大変嬉しいところです。
一応僕的にはこの3人の共通項は感じていて。
そうなんだ、すごいそこまで。
えっと、シザーハンズだと思ってるんですよ。
傷つけるつもりないのに手に挟み合わせちゃってる感じっていうのは。
でも、とてもしっくりきます。
自分に顔しては。
だからジョニーデフもちょっと呼んできた感じで。
なので、ちょっと今日3人でまたロングトークをしたいんだけど、
今日の話題が、
最近、室さんが他でやられてるポッドキャストのミスメラっていう番組で、
上げていたテーマが、なんかすげえいいなと思って、
それをこの3人で話したいなと思ったんだけど、
ざっくり言うと文化資本格差みたいなことを話してたんだけど、
あの回って改めて室さんからアウトラインとしてお話できることってあります?
分かりました。あの回ね、ちょっと僕の周りで物議をかもしてて、
知り合いで飲食やってる人がいるんですけど、仕込みの時に店で流してたら、
従業員の機嫌が悪くなったって。
あのシザーハンズ。
ラジオ通してポッドキャスト通じてシザーハンズ。
そんな人を不愉快にする番組あると思ったんですけど、
ちょっとその番組の内容として何を話したかっていうと、
僕、最近地方から東京に出てきたんですよね。
僕、九州の大分出身なんですけど、大分県大分市の別府近いところ出身なんですけど、
そこから僕はかなり人生中盤戦になって東京に出てきて、
で、その出てきていろんな人に誘っていただいて、東京のいろんな人たちと会うみたいなことになった時に、
やっぱ全然違う。大分とは違う。
で、僕、ラテンアメリカに住んでたんで、6、7年住んでたんで、
ラテンアメリカとも福岡とも大分とも違う東京みたいなのがあり、
で、東京に出てくる時に僕は何を考えてたかっていうと、
僕の大学の師匠先生が、東京というものを知った方がいいみたいなことを言ってたんですよね。
九州いいとこだけど、世界というものが分からないまま終わるみたいなこと言われて、
そうなんだと思って東京に出てきてみて、確かにそうだなと思ったんです。
確かにそうだなと思ったのは、東京人って東京人にしか分からないことがあり、
それが、なんていうかな、東京であるがゆえに日本の中心であるがゆえに、
やはり他の地方と違ってちょっと特権性があるなみたいなのを僕は感じるわけですよね。
で、例えば、ある文筆家の知り合いに文壇バーに連れてってもらったんですよね。
で、文壇バーに連れてってもらったら、その人が文壇バーに入った瞬間、
17人席があってほとんど全部埋まってたんですけど、
全員その人の知り合いだったんですよ。
で、全員編集者、研究者、美術家、文筆家みたいなので構成されていて、
で、みんなその人が入ってきて共通の知人がいるって分かったことで、
なんか全員で話すみたいなフェーズになったんだけど、
もう話についていけないわけですよね。
もう飛び交う単語が違いすぎる。
あ、なんとかの編集部のなんとかさんはみたいな。
あ、知ってるもんだみんなみたいな。
で、東京であることとハイカルチャーであることと、
インテリであることみたいなのが、それぞれ別軸として存在するんだけど、
それがある種の社会集団としてこの土地にはあるんだなと思って、
で、後日すごいびっくりしたのが、それ全然別々の知り合いで、
お互いは全然知らないんですよ。
知らないんだけど、全員のインスタグラムで同じ日にピナバウシュっていう、
現代武道家の劇団が日本に来て公演をするって、
みんな見に行ってたんですよね。
あ、みんな見るもんなんだピナバウシュって。
当たり前じゃない。
東京ハイカルチャーインテリはピナバウシュを知っており、
それを見に行くというそのビヘイバーを持っている人たちなんだと思って、
あ、僕は彼らの一部ではないなみたいなのを思ったっていう話をしたっていう感じですよね。
なんかね、それ聞いた時になんかいろんな構造が見え隠れするなって思ったのね。
一つ言うと、地方と東京とかとの共通点で言うと、
スモールコミュニティの中でのハイコンテクストな会話って、
地方は地方のルールとしてあるじゃない。
隣に誰さん知ってるのとか、それこそそこが血族だったりとか、
と紐づいたハイコンテクストな話題とか。
だからそこにも近いなと思うけど、
そこに文化みたいなものがくっつくと、
途端に東京の匂いになる。
そうとも感じたし。
からスタートしつつの、
多分もうちょっと先にあるやだみ成分みたいな。
部分ってシティボーイ、シティガール的な何かがあると思うので、
そこに向かって話したいなと思うので。
なんかね、切り口がめちゃくちゃいろいろあって、
どっから行けばいいんだろうっていう。
頭前に変わりますよね。
ちなみに、つかささんは東京に来たのっていつだっけ?
つかささんは東京生まれで、
4歳の頃にベルギー、ヨーロッパに行っこして、
ベルギーで14年間、高校の卒業するまで過ごして、
で、大学、大学院仕事で、ロンドン、パリに行って、
で、5年前に東京に戻ってきました。
じゃあ今、つかささんから見た東京って、
室野さんのエピソードにあるような体験ってあった?近いような体験。
もちろんありますし、ただ、なんか怖なとこに行きますけど、
室野さんがやってられてるポッドキャストを聞いて、
すごく思ったのが、すべてあの回のフレーミングが、
当たり前っちゃ当たり前なんですけど、
室野さんがその九州から来られている地点でのフレーミング色が、
強って思いながら聞いてましたね。
状況感ね。
状況感とか。
室野さんは地方から都会っていう状況の成分があるし、
つかささんの話を聞いて、
つかささんって東京の上位概念にある西洋文明みたいなものの都市、
他の都市に居たとこからの東京だから、
多分そのシティの見る視座が違うような。
いや、ほんとその通りです。
今のご経歴を聞いて、僕が思ったのは、
僕の先生が僕に東京にしかリアルワールドはない、
みたいなことを言ったのと同様に、
やっぱりロンドンパリへ教育を受けた知人と話してた時に、
その人が言ってたのは、
アジアにはリアルワールドはない、みたいなことを言ってました。
言ってましたね。
そう言った人は僕すごい嫌いです。
それは、
なんていうんですか、
自分のヒエラルキーを人に強制しているだけだし、
そんなことはないとは僕も思うんですよ。
ただ、すごく内黒さんが言った通り、
それが良い悪いは別として、
視座が全く違う、視点が全く違うところから、
物事を見ていることによって、
例えばハイカルチャーインテリという言葉とか、
カルチャーガール、カルチャーボーイという使い方とかは、
すごい違和感を持って聞かせてもらいました。
そこまで。
最高。
そこまで。
最高。
実は前回の室野さんとの会話の中で、
レビストロースを引用して、
レビストロースという文化人類学の素となるようなものを提唱した人は、
逆に西洋文明が全てだと思っている人たちに対してパンチをくらした人で、
未開と言われている文明の人たちっていうのは、
実は劣っている存在じゃなくて、
そこの優れている部分っていうのをレンズとして持ってきた人。
大体あっている。
そうです。
なので、そういう視点の違いっていうものって、
今回の東京ハイカルチャーインテリ語るときってむっちゃ有効だなと思ったんだよね。
今、2人が執事を言ったので、
俺を言うと、
すげえバランスいいんだよ、これ。
塚田さんがアラサーのさっきの執事、
室野さんがアラフォーのさっきの執事で、
僕アラヒフなんですよ。
僕は母子家庭で育った青森生まれの上京組なんですよ。
しかも、何も決めずに18で上京してきた、
いわゆる無学の地方上京者。
かつ、当時90年ぐらいだったので、
いわゆる昭和の青森から東京祭行くだ、みたいな、
そういう空気も知って、東京にたどり着いた人間なので、
結構また違う執事なんですね。
しかも東京がむっちゃ経済的にも元気があった90年代を見てたりするので、
結構その辺の文化資本格差みたいなものを、
本当に密海の地から都会に出たような体験をしてるので、
意外とそこの見え方って、
ギミックに出そうだなと思ったので。
逆に僕は仕事をしながら、
いわゆる西洋のトップティアの人たちとのものづくりとか、
そういう体験も仕事の流れでしてきてるので、
いわゆる西洋のハイクラスの、
ハイソサイティの方々の文化みたいなものとかって、
直撃で体験はしてるんです。
だからそっからまた東京を見た自分っていうのを、
今この50になって、
そういう自分もあるんで、
おもろいなと思って。
じゃあまず、司さんに、
あのミスメラの回を聞いた率直な感想系のエピソードを
ちょっとポロポロっていくつか出してみて、
そこをネタに合わせたいなと思います。
ちょっと僕も準備してきてないんで、
綺麗な言葉で言えないんですけど、
感覚的に感じたことは、
そこまで東京を意識しないで生活すればいいじゃんとか、
思っちゃうんですよ。聞いてて。
そのレンズで見てるんだとか、
それがテーマだったから当たり前かもしれないですけど、
日常的にはそこまで考えてない可能性も全然あると思うんですけど、
あの回を聞いたらそう思ったり、
なんかやっぱり、
僕は西洋からのカルチャーとか、
それを信じない自分もいながらも、
正直それを内面している自分も、
いないって言ったら絶対嘘だと思うんで、絶対いるし、
それを内面してるからこそ日本に来て、
いや、そんなの気にしなくていいよ、みたいな言える立場だと思うんですよ。
そこが僕は室野さんのポッドキャスト聞いてて、
3人が喋ってる内容に違和感を感じながらも、
自分も問題だなとはすごく思いました。
自分はそんな、そういう、
例えば今言いかけたのが自分の特権であるって言いかけた。
特権っていうことはもう自分の、
上に立っていることを内面化していることっていうことになるから、
自分の特権であるみたいなことも言えると思うんですけど、
なんか、僕についても考えさせないとっていうことですね。
僕はこういう視点でいいのかとか、その視点であるのであれば、
どういうふうにそれを責任取るべきなのかとか、
人の接し方とかそう考えるべきなのかとか、
だからすごいあの、別れ方、すごく興味深かったです。
誰が誰か忘れちゃったんですけど、
東京のハイカルチャーインテリ、文化資本を持っている人たちの構図を言葉にしないのは、
その構図を無視することだ。
だから言うべきであるっていう意見もあったし、
すっごい分かります。
それな気がするよね。
めっちゃパンパンいろんな視点、いろんな矢印が出ちゃって、
頭寝ちゃったんですけど、
すっごい初対面でめちゃくちゃ失礼なんですけど、
室さんの周りの人めっちゃ性格悪いやんって思っちゃいました。
え、どういうところで?
え、なんかそのめっちゃリファレンスわかんないのにネームドロッピングめちゃくちゃする感じとか、
知らないの?みたいな感じ出してるところとか。
いや、言ってあげてほしかった。
あの、室さん今いろんなビジネスの現場でそういうマイクロアグレッションを受け続けてる。
親切すぎるし、僕は逆にそういう東京じゃない東京もちゃんとあるよっていうのは、
室さんに逆、社会にとかそういうことを感じてる人がいたら、
それが当たり前ではないし。
いや、僕はね、逆なんじゃないかなと思っていて、
だから僕のことをワンノブゼムだと認識したんだと思うんですよね、彼らが。
だから僕、ラテンアメリカにいたんで、
特にラテンアメリカとかでいると、
なんていうかな、やっぱちょっと絶妙な話題だと思うんですけど、
日本人であることって、なんかもう言い古された言い方ですけど、
どこか特権白人であるような感じがあるというか、
じゃあその留学生仲間で飲みに行こうかみたいになったときに、
じゃあ中国人誘うかって言ったら別誘わないのに、
一応日本人に声かかるみたいな。
で、みんなで飲みに行くんだけど、
やっぱりそのヨーロッパとかで流行ってる音楽とかの話をみんなするわけですよね。
で、僕あんまり洋楽詳しくない、
まあ音楽は聞く習慣がないんで詳しくないんでよくわからないんだけど、
彼らはそれがワールドスタンダードとしてみんな知ってるよねと。
イギリス人も知ってるし、アメリカ人も知ってるし、ドイツ人も知ってるし、フランス人も知っている話題として出してくるわけですよね。
で、当然日本人のあなたも知ってますよね。
なぜならあなたはワンドバースだから、みたいなことをするんだけど、
いや知らねえな。
みたいなことがやっぱあるなと思っていて、
それ彼らからすると、僕を仲間だと思うからそういう風な扱いをするんだけど、
僕からすると、お、そうか、みたいなわけですよね。
そういう東京の人からにもそういう風に認識されている可能性は高いから、
そういう風に、同じだよねっていう扱いでそういうことを言ってくれてるっていう感覚なんですか。
多分だから、多くの人はこの違和感をたぶん口に出さずに、
同じだよねって扱われることによって、一生懸命キャッチアップして、
みんなのコミュニティに入っていくんだと思うんですよね。
で、どっちかというと僕は性格悪くて、それを言ってるっていう。
ワン・ノブ・ゼムと扱ってもらったにも関わらず、
あなた方とは違いますけど、みたいな。
で、さっきの政治の話じゃないんだけど、
そういう人たちほど言葉ではインクルーシブとか言うんですよ。
でも、違う人がいるっていうことに対するハイルや意識っていうものが、
異常に外れたハイカルチャーの人たちっていうのを相当見てきていて、
それこそ論断の人とかもそうだったろうし、
僕ってデザインとかアートとかサブカルの人間なんだけど、
そこでもやっぱり、これが分かってるうちら。
だから仲がいい、みたいなものを前提としたコミュニケーション、
みたいなものに慣れすぎてしまっていて、
同じであるっていうコミュニケーションを取ったら、
それが暴力になるっていうシチュエーションに慣れてないっていう。
だからやっぱ違う、人は違うっていう前提を持ってコミュニケーションを取れる品を持った人っていうのが、
意外と少ないっていう。
で、多分そういうクラスの人ほどやっぱそこ無自覚なこと多くて、
性格悪いだけ。
なんかそういう感じ。
言っちゃいましたね。
いやでも分かるんだよね。
だから違う人がいるっていう前提をどこまでの射程で持ってるのかっていうことの方がむしろ、
俺はそのより強要がある人だと思うんだけど、
強要があると思ってるそういう人たちほど、
意外とその多様性に対しての自覚みたいな。
いやでもむずいな。
自分も絶対排除してるんですよ。
これって自分の方からは、この話をするときに、
ミスメラの中でも千朗さんって女性の方が多分言ってたと思うんですけど、
あなたは私のことをシティガールだと言うけれども、
インテリという軸ではあなたの方が特権的じゃないかみたいな。
なんか起きたきたきた。
でそれも僕はここ数年すごい感じてる。
あんまり別にインテリだとは思わないけど僕も。
でも大学院まで行ったみたいなことを考えると、
いやでもPHDもらえない。
いやPHD持ってない。
マスターで。
マスターの後博士化って言ったんですけど、退院しておく大学で出てるんですよ。
あれもね。
違いますよ。
あるからなんかその、なんていうかな。
だからちょっと分け道にそれるんですけど、
さっきの東京ハイカルチャーインテリって僕の言い方したんですけど、
あれを出した後にいろんな人と話してて、
やっぱその東京ハイカルチャーインテリって一緒に住むのよくないよねと。
なるほど。
東京とハイカルチャーとインテリがあるよねっていう話をして、
それは僕も合意なんですよ。
でもそれは合意なんだけど、東京の話とハイカルチャーの話とインテリの話を別々にすると、
嫌な感じにならないじゃないですか。
悪口になる。
これをまとめると悪口になる。
説明しにくくもなりますね。
でもなんかその嫌な感じになることで、
おっしゃったような自分の特権制のことを考えざるを得ないと思うんですよ。
ですよね。
本当に自分が抑圧されている立場の場合、
何が自分を抑圧しているのかっていうことを考えざるを得ないと思って、
耳障りの悪い言葉を置いたんですけど、
この話でやっぱすごくさっきメチクロさんがおっしゃった
アメリカのサハの話もそうだと思うんだけど、
世の中に序列があるかないかみたいな話があると思って、
ネツカさんおっしゃったようにないと思えばないじゃないですか。
あると思うからあるのであって、ないと思えばないんだけれども、
それをじゃあないよねって振る舞うことって、
いい時もあれば悪い時もあるよなみたいなこともあり。
僕は風だと思ってて、今のさっきの政治の風景から切り取ると、
もはや左右の時代じゃなくて上下の時代だって言われてるじゃないですか。
上下っていうものを自分の身体感覚的に意識できているかどうかっていうのは、
さっきの自覚の話な気がしていて、
今さらに風で言うと弱者マウントを取るモードに入ってるじゃないですか。
僕がちょっとエピソードで言うと、
ミノワーコースケさんがニュースピックスでブイブイ言わせた時代に、
僕がある友達に、この人多分40になる時に突然に反省モード入るよって言ったら、
本当そうなって、ニュースピックスやり尽くした後、
今彼が何やってるかっていうと、ミドルエイジクライシスについて語り出してるんですよ。
だからやっぱその反省モードになった時に、
自分がいかに弱い存在なのかっていうもののポジションをみんな欲しがってるなと思ってて、
だから自分に特権に築くようなシチュエーションってみんないろいろあると思うんだけど、
その時にまた自分はどこで弱い立場なのかっていうものを置いて安心したがる部分がすごくあるなって感じていて、
それはそれでなかなかにやだみあるよっていうのは俺は見ている。
おっしゃる通りですよね。
だからその自分の特権の自覚することと、
必要にポジションとして自分も下に入ろうとしたりするっていうものがセットになる動きって、
多分今のこの風の中で言うとトレンドではあるんだけれども、
結構苦しい動きだなと思ってるから、
だから僕は上下の時代だからこそ、
自分が持ってる特権っていうものをちゃんとラッキーっていう意味でもいいから引き受けて、
引き受けた上でそこのハッピーさや下への配慮みたいなものをどうアウトプットするのかの時代なんだと。
もうしっくり来ましたね。
来た。
来ちゃダメなんだよ。
めちゃくちゃしっくり。
かかってこい。
超しっくり。
でもなんかそんな気がしない。
おっしゃる通りとか思いますし、
今ほどの序列の話にすると、これは単なる僕の意見、考え方ですけど、序列はないって思い込んで生きる方が暴力的だとは思っちゃいます。
で、ちょっと政治であえてくっつけると、だからある一部の僕は自分の中では左寄りのもので、
そこをサポートしたいっていう気持ちは強いんですけど、
まあそんなサーダンっていろんな考え方があるし、いろんな手法がある中で、ごく一部はすごくフラットに物事を見て序列はない。絶対ない。
現状でもあることを認めるべきではないみたいな考え方あると思うんですけど、それの方が100倍暴力的だと僕は思っちゃうんですよね。
いろんな…で、序列はある。だが、自分はどこにいるのか。そしてその立ち位置に対して自分はどのような特権があるのか。
もしくはどのような権利があるのかとかを考えて、それに基づいて、じゃあ上への配慮とか下への配慮とか、どう振る舞うべきなのかって考える方がよっぽど少しずついい方向に進むのではないかとか思っちゃう。
思うよ。
イコール…従って大賛成です。
僕はさっき言ったような執事なので、やっぱりどのステージでもやっぱり下であるっていうことを受け入れざるを得ないやり方やってたんだけど、そこでいろんな経験させていただいて、
いわゆるハイカルチャーの部分においては、技術もナレッジも異常な筋力つけてモンスターみたくなっちゃってるよね。
で、僕がやってるなりは今この雑談でのカレーおじさんに書いてある別のなり合いって何やってるかっていうと、
そのハイカルチャーインテリに対してのサービス提供するっていうのをやってるので、その人たちの挙動が手に取るように分かれる側になっちゃってるので、
だからこそ商売にしようと思うとそういう人たちがお財布を開きたくなるような挙動を取らせるために、
そこの序列感とかプライドとかみたいなもの、どうくすぐるのかみたいなことをコントロールするのをやっちゃってるんですよ。
僕はそこを商売にしてるがゆえの、そこの暴力性をすごく知ってる。
だからそこは文化としてありなのかなしなのか、これは商売にしすぎちゃうまずいものなのかみたいなのをずっと測ってるので、ちょっと違う視点になってる。
だからなんかその序列を受け入れるってそんなにも難しいことなのかって一回考えたことがあって、
その時僕が思いついたのが、今言ったクラスにいる人たちの共通に見えている、透けて見えているものが
親との折り合いみたいなもののコンプレックスと社会の見方がくっついてる人が多いなと思って、
だから政治的なスタンスとかお金の考え方とかがすごくそこに紐づいてるなっていうのをすごい感じてるんだよね。
自分を育ててくれたも外すことのできないOSの親みたいなものに対する反抗心みたいなものが、
何か自分を特権を持ってるにもかかわらず戦う俺だって思わせてるものがあるような気がしていて、そういうのってある?
確かにラジゴでも話したことあるかもしれないんですけど、
僕は率直に言うとかなりお金持ちの家庭、父親が勝者だったんですね。
なのである程度の金銭的には苦しくない、苦しがちがう有利な方だったんですけど、
それに伴って良いとされる生活、良いとされる暮らしのインフラ、良いとされる休みの過ごし方っていうのがあるんですよ。
ただ僕は今全然そこに達していないお金的には。
一時期はそれにすごい個室というかその与えられてた環境より良い環境もしくはイコールの環境は最低限だなっていう考え方が強かった頃がすごいあったんですけど、
それはめちゃくちゃ不健康だなとはすごい思いました。
でも僕の話ではなく、ほとんどの人そういうふうに考える方が自然なのではとかすごい思っちゃうんです。
与えられた環境より下は行きたくないっていう気持ちは当たり前だ気がしてて、
ただ、なんかごめんなさい結論がないんですけど、そこに対して僕は、なんで、きっかけはないんですけど、僕はある日から解放されて、
そこを追ってもなんか自分が不幸になるだけだなっていうのはすっごい。
引き受けるの話だよね。
だからそこからなんか脱越して、自分は自分だしいいんじゃないのとか思って幸せになりたいなみたいな。
だから序列を引き受けた上での精神的な自立ができたかどうかで言うと、今のエピソードってできた人の話にすごい聞こえていて、
さっき言った親みたいなものに対する折り合いのつかなさみたいなものの視点で、そこが内面化している人のパターンとしては、
その人たちの特徴って上がいるを知っちゃってるっていうか、だからこそ自分を中3階級だって自認しちゃってるっていう、
自分を過方修正するようなバイアスがかかりやすいなと思ってて、
僕みたくすごく下にいると全部が上なので、なんかこのステップの階層がすごくよく見えるんですよ。
でも自分を下だって無理にしようとしている人、インポスター症候群的なというか、
自分を得てるものがあるし自分の実力でやれてることがあるのに何か過剰に自分を下のポジションに置こうとする人の特徴って、
やっぱり景色として上を見ちゃってるから。
だから自分っていうのは何なんだろうとか、これより下げたくないとかっていう気持ちとかで、
その折り合いがつくの難しいだろうなと思って。
でも自分込みでかわいそうとかすごく思うんですよ。
自分が家庭、例えば自分というかそういった人が家庭作るとします。
そこからもっとこのことには、僕が経験した物事を経験させなきゃいけない。
例えば僕フランス人学校行ったんですけど、
例えば日本人でフランス語を勉強させてもらったみたいな。
それはもうここに固執してたらもう嫌むじゃないですか。
自分の子供に。
絶対フランスに学校行かせて海外経験させて、
イギリスの大学行かせてとか言ってたらもうキリがないし、
それは自分の防衛メカニズムだけかもしれないし、
おそらくそれなんですけど、そこにはない豊かさとか、
僕は勉強頑張って、性格も家庭もあると思うんですけど、
いろんなファクターありますけど、自然にそんなに触れてこなかった人ですし、
美術とかにもそんな触れてこなかった人なんですけど、
別に日本の地方で暮らしてて、豊かな自然が近くにあって、
美術に触れたらそこから見える世界っていうのは、
いろんな大きい世界があるわけじゃないですか。
そこから一つずつ手に入れて、大人になってから世界を見るっていうのも
素晴らしいことだと思うんで、僕はそれができてない、
全部全ては当たり前って思ってしまっている人とも見なせると思うんですよ。
自分自身でもそう思ってて、一部部分的に。
だからそういういろんなあり方がある中で、
僕はこういうふうに座ってしまったみたいなことがあると思うんで。
それぞれの苦しみってさ、こうやって今の情報環境的にすごくいろんな人が見えるようになってきたから、
僕は90年代に状況をしていくときに感じたときほど、
そういうクラスにいる人たちのことをお感じがしなくなった。
なんであんな恵まれてるのに、あんなに苦しい苦しい言うんだろうみたいなのを疑問だったんだけども、
でもその苦しみのディティールみたいなものが今の司さんのエピソードにはすごくわかるようになったので、
僕はある意味上の人たち、僕のステージから見た上の人たちの苦しみをすごく理解できるようになったからこそ、
商売もできるようになったみたいなところがすごくあって、だからそれぞれなんだよね。
僕の同級生はさっき言ったように誰も進学しないんですよ。
公立高校を卒業するとほぼ全員男性は自衛隊に入るんですよ。
東京に出る人なんてほぼいなくて、僕ぐらいの人たちのその同級生たちって、
別にこのiPhoneが誰がデザインしてどういう技術で作られたのかなんて一切知らないんだけども、
むっちゃ幸せに暮らしてるんですよ。
だからそういうのを含めて、でも彼らって多分そのハイカルチャーであることとか、
インテリであることとかいうものから解放されて、
自分たちの幸せみたいなものを引き受けてるんだよね。
だからそういうところで東京って、そこの引き受けるのがすごく難しい都市だと思ってますっていう話。
そうですね。
かなりバトンもらっちゃったけどどうですか。
なんか話の流れ変わっちゃうんですけど、
スカスさんなんか貴族意識ってあったりとかするんですか?
貴族?
いやアリストクラッシーじゃなくて、
何かのワンオブアスであるっていう感覚を持ってたりするんですか。
ごめんなさい、日本語があれなんですけど、理解はしたんですけど、
どの輪にワンオフ丸々の。
例えば、僕あんまり何かに貴族意識、何かに貴族してるっていう感覚がない人間なんですよね。
ないんだけど、僕が初めて自分の貴族意識に気づいたのは、
調査のためにキューバに行った時に、
キューバでは自分が日本人であることをすごく感じたんですよ。
なるほど、なるほど。
俺はキューバ人じゃねえよ。
僕この話すごい好き。
俺も大好き。
というのをすごい感じて、
別に日本にいる時には自分が日本人であるとか全然思わないし、
日本への貴族意識とかも全然感じないんだけど、
これ同じことで、東京に来てから自分の九州人としての貴族意識みたいなのをすごい今感じてるんですよ。
なるほど、なるほど。
東京の人と話す時に、僕過剰に九州弁使ってるなって思うんですよ。
九州で全然九州弁使わないんですよ。
むしろ東京の標準語を使う。
そうそう。
だからそれがすごく、なんていうのかな。
やっぱここの人たちっていうのは僕にとってアス、ウィーではないみたいなことを感じた時に、
僕のウィーみたいなのが無意識に自動的に出てくるなみたいなのがあって、
塚田さんそういうのあんのかなって思って。
やっと理解しました。
そして、僕は先ほど言った通り4歳の頃から海外で日本人として過ごしてたことによって、それがデフォルト。
だから海外だと少しはもちろんありますよ、日本人としていて。
でもそこはなんか自分でみたいなのはそんなないんですけど、
日本に行って今5年目なんですね。大人になってから初めて5年住んだんですけど、
めちゃくちゃなんかヨーロッパをすっごい意識しますね。
そのアイデンティティ、自分の文化的背景がヨーロッパにあるような。
あるんだっていうのがすっごく感じさせられますし、
でも本当におっしゃる通り離れて初めて感じるもんだなっていうのをめっちゃ思います。
これ日本とは関係なくちょっとプチエピソードなんですけど、
中学生、中3の時に社会の先生がヨーロッパという概念として説明してくれるんですね。
で、ヨーロッパのアイデンティティとかを作るために、例えばヨーロッパの旗あるじゃないですかとか、
いろいろあるんだよみたいな。へーって。
だからもしかしたら50年後ヨーロッパはもっと成長してもっと普及して、
起きたら、朝起きたら私はフランス人って思えるんじゃなくてヨーロッパ人って思えるかもしれないよみたいな言われたんですけど、
なわけあるかみたいな思ったんですよ。
ありえねえしそんなヨーロッパ人、誰がヨーロッパ人って思って起きるねんみたいな。
絶対国ファースターだとか思ったんですけど、
日本だけど、離れたんですよ。離れたというか日本は引っ越しました。
あ、あるかもこの世界線みたいな思ったんですよ。
僕ヨーロッパ人かもみたいな思って。
すごい面白いね。
すごい離れて初めて感じることとか思うんで。
だから結論が文化資本と遠すぎますけど、
僕はそれを感じて、それを言ってもそれを聞く人はなんて思えないんですけど、
だから海外に暮らしたことない人たちとかにすごく海外に行ってほしいんですよ。
それがもっと日本大好きってなったとしても、もっと日本嫌いになったとしても、
それを俯瞰視で見れるようになるから、
日本がどういう国なのかを認識できるようなことになるんで、
海外行ってほしいなっていう気持ちは。
でもさっき言った序列を自分から客観的に見るためには、
やっぱり西洋に出てみるとか、南米に行ってみるみたいなところですごく生きるよね。
貴族意識じゃない方の貴族っていう意味でいくと、
その貴族のような風習っていうのを実は幼少の物心つくタイミングで東京で得ていて、
小学校4年生の時に青森に戻って田舎っていうもので思春期を迎えたので、
自分の人間としては東京の人間なんだけども、
思春期で体験できるすべてのことが青森の、しかもインターネットのない時代の青森だったので。
ヤバいっすね。
自分のアイデンティティーは、っていう貴族意識でいくと、
僕は多分この中で一番東京に対する貴族意識がすごい強いんですよ。
東京っていうもので生きていて、東京に何かを残したい貢献したいという意識がすごい強いんです。
だからそれがあれですよね、同級生がみんな自衛隊に行く中で東京に出てこれたっていう。
だからそこで資本が効いてるわけですよね。
本当に何の進学でもなければなんでもない、本当にただ片道切符だけを持って東京に出るっていう、
その根拠っていうのは、自分は東京の人間だからっていう意味1個しかないんですよ。
いや、でかいですよ。
でかいでかい。
なんかさっきから弱者のキーワードいくつか出てるんですけど、
なんかそんなにしっくりきてなくて、しっくりじゃない、理解ができてなくて、
どういう理由で弱者になりたい気持ちが芽生えるんですか?
えっと、今一番有利だからですよ。
既得権がある人っていうのは、アメリカの今の選挙状況みたいに、
既得権あるっていうだけで、そこには賛成しないって言われてしまうムーブがあるので、
僕は持ってませんっていうものを見せる方が有利ですよね。
まあ確かに持ってると、僕も本当恥ずかしいことなんですけど、バカにしちゃうからな。
なるほどな。
だから、民主党を応援する演説に参加する人たちがセレブリティだったら、
よりそこを強固にしてしまうっていうのは。
だからやっぱこう、持ってないっていうものを見せれば見せるほど、
そういうことを集めやすい。
いや、僕はでも、出てほしい。出てきてほしい。
丁寧に自分のことを、弱者じゃないです。
強いものですが、信じてくださいって丁寧に説明してくれる人がいることを信じたい。
政治家とかとして出てきてほしい。
僕は正直言って、めちゃくちゃ金持ちです。
めっちゃ金持ちです。
ただ、僕は努力してますみたいな。
なんかその嘘っぽい弱者は一番立ち悪いから、嘘ついてるのと同じなんでね。
アーティストとかも、アーティストとしてそれをする必要性は全くないんですけど、
いるじゃないですか。めちゃくちゃ金者、社長の息子娘が活動して、ちらほらいるじゃないですか。
で、その人たちを否定するわけではないんですけど、
なんか、これは僕の問題なんですけど、深く考えないで夜こうやってバーって見てると、
またこいつみたいな、金持ちが別に金使ってMV作ってるだけじゃんみたいな感じなんですけど、
その人がなんか、金持ち面しないからそれを感じてると思うんですよ。
普通に、それはどうやってやるのって言われたらちょっと確かに頭っかかえて、
それは僕の問題なんですけど、
例えばその人が丁寧に、その人が例えばポッドキャストあったら、
ポッドキャストあったら、そういったところでもうちょっとオープンに、
実は○○会社の社長の息子さんでめちゃくちゃね、
そういう特権まみれだからこういうことさせてもらえてるみたいな感じとか言ってくれたら、
すごい応援できるし、隠してないし。
それを出した上で、それがどれだけ自分がハッピーかっていうことをちゃんと伝えられた人っていうのは本当に強いんだと思うんだけど。
そう、強いし信頼できる。
だから今さっき言った風が、さっき弱者であることをみんなで奪い合うような風になってるからこそ、
今求められるのって、そっち。
認める側ね。
持ってることを認めて、そこをみんなに正直に伝えられた人ってかっこよく映るんだろうなって思う。
弱者ポジション取り合いはちょっと嫌ですね。
嫌だよね。
でも、さっきの今、新自由主義って言われる経済っていうものの、親ガチャによって持ってる人たちが優位、資本を持った人が勝ち続けるっていう格差と、
文化っていうものも同じくあったときに、その2つをちゃんとバランスよく見せられる人っていうのが欲しいなと思って、
そのためのガイドとして言葉にしていかないといけない気がする。
確かにラジオ屋さんごっこで、今やってるポッドキャスターで、金持ちである自覚っていう回があって、
その後すっごい人気なんですよ。
だからやっぱりそれに、そういった自分のウェルス悲惨を表に出すって、
それを1時間で辞任して、2人がめっちゃ責めるんですよ、1人を。
お前さ、自覚してる?みたいな感じ。
でも確かに珍しい。
でもああいうイニシエーションがあるとオープニングできるじゃん。
でもやっぱこういう話題って、強制的なイニシエーション的な行動がないと出にくいんだろうなと思う。
自ら。
自ら開くその品の、さっきの品の話で言うと品の無さってすごいあるから。
確かにインセンティブはないですからね、その見せることに対して。
多分なんかインセンティブもないし、多分習慣もないんだと思うんですよ。
習慣ももちろん。
多分昔は、おそらくみんな知ってたじゃないですか。
この人は家族であるとか、この人は氏族であるとか、この人は定代でてるみたいなのをみんな知ってて、
そういう家柄の人だからみたいなことで、把握してたんだと思うんですよね。
僕たちは今それが全然把握できない社会に住んでるから、
その人をどういうインディケーターで見るかっていうと、
その人が自分で発信したことしかわからないから、
その人が自分で発信したことしかわからないということを踏まえると、
その人の心眼がわからないじゃないですか。
それが正しいのか間違ってるのかみたいな。
心眼を揃えようとすると、僕が言った東京ハイカルチャー的な振る舞いをしないと、
本物が見つからないんだと思うんですよね。
そこで選別が行われるっていうことが、人間の一般的なビヘイブアとして起きるんだろうなって思ってて、
僕がこの問題に、最近なんでハマってるかっていうと、
僕を今連載させてもらってるところがあるんですけど、
それを紹介してくれた編集の方がいて、その人ご自身でも5本書かれてる方で、
その人が言ってたのは、日本には階級があるっていう話をしていて、
でも戦後の左派の人たちっていうのは、階級っていうのを見えないようにしたんだっていう。
それをどういう風にしたかっていうと、
左派の人たちが自分たちが大衆のワンのバースであるっていう振る舞いをしたことによって、
インテリっていうのは元々特権階級だったのにもかかわらず、
インテリが大衆の側にいるみたいな振る舞いをしたことによって、
あたかもそこに階級差がないかのような認識っていうのが広がったんだっていう話をしていて、
で、面白かったのは、昔から考えてみると、文字を使って行政文書とかを作って、
つまりホワイトカラーワークみたいなのをしてたのは、江戸時代大体5%くらいの人口だったんじゃないかと。
で、おそらくこの文化資本みたいなのが、
21世紀の日本にも影響してるんだってその人は言ってる。
その5%が。
エグ。
それが本当かどうかは、その人の心肝が出るまでわからないんですけど。
仮説でしかない。
エグと思わせる面白さのある仮説。
それは、そうかもなと思ってて、
例えばその上場企業の人口って多分5%くらいなんですよね。
いわゆる定代とか定代級の偏差値の大学とかもやっぱ5%くらいなんですよ。
でなると、その5%の人たちっていうのが社会の中でずっといるよねっていう話になってると思うんですけど、
でも多分20世紀の最後の方から、文化資本を持っていることと経済的な利益を持つことっていうのがリンクしなくなってきたので、
だから今文化資本持ってるけど経済的には全然箸の棒にかかってない人っていうのは世の中にいっぱいいるんだと思うんですね。
両方持ってる人もいるっていう話かなと思うんですけど、
その話を聞いてたから東京に来てみて、
ほんまやと思って面白かったんですよね。
こういう人たち本当にいるんだみたいなのが僕は面白かったっていう感じで、
で僕がやっぱそれを書いたのは文筆家の方とやっぱ同じ問題意識というか、
これを見ないふりしててもあるよねっていう問題があるなっていう感じです。
ないことにはできない。
ないことにはできない。で本人もわかってない。
自分が特権階級であることが、それは戦後の流れの中で、
自分たちは庶民であり平民であり大衆であるっていう認識でインテリ生きてるから、
いろんな顔が浮かんでくる。
確かに。
よく今すごいもうペーペーの1年目、キャリアチェンジしたことによって見習い建築設計師みたいなことをさせてもらってるんですけど、
前職では外資のボストンコンサルティンググループというでかいコンサルティング会社で、
なんでそれを捨てたっていうキャリア?
それは確かに面白いっていうのもあるんですけど、
の中の新規事業立ち上げのデザインコンサルみたいなのをやってたBCGデジタルベンチャーズっていうところにいたんですけど、
それはどうでもいいんですけど、そういったところに働いてたことによって、
今の話がすっごいなんか回想と高く読めてる感じがして、
別にコンサルが全てではないんですけど、いろんな業務とかベンチャーとかメーカーさんもいっぱいいるんですけど、
なんか本当に不監視できてない人しかいないんですよ。
それが仕事なのにね。
え、お前マジで?みたいな。マジで言ってんの?みたいな。
で、リベラルは当たり前でしょみたいな。
で、なんかその人たちの想像力の低さの、
すっごいこれは問題だなっていうのを感じながらすごい暮らしてました。
その人たちの業務上には別にそのことを考える必要性は一切ないので、
それを責める必要性は全くないんですけど、むしろその、
クライアントの事業を上手くさせたりとかを考えることなので、別に責任感はないんですけど、
そこでめっちゃ根折れ感を出してて、
意識していない人だったら、むしろ僕はそっちの方が正義感というか、
インテグリティがあるから、素敵まではいかないけど、どうぞ、いいじゃんって思えるんですけど、
その一部で、結果的に各地間がそっちの方が合うんで、
仕事の中ではそういう人の方が仲良くなっちゃうんですけど、
やっぱり僕はリベラルですみたいな、私はリベラルですみたいなズラをしながら、
ズラっていうか、主張しながら、
明らかにプライベートはそれに程遠い生活をしたり、
明らかに自分の周りの人はもうその会計の5%もしくは3%ぐらいの人たちとしか連れ間ない、
消費の仕方も全部そうだし、
いやいやいや、みたいな、分かんない。
それがバレてきてんじゃないの?っていう話だと思うんです。
イコール弱者。
そう、いろんなところで、
バレて気づいたからとりあえず取れる戦略として、
とりあえず自分は何者でもないっていうのをアウトプットするっていう諸作をやりだしてるだけであって、
その根本がまだ理解できてないっていう話で、
で、僕が感じてるギャップっていうのは、
いわゆるビジネス上と資本っていう意味でのエリート、クラスの人と、
さっきの文化資本っていうものがくっついてないことのおかしさっていうのを感じる。
さっきのもろさんの話でいくと、
江戸時代の人たちっておそらくその文明としての5%の人たちって、
おそらく自分のクラスや経済とその文化資本っていうものがイコールだった5%だったと思うんだけど、
それが日本って変なことに、
6、70年代に一瞬夢見た学園闘争、学生運動的なところで、
ちょっとした社会主義的なというか、
全員フラットだよねっていうものを無理やり埋め込んだ後の高度経済成長とからのバブルだったんで、
実質的な資本としての中産階級っていうものが実現してしまったので、
そこの変なギャップが生まれて、
今それが中産階級は経済的な意味でなくなったにもかかわらず、
文化資本がその時の時代の豊かな経験によって、
平民でも、それこそストリートの人でも文化資本を異常に持ってしまった人たちが生まれてしまった日本において、
下の人たちは文化資本をすごく持ってるのに、
エリートたちが経済やビジネスっていう意味での特権を持ってるにもかかわらず、
文化資本の薄い人たちがいるっていう、
イコール共用のない見方しかしなくなってるみたいな、
その暴力性にみんなストレス感じてんじゃないっていう、
みんなネットも持ってしまったので、
たぶん自分の経済階層上のクラスと関係なく文化資本をすごく大量に持ってしまってる人から、
世界を眺めると、
上にいて特権を持ってブイブイはしてるやつの、
共用のなさみたいなものが異常に見えるようになってるから、
だったらトランプはウリャーってやってるものの方が、
なんかぶっ壊してくれそうみたいな感じで、
素直に入れるよねみたいな。
素直さが魅力的になりますよね、その構造。
別に結局トランプになろうが、
別に民主党になろうが、
自分たちの実生活において起きることって、
そこまで大きな誤差がないっていうことも知ってしまってるからこそ、
そこの空気に対する動きって、
みんな動きやすくなっちゃってるんだと思うんだよね。
リベラルである人たちの言ってることや、
ハイカルチャーの人たちが言ってることの意味は十分理解してるし、
それが素晴らしいって思ってるんだけども、
なんか気持ちっていうもので、
どうこうとかさって言われたときにそうなっちゃう。
そうなるんです。
だから具体的なイメージで、
本当具体的なことを言うと、
僕も別にそれに対して優等生ですっていう、
言えないと思うんですよ。
むしろそのポジションにいたことによって構造的に違うし。
ただ、僕なりの気持ち努力とか、
性格とかも価値観があることによって、
例えば生存員の人たちに毎日、
おはようございますみたいな、
仲良くなろうとするとか、
単なるその人の生活に興味を持つとか、
ないんですよ、それが一切。
さっきの。
その人たちには。
その人たちの生活に興味を持つと、
その人たちに挨拶しろよとか思うし、
そもそもマヤさんいるんだから。
えぐいって思いましたね。
この人たちみたいな。
僕もやっぱりBCGじゃないですけど、
別のしっかりしたコンサルティング会社の出身の人と、
九州の田舎の小さい会社の経営を一緒に見るっていう経験があったんですよ。
で、すっごいバシバシ、すごい良い政策出してくるんです。
すごい良い政策出してくるんだけど、
全員ロンドン大出てんならやれるでしょうねと。
ここの田舎のおっちゃんが何人も集まって、
そんな難しい認知操作できると思ってるの?みたいな。
この人たちの価値観、何にも分かってないよね。
っていう話を結構バチバチやったんだけど、
全然分かってもらえなくて、
いや、でもビジネスの世界ではこれが普通だからってなっちゃうわけですよね。
で、そのある種の、なんていうかな、
今この世界を動かしているメカニズムに忠実であるかどうかっていうことによる、
圧倒的な力みたいなのがあるなと思ってて、
向こうの言ってることが絶対に正しいんですよ。
それはそうだもんっていう。
マーケットにフィットしようと思ったら、
それが絶対正しいもんっていう。
でも、できない人とどう取り組むのかっていうのが、
今のここの我々の課題だよねっていう話なんだけど、
いや、でもできない人にはやめてもらってみたいな話にやっぱなるわけですよね。
わーだめ。
マジでかい。
そうなりますよね。
きついっすよね。
結局、そのビジネスの正しさみたいなものから、
全てのものがいろいろなことが正しいか間違ってるかっていう判別される世界に、
今僕たちいるなと思ってて、
土下になっちゃうのかなって思ってる。
だから、別にお金を持って単案に住んでることに対してブーブー言ってんじゃなくて、
その経済合理性でごく新自由主義的なそのムーヴ自体は別に商売って儲けるもんだから、
そこはアグリーしてるんだけど、その人たちの教養の無さに対して、
僕らは何か苛立ちを覚えてんじゃないかなっていう感じがすごいですね。
なるほどな。
で、たぶんその商売なんだからこうだよねっていうさっきのようなコンサル的なムーヴっていうものは、
たぶん言葉では理解できるんだけども、
不倫を落とせてないっていう意味で言ったら、その頭の悪さって教養じゃない。
そうですね。
だからやっぱそこをいかに掴みつけるのかね。
そうね、教養確かにね。
教養のあるなしで言うとやっぱその人のほうが圧倒的にあるんですよね。
でもその教養を帝王学だとしたら良い人民統治をする本当にハイクラスの人たちで、
そういうことに対する教育や諸方針はないんですよね。
そうですね、それはないんですよね。
中途半端なんです。
他者がいるということが、なんていうかな、これ僕個人的な見解なんですけど、
なぜそうなってるかっていうと、暴力から切り離された世界だからだと思うんですよね。
僕キューバにいたんですよ。スペイン語ってご存知だと思いますけど、やっぱ敬語と普通の言葉があるんですよね。
キューバでは友達同士で使う言葉を主に使うんです。
でもキューバって独裁国家なんで、すごく平和で安全な部分があって、
その次は僕コロンビア行ったんですけど、コロンビアは危ない国なんですよね。
全員が敬語で話すんですよ。
おもろ。
キューバでは独裁国家なんで、政治的マターに関しては結構言葉を濁すところはあるんだけれども、
自分の意見結構直載に言うんですよ、みんな。
でもコロンビアではその人がイエスって言ってるのかノーって言ってるのか分かんないんですよ。
ずっと喋ってる。
いやー、考えるにこれこれこれでこういう面もあって、みたいなことをずっと言ってて、
それは多分暴力が身近な世界だからなんじゃないかなって思ったんですよ。
っていうのは九州の炭鉱がなくなった地域みたいなところ、僕結構よく行ってた時期があって、
そういうとこでも僕は似た傾向を感じる。
炭鉱がなくなったところって、日本有数の先進都市だったところがボコッとなくなって、
生活保護が大きくて、すごい空っぽの感じがする街で荒っぽい人たちがいっぱいいるっていうところなんですけど、
そこの暴力の近さみたいなのがあって、
そうなってくると、メチクロさん的な意味合いにおける無強要な振る舞いっていうのは許されないんですよね。
それをやった瞬間に、九州の言葉で暮らされるっていうんですけど、ボコボコにするっていう意味なんですけど、暮らされる可能性があるので、
飲み屋で隣に座った人に暮らされないようにする技術みたいなのが必要になるわけですよね。
それはこの人がもう圧倒的に言葉も通じない他者である可能性っていうのを常に考え続けるっていうことだと思うんですよ。
その環境って今まで話してるのは序列が明確に見える空間なの?
でも誰が本当に怖くて、誰が大丈夫なのかが分かりづらい環境なの?九州の。
分かりづらいと思いますね。だから分かりづらいから隣に座った人は一番初めにどこ中学出身ですかって聞いてくるわけですよね。
やば、しかも中学で物語が決まるんですか。
そう、どこ中の出身かっていうことは、その中学の一番喧嘩強い人がケツ持ってるってことを意味するわけですよね。
そうすると自分のケツ持ってる人とその人のケツ持ってる人が比較するわけ。
脳で一部。
外見上や名札では序列が分からない頃からこそ中学という名での序列っていうかスカウター発動するわけですよね。
カード出し合ってここ揉めたらやべえなみたいなことを一瞬で判断するわけですよね。
住んでる地域とかその人の仕事とかからその人こういう関係とかから推測してパパパって出る。
感じる。
だから僕とかはよそ者だからそのジノ先輩みたいな人に連れてってもらうときに、僕リュウノスケって言うんですけど、リュウノスケ真ん中に座ってる人がいると思うけど、目合わしてはいかんぞみたいなこと言われる。飲み屋に入る前に。
で終わった後にどういう人なんですかって言ったら、役剤屋さんやけんの、モメルトメントやけんの、みたいなことを言われるみたいなのがあるので、そうするとやっぱそういうことが起きうるということを考えて生きていかないといけないじゃないですか。
あーやばいなんか、一緒に働いてた人たちの想像力のなさとか話してたんですけど、今の話聞くとちょっと極端かもしれないですけど、僕の想像力のなささになんか悩ます。そこは想像できなかったですね。そんな社会があるんだみたいな。
あるあるある。だからさっき言ったように、日本ってほんと特殊でさ、中3階級が実現して、ある意味社会主義が実現してしまったとこからの今の20年だったりするので、よくわからない、序列がよくわからない集団の中にさらに今、岡田さんの言うとこのホワイト社会みたいな、あらゆるものをウォッシングするような流れになってるから、
だからやっぱり暴力みたいなものがさらに消えていくし、人の暗部みたいなものをさらに消していくから、さっき言ったどこ中って聞けば何かがわかるようなありかをみんな探してるような気がしてて、だから人の序列やクラスを見えてないから異常に気になる。
で、このネットのそのテクノロジーによってパーソナリティが一瞬でわかるって言われてるんだけど、ここに書かれてることが本当じゃないってことをみんな知ってるから、だからリアルなこの不審感、不安だよね。
自分がレベルなんで、今目の前の人はレベル何なのかがわからない。しかもそこは暴力の匂いもないから、ルールがわかんない。だからたまにはみ出ちゃったりしていて、で、はみ出たことをその場でぶん殴られないから気づけない。
けど、実はその別れた後に、そっちのコミュニティの方で自分の至らなさを散々言われてるみたいな、その怖さみたいな。だからやっぱ暴力と序列っていうものを消しちゃったから、不安になって今の感じになってる感じがすごいするようにしますね。
いくらでも気づけないみたいな。いやでもなんかそれ、今の話聞くと、もうじゃあ責めたことしないようにしなきゃみたいな結論になるリスクあるじゃないですか。そうならないでねって言いたいですよね。
だからかなり原初的な経験に立ち戻るんじゃないかなと思ってて、つまり相手をソーシャルクラスとか職業とか何らかの属性で見るというやり方ではなく、ただその人を具体的に人間として取り扱って、コミュニケーションできないかもしれない他者として取り扱いながら、
人間関係を結ぼうと努力するっていうことを、みんなし始めるんじゃないかなって思ってるんですよね。
そこでもポジティブですね。
そう、そうやって作った人間しか結局信頼できないってことになるんだと思うんですよ。
暴力とか悪っていうものはないことを目指して今のようなクリーンな社会をできてきてるんだけども、でも実際は人間ってアニマルで暴力をやるし傷つけるしっていうところをいかに現存化していくのかみたいな。
それこそさ、ハラリーがさ、もう人間、人類ここまで進化すると戦争するインセンティブがないから、戦争なんてないかのような世界が、ほんの十数年前にみんながそれが正しいって言ったその瞬間からもう戦争が山ほど起きてるしみたいな。
やっぱり人間っていうのは暴力をする生物なんだみたいなものってもう見えてるじゃん。インセンティブなくてもやってるじゃんみたいなところを含めて。
だから自分たちの悪と自分の特権をどう引き受けるのかっていうのもセンスのいい人。
それはヒントことですよね。
そうね、だからその九州の炭鉱町出身の人がミスメラのあの回聞いて、
そうなんですね。
そうそうそう、ピナバウシュの話地元でしたら速攻くらされると思いますねって言ってたから。
でも一応その行け好かねえっていうワードには聞こえるんだ。
いや多分出しても聞こえないと思うんですよ。でもそのピナバウシュ知らないのみたいな雰囲気出した瞬間にくらされると思うんですよ。
ああそれはなる。知ってるよねみたいな。
それがマウンティングであることは多分察知されると思うんで。
まあでもね、相当民主化されたからそんな問題じゃない気がする。だってピナバウシュ、僕も本当に一緒で、僕も逆に逆の気もさもあって、
あ、僕も行きたかったなーみたいな感じで行ったんですけど、いろんな人の周りが行って。でも別にピナバウシュのことを調べれるし、好きな人と
キャッチアップできますからね今からね。
いくらでもできるから、めちゃくちゃフェアな世界にはなってるから。
チケット高いけど、庶民が払えない金額じゃないんですよね。
全然じゃないです。ちょっと頑張れば。
50万円とかじゃないですからね。
そうおっしゃる通りだから。それは聞いてて思いました。いろんな問題ではあるけど、まあまあ。
だからそこがちゃんと循環している世界においてはすごく豊かになる資産なわけじゃないですか。文化、資本で。
だからそこは豊かに作らせばいいと思う。
ただそれがさっきの暮らされるようなシチュエーションの時にどう見せるのかということを
分かるためにはかなり自分を客観視できてないとはみ出ちゃいますよって話ですよね。
そうですよね。
もしかして勝手な、今出て思いついたことですけど、何でも手に入れると何でも調べれる時代だからこそ
それ消費してんのっていう見下しは強まる構造かも。
で、なんでそれを思いついたかというと、僕はそのポッドキャストを来させてもらった時に
自分のことを考えて、ディスタンクションの話されてたじゃないですか。
何か文化的なアクティビティをやっているとか何かを知っていることによって
自分が高い社会階級にいることを見せれるみたいなのと間違ってないような感じなんですけど、
僕はそれがある中で、ユーチューバーとかユーチューブとかある中で、
例えばヒカルとかヒカリンとか、ヒカキンか。そういうのある中で、僕はアレルギーのように
え?みたいになっちゃう。
それって僕の根拠ないディスタンクション、ディスタンクションしたい欲で根拠なく
それをけなしているのかなって最近すごく思うんですよ。
僕はね、なんかね、それ悪いことだと全然思わないんですよ。
エンパワーされた。
あれって文化資本を通じて階級闘争するっていう話だと僕理解してるんですよ、ディスタンクションを。
で、闘争したきゃやればいいと思うんですよ。で、闘争の本能から我々たぶん逃げられないんで、
闘争ずっとしとけばいいと思ってるんですよ。
それはおもろいやんっていう話だから、その中から生まれてくるものもあるし、
みんな好きなんやからいくらでもやったらよろしいやんみたいなのがあるんですよ。
ワンピース読まねえとかさ、読めばいいのにさみたいな話だと思うんですよね。
でもこの漫画はみんな読むんだみたいな、ガロの漫画はみんな読むんだみたいな話とかあると思うんですけど、
それやったらよろしいと思ってて。
で、そこに階級差があるよねっていうのを見出すことも、やったらよろしいやんって思うんですよね。
だからさ、安全な喧嘩をするために自分のステータスっていうか数値を表明すべきってことだと思うっていうか、
僕さ、もう階級があるじゃない。
で、でももう闘争からは逃げられないと思うから、
その時にヘビー級の人とモスキー級の人が戦うって、それはもうあられもない姿になっちゃうから、
だから持ってるものを開示して、みんなで戦おうぜみたいなモードに入ってるってことだよね。
そう、なんかまあセグメント化していけばいいと思うんですよ。
これを縦に別に並べるんじゃなくて、この並列に並べて。
カード、カードとして。
そうそうそうそう。
確かに実際、今の視覚的メタはすごいしっくりきます。
いろんなのがあって、僕が別に何つもそれとか言っても別にそれのことによって僕が上がるわけでもないし、
違うマスカラはあいつヒカル好きじゃないの?って思われるだけだから。
それによっても見下されるだけだから。
なんかそれが全部セットになって、だから僕がやったみたいに東京ハイカルチャイナリスト、
しかもその人たちは金持ちであるみたいな想像力を持つことによって、
それがなんか不健全化されるのであって。
そこにつくつくとそのカードのデッキを大量に持ってるやつみたく見えるもんね。
そうそうそうそう。
そうすると、なんかすげー悪いことやってるような感じになる。
別にそんな人ほとんどいないというか、これってかなりイマジナリーな存在だから。
分かった。ホワイト化したからと言って言っちゃいけないことなんじゃなくて、
ゲームを健全に楽しむために開示するっていうことはクリーンなんじゃない?みたいな話かもしれないね、文化資本に関しては。
でもすごいしっくり。
しまったね。
開示いっぱいしましょう。みなさんも。
じゃあちょっとまたこの3人で話したいな。いいですか。
ぜひまた機会があれば来年になるのかな。
じゃあまた2025年。
またややこしいギターいっぱい用意して。
メモに第7章もね。
第7章はね。
なかなか触れづらい技いっぱい用意してるんで。
面白い。
楽しみに。
じゃあ今日はありがとうございました。
ありがとうございました。楽しかったです。
ご視聴ありがとうございました。