1. M&M of A St.【ミスメラ】
  2. 蝉の声も蛙の声もここじゃ聞こ..
2025-01-20 48:37

蝉の声も蛙の声もここじゃ聞こえません

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サマリー

このエピソードでは、埼玉県出身の投稿者が東京での生活を振り返り、東京中心主義に気づく過程が語られています。地元への感覚や親の影響を通じて、故郷の意味を再考する内容が展開されています。 このエピソードでは、階級や文化的素養が東京におけるアイデンティティや社会的関係に与える影響について考察されています。特に、ミスメラの話題を通じて、階級の認識とその矛盾、また植民地主義に関する議論が展開されています。 このエピソードでは、特権性と加害者としての自覚について語られ、権力構造の複雑さが掘り下げられています。また、知的体力を維持し、分からないことを抱えることの重要性についても触れられています。 このエピソードでは、キューバ人とイギリス人のコミュニケーションのズレについて論じられ、人間の特権的な権利や生きることの苦悩について深く掘り下げられています。

地元がないと感じる理由
私、ずっと、自分って、地元がない人間だなって思ってたんですよ。
生まれたところは埼玉県なんですけど、混同範囲がほとんど東京。
学校も東京だったし、職場も東京だったし、友達と遊ぶのも東京だし。
だから、埼玉のこと何も知らないみたいなタイプなんですけど。
で、ライブに行く趣味があって、たくさんいろんな場所にライブに行ってると、
地方の友達がたくさんできるんですけど、
そういう子たちと集まって遊んでると、よく地元の話になるんですよね。
で、地元にはこういう観光名所があって、こういうおいしいものがあって、みたいな。
そういうのを聞くために、いいなと思ってて。
私、埼玉出身だけど、埼玉のこと何も知らないし、
特においしいものとかを心から語れるようなものがないし、
遊んでた場所は東京だし、故郷はないな、みたいな。
東京中心主義の気づき
みんなの地元の名産品持ち寄って、おいしいご飯を食べようかいをしようよ、みたいな話をしてるときに、
私一人だけ、何も持ってくもんないな、みたいな感じでいて、故郷ねえなって思ってたんですけど、
そろそろ東京ネイティブの飯枠の水上さんと、
そのお友達のミラさんがやられてるポッドキャストの、
心を東京の外に出したことのない人っていう会があって、
それを聞いてたら、ここで言われてる人、かなり自分だって思って。
で、散々シティガールだとか、東京ハイカルチャーインテリーとか行って、
こういうところが東京だとか、いやいや東京じゃないとか、そういう話をいっぱいしてきたじゃないですか。
わかるなーって思うところもあれば、いや私違うんだよなーとか、
しっくりくるところ来ないところみたいのいっぱいあったんですけど、
このポッドキャストを聞いたら、この心を東京から出したことのない人っていうのは、
結構バッチリ自分に当てはまるなと思って。
ポッドキャストの中で、そういう人って金沢にもいるっていう話をされてて、
地元中心主義みたいな、こういう考え方をしてる人は地元中心主義の人だっていう話をしてるのを聞いたときに、
あ、私、結構東京中心主義、東京地元の人間なんだって、やっとしっくりきたっていうか、
あ、私、故郷ないって思ってたけど、結構東京故郷かもしれんって気づかされて、っていう話。
なんか自分が外の人に言われるまで、自分がめっちゃ東京中心主義であることにも、
文化的に強いみたいなのは、なんとなくうっすら感じてはいたんですけど、
それがどれぐらい、どういう発言が東京中心主義で、かつ地元民の振る舞いなのかみたいなのを、
全然わかってなかったなみたいなのを、この回を聞いて、一個めっちゃ負に落ちたっていう話です。
そろそろ東京ネイティブっていうポッドキャスト番組で、
心を東京の外に出したことがない人っていうタイトルの、2024年の11月28日に配信された回があるんだよね。
その回の中で、ミラさんと水上さんが、体は外に出たことがあっても、心は東京の外に出たことがない人っていうのがいるっていう話をしてて、
具体例として出てたのは、ミラさんの上司が、函館と名古屋はだいたい同じぐらいの大きさでしょっていう話をしたっていうのがあって、
つまり東京以外の都市の大きさみたいなのが全く見当もついてないみたいな。
それがおかしいとも思ってないし、それを知らないことを恥ずかしいとも思ってないみたいな話だと僕は理解してるんだけど、
そういう人っていうのは東京から心が出てないよねっていう話をしてたよね。
心が出てないのは別に東京固有のことじゃなくて、実は地元から心を出したことのない人っていうのは世の中いっぱいいて、
そういう人たちは地元中心主義的な振る舞いをするんだけど、そもそも他の地域の人たちと交流しないからそういうタイプの人たちは。
自分がいかに地元中心主義的な考えなのかっていうことがよく分かってないよねっていう話で、
ミラさんとか水上さんとか多分僕とかもそうだと思うんだけど、
その移動性の高い人たちっていう方が故郷を持たないというか、
寝なしぐさみたいなことを生き方をしている人たちの方が実は少数派かもねみたいな話をしてたよね。
家族の影響と階級の話
で、千尋さんは自分のことをコスモポリタンだと思ってたけど、実は東京を地元とした東京人だった。
東京から心を出したことがない人間なんだ自分はとそれを聞いて思ったって話ですよね。
そうそうそう思った。で、このポッドキャストを聞きながら、
ああ、そっか自分ってこういう人だったんだみたいにふに落ちていったんですけど聞きながら、
結構半年ぐらいずっとその振る舞いは東京だみたいな話をしてたじゃないですか。
このポッドキャストでね。
そうそう。自分がめっちゃ東京の人であることとか、文化的にどれぐらいのものを享受できているのかとか、
いきなり言われた時は、え?って思って、いやいや、そんなことないよみたいな。
私のいる場所っていうのは、私から見たら自分が一番偏向ぐらいの感じなので、そんなことないよって思ったんですけど、
半年かけて徐々に、いや、そうじゃないかもとかって思い始めたりとかして、
このポッドキャストを聞いた時に、割とやっとすんなり自分の知識じゃなくて、自分の認識として、
あ、私ってかなり東京の人だみたいにどんどん踏み落ちたんですよ。
自分が持っているものみたいなのって、こんなにも気づかないものなんだってすっごい思って、
自分がマジョリティ側であることに気づくのって、こんなにもわからないんだみたいなのがわかって、面白かった。
ヤマイモさん感動で泣いちゃうんじゃないですか。
なんで?
ヤマイモさんはそれを気づいてほしくて、結構こと半年頑張ってたから。
なるほどね。
怒りで震えてますね。
感動で泣いてんのかと思ったら、怒りで震えてんのか。
早く気づけよって。
やっぱりそれだけ、そろそろ東京ネイティブでも触れられてたんですけど、
自分の特権、整備とか権力みたいなのって気づかないのは、やっぱり見ないことができるっていう話だったじゃないですか。
特権を持っている方はね。
やっぱりよりわかりにくいとは思いますけど。
たまに男性に対して、私が女性の方がこういうふうに立場が弱いよねっていうヘミニズム的な話をしても、
なんか全然何も響いてないなって思ったりとか、何もわかってないなんでなんだよってすごい思ってたんですけど、
そのわからなさの方がわかって、個人的には結構大きな気づきでした。
なるほどね。
その話だと、漫画家の滝並ゆかりさんが、男女の権力差みたいなのが結構伝わりにくい。
例えばそういう問題に関心のあるリベラルの男性でも、
そういう話をしても、言っても女性の方が強いからねみたいな話に持ち込まれちゃうみたいな。
それを一つ一ついろんなパターンで説明していって、ようやく明らかに差があるでしょみたいな例えになってようやく伝わるみたいな。
東京ハイカルチャーの話も、それこそが東京中心主義的な考え方じゃないですかみたいな指摘は、
やっぱりあの中で室さんがしてたりとか。でもその時はやっぱりチュロさんしっくりきてなかったわけですよね。
理論としてはわかるけど、感覚として自分に当てはまってないから、本当にそうかなって思っちゃうみたいな感じですかね。
で、いろんな角度からこの話したじゃないですか。
うん、した。
それがすごいやっぱいいのかもってすごい思いましたね。
シティガールですよねって言われても全然響かないんですよ。そんなわけないじゃんみたいな。
って思うんですけど、なんかその結構東京の人ですよねって言うために多分いろんな言い方があると思うんですけど、
私には心を東京の外に出したことのない人って言い方がすごいあ、これ私だってなんか。
なるほどね。
持った言い方で、東京の話だったら東京の中にもやっぱりいろんな人がいるわけで、
シティガールですよねあなたっていうのがバッチリくる人とかもいると思うんですけど、
いろんな角度からいろんな東京像みたいなのを聞くことによって、
ああそっかみたいな、だんだん自分の感覚の方もわかっていったみたいな感じだったので、
でもこれって要はマイノリティの人には自分の立場みたいなのを説明する能力があるみたいな話だよなって思ったから、
そこもすごいなるほどって思った。
自分が力がある方側の人間としてみたいな。
力がある方側に寄り添った気づきをしてどうすんだって話なんですけど、
でもこれにわからなさがわかったから、
違うレイヤーの話をしている時にもから開ける対話みたいなのがあるのかなって思いましたね。
個人的には、ああ故郷を見つけたって感じ。
よかったですね、故郷を見つかって。
そう、ああ私東京故郷だったんだなってすごい思いました。
同時にそれは千代さんがある立場においては原力者だっていう。
住んでる場所っていう面においてはってこと?
それだけではないと思うんですけど。
文化的なとかそういうこと?
受け入れたっていうか、確かにそうだなって思った。
受け入れてますね。
私でも、私の近所に住んでる人たちがみんな私みたいなわけじゃないから、なんでかなって思って。
私あんまり今まで親戚に全く興味がなかったんですけど、
ちょっと親に聞いてみたんですよ。
おじいちゃんとかおばあちゃんがどういうとこに住んでたかみたいなの。
そしたら、私の父親と母親って杉並区と中野区出身なんですけど、
私の父親と母親の両親は、もともとは新宿とか御徒町とかに住んでたらしいんですよ。
東京の疎開で中野区とか杉並区に移ってきた人たちらしくて。
御徒町で八百屋さんをやってたとか、新宿で宮大区やってたとか、
それ聞いて、だから私こんな東京に向かった生活してたんだなと思って。
私の両親はその両親から東京の中心に連れてってもらったりとか、
より中心に向かった生活をしてたと思うし、
だから私の両親も私を東京の中心に向かって買い物に行ったりとか遊びに行ったりとかしてたんだろうなって思ったから。
そりゃ地元だよなって、そういう面でもしっくりきましたね。
この話さ、僕、フロム雑談でもまたやったんだよね。
ラジオ屋さんごっこっていうポッドキャストをやってる塚澤さんと、
東中野にあるクラフトビールの雑談のマスターのめちくろさんと3人で喋った。
塚澤さんとめちくろさんと僕の3人でこのお話について話したんだけど、
あれを話してるときあんま思わなかったんだけど、
やっぱりあの音源を聞き返してきて思ったのは、
こういう話をするときに階級みたいなものがやっぱりうまく伝わってないんじゃないかなと思ったんですよね。
僕たちって前提的に階級っていうのは良くないものだと思っているから、
このように階級があるよねっていう話題自体をすごい避けようとするっていうか、
階級がありますよねって言ったら、でもそんなことないよ。
こういう面で見れば階級ってないじゃんっていう話をしがちなんですよね。
なぜそれをするかっていうと、それが良いことだと前提的に思ってるからするんですけど、
でもやっぱり実際には階級があるっていう話だと思うんですよね。
今の千尋さんの似てるところに住んでいる人たちで、
東京と階級の影響
千尋さんみたいな人たちと千尋さんみたいじゃない人たちがいるのはどういうことかって言って、
今千尋さんは親戚っていうか、
家類が東京に多いから東京向いてるんだっていう話をおっしゃってましたけど、
それも一つそうで、そのような階級出身だからだっていう話なんだと思うんですよね。
東京に住むという階級の出身なんだっていう話で、
疎開でそっちに行った人たちともともとそっちに住んでいた人たちでは社会階級が違うっていう話なんだと思うんですよ。
から向いてる方が違い、
階級が違うことっていうのが何を意味しているかっていうと、
階級の中で良いとされている文化的な素養だったりとか、
振る舞いだったりとか興味の方向性みたいなものを受け継いでいるから、
そうすると花から東京に神話的な人間としてそこにいるよねっていう話になる。
そうすると地元のことだけに注力している人たちからすると、
東京を見るみたいな、そういう風な文化的な素養もないし傾向もないし、
そういうのが良いともそもそも思ってない。
そろそろ東京ネイティブで言ってたみたいな金沢中心主義的な人にとっては、
東京であるみたいなことはそもそも意味がないわけだよね。
だからこの話題、ミスメラでそのことを言ったかな。
前回の文化資本の話、ミスメラでしたじゃないですか。
あれを僕何人かからオープンなところであれを聞いていて、
周りの人間がすごい不愉快になりましたみたいなのを何人か聞いてて、
いろいろ話を聞くと、僕の見解は階級みたいなものの存在をどこかでは分かっていて、
でもどこかではそれを否定しているみたいな矛盾を抱えていて、
それをミスメラが暴露しようとするから不愉快に感じる。
それはいくつかあって、自分が権力的な側っていうか、自分が東京的なものを持っていて、
でも自分としては東京的なものを持っているけど、みんな同じだよねって平等だよねって思っているのに、
あなたは特権的だっていう話をずっとされているから不愉快という方もあるし、
自分は東京に入れてないみたいな方の人が、認知的にはでも自分は東京に南人でいて、
他の東京に住んでいる人たちと自分は平等なんだってなっている人たちにとっては、
僕がいや階級はあるよねと、東京以外の人は東京の人たちにとって下の人間としてみんなされてますよね。
ずっと言っているから、ってことはやっぱり俺って下のことってこと?ってなる人たちも不愉快になるから、
ほとんど全ての人が不愉快になるわけだと思うんですよ、これ。
文化資本の重要性
最悪だな。
でもやっぱ階級があるという、あると思えばあるしないと思えばないんだけど、
こんな階級なんてこのものはさ、別に僕たちが先天的に何か印を持っているわけじゃないからさ、
だけど、ある種の社会的現象としてある特定の見方をすると、やっぱ確実にあることだと思うんだよね。
それがないものとして振る舞うっていうのは、実はその既に起きている階級格差みたいなものを再生産してしまうんだよね。
あるなと思うと、それを強化しようとする人もいるだろうし、
子供にピアノを習わせたり英会話を習わせたり、海外に留学させたりする人たちは、
それがあるから教育投資でそれをどうにか避けようとするわけだけど、
そういう人たちもいるけど、でも逆にそれがあるなということは分かりつつ、
じゃあそれを解消していくためにどういうことが必要かみたいなことを振る舞いも可能になるから、
ないよねって思うっていうのは、あまりよろしくないというか、
何も問題を解決しないというか、現状の追尼になるよねとは思ってるっていう感じ。
でもさっき言ったみたいにセンシティブな問題っていうかさ、
人の嫌な気持ち、心の嫌なところ、心の柔らかいところを触る話題だからさ、
どうにかしてみんながそれを考えてほしいとは僕全然思ってないんだけど、
でもあるよねって思ってるっていう感じ。
私がずっとそうかなと思い続けてた理由の一つに、
趣味の友達の関係とかもあって、結構いろんな日本全国に仲のいい友達がいたというか、
ライブで知り合った人たちがいろんなところにいるんですけど、
彼女たちとそういう話になったことが一回もなかったんですよね。
こういうとこ東京だねってチラッとそういう話になったとしても、
なんか別に批判の色を込めて言われたことすらないっていうか、
だから、え?そうなの?みたいな気持ちにはなったんですけど、
でもそれも心を東京の外に出したことのない人の回で、
受け入れちゃってる人もいるからみたいな。地方の人でも。
だからそういう話にならない。
で、結局私の友達として周りに残った人がそういう話をしない人たちってことなのかなって思って。
まああんまり品のいいことじゃないからね。
同じ友達同士で集まってるのにさ、俺とお前は違うんだみたいな話するやつって嫌なやつじゃん。
だから友達同士で普通する話題じゃないんだよね。
ここが異常というか。
ここが異常なんだと思うんだけど。
そういうのも、え?そうかなって最初に思っちゃう理由かもって思った。
で、あともう一個思うのは、チロさんの趣味ってアジールっていう概念があるんですけど、
アミノヨシヒコが考えた概念で、既存の経緯構造とか既存の階級とか既存の序列みたいなものから、
避難してきた人たちが集まる場所っていうのが世の中にあるっていう話をしていて、
神社だったりとか市だったりとかするんだけど、
チロさんの趣味みたいなのが、やっぱりちょっとアジール的なものというか、
例えば学校社会での序列とか、家庭の中での序列みたいなものから、
逃げ出したい人が行く趣味だと思うんだよね。
そうすると、せっかくそういうのが嫌で抜け出してきた先で、
さらに序列合戦するっていう人が少ないんじゃないかなと思って。
みたいなのはちょっと思う?
そういうところでも、あんま変わんねえなみたいなことって多いと思うんですけど、
チロさんがあんまそういう序列みたいなもので物を見ないから、周りに集まっている人も気にしてない。
っていうか、気負わないで喋れてたみたいなところもあるかもしれないですね。
そうね。
それもそうだろうね。
そうかも。そうかもしれない。
でも、私結構、池袋って山手線で一番田舎だから、みたいなこと言ったじゃないですか。
あれ、スルスル出てくるのって結構何度も言ってるからなんですよ。
そういう話をよく自虐として友達とも話すんですけど、
その話を聞いて、そんなことないのになって思ってた人はもしかしたら私の周りから離れてったかもなってちょっと思いましたね。
だって笑えないぞ。
わからなさ、こういうことかってわかって面白かった。
結構びっくりしますよね。ミスメラではこの話したのかな。
僕は今年2024年、早稲田大学の岡まり先生がガザの問題に関連して、
イスラエルがパレスチアに対してやっているのは植民地主義だって言ったときに、
イスラエルが今ガザで引き起こしているのはジェノサイドだって言ったときに、本当だって思ったんですよね。
本当だと思って、僕は自分がすっごいびっくりしたんですよ。
だって人類学においては植民地理論みたいなのって結構大事っていうか、植民地の問題って結構重大な問題として勉強するんで、
植民地って何かっていうことを自分ではわかってるつもりだったんですよね。
で、世界の中で植民地的なものがあるっていうこともわかっていたはずなのに、
イスラエルとパレスチアの関係が植民地と非植民地の関係であるっていうのは、
オカマリ先生が断言するまであんまりわかってなかったなと思って、
自分のいろんなことのわかってなさみたいなのがそこでバーって出たわけですよね。
植民地であるということがどういうことかということもわかってなかったし、植民地とは何かということもわかってなかったし、
ということは自分が非植民者に対して植民地主義的に振る舞っているときに自分の行いさえわかってないんだっていうことがわかったわけですよね。
例えば僕が台湾に住んでたりとか、キューバに住んでたりとか、コロンビアに住んでたりとか、全部植民地だった国ですよね。
みたいなところで無自覚に振る舞っているときに自分が植民地主義者として振る舞っていたとしても、
それを認識することが全然できない状態だったんだということがびっくりしたわけですよね。
無自覚な特権性
気をつけて、わかって気をつけていると思っていたから、自分が。
わかっていないんだ、僕って思ったということで、結構びっくりしますよね、そういうの。
しますね。
そうすると、似たような構造を持つ関連の状況全てがわかってないということになりますよね。
千代さんさっきおっしゃってましたけど、ジェンダーの違いもそうだし、例えば年齢とかもそうかもしれないし、
いろいろなことについて自分が自分で思っていたよりもずっとわかってなかったんだということを受け入れざるを得ないみたいな感じになりますよね。
うん、なりました。
室さんのゼビの下記のテーマ、2024年の下記のテーマが植民地主義だったじゃないですか。
それを半年かけてやって、やっぱり東京ハイカルチャーインテリの話って植民地主義の話だなって思ったんです。
聞いている人はピンとこないかもしれないですけど、植民地の話だなと思っていて、
自分の権力に無自覚なこと、
この話題ってあんまり言うべきじゃないし、あんまりおっぴろげて言うような話じゃないかもしれないし、
でもやっぱりこれ言わなきゃいけないんじゃないかと思いますけどね。
この積み重ねじゃねえって思うんですけど、現状って。
そうだと思う。
でも確かにみんなが気づくのは難しいかもしれないですけど、
やっぱり一番許せないなって思っちゃったのは、やっぱり啓蒙的な思想とかリバレラル的な思想を持っている人が、
やっぱり自分の特権性にすげえ無自覚なのとか、それを受け入れてないみたいなのがすごいムカついたというか、許せないというか。
やっぱりそれを持っている人が無自覚に振りかざす暴力みたいな。
例えばリベラル的な思想で文化資本もあって経済資本もあるような人が、
確かにそういう話もわかるけど、でも今インターネットとかあるからとか、
なんかそういう文化資本でもアクセスしやすいようになってますよみたいなこと言うのって、とんでもねえ暴力だなって思うんですよ。
そうだね。
いや、それの無自覚さというか、後郎さんの話ってすげえ、結構感動して。
そんなに?
いやでも最後に、自分の立場を受け入れたことが対話を開く可能性って言ってたのは、
宇野さんのデビューの中で無意識の植民地主義っていう沖縄のが日本の植民地だっていう話を書いた本があって、
その中でポジショナリティって言葉が出てきて、であの本はかなり可烈に書いてあるんですよね。
そうね、日本の植民地主義に対してね。
だからちょっとうまく内容は説明できないんですけどあんまり。
権力と特権の認識
でも、あなたが権力者である、あなたが日本人であることは植民者であるっていうのをまず受け入れなければ対話は開かれないっていう。
それを受け入れない人が大半だなーみたいな印象があった中で、
千尋さんがストレートにそこにたどり着いたっていうのは感動しました。
でも、まじで半年くらいかかりましたよね。
かかったというか、今も本当にわかってるかどうかちょっと自信がない。
これはね、多分ね、自信がなくなり続けるしかないことだと僕は思ってて。
だから何ていうのかな、研究者に断言する人が少ないんだと思うんですよ。
わかんないじゃないですか、そうであるかどうかって。
自分がその感覚を理解したかどうか、自分が何かを理解したかどうかって断言できないというか、
私は今このように理解しているということが説明できても、
それは私が理解したと本当に言えるのかどうかわからないから、
私はこうであるということを断言するのがすごく困難になっていくじゃないですか。
それはそのような概念を知れば知るほどどんどん困難になっていくわけですよね。
どんどんわからなさの世界に突入していくということかなと思っていて。
だから、でもそれは群衆心理の回でも言ったじゃないですか、断言と。
受け入れて考え続ける以外方法はないと、個人的には思うんですけど。
確かにね。
そう、そうなんだよ。
でも、もがくしかないわけじゃないですか。
そうだと思いますね、僕も。
まあ、そりゃ苦しいよなと。
うん、でも難しいなと思う。だって私、自分が東京が故郷だとすら思ってなかったんで。
つまり、自分がその立場に立っている人間だって、
だとすらわかってないみたいな、思ってない人もいるだろうから。
いるだろうね。
最近、松本ひとしさんの話と、あとスマップの中井くんの話が出てるじゃないですか。
うん。
あとあれですね、岸和田さんの話が出てるじゃないですか。
うん。
あとあれですね、岸和田市長。
はい。
で、兵庫の斉藤茂彦知事もそうだと思うんだけど、
一応断っておかなきゃいけないけど、彼らが本当に加害者だったのかっていうのは、
法律的にはまだ確定してないことなんで、
あの、すげえ絶妙なところではあるんだけれども、
状況から見て、だいたい加害したドローンの後、強く推定できる状態ではあると思うんだよ。
で、その状況の中で、彼らが全く同じ振る舞いをしているように僕には思えて、
この4人ともみんな被害者として振る舞い始めてるよね。
俺弱い立場です、みたいなのをすごい押し出されていて、
これとかがまさに、自分の権力性みたいなことに全く無自覚であるということの表れだと思うんだよね。
あなたは特権的であるという指摘を受けたときに、
やっぱりどうしても自分がいかに弱い存在かということを相手に伝えたくなるんだよね。
でもそれを知っている限り、自分の特権性に気づくことはできない。
し、自分の特権性に気づくことができないと、自分が何をしたかということが全く分からないわけで。
だからこの4人に共通しているのは、自分が何をしたかが分からないから、
自分の何が悪かったかも分からず、だから弁明することも謝罪することもできず、
でも主観的にはずっと責められているから、なんか自分が弱い存在に感じるっていう、
デフレスパイラルみたいに多分なっているんだよね。
知的体力の必要性
そうならないようにするためには、常に自分の方を疑い続けなきゃいけなくて、
そうすると、さっき千尋さんおっしゃったような、分からない状態っていうので、
分からない状態に耐えるみたいなことをしないといけない。
そこに知的体力が必要なんだって話になるんだと思うんだよな。
知的体力って何ですか?どういうこと?
分からなさを、この文脈においては分からなさをホールドしておく力というか。
誰だったっけな、藤浦雅彦かな、数学者の本を読んだときに書いてあって、
そうだよ、それまで他にそういう、僕はそうしてたんだけど、
他にそうしてる人を知らなかったので、書いていて驚いたんだけど、
数学者っていうのは、生活のほぼ全て、起きている間中、もしくは寝てる間でも、
ずっと一つの問題について考えているんだっていう話をしていて、
だから別のことをやっていても脳のどこかの流気っていうのは、
常に問題を解き続けているっていう話が書いてあって、
多分これができないんだよね、多くの人っていうのは。
何かを考え続けるということがあまりできずに、答えみたいなものを探してしまうと。
これはこうであるという断言を探してしまうんだけど、
でも、それって真実じゃないという話だったじゃないですか。
そうすると、分からない状態で何かを考え続けるということを、
頭の中、自分の中にホールドしておかなきゃいけなくて、
その領域を裂き続けなきゃいけなくて、
それには体力が必要ですよねっていう。
これを知的体力なんだっていうことを今僕は言っている。
共産主義の複雑性
確かにな。何か決まってないこととかがずっと頭の中に引っかかっていると、
それだけでちょっとリソースが裂かれちゃいますもんね。
そうそうそう。不愉快じゃないですか、それって。
僕たちにとってあまり快の状態じゃない、どちらかというと不快な状態ですよね。
多くの人はそうかもしれないけど、
例えば啓蒙的な概念とか、リベラル的な思想とか、
学んだ人がそこを受け入れないみたいなことを目にしたことが、
受け入れないっていう態度ではないんですけど、
受け入れてないなみたいに見えた時があって、
それはさっきも言ったんですけど、暴力を肯定することになるじゃないですか。
そうね。
あなたが考えるのをやめて答えを求めるっていうのは、
結果が出るっていうのは暴力でしかないわけです。
そうね。
じゃあ何なんてなるわけじゃないですか。
啓蒙とか、リベラルとか、
いやクソくらいだろって思って。
おっしゃる通りだと思います。
でも別にそれは、やっぱり自分もそうだっていうことじゃないですか、結局は。
ある立場において権力者であるって。
それは前も言ったんですけど、自分は日本でシス男性で、
自分はシス女性で、
クソ権力者じゃないですか、日本においては。
ただ、ある立場においては、
弱い部分もあるかもしれないが、受け入れなきゃいけないのはそこじゃねえだろって話じゃないですか。
もう封建制に戻るかって感じじゃないですか、そしたら。
そうね。
でも、
絶対的な権威があって、多くの人はそれができないな、そっちのほうがいいじゃんって思っちゃうんですけどね。
自分の立場が、
公にはっきりしてるほうがってこと?
そういう意味?
自分の階級とか、力みたいなのが。
もっと大雑把な話。
でもあと、あれも難しいなって思いました。
心を東京から出すようにしないとね、みたいな話もそのポッドキャストでされてたんですけど、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
自分の立場が、
でも難しいね。
うん。難しいなって思いました、すごく。
本質的に出てるかどうかなんか、やっぱ分からないからな。
うん。
だから出てないっていうのを受け入れるところからじゃないと、まずは出せないんじゃないですか。
そうだと思う。
あー、なるほどね。
で、それは多分いろんなところで、やっぱり出てなかったんだっていうのを気付き続けると思うんだよな。
うーん。
こんなことも知らなかったんだ、僕みたいなのを気付き続けるんだと思う。
あー。
例えば僕、キューバのことを結構勉強してからキューバに行ったから、
うん。
キューバ人の友達2人とイギリス人の友達1人と4人でビーチに行ったときに、
そのイギリス人は、僕らは23くらいだったんだけど、
そのイギリス人は19歳くらいで若かったね、1人だけね、僕らより。
うん。
そいつは共産主義者だったんだ。
うん。
彼はキューバ人の前で、その共産主義というのがいかに素晴らしいかっていう話をして、
うん。
キューバ人にキレられてたんだけど、
うん。
なんかやっぱりそれを見たときに、僕はやっぱり分かってなかったなって思うんだよね。
うーん。
思ったんだ。なんかちょっとうまく説明できないんだけど。
共産主義の国に住んでいるということがどういうことかっていうのが、
うーん。
うまく想像できてなかった。
うん。
なんかこの話を今僕が話したみたいに聞くと、やっぱり共産主義というのは独裁的で悪くて、
共産主義社会で育った人たちっていうのは、共産主義嫌いだから起こったんだっていうふうに聞こえると思うんだけど、
うん。
でもそういうことじゃなくて、彼らも共産主義の良い部分みたいなのは分かってるわけだよね。
うーん。
で、資本主義というのが全てを解決するパラダイスというわけではないということも分かってるわけだよね。
うーん。
でも目先の生活の大変さとか、実際に上で死んだ人とかがいるっていうことが分かっている状態の中で、
うん。
全くその苦しみとか悲しみとか複雑さみたいなのを外部にいる人から手放しで共産主義を褒められたときに、
うん。
とてもそういう気持ちになれないってことだよね。
うーん。
みたいなのってさ、やっぱなんていうのかな。そういうところに対して、やっぱり鈍感だよね。人間って。
うーん。
うーん。目の当たりにして初めて、ああこういう感じかみたいな。
うーん。
だから僕も心の中のどこかであったもんね。そのやっぱりキューバの素晴らしい部分みたいな。
うーん。
その共産主義の素晴らしい部分みたいなのがあって、そのイギリス人の男の子みたいに、なんかこう手放しで褒めようとは思ってなかったけどさすがに。
うーん。
でも、なんか心のどこかにあったわけだよな。
うーん。
でもその、それを日本人の僕がキューバ人の前で共産主義を褒めるということの意味みたいなのが、やっぱあれを目の当たりにするまではよく分かってなかったよねって思って。
うーん。
やっぱ分かられてないってことなんだよね多分ね。
うーん。
キューバ人とイギリス人のコミュニケーションのズレ
で、キューバ人がイギリス人に分かられていないというのは、イギリス人にとってはどうでもいいことというか。
うーん。
イギリス人が分かってないことでイギリス人に何の不利益もないんだよね。
うーん。
で、もうキューバ人にとってはそのイギリス人に分かられてないことによって、自分の心の柔らかい部分みたいなのが踏みにじられてるわけだよね。
うーん。
だから怒るわけだよね。だから分かってほしいっていう話をするんだけど。
うーん。
イギリス人の方からすると、それが分からないことによって不利益がないから分かろうとしない。
うーん。
だって褒めてるのに、ってなる。
うーん。
分かっているつもりだから、分かろうとはしないよね、そこから。
うーん。
うーん。
まして勉強してるって思ってますもんね。
そうね。
そのことについて。
うーん。
そういう想像力みたいなところがなさってて、根本的にホモサピエンスって奪うことに関してはすごく鈍感だけど、奪われることに関してはすごく敏感に反応するなっていうの。
そうね。
うーん。
僕たちの脳がそうなんでしょうね。
まあそれはある程度しょうがないというか。
脳の作りがそうで、そこを受け入れたら、我々は別にただの動物なわけじゃないですか。
うーん。
そうね。
なぜ共産主義とか、そういうものを学んで、人間って名乗ってるんですかって話になっちゃうじゃないですか。
そうですね。
なんかやっぱ大変だな。
何が?
生きること?
うん。
生きることだし。
でもその苦を受け入れろって話をしてるわけじゃないですか。
そうね。
うん。
紀元前から釈迦がしてたわけじゃないですか。
そうね。
今は2024年ですよ。
はい。
だから室野さんが岡先生の動画を教えてくれたときは、めちゃくちゃ自分はショックだった。
世界に戦争がまだあって、そうやって死んでいく人がいるみたいなのは分かってたつもりだったんですけど、根本的に違うなって。
うん。
人権っていうものが特権的な権利なんだっていう。人間であることっていうのは特権的な権利なんだっていうのが、当たり前にあるもんじゃなかったんだっていうのが、すごいあの動画を見て分かったというか。
そうね。
それでいて、ゼミで植民主主義の話があって、それでいてやっぱ啓蒙的なものとかを学んでるにもかかわらず伝わらないみたいなところとか、ショックですよね。
そうね。
それでいて東京ハイカルチャーの話とかも、ハイカルチャーインティーの話とかも、なんかその根幹みたいなのが。
うん。
なんかただ、人の、まあ確かにどの権利でそれを言ってるんだったらとこもあると思うんですけど。
うん。
なんかそういう柔らかいところを刺激しちゃうのは確かにそうだがと。
うん。
そんなもんだろう人生。
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