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2026/05/11  まちほくラボの八枚おろし 
2026-05-16 25:03

2026/05/11 まちほくラボの八枚おろし 

担当あんじーさん 自分自身の存在とそれをとりまく地域社会

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サマリー

現代社会は情報過多で、私たちは常に情報にさらされ、思考力が低下している可能性がある。本放送では、情報から離れ、静寂の中で自己と向き合い、自然や地域社会とのつながりを見つめ直すことの重要性を説いている。家族や地域、そして大地への感謝を忘れず、日々の営みを大切にすることが、真の幸福と安寧につながると語る。

情報過多な現代社会と静寂の必要性
まちほくラボの 八枚おろし
この番組は自然豊かな高原エリアでつながるが合言葉。 政治・自然環境・福祉・文化芸術
子どもの育成などそれぞれの分野の人たちが集代わりで登場し自由に未来語りをします。 この番組は
こぶち沢のまちほくラボ株式会社の提供でお送りします。 5月10日
すっかり緑の勢い増す季節となりました。 こぶち沢の森からアンジーでございます。
この番組、まちほくラボの八枚おろし。 第2週目は自然環境と地域のことがテーマ。
もう数年にわたり私アンジーことアンドヨシキがこぶち沢から続けて地味な考察と静かなお話をゆっくりとしてまいりました。
ラジオ番組というもの、FM放送ともなればほぼ必ず軽快なBGMの音楽とともに軽妙なトークが主流でありますね。
音楽というものは雰囲気を生み出しますし、心を軽やかに導きます。 それがなかなかに心地よいのです。
このラジオ、リスナーの皆様はいつもどこでどんなことをしながらお聞きなのでしょうか。
おそらくは何かをしながら、つまりながらラジオをなさっている方が多いことでしょう。
車を運転しながら、手仕事を続けながら、お茶を飲みながら、または家事をこなしながら。
そして雰囲気が軽妙であるからこそ気分も軽く、リズムも伴って眠くもならずいろいろなことがはかどるのでしょう。
音楽とは情報の一つでありますね。
私たちは日々たくさんの情報を受け取りながら暮らしています。
特に現代社会は暮らしのため、暮らしを豊かにするため、または子育てをするため、それに有効な情報のため、仕事のため、稼ぐため、
はたまた好きな趣味のため、遊びを豊かに楽しくするため、そして地域自治の活動のためなどなど、
あふれる情報を受け取りながら時を過ごしているのです。
その情報はどんどん増えるばかり、あるいは多すぎる情報が膨大な量と速いスピードで私たちにやってきます、もたらされているのです。
テレビの情報しかり、ネットの情報しかり、そして望んでもいないのに、いつの間にか商業的な宣伝、勧誘や消費行動を促すための煽りの情報というものは、
まるでシャワーの湯を浴びるが如く、私たちにひしひしとやってまいります。浴びせかけられているのです。
そんな日々の中、または目まぐるしく変化する社会の私たちを取り巻く情報に接することができていないと、
自分だけが知らされていないかもしれない、自分だけが取り残されているのではないかと不安にもなります。
または最新の有効な情報に接していないと、遅れをとっているかもしれない、または恥をかいてしまうことになるかもしれないと、
もう果てしなく情報の洪水の中にまみれているのが現代人なので、そんなに情報能力が高いのでしょうか。
情報の処理能力が高くなければ、ビジネスも勉強も暮らしも質を高め豊かな暮らしが実現はできない、計らずも無意識に思い込んでいるのではないでしょうか。
たくさんの情報を浴び続けること、本当に豊かさの前提となっているのでしょうか。
スピード感がたっぷりであること、心の平安も保っていられるでしょうか。
私たちの頭の情報処理の限界を超えてオーバーフローしてはいないでしょうか。
どうやら大量の情報にさらされていることで、見失っていることがありそうですね。
私たちは肌身の感覚でこの瞬間を感じ取って、その経験を深く我が身に当てて刻み込んで初めて奥深い記憶が得られ、深く感じ取ることで思考とか考察とかをすることができるのです。
深く考えてみる。繰り返しじっくりと考えてみる。豊かな想像力を巡らせてみる。
そんなことの中から物事の本質や物の道理、自然界の起きて、宇宙の真理などを見出したり、確信に至ったりすることができます。
静かであること。ゆっくりとじっくりと淡々とコツコツと時が流れるとき、私たちの頭は実は本当に活性化をし、上っ面だけではない豊かな思考というものがやってくるのではないでしょうか。
あふれる情報、あっという間に通り過ぎる早すぎる語り口など、その対極にあるのが静寂の覚醒なのであります。
人間社会の喧騒と少し距離を置いて大自然の中に一人身を置く場面を想像してみましょう。そんな時間がリスナー皆様の暮らしの中にどれくらい確保ができているでしょうか。
大型連休が終わりました。お休みが取れた方たちは非日常の時間や体験を皆様もそれぞれに過ごされたことでしょう。
人が集まる楽しく華やかなイベントなどに出かけられた方もおられるでしょう。この連休のときとばかりショッピングをなさった方もあるでしょう。
久しぶりの家族、親戚との再会や旧友達との楽しいパーティーに集った方もあることでしょう。またはアウトドア、キャンプにでも出かけて野良での時間を楽しんだり、
登山で山々を重装して歩き回った方もあることでしょう。
自然の音だけに耳を傾けるという時間をたっぷりと持たれた方はおられるでしょうか。ささやかな風、空気の動きを肌に感じ、自然界の小さな音を受け止め、緑の葉が展開してくる様をじっくりと見つめる。
小鳥や虫たちの奏でる声を受け止める、これは静かな時間と空間、自らはあまり動かないという自分がいないとなかなか感じいることはできないのであります。
または、夜の森での静寂、人工的な音が全くない世界、もちろんテレビもラジオもネットなどの音源も全くない静寂という状況で、
一人、我が思考と思作、瞑想や想像力の時間、そんな豊かな時間を過ごされた方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。
日常、日課の中でそんな時間を心して持つ。一日に数回は外からの情報を少なくして、または全く遮断して、自らと向き合い、真理や原理について考察をしてみること。
忙しすぎて余裕や余白の乏しい現代人には、もう少し必要なことなのではないでしょうか。余裕や余白なるものが欠乏してきますと、本当の優しさや強さを発揮することができません。
思いやり、慈しみ、配慮、そしてあらゆる存在と丁寧につながり、時に手を差し伸べる謙譲の心、それこそが真の優しさであるということ。
現代社会は分断の世の中とも言われ、強がることで身を守ろうとする風潮がどうやら強くなっています。
見せかけの力や乱暴な力を振りかざすことが手っ取り早い方針であり、国レベルで言えば安全の保障であり、防衛でもあるとする風潮も、どうやらここいらで今しめなくてはならないようです。
私たち人間を含む全ての生命とは、この奇跡の星、地球という青い星、緑の星にあって等しく聖なるものを授かり、ほんのしばらくの間、
懸命に生を全うしようとする存在であって、また他の全ての生命と連関し、つながって生きていられるという儚い存在でもあります。
しかしながら、自らの存在は、必ずや誰か他の生命に影響を与えるものであるという自覚、
つまるところ、自らの今この瞬間、周囲で起きていること、取り巻く環境で起こっている現象を感じ取る、感じ入ることの大切さ、
それを受け止めた後の思考とか考察、我が身の処死方、そこに私たちが見失ってはならない大切な何かがあるという、そんなことを実は私たちの先人たち、
古からアニミズムの世界とか、東洋的な哲学、すなわち老子や宗師の思想としての道教的な教え、または空海などに代表される密教とか、それから禅の世界など、
ブッダの教えで数千年に渡り、人類が求め、ひも解き、真理を探求してきたものであるのです。
沈思黙考、沈思黙考という言葉があります。
静かな環境で豊かな感性を研ぎ澄まし、深く感じ入り、繰り返し繰り返し反復して考え抜くこと。
実は未来へ向けての幸福と安寧、そして真の優しさや思いやり、慈しみの態度とは、そのような過程と時間を経て初めておぼろげながらに見えてくる、実感にも至る、そういうものだと私、安寺は思うのであります。
今日はやや哲学的なお話となっています。ここで少しだけ心を軽くしてリセットいたしましょう。
地域社会と自然とのつながり
お届けする楽曲はソリティアであります。1970年頃の歌でございます。一人の孤独な男の楽曲なのであります。
後半は自分自身の存在とそれを取り巻く地域社会、さらにそれらすべてを包み込んでくれている大地、大自然に思いを馳せてみましょう。
私、安寺は高原の小さな町、小淵沢の西の端の集落、岩の窪という地区に暮らしています。
生まれは小淵沢ではありませんが、もうかれこれ40年この地と関わってお世話にもなりつつ暮らしてきました。子育てもこの地でなしてきました。
家族はといえば連れ添ってきた家内と3人の子供たち、そして猫とカメたちと暮らしてきました。
集落からちょっと外れた森の中に家を建てて暮らしています。やはり何といってもこの家族というものは我が宝物の第一でありまして、最も大切にする存在なのであります。
これや家族のために働き生きてきたといって良いでしょう。地域のためなんても言いますが、やはり家族は第一です。
そして次に近所や地域なのであります。好むと好まざるとに関わらず、または望むと望まざるに関わらず、どうしても地域と関わることなくして生活はできないのであります。
だって地区の道路も通ることになりますし、通らせていただいていますし、水もやってきてくれないと困ります。電線も電灯も街灯もやっぱり維持していかなくてはなりません。
行政サービスだって受けなくては暮らしていけません。地区のお祭りやイベントでも交流は持ち合うのであります。人とは大昔から実は一人だけでは生きていけないのであります。
さらにこの大地、八ヶ岳の南六に位置しています。なだらかな感謝面で日当たりの良い大地であります。
釜梨川の中石の火岩弾丘とも言えるこの場所は、大地がとても安定していて、地震でも揺れにくいし、土砂災害も山合いの割には少ない地なのであります。ありがたいことです。
でも冬の気温はとても低く、雪は多くはありませんが厳しく凍てつく大地となるのであります。
昼帰って夏は最近の温暖化や猛暑にあっても実は我が家にエアコンはいらずの清涼な夏を過ごすことができています。
縄文以前土、イニシエからこの町の11箇所にコンコンと湧き水が湧いて流れ、その水のほとんどはそのまま飲めるレベルの澄み切ったミネラルウォーターであります。
自然度が当然に豊かでありますから、希少な植物や動物たち、あらゆる昆虫や微生物たちも共に過ごしているのであります。つながっているのであります。
この地で1万年を遥かに越えて生き抜いてきた先人たちは、その教訓や思いを様々な形で今を生きる私たちに残し伝えています。
そんな大地で、そんな地域で、こんな地域社会で家族と共に日々を生きているのであります。
だから、生かされていることに感謝せざるを得ません。
大自然は時に厳しい時もあります。安寧のアメニティ、恩恵ばかりではないのです。
人は自然を敬い、そして恐れる気持ちも持ち続け、覚悟する姿勢も忘れてはなりません。
だからこそ、日々の暮らしは、生命の営みは、この瞬間なるものを、ただ今、この今、ただ今を大切にしなくてはならないのです。
そして、平和であること、安寧幸福であることへの祈りや念ずる心、これらが大切になってくるのです。
宇治湖としてのお宮での春と秋の霊体祭、禅宗の寺が多いこの地の暖化としての参禅などは、やはり教えとしても学びとしても原点回帰と反省の場として、やはり私たちは大切にすべきことなのであります。
今日は、改めて事故の存在を見直す静かな時間、そして一人では生きていけない、独りよがりでは生きていけないのだというお話を、この八ヶ岳の大地と悠久の流れに鑑みてお話をしてみました。
あなたのご家族は、あなたの地域は、あなたの自然大地は、どんなご様子でしょうか。そして、あなた自身の心は、時に原点回帰、静寂の中でなさっておられるでしょうか。
安寧でございました。
この番組は、小淵沢のまちほくラボ株式会社の提供でお送りしました。
25:03

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