1. 映画の感想をふたりでダラダラ喋るやつ
  2. #188『ジガルタンダ・ダブルX..
2024-12-28 25:54

#188『ジガルタンダ・ダブルX』の感想をふたりでダラダラ喋ったやつ

マサラウエスタン

() 『JAWAN/ジャワーン』 : シャー・ルク・カーンが自身のテーマ曲をバックに分身して戦う映画。

() 『マッシブ・タレント』 : 我々がこの映画を好きすぎるのでしょっちゅう話題に上がる。

() 『地獄でなぜ悪い』 : 頭に日本刀が刺さった星野源が頑張る映画。

() 西田敏行似の議員 : イラヴァラス。あらためて写真で見るとそんなに似てないか?

() 『エンドロールのつづき』 : インドの「映画撮る映画」。映画を撮ることへの憧れ、喜びが素直に描かれた良い映画。『フェイブルマンズ』と比較すると、時代と文明レベルがどう考えても逆に見えてしまい混乱するが。

() 『フェイブルマンズ』 : スピルバーグの自伝的「映画撮る映画」。カメラのレンズはときに残酷だ、のシーンがエグい。

() 楊端和 : 『キングダム』に登場する「山の民」の長。

() ラジニカーント : 日本に広くインド映画を知らしめたスーパースター。『ロボット』シリーズでは数百人に増えて悪夢のようなアクションを繰り広げる。

() 『囚人ディリ』 : インドのアクション映画には手足の長いイケメンが華麗なアクションで無双するタイプと手足が短くて分厚いおっさんが腕力で無双するタイプがあり、この映画は後者。

サマリー

『ジガルタンダ・ダブルX』は、インドの映画制作過程やその背後にある政治的テーマを描いています。登場人物たちは映画が社会の悪を覆す力を持つと信じ、その葛藤や成長が表現されており、特にシーザーとレイの関係が深まる様子が強調されています。このエピソードでは、『ジガルタンダ・ダブルX』に関する感想を中心に、キャラクターやストーリー展開についての議論が行われています。特にキャラクターの結婚や過去との関連性、インド映画特有の魅力についても語られています。また、映画の内容やテーマに関する感想が共有され、政治的メッセージやアクション映画でない点、インド映画の文化的要素についても触れられています。

映画の力とメッセージ
インドの映画監督は、ほんとに政治家と警察が嫌いだねってのと、映画が大好きだねってのを思うね。
映画撮る映画だと思わなかったよ。
映画の力で、圧勢とか、そういう社会悪みたいなのを覆そうっていう、ムーブメントの映画だったね。
映画の力を信じているっていうね。
最近見たのだったら、ジャワンとかそうじゃん。
ジャワンもものにそうだったね。
今回は、さらにメタ的で、映画の中で、映画でもって、政治反体制、関係力をやって、それを現実のほうにもみたいなね、話ではあったけれども、
序盤見てて思ったのは、マッシブタレントとか、あと、最近ちょっと悪いほうで話題になっちゃってるけど、地獄でなぜ悪いとかね。
あれさ、最近さ、星野源がさ、あの曲をなんとかってやつがそれ?
うん、そうそう。
いや、私、あれの詳細知らないんだけどさ。
監督が、いわゆる枕教養とかしてたって感じなので、要するにそういう性的な教養を連想させるようなのを、紅白の年越しのめでたい時にやるべきではないという批判の声が上がってるのね。
え、ちょっと待って、紅白でやるつもりだったのが、この地獄でなぜ悪いの曲だったってこと?
そう、NHKが星野源に地獄でなぜ悪いをオファーして、これを歌いまして、発表された後、批判がね。
えー、めっちゃいい曲じゃんね。
そうなんだよ。歌と、あと映画も俺は面白かったと思うので、その、制作者の人格的な問題は置いといて、
今後歌えないとか、上映できないとか、そういうことにはならないでほしいんだけども、紅白の場にふさわしくないっていうのは、分かんなくもない。
そういう嫌なことを連想してしまう人が出てしまうので、別の曲に変えてくれっていう人の意見も分からなくはない。
これは別の話だからいいんだけども、とにかく、そういう悪党と、それを使った映画みたいなさ、のを思い出したね。
もう本当に、これはもう、地獄でなぜ悪いすぎるなって思っちゃったね。監督が素人だっていうところも含めて。
地獄でなぜ悪いの、長谷川博の監督のこと言ってんだよね。
いや、違う、星野源。
星野源の方?
星野源は監督だって言われて、連れてかれたんだけども、もちろん映画なんて撮ったことがないから、撮り方が分からない。
で、泣きついたのが長谷川博。
実は映画監督。
そんな話だったっけ?
あの、ギリギリ歯磨きレッツゴーみたいな、あの曲しか覚えてない。
そう、あの女の子に夢中になった、ゴールデンカムイで、ひじかたさんをやってた、あの人。
そうだろ、タチキロスじゃないよ。
あれ、誰だっけ?
つつみしんいち。
つつみしんいち、それ、それ、それ、それ、それ、それ。
うん、違う話で盛り上がってしまったけど、地獄でなぜ悪いの、なんか。
そう、完全素人の映画監督が、ヤクザ、マフィアの実際の出入りを題材に、映画を撮るという話、っていうところの共通点だけども、
あんなふざけた話じゃなくて、どんどんどんどんね、こう、シリアスでいい話になっていくなと。
コメディーじゃなかったのね。
ジガルカンダ、極悪軍団、地獄軍団だっけ?
登場人物の葛藤
連合。
極悪連合のボスであるところの、シーザーなんだけど、だんだんその人を、あの、映画のカメラを向けることで、あの、シーザー自身も、なんていうんだろう、こう、行動がさ、あの、だんだんよくなっていくし、
で、あの、撮ってるレイさんも、だんだんその、男ぼれ仕組んでるね。
そうだね。もうその、英雄の映画を撮ろうとしているうちに、真に英雄たらんという振る舞いになっていくっていうね。
まあ、それがあれですよね。その、シーザーを殺すために仕組んだ、その故郷の村の山頂とか、そういうところを見てっていうところだよね。
結局のところ、レイさん、本名なんだっけね。
忘れちゃった。
もう、ずっとレイ監督って、レイ先生だっか。呼ばれてたからわかんないけれども、レイさんも、その、シーザーが本当に、堅ひというか、こいつのせいですべてを失ったって相手だと知りつつも、でも、彼のことを気に入ってしまうというか、惚れ込んでしまうんだよね。
そこらへんが、カメラの魔力というか、現実だけを撮るというやつ。見えてるものだけが正しく記録されるっていうところを通して、見た結果なのかな。
だから、監督の映画愛みたいなのを、めちゃめちゃ語るよね。
でもさ、本当に、はったりで映画監督のふりをしたあとさ、普通に映画撮れちゃうのっていうのも、結構雑だよね。
そこはね、ちょっとご都合主義なところもあるのかもしれないけど、でもなんかその本物のピストルに対して、ピストル型の8ミリのやつを銃に相対することができるものとして、
そうね。それが前半のクライマックスの象徴的な絵だよね。2人がさ、池の両端に立ってね、銃とカメラを向き合うっていう。
昔の西武劇のクリント・イースト・ウッドの映画とかで、小屋のガンマンとか、ああいうやつなんですかね。見たことないんですけどね。
俺も見たことないけれども、ああいうシーンがあるからね。よく見るものね。
お互い立って、早撃ちの勝負をして、勝負を決するっていうような、
クリント・イースト・ウッドの映画の実際のあれになぞらえて、勝負をするっていう。
そうね。すごい映画ファンであるシーザーがクリント・イースト・ウッドの真似をして、そういうことをしていて、最後全く同じ構図でさ、レイが出てきて、
悪徳刑事と対峙するわけじゃない?その時に言うのが、シーザーが俺の憧れるクリント・イースト・ウッドはっていうのに対して、
レイは俺の憧れるシーザーはっていうところが、しびれるよね。
影響を受けた人が、その敵討ちをするっていうね。
とは言え、シーザーも相当な極悪人だし、最後に映画を流してくれた西田利幸二の議員さん、あの人も結構悪いことしてるよね。
刑事とか、その兄貴であるところの政治家とかね、役者兼政治家の人とかはもちろん悪いし、
首相もそうなんだけれども、マイボーイって言ってた彼も相当悪いことしてるというか、シーザーを使って人殺させてたりしてるよねとか、
他にも3人の大物を使っていろいろやってんだろうって言って、
ろくな人間がいない。
ただ、その中でシーザーはカメラで撮られて、
シーザーを、映画内でのそのシーザーをレイさんから演出受けて演じてるうちに、
なんかだんだんその、義族っぽい感じになっていくみたいなね、ヒーローになっていくんだよな。
逆境を乗り越える
義族っていうか普通に正義のヒーローだよね。
レイさんも最後普通に刑事打ち殺してたし、
っていうかさ、その刺客を4人選ぶにあたってさ、
善家というか殺人処犯の元警察官4人ってそんなにいるのかよって、インドには。
人を殺して投獄されてる警察官がそんなにいるのかよっていう意味でも、
本当に警察と政治家は信用されてないんだなって。
怖いわ、インド。
そういう悪性が普通にあるから、
映画のアーティスト側の人たちが、どうにかせなならんって言って、映画の力を信じて作ってるんでしょうな。
そうだね。
あなきはお前がアートを選ぶのではない、アートがお前を選ぶのだみたいなことがね、出てたよね。
もうわかるな、とにかく映画っていうものがインドの大衆には大人気であって、
そういう何らかの構造的な問題とかを打破する力を持っていると信じられているんだねっていうのはね、見てて思った。
インドの映画撮る映画といったとエンドロールの続きとかも思い出すけどさ、
もう素直に映画を撮ることへの憧れとかそういうようなことを形にする映画だなと思うのよね。
他にも映画撮る映画いくらか見たけどさ、フェイブルマンズとかさ、
今回のもそうだし、エンドロールの続きもそうだけども、
けっこう映画というものに対してピュアピュアな思想が感じられていいなと。
ピュアピュアであるし、あとフェイブルマンズで言えばさ、真実を、
えぐる。
国名にえぐってしまうので、使いようとか編集の仕様とかによっては、
人の心を豊かにする反面、傷つける道具にもなるっていう話だったじゃん。
そうですね。残酷さを描いてたね。
そう。まあまあ、うん。
あ、まあまあ、うんうんうんっていうようなね。
そうなんだよね。だから本当ピストルになぞらえているのは上手だなって思いました。
なんかタイトルのさ、いかつさといいさ、ダブルXなんていうところもさ、見てたから、
ゴリゴリなアクション映画だと思って行ったんだよね。
そしたらこんなに、なんというか、メッセージ性の強い映画だとは思わんかった。
なんか、最初の前半は割と、前半の最初の方は、けっこうあっけんに撮られてたんですよ。
あれよあれよと、うんうんってなってたんだけど、
あの、真ん中すぎて、後半のすごい疾走感というか、もうなんか、すごいいいなって。
ね。最後の戦いも対抗叩くっていうのがさ、殴る蹴る撃つじゃないんだよね。
あの辺もすごい。そういう一人で全て解決できるヒーローはいないんだっていうね。
物語の核心とキャラクターの結婚
なんかその銃とか、殺すことで対抗しても何の解決にもならないっていうのを、反抗はしてるのよ。
民族に伝わる太鼓と化粧で、意識はその屈してないんだけれども、
その殺されて行く様を記録に残して、あの知らしめることで復讐を果たすっていうね。
そうね。その早く逃げろってそっち見て思いっきり言っちゃうのを、居場所がばれるからやめた方がいいのではって思ったけどね。
だけども、最後にそのシーザーさんが後ろ向きに撃ち抜かれてた理由がね、あそこでわかるんだよね、映像でね。
そちらを向いた瞬間に撃たれたと。
あ、でも衝撃でしたな。
あとパインギリさんと赤ちゃんが生きててよかったねって。
おもむろに結婚したわね、あの2人、れいじさんと。
あそこで知り合ったぐらいの勢いだったけどね。
あそこで知り合ったんじゃない?どうなんだろうね。それまでにもパインギリさん映ってたかもしれないけど。
パインギリさんは、警察に閉じ込められてた村の人たちが出てきた時に、その家族の人がパインギリよかったって言って、抱き合って泣いてるところがあったから、
結婚した瞬間に知り合ったというわけではないけれども、でも2、3日前に知り合ったぐらいの関係だよね。
なんか、え?一目覚め?いい感じ?その流れで結婚式?
なんか、冠婚葬祭の結婚式のカットを入れたかったがゆえの流れなのかなと思いつつも。
その学生時代の愛しいルルドはどうしたんだよっていうね。
なんだったんだろうね。彼女はね、もう全然出てこなかったよね。
ストーリーの伏線と映画の魅力
ほんと、おもむろに結婚しててちょっと。
その赤ちゃんを逃がすためのね、ギミックとしてのパインギリさんなんだけども。
でさ、最後すごい不穏に終わったじゃない?
あの、息子さんがセイドゥ君って名前になってたじゃん。
で、ちょっとジガルタンダの前作のね、あらすじを見たら、主人公がセイドゥなんだ。
なので、たぶんそこに絡むのかなと。結局そのセイドゥさんはギャングらしいんだけれども、ああいうふうに狙われても無事生きて育ってギャングになってるっぽい。
ので、ワンにね、あの殺そうとした人がまた出てくるのかもしれないけれども。
これさ、あのダブルXが1970年ってことは、あのジガルタンダの一作目の過去タンダだったりするってこと?
そういうことになるんじゃない?
で、その時の彼がセイドゥ君でしたってなって、で、あの、Xが3個なって続くよみたいな感じになってたじゃん、最後。
ああ、Xが3つか、トリプルX。
そうそう、やるんだ、これ続くんだってなって、だからセイドゥのその後をやるのか、それともあの、
分かんない。
こっちに繋がっていくみたいな。
そうそう、無印ジガルタンダがそのダブルXの未来の話なんだとしたら、その間を繋ぐ話とかやるのかもしれないけどね、まあとにかく不穏だったよね。
あれ、殺そうとしてたのって、あの、前ボスの息子かな?
前ボス?
エピソードの感想と結末
最初にさ、シーザーさんが出てくる時に、こう、元ボスだった人が裏切って玉座をぶっ壊そうとするじゃない?
そんで、シーザーがムチで玉座をスッと引いて、で、返り討ちにするというシーンがあるじゃない?
で、その人と一騎討ちするでしょ、銃で。で、殺すところを息子と奥さんに見せてくる。
あー、やってたやってた。
で、その息子がシーザーを殺そうとして、車で突っ込んでくるじゃない?
ヤカラを雇って。で、シーザーはその車に突っ込んで全員を叩き出して、でも殺さない。で、男になってからもう一度来いっていうシーンがあったじゃない?
で、最後シーザーが死んで英雄になってしまって、で、あいつの血を根絶やしにしてやるって言ってたあいつは、
男になって帰って来いって言われた前ボスの息子だったのかなと。ちょっと顔覚えてないけどさ。
シーザーの子供まで殺そうとする動機がある人ってあの人しかいないよなと思って。
なるほどね。
一族の血とかの血縁の何?因縁みたいなのがさ、脈々と受け継がれていくストーリーってこと?
ゴッドファーザーって私見たことないんだけどさ、そんな感じのストーリーなの?
俺もゴッドファーザー1しか見たことないから。2が名作らしいけどね。
ゴッドファーザーもな、見といた方がいいんだろうなと思いつつ、見ていない映画の一つ。
あの、バービーで擦られてたよね。男はゴッドファーザーの話をしたがるから興味深く聞いてやれば喜ぶみたいな。
でもさ、なんかさ、今回ジガルタンダ見て思ったけれども、映画館で見てよかったと思う。家で見る無理。
長いね。
長いというか、絶対最初から最後まで面白いなと思って見れないと思う。家じゃ。私は集中力続かないから。
俺、これ何の話なんだろうなと思いつつも、最初から最後までわりと面白かった。
後半のね、加速はものすごかったけど、前半は前半で。
あとさ、あのなんだっけ、この子はわざと山に野放しにしてたのよって言われて、シャッターアラさん?誰だっけ?
そんな感じの、シェッター兄。
シェッター兄?
うん。
あの人すごかったね。山の部族みたいな感じでさ。
ね、四つん這いで移動して戦うアクションとかね。
キングナムの妖端は率いるあれみたいじゃん。なんかさ、山の広大な森の中では、高機動力を活かして、自由自在に動いて、相手を翻弄したり、象を一人で何頭も狩ったりできるんだけど。
銃も扱えるっていうね。
そう、割と万能な野生の戦士って感じなんだけど、ただ、あのシーザーさんはわざと洞窟みたいな、なんだあの穴はって思うんだけど、あそこに追い込んで、その機動力を防ぐわけですよね。
で、シェッター兄を野放しにしといて、その地域の動物やら何やらをネダヤシにさせて、売り飛ばそうとしてたとかいう収集長の企みもわけがわからないので、突然ものすごい悪の本性を出してくる。
わかりやすいんだよな、インド映画の悪人はって。
田舎の部族なんか、さっさと始末しておしまいみたいなことを言って、おーって。
あとは久々にこう、重心が低くて密度の高そうなおっさんが主人公の映画、インド映画だったのもよかったかな。踊るときもおっさんだけだしさ。
今回よかったのは、土臭さ、泥臭さ、緑と土の無着感というかさ、のある踊りが、チャラ臭くなくてよかった。
手足が短いからね。
肉感がね、肉圧が発生するような、見ててすごいパワフルなんだよね。
昔ながらのインド映画のヒーローのスタイルだよね。
だから、ラジニカント系だよね、どっちかって言うとね。
ラジニカントとか、囚人ディビとか。
そう、ああいう感じ。その辺で残念だったのが、こないだのジャワーンで、ちょっとチャラ臭かったのと、踊りにパワーが足んなかったんですよ。
今のインド映画は、ああいうキャラクターも多いからね。
なんか、シュッとしてるのはいいんだけれども、なんかその、命の躍動というか、すごいこうさ、圧倒的パワーみたいなのを感じるタイプのインド映画ってあるじゃない、やっぱり。
おおーってさ、圧倒される、心が震える、そういうタイプのやつって、なんかインド映画だなって勝手な一部なんでしょうけどね、インド映画の一部の側面なんでしょうけど、
やっぱりなんかその、理屈抜きに震わされるものがありますよね、っていうさ。
でもさ、レイさんの映画の中で、そんなわちゃわちゃもちゃもちゃ踊ってないでさーって言ってさ、もっとシャキッとせよ、みたいなこと言われてたよね。
ああ、奥さんが途中で何やってんの、みたいなこと言ってるシーンとかね。
結構、当たりがきつかったね。
いやー、普通に誠実な男と結婚したら、どんどんろくでなしになってったら、当たりもきつくなるだろう。
お父さんもね、象のたたりで息子が死んだと思ってるから、どんどんおかしくなってって、最後にはアッティラが許してくれたーって、喜びの中そのままぽくりって。
おじいさんの挙動も、あとおばあさんもずっと上向いてて、なんか白い向いてる感じだし。
まあ、とにかくお父ちゃんは幸せに死にたんではないのかなと。
そうだろうね。象に許されて、ずっとね、怖かったんだよね。
田舎の森の故郷を捨てて、町に出て、出たけど、実家に帰って、実家は朽ち果ててたけど、見て、あーって息子のこと思い出したーってなってたよね。
殺されるーって言って、象に近づきたがらなかったけども、許してくれて。
許すーっつって、ぽんぽんぽん。
許されたーって直後に死んじゃうから、結局死ぬんかいって思った。
お迎えでごめんなさいっつって、あー死んじゃったーって。
だけども、スーパーハッピーで死ねたから良かったのかなってね。
あれはちゃんと葬式をやりたかったんだろうなって思う。
映画のテーマとメッセージ
一気に立て続けに、結婚式と葬式をどんどこ見せられるから、謎のスピードで、どんどん1日で話が進みまくるっていう。
情報量がすごいんだよなー。だからさ、映画としてさ、アクションもちゃんとやってんだけども、見るべきはそこじゃないんだよね。
アクション映画ではなかった。それが結構予想外。
テレビとかそういうのではなくて、もうちょっとこう猫の方の太いテーマをなんかやってるのがね、良かったっす。
なんか、再三引き合いに出して悪いんだけど、ジャワーン。
なんか最後、選挙行こうっつって。
まあそんなわけだから、選挙行こうって感じで、まあなんか比較して悪いけど、チャラくさいよねって思っちゃう。
ストレートだった。いやいや、それはあれです。
ケレ見合ったのはいいんだよ。
いや、面白かっただろうが、イケメンだから、チャラくさいって思っちゃいけないよ。
でもさ、あれさ、なんかインド映画界で、超名を成した、キングカーンをたたえる歌で終始して、カーン押せ押せ、オレオレみたいな、そういう映画だったじゃん。
で、最後、選挙行こうっつって。
そんなポーズは撮っていいよ。
そんなポーズは撮っていいよ。
ちゃんと誠実に、みんな考えて一票入れんなよ、みたいな積極さい話だったけど。
まあ、絵面的なケレ見とかね、そういうので面白いところはあったけど、
どっちが骨太って言われたら、アジガルタンダーの方を、なんかすごいこう、もちろんご都合主義というか、変な流れのところは、
あるっちゃあるけど、なんか良かったよねっていう感じは、私はした。
なんというか、こっちの方が結構、残虐というか、仕掛けられたものの痛みがさ、ダイレクトに来る話だったから、そういうところもあるだろうね。
だから、みんな太鼓叩いて、あまんじてじゃないんだけど、銃で撃たれて死んでいくっていうところが。
そうなんですよ。結局、民の側は無力なんだよね。
だからこそ、映画という銃を使わなければいけなかったっていう話であるに対して、ジャワンはスーパーヒーローがみんなぶちのめしてくれちゃってるから。
そうでしたね。
そういうとこでも、政治的メッセージの重みはね、どうしても変わってくるよねっていう。
民が抵抗する話が、ジガルタンダなんだけど、ジャワンは、圧倒的スーパーヒーローの偽族みたいなのがいて、っていうようなね。
私、ジャワンそんな好きじゃないの。俺、めっちゃ面白かったけど。
あれは、あれの話だよねって思うんだよ。
ただ、最近さ、見たさ、たまたま映画で、政治の腐敗とか、選挙とかさ、そういう政治的に訴えるメッセージの映画ではあるわけでしょ?両方とも。
軽く感じるっていうのはわかる。比べたらね。
インド映画の文化的背景
やっぱり、なんかその似たようなもので、似たようなものというか。
そういうのが発生しやすい土壌がインドにはあるのだろうけれども、
日本に入ってきたものだけを見てるから、そういうふうに感じるのかもしれないし、なんともだよね。
あと、思ったことはさ、結構あっちの人って信心深いじゃない?神に祈るんだけども、そのわりにさ、結構他人のことを、お前神とかさ、ゾウ神とかさ、なんでも神弱割りすんのねって、結構思った。
その辺の軽さは、日本ぐらい軽いなと思って。
あんた神だよ。
というのと、普段祈りをささげてる神と、どう折り合いつけてるのか、よくわかんなかった。
唯一心ってわけじゃなくて、尊敬の念ってことなんですかね。
日本人が使うぐらい神が軽いなと思った。
今年の劇場映画はこれで締めですかね。インド映画で締めて、1月3日のカルキでインド映画で始まる。始まるのかなって、ちょっと今日予告見て思ったわ。
そうかもしんない。
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