1. まなびのはなし
  2. #039 - 【まなびのなかま】Yum..

大人のまなびに向き合っている「まなびのなかま」と対話するエピソードシリーズの第2回目。今回はカナダのバンクーバーに住んでいるYumiko Muraiさんとピアラーニングというテーマについて話してみました。

  • 2人と、10年来のご縁があるゆみこさん
  • ゆみこさんの自己紹介
  • 大学で教えながら「つくることを通して学ぶ」を研究
  • 音楽が出発点
  • 小学生の頃から「ピアから学ぶ」を意識していたピアラーニングネイティブのゆみこさん
  • チームでコミュニティで何かをすることで学ぶ、とは
  • 「(大人である)自分たちが常にあってる、と思うな。自分たちで考えろ」といってくれた周囲の大人たちの存在
  • 教育ではなく、コミュニケーションから学びの世界にきたゆみこさん、暗闇の中でボールを自分で投げて、人から返ってくるきかたから、見えてくる世界というメタファー
  • 周囲の人・モノ・素材・環境からの学び
  • バーバル・ノンバーバルなインタラクション
  • ピアの良さは表現する機会をくれること、イマジネーション・創造することを助けてくれる
  • ものづくりはピアラーニングのプロセス。アウトプットしやすい環境や自信やモチベーションをどう作る?に向き合っているゆみこさん。ゴールはピアラーニングの実現。

関連情報

関連エピソード

「#まなびのはなし」について 大人の学びをサポートしている二人が、それぞれ見つけた・考えた、ことを、話したいから話しています。話している二人は「英語教育」「コミュニケーション学」「言語コーチング」に専門性をもつemi (⁠⁠ウェブサイト⁠⁠)と「インストラクショナルデザイン」「リーダーシップ」「キャリア・ライフコーチング」に専門性をもつtomoko (⁠⁠ウェブサイト⁠⁠)。毎週1回配信しています。自己紹介エピソードはこちら:⁠⁠#001 - 自己紹介⁠。文字起こしは⁠LISTENサイト上⁠で見ることができます。

サマリー

今回のまなびのなかまゲストはムライ・ユミコさんです。ユミコさんはカナダのバンクーバーにあるサイモンフレーザー大学でエデュケーショナルテクノロジーとラーニングデザインを教えながら研究をしています。ユミコさんは幼少期からピアラーニングを体験しており、他の人から学ぶことの重要性を感じています。学びとは、自分がボールを投げて戻ってくることによって、周りの世界や自分自身を理解し、学ぶことです。ピアから学ぶことには、自分の思考を熟成させるパートナーとしての役割や、想像力を通じて世界を理解する力があります。作ることによって自分の考えや理解が具現化され、他の人と一緒に学ぶことができるため、アウトプットがティアラーニングの必要条件です。一方、大人の場合は学び合う意欲やリスペクトなど、様々な要素が揃っている必要があり、ピアラーニングは起きにくいことがあります。ピュアラーニングについて話しています。ピュアラーニングは、大人も子どもも、お題や環境によっては、活発に意見を出して学ぶことができます。

00:10
このポッドキャスト、まなびのはなしでは、大人のまなびをサポートしている2人が、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
今日もよろしくお願いします。
いつもは2人だけなんですけれども、時々、まなびのなかまと題して、私たちが一緒にお話ししたい方をお招きしています。
ユミコさんの背景と紹介
今回はシリーズ第2弾。今日のなかまは、ムライ・ユミコさんです。
こんにちは。
ユミコさんをお招きしたいなと思った理由を3つにまとめてみました。
すごい準備されている。
まず、ユミコさんは、私とともこさんをつないでくださった方なんですよね。
そうですね。
私とユミコさんは、2011年に日本で震災が起きた時、ニューヨークの別々の場所で支援活動を立ち上げた、当時大学院生という共通点がありまして、
その後、ともこさんを招きました。
その後、ともこさんの仕事を紹介していただきました。
そして、ポッドキャストという意味でも、私にとってきっかけを作ってくださった方がユミコさんです。
最初のポッドキャストは、スタート前の相談からお世話になっておりまして、第1回のゲストにも来ていただき、ロゴのデザインまでしていただきました。
そんなことしましたね。確かに。
はい。
さらに、まなびのなかまという意味では、ともこさんが主催されていた教育・まなびのなかまという意味で、
教育・まなびのなかまinニューヨークというグループの主要メンバーで、ずっとね、教育とかまなびまわりで、いろんな刺激をいただいております。
じゃあ、ユミコさんから自己紹介をお願いできますか。
幼少期からのピアラーニング体験
はい。村井ユミコです。
私はカナダのバンクーバーという都市にあるサイモンフレーザー大学というところで、
エデュケーショナルテクノロジーとラーニングデザインといって、学習環境デザインを教えながら研究をしています。
で、私の研究テーマを一言で言うと、作ることで学ぶっていうことを研究しています。
うん。
私もともとずっと音楽をやったりしていて、そのやってる中から、作ってるときって、いろんな形ですごくまなびが生まれてるなということにとても気になり始めてしまって、
音楽は今も好きなんですが、そっちのことをどうやってもっとサポートしていけるようになるかなということを考えながら研究をしています。
で、日本とカナダとあと、もともとカナダのバンクーバー。
はい。
もともとアメリカにいたので、アメリカのコンテキストで、どういうふうに文化とか、その人の今までのヒストリーとかが、作ることを通して学ぶっていうことに影響を及ぼしているのかとか、
で、その作ることによって、学習者のモチベーションとか、アイデンティティとかをどうやってもっとサポートしていけるかなっていうことを考えて研究を進めています。
はい。ありがとうございます。ちなみに、そのユミコさんは、対象層は結構広く子供、大人をカバーしているっていう理解であってますか?
そうですね。
もともと、博論とか大人が対象だったんですけど、先生とか相手にすることもすごく多いので、それがきっかけで学校教育にもすごく興味があって、今は学校に行っている年代の子供さん向けの研究もしています。
ありがとうございます。そんなユミコさんを含めて、今回3人で話したいから話すテーマはピアラーニングです。
過去のエピソードのでも、何度か他の学習者から学ぶみたいなことは、エミさんと私でも言ってたことはあるんですけれども、どうですかね?ユミコさん、ピアラーニングって何ですか?
ユミコさん、ピアラーニングって、いつ初めて知った?学んだ?とか。
私は多分、結構古くて、考えることになったっていうか、ピアラーニングについて思うようになったのは、もうほんと、小学校とかからかもなって思うんですけど、
私はやっぱり、すごい学びって、他の人からっていうのは、もうすごくその頃からあって、私すごい背が高かったんで、なんかあんまり人と一緒に何かするのがめちゃくちゃ好きだったわけじゃなくて、いつもなんかなんとなく人と違うので、みんなでトイレに行くとか、ああいうのはあんまり好きじゃなくて、
なかったんですけど、でも、小学校の時からバレーボールをやってたりとか、文化祭がすごく好きだったりとか、キャンプに行ってたりとか、やっぱり全部すごくチームでとか、コミュニティでみんなで何かするみたいなのをすごくよくやっていて、
で、やっぱりその中で自分が学ぶっていうのがすごくあったので、他の人の存在っていうのがすごく学びにとって大事だっていうのは、すごく昔から意識してたかな。
ユミコさんの研究と成長の意識
っていうような気がしますね。
なるほど。すごいですね、小学生の時になんかそうやってメタで自分が置かれてる環境ってそんな風に見たことはなかったから。
なかったな、私も。日本の小学校ですよね、ゆみこさんは。
そうですね。私大学院まで日本になんで。
同世代の友達から、例えばどんな風な学びだったかとか、なんか覚えてることありますか?
例えば、よくアウトドアの野外キャンプに行かされてて、
うん。
辛いんですよね。なんかすごい楽しいんですけど、私どこかイントラバートな内向的なところがちょっとあって、他の人と一緒に、例えばみんなでボートを漕いでキャンプに行くとかも怖くてやりたくないんだけれども、
でも行ってみると、なんか他の人と一緒になんかやったり、他の人がやってることを真似したりしてると、できるようになるっていうことをすると、なんか成長した、できなかったことできるようになったっていうのを感じていて、
で、あれは自分一人では怖くてできなかったけど、他の人がいたからできたなみたいなのが感覚があったりとか。
うん。すごい。
なんかすごいですね。その自分の成長したなって意識するっていうことを、私はその年頃の時したことがなかった気がして、同じような多分体験をしてる。
今振り返ると、例えば文化祭とか体育祭とかで、一緒にそれぞれの強みを補い合いながら何かをやって、振り返るとそれが自分たちの成長につながってたと思うんですけど、
学びの体験というフレームで私は捉えたこと全くなくて、ゆみこさんはこういうふうにこの体験の意味付けとか、この体験で得たものとかを整理する。
そういうことをすでにその時からされてたから、ラーニングが。
すごいナーディーだったんですよ。ゆっくりで考えてる時間が長すぎたんだと思います。
いやーすごいなー。ピアラーニングのネイティブって感じですよね。
そうそうそう。ネイティブネイティブ。
自然にその環境の中にさらされて、もう当たり前にピアラーニングをしていたっていう感じですね。
当たり前にピアラーニングという概念を実感として習得していたって感じですよね。
トモコさんは今のお話のされ方だと?
文化祭とか、それは中高生ぐらいの感覚ですか?
そうですね。チームベースでやることはいっぱいあって、中高時代。
なんか学んだっていう、それこそ経験学習みたいなサイクル回してたことは全くなくて、
目標があって、汗かきながらみんなで到達して、到達した後はすっかり忘れて、次の道にみたいな感じで、
なんか全然人間として自分が成長したとかそんなの全く考えなかったので、
私はもうピアから学ぶとか、先生とかその権威の前にいる人じゃなくて、
横にいる人が自分にとって気づきをくれるんだって気づいたのは相当後の方ですね、大人になってから。
なんかそれを聞くと、結構私のいた環境にいた大人が、
自分たちが合ってると思うなみたいなことをすごい言ってきたっていうのはあるかも。
今思い出したのが、バレーボール部のコーチがいつも、
俺が言うことで納得しないんだったらやらなくていいってすごい言われてて、
チーム感でみんなで考えて、みんなで話し合って、
これは自分たちの役に立てて、
ずっと思ったらやるみたいなことをやれみたいなことをすごい言われてて、
いつも大人を見てればいいって言うんじゃないんだな、
自分の周りでみんなで考えて、みんなですることが大事なんだな、
みたいなのはその人にすごい教えられたような気がする。
素晴らしい。
えみさんはどうですか?
私は本当に孤独な人生なので、もともと一人っ子ですし、
仲間の存在っていうのはあんまり経験してないんですよね、そもそも。
学びどころか。
なのでチームとかも得意じゃないし、
本当一人で考えて、一人でやって、一人で完結するっていう感じだったんですね。
なんでピアラーニング、ピアの存在を意識したっていうのは、
本当に留学して、大学院でTESOLっていう英語教育のプログラムに入ってから、
周りに英語の先生、同じような境遇の人たち、同じような興味の人たちがいて、
あ、一緒に考える。
ってこういうことかっていうのを初めて体験してた感じですね。
その頃って同時にね、それこそデュイとかピアジェとかビゴツキとか、
そういう理論も入れながら仲間と一緒にやるっていうことを実践していくっていう、
そういうので初めてピアラーニングを知っているっていう感じなんで、
ネイティブとは全然違う学び方ですね。
そうですね。本当にゆみこさん、おそらくおっしゃるように、
周りの大人が主体性、あなたが周りのものすべてを学びのきっかけ材料として、
頑張れ!みたいなサポーティブな環境を作ってくれた中で、
内向的な人もいれば外向的な人もいたかもしれないけれども、
みんながネイティブに周りから学びを紡ぎ出す筋肉を、
若い時から鍛えられていたんだろうなっていう、
なんかこの今2対1で何かそこが違う気がしていて、
エミさんみたいに、私も理論を後で、
載せたのはあるんですけど、
そのちょっと前に、
集合研修の設計とかをやる側になった時に、
ああ、この人たち横から学ぶのすごい重要、
むしろそれが全てじゃない?みたいな思ったことがあったので、
理論を知る前に目撃して、
ああ、この20人のために前に登壇できる唯一の先生とか権威っていないんだな、
みたいに思って、
もはやファシリテーターというか、ネタをちょっと投げて、
その投げたものに対して自分たちで横で、
学び合ってもらう、
っていうのが一番この人たちにはいいんだな、
っていうのを見た時に、
横から学ぶっていうのは、
特に経験豊富な大人とかあるんだな、
っていうところから入ったんですけど、
大学院に行ったら、
ああ、なんだ、もう経験とか関係なく、
5歳とか3歳とかでも横から学ぶって全然あるね、
みたいなのは、
後で学んだっていう感じですかね。
いやー、私は理論からしか入れなかった気がするんですよね。
仲間から学ぶ必要みたいなものを考えたことがなかったし、
自分一人でできてるつもりで、
いたので、
もしかすると先生っていう立場って、
そういうふうに自分を仕向けないと、
教団に立てないみたいなところがあるかもしれないんですけど、
教室の中ではそれぞれが一人なので、
自分で立たなくちゃっていう意識がすごく強くて、
理論から入って、
これが学びには重要なんだよって教えてもらったから、
ようやく恐る恐る仲間の方を見るようになってきたっていう、
そういう気がしますね。
私今思い出したのは、
学びの熟成
今、えみさん、
の話を聞いてて、
私、もともと教育っていうよりは、
コミュニケーションだったんですよ。
博士、コミュニケーションってエデュケーションなんですけど、
いつもなんとなくビジュアルに自分の頭の中でよく思ってたのは、
学びって、
自分でボールを外側に向かってこうやって投げて、
自分が例えば真っ暗な部屋にいますと、
何も周り見えないんだけど、
ボール投げてるとバウンスして、
戻ってきたボールの戻ってき方によって、
自分がどういう形の部屋にいるのか、
どういうサイズの部屋にいるのか、
見えてくるじゃないですか。
何度も何度もうまくボールが戻ってくればの話ですけど、
学びってそういう感じだなっていつも思ってて、
ボールを自分で投げて、
他の人にぶつかって戻ってくると、
その人のことが分かって、
自分のことが分かって、
その世界のことが見えてくる。
だからその周りに投げてボールを戻ってくる、
回収する、
投げてボールを回収するっていうことをずっとやってると、
だんだんだんだん分かってくる。
自分の力加減とかも分かってくるし、
自分の体の動かし方とかも分かってくるし、
自分の周りに、
すぐ壁があるのか、
すごい離れたところに壁があるのか、
投げ返した人はどういう力があるのかとか、
そういうことがだんだん分かってくる。
濡れて帰ってくるかもしれないしね。
相手の人は濡れた手なんだなとか、
相手の人がいるところには雨が降ってるんだねとか、
そういうイメージだなと思ってましたね。
でも見えなくても、
そこに人がいるっていう絶対的な信頼感があるわけですね。
面白いですね、なるほど。
というのは、私だったら、
一人だけいる空間、
っていうふうに設定している気がするんですよ。
なるほど、なるほど。
出てくるとしても、
物に当たったり、
壁に当たったり、
あるいは帰ってこなければ、
何もないところにいるっていうふうに思ってしまうんだけれど、
それも学びですもんね。
それでも学びの体系になるから。
自分の中でね。
ゆむかさんは、
人がいて、
その人から帰ってきたっていうふうに、
捉えてるっていうのが面白いなと思いました。
それはなぜか、
そうですね、
ずっと最初から、
メタフォーだと面白いですね。
私がピアから学ぶで、
特にさっきの大人の文脈で、
すごいゆむかさん違うなと思ったのは、
私が真ん中に立ってます。
周りに6、7人ぐらい人がいます。
みんな鏡を持っています。
その鏡がちょっと曲がるというか、
それぞれなんか模様も入ってるかもしれないし、
形も違うとかあって、
そこの鏡から見える私は、
一人一人違うんです。
すごい小さい手鏡を持ってる人の中に映ってる自分と、
すごく大きな、
うねぐねってなってる鏡に映ってる自分は違うので、
7人周りにいたら、
こういう風に見えるのか自分はあって、
学びを得るみたいな感じで、
ピアを私は最初は思ってたんですよね。
その後、
鏡を持ってる人の中にもいろいろ情報とかリソースがあるから、
そこに耳を傾けるともっと学べるんだっていうのが、
後で繋がったんですけど、
うまく整理できないですけど、
ゆみこさんのとなんか違う気がする。
やっぱりでもなんか、
自分のインターナルな学びのことのような気がする。
インターナルなダイアログがすごく豊富、
だったからかなっていう気がしました。
今の話は。
確かに。
リフレクトするのも、
自分の自分とのコミュニケーションの中で、
どうやってリフレクトしてるかっていうところがあって、
私もそこは似てるんだけど、
自分の中でのダイアログの中に、
帰ってきたボールを取り入れていく話なんだけど、
どちらかというと、
そのピアがどういう人なのかとか、
周りがどうなのかっていうところの方に、
フォーカスが行ってたっていうのが、
面白いですね。
面白い。
ゆみこさんのは、
すごく周りの人に対する信頼とか、
興味っていうのを感じますね。
そうですよね。
そうかもしれません。
コミュニティーってさっき言ってたように、
なんかその人たちが、
通行人じゃないんですねっていうのが、
まず前提としてある気がしてて。
なんか住民な感じしますよね。
ピアから学ぶ
そうそうそうそう。
同じ部屋に、
部屋っていうか家に住んでるから、
その人たちがいなくならない。
通りすがりの、
ゆみこさんが何を受け取るか、
全く興味がない人は、
いないんだろうな、
みたいな気がします。
なるほど。
面白いですね。
なんかお二人に分析していただくと、
すごい興味深い。
なるほど。
そうかも。
人がずっといるんだな、みたいな。
そう。
昔からいる人たちっていう仲間感。
家族的というか。
家族的なのか、
または、
それぞれもそれぞれの目的があって、
理由があって、
その家にその期間滞在しているみたいな。
なんか理由があるから、
去らないんでしょうけど、
誰がその周りにいるかの、
輪郭がある程度ある世界の中での学びなのかな。
渋谷の交差点とかでも起きることですかね。
なんかそういう交差点で、
わーっていろんな人がいるところでも、
ボールは戻ってくるんでしょうか。
なるほど。
私はなんとなく、
直接的なインタラクションをする人って考えてたけど、
でもなんか、
最近すごいバーバルなインタラクションと、
ノンバーバルなインタラクションって、
すごく考えさせられて、
私どうしても、
言葉、
を使うことがすごく多いので、
言葉にフォーカスしすぎちゃうんだけど、
ノンバーバルなインタラクションがすごくたくさんあるし、
私のやってる、
作りながら学ぶっていうのも、
ノンバーバルなインタラクションが重要だから、
重要とも言えるなとも思って、
なんかそう考えると、
ボールがバウンスして戻ってくるのインタラクションは、
バーバルである必要はなくて、
言葉を交わしたかどうかだけじゃなくって、
例えば、
テレビで見た特定の服装を着てる人たちが、
集団でこうやって歩いていて、
その人たちの歩き方とか、
集団の形成の仕方とかを見ていて、
ああ、あの人たちはこういう感じなんだなって思って、
またちょっと理解が深まるとか、
そういう感じでの学びっていうのは、
もしかしたら、
スクランブル交差点であるのかもしれないですね。
ユミコさんのイメージしている、
そのボールが返ってくる、
返す者たちっていうのは、
私は渋谷だと、
あまりにもちょっと人間だらけな気がするんですよね。
なんかもっと、
いろんな生き物とか、
いろんなものとか、
もっと雑多なものたちが、
ユミコさんの周り。
周りっていうのも、
距離感が固定されてしまうから、
ちょっと表現が違う気がするんですけど、
いろんな近さでユミコさんを囲んでいる、
生き物や非生物、
なんかそういう感じがありますね。
最近、そう思ってきたんですよ。
その通り。
さすが。
なんかね、人間だけじゃないんですよね、きっと。
なんか環境とか、
ものづくりで使っているマテリアルとか、
そういうものもボールを返してくれるんですよ。
で、そこにちゃんと目を向けていかないといけないんだなって、
最近ぼんやり思ってたんでした。
でもやっぱり言葉の持ってる深さとか、
言葉が返せる深さとか、
人間のピアが戻せるものっていうのは、
やっぱりすごく深いものがあって、
それは否定できないなと思うんですけど、
でも人間だけじゃないのかもって最近思ってます。
なるほど、なるほど。
その流れで、
想像力の重要性
ピアが人間だとちょっと言ったときに、
ゆみこさんが考えるピアから学べるものとはとか、
ピアから学ぶことの良さとか、
どういうことを思ってるか教えてほしいなって。
私、2つあるかなと思ってて、
1つはさっき言ったようなピアと学ぶってなったときに、
何らかしらの形でやっぱり自分を表現しないといけない。
ボールを投げなきゃいけないんですよね。
それで帰ってきたことによって、
ボールを投げた自分とかボールそのものが深まっていくっていうか、
ちょっとパワーアップしていくみたいなところがあって、
自分の頭だけでただボールを投げないで熟成させるっていうことも
1つの学びだと思うんですけど、
熟成させる学びってすごく難しいことだよ。
すごくコンプレックスなアイディアとか、
なんとなく自分であんまり実感が持てないリアリティだったりとか、
っていうものっていうのは、
そうやって自分の中から出して戻ってきたものを受け取ることによって、
リアリティが増したり、具体性が増したり、
勘違いしてたものをちょっと修正できたりとか、
その自分の思考を、
作るためのパートナーとしてのピアっていうのも1つあるかなと思ってて、
で、もう1つはイマジネーションの方の想像っていうすごく大事だなと思ってて、
学びの中に。
さっきのボール投げるのメタファイに戻ると、
そのピアっていう相手が真っ暗な部屋にいてボール投げて戻ってきても、
見えるようになるわけじゃないんですよね。
でもただ、自分の周りの世界がどんな感じなのかなっていうのを想像する
助けになると思うんですよね。
ボールを投げてきてまだ真っ暗なんだけれども、
こうやってボールを買ってきたってことは、
この壁はこういう壁に違いないとか、
こういう音がしたってことはこういう雰囲気の場所に違いないとか、
自分で想像ができるようになると思うんですよね。
なんでその想像力を助けてくれるっていうところがすごく大きいのかなと思ってて、
その想像するってことはすごくやっぱり大事だと思うんですね。
想像できることですごく人って変わっていくと思うので、私は。
あーなるほどね。
ちょっとアブストラクトなところに振ったんで。
いやいやいやいや。
面白い。
はい。
ティアラーニングの要件
今の話を聞きながら、その2つを全く違う単語で私は思ってるなって思ってて、
それもなんか自分で気づいてて面白かったんですけど、
1個目の表現しなきゃいけないじゃないですかっていう話は、
私の中ではモチベーションとアカウンタビリティの世界だと思ってて、
人がいるから伝えたくなるとか、
人がいるから伝えなきゃいけないみたいな行動を喚起するためのエッセンスが1つと、
もう1つの想像、
イマジネーションってゆみこさんが言った単語は、
私の中ではサプライズとか、
自分の前提をグラッとさせられる、
刺激が投げられてくるっていう2つを私は思っていて、
全然違う単語をゆみこさんは使ってる。
ちょっと似てる世界の話かも。
その2つが私も全部終わりか分かってないんですけど、
想像感、やっぱりゆみこさんの世界観を作って学ぶとか、
私とゆみこさんのスタイルの違いみたいなのが、
このキーワードの選び方でもあるなっていうのを聞いてて面白かった。
すごく分かりやすい。
でも多分起こそうとしてるプロセスはすごく似てるところがあって、
作りながら学ぶっていうのも、
なんで作るってことなのかなっていうことをすごく考えてて、
私はプログラミング教育の研修とかもするので、
プログラミング教育の専門の人たちに比べると、
私はもう全然専門が追いつかないし、
違うんですよね。
やっぱりプログラミング教育は作るためのメソッドで、
作るってこと自体も1つのメソッドで、
作ることによって表現することができるから、
作るって言ってるけれども、
いわゆる作るっていうことじゃなくても、
表現するってことってあるのかなと思うし、
そういう研修の世界とか、もっとビジネスの世界とかでも、
似たような感じで、内面で抱えてることを外に対外化する。
そのための図とか、そのための言語っていうのがあるんだろうなっていうのは感じるので、
なんかそういう繋がりなのかなと思ったりします。
えみさんはこの2人の話を聞いて、今どういうことを思ってますか?
なんかまだまとまってないんですけどね。
多分2つあって、1つはゆみこさんが最初におっしゃったこと、
2つに近いんだけれど、何かこう具体的になっていく。
特にそれが、例えば技術だったり知識だったりを見たりしたときに、
あ、自分はそのやり方好きだなとか、それはやらないなとかっていう壁打ちをすることによって、
自分の考え方とかを具体的にしてるなっていう部分があるんですね。
もう1つは、ティアってやっぱり専門とか興味とか、近い人たちっていう印象が私はあるので、
近いからこそ、
こそ、絶対的に相入れないものが逆に出てきて、
そこのところで自分の考えに対してチャレンジしたり、
自分にはなかった視点をもらって視野を広げていく。
そういうことはあるかなというふうに感じてましたね。
うん、分かる気がする。
そのティアっていうのは、そこがちょっとコミュニティと違うのかもしれないけど、
コミュニティより実はティアの方が広い言葉なのかなと思うんだけど、
自分の…
同じ人たちだけじゃなくって、自分にチャレンジすると自分と違う考えを持つ人、
コミュニティってもうちょっと何かしらの共通点を持つ人が集まるっていう感じがするけど、
それはティアが煮詰まったようなものなのかもしれないけど、
ティアっていうともうちょっと広い概念というか、いろんなティアがいて、
私も研修でよくティアラーニングって言っても、コラボレーションするだけじゃなくって、
その人がやったことを見て同調して真似してみるっていうのもティアラーニングだし、
反面教師になるっていうのもティアラーニングだし、
とかそういう話をするんですけど、
なんかそういう意味で本当ティアっていうのは実はすごくいろんな人がいて、
その人にチャレンジしてもらうことによって自分の考えとかが磨かれていくというか、
ここは分かるなっていう気がしました。
メタで言うと、この3人の今日の学びの仲間の対話もある意味ティアラーニング中って感じですね。
そうですね、本当にバックグラウンドと違う感じが。
ね、そうですよね。
コミュニティっていう感じでも今ないし、それぞれバラバラなところに。
結構ティアで学び合う。
なるほどな。結構今まで抽象的な話をしてたので、
なんか具体で、実際に今の仕事でティアラーニングってそれぞれ生活にどんな形で存在しているのかお伺いしてもいいですか。
やっぱり私、ものづくりそのものがティアラーニングのためのプロセスだなってさっきもちょっと言ったんですけど、
すごく思っていて、なんで作ることがいいのかっていうと、
ものを作ることによって自分の考えとか自分の理解とかが全部具現化されて、
具現化されてたなぜティアラーニングがいいのかっていうと、
具現化されてたなぜティアラーニングがいいのかっていうと、
具現化されてたなぜティアラーニングがいいのかっていうと、
それが他の人に見えて、他の人と一緒に学べるようになるからって、
やっぱりティアで学ぶためには何かしらのアウトプットが必要で、
そのアウトプットをさせる仕組みとしてのものづくりっていうのがすごくあるなと思っていて、
でもそのアウトプットするってすごく難しいことだなっていう気もしてて、
すごくそれがナチュラルに出る人もたくさんもちろんいるんですけど、
私たちの学校教育とか、多くの人の経験とか、家庭とか、あと文化的なものもすごくあると思うんですけど、
大人のピアラーニングの課題
アウトプットではみんな最初からすごくできる人ではない気がしていて、
私の仕事って究極を言うと、アウトプットしやすいような環境とか、
アウトプットできるようになるための自信とか、アウトプットしたくなるモチベーションとか、
それをどうやって作っていくのっていうことを研究しているっていうことだなと思うんですよね。
そのゴールはティアで学べるようにするため。
自分の考えてることを何かしら外在した形にすることによって、
自分自身の考え方を学ぶことができるようになると思うんですよね。
自分自身の考え方を学ぶことができるようになると思うんですよね。
自分自身も自分の考えてることにちょっと気づくようなきっかけになるかもしれないし、
他の人が自分の学びに参加できるきっかけを作るっていうことかなって思いますね。
お二人はどうですか?
私自身がティアから学ぶっていう意味では、言語コーチの研修とかでね、
他の人たちがやるコーチングセッションとかロールプレイとかを見たりして、
こういう言葉のかけ方があるんだなっていうふうに、
学ぶっていうのは、これは割とシンプルなティアラーニングかなと思うんですね。
私が誰かの学びに関わるっていう面で言うと、
日本人の英語を学んでいる人たちが多いので、
私自身も同じ立場で日本人で英語を学ぶ人として、
例えば英語を使うときって緊張するとかね、
間違えたときにすごくへこんじゃうとかっていうのも、
私自身が知っていることでもあります。
私自身が知っていることでもあります。
そうでもあるので。
ただ、おそらくは多くの学習者よりも、
やや経験が多かったり長かったりっていうところがあるので、
そういう経験を共有しながら、
でもこっちの方が近道だよとか、
そういうときってこんなふうにもできるかもねみたいな、
そういう提案をするときにピア的な感覚っていうのがありますね。
結構ピアは悩み部分もまだあって、
3歳の子供がいるので、
ピアラーニング真っ盛りだと、
ピアラーニング真っ盛りだと、
ピアラーニング真っ盛りを毎日目撃するんですよね。
彼らは本当にピュアに横から学んで、
すぐ取り入れて試してみて、
自分のやってることが他の子に試されたことで、
さらに面白くなって、
別の子がそれに乗っかってって感じで、
グループで学びがどんどん高まってるのが、
毎日起きているんですね、3歳児だと。
一方、大人ではピアラーニングがワークするときって、
結構いろんな材料が揃ってる必要があるのは、
なんでだろうなっていつも思っていて、
参加している人が、
相手に対する好奇心を持っているかとか、
相手が学びを届けてくれる人だという、
リスペクトを持っているかとか、
またはそういう設定がある。
今は横から学ぶ時間です、みたいな感じで、
ちょっと設定されているモードの場所に連れてこないと、
それが起きなかったりとか、
または今までやったことがないから、
それって時間の無駄じゃないの?みたいに、
思っている人をどうコンバージョンするかとか、
結構いろんな要素があって、
特にビジネス文脈だとですね。
学校の教員育成みたいなのを、
大学院に関わった時は、
ベースがみんなお互いに学び合いたい、
みたいな高かった気がするんですけど、
結構特殊な多分の人たちで、
先生たちっていうのは学ぶ意欲が高いけど、
他の人っていうのは、
やっぱりまだ権威の人から学ぶとか、
あと、彼にはそれがワークしたいんでしょうけど、
自分は彼と違うから、みたいな、
なんか自分は特別感みたいなのを思う、
大人の人ってすごく多くて、
自分もそれはそうなのでわかるんですけど、
私は多分それは機能しないみたいな、
勝手に自分の中でやることが、
ピアから学ぶことに、
疎外になっている気がするんですよ、
自分も時々、テーマによっては。
それを学習者に届ける側としては、
やっぱりそれが透けて見えてしまって、
なんで3歳児ではあんなに自然に、
ピュアにピアラーニングが起きるのに、
大人はいろいろ、
いろんな要素がピタッとはまると、
ワークする。
ワークした時はすごく美しい結果になるんだけれども、
ポンとはい、どうぞって言って、
起きにくいのは何でだろうなっていうのを、
最近は思ったりします。
面白いですね。
ともこさん、今でもご自身で、
全部、答えはすごい、最初に全部。
そうだね、答え。
ほんとそうだなって思って。
いや、なんかやっぱり、
ピアラーニングが起こるためには、
やっぱりオープンマインドである必要があって、
リスペクトとか、その他の人に対する、
ここから自分は学べるぞっていう意識が、
多分3歳の息子さんは、
この人からは学べない、
この人からは学べるとか、
多分区別がなくって、
何でも新しいし、何でも学べるし、
何でも面白いっていうところが、
あるんじゃないかな。
っていう気がして、
ピュアラーニングとは
そこがやっぱり、
どうしても大人は、
教科書があって、先生がいてっていう状況を、
すごくたくさん経験している中で、
無意識のうちに、
この人の話は意味があって、
この人の話は意味がなくって、
っていうのを識別するような、
癖がついてるのかもしれないな、
っていう気がしました。
昨日、私、学習支援のクラスで、
5、6年生の子たちと、
ディスカッションの時間があったんですね。
今、大谷翔平選手が、
日本の小学校に、
グローブを3個ずつくれる。
くれるっていうのがね、
話題になっているんですけれど、
その大谷選手からもらった、
3個のグローブを、
あなたが校長先生だったら、
どうしますか?
っていうお題で、
ディスカッションをしたんです。
そしたら、
本当にいろんな意見が出て、
もったいないから、
誰にも触らせないで、
保存しておくっていうのがあったり、
みんなで順番に使えるように、
1年生が2日、
2年生が2日っていう風に分けて、
使いたい子の、
名前をリストに書いて、
その順番に使わせるとか、
活発に意見を出していて、
そこに大人の先生と呼ばれている、
私たちも入っているんですけど、
そんな考えあるんだ、みたいな、
自分にない視点をもらったりして、
そういう表現はしてなかったけど、
終わったときに、
みんながそれぞれ学びを持ち替えるような、
議論ができていたな、
っていう感じがするので、
今、ゆみこさんがおっしゃった、あれは、
みんながオープンマインドだったから、
起きたことで、
大人も子どもも、
お題や環境によっては、
そういう風にできるんだなって、
経験したのを思い出しましたね。
確かに、正しい答えが一つじゃない、
テーマの方がピアラーニングは、
フィットが良さそうですよね。
誰かが一人が一番答えを知ってるとかじゃない、
ダイナミズムの中で、
みんなでそれこそ、
ゆみこさんが言った、
暗闇にみんないるから、
ある意味、フラットに。
あと、答えが、実は、そんなに、
ないっていうのも、
すごいあるなっていう気がして、
研修とかやってると、
答えがあると思ってきてるから、
答えがあって、その答えに、
たどり着く方法を学びに来てる人が、
すごく多くて、
答えがあるものも、
もちろんあると思うんですけど、
でも、答えがあるようで、
実は、ないんだっていうあたりも、
一つのブレイクスルーとして、
大人が学ぶと、すごく、
ピアラーニングへのドアが開ける、
みたいな様子なのかな、
っていう気もしました。
確かに。最後に、
私、今日、まさに、
この収録、
10時間前ぐらいに、
コーチングの研修を受けてたんですけど、
そのチェックインの時に、
詩を共有されたんですね。
その詩が、今話してたことに近いので、
ちょっと頑張って、
アドリブで、
日本語に訳してみようと思うんですが、
タイトルが、
That Real Work って言って、
本当にやらなければいけない仕事。
そこの一つの文化なんか、
関係しそうなので、お伝えすると、
It may be that when we no longer know what to do,
we have come to our real work.
and that when we no longer know which way to go,
we have come to our real journey.
っていうのがあって、
答えがわからないところに立っている時こそ、
本来取り組むべきことであり、
どっちに行ったらいいかわからない、
行き先がわからないところにいることが、
真の旅の始まりである、みたいな感じの詩を聞いたのを思って、
ピアラーニングっていうのが、
例えば、本当の学びだとしたら、
その本当の学びが始まるのは、
そういう環境、
やっぱり、ゆむこさんが言った、
暗闇でボールを持ってる時なのかな、
みたいなことを思い出したりしました。
なるほど。すごい。
素敵。
すごい、まとまった。
なんか、哲学的な回になったような気がする。
そうですね。
すみません。
いえいえ。
ゆむこさん、今日話していただいて、
感想とか、もしあれば、ぜひ。
いかがでしたか?
いや、私も哲学的な話をするつもりじゃなかったのに、
お二人と話して、うーとか考えてるうちに、
なんか、だんだん、
こういう思想的な話になっていって、
面白かった。
よかったです。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
今回は、学びの仲間第2弾として、
村由美子さんとピュアラーニングについて話しました。
紹介した情報や、関連する他エピソードへのリンクは、
エピソードの情報欄にまとめています。
学びの話は、毎週1回配信予定です。
番組をフォローしていただけたら嬉しいです。
それでは、また次回。
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