導入:自然の音と現代社会
まちほくラボの八枚おろし この番組はまちほくラボの提供でお送りいたします。
6月も第2週目。 すっかり新緑の淡い緑の、
そう、うぶうごえにも似た繊細な美しさの季節から、 緑の色が力強さと勢いを増してくる。
そんな季節となりました。 雨の季節ともなりますね。
こぶち沢の森から、アンジーでございます。 この番組、まちほくラボの八枚おろし。
第2週目は、大自然の環境と田舎地域のことをテーマとしてお話をしています。
もう数年にわたるアンジー、わたくしごとアンジーが続けて、
そう、あのNHKラジオ深夜便の放送にも、 勝るとも劣らない究極の地味さ、静かさとともに、
内面の考察と世相の変化、 そして揺るがない大自然の原理原則など、
あえてゆっくりとしたお話でしてきております。 ラジオ番組もFM放送ともなれば、
ほぼ必ず軽快軽妙なBGMの音楽とともに、 トークが主流なのであります。
音楽というものは、雰囲気を生み出しますし、 心を軽やかにも導きますが、
ある意味で気分の誘導ともなり、 本質を見失わせる誘惑ともかみひとえ。
ショッピングセンターに行っても、コンビニの店内でも、 すべてのBGMをもしも止めてしまえば、
お客様は冷静になってしまって、 売上は下がってしまうと言います。
私たちは現代生活の中で常に商業的にも煽られ、 政治的にも恣意的に誘導され、
時には悪意をもって誘惑もされてしまいます。 その気にさせられ、乗せられていることは気づいていないという無自覚にならされてしまってもいます。
軽妙なFMラジオの電波でも、月に一度くらいは、 静かで重たくてじっくりとした本質に立ち返る。
そんな時間を、個人哲学をお持ちの皆様、リスナーの皆様と 共有してみたいとも思っているのであります。
5月の後半に、つまり先週のことでありますが、 私、安寺にとって最もと言ってよいほどの嬉しい出来事がありました。
というよりも、誠に嬉しい出会いがあったと言うべきでしょう。
出会いと言いますと、誰か有名人と知り合ったとか、 憧れの人との関係ができたとか、想像されるかもしれません。
うーん、どちらかと言えば、その後者に近いのかもしれません。
しかし、そのお相手とは人ではないのであります。
そしてそれは、想定をしていない場面での出会いでもありました。
この出会いのお話は、後段に譲るとしまして、 お話を耳に入ってくる音というものに戻してみましょう。
小淵沢の森での暮らしと自然との繋がり
冒頭にBGM、バックグラウンドミュージックのことにも触れてみましたが、
ひるがえって、自然の中の音となるとどうでしょうか。
数日前には台風がやってきて、大雨が降りましたね。
見舞われたとも言うべきでしょうか。
少なからず暴風雨に見舞われた地域や被災の方に対しては、 お見舞いを申し上げなくてはなりません。
自然とは、時に猛威をふるい、私たち生命体には一時的な脅威ともなります。
さすがにあれほどの雨が降りますと、家の中にいても雨音は聞こえるものです。
暴風雨ともなれば、そう会話も困難になるほどの音量ともなります。
私たちにも生き物たちにも優しくないレベルと言えます。
では、静かな雨音はどうでしょうか。
私の接宅は小淵沢の森の中にあります。
自らセルフビルドをしてみた家に暮らしておりまして、
高級で最新建材の大邸宅とは全く対極にある家なのであります。
小屋と言ってもいいかもしれませんね。
屋根材は、さすがにトタンではないながらもガルンバリウムの金属合板でありまして、
雨が降り始めますと、ポツリ、またポツリと一滴一滴の雨音が室内でも感じられるものです。
洗濯物を干したりしていても、いち早く幸運に気づくことができる、そんな家なんですね。
ここで何を言いたいかと言いますと、私が暮らす家は、
周りの森の外界とほぼ遮断されていないということなのであります。
雨音に早く気づけるということの利点の一つ、これも利点の一つなんですね。
それからほぼ全ては無垢の木材で作っておりますので、
構造材も床材も壁材も木が塗っているという被膜なく存在しますので、木が呼吸をしているわけです。
呼吸と言いますとやや語弊があるかもしれません。
木の繊維が空気や湿気というものを常に吸ったり吐いたりしているというべきでしょうか。
木材は無垢であれば細胞の命としてはもうないものなのですが、そんな機能が維持されているわけです。
我が家に来客がありますと、多くの方がこの部屋は木の匂いがすると言われます。
自然物というものにはそんなことは多々ありまして、
例えば松ぼっくりなど、もう生きた生命体ではすっかり無くなっていても、水につけて水をすっと閉じたり、また乾けば開いたりという機能はずっと持ち続けているんですね。
子どもたちをごく素朴なそんなリアルな実験観察に導くということはよくしているものです。
木とは柱や板剤など建材となってからも全くその性質を失わないものなのであります。
大自然の外界と室内とが遮断されていない。
室内環境が外界自然に近いということであります。
だからこれは現代人の特に現代日本の暮らしとしては不便さであったり快適ではない場面の方が実は多いのです。
外が強い風が吹きますと、接宅の中は隙間風が吹き込みまして、室内でも空気の動きをリアルに感じられるものです。
小淵沢などは冬ともなりますと氷点下の低温はごく日常でありますから、部屋の中も相当に寒いわけです。
資源節約とかもったいない精神とかエネルギー消費は最小限にしたいなという気持ちは私ら地にもたっぷりとありますから、
冬の我が家室内での部屋着は家族全員当然に厚着となります。
元来外出時に着用するような外套厚着を室内専用として着用しているのです。
薪ストーブもペレットストーブもありますが、これを使う時間はかなり限定的であります。
寒くないかといえば寒いわけですが、そんな生活はストイックだと言われそうですが、実は私自身は楽しんでいますし、
家族も付き合わされてもうすっかり慣れっ子でもあります。
そんな少資源の日常生活を環境省あたりには表彰してもらったりご褒美くださる制度がもしもあるならば、
我が家などは真っ先に金一風なのかもしれませんね。
うーん、私も所詮は金まみれそうなのかもしれませんね。
そんな私の暮らしや切宅の様子はさておき、お話をもう一度自然界の音に戻しましょう。
自然の音を聞き取るための感性
現代の喧騒や人工的な騒音に常にさらされている生活環境では、自然の営みのかすかな音、
また、かすかでなくても聞こえているはずの音に気がついていない、または認識をしていない、
聞こえていても聞いていないということがとても多いと思うのです。
または、同じ環境に耳を置いていて、同じ音を耳は聞いているはずなのに、聞こえている人と聞こえていない人という差が出てきますね。
聞こえているというのは、認識を伴って聞いているということです。
聞こえていても聞いていないというのは、意識が別の次元や感心に飛んでいってしまっていて、上の空の状態ともよく似ています。
特に、微妙で繊細でかすかな自然の音となりますと、その差は歴然としてきます。
感性のアンテナの鋭さ、アンテナの感度の違いとなって現れてきます。
人は、人と会話するコミュニケーションをしているときには、そこに神経を集中しがちですから、大会の音はかなり気づけなくなっています。
また私自身も、たとえば野良仕事で気を切るチェーンソーや刈払機など、エンジン音やモーター音が近くにありますと、自然の音は全く聞こえなくなります。
自分自身が使っていなくても、そばで車の往来が多かったり、重機械が一台でも稼働したりすれば、やはり自然界の音。
言い換えれば、自然界からのメッセージが感じられなくなってしまいます。
だから、静かであること、環境が生命を優しく包む場面では、あらゆる繊細な営みの音、またはかなり遠くからの音もキャッチすることができます。
また、耳に入ってくる音量だけの問題ではあります。
受け止める耳、受け止める心、私たちの心の持ちを、感受性なるものが研ぎ澄まされているという状態。
大自然と自分自身の体の波長やリズムが同調しているということも、感度に大きく影響してきます。
自身の内面がイライラしていたり、慌てていたり、焦っていたり、あるいは急いでいたりなどでは、やはり聞こえるものも聞こえなくなるのです。
だから、やはり静かであること、そして心が平静であること、できる限りそんな環境や時間を保とうと意識すること、これは大切なのであります。
オフィスの環境など、一日中同じ一定の温度でのエアコン管理。
夜はといえば電気が高校とついていて、明るさも日中とあまり変わらない。
暗い環境などはほぼ寝るときだけ、または移動をするにも段差のないバリアフリーな室内空間。
これらは住宅環境としてもオフィス環境としても良いこととされ、もてはやされ、快適環境、人に優しいとされるのが現代なわけですが、本当に人に生命に優しい理想的な環境と果たして言えるでしょうか。
この静かで地味すぎる親父トーク、アンジートークも少しはその意図を受け取っていただくことはできるでしょうか。
アカショウビンとの再会
さてここで一旦ワンブレイク。
大空に想いを。
こんな楽曲をどうぞ。
さて、5月の後半にとってもとっても嬉しい出会いがあったことに触れました。
人との出会いではないということもお話をしました。
さあどんな出会いだったでしょうか。
そしてそれはどんな自然環境や場面での出会いだったのでしょうか。
後半はそのことをお話ししてまいりましょう。
出会いの相手方は野鳥なのであります。
出会いといってもこの鳥の姿を目にすることは実はかなり難しくレアなことでもあります。
5月の終わりに私はこの待望の野鳥と実は二度も遭遇する機会に恵まれました。
待望というくらいですから私はいつもいつも待ち望んでいる鳥なのであります。
私が主催する森ソウという自然活動のシンボルマークに使っている鳥のシルエットもこの鳥なのであります。
今から30年ほど前であればこの鳥はコブチ沢の森ではそれほど珍しくなく出会うことができる野鳥なのでした。
その姿も繁殖期のオスのさえずりもかなり特徴がある鳥ですから、
もし出会えばもしくはそのさえずりの声を聞けば一発でその鳥とわかる野鳥なのであります。
アカショウビンの特徴と環境の変化
その姿とはほぼ全身が赤色もしくはくすんだ赤色赤系の褐色とも言えるかもしれません。
そして羽の一部だけが空色ごく一部なんだけど空色と言いますか水色がちらっと覗くそんな鳥の姿なのです。
くちばしは大きくて目はつぶらな黒色で愛嬌もあります。
オスとメスの姿の区別というのは遠目の姿ではなかなか難しいです。
よく似ているのです。
しかしさえずりが聞こえれば継がいでいるとまたは継がいになる寸前であるということは美しいさえずりはオスの声でありまして
真似することはかなり困難なのですがひゅーるるるーひゅーるるるーなんととこんな感じですね。
野鳥好きの方ならばもうお分かりのことでしょう。
その鳥の名は赤翔瓶であります。赤翔瓶。
かつてさすが八ヶ岳の森林環境ごく普通に毎年6月から7月夏の頃に大陸や南方から渡ってきてくれる夏鳥なのであります。
ブッポグソウという鳥の仲間でもありますね。
さらに皆さんが比較的知っているカワセミという水辺の鳥とも親戚であります。
海を渡って日本列島に夏ごろにやってくる。
それほど大きくはない小さな体でよくも長距離の渡りができるものだと毎年愛おしくなります。
出会うことができればようこそという感じですね。
かつてこの鳥との出会いは八ヶ岳南六高原では6月半ばから7月になりますとしばしば見られたものです。
しかし今回は5月の終わりになんと2回も違う森での出会いが私に訪れたのであります。
5月に出会えたのは私としては初めてのことです。
30年前まではと申し上げましたが実はここ十数年来この鳥との出会いはほぼなくなってきてしまいました。
数年に一度どこかで遭遇ができればかなりラッキーで一度も出会えないという年が続いていたのです。
だから八ヶ岳環境の大切な一つの指標として私は位置づけております。
どんな環境の変化がそのような渡りや繁殖の変化をもたらしたのかは一概には言えません。
温暖化の影響なのか農薬により餌となる魚や虫たちが激減してしまったのか
原因はいろいろと考えられますが緻密な調査はなされていませんからいずれも仮説の域を出ません。
でもフィールでの強い関心を伴っての私たちの観察とは事実の観察記録でありまして
個体数が激減してしまっているまたは渡りに大きな変化が生じていることだけは紛れもない事実であります。
私NGの活動行動の範囲だけのデータではありますが事実なのです。
知人の鳥の専門家や野鳥ファンにたくさんヒアリングしてみてもやはり滅多に出会えなくなったなぁと言われます。
今年2026年の嬉しい出会い単に私が嬉しいというだけでなくこの出会いの検証としてしっかりと記しておきたいことなのであります。
そしてそのエッセンスは3つのことが含まれます。
環境変化への考察と今後の展望
第一にはその出会いの地は森が壊されていない人があまり人為の手を加えてない森での出会いであったということです。
近くに清流や渓流の水辺環境があるということも共通のことです。
その蒸留域は人為を含めた汚染や開発がなされていない場所であったということも共通であります。
第二に出会えた時期であります。
夏鳥と言われるように6から7月であった渡りが5月にすでに渡ってきたということ、これはやはり気温との関係があるのでしょう。
2026年、今年は桜も桃の花も唐松の芽吹きもほぼ全ての植物の春からの緑の展開、半月から1ヶ月も早い成長が目立ちます。
私の暮らす森の中でも5月下旬にすでにもみじいちごなるおいしいキイチゴがすでに実っています。
例年は7月のことなのであります。
ここまで変化が大きいと森の虫も鳥もカエルも魚もその適応に戸惑いつつ苦心しているのではないかと心配になります。
植物の緑の成長は旺盛ですが例年とは違うということになります。
人間はといえば暑い暑いと言っているだけでエネルギーのさらなる大量消費にてエアコンの室内快適を貪るばかりですが、
大自然の変化の営みにより近い野生の生き物たちの生態にもっと関心を寄せ身を寄せ私たちも生命体としての野生の感性、
自然を遠ざけて快適にするだけでなく自然にしっかりと寄り添う身を置く適応や純能型というのがこれからの近未来の暮らし方働き方としては目指したいものです。
田舎者は特にそうであります。
大自然を好んでこの地に移り住みエアコン室内に閉じこもっている人が比較的目立つように思います。
感性感覚は残念ながら鈍ってしまいます。
アシャカショービンの声はそれなりに遠くからのものでありました。
耳を澄ますほどのかすかな音でもありました。
自分自身の心が落ち着いていて感度も良くなければ感性持っていなければおそらく気づけなかったかと思います。
そしてこの二箇所、もう一つの第三の共通点があります。
それは、実は神域の森、神宮神社林での出会いであったということです。
山の神、神域の森とは希少なアシャカショービンたちにとって、いかに心地よく都外での営みにふさわしい環境だったのでしょうか。
何か神聖な優しさがそこの地にはあったのでしょうか。
私がこれから手がける小淵沢での森のミニネイチャーセンター、大滝流水のある聖地公園での準備は進行中です。
繊細な感性を失わず、深い自然とのコラボ、そんなことを目指す方たちと仲間を増やし、自然に目を向ける、そんな活動をこれから共に展開できればと思っております。
ご関心がある方はぜひ小淵沢大滝流水の地へお出かけください。
赤小淵をともに、八ヶ岳の森に呼び戻しましょう。
安寺でした。
この番組はまちゅんクラブの提供でお送りしました。