映画の概要とテーマ
みなさん、こんばんは。マカ・ママレードです。今回取り上げる作品は、こちら【サブスタンス】。
ストーリーは、俳優のエリザベスは、自身がメインのテレビ番組が終了するなど、仕事が減少していたが、ひょんなことから、理想の自分が手に入る薬と出会う。
それをきっかけに、エリザベスはショービジネスの世界で再起を図っていくが、という物語です。
はい、今だいぶぼかして喋りましたけど、予告編とかでももうちょっと踏み込んだところまでわかると思うんですけど、念のためこれくらいにしておきます。
出演はデミ・ムーア、マーガレット・クワリーなど、監督と脚本はコラディ・ファルジャーです。
ということで、【サブスタンス】。いわゆるボディホラーっていうジャンルの映画ですけど、
もうね、日本での公開からだいぶ経っちゃいましたけど、私は最近になって遅延ばせながら見に行きまして、平日の昼間に行きましたけど、まあまあ人が入っていて結構人気なんだなというか、まだまだ話題になっているんだなというのを実感しました。
はい、そういうわけで今回の動画はですね、前半はネタバレなしで、後半はネタバレありで、【サブスタンス】について話したいと思っています。
まずはネタバレなしの感想です。ここでお話ししたい内容としては2点あります。
1つはシンプルなストーリーという点。もう1つは男性による女性の作詞という点。この2点ですね。この大きく分けて2点について最初にネタバレなしでお話ししたいと思います。
1つ目のシンプルなストーリーですが、本作の内容っていうのは最初にお話ししたあらすじでなんとなくわかっていただけたと思うんですが、ドラえもん型の物語なんですね。
ドラえもんの漫画とかアニメで典型的な型ですよね。 要するにどういうことかというと、
主人公のノビタが困っていることがあって、ドラえもんからその問題を解決するための秘密道具をもらうわけですね。
最初はその秘密道具をもらってうまくいくわけですけど、次第に調子に乗ったり約束ことを守らなかったりしてとんでもない事態になっていくと。
このサブスタンスも最初は薬の力でうまくことが進んでいくんだけど、どんどん不協和音が生じてというあたりが総じ系を成しているんじゃないかなと思います。
あとはそうですね、約束事を守らなくて大変なことになるっていうところで言うと、笑うセールスマンも近いところがあるかもしれないですね。他の人もたくさん言ってますけど。
また人の欲望とか心の闇みたいなところからどんどん袋小路で迷い込んでいくSF作品というと、よりも奇妙な物語やトワイライトゾーンとか、あとはウルトラQよりも不思議なアメージングストーリー、
あとは藤子F藤男先生の短編作品なんかの一編として存在しても不思議ではない雰囲気ですよね。
また、若さを求めて右往左往する人というのも、いろんな創作物で何度も描かれてきたわけですけど、映画で言うと、とばに美しくなんかが物語のテーマというか、描くところで言うと、かなり近しいものになるんじゃないかなと思います。
このように、今作サブスタンスは全体の物語としては非常に馴染みがあるような設定や話し運びで、飲み込みやすいものになっているんじゃないかなと感じました。
男性中心の社会構造
シンプルな物語をジャンル映画的な表現と技法でもって綺麗にまとめ上げている。そこに今作の魅力の一つがあるんじゃないかと思います。
また、最後の方に行くにしたがって、詳しくは後半のネタバレありのところで喋りますけど、ラストなんかは特にジャンル映画としての文法、技法から外れないままなんですけど、その中でとんでもない映像を見つけてくれるんです。
典型的な話し運びで進んでいって、そこからの飛躍、それも映画のルール内で飛躍しすぎることなく、またテーマから外れることなく、上手いことですね、とんでもないもの、凄まじいものを見せるということに成功していて、ここもこの作品のすごいところ、特筆すべきところなんじゃないかなと思います。
ホラー映画のファン、観客の期待するところを的確に抑えつつも、想像以上のとんでもないカタロシス、スペクタクルシーンを見続けるという手腕ですよね。そこも見どころだと思います。
そういうホラー映画として、手堅い作りとびっくりするような見せ場を労立させている今作ですが、ここで2つ目の話したい点ですね。今作がテーマにしているのは、男性による女性の作詞だというふうに私は感じました。
男性による作詞、映画でいろんなシーンで言及されていて、例えばテレビの制作者の偉い人、プロデューサーかな、デニス・クウェイドが演じているハーベイという男性がいますけど、冒頭でエリザベスがトイレに入っていることに気がつかずに、エリザベスが年をとったことについて、とんでもない悪口を言うんですけど、
女性を商品というか、物としてしか見ていないような態度、考え方というのを最初から見せつけているわけですよね。
ちなみにここで女性トイレの方が入れなくなっていて、男性用のトイレの方にエリザベスが入らざるを得なくなって、ハーベイと同じ空間にいることになるっていう展開なんですが、ここも悲惨的ですよね。
その場、スタジオには女性もいっぱいいるにも関わらず、女性用のトイレだけ使えないっていう、女性よりも男性の方が優遇されているっていうことの示唆になっているんじゃないでしょうか。
他にもですね、ハーベイが女性の部下の名前を全然覚えていなくて、勝手に呼びやすい名前を考えたりとか、あるいはエリザベスと一緒に食事をしているのにほったらかして、男性の同業者というか、友人の方へ駆け寄って話し込んでしまうハーベイの姿とか、
または、とある場面で女性に対してハーベイがスマイルと笑顔を強要するシーンとか、このようにハーベイを中心に様々な男性中心的なというか、男性優位な社会の構図、そういうところを表すシーンやモチーフがたくさん描かれたんですよね。
また、男性による作詞で言うと、本作で重要になってくるのは視線ですね。男性の視線というのも重要な要素だと思います。男性が女性を見つめる性的な対象としてですね、舐め回すように見つめてくる、そのことも今作では繰り返し描いています。
女性が男性の横を通り過ぎるときに、その女性を目で追ったりとかですね、あるいは女性が男性ばっかりの部屋に入ってきたときに、男性がみんなでその女性を見つめたりとか、女性が写っている映像を大勢の男性が見たりとか、見つめたりとか、そういうシーンが繰り返し描かれます。
ちなみに、そのように女性を見つめるものとして出てくるもう一つの重要なものがカメラですね。今作はテレビの制作現場が舞台になっているんですけど、カメラがいわば女性を客体化して、女性を人間として見るというよりは、物として体のパーツを一つ一つ舐め回すように撮影していく様子も今作ではじっくりと描かれているわけですけど、
ここで考えなきゃいけないのは、じゃあカメラが表すものって何なんだろうということだと思います。当然カメラが映したものは、撮ったものは映像として残るわけで、ではその映像を誰が見るのかといえば、テレビ番組だったらそのテレビを見る視聴者らしい、また映画だったら映画を見る観客ですよね。
つまり、今まさにサブスタンスを見ている観客に対しても、女性を見るという行為の加害性を突きつけてくるわけです。ちょっと後半でこのことについては詳しく触れたいと思います。
エリザベスの欲望とその影響
というわけで、ドラえもんのようなシンプルなストーリーという話と、女性を搾取する男性というテーマのお話を大きく分けると2つの話をしましたが、ここで最初に引き合いに出したドラえもんで言うと、
伸びたが自分の欲望に負けて秘密道具の使い方を間違えていくという話のストーリーの流れがあって、今作エリザベスも若くありたいという欲望によって大変なことになっていくんですが、ここで考えなければならないことは、
そのエリザベスの欲望ってどこから来ているものなのかっていうところですよね。それはとにもなおさず先ほどから何度も話している男性、男性優位社会であったり男性の視線、男性の欲望ですよね。そういったものに、こうする形でエリザベスの若くありたいという欲望が生まれているんだと思います。
具体的には、ハーベイたち、テレビ制作の男性たちが女性を物のように扱って番組を作っていく。エリザベスはそういう権力を持った男性に受け入れられないと仕事が得られない。でも男性側は若さにしか価値がない。そして年を取ったエリザベスを切り捨てる。
そこでエリザベスはドラえもんでいうところの秘密道具に手を出してどんどん大変なことになっていくという流れがあると。あとは中盤でですね、エリザベスがお化粧を強迫観念的に何度も何度も直して直してっていうシーンがありますけど、あれなんかは男性の欲望の対象としての自分、綺麗でなければならないというのを男性から押し付けられる形で発露した行動だと読み取れますよね。
こんなふうにシンプルなストーリー、ジャンル映画的なわかりやすい話の構造と女性を搾取する男性を批判するメッセージが有機的に結びついている。これがこの映画の魅力につながり、なおかつラストのスペクタクルシーンを見応えのあるものにしているんじゃないかと思いました。
はい、というわけでここからは主にラストの話をしていきたいので、ちょっとここからネタバレありで喋っていきたいんですが、まだ見てないよという方はですね、ぜひぜひ映画をご覧になっていただいてから、ここから先の動画を見ていただきたいと思います。
と言ってもそうですね、ホラー映画、語話描写が大丈夫な方はってことですね、相当すごい描写が出てくるのでそこら辺は覚悟していただいて、そういう映画だってことをご了承いただいた上で見てみてください。
今からお話ししますけど、ラストの描写っていうのは映画館で見てこそ生まれる効果っていうのがあると思いますので、映画館で見ることができる方は今見ておいた方がいいんじゃないかなと思います。
はい、というわけでここからはネタバレありで喋っていきたいと思います。
ネタバレありなんで喋ってしまいますけど、エリザベスは薬の力を使って、スーという、いわはもう一人の自分を生み出して、1週間ごとに交代で生きていたんですよね。
でも次第にバランスを失っていって、ちなみに中盤でエリザベスとスーに対する男性の反応や対応の違いなんかも非常に示唆に飛んでいるというか、先ほどから言っている男性の視線であるとか男性の加害性みたいなのがはっきりと描かれていますよね。
エリザベスとスーの向かいの部屋の住人のエピソードとかにはっきりと現れていると思います。
そして最終的にどんどん薬の使い方を誤った結果、ラストではエリザベスでもスーでもないもう一人の3人目が生まれるわけです。
ラストシーンのインパクト
そしてスーが出演するはずだった大晦日の特番のスタジオにその3人目が乗り込んで、この映画の最大の見せ場ですね。
今までちょっとこれは見たことがあるだろうかと思うほどの血液をスタジオにいる観覧客や出演者、スタッフに浴びせかけるという、これは本当にすごいです。
音響の効果と相まって本当にすごいものを見たなっていう感じだったんですけど、ここで注目したいのはこの舞台となるスタジオの形状でして、
僕は最初は何か見たときにすごい大晦日特番って大々的にやってるにしてはすごいこじんまりしたところだなと、
なんか予算の都合なのかなって思ってしまうぐらいの感じだったんですけど、でもそこで一旦立ち止まって、あれってよくよく見てみればなんか映画館みたいだなって思い直したんですよね。
客席が傾斜状になって、前のステージがスクリーンに見立てられて、っていう映画館のような雰囲気の場所だと。
なんでここからは私の勝手な解釈ですけど、まず前半でカメラというのが女性を虐待化して舐め回すように撮っていたという話をしましたよね。
そのカメラの先にはテレビだったら視聴者、映画だったら観客がいると、女性を見る欲望の主体としての見る人、観客がいるからこそカメラは女性の体を舐め回すように撮るわけですよね。
ラストのスタジオにいる人たちっていうのは、先ほど言ったようにそのスタジオの形状からして映画館の観客に見えるわけで、そしてその映画館の観客に向けてとんでもない量の血のり、血が発射されるということは、
つまりは今まさにサブスタンスを見ている私たち観客に向けて血を浴びせているのと同義だなと思ったわけです。
欲望の主体としてですね、統治者として人事じゃないぞと映画から言われているような映画館の座席で鑑賞していて、なんかそういうふうな気持ちになりました。
なのでこの映画、このラストの描写っていうのは音響とか映像の迫力っていうのもそうなんですけど、映画館で鑑賞するという装置を使ってこそ生かされるものなんだったんじゃないかなと感じたんですよね。
だからこそネタバレありに行く前に見ていない方に映画館で見た方がいいですよとお伝えしたわけですが。
というわけでどうだったでしょうか。
とにもかくにもジャンル映画、ホラー映画として相当よくできている映画だとは思うので、まだまだ見ていくと発見がいろいろあるのかなというふうに思っています。
ということで以上、マカママレードでした。ありがとうございました。
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