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2024-06-26 09:12

#458 競争なき運動会:なぜ勉強は例外なのか?

#AI #教育 #子育て #運動会 #パーソナライズ #受験 #中学受験 #大学受験 #新卒一括採用 #スタエフやろうぜ #スタエフ毎日配信
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今回は競争なき運動会、なぜ勉強は例外なのかというテーマで話をしていきます。
これは単純に私が疑問に思っていることを話す回になります。
近年から最近、体育祭や運動会でかけっこなし、リレーもない、要は競争を子ども同士でさせないっていうのがちょいちょいあるらしいんですよね。
理由は体の発達も特徴も違うので一人一人、そんな状況で競争させるのはちょっとどうだろうかっていう声があって、そういった運動会や体育祭で競争原理が働くものを減らしている、あるいは無くしているようなんですよね。
これに関しては個人的に一理あるなと思っているので、時代の流れ下で思考は止まっているんですよね。
まあありかなっていうふうに考えているんですよ。
一方で、なんで勉強だけ未だに競争原理がひたすら働いているのかっていうことに疑問を持ってますね。
例えばこれ一人一人も成長のスピードって全く違うんですよね。
学習塾でいろんなお子さんを見ているんですけれども、6に現れるのが中学受験生ですね。
同じ小学6年生でも本当に大人びている子もいるんですよね。
これマジで落ち着いてるな。
人生2週目なんじゃないかぐらい落ち着いている子もいる一方で、やっぱりまだ幼稚だよなぁとか幼いなぁって思う子もいるんですよね。
前者は正直掃除で成績は良かったりします。
後者は成績がイマイチで勉強しなきゃと分かっていてもやっぱり遊んでたりするんですよね。
私はその後者の子の方が小学生っぽいなっていうので親近感が湧いちゃうんですけれども、中学受験と考えるとやっぱり不利なんですよね。
でも受験の仕組み上同じ小学6年生という全然成長のスピードも本人の特徴も違うのに同じ投票で戦わせているわけですね。
これはちょっとおかしくないですか。
私はそもそも思っちゃっている人間なんですね。
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そんな人間がよくも学習塾に勤めているなと言われたらそれまでなんですけれども、
運動会はこういった競争原理が働くものを徐々に減らしていっている一方で、勉強に関しては全然変わってないなっていうような気がするんですよね。
私ごときがこの放送でそんな疑問を投げかけたところで変わるとは到底もちろん思ってないんですけれども、やっぱおかしいなっていうのは日頃からずっと感じていますね。
受験の仕組みが変わらない限りは難しいですね。
中学受験はどこまで行ってもペーパーテストですね。
最近であればちょっと受験勉強と違うような思考力を試すようなテストだったり、面接を設けている中学校もちょくちょく出ているけれども、
以前ペーパーテストで成熟している子の方が断然有利な仕組みになっているわけですね。
たかだか12歳時点での能力や成長で、その先の人生が決まらないとは思っているんですけれども、当事者、受けている子からするとなかなかきついものがあるなっていうのはずっと思っています。
大学受験とか変わってきてますよね。ペーパーテストから徐々に推薦型に切り替わってるんで、少しずつ受験も多種多様なものにはなってきているけれども、
依然として勉強という同じ物差しで子どもたちを戦わせるっていうことは変わりないですよね。
根本は就職活動だと思うんですよね。就活ですね。いい大学に行っていた方が就活は有利。一部上場企業とかに勤めるのであればいい大学の方が有利。
だからその前段階として勉強で競わせるので、新卒一括採用システムあたりから変えないと根本的な教育は変わらないのかなと思いつつも、まあおかしな話だなって思ってますね。
ちょっと話変わって、この前努力革命という本を読んだんですよ。これは武蔵野大学アントレプレーナーシップ学部、学部長の伊藤陽一さんと
アフターデジタルとか様々な著書を出しているIT批判家の小原和弘さんのお二人の協調なんですけれども、この本の中、主に要はこれからの努力の概念変わっていきますよという本ですね。
AIが台頭してきている中で我々はどういったところに力を入れなきゃいけないの。AIの浸透によってどういった世界変わるのかキャリアが変わるのかっていうのを論じている本なんですけれども
その中にですね、受験勉強は一切いらなくなるって書いてありました。それそうですよね。受験勉強の本質はAIの介護家を作るものだと思っているので個人的には
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いらないと思ってます。それよりも何が大事かというと、この本でも書かれていたんですけれども
やっぱり意思意欲ですね。一人一人が持っているこうしたい、ああしたいとか何に感動するかっていう意思意欲がそれこそオリジナリティに繋がると思いますね。
そんな感じで最後はちょっと話を逸れたんですけれども、なんで勉強だけそんなひたすらまだ競争原理が働いているのかっていう疑問でしかないっていう話ですね。
今思いついたので追加で話をしておくと、フィンランドとかは同じ教室でも一人の子は国語をやっていたりとか、もう一人の子は算数をやっているっていうのが当たり前にあるそうなんですよ。
これ昔でいう江戸時代の寺子屋とかもそうですよね。同じ空間にはいるけれども一人一人やっていることは全然違う。
その一人一人に合わせたアドバイスを先生がするっていうようなものが昔からあったわけで、徐々にそういったところにこれからの教育も戻ってきて戻ってくるのかなと思いますね。
今言えば以前同じ内容を40人ぐらい一つのクラスに集めて先生が一方的に発信をするような授業形態はまだ続いてますよね。集団塾とか。
でもまあ今オンラインのスタンフォード大学から最新のオンライン授業とかも必修みたいなのがなくて、中高生が英語で授業を聞けて型やスペイン語をずっと習っている子もいれば、
なんか聖書の漢字を習っている子もいれば、同じ学年だけれども本当にめっちゃ学年進んで難しいことをやっている子もいれば、
そうじゃない子もいるみたいな。同じ学校同じ学年でオンライン上に属してはいるけれども、やっていることが全然違う。本人の興味の赴くままに授業を受けていて勉強しているっていうのが今当たり前で世界ではあるわけなので、
そろそろですね日本もそういう同じ物差し同じ内容で競争をするのではなく、各々の興味関心能力特徴に合わせた一人一人合わせた教育ですね。
これ別にパーソナライズ教育とも言えるんですけれども、ただ日本では勘違いされている気がしています。何かというとあくまで前提は受験をベースにしているよう同じ内容を最終的には受ける試験を受けるという前提で一人一人違うカリキュラムが組まれているというだけで、
それ本質は何も変わってないと思うんですよね。本当のパーソナライズ教育まさにこういうことでスタンフォー大学オンライン学校でやっているように一人一人そもそも学ぶ内容が違うっていうことだと思うんですよね。
同じ物差しで測らないそれこそが本当の一体一人一人合わせたパーソナライズ教育だと思っています。最後のいろいろ話が脱線してましたけれども、言いたいことは何で未だに勉強だけ競争させているのを同じ物差し同じ内容でということでした。
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参考になれば嬉しいです。最後までお聞きいただきありがとうございました。それでは良い一日をお過ごしください。
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