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このポッドキャスト、まなびのはなしでは、大人の学びをサポートしている2人が、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
はい、よろしくお願いします。
今回のテーマはですね、大人の学びの科学というもの。
かっこいい。
なんかちょっとかっこよく聞こえるんですけど、
やっぱり要は、なんで大人の学びってわざわざ言ってるんだろうみたいなことを話せればなぁと思ったというのが背景になります。
はい。
ちなみにこの大人の学び、成人教育、アンドラゴジーとも言われたりとかして、
基本的にイメージする教育っていう子供向けは、ペダゴジーっていう風に言われていて、
その2つがあるよ、みたいなことを、
ドイツの教育者の方が、一番最初1800年代にそういうことを言われてたらしいんですけど、
成人学習っていう分野で一番有名なのが、アメリカのノールズさん。
このノールズさんが言ってたのは、たぶん1930年ぐらい。
でももう100年ぐらい前ってことですね。
確かに。
そうですね。
あなたはこのアンドラゴジーっていう単語とか概念とかを学んだこととかってありました?
あんまりないです。
私自身が、そもそも子供の英語教室から入っているっていうのもあって、
それから大学院でも教員が集まるプログラムにいたので、
自然にやっぱり子供の教育、今の区別で言うとペダゴジーの話をしていて、
一部の人、例えば成人教育とか障害学習に興味がある人が大人のことをやっていたっていうのをチラッと聞いたりはしてましたけど、
私自身は子供の学びが中心だったかなという感じがします。
後で話すと思いますけど、
言語の場合は第一言語、母語と第二言語っていうその区別の方がやっぱり大きいので、
あまり子供と大人と区別するっていう機会はなかった気がしますね。
なるほど、確かにそうですよね。
ちょむ子さんは大人の学びの専門っていう感じがしますけど。
専門というか子供の学びをやってないっていうだけなんですけど、
私はこのアンドラゴジーっていう単語が存在するって知ったのは大学院に行った時なんですけど、
大学院に行った時はすでに2年ぐらい企業研修のスクールみたいな仕事をした後に行ったので、
仕事をしてた時に先輩のやり方とか見ながら、
こういう風に学びのところを作って、こういうとこが抑えなければいけないことなんだなみたいのは実践で学んでたんですよね。
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それは大学院に行って、アンドラゴジーに沿ったことをやってたなみたいな思ったっていう順番で、
だからアンドラゴジーがすごい自分が詳しいかっていうとそうではなくて、
アンドラゴジーが実践の場合に応用されるときあんな風に見えるみたいなことを今でも知ってる程度の理解ではあるんですけれども。
なんか割と教育学あるあるですよね。
なんか知らずにやってたけど、これに名前があったんだとか、そういう理論があったんだとかをね、後から知るっていうパターンありますよね。
まさにこのアンドラゴジーとかそうですね。
私が当時イメージしてた子供と大人が違うなっていうところっていうのはやっぱり学習者が学ぶ必要性を本人が理解してないと学びにつながらないっていうのが大人の特徴として言われていて、
例えば子供がなんでさまぎの幼虫が大人になる過程を知らなきゃいけないかとかわからなくても理科の教科書を読んで学ぶっていうのあるじゃないですか。
だけど結構事業会社の部長さんとかに研修するときって忙しいし、やることいっぱいある中で、
なぜこれを自分がやらなきゃいけないかって、もう全くわかんない場合はもう2時間とか3時間座っても何も学ばないみたいなのあるじゃないですか。
それとちょっと似てるんですけれども、学んだことが日々に役立つみたいな、なんかそのお持ち帰り感みたいなの結構重要で、
必要性を理解してるだけではなくて、これあの時に使おう、使ったら今考えているモヤモヤっとした悩みが解決しそうみたいな、
すごく役に立つみたいなことが結構重要っていうのも先輩方に教えてもらって、
最後は大人の方々一人一人みんな豊富な人生経験があり、その経験に肝づいて理解を深めたりとか、
またはその経験があるからこそ、同じことを言ってるのに捉え方が人によって違ったりとか、
そういうことが起きるみたいなことを意識して、学びの場をデザインしましょうねみたいなところを実践で学んで、
大学院で実は大人はこういうのが大切だよって言われて、
ああ、わかるわかるみたいな感じで頭の中で整理したみたいなのはありました。
目的と役に立つかどうかっていうところはね、
子どもたちって何で勉強しなくちゃいけないのって思ったりしますけど、
大人ってそこの問い、自分で解決してから学びの場に来ているっていう感じがしますよね。
今回の収録を踏まえて改めてちょいっと見てたら、
ノールズさんももともとは成人教育はアンドラゴジーで、子どもはペダゴジーだよっていうふうに区別して言っていたんですけど、
後の方に2つに分かれているというよりは連続しているものなので、
ペダゴジー的な相手は学びの必要性とかわからなくても届けることができるよっていう世界の状態と、
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アンドラゴジーみたいに主体的に自分で学びをつかみ取れる力があるという前提で、
場を届けるっていうのは実は連続していて、相手によってとか教えているテーマによってとか、
両方使うってことがあるんだよみたいな考え方に少しシフトしていったっていうのを聞いたんですよね。
すごい納得だなと思って、やっぱり大人でも届ける内容とかによっては、
子どもに届けるのと同じようにまずは分かりやすく噛み砕いて伝えてティーチングをするみたいなところも、
私相手に関連する経験とかない可能性があると思って届けるっていうのも大人でもあるよなと思ったので、
エミさんが最初言った子どもで区切ってませんよっていうのとちょっと近いなって思ったりもしましたね。
このあたりは前に私たちが話したティーチングとコーチングどのくらいどこで混ぜるかみたいなね、
実はそんなにはっきりくっきりしてないよっていうのに似てますね。
似てますよね。やっぱり大人のアンドロゴジーの前提としては、
本人が学ぶことについてどう学びたいかとか、計画があったりとか、
自分はこういうふうな状態になったら学んだと言えるだろうみたいな評価に対しても自分の何か主体性みたいなのがあるのが特徴的なんですけど、
今なんかやっぱり世の中の流れというか文科省とかのガイダンスと見てると、
子どもたちにもやっぱり主体的に学びの道のりを模索してもらったりとか、
探索型で学んでもらったりとか、正しい答えを見つけるみたいな他の人が決めたゴールに向かっていくというよりは、
自分で学びの状況を定めてそれに向かってプロジェクトを進めていくみたいなことももっともっとやろうねっていう世の中の流れになっているのも、
子どもでも結局そういう主体性とか、自分が動機づけを持つみたいな環境の作るの大事だよねって言ってるのとちょっと重なるところがあるなと思ったりもしました。
おそらくアンドラゴジーを取り入れましょうみたいな、そういう命題があったわけではないでしょうけど、
自然な流れとしてそういう面が出てきているっていうことでしょうかね。
そうですね、それもなんか面白いなと思って、
さっき言ったコーチング、ティーチングの対比のこともちょっと考えさせられましたし、
あと学習スタイルのエピソードを話したときに、経験をもとにどう人が学ぶかとかいう話もしたと思うんですけど、
子どもだっていろんな経験をしているので、その経験を活用して学びを届けるということもできるので、
そこの話にもつながるなとか思ったりもしていました。
とはいえ、アンドラゴジーとエドラゴジーはやっぱり別物というか、2つ違いがあるんだよっていう前提でつながっているっていうのもすごい面白いなと思って、
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そもそもどっちもあるって分かってなかったら混ざっていることも分からないと思うんですけど、
このアカデミアの人たちはバラバラに分けたものを、研究をそれぞれをコツコツしていって、
結果つながってるかもねみたいに言っているのもすごく有意義な話なんじゃないかなと思うんですよね。
やっぱりちょっと特徴がそれぞれね、ティーチングとコーチングみたいに違いがあるので。
実はくっついていたりっていうのはね、なんかこうサイエンスの世界ではよくあることですよね。
例えば人間の臓器なんかも一つ一つ分けて考えたからこそ研究が進んだんだけれど、
でも実はその臓器って連動していて、
確かにいい例え。
どこからがいい例え、どこからがちょう例えってそんなにね、人体模型みたいにはっきりは実は分かれていないみたいなのも、
後から分かれるっていうね。
確かに。
分けたからこそっていうのはありますよね。
そうですね。
つながってるで2つなんか言いたいなと思うことがあって、
1つは2つのペタゴジーとアンドロゴジーが連続体だよっていう話の、
さらに先に、多分1980年ぐらいですかね、
学者さんたちがこの2軸で2×2の4、4証言の中をぐるぐるとペタゴジーアンドロゴジーミックスするよねみたいな考え方をしていて、
4段階モデルって言われてるんですけど、
X軸にペタゴジーが左が低くて右が高く、でY軸がアンドロゴジー下が低く上が高いみたいな、
そういう感じで4の証言あった時に人が新しい何かを学ぶ時っていうのは、
最初右下の方のペタゴジー的な関わり方を濃く、ちょっとアンドロゴジーは少なくっていうところから段階が始まって、
だんだん学習者の中で溜まってきたら、ペタゴジーは引き継ぎ必要なんだけれども、
アンドロゴジー要素を意識して相手はもっと色々知っているとか、相手の主体性が出てきたっていう前提で学びを届けましょう。
そのうちだんだんペタゴジー要素を減らして、左上アンドロゴジーが高くてペタゴジーが低くてみたいな感じで、
ぐるっと1,2,3,4っていう回る段階モデルありますよっていうのが一つと、
ちょうどこの間聞いてたポッドキャストで、大人はどうしてビギナーズマインドが難しくなっていくかみたいな話があったんですよ。
そのビギナーズマインドっていうのは前提とかいろいろコテ概念を話して、その場で新しい視点で気づきを得るみたいな。
それをやっぱり年を重ねていくとどんどん持つことが難しくなっていくっていうエピソードがあって、
それは子供に学ぼうみたいな話だったんですよ、流れ的に。
2歳児と道を歩いてごらんみたいな、ビギナーズマインドはどう持つべきかっていうのを常に教えてくれるよみたいな話をしていて、
外の電柱のところに書いてあったサインとかも大人で普通に歩いてるときはほとんど見ないけれども、
そういうところにフォーカスするきっかけみたいな子供の視点でもらえるよみたいな話を聞いてたときに、
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うちの子供は例えば暗いという単語しか知らないんですよ、明るいは知らない。
そうすると明るい日差しが入っているエリアについてダークメイオっていうんですね。
ちょっと英語と中国が混ざってるんですけど、
メイヨっていうのはですね、中国語で没あるって感じで書くんですよ。
没収の没。
そうそう、没収の没とヨウっていうのは有言の有ですね。
英語で言うnotとして使われるんですよ。
だから名詞にメイヨだとそれがないっていう風に使われたりするんですけど、
例えばママメイヨって言われたら、お母さん今ここにいないっていう言い方。
彼はそのメイヨをなぜか知らないけど結構若いときに身につけて、
すごい便利だと思って、
だからメイヨがあるから新しい単語を学ぶ必要がないときは学んでないわけですよね。
だから明るいときは暗闇がないっていうですね、明るいじゃなくて。
とか雨っていう単語も結構早い段階で学んだんですけど、
晴れてる日っていうのも雨がない日っていう風に言って。
なるほどな。
そういう言い方あるなみたいなことを気づかせてもらうみたいな。
そんなところでもやっぱりたくさん言語を知ってる側の私と圧倒的に少なくて、
受け身的になり得る彼の間がちょっと境目がぼやけるみたいな体験をちょっと思ったりもしました。
そのエピソードからなんか違う解釈もいろいろできそうな気がしますけど。
でもそのね、ビギナーズマインドが難しいっていうのは、
裏返すとやっぱり自信としてつながりやすいっていうことだと思うんですよね。
経験があってフィルター化が早くできるということは、
これであっているとか自分はできるとかっていう自信につながるので、
それ自体はいいことだと思うんですよね。
私みたいに割と自信が苦手な、自信を持ちにくいタイプの人って、
そのビギナーズマインドはすごく持ちやすいんですけど、
そのためにいつもなんかこうソワソワしなくちゃいけなかったり、
安心材料が持ちにくいわけなんですよね。
なるほど。
だからどちらにもやっぱりいい面っていうのはね、あるんじゃないかなと思いますね。
結構私その対になる概念ってすごく興味があって、
リーダー育成の文脈でもヒュミリティっていう謙遜っていう話と、
オダシティっていう大胆さっていうのの軸のバランスを、
日本人だと多分結構謙遜に偏る方の方が多いとは思うんですけど、
私がリーダー育成をしてた国のカルチャーの方々は、
どちらかっていうとヒュミリティ大切だよねっていう、
カルチャーをもう少し増やすためにはっていう議論をしていた文脈なんですけど、
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なんかそれとちょっと似てる気もしますね。
大胆にどんどんいけるみたいなその自信もついていて、
だけどそれに偏りすぎると謙遜とか自分の知らないことを知らないまま走っていくみたいな、
リーダーズマインドを持ちにくいのにもつながるんですけど、
なんか面白いですね。
こういうの大人の学びは面白いなって思うんですけど。
そうなんですよね。
経験があるっていうのはもう大人の絶対的に有利なポイントなので、
それを生かす、そこにあんまり遠慮しない方がいいかなとは思うんですけれど、
私を含め学習者の中にはそういうことがあんまり上手じゃない人っていうのがいるんですよね。
そういうふうに自分を捉えているっていうストーリーも大人になるとどんどんね、
豊富&固定化していきますからね、自分はこういう人間っていうのも。
あともう一個ね、そのお子さんが否定語を使って逆の表現をするっていうのは、
結構ユニバーサルなもので、
そうなんですね。
ともこさんの例は英語と中国語と日本語をね、わかる子の場合ですけど、
日本語のモノリンガルとして育つ子どもでも、ないないみたいな言い方とか、
それから大人の日本語学習者でも好きくないとか、
好きくないってなんか確かに。
否定語っていうのは割と発達段階の前の方に起きるっていう共通しているところがありますね。
そうなんですね。それ以外中国語全く知らないはずなので。
名誉しかついてないですよ。
なんか音が好きなのかな。
便利なんだと思います。
だからやっぱりどんなにちっちゃくても、
これ使える、習得するっていうね、
そのプロセスは起きてるんですよね。
面白いなと思って。
結構第二言語の研究者って第一言語にそんなに興味がない人も多いんですけど、
私は個人的に第一言語にも結構興味があって、
How Babies Talkっていう本がこれが大好きなんですよね。
人生の最初の3年間に起きる言語のマジック。
これは英語の赤ちゃんの話なんですけど、
でも、日本人の子でも同じような経過をたどってるなって思うところがたくさんあるので、
面白いですね。
あともう一つ、30 Million Words。
これも赤ちゃんの脳がどういうふうにできていくかっていうようなね、
言語習得、言語に特化した本です。
子供はね、30ミリオン、頭の奥底にあったかもしれないけど、
出てくるのはすごく限られてるっていうのはあると思うんですけど、
このアンドラゴジーの手法で大人に学びを届けるときに、
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言語化できるかどうかが結構重要だったりもするんですよね。
やっぱり言わないことはわからないし、
相手にリードを任せたいと思いながらも、
何も出てこないとやっぱりリード、どこに行っていいかわからないっていうのがあるので、
主体性を持ってってなるときは、やっぱり言語化能力が結構重要になったりとか、
本人がやっぱり自分にとっての意味付けとか、
過去に体験したこととのひも付けであるとか、
今もらった刺激に対してどう考えてるかとかっていう、
リフレクションとか、内勢力と言われるような力も結構前提として、
アンドラゴジーアプローチで学びを届けるにはすごく重要だなと思ってるんですよね。
なので、子どもが紡ぎ出せる言葉の数みたいなのもあると思うんですけど、
大人も意外とそれが、きっと思ってることはいっぱいある方、大人もいっぱいいるんですけど、
それが出てくるかどうかって結構その人たちの訓練の今までの体験とか、
特性とかって大きな影響を与えてるかなと。
例えば、気持ちを話すみたいなことも、やっぱり経験が少ないと、
何か気持ちはあるんだろうけれども、
自分でも何て呼んでいいかわからないみたいなので、
出てこない、言葉にならないことはよく目撃しますよね。
大人と子どもの線引きっていうのは、今日話した通り、そんなにくっきりしていないのだけれども、
脳に関して言うと、結構そこで違いがあるよっていうところで、
その一つに、前頭前夜の発達っていうのがありますよね。
前頭前夜っていうのは、子どものうちはまだ未発達で、
出来上がるのが20代の頃ではないかっていうような定説としてありますが、
そのくらいの長い時間をかけて、一番思考に大事な部分っていうのが、
だんだん出来上がってくるんだよっていうところありますね。
それはさっきのリフレクションの力とかにも大きな影響を与えるところ。
20前半とかぐらいまで発達が続くっていうのを、初めて私聞いたときに、
結構若いときにお酒とか飲みすぎたりとか、
そういうのって良くなかったのかなみたいな。
そんな飲んでたんだ。
いやいやそうではないですけど。
実は大人になってつもりだったりするじゃないですか、20とか。
そういうことか。
でも発達がまだ体の中で続いてるっていうファクトを知ったときに、
ちょっと思ったことがあったんですよね。
じゃあこれはティーネイジャーとかに伝えたいことですね。
そうですね。
だってほら、睡眠不足とか、
年頭前夜の発達途中だったんだみたいなのは結構高烈だったんじゃないですか、
初めて聞いたときは。
やっぱり社会的に日本だとざっくり20歳を過ぎると大人みたいなね、
なんか線引きがあるので、
本人たちももう出来上がったっていう風に思い込むっていうのがあるんでしょうね。
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そうでしょうね。
エグゼクティブファンクションスキルって英語では言いますけど、
自分の感情とかをコントロールしたりとか、
意識する力みたいなのは、
やっぱりそこの脳のエリアとすごくつながっていて、
結構幼少期教育を大学院のときに触れたときも、
ちょっと触れたんですけど、
幼少期のときに慌てていろいろやるっていうのもちょっと違うし。
英語学習で言うと、やっぱり早ければ早い方がいいみたいな風な考え方の方も結構いらっしゃって、
幼少期から始めないともう手遅れみたいな言い方も聞いたりしますけど、
第一言語の習得は確実に胎児のうちから習得が始まっているっていう考え方もあるので、
そこは確かにそうなんですけど、
二つ目以降ですよね。
バイリンガルだとしても同時に二つ入れていくわけなんですけど、
二つ目以降の言語については、
いつから始めても生涯をかけて習得していくっていうことは可能だっていうのはね、
たくさんの研究で証明されているかなという気がしますね。
面白いですね。
だからそういう早くやらないとって急かされるようなマーケティングとか、
恐怖を煽るようなメッセージに条件反射的に反応してしまうところも、
全当全有に関わりましたね。
なるほど。確かにね。理性的な判断っていう意味ではそうかもしれないですね。
でもやっぱり大人になってからでも学べるっていうことを知っているかどうかっていうのは、
すごく生き方というか考え方に影響があると思うので、
大人の学びをサポートするという意味としては、
大人になってからでも先ほどね、ともこさんが言ってくださった通り、
目的とか役に立つとかね、その辺のところが自分で腹打ちしてさえいれば、
有効に学んでいくことはできるんだよっていうね、
そういうメッセージが伝えられるといいですよね。
そうですね。子供の時の学びのイメージで、
新しい本とかを使ってね、知識を学ぶっていうのが学びって思っている人も、
まだまだ多いような気がするので、
それこそ自分はこういう人間だっていうのを拡張するのも学びだし、
そこも多くの人に気づいてもらいたいというか、
そんな焦っていつまでに何かをしなきゃっていう話ではなく、
それこそ大人だからね、これやった方がいいかな今自分とって、
自分それやったらもっと楽になりそうだなとか思った時に、
いつでもどこでもみたいなイメージが自分の中ではあるんですよね。
もうね、学びたい時が学び時ですからね。
そうなんですよ。
大人の方たちが学んでいくって見てて嬉しいですよね。
ものすごいね、パワーを使うものでもあるから、
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オートパイロットというか、自分が使い慣れているフィルターで
パパパパパっていくのをあえて求めてみるとか、
手放したり新しいフィルターを身につけてみるとかだから、
エネルギーは使うんですけど、その変化とか、
その先にある可能性とかって本当に尊いなと思ったりしますね。
目撃させてもらっているので、本当に多くの人に味わってもらいたいなって思うことですかね。
このポッドキャストなんかね、結構メインとなるテーマではあるなと思ったので、
ゆっくり話せてよかったです。
今回は大人の学びの科学について話しました。
紹介したエピソードや関連する他のエピソードへのリンクは、
エピソードの情報欄に含めていますので、よかったら見てみてください。
学びの話は毎週1回配信予定です。
それではまた次回。