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2026/04/13 まちほくラボの八枚おろし(あんじー)
2026-04-22 26:09

2026/04/13 まちほくラボの八枚おろし(あんじー)

地域コミュニティ、一人一人の意識、水の精アクションへのお誘い

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サマリー

この放送では、地域コミュニティと自然との関わりについて、小淵沢町での新しい町民アクション「水の精アクション」が紹介されます。現代社会の混乱や自然の変化を踏まえ、人々が互いに感謝し、支え合うことの重要性が説かれます。特に、小淵沢の豊かな水資源に焦点を当て、その恩恵に感謝し、地域住民が主体となって自然を守り、心のつながりを育む活動の意義が語られます。このアクションは、経済効果や観光客誘致よりも、地域住民の心の豊かさや連帯感を重視するものです。

地域と自然、そして新年度の町民アクション
FM八ヶ岳 まちほくラボの八枚おろし
この番組は、自然豊かな高原エリアで、「つながる」が合言葉。 政治・自然環境・福祉・文化芸術・子供の育成など、それぞれの分野の人たちが集代わりで登場し、自由に未来語りをします。
この番組は、小渕沢のまちほくラボ株式会社の提供でお送りします。
4月も半ば、甲州から新州、すべての木々の花がこんなにも開花が早い年は、かつて記憶がございません。
お花見のご予定が想定通りで行かない方も多かったことでしょう。
小渕沢の森から、あんじーでございます。
毎月第二週目は、地域と自然のことをお話をしております。
さて、新年度を迎えまして、今回は小渕沢町での新しい町民アクションについてお話をしてまいりましょう。
国際社会は、大きな混乱と石油途絶の不安、心なき殺戮の応酬が止みませんね。
自然界は、春の花が少し早く咲いてしまうというのは、記憶にないとは言いながら、
地球大自然の営みから見れば、これも想定の変化の範囲内であると私は思っています。
暖かいかと思えば、また突如として低温に見舞われます。
自然の営みとはいつも同じではなく、気温も諸般の環境も向上的な刻々の変化を繰り返してきているのです。
だから、あらゆる生命はその変化を覚悟して、適応できてこそ生き残れるのであり、
忍耐対象できてこそ命の輝きの時を刻めるのであります。
その変化とは、あくまでも必然なのであり、予測もしがたく、時に突如の圧倒的な自然被害をももたらすのであります。
そういう意味では、これらを避けて通ることはできず、覚悟して受け入れて対処するしかない宿命なのです。
安心・安全という言葉、異性者や行政世間は献殿を致しますが、そんなものそもそもないのだと私は思っています。
古より東洋の仏の教えも、人生は少量病死と四苦八苦が本質であると解かれてきています。
いやいや、それでは絶望ではないか、生きる意味が見出せないではないか、しかしそれは違うのであります。
少なくとも世の中が平和でさえあれば、理不尽や不運、予定通りには運ばないことに直面しても、
私たちはいつも何かに希望を見出し、なぜにこう育て、どうして社会を進歩させようとするのでしょうか。
今日も朝を迎えられた。今日も楽しみにしていることがある。今日も成すべきやりたいことがある。
生命として与えられた命に感謝し、前向きに生きる。身近なみんなのため、または誰かのためになる、そんな存在でありたいな。
幼き子や夢見る若者たちが、このように純粋で前向きな気持ちで生きていかれる地域社会とは、どこにどのように存在ができるのでしょうか。
ミサイルまで飛び交う、きな臭い世相に翻弄されつつある今、でも、小さな田舎町の私たちは、この時代をどう生き、どんな町、どんなコミュニティを、どんな心のつながりで作り、営んでいけばより良いのでしょうか。
未来を明るくするのも、暗くするのも自分次第。一瞬先は光。という言葉、ある東洋哲学の方面から聞こえてきました。
そもそも、一瞬先は闇というのは覚悟のお話、その覚悟も大切なことではあります。しかしながら、今が闇であると感じたならば、一瞬先は光にもできると考える時、前向きな意識とアクションは訪れるのです。
小さな田舎町や地域社会を作っているのは、まさに町民一人一人ですから、町がどのようになっていくかは、町の礎である底辺の町民の心持ちや連携の所作振る舞い次第ということになります。
がんらい、市長や行政組織職員のたりきにばかり頼るものではありません。小さな気づきと心を前向きにする人々のアクションセーマはたくさんあるのです。
現代人がやや不得意なこと、自分のための利子ではなく人のため利他を地域コミュニティの基本に考える習慣を今一度思い起こしたいものです。できることは身近にいくらでもあります。
そして誰しも家族がいてくれて、ご近所も身近な人がいてくれて、町にはいろんなことを得意とする人たちがいる。だから困ったときや足りないときには誰かが手助けをしてくれる。またその逆もある。
こうした日常は異なる立場の他人を警戒するだけの寂しい狭い心ではなく、共に身近にいろんな人がいてくれることへの感謝の念と連帯の日常が生まれてくるのです。
例えば、地域で区や組の何かの役職が回ってきて、責任を担わなければならないとき、「ああ、めんどくさい。やりたくない。誰かやってくれればいい。」と利好心で思うだけなのか、それとも、
「ああ、ありがたいな。いかにして人のためになれるだろうか。感謝と共に報えることができるだろうか。」と楽しみにすら思う。利好と利多とは天と地ほどの開きがあるのです。
さて、私たち日本人は過去の時代にどんな地域コミュニティをつくって、その生きない関係を保ってきたでしょうか。
この半世紀、いな、ここ百年ほどで豊かな物質文明社会にはなったけれども、寿命も随分と長くなってはいるけれど、すっかり変質してまったこと、失われた習慣、もう一度復活させたいことはあるのです。忘れていた日常を失いつつ、ある日常を復活させるのです。
まずは大地への感謝、野良に淹れて、時に野良に淹れて大きく汗をかく、こんな大地とつながる感性の世界、それは小淵沢にも北徳島にも数多く存在している禅宗寺院の座禅修行の境地とも重なりますね。
私たちの地域には圧倒的に禅寺が多くあることは再認識をしたいものです。わざわざ座禅修行とは意気込まなくても、日常の中でいつでもどこでも姿勢を正し大地を感じ、生命の呼吸を深く感じることはできるのであります。
今や座禅の文化風習は希薄にはなっているでしょうが、新しい町のお話としてその根源に据えるべき、町民一人一人の意識の持ちよう、心の在り方、暮らしの変化ということを語ってまいりました。
さあ、後半はどんなアクションが小淵沢で具体的に計画されるか、そんな実践の輪がすでに開始されていること、そのお話をしてまいります。
ミサイル飛び交う殺伐という世界現実の中、やはり地球は美しく平和な瑠璃色であってほしいと願うのであります。
この星の瑠璃色を取り戻すためのとても小さな山の町での新アクションのこと、ようやく後半でお話をしてまいりましょう。
小淵沢の歴史と水の恩恵
北駒郡小淵沢町、かつて山梨県の北西の隅っこに小さな面積の町がありました。
さらに遡れば、この町は篠尾村と小淵沢村に分かれていました。
駒という地名は古い文献にも登場していて、馬との関係も深いもので、それで駒という音があるとも言われています。
私が暮らす西の橋の集落内にも縄文の遺跡がいくつか発見され、調査もされていて、岩の窪遺跡との学術的な文献にも命名が確認ができますから、
数千年、数万年を遡って縄文や旧石器の時代からも人々の営みが永遠と続いてきているのです。
そんな自覚は、現代のこの町の人々にどの程度の意識や認識としてあるものでしょうか。
一体、いく世代の継承を重ねてこの地域を形成してきたのでしょうか。
さらに、人が生きていくために、というよりも全ての生命が生きる必須の大前提とは、水なるものがそこにある、水を飲み使うことができるということ、あまりにも当然なのであります。
世界には水が極めて乏しくて希少であって、人が生きられない、または殺伐として過酷な大地というものは存在しています。
地球以外の月や火星なども現在そのようでありますね。
水自体の品質ということにも大きな差があります。
人がそのまま飲めるほどの水、清涼な水、これらが自然界からの恵みであるということ、この恩恵の奇跡。
そう、まさに小淵沢の地で人が営みと小さな社会コミュニティをずっと続けてこられたのは、水道制度のおかげなのではなく、大地からの恩恵そのものなのであります。
人々は、先人たちは、この水をいとも大切にしてきました。
大感謝がそこにはありました。
石油の枯渇などよりも、水の枯渇の方が実は大問題であります。
小淵沢町の集落付近には、里地に11を数える流水群があるのです。
山の上の方の塩名水などを含めれば、その数はさらに増えます。
八ヶ岳南陸の伏流水が多く湧き出る標高とは、実はほぼ千メートル付近に集中しているのです。
まさに私たちの町が、いにしえよりここにあるゆえんであります。
そんな中でも、小淵沢町のほぼ真ん中に位置するのが大滝流水。
ここは、一日の水量実に2万トンにもなる大きな流水地なのです。
水の上が宿る神社の神域に、八ヶ所もの水が湧いていることが確認できます。
まさに天然のそのままの飲み水なのであり、この滝流に位置している6つの集落、小淵沢町だけでなく、長坂町の一部まで広がる地域。
浄水としても農業用水としても、この流水の恵みの水をずっと恩恵に預かってこれまでに至っているのです。
極めて貴重であり、極めてありがたい水の恵みの地であります。
この地は地元の滝の前という地区のうぶすな神域であるとともに、小淵沢町としても宝であり、その象徴でもあるのです。
多くの人々が集う水汲みのスポットともなっていて、また祈りの場でもあるのです。
当然に観光スポットの一つにもなっていて、併設されて大滝公園の機能もあります。
「水の精アクション」の始動と理念
このような場所が地域の人たちによってもっと大切にされ、しっかりと維持管理されなくてはならないわけですが、
実は近年は地域の高齢化も伴い、公的な援助もかなり限定的で、やや十分な維持管理がなされていない状況が続いていました。
この地の現状を見るにつけ、今一度新しい時代への展望を持ち合い、脈々と沸き続ける水の恩恵に深く感謝をする、そんな機運を高めようと、
まさにこの4月から、小淵沢全域、または北コマ周辺の人たちによるアクションが今始まったのであります。
名付けて、水の正アクション、水の正アクションです。
使い古された言葉として、地域活性化とか、施設活性化とか言いますよね。収益力の改善とか、にぎわいの再生とかも言われます。
でも私たちの町は、単に経済が回ったり、多くの観光客が訪れたりという、にぎわいの現象を追うことだけでなく、
それ以上に地域の人々、小淵沢に暮らしているということ、小淵沢に集う人々の心のつながり、
有水地というありがたい地域の宝への崇高な祈りや深い感謝の心をもう一度育み直すアクションこそを目指して展開していくのであります。
観光客が第一なのではなく、経済活性が第一なのではなく、日常的な暮らし、地域の小淵沢の人々こそが日常的に足を運び顔を合わせ、
山の幸の恵みや濃厚の実りの様子を伝え合い、地域のあらゆる人たちの心が通じ合う、そんな連携や連帯、共にあせする共同を相談し合えば、
拙速で無味乾燥な世相にあっても、また気な臭い世界情勢や国勢の打算や損得感情ばかりが横行する現代であっても、
この悠久の大地と共に生き、静かで清涼な水の精に見守られた北駒の地、小淵沢の地、そのど真ん中の滝の前地区の流水性地を見つめ直す、そんな取り組みなのであります。
日々を縁側座谷と名付け、地元の面々がいつでも集い合う場を創出していきます。
もちろん内外の誰もが訪れてよいのです。水をいただく、または水を汲む恩恵に預かる人たちは、ここの園地の木々を手入れしたり、時に草取りや掃除をし合う、そんな感謝も分かち合いたいのであります。
水汲みに料金などはいただきませんが、恩恵への感謝と恩返しはやはり必然なのでありましょう。地域の文化的な活動や地元の会合でも、この地に集うことができる、そんな場を設けてまいります。
さらに、自然環境のこと、大地のこと、森のこと、そこに集う生き物たちのこと、植物や野鳥や昆虫などの生き物のこと、さらには微生物の世界のことなど、
ともすれば、自然を見つめる現代の私たちの目が、よそへ行きがちなことを反省しつつ、自然の営みをもっと知り、感じるためのネイチャーセンター的な機能も、この地に併設する計画なのです。
このアクションのもう一つの特徴、それは、先に公の公金ありき公的な予算措置、行政措置を優先して頼る考えではなく、あくまでも地域民衆の力、町民の力、
知恵と労力と私的な定在、私的な原始を結集することを優先して進めていくのであります。
まず先にお金ありきではありません。まず先に地域の人たちの心ありきなのです。
地元の人とよそから集う人たちの圧力や摩擦、価値観のずれは、時として各所各地で分断が生じがちなのですが、もうそのようなつまらない分断を乗り越える新時代を築いていかなければなりません。
大自然、水の精霊の前では、心の狭い人間社会の分断を超越をしていくのです。
当たり前に聖地が大切に維持され、全ての人が水の恩恵への深い深い感謝の念を伴ってこの地に集う。
そんな地味でも心の通い合った地域、大地との向き合い方を新しい時代の日常として取り戻していこうというアクションであります。
このようなアクションに小淵沢の町民はもちろんのこと、老若男女誰しも参画していただきたいのです。
より多くの個性や思いや専門性がこの地に自然体で集うとき、八ヶ岳根源の山の神は微笑み、
水の精はこれからも私たちに大自然の恩恵をもたらし、災害や過酷な気象ではなく穏やかで平和な瑠璃色の地球を約束してくれるのでしょう。
このアクションへのエントリーを一人また一人ご登録いただく呼びかけを始めています。
水の精アクションの輪にぜひとも加わり参加をしてください。
小淵沢から、安次でした。
26:09

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