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2024-06-02 19:34

9年前「お金への価値観」がガラッと変わった話

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こんにちは、マナミです。1歳と3歳2人の子供たちを育てながら、フリーランスとして、おうちでマイペースにSNSやブログなどのお仕事をしています。
今日は、日曜日の放送になるので、ちょっと雑談というか、私の経験とか、私の人生の中からお話をしてみようかなというふうに思います。
9年前、「お金への価値観がガラッと変わった話」っていうテーマなんですけど、実は今日、私の父親の命日なんですよね。9回目になります。
私、あんまりボイシーでね、父親が亡くなった時の話とか、それに関わる話はあんまりしてこなかったんですけど、せっかく命日なので、
せっかく日曜日だから、平日とはちょっと違うテンションだし、ちょっとこんな話をしてみようかなというふうに思って、
今日ちょっと多分放送長くなるかな。ちょっと台本書いたんですけど、長くなりそうなんで、ちょっと10分超えるかもしれませんが、よかったらお付き合いいただけると嬉しいです。
家族が亡くなると結構、生死感っていうのかな。生きるとか死ぬとかの考え方が変わるとかっていうふうによく言われてたりとか、
自分もその感じはあったんですけど、かなり変わったのがお金に対する価値観だったんですね。
それが今の働き方とお金とか働き方とか生活とか全般につながってきてるですね。お金の価値観っていうのが。
なので、今日はちょっとそういう内容にしたいと思います。
なので、今日の放送内容としては、当時、私の父親のことちょっと話します。
どんな人で、どんな感じで、当時9年前どんな感じだったかっていう話とか、それから働き方お金の価値観がどういうふうに変化したかっていうこの部分。
結論から言うと、結局私は今とか将来よりも今に投資したいっていう気持ちがすごく強い方なので、それにつながった経緯みたいなことのお話をしていこうと思います。
私の父親は55歳で亡くなったんですけれども、小学校の先生でした。私立の学校の先生でして、私もその小学校に行ってて。
私立だとそういうこともあるのかなって感じなんですけど、私の担任だったこともありましたね。
ここは私に似てるかもしれないんですけど、結構テクノロジーとかインターネットとかに強くて、新しいものがすごい好きだったんですよ。
小学校のホームページとかのコンクールとかそういうのがあるんですけど、その小学校のホームページ大賞っていうのに数年連続で選ばれていて。
30年くらい前、当時のホームページって、ホームページってもう死亡ですよね。
ホームページとかで、当時ってまだ小学校のホームページがあるのも珍しくて、あっても学校の情報が載ってるっていうウェブサイトとして載ってるっていうのが普通に当たり前で、それ以上の部分っていうのはなかったと思うんですね。
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30年くらい前の小学校のホームページって、ただ私の父が作ってるホームページ、ウェブページは結構すごくて、その学校の情報だけじゃなくて、子どもたちの学校生活っていうのを結構上手にコンテンツとしていたんですよね。
記事だったりとか写真とかの使い方だったりとか、委員会クラブ活動がどうだかって、私立だから自由度が高かったっていうのはあるんですけど、結構そのコンテンツとして面白かったなっていうのも覚えていて、さらに卒業生たちがそのホームページを見たときに自分たちのアルバムとか記録っていう形で見られるように、かなりアーカイブとしてそのコンテンツが残るってことを意識してたと思うんですね。
今だからこうやって言語化できるんですけど、だからこれを30年前にその小学校のホームページのレベルで実現してたっていうのは結構すごかったなって、私も未だに思ったりしてます。それからですね、話し方の勉強ですごくしてたんですよ。NHKの講座を受けたりとか、あとプレゼン、小学校で結構自由な授業のカリクラムとかがあって、そのプレゼンの授業とか話す力って言ったんですけど、話す力の授業を受け持ったりとか、その関連で言うと、
ディベート、討論とかを小学校のカリクラムの中に取り込んだりしてたんですよね。
なので私立だから結構教育内容にいろいろ自由度が高かったというか、小学校の先生たちで子どもたちにこれから生きる力ってこうだよねっていうふうに多分学校の先生たちで話し合って、それを授業とかに落とし込んでいくってことをやってたと思うんですけど、私の父は結構その教育内容ってところにテクノロジーを掛け合わせてるところとかもたくさんありました。
これは亡くなってから他の先生に聞いたんですけど、結構電子黒板の導入とかもかなり進めようと、他の先生と一緒にプロジェクトを組んでやってたらしいです。
そんな父なんですけど、直腸がんかな。腸の方にがんがん見つかって、それで現場の教団に立つ先生じゃなくて管理職のポジションになったんですよね。
入院ちょっとして手術もしたんですけど、その後普通に復帰したんですけど、管理職のポジションになったので生徒の前に立つじゃなくて職員室に基本いるみたいな仕事になって、私の父はその教団に立って先生するっていうのがすごい好きな人だったので、それがすごいショックだったみたいなんですね。
当時その頃の私って、23歳、24歳ぐらいの時ですね、幼稚園の現場の先生だったんですけど、私たぶん現場に向いてないっていうか、頭の中が常に経営とかマーケティングとかそっちだったんで、現場の先生限界かもなって思ってた時期だったんですよ。
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だから私管理職になろうかなっていうのをちょっと考え始めていた頃でもあったんですね。私の父のお兄さんである私のおじさんが幼稚園経営をやってたので、ずっと相談してて、私現場じゃなくて管理職になりたいんだよねって話をすると父は結構怒って、なんで現場がこんな楽しいのにつまらない管理職なんかやろうとするんだっていうので、そんなこと言うやつが先生やってるなんて信じられないとかって私も言ってしょっちゅう喧嘩してましたね。
もう本当にそこまで言わなくていいだろうってお互い様ですけどね、あったんですけど本当に喧嘩ばっかりしてました当時は。
だから本当にお母さんがせっかくおいしい夜ご飯作ってくれてるのに、食卓で喧嘩ばっかりしててお母さんにも申し訳なかったなとか、それを聞いてた妹にも申し訳なかったなとか、いまだにちょっと思ったりしますね。
9年前に亡くなった時なんですけど、実はこれ病気が原因とかじゃなくて、普通にお風呂場で倒れてて、朝方お風呂に入ろうと思ったみたいなんですけど、それで倒れててそのまま亡くなったんですよね。なので、いまだに原因がわかってなくて、なので突然死になっちゃうのかな、あれだと。
私もこの時期だったから別に、冬とかだと温度差でヒートショック、心臓に負担がかかってとかあるけど、そうでもない。でも発作とか起こるような病気でもなかったし、いまだに謎なんですよ。だから亡くなってすぐ、私救急車呼んで、その待ってる間、軌道確保、心臓マッサージ全部やったけど、もう亡くなってたんですよね。
ただ家で亡くなったっていうこともあって、事件性があるから、その後現場検証みたいのが起こるんですよ。
起こるっていうか現場検証みたいので、警察の人とかが立ち入ったりとかして、多殺の可能性がないかみたいなことを調べられるみたいのがあって。
だから、病気で病院で亡くなったみたいな、そういうのじゃなくて、病気持ちながら仕事してたんだけど、家で突然亡くなるっていう、ちょっと事件性匂わせみたいな感じだったので、もうなんかわけわかんないんです。
突然朝起きたら、母が父の名前呼んでって言ったら亡くなってるって状態だったんで。
だからもう、そんな感じで私の日常っていきなりその日にバッと変わったっていう感じだったんですよね。
亡くなってからあまりにバタバタしすぎて、私は当時幼稚園の先生してて、気引きになって休みだったんですけど、一人担任だったので、他の先生たちに子供たち任さなくちゃいけなくなったし、
私、両親もクリエスチャンで、自分もクリエスチャンで、夫牧師なんですけど、教会で葬儀になったからパイポルガン弾くことにして、その葬儀の中で弾く賛美歌の練習とかっていうのを教会に通ってずーっとやってたんですよね。
ずっと弾いて、パイポルガン弾いてやってて。で、なんかずーっと実感わからないまま葬儀終わっちゃったっていう、そんな感じだったんですよね。
で、そこまででなんか、なんか何が起こったみたいな。なんか病気が進行して危ないとか、既得ですとかってなったわけでもないし、いきなりなんか日常変わっちゃったみたいな感じで、なんかポカーンみたいな感じだったんですよ。
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で、私がお金のことについて価値観が変わったっていうのは、この後、この頃からかもしれないですけど、この辺りからなんですよね。
で、どこでお金のことを一番意識したかっていうと、その私が幼稚園の経営を勉強したいっていうことを相談していた私の父親の兄、おじさんに、ちょっと保険のこととかお金のことを少し今から調べておいたり、勉強しておいた方がいいっていうふうに言われたんですね。
家がどういうふうな保険に入っていて、父親が職場のどういう保険に入っていて、どういうお金が来て、遺族年金がどうかって、これちゃんと調べて、ちゃんと考えて、あなたも知っておきなさいっていうふうに言われたんですね。
で、それで私は難しいことを勉強するのは割と好きな方だったし、お金って大事だなとは普通に思ってたので、私立の学校の先生だと私学教材とかいろいろシステムがあるんですけど、それで私の父親の場合は金属で何年働いてた?
30年以上働いていたのかな?その時点で。なので、大体これぐらいの保険金に該当するなとかね、いろいろ見てたんですよね。それで、大体家にこれからこれぐらいお金が入ってくるのとか、いろいろ見てて。
で、あの、そう、その時にシンプルに、人が死ぬとお金って結構もらえるんだとかって思ったんですよ。で、そしたら急にその数字でバンって見た時に、すっごいうちんちってかわいそうなんだなって、私って同情されるべき人間なんだなって思ったんですよ。
で、その時に、なんでかわかんないけどめっちゃ泣けたんですよね。そう、それまであんまり私泣くとか泣かないとかもよくわかった。その父親と喧嘩したから父親が嫌いとかじゃなくて普通に悲しかったんですけど、それどころじゃないことが多すぎて。で、なんか数字で見た時に、なんかお金いらないからやっぱ父親帰ってきてほしいなって普通に思ったんですよね。
で、なんかそこで一回、ていうかお金って何なんだろう?人生って何なんだろう?人が生きる死ぬって何なんだろう?みたいな、お金の数字見た時に私にとって人の死っていうものがリアルになって、あの、すっごく。
たぶん、その時歴史が動いただったんですよ。私の、にとってはね、その日のことはね。だったんですよね。で、まあその後、いろんな手続きだったり諸々あったり、きびきの期間があったり。で、その後私なんか知らないけど、お腹痛くて入院してて、もしかして盲腸かもとか言われて、ストレスは関係ないって病院の人に言われたりして、謎に1週間ぐらいまた休んだので、
自分の現場のクラス担任してる子供たちに会えないきびきの1週間プラス、なぜか入院してる1週間、7日間とかがあって、2週間ぐらい職場に戻れなかったんですね。で、その時にやっぱりすっごいいろんな働き方とか、自分の生き方とか考え直して、考え直して、今やりたいことやらなきゃダメだと思って現場の先生を辞めて、その次の年から幼稚園の管理職の方に、認定子供の管理職に行って、
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園長先生、主任先生、私ってこの3人で幼稚園経営、160人規模の園の経営とかをやる、そういうようなポジションに行きました。これも私のおじさんにいろいろ助けてもらって。
そのおじさんは今、この間の1月のノート半島の地震でがっつり被災をして、幼稚園も、あと教会関係でもあるんですけどね、教会と幼稚園とすごく大変な対応をしていて、その姿から学ばせてもらったりとかもしたんですけどね。
いろいろとそういうことがありまして、そのおじさんの存在というのがね、そこから濃くなってくるわけですけれども、そういうふうに父親が亡くなって、いろいろお金のことも見直したり考えたり、価値観が変わったりして、それで今やりたいことをやろうというふうに考えるようになったっていう感じなんですよね。
それでやっぱりね、今をどう過ごしたいかっていうことにかなり重点を置くようになって、働き方とかにもそれが影響して、やっぱり働き方、稼ぎ方、お金に関すること全部ですね。
なので、私あんまりね、将来のために貯めておこうっていう発想をほとんど持たなくなりましたね。父親が亡くなってから考えたら、たぶんここ10年はもうずっとそうなんだろうなって思います。
で、やっぱり子供の話とか子育てになると、どうしてもお金の話とかお金のことを考えなくちゃいけないっていう期間はたくさんあるんですけど、なんかね、お金があれば子供の将来の選択肢が広がるっていうふうには、私全然思わないんですよね、実は。
結構これ変わってるかもしれないです。でもあんまり思わないんですよ。で、お金があれば子供の将来の選択肢が広がる。これは自体は間違ってないと思います。それはあると思うんだけども、自分がそう思って子供の将来の選択肢を広げるためにお金をたくさん貯めようかってなったら、そうじゃない。私はそうは思わない感じなんですよね。
なんていうか、お金があったってどうしようもないことの方が多い。こうやって言うとネガティブかもしれないですけど、例えばね、子供が留学に行きたいとか、異大に行きたいとかね、なんかそんなふうに言ったって先に英語の勉強とか、自分がやりたいことっていうところの面で挫折するかも。本人のスキルが伴わないこととかって全然あると思うんですよ。
子供じゃなくて夫婦の時間とか、例えば子供が大きくなったら夫婦で海外旅行行くかみたいな。私はね、時間と体力のこともわかんないし、なんかいつか死ぬんだし、死んだらそのいつか何とかしたいときのために取っておいたお金ってどうなるんだろうって思っちゃうんですよね。なんかネガティブに聞こえるかな。
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だから私はそっちのほうになってて。今もね、実は夫は牧師になるために大学二つ行ってるんですけど、牧師になるための学校とその前に行ってた学校と二つあるんですけど、奨学金の返済が二重に発生してるみたいなのがまだ残ってて、本人ももう嫌だから一括で払っちゃおうかみたいに言うことあるんですよ。
だけど私、もうあんたが死んだらその奨学金払った分無駄だから固定費として計上する。サブスクだと思えばいい奨学金なんてって言って、ちょっとずつちょっとずつ返そうって。別に変動費じゃないじゃないですか。毎月いくらずつ落ちてって、この年になったら片方の奨学金の返済が終わって、じゃあもう片方の奨学金だけ残るからいくらずつってちゃんともう見えてるんだから。そこ変わるわけじゃないんだからもうサブスク固定費でいいよっていうふうに言ってます。
ちょっとうちの夫なんかは死ぬとか言わないでくれって言われるんですけど、私にとってやっぱり死とか人が死ぬっていうことはすごく父親のことを通して身近になったし、実は父親が亡くなってから私親族が5人ぐらい連続で亡くなってるんですよ。5年ぐらい。毎年毎年誰かが亡くなるっていうのが立て続けにあって。
それでその時その時その時でその旅に生き方、働き方、生活のあり方、お金とかいろいろ考えさせられたんですよね。だから私は今やりたいこととか、今子供が好きなこととか、今きっと子供にこの子には必要なんじゃないかなっていう思うことに、それは不確かかもしれないけれどそこに投資するようにしてるんですよね。
あとのことは、後の自分が考えて、後の自分が、後の自分のできる範囲でやるし、その中で最適化を見つければいいし、きっとそれはね、お金がないせいであれができない、やっぱ貯めとけばよかった、お金があればよかったとかよりも、今の自分たちならこれができそうだよねって生きていく方が楽しいんじゃないかなというか、この不確かな世界で自分が頑張ったり家族が頑張ったりお金を貯めたところでどうにもならないことっていっぱい起きるんだなって。
あと、父の父が亡くなった経験、そこから考えたこと、そしてコロナ禍って特に私は思うようになって、それでやっぱり今の自分たちでできる範囲とか、そういうのをいつもいつも考えながらいろんなやりくりをしていったり、仕事、働き方、生活っていうのを考えていこうというふうに思うようになったんですよね。
それが私にとっての生きる力だと思っていて、子どもたちにはそういうふうに教えていきたいなっていうふうに思っているので、自分自身がそれを心がけていて、この価値観をなんとなく夫とシェアして、それが子どもたちに伝わっていけばいいなっていうことを思いながらやってますね。
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ただやっぱり知らないと選べないってことは実際には起きると思っているので、自分なりの範囲で無理せずにいろんなお金の勉強だったり、やっぱり働き方のこと、働く仕事の作り方、収入の作り方、稼ぎ方っていうよりも働き方ということに結構重点を置いて知識とかを入れるようにしてます。
そこにつながっていく形で、やっぱりそのライフスタイルっていうことをどうやったら自分なりにアップデートできるかってことも考えてますね。
だから仮想通貨とか投資とかNFT、Web3とかフリーランスとしての法律とか、いろんなコンテンツ発信のこととかもちゃんとしておこうっていうふうにそういう流れから思うようにはなっています。
なのでそこから勉強したり、自分なりに関わったりとかするようにはしてますね。というわけで今日は9年前お金の価値観がガラッと変わった話というわけで、父の目にしたのでこういう話をしてみました。またコメントとかいただけると嬉しいです。最後まで聞いてくださってありがとうございました。
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