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2024-07-11 11:13

#483 さようなら『教育』、こんにちは『共育』

#教育 #共育 #生成AI #寺子屋 #ゼミ #研究 #子育て #親子関係 #スタエフやろうぜ #スタエフ毎日配信
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はい、マモーです。いかがお過ごしでしょうか? 私は学習塾に勤めているので教育に携わっているわけなんですけれども
もうそろそろ教育って古いよな、というか時代遅れだなって思ってるんですよね
この教育って そもそも教える人が正しいという前提で成り立っていると思うんですよ
今の教育は。この教育というのは 工業化社会、高度経済成長あたりから生まれた工業人間を
作るための期間でしたよね。今も本質的には変わってないと思うんですけれども
さすがにもうそんな時代じゃないよなぁって思います。 文化と言われる時代でこの先何が起きるかわからない
となるとこれまでの考え価値観が 正しくないというケースがこれからというか今もうすでに出てますけど
どんどんそうなってくるんですよね と考えるともう教育、大人が正しいという前提で子供にあーだこーだ指導するのはいかがなものかなぁと
私は考えているんですよね まあ今なんか生成AIが次から次へとどんどん出てきているわけで
なんかこれまでの当たり前がすぐ覆ってますよね たぶん1、2年前とかであればAIでまさかこんなクオリティの高い画像や動画が作れる
あるいは市場調整や擬似録撮れるとかですね そんなのありえなかったんですよねでも今となってはもう当たり前で次から次へと
どんどん素晴らしい機能を持ったAIが出ていると 自分であればクロードを使っているので文章構成や作らせた人間が書いているよりも
クオリティの高い文章を作ってくるわけなんですよ そうなるとライターという仕事も
どうなんだろうと思わざるを得ないですね こんな感じで
あとAIというものが受験勉強で養う力の大半は AIの方がすごいと思うんですよ
何だっけな 国家の医師免許の試験とかもAIを普通に合格数域に達しているっていうデータもあった
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記憶があるのでとなると人間の力を測ればペーパーテストなんかってもは もうAIの方がいいんですよねだから受験勉強でひたすらペーパーテストやら
座学をさせたところで あくまでがAIの介護官を作っているような自分は怪我しちゃっているんですよね
もちろんですね受験そのものを否定するつもりはないんですよ 受験によって得られる力ってそういったところじゃなくて例えば苦手を克服することで得られる
小さな成功体験が自己効力感につながったり あとはなかなかうまくいかない状況に陥ってもそこに屈指せずに一歩一歩進んでいく
ということでレジリエンス力が高まったり あとはやり抜く力ですよね
高校3年間最後まで勉強をやりきった受験勉強やりきったってことであればグリッと やり抜く力がつきますし
社会に出て大事なコンピテンシーを養う上で受験勉強というのを活用できると思うんですよね もちろん自分で目標を掲げる
志望校を掲げてそれに合格したら最高の成功体験なので そういった意味では受験っていうのはありだと思うんですよ
大前提として子供自らがしたいっていうことが大事なんですけれども 親の英語で勝手にさせるっていうのは一番あっちゃいけないことだなぁと
個人的には考えていますね これまで塾で100組以上のご家庭を見てきて
親の英語でさせているケースでうまくいったことはほぼないですね だいたい親子に亀裂が生じてこちらが間を取り戻せたらいいんだけれども
溝が深いとそれすら難しいという状況も何度も出くわしました そんな感じ受験勉強は親の英語でさせる以外は基本いいと思ってるんですけれども
とはいえやっていること自体はちょっとさすがにきついなとで教える前提は先生が 正しい前提で成り立っているのでこれももう違うかなって思ってるんですよ
となるとこれからの時代は何かっていうと 教育なんですねこれ教育っていうのは共に育つ成長するっていうことですね
従来の教育というのは一方的に教えて育てる 教える側が正しい教える側が師匠みたいな感じだけれどもこれからの時代は大人と子供が共に学ぶという時代かなって思いますね
イメージで言うと寺小屋とかそうだったのかなぁと思ってるんですよ あれってどういうことかっていうと
同じ教室に部屋に何人も子供たちがいるけれどもそれぞれやってることは違うんですよね 今でいうと一人は英語を学んでるけどもう一人はスペイン語を学んでるとか
あとめっちゃ複雑な数学をやってるとかですね文化史を学んでるとか それぞれやっていることが違うと
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先生は何をするかというとその生徒が行き詰まっているところをピックして一緒に解決していくわけなんだけれども
多分ですね先生もそんな幅広い分野全部わかんないと思うんですよ スペイン語もできますね英語もできます国語もできます
文化史わかりますとかですね哲学めっちゃ詳しいです そんなオールマイティいないんですよね
となると先生もですね若手探りでなんやろうねこれっていう感じにしな思いながら 一緒に学んでいくと思うんですよね
2人で手探りであーでもないこうでもないっていう風な感じで考えていったんだろうなー っていうのを勝手に想像します
今であればAIが多分それ代替してくれると思いますね AIであれば哲学も でも哲学はわかんないっしょね
そういうバックグラウンドとかを汲み取る力はないので 哲学は教えられないけど語学だったらいけるかなって思いますね
そんな感じで先生も手探りになると思うんですよね でちょっと話変わってそれで思い出されるのが私の大学のゼミなんですよ
大体自分立校学部だったので他の研究室っていうのは 教授がしたい研究のお手伝いみたいな感じで学生がやってる感じで
その一部を拝借して自分の研究みたいにしてる印象なんですよ学生が でも私がいた当時のゼミっていうのは全然違くてですね
先生はもう好きなテーマやっていいと自由に選べと でなると他のゼミ生は自分はその環境に関する研究をしたけれども
肩やスポーツがいてもう一つ語学学習のことを調べて研究したり あとは経営を調べたりあと品質改善とかでも本当に全員が全く違うジャンルの研究をしてたんですよ
これ自由に研究していいよテーマ決めてやっていいよって 一見なんか最高やんって思うんですけれど
これやってる側からしたらまあ大変なんですよ 今までってこれをやりなさいとひたすらやってきた大学3年生までは2年生まではそれだったけれども
3年になって突然もう好きにテーマ決めて調べてやって研究していいよって言われても めっちゃ戸惑うんですよね
何やったらいいんやろうってなるんですよ大体そうですね 自由って結構きついなぁとあの時に初めて感じたんですよね
で何とかやって まあ各々他のゼミ生と一緒に調べていくわけなんですけれども
その教授はどのジャンルにも精通してるかって言うとんなことないんですよね だからその教授も教えらんないんですよ
自分であれば環境に関する研究をしようするって決めたとしても その教授が環境の研究に詳しいかってうんなことないんですよね
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じゃあどうやって教授は自分にアドバイスをするかというともうひたすらディスカッションなんですよ 自分は今こういうテーマでこんな風に研究を進めたいと
でそれに役立つような論文を探しているとか 論文を読んだらこの論文はこういうことが書いてあってこの論文はこういうことが書いてあって
だからこういうところに課題があるだろうみたいな感じで仮説を立てて研究を進めていくわけなんですよね
でだいたい行き詰まった時に自分は今こう考えてこうしようとしてるけどこのあたりがなかなかうまくいかないですよ
みたいなことを話し合うと先生がだったらこんな感じにやってみたらとかいう風なアドバイスをしてくれるみたいな感じで
先生もその分野に詳しいわけじゃなくてお互い試行錯誤しながらじゃあこうしようかとかああしようかって言ってるんですよ
で先生の方がいろんな論文をサージする能力というのは半端なく高かったので
なんか今の君にはこの論文の情報が役立つかもよってポッとデータをくれたりするそんな感じで研究を進めていたんですよ
なんか昔のテラコやってこんな感じかなと思うんですよね
多分何の研究をするにせよ一番根本となる大事な能力共通何の研究をするにしても大事な能力ってあると思うので
それを今日じゃやっぱすごい高いんですよね自分にはなかったですね当時の
だからそういった点でアドバイスをしてくれたって感じでその環境に関する詳しい情報を教えてくれたってよりは
研究そのもののやり方どんな研究をするにしても大事な考え方とかっていうのを教えてくれたって感じなんですよね
だから数学を教えてくれたとかではなく受験免許であればもっと大事な根本となる能力あるよね
それを教えてくれるって感じでしたね
はい最後ちょっと余談でしたけれどもまあ今の教育って古いよねともう時代錯誤もはなはだし
となると大人も子供も一緒に学ぶ思考錯誤するもがくっていう共に育つ成長する教育こそがこれから大事になってくるかなと思いますね
はい参考になれば嬉しいです最後までお聞きいただきありがとうございました
それでは良い一日をお過ごしください
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