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表計算ソフトというものを初めて見たのは、90年、1990年ぐらいだったかな。パソコンではなくてですね。
あ、違う、1989年か。当時売っていたワープロですね、ワープロ専用機。僕初めてワープロ専用機を買ったのが、ソニーのプロデュースというやつだったんですけど、その中のアプリとして表計算というのが入ってたんですね。
それまで表計算って何のことかわからなくて、表の中に数字を書いていって何がいいんだというような感じだったんですけど、どうもそれで計算ができるということで、その中に入っている表計算の中に数字を書いて、一番端っこに数式を書いて、全部足した答えがここに出るという。
えー、ということで、そこに何かそういうコマンドか何かがあったんでしょうね。和みたいなやつがね。で、範囲はみたいな感じで、ここからここまでみたいに入れたら、立ちどころに何かね、答えが出るっていうのを見て行点したんですね。
さらに行点したのは、途中で数字を変更してね。で、ある一部分の数字を変えると、一気に全部の数字計算し直されて、計算結果が変わるという。
で、聞いてる方ね、当たり前じゃんって思われると思うんですけども、それまでね、計算するというか、コンピューターに計算させるということはどういうことかって言ったら、計算させるデータを入力しないといけないわけですね。
ですから、まずコンピューターのプログラムが、では数字は何ですか、みたいに聞いてきて、一つ目の数字は、みたいな感じで50とか、二つ目は、みたいな感じで100とか、三つ目は70みたいにして、一通り全部入力終わって、終わったときにはエンターキーを押すみたいなことをすることによって、
初めてそれらを全部足して、そしてその個数、入力した個数で割って平均を出すみたいな、それで初めて平均が出てくるみたいなね。ですから計算させるには数字をその場で入力しないといけなかったわけですね。
ところが三つ目の数字が違ってましたって言ったら、もう一度最初から全部入れなきゃいけなかったわけですよ、その違ってた部分をね。
だってそれを全部入れることによってメモリの中に入れられたデータが全部足し算をさせられて、それで個数で割ってという一通りのプログラムが走るわけですのでね。
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1980年代の末ぐらいに生きていた最先端の人間の頭の中は、それがプログラムだったし、コンピューターで計算させるというのはそういう意味だったんですね。
ところがその表に書いた一部を直すことによって縦も横も全部変わるという。
これはね、魔法かと思ったんですが、その時にやっぱり思ったのはね、なんて発想だと思ったんですね。
数字がここにあるように見えるけど、その数字は実は裏に隠された数式が計算した結果がここに現れているんだと。
実際のこのセルに入っているのは数式が入っている。
で、見えるようにその数式を計算した結果を見えるように数字に直して見せているという。
誰がそんなことを考えついたんだと思いましたね。びっくりしましたね。
なんかアメリカのマルチプランか何かが最初だったんでしたっけ、学生か何かが作ってどうとかとか言ってましたよね。
なんとかカルクとかマルチプランとか、その後ロータス123とかが天下を取って、その後エクセル一択になってしまうわけですけどね。
いやもうしかしね、最初に見た時には驚きました。
それで表計算をするべしと思って、ちゃんとソフトを買おうと思いましてね。
で、ロータス123とか10万ぐらいしてたんですよ、当時確か。
エクセルというのはまだあまり知られていなかった、マイクロソフトのエクセルなんてまだあまり知られていなかったし。
マルチプランかロータスかというような時代だったんですが、とても買えないんだけど、
1万円するかしないかの安い表計算ソフトは、なんとかアシストカルクか。
思い出した、アシストカルクという1万円するかしないかの表計算ソフトがあったんで、それを買ってやりましたけど、
いやもうなんか世の中変わりましたね。
例えば僕は学校の教授をしてたんで、1つ目のテスト、2つ目のテストって全部その中に入れとけるわけですからね。
当時は1回1回全部計算していたわけですから、それからパソコンができる人間というのは1回1回全部足し算してやってたという。
縦横のデータだけ残しとって、あとは横のデータは計算したやつをまた今度は結果だけを入力して横にずっとやっていったみたいなね。
いやまあ本当に当たり前でしょうというのは、今の人はもう当たり前なんですけど、それを初めて見た人間というのは腰を抜かしそうになりましたね。
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それがね、表計算との出会いでした。
世の中すごいと思いましたよ、あの時には。
90年代になったかならないかぐらいでしたね、あの時ね。
はい、それでアシストカルクを使ってずっと、成績の処理なんかはそれで行うようになっていったんですがね。
仕事場にはね、ロータスが買ってあって、ロータスとかね、めちゃくちゃすごいコピーガードがかかってるんですよね。
当時はね、勝手にコピーをしていくので、あんまりまだ著作権とか感覚があんまりなかったみたいで、
自分が買ったソフトだから人に分けてやってもいいという感覚の人がたくさんいましてね。
これは僕が買ったソフトだからどうぞ貸してあげるよみたいな感じで、ありがとうみたいにして借りる方も普通にありがとうみたいな感じで借りてね、シリアル番号を入れたりみたいにして、これがシリアル番号ねみたいなね。
その頃シリアル番号なんてあったのかどうかわかんない。もう忘れましたけど、シリアル番号なんてなかったかもしれないな当時。
ディスクを入れないと、そうだ、ハードディスクじゃないんでディスクを持ってないと立ち上がらないわけですからね。
だからそのディスク自体をコピーしないと渡せないから、そのディスクをコピーするのには強いガードがかかってるわけですね。
当然それを外すソフトなんかもね、あったんですけどね。
90年代頃っていうのはね、そういうような時代でしたよまだみんながね、感覚的にね、まだようわかってない時代だったですよね。
ハードディスクになった時に、これってやばくない?みたいな感じになったんでしょうね。
コピーできるじゃん、いくらでもみたいにね。
だからマスターディスクかなんかをつけて、マスターディスクを入れとかないと立ち上がらないようにしたりとかね。
そしたら今度はそのマスターディスクをコピーするツールが出たりとかね。
なんかいろいろありましたけどね。
ロータスの場合はもうそれより簡単にはガードができないような仕組みを作ってあってしたことがありますけど。
僕はそれでどうかをしようと思ったことはあるわけじゃないんですよ。
別にね、アシスト軽くっていうのをやってましたからね。
でもマクロっていうのがね、ロータスになったら使えるということで。
アシスト軽くっていうのは別にマクロも何も使えないんですけど、そっちはマクロが使えるということで。
マクロが使えると言われてもね、マクロって何かその頃の人間知らないから、別に使えなくてもいいやと思ってね。
何の心配もなく使ってたんですけどね。
はい、もう表敬さんに出会った頃っていうことについての話でしたけどね。
世の中にはね、本当に思いもしなかったことを考え出してイノベーションを起こす人っていうのはいるんですよね。
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僕らはね、それを使うばかりで最先端って言ってるんですけども、根底から考え直す人間っていうのが出てくるんですよね。
本当は表敬さんのスタートにはドギも抜かれましたね。
だいたいあの表敬さんというもの自体がすごいイノベーションだったんでしょうね。
その後、いろんなソフトはね、もちろんいろんなのは出てきましたけれども。
昨日で驚いたのはあったけれども、その大元のコンセプトからびっくりしたっていうのは、あれ以来なかったんじゃないかなという気がするぐらい、
僕にとっては表敬さんソフトの出現というのはものすごいものでした。
またの黎明議会でしたけれども、表敬さんということについてここまでしゃべった人っていうのはいないんじゃないでしょうかね。
お金少ながら僕みたいな年の人間の人が30になるかならない頃に初めて表敬さんに出会ったんですけど、
みんなだいたいそのような感覚を持っていたかもしれませんね。
考え方の根底から覆すようなね、すごい奴が世の中にいるなと当時の人間は思っていたと思います。
それではまた、リューサルでした。