言ってるエリート批判のエリートって、
その本気で、今の民主主義だったり三権分立っていう、
前提が崩れるっていう警告をしてたりする活動をしてたり、
言論をしてる人たちっていうのは当てはめてないんですよ。
僕の言う多くの批判してるエリートっていうのは、
そこを無自覚に、自分が今得ている権利っていうものを全く意識せずに、
消費行動的に左右されてしまう、
本来エリートクラスっていう権利を与えてるにも関わらず、
それを行えないクズたちっていうのを打ってる。
別に選挙マッチングアプリで投票しようが、
自分の恋愛相手をマッチングアプリで選ぼうが構わないんだけれども、
あなたたちがその消費行動なり意思決定行動の大前提として、
当たり前とされているものっていう、
いわゆる民主主義だったり、さっき言ったシステムの部分っていうのを、
どこまで理解してるのかっていうのを教えるのが、
少なくても大学教育だったりとかみたいなものだったんじゃないっていうのを、
僕が高卒で大学に行けなかったからこそ思うっていうか。
大学というか、僕の理解では、ちゃんと義務教育で教えてもらってると思うんですよ。
15歳の時にそれを理解できるかどうかは、結構難しい問題あると思うんだけれども、
一応前提的には教わってると思うんですよね。
なんだっけな、ちょっと何かを言おうと思ったんだけど。
じゃあちょっと続けると、僕はいわゆる義務教育プラス、
名前掛けは入れるような田舎の公立高校しか出てないんだけど、
そこまで国っていう当たり前の先人たちから積み上げたものによる教育によって、
今言ったぐらいのベースは当然知ってるし、それをベースに生きてるわけですよ。
そこから先、自分で学び続けるっていうことをすることは当たり前だったんだけども、
僕、高校を卒業して東京に出てきて、
普通に職人の場に場を与えられて生きた時に、
最初18歳で何考えたかっていうと、
こっからの4年間本気で取り組まないと、
大学から出てきた有利な奴らに僕の生活が奪われると思って一生懸命働いて、
やってみて出てきた人たち見たら、あまりに子どもで、
誰も勉強も練習も試合もしない輩たちが隣にいたんですよ。
すいません。
僕もそうです。すいません。
しかも僕はその状況に13人いまして。
ごめんごめん。これは僕の弱者的ポジションを使ったマウンティングなんだけど、
いやいや、それは良くって、
でも別に大学に行かなければ得られないものじゃなくて、
普通に僕が得られた義務教育で十分この民主主義っていうものだったり、
大人としての役割だったり、
社会にとっての自立って何なのかってことは十分教えてもらえてるんですよ。
にもかかわらず、ちゃんと社会の保護のもとに大学や就職っていうものを与えられた人、
もう僕はエリートって言ってるんだけど、
彼らがあまりにも無自覚な、
ただのハッキングに負ける消費者みたいな行動をとってるっていうのの危うさは感じてる。
で、僕はそこの共同体にいるのかっていうことはあんまり認めたくないっていうか、
ただ国家みたいなところの自然っていう意味では一体の一員なので、
彼らの動向や彼らの癖、言動の癖みたいなものは注視してなければいけないけれども、
別に彼らを仲間とも思ってないし共同体とも思ってないみたいな、
そういう部分がすごくある。
だから、ある意味すごく少ない村でまだ生きてる感じが俺の中ではある。
めちくろさん、今の話聞いてるとなんかその、
まあいろんなある程度理由はあると思うんですけど、
高校卒業間際でも既になんか考える力というか、
自分の意思決定とか周りの物語に対して考える力をすごい持っていったのではって
すごい感じてて、
僕はすごい社会大きく見た中でも恵まれた環境だったとしても、
今はある程度考える力持っていると信じたいが、
教育と考える力
18歳の自分はマジで考える力がなかったと思うんですよ。
全部与えられて、いい大学行かせてもらってみたいな感じだったんで、
で、そういったことを見ていると、
ちょっと軸が違うんですけど、
日本の社会と僕が経験してきたフランス教育だと、
なんか社会として考えることを、
日本はそんなにインセンティバイズされてないのかなってすごい感じる。
もうちょっと室さんの意見も欲しいんですけど、
ちょっと僕は具体例から入りますが、
ちょっと前編にいい感じにつなげれると思うんですけど、
大人とはみたいな話じゃないですか。
僕はフランス教育を受けて、
僕は4歳からフランス教育を受けてんのに、
すごい日本家庭だったんで、
それでもカルチャーショックだったのが、
あっちはなんか考えることが大人っていう概念がめちゃくちゃ浸透してるんですよ。
で、それをどういうふうに、すっごい古い記憶を今辿ってたんですけど、
どういうところで感じるかというと、
具体例2つあるかな。
1つは一番明確なのが、なんか僕の、それは家庭によるんですけど、
僕の家庭だと成績いいのが第一番。
でも、なんかめちゃくちゃ成績悪い友達いっぱいいる中で、
いっぱいいるというか、普通に周りにいる中で、
僕と比べて全然悪いのに、
なんかすごい親は考えた中で、
今理解したなら、全然悪い成績でもいいんじゃないっていう教育方針になったんですよ。
今したら、まあそういう普通に温かく思いますけど、
10歳とかの僕はもう、カルチャーショックだったんですよ。
成績100パー、一番Aだろみたいな感じで、
それが今も振り返るとすごい響きますし、
僕はそういった家庭に良くも悪くもフォーマットされたせいで、
高校、それはちょっと僕はバカなっていう話になるんですけど、
高校になって哲学の授業があったんですね。
で、哲学、今となったらすごい興味持ってるんですけど、
当時はもう僕理系で本当に追いにくかったし難しくて、
常になんか隣の子のメモを一個一個取ってたんですよ、コピーして。
で、なんか考える力ないのって切られて、途中に。
常に隣にいて、席変えてて先生に言われて。
それは何?要は過保護になりすぎるからってこと?
僕が常に何て書いたの?何て書いたの?つって、
メモってそういう意味なんだって。
考えずにその答えだけをハックしようとしてるやつに見られたから。
見られたっていうか嘘だったんで、考える力なさすぎて。
確かにハッキング野郎になる可能性すごい高かったってことだよね。
で、そういった体験がある中で、
社会なのか、そういった教育方針がある中で、
それを共同体につなげると、政治になって選挙になると、やっぱりみんな考えるの好きだし、
社会として、それこそ空気ではありますけど、
考えれない人は大人じゃないよねっていう空気は、
日本以上には漂ってるかなとはすごい思いますね。
日本における政治の話
じゃあわかる。
ムルハンつなげる、なんか。
そうですね、なんか、日本だと、
比較的どうだろうな、逆と言ってしまっていいのかわからないですけど、
人前でイデオロギーや政治的立場を表明する人は大人げないとされますよね。
確かに。
どちらかというとね。
コンフリクトを生み出す人間だと思われるから。
そうね、調和を生み出すやつ。
そしたら、そういうやつは大人げないでなるなとは思う。
で、もう一つは、多分何か社会的権威が伴ってないと、
政治の話をできないみたいな先入観もあると思う。
なるほど。権限がない人と言われるみたいな。
そうそうそうそう。
だから、村長さんは政治の話をしていいとか、
校長先生は政治の話をしていいとか、
名主さんは政治の話をしていいとか、
百姓はダメだみたいなのがあるんじゃないかなと。
だから、普通のサラリーマンで政治の話をしててバカじゃないのみたいになるのがあるんじゃないかなと思ってて。
共同体の意識
で、インターネット上で政治の話をやたらしたがる人がいるのもそれだと思うんですよ。
今度はそれを逆転させて。
与えられてないから、その場では許されてると思ってるから。
いや、政治の話をすることで自分は偉いんだということを見せようとする。
新しすぎる。なるほど。
かわいそうな人だ。
だから、なんかずっと空虚な話をしている。
その褒められたいのが多分出ているから、
感じる。
その中身がないというか、どこに向かっているのかがわからない。
その時に受けが良さそうなことをずっと言うから、
じゃあその話っていうのを全部まとめると、
どういう社会になるのかちょっと想像できないんですけどって言ったら、
想像できないんですけどって質問されたら、
あなたバカなんですか?みたいな。
もうちょっと勉強してくださいねって言うみたいな人が出てきてるよなっていう印象はありますけどね。
いいね。
俺がさっきの大学に行ってない僕から見た社会みたいなのの延長で
つかささんの話につなげると、
なんか出てきた同い年の子たちを見て、
なんかやっぱシンプルに今の話題の延長で言うと子供だなって思った。
18歳で社会に出る前からそこの意識があった僕が前提として1人になって生きた4年間と、
出てきた大学生の新卒の子たちみたいなのを見たときに、
ガキだなって思った。
で、そのガキだなって印象の人ってそのまま40歳まで同じ印象なんですよ。
全員大学、僕の思うイマジナリーな、
僕の思う、
ベッテリー張りすぎ。
イマジナリーな大学生っていうイメージね。
大学生のような恋愛感だし、
大学生のようなお金の使い方だし、
大学生のような自己実現をしようとしてるし、
そんな目で見てるの見ないでくださいよ。
そこのディティールが今つかささんのワードによってかなり固まったんだけど、
要は考えてる人か考えてない人かでそこを子供かどうか見てたんだなと思っていて、
そこで勘違いは当然お二人は僕は子供として見てないし、
考えてる人だなと思ってるから付き合ってるし、
大人だなと思ってるし、
あと比較として僕の海外で会ったやつら、
クラブミュージックだったりアートだったりっていうから、
ろくでもないやついっぱいいるんだけども、
そういうフランス人やアメリカ人を見てると、
彼らってバカでクズだけどガキじゃないんだよね。
いる、そういう人。
めっちゃ面白い。めっちゃいます。
外人の同じようなどうしようもない僕も含めたやつらを並べると、
日本人のどうしようもない僕の隣人っていうのはすっごくガキなんですよ。
でも、西洋人のそういうやつらって、
どうしようもないクズでバカだけれども大人なんですよ。
いいペルソナですね。
もちろん考えない人もいますけど、
それで考えるなんかいますよね。
僕は国家としてはつながってないんだけど、
共同体の中の一員にいるなと思うのはその校舎の外人たちなんですよ。
やつらとは同じ価値観、文化を生きて何かを信じようとしてると思うから、
投票行動とは当然つながらない仲間なんだけど、
彼らは僕は共同体だと思ってる。
仲間かどうかだと分かれるんだけど、
そういうグラデーションは僕の中にすごくある。
なるほどな。
でもそれは分かります。
僕がキューバの時に仲良くしてた、
なんか兄弟みたいな感じのやつがいるんですけど、
結構年下なんですよね。
8個か9個ぐらい年下なんですけど、
僕のことをムリートって呼ぶんですよ。
ムリート。
向こうでみんな僕のことをムロって呼んでたんで、
スペイン語でムロって壁のことだから覚えやすいんで、
ムロですって名乗ってたんですけど、
ロナウドっていうのは何か言葉につけて、
なんとかちゃんみたいな。
例えば、
そういう風なロナウジーニョみたいな。
ロナウドとロナウジーニョみたいな。
なんとかちゃんみたいな。
ちっちゃい方みたいな意味なんだけど、
こいつ8個の年下のくせに、
ムリートムリートって思ってたんだけど、
彼はやっぱ同じでストリートワイズだったんですよね。
僕は調査目的でもあるんで、
彼によくインタビューしてて、
彼はキューバを出るつもりはないと。
キューバの若い人たちって基本的にみんな亡命するんで、
キューバ出るつもりはないっていう話をしてたんですけど、
僕が日本に一時帰国してるときにキューバを出て、
そのまんま、なんていうかな、
エクアドルに行ったのかな。
エクアドルから陸路でアメリカに行って、
今アメリカに住んでるんですよね。
で、そのときもめちゃくちゃ大変で、
なんていうかな、
オママ政権がキューバ人に対する入国ポリシーを変えるという噂が出回って、
実際変えたんですけど、その後。
キューバからめちゃくちゃ亡命者が出て、
そのメインルートがエクアドルから陸を北上するっていうやつで、
コスタリカは国境を占めて、
ニカラグアでキューバ人が1万人のキャンプになるとか、
結構大事だったんですよね。
特にコロンビアとパナマの間の国境って、
ジャングル地帯でほとんど陸路で動けなくて、
いくらかお金を払って船で輸送してもらうのが主なんですけど、
それでブローカーにお金を払ったら騙されて、
見ぐるみ剥がされて、
コロンビアで靴もない。
靴の中にお金隠すから靴全部壊されるんですよ。
状態の中で1週間ぐらいでなんとか連絡してきて、
みんなでお金集めてお金送ってみたいな感じだった。
お金送っても受け取り手からまたフィー取られるし、
めちゃくちゃあったんですけど、
なんかやっぱそれをやりきってアメリカに行ったんですよね。
行けなくて死んだやつも結構いて。
で、やっぱ大人。
僕はやっぱムリートと呼ばれて叱るべき。
彼から見たら30にもなって、
なんかよくわからないことやってさ、
毎日クッチャネクッチャネして、
なんだこいつって思ってたわけですよ、多分ね。
ヘラヘラしやがってって。
いや、ほんとそうなんだよ。
そうだなっていうのを今すごい思いましたね。
だから自分の意思で生きるっていうシンプルな言い方1つとっても、
それを大人と言うんだとしたら、
僕が感じる共同体の仲間って、
それこそドラッグやるようなフランス人とかも含めて、
ひどいやついっぱいいるんだけど、
そいつらはやっぱ共同体に見えるんだよ、大人だから。
でも残念ながらなんか、
この土地で生きていて多くの人たちは、
僕が何か行動するときに一緒に動きたくないみたいなね。
やっぱね、負傷兵を抱えて戦場に行くような気分になるっていうか、
それすごい分かる。
背中預けられない。
預けられない。逃げ出すもん。
そう。
そういう考えてないやつ。何が起きるか分かってないから。
そうなのよ。
さっき何を言おうとしたか思い出したんですが、
中世に戻るか、今ここに留まるかっていう判断ですよっていう話をしたときに、
俺は分かってるよって、中世に戻るんだよっていうような、
特に男性に多いんですけど、
いっぱいいるじゃないですか。
今政治勢力としてめちゃでっかくなってるじゃないですか。
その人たちにインセルと名前をつけてみたり、弱者男性と名前をつけてみたり、
おじさんと名前をつけてみたり、いろいろな言い方があると思うけど、
やっぱ僕が彼らにすごく感じるのは、やっぱ現実感の欠如なんですよね。
自分が中世になったら王様になれると思ってる?
自分が武士になれると思ってる?自分のこと侍だと思ってる?
でも自分のこと侍だと思ってる奴がガラ言ってたのに、
ちょっとしたトラブルで逃げ出したのめちゃくちゃ見てきたから、
僕はその人たちのことずっと考えてると思ってた。
考えて、だから僕の兄弟分と一緒ですよね。
一緒で自分がコロンビアからアメリカに陸路で行くっていうのは、
どういうことか分かってやってるんだと思ってたから、
経営者の責任と組織の崩壊
逃げ出せないじゃないですか、もう。
もう留まって、来た来た行くしかないんですよ、何が起きても。
っていう状況の中で、わーって逃げ出した奴らがいっぱいいたので、
同じだろうなって思ってるんですよね。
俺は侍だって、中世になってもいいんだって言ってる連中。
だから本当あの僕が言うさ、ディスプレイの向こうを同一致するってそういうことでさ、
テレビやスマホの中で戦ってるボクサーに対して、
なんかイチャモンつけたりして、俺の方が強いって言ってるヤンキーみたいな、
そういうのの、ヤンキーってリアルにあったりすると、
なんか実存があったりするのでまだマシなんだけど、
さっき言った、声のデカい種類の人たちって、
マジで、どこにも連れて歩けないですよ。
だから僕、経営者やってるっていう意味でいくと、
その威勢よく面接で言ったことを、僕が約束だと信じて入れた。
で、そいつが負傷兵になっていくのよ。
エースすら、要は前線で戦って利益を持ってくるような奴らすらも、
前線に行けなくするぐらい、もうそいつらって、
勝手に社内ゴシップ始めたり、中の仕事を増やして、
結局エースたちすら外で稼ぐことができないっていうか、
死んでくれるんだったらいいんだけど、
傷兵として留まるから、一人もう一人戦力奪われるみたいな。
で、そいつらって勝ってるだけで、
外社一台分ぐらい1年で消えるわけですよ、経営者からすると。
で、僕はそこも含めて責任だと思うから、
当然一生懸命その人たちを何とかしなきゃと思うけれども、
それをやる力もなければ、知恵もないし、
だからやっぱり当然全体、組織全体っていうのは崩れていくわけですよ。
国家と共同体の重要性
で、崩れた組織の責任は僕は負うんだけども、
とはいえ、やっぱりじゃあ次また戦場に行く人を選ぼうとした時には、
やっぱりそういう子供は選べないんだよね。
そうです。体力がないからしょうがないですよね。
そう。で、そこっていうのを国家のような共同体の外にある枠組みとして、
そういう人たちを保護したりとか、
そういう人たちも同じ隣人として生きられるような仕組みだったりっていうのは、
先ほどの憲法だったりとかっていう大前提で守るべきなんだけども、
僕が共同体と思って一緒の仲間、僕の言葉を一緒に伝えて、
なんかコミュニケーションを取ろうとする人とはやっぱりそういう人は思えないっていうか。
それはわかる。それはわかるですよね。
だから自分で何か仲間作って仲間と一緒に何かやるとか、
仕事をやるみたいな時にそういう人を入れたくない気持ちはめっちゃわかるんだけど、
とはいえ国家はそういう人たちを包摂してみんなでやっていこうっていう約束だから。
そういう人たちも含めた、この国体っていうものを維持するための選択っていうところが一票だったり、
っていうことは当然わかるみたいな。
個人の没頭力とオタク文化
そう。
ただその前提すら考えられない人っていうのが多くいるっていうのが、
今のみんなの危機感ってことかもしれない。
そうなんですよね。自分が王様になるための足枷だと思っている。
そうなんだよね。
でも王様にはなれないから。
だから同じ一票とか同じ選挙行動でも本気でそう思っている人たちっていう、
そのがノイジーマイノリティだったはずなのが、
だんだんだんだん数が増えているような予感がしているのが、
ちょっとした危うさみたいな危機感ってことなのかな。
そうかなと思ってて。やっぱ物語ることみたいなのの力みたいなのが増してるなと思ってて、
トランプの勝利にポッドキャスターが貢献したみたいなのも、やっぱそうだろうなと思っていて、
そういった哀れのおじさんたちに、あなた王様になれますよ、あなた侍になれますよって、
それをやってるのはリベラルのせいです、そんなことのせいですって言ってくる人がいればそれは元気になりますよ。
だってそうしたいもん、自分のせいだって思いたくないんだから。
そんなのは僕だって思いたくない。誰だって思いたくないよ、こんなことになったのは自分のせいだ。
自分の人生がめちゃくちゃになってるとか、誰からも尊敬されてないとか、そんなの自分のせいじゃないですか。
でも思いたくない、それは思いたくなくて、あいつらのせいですよ、こいつらのせいですよって言ったら、
それは飛びつきたくなるけど、飛びついた結果、
それは誰からも尊敬されないけど生きてきてたのが、生きていけないみたいになるから、
それヤバいよっていうのが僕の意見なんですよね。
だから僕は、社会のお荷物同士に仲良く、
ちょっと国のすねをかじってやっていこうやんっていう話、
お前もそうやん、私もそうやん、みたいな。
で、それがめちゃくちゃ稼いでる人だって、
なんか承認欲求のために、めちゃくちゃやってたりとかするわけで、
いやその、いいじゃんって、お前稼いでるんだから税金払えば、みたいな。
それで、そしたらみんな君のこと認めてくれるよ、みたいな。
何だっけ、代々の保証もらえるよ、みたいな。
たくさん税金押さえたら、あなた君証もらえるわけだしさ、みたいな話だなって思ってて、
みんなそれぞれ居場所もらえるっていう立て付けで、
この国家やってんのに、殺そうってどういうことなんだろうって思ってます。
だから居場所を失った、王様になりたい種族の人たちっていうのが、
トランプの今日の現選だったりとか、
日本にも多分そういう潜在層っておそらく、
それこそ氷河期世代の一番分厚い層に多分いるから、
さっき言った、インセルとかおじさんとか、そういう予備軍がいると思うんだけど、
なんかね、そこの話で、ちょっと話ずらして、
日本にも、僕、大人でもないバカでクズなんだけども、仲間だと思えた人種がいるんですよ。
それが、面白いの。
めっちゃ面白いの。
僕は、サブカルトリベラルをこじらせた人っていうのが、
典型としてこの前見たく、東京に実家があり、
超豪族の息子たちって言ったんだけど、
それとほぼ同じ種族なんだけれども、
違う道を歩んだ人を僕見たことがあって、
18で僕上京してきた時に、最初に拾われた場所っていうのが、
特撮美術を作る造形工房だったのね。
そこの人たちって、いわゆるオタク第一世代って言われる人たちで、
いわゆる岡田斗司夫さんとか、庵野さんとか、
新ゴジラやつか、樋口さんとかみたいな、
あの世代の人たちの、いわゆるオタクを最初洗礼を受けた子たちって、
実は実家太い子ばっかなんだよ。
やっぱ貴族じゃないと当時ってオタクできなかったから、
みんな医者の息子だったりとかしたっていう。
インテリに行かなくって、家庭から抑圧を受けた、
この逃避先としてのアニメっていうのに救われた、
要は実家太い子がいっぱい渦巻いてる世界だった。
そこにボーンと飛び込んだ時に、周りに行った人たちが、
自立した大人子供である18歳の僕から見ると、
全員なんか、社会的責任を全く負ってないようなクズたちに見えたんですよ。
見えたの、だが。
だが、彼らは本当に選挙の話もしないし、
全く社会的なことをしてないんだけれども、
自分が没頭してるものに没頭し続けてるがゆえに、
全く自分の行動とかコンプレックスとかっていうものが解放されて、
とても朗らかに生きてるんですよ。
で、一方僕ってクラブミュージックとかヒップホップとかでも、
両面いたので、そっちにいた大学生のような奴らっていうのは、
ずっと親とか社会に文句言ってんだけど、
自分が好きでやってるつもりでいるクラブミュージックの中でも居場所がなくて、
格好つけるのだけ覚えて、別にやればいいのにやらなくて、みたいな奴らもいて、
何なんだこれはと思った時に、
じゃあこのオタクだよね。
オタクたちとこのストリートの自称格好いいって言ってる奴、
どっちが俺仲間なのかと思った時に、
俺オタクのほうが仲間だと思えたんだよね。
なるほどね。
で、それがこの前言ったアレンとの仕事の3つ、3分類でいう、
オタクの子たちって仕事を持ってるから居場所があるんだよね。
ずっとプラモデルを作り続けるとか、
本当にアニメのセリフをずっとぶつぶつ喋りながら、
ずっとご機嫌でもう18時間ぐらいものを作れるんですよ。
彼らってそこに没頭できてるから、
居場所がある、人生の目的がある。
だから自分で考えてる。
ただ社会から見ると何の役目も立たないかのように見える。
でもそれが総量となってこんだけでかくなると、
オタク第2世代、第3世代のバリューアップによって、
日本の資産になるぐらいのものを生み出してるじゃない。
みたいに言ったら、
大学卒業したのはしてないんだけど、よく分かんなくて、
ストリートに出て、そこ卒業してパンクとか言ってたやつが就職して、
電通行って趣旨買いとかしてるような40歳になったやつらよりも、
やっぱり僕はオタクの子の世界を作った日本人たちの方が、
僕の共同体にいる人に見えるんだよね。
でもちょっとは選挙のことを興味持ってねえとは思ったんだけども、
残念なことにある宗教の域がかかってるところだったので、
投票コーナーみんな一緒に。
そういう意味しさもあったんだけども、
別にそういう辺り。
2025年には3つぐらいあるから。
いや、なんだけども、みんなにすごく。
だからユタ州に住んだと思ってたようなもんですよ、僕からすると。
彼らすごくいい人たちだし。
それ込み可愛いなとか思っちゃいます。
でもどっちがマシかどっちがクズかとかって、
大人子供のいわゆる全体的な話に入れたら全員クズなんだろうけど、
僕からすると共同体の一員はそっちなんだよね。
みたいな面白いエピソード。
今回はそこまで語れないかもしれないですけど、
今、語ってくれた人たちはまずすごい共感できるし、
なんかめっちゃ言語化し具合がありそうです。
何かに向き合っているとか、
お金とかそういった社会的価値とかから解放されて何かに没入する人って、
僕らが今この回前半後半で話した考える力の対象とちょっと違う対象だけど、
そこまで没入するって圧倒的に何かに向き合ってて、圧倒的に超考えてるから、
それの考えってすごいパーソナルですごい小さいフレームかもしれないけど、
奥深みはめっちゃあるだろうから。
そうなんだよ。だから自分のキャラバンがジープに8人しか乗せられないとした時のパーティーのメンバーにはそいつら入れられるんですよ。
でもなんかツイッターで空中戦のように政治のこと語ってるような自称インテリの野郎とかって、
僕のトラックに乗っける席ないんですよ。
やっぱその没頭力みたいなものっていうのも個人だったり自立だったり大人っていうものの何かの一個に入る気はしている。
いやーわかる。
それはすげーわかる。それはわかるし、やっぱそういう人も没頭し続けるようにするのが国の仕事だと思う。
マジでそう。
だからそういう人たちとかこの前回消費者クリエイターと言ってた人たち、
例えば推しに会いに行ったりそこで1日を使うことに没頭できてる人たちっていうのも僕の言ったさっきの所属だとした場合、
じゃあその人たちの当たり前っていうものをいかに当たり前にしていくのかっていう役割っていう責任は1億2千万人全員背負ってると思うし、
そこに対する責任っていうのは持とうねとは彼らに僕は言うと思う。
それが大人だよねっていう言い方をすると。
だからなんか守りたいものは何かの話かもね。
僕が守りたい世界ってさっきインセルになってしまう予備軍のような人たちを救うことも一個大事だけれども、
僕が守りたいものはさっき言った周りにいたオタクの先輩たちのような、
ああいう世界が日本のこの幸福や文化の今積み上げてきた象徴のように見えるから、
守りたいのはこっちなんだよね。
そうですね、それはすごいわかる。それはすごいわかるって。
で、僕はそれがなんていうのかな。
それがプライベートセクターとパブリックセクターを分ける大きい分水嶺だと思うんですよね。
自分のトラックに乗せられないっていうのはすげえわかる。
国家と人権の視点
それはそうですよ。そんなに出力のあるトラックを持ってる人そんなにいないわけだから、
決められたトラックの中で生き延びないといけないとしたら、
そのスロットに入れられる人間っていうのは限られる。
当たり前なんだけど、多分そのアナロジーで国家を考えてる人がすごくいるから、
この国家の中に乗せられない人間がいるって思ってる人がいると思うんですよ。
それはまずい。
でも、我々の交わした社会契約ってそうじゃないから、
人権を相互に承認する限り、我々は幸福を追求する権利がある。
基本的に人権を持つっていうような立て付けでやってるので、
国家という船の中からは取り落とす人が出てくるのはまずいんですよね。
誰を取り落とすべきかってことを決めた瞬間、それは恣意的に操作可能になっていくので、
じゃあ次は誰?次は誰?ってなっちゃうっていう話だから、
それを可能にしないっていう立て付けで近代国家やってるので、
近代国家の方をやらせていただいてるので、そこだっていう。
で、このプライベートな世俗的な感覚っていうのと、
政治領域の感覚っていうのが簡単にピョンって飛んでしまうっていうのが、
多分そういう風な想像力を可能にしたのがインターネットだと思うんですよ。
繋がってるように見えるから。
実際に繋がってる。ただその繋がってるっていうのは、
もっと長いチェーンを色々な複雑な経路を辿りながら繋がっているのであって、
関係はしてるって、だから無力ではないんだけれども、
とはいえピョンと人足飛びに、
あなたのトラックにこの人乗せられませんよねって、
じゃあこの船からも下ろしましょうねっていうことにはならないっていう話だなって僕は思ってるんですよ。
だからトラックには乗せられないけれども、
この道路っていうものがなければトラックを走らせられないみたいな意味での、
そのサイズの差っていうか。
インフラ。
そうそうそうそう。
じゃあこの道なくなってもいいんですかっていうのは誰も言えないでしょみたいな。
そうそうそうそう。
で、なんか僕がまた政治の話じゃない、リベラルの話をする時の僕のスタンスっていうのは、
基本的な思想や望んでることや人類の次を目指すための今の思想はリベラルであるべきって思ってるにも関わらず、
投票行動にそれを反映させながらそういうリアリティを持ってるからっていうか、
だから結局僕の思想をハッシュタグで同じことを書いてるからその人に一票を入れるっていうことが、
僕のそのリアリティとはかけ離れるんだよね。
だからこそ僕の思想や理念とは違うんだけれども、
今のこの道っていうものをちゃんと継続できる力を持ってる人かどうかとか、
もしくはそこが劣化してしまってるから変える可能性がある勢力なのかみたいなところで、
僕はコロコロ政党とか投票者を変えるタイプなんですよ。
だからそういう意味で選挙みたいなものもかなりリアリティを持って見ている。
今の時点で考え方を変えると、自分自身その左派政党に絶望している身にすると、
そのようなことに対してちゃんと向き合って考えてないから、
メチクロさんが今説明してたような人、およびメチクロさんの票を取ってない結果になってる。
かもねかもねかもね。
すごい思ってると思います。
僕が本当に心の底から信じて力を一緒に思う、
その同じ思想の人がいるんだったらどんだけハッピーかと思うけれども、
多分多くの人がそうじゃないんじゃない?
僕は考えない人がいても本当にいいと思うんですよ。
考えない人がいても本当にいいんだけど、考えない人がいてもいい社会にしないといけない。
本来ね。
考えないいい人を発揮していいようにするみたいなのがこんだけになっちゃうと困ったなって感じます。
だから一瞬80年代90年代はそれを許された時代が日本にもあったと考えると、
じゃああの状態って理想的だったのかというとそうでもなかったりするからね。
そのリベラル側の思想からするとね。
非常にいびつな形でバランスたまたましちゃった20年だったりするので、
だからそこをみんな一生懸命考えよって言ってるんだとは思うんだよね。
で、ちょっとだけだんだん話を後半戦に持ってきたいんだけど、
室さんってどこかの共同体だったりどこかの仲間って自分で主体的に選んでいく人なの?
司さんも。
共同体にいるって感覚あります?
いやもうない。
僕もないんですよ。
マジでない。
だから今こうやって会話上で考えることは可能ですけど、
日常でそれ意識したことないなって。
普通に、だから共同体っていう言葉は当たり前かもしれないですけど、
友達か友達じゃないか考えますけど。
でね、今回の話するときのちょっと参考文献として、
宇野恒弘さんの2話の話をさ、こう出したんだけど、
彼やっぱり共同体をすごくヘイトしてる。
人が書いた著書でもあるんだよね。
で、彼の言う共同体って多分今僕らが語ってるのとまた範囲の違う話なんだけども、
要は共同体みたいなものの依存関係じゃなくて、
個人で没頭できる、それこそさっきの仕事みたいなのを持つことによって、
その弱い自立をしようっていうのを彼は言ってるんだけども、
やっぱこうやって話してても、
じゃあ僕らって共同体どっかにあるのかなって思うと、
なんかなさそうじゃん、この3人とも。
でもないんだけども幸せに生きられるような気がしている人たちやん。
で、っていう形でいくと、共同体って今どこを指してると思う?
かつては家族や会社だった。
会社っていうものがすごく強かった時代があったじゃない。
今共同体っていう場所って一般的にあるのかな?
どうなんだろうなぁ。
まあお祭りとかかなと思うんですけどね。
お祭りとか村の生活みたいなのとか、東京でもローカリティみたいなのあると思うんで、
そのローカリティに所属している人は共同体の感覚っていうのをやっぱ持ってるのかなと思う。
かなりこう場所、地面にかなり紐づいた感覚がある。
インターネット上の共同体ってあるように見える。
あんまり思わない僕は。
ネットワークはあるけど、やっぱり共同体ではないだろうなと思います。
僕が感じるのは、共同体でもないただのネットワークなんだけど、
共同体かのように信じてしまって依存しているような集団がいくつかあるなって見えてる。
それとはこう選挙的な勢力だったりにも見えてるっていう感じなんだよね。
あれ共同体なのかって言ったら、いやそうじゃないんじゃないって思えるような。
共同体をいいものとしても思ってないからどっちでもいいんだけど。
要は居場所だと思って依存関係にあるっていうものをもし共同体だとすると、
ないのにあるかのように錯覚してるようなものが乱立してるようなものを乱世と言ってるような気がする。
わかんないな。僕の感覚の話をすると、
日本には共同体は存在するだろうし、多くの日本人は共同体に所属してると思うんですよ。
東京の特に西側の方とかは多分そこからこぼれた人たちが集まってるから、
共同体を持ってない人たちが比較的多い場所ではあると思うんだけれども、
とはいえ共同体っていうのは今でも日本に存在しているし、
インターネット上の関係性
存在していることによる良さもいろいろあるだろうなとは思っている。
で、宇野さん、宇野恒博さんの話を僕もざっくりとしか理解してないんで、
またハズレな話だったら本当に申し訳ないんですけど、
会社が共同体的になるっていうのは経営者にだけ都合がいいっていう話をされていて、
で、それはある意味そうだなと思うんですよね。
でもそれはどのような共同体を施行するかによってだいぶ変わってくるなと思っていて、
共同体の形によっては参画するメンバー全員みたいなのが、
共同体感覚とかを持ってるものに全然なり得るだろうなっていうのは僕は思ってるし、
そのような会社を僕が見えてる範囲からなので、そうじゃないっていう人いっぱいいると思いますけど、
まあなくはないと思ってるんですよね。
で、なんかそうなってくると共同体が本当にそんな悪者かっていうのは、
僕にはよくわからないことなんですけど、
でもお互いを仲間だと思うようなその儀礼の体系とか、
お互いの感覚を同期するようなある種の身体性みたいなものを通さないと、
やっぱり共同体になるのは難しいんじゃないかなと思っていて、
で、ネット上のコミュニティみたいなのが共同体かっていうのは絶妙なとこだなと思うんだけれども、
やはり身体的な感覚を同期する場がないという意味では結構難しいのかなと、
そのネット上のコミュニティがすぐ崩壊するのも、
その身体的な感覚を同期できないからだと思うんですよ。
多くの人ってその人が何を言ってるかではなく、
この人が味方か敵かっていうことを判別したいじゃないですか。
でもテキスト情報とかチャットではそれが判別できないから、
それを同期しないといけないんですよね。
それが飲み会とかになってくるので、
とかお祭りとかになってくるから、
だから普段仲悪くてもお祭りをやることによって、
こいつはどこかの部分では仲間なんだって思える感覚みたいなのがないと、
やっぱり共同性を作るみたいなのが結構難しいのかなっていうのは、
僕は思っているところですね。
で、もう一個宇野恒弘さんの研究してることの中で言うと、
共同体の定義と意義
イギリスの誰かが言ってたのを彼は引用してるんだけど、
サムウェアな人とエニウェアな人っていうのを分けていて、
今ここでしか生きられない人とどこでも生きられる人っていう、
いわゆるITでウェイウェイ言ってる人たちっていうのは、
インテリとかっていうのは基本エニウェア、
特にインターネットの時代においては、
どこにいても暮らせる人たちって言ってて、
で、サムウェアっていうのはさっき言った共同体の知恵みたいなものに
縛られないと生きられない人だと思ってて、
で、そこで責任の話で、僕は自分をサムウェアな人と思ってるか、
エニウェアな人思ってるかの自認によって、
今言ってる発言の伝わり方って変わるなと思ってて、
なんか多くの別にネット言論でも何でもいいんだけど、
言ってる人たちの正当性や信じられる気持ちの強さって、
エニウェアな立場から言ってる風に聞こえるのか、
僕はサムウェアな人間として言ってるのかっていうのが感じる。
それはあるでしょうね。
そう、だから今言った日本がどうにかなっちゃうっていう予感がした時に、
僕らの行動って、日本を離れてシンガポールに行こうみたいな
気持ちを持ってるように見られてるのか、
それともこいつきっと壊れようが、
この場に留まって僕らに叫び続けてくれるのかっていうのを
試されてるっていうのを一方感じるっていうか。
僕らさんにちょっと手を挙げようよ。
日本がガラガラって言った。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
いやいや、もう、即宅。
日本がガラガラって崩れる予兆みたいなものを、
政治みたいなものを関心持ってる僕らっていうのは、
多分大衆みたいな人より早く察知できるじゃない。
そういう僕らって行動として、どう選びます?
じゃあ僕から言うけど、僕は多分、自分が生きられる場所に移ります。
そうなんだ。
さっき言った、エニウェアな人だと思います。
僕も。
僕も36K逃げるにしかずです。
逃げるし、僕、アイデンティティ上追い出される。
追放される。
そうだよね。
だから、なんかここの自覚も大事だなと思ってる。
僕らって何かを批判するような言葉も使うし、
僕らっていう言い方もするんだけども、
じゃあその前提として聞いてる人が僕らはどう見てるのかって言ったら、
多分、よそ者が言ってるなって思われてると思うんだよね。
実際そうだね。
それを自覚して喋るのはめっちゃ大事でしょうね。
そこで言う言い方っていうのが試されてる気がすごいしていて、
なんか仲間のようなふりして僕らが言ってたら嘘じゃん。
かといって、そのインテリブって上から、
なんかお前ら教えてない教育してやるっていうのも嘘じゃん。
だからやっぱり僕らミクロなことを、
共同体の意義
僕らの感じる実感としてこの場で、
要はある意味ちょっと半クローズの場で語るぐらいしか
僕らには多分できないような気がする。
そこの頻度っていうか、節度みたいなところを超えてしまうと、
さっき言ったインセル予備軍のような僕らってさ、
年齢でもあるしさ、間違うなと思う。
めっちゃ確かにだし。
この誠実な立ち位置は大事ですよ。
で、エンタメと言いながらラジゴのような、
ある程度力を持つ可能性がある場で語ってる主体の司さんって、
おそらくなんか反響のエネルギーだったりとか、
自分のその期待され方みたいなものを感じた時に、
おそらくこういう試される時が来ると思うんだよね。
そこがきっと、ずっと僕らって見られ続けるんだろうなと。
うん。
個人の自由と責任
なんかダサいかダサくないかの基準がそこにあるような気がする。
誰しもが見られるから、それはもうしょうがないんですよね。
しょうがないなと思って言ってます。
ね。
だからそこの覚悟すごいあるよね、ムロさん。
覚悟ってほどでもない。
確かにめっちゃ今の問い面白いですね。
確かにさっきのムロさんの問いかけ、言葉、
ちょっとやや厚めの言葉を、今の前提を持ちながら聞くと。
いや、なに?この人逃げる人だよって前提で言ってるんだよ。
かなり興味深いなと。
確かに聞き方は変わるなとは思いますよね。
だって、僕からするとそこはどっちかというと、
自分のために言ってるんじゃないんだよっていう話。
だからリベラルは結局特権を持っているから、
自分の特権性を守ろうとしてそういうことを言ってるんだっていう批判はやっぱあるし、受けるから。
別に僕は逃げるだけですっていう。
自分の生存だけを考えれば、別になんか国滅びでサンガハリだから、
南米でもアメリカでも友達頼って逃げてけばいいだけの話なんで、
僕の個人の話からすると、究極どっちでもいいっていう話になる。
別に守らなきゃいけない家族がいるわけでもなし、財産があるわけでもなし、
従業員がいる会社があるわけでもなし、別にすべて置いて海外に行けばいい。
海外がいいとは限らないけど、別に日本がどんなになったって逃げてけばいいだけの話だから、
僕はいいけど、でも皆さん家族があり、会社員があって、仕事があって、財産があって、
で、滅びの決断をしようとしているから、大丈夫かなって思ってっていう話ですよね。
最後のメッセージ
だから言葉を扱えるインテリだからこそ、ムロさんにできることっていうのは、
その言葉っていうのを公に対して提示するっていうところの責任を負ってるだけであって、
普通にそこの判断みたいなものっていうのをどっちかに傾けようっていう意思はないってことだもんね。
あんまりないですね。人間の自由意志が一番大事だと思ってるので。
でも恐ろしいことにその言葉の力ってさっき言った、自己を同一化してしまうような主体の人たちって、
それをムロさんが言ったことを力に感じて連帯して結束して、パワーで動こうとしちゃうじゃない。
の時にムロさんって多分すごくそれを迷惑だなって思うような時間も来るような気もしていて、みたいな。
それはケースばかりケースですよね。迷惑だけど、自分の言ったことだからしょうがないって思う時と、
本当に迷惑だけ勘弁してくださいっていう時があって、そういうことをやってるから共同体が持てないんですよ。
常に追放されてるから。
親分になれる人ってそこを引き受けて、そこっていうのを守ったりするムーブを見せるから人は連帯して力を持つんだよね。
確かに最悪かも、僕。
エニュエア前提で生活してるから、共同体を必要としていないのかなとか。
俺も転向ばっかりだったから、もうナチュラルボーンでエニュエアな人なんですよ。
常に預けられ先でいい思い出もあるんだけども、必ず去る人としての自覚があるから、やっぱそういうところがある。
お二人はグローバルなエニュエアの話をした時に、たぶん今の仕事と似たような仕事につけると思うんですけど、
僕の場合は逃げた先で大事になるっていう、それ含みで言ってる。
エニュエアの人にも2種類あると思ってて、やっぱり僕海外経験もあるから、
グローバルなエリートの人たちと話してると、山野さんだってどこどこ行けばいいじゃんみたいなことよく言われるんだけど、
能力的に行けないわけですよね。
同じ給料帯のところでニューヨークで働けるかとか、ロンドンで働けるかって言ったら僕はできない。
できないんだけど、別に海外で何か売り買いして生きていくっていうことはやったこともあるし、
どうにかなるだろうと思っているので、その程度の話で言っていて、
だから多くの社会的地位があったりとか能力があったりとかお金があったりする人がシンガポールに行きましょう、ドバイに行きましょうみたいに言ってるのとはまたちょっと感覚が違うんだけど、
僕はそれでも逃げ出すから、逃げ出す三段みたいなのをつけられる人間だから逃げ出すけど。
でも近いよ、室野さん。俺も何度キャリアも全てキャリアを捨てて次に移るっていうのを延々繰り返してる人間だから、
だから今のがバサッと切られて、もう全く新しい土地で全く新しい職能で生きるみたいなつもりでのエニュエアだったりするから、
別に海外にネットワークがあるからどこに住んでも同じ仕事ができるっていうのは全く逆。
なるほど。
そんな感じ。
塚田さんは元に戻るだけですもんね、また。
でも向こうに遅延があって、日本から追い出されちゃったって言って向こうにポンと行ったら、
じゃあうちで働けないよみたいなそういう繋がりを持ってるわけではない。
いやさすがにそんなスムーズじゃないですよ。
そこまで経験モードじゃなくて。
でもBCGに帰って、そういう人に挨拶しない生活に戻るっていう。
確かに最近少なくなってたんですけど、最近ヘッドハンターからメール来て、
なんかこういうのが数ヶ月に1回、全然僕に得点じゃないですよ、おそらく100人くらいが得点ですけど、
でも見てる限り、これをがっつり応募できそうなって思ったから、
数ヶ月に1回こういうメール来ると、確かに精神安定剤にはなります。
いいですね。
コロンビアで一緒に仕事してた人が、リンクドインって言ったら毎週毎週オファー来るから、
ムルさんもリンクドイン作りなよって言って作ったんだけど、一回もオファー来たことない。
マジでリンクドインの安定剤の気持ちがエニウエアーである人っていうのは多く見る。
僕は確かにそこに一歩は確実に入れてます。
羨ましい。
自分の預金さんだからとプラスリンクドインのオファーの頻度みたいなものが、
なんか彼らのエニウエアードを決めてるような気がする。
羨ましい。
両方ない。
いやでも結構こういう立場って大事で、多分多数に絶対慣れないんですよ。
少数なんだけど、やっぱこういう人たちが見て世界に関わってるっていうことってバグとしてやっぱすごく大事で。
ただこのアポカリを聞いてる人も含めてやっぱ言いたいのは、
やっぱ僕らを何か同一化したりとか、僕らと共感しようとしてこの話を聞くと非常に毒でしかない。
そこは気をつけてって思う。
いやでも大事大事。
僕らあなたの前から逃げる人たちだよっていうのは常に言っときたい。
確かに。
僕の尊敬する人は西郷隆盛なのにな。
なんなの?
逃げずに戦った人。
なんで尊敬してるの?
九州人は誰でも尊敬してるでしょ、西郷隆盛。
長州人が松陰先生を尊敬してるのと同じで。
地元のヒーローとしてのインストールがされてるんだ。
だからやっぱあれが九州の兄気分じゃないですか。
自分は政府に残ればよかったわけじゃないですか、別に。
みんなに尊敬されてるんだし。
でそれを霊宮被殺された人たちのためにちゃんと自分もゲアして、
で自分は別に立ち上がらなくてもよかったわけじゃないですか。
それを被殺された人のために一生旗印になって立ち上がるみたいな。
やっぱね。
でそれ死ぬみたいな。
やっぱ兄気分だなぁなりたいなぁって思うけど、
僕はちょっとすいません。
ムロさんってさ、なりたいものとか憧れてるものを言えば言うほどさ、
絶対それ信じてねえだろって思うとバカ出すよね。
何言ってんのってお前。
その賢さを持ってその夢を語るんだったら、
お前やってる行動全部違うぞになるよね。
じゃあちょっと共同体の話のうちにはならなかったんだけども、
なんかある一定今5、6回話してみて、
僕らのスタンスを表明した回にはなったかもしれないね。
確かに。やべえスタンスが表明されてしまった。
とりあえず今回はありがとうございました。
ありがとうございました。
3名の僕による草も生えない声のデストピア
アポカリ
シーズン1は毎月第3金曜日配信
詳しくは番組概要欄をチェック
次回をお楽しみに
01:22:11

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