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おはようございます。まこやんです。この配信では、不安で動けなかった頃の経験をもとに、無理をしない考え方や小さな行動をお届けしています。
はい、今日はですね、なぜ私たちは失敗をこんなに怖がってしまうのか、ということでお届けしようかと思います。
先にね、3つのポイントで押さえていこうと思います。 1つ目、失敗そのものより、後で自分を責める自分が怖い。
2つ目ですね、本気だったことがバレるのが怖い。 3つ目、失敗するとまた同じ自分に戻った気がする。
ということで、3つお届けしようかと思います。
失敗ね、自分もやっぱりそうですけども、何かこう進めたり、何かこうやろうとした時、仕事もそうですし、新しいチャレンジもそうですし、
その時に必ず頭によぎるのが失敗ですね。 それをやって、もし間違ったらどうしようとかね。
常にね、そういうのはどうしてもついてきてしまうんだけど、その失敗を恐れすぎて前に動けなかったりとか始められなかったりっていうのはね、すごく自分も経験があります。
なぜそもそもそんなに恐れるのかってね、思う自分もいたりして。
これをより疑問を持ったのは、ここ何年かの話なんですけど、立ち位置上仕事ではね、管理職なので、笛でみんなをまとめているような位置なんですけど、
そのみんながね、やっぱりこうなかなか前に進めない。そこには間違ったらどうしようっていうのがものすごく伝わってくるんですよね。
自分としてはその間違うことを恐れないで、もっと挑戦してほしいし、自分たちがいいと思うことをやってほしいなってすごく思うんですけど、やっぱりそこには失敗っていう恐怖心みたいなのがすごく出てるなっていう風に感じました。
なのでね、それも踏まえて今日はね、ちょっとその3つを抑えていければと思うんですけど、1つ目がね、その失敗そのものより、後で自分を責める自分が怖いっていうことなんですけど、
失敗した瞬間よりその後にね、こういう声が聞こえたりすることがあるんですけど、例えばやっぱり自分はできないよねとか、どうせ続かないと分かってたとか、後は期待するだけ無駄だったとかね。
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言い訳って言ったらそういう感じなんですけど、その失敗したことに対して一番辛いことを言ってるのは結構自分だったりするんですよね。
どうせやっぱりダメだったんだ自分はみたいな。やっぱりそれを最初から避けたくなるっていうかね、もう分かってたよみたいな、そういうのもあったりして、
もうそれをね、その事実から逃げたくなるので、もうだったら動かなくていいやってね。やっぱりそういうふうに思っちゃう部分はあるんじゃないかなって思います。周りがね、その失敗に対して確かに仕事とかだと言われたりするけど、その前に自分でやっぱりできなかった。
レッテルを先に貼っておくみたいな、そんな感じのものが先に来てて、これ確かにね、自分ができないってね、自分で決めちゃうと結構楽だったりするんですよね。そういうふうに下に見とけば傷つくダメージを最小限に抑えられたりすると思うんですよ。
だから、自分では嫌なんだけど、自分でね、そういうのを貼っておくことが救いになっちゃったりするんだけど、失敗した後にそういうふうになる自分も嫌なんですよね。だからそういうのもね、多分避けちゃってるんじゃないかなって思います。
2つ目がね、本気だったことがバレるのが怖いってことなんですけど、本気でやる。本気でやって失敗して、本気でやったのにできなかったっていうなんかね、これは恥ずかしいというか、認めたくないというかね。
仮にね、なんか適当にやって失敗したなら、まあまあなんだろう、こんなもんだよねって適当にやったしねって言い訳ですよね。自分で本気でやったらできるよみたいな。
なんか言い訳の部分があって、でも本気でやったって対して変わらなかったりするのに、本気でやった自分が全力出したのにできなかったっていうのは、自分も全否定されるようでね、それがすごく嫌なんですよね。
中途半端でやる方が余力がちょっとあって、本気出したらできるよみたいな。そういうのがね、どっかに満身じゃないけど、なんかそういうのがあったりして、その本気っていうものがね、やっぱ本気でやるって言えば怖いんですよ。
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それが全力でやったのに勝てないというかね、そう何も残せなかったとか、全然ダメだったっていうものがあったりして、もう自分のプライドだとか培ってきたものがね、もう全部で壊されるような、なんかねそういう気持ちになるんだったら、無意識にね、やめようって、そういう風にブレーキがかかってしまうっていうのはね、これはなんかねすごく思います。
だから本気になるので結構勇気がいることで、そこは開きのあるとかそういうんじゃないんだけど、本気になれるっていうのはね、自分とちゃんと向き合えることだと思うんですよね。
で、その先にちゃんと進もうって、そういう気持ちがないと多分ね、本気ってなかなかできないのかなって、自分もね、大人になってくるとね、その本気ってなかなか出せなくて、やっぱりね、転ぶのが怖いし、立ち直れなくなるっていうのもね、なんとなくね、こう分かったりするから、そこがね結構大変なんですけどね。
3つ目が失敗するとまた自分に戻った気がするってことなんですけど、進んでて失敗して転んじゃったら、もうまた最初からやり直しだって、またゼロからスタートだとか、成長してない気がするとかね。
一瞬で過去の自分に戻されるというか、結局できなかったから、また最初からだねみたいな、それは結果っていうよりかは、自分の中の今まで培ってきたものというか、歩んできた道が全部間違ってたねって言われるような、これも結局自分が決めちゃったりしてるんだけど、
そういうのがね、一緒に考えてしまうんですよね。そんなことないんですけどね。歩いてたらたまたま3歩目がつまづいただけだって、その一歩が間違ってたっていうわけじゃないし、なんだけど、
人ってそういうのを全部ひっくるめて否定されたりダメだってすごく思ってしまうんですよね。それって多分、自分を大切にしたりしてることだったり、傷つきたくなかったり、ちゃんと前に進みたかったり、そういう裏返しで、そういう気持ちの裏返しだと思うんですよね。
だから、失敗したっていう時の恐怖心は確かにいろんな意味であるんだけど、その怖さっていうのは、ちゃんと前に進みたかったり、転びたくなかったり、ちゃんと思い描いてる自分の未来というかね、それがあるから、ちゃんと考えているからこその恐怖だと思うんですよね。
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だから、自分よりよくね、こういう選択とかね、これやった方がいいかやらない方がいいかって結構悩むシーンっていろいろあって、どっちが正解とかはもしかしたらないのかもしれないんだけど、でもそれでも自分は選んでやったっていう、自分でやろうとしたっていうね、その事、その事実だけは、
あのー、何だろう、認めてあげたいなと思って結構言い聞かせてるんですけど、そう、だからこう、結果が出る前にちゃんとその時に自分で選んで一歩踏み出したっていうね、その事実は、あのー、事実だなっていうんだろう、あのー、変わらないし、
その選んだね、その先が、たまたまそういう失敗だったりするかもしれないけど、ただそこに行くまでのちゃんとした一歩は自分の中でね、踏み出せたって思うと、少しね、そのー、事実自体を悪いものとはね、こう、受け止めずに少しね、こう、優しくね、包み込むことができるかなって思います。
うん、だからね、このー、いろんなね、失敗の怖さっていうのはあるけども、うん、それはね、こう、意外とこう、自分の中で勝手にね、こう、色々決めつけちゃってるだけで、そう、あのー、その中でもね、自分でちゃんと選択したり行動した行動が、なんか、もっとね、大切なものがその中にはね、えー、あるんじゃないかなっていうお話でした。
はい、えー、ということでね、すいません、ちょっと花粉症でね、ちょっとね、あのー、腹が詰まっちゃって、ごめんなさい、聞き取りにくかったかと思うんですが、えーとー、ちょっとね、この時期はね、薬を飲んで、なんか対応してるんですけどね、毎年毎年、こんな感じになってしまいます。はいえー、すいません、今日はここまで、えー、聞いてくださいまして、ありがとうございました。また、引き続き配信していきますので、えー、よかったら聞いてみてください。