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2022-03-28 1:32:00

020. 受動的なアウトプットにならないように

@sazameki さん(大阪電気通信大学デジタルゲーム学科 准教授)をお迎えして、海外のカンファレンスに参加していた話、現在の職に至るまでの経緯、感染症の影響で起こった変化、環境が大きく変化したときの考え方、最近占いの本を読んでいる面白い理由、ノートをとることの効用などについてお話しました。


* 海外の技術系カンファレンスに参加していた話

* iPhone、iPad と Mac や PC の違い

* 教員という職業に至るまでの経緯

* 映画館のような環境が持つ特異性

* パンデミックが学生や若い世代から奪ったもの

* 人が失敗できなくなるとき

* マインドセットを意識的に切り替える考え方

* 占いが持つランダム性

* 勉強するなら是非ノートを活用しよう

* 自分自身を経由せずにアウトプットが生まれてしまう瞬間

* デジタルゲーム学科 | 大阪電気通信大学


## show notes


* 所属されている学科の話

* 最近の学生さんたちを見ていて感じること

* コロナの影響を受けてのオンライン授業について

* プライベートの話(ペン字、料理、子育てなど)


00:00
はい、ノーマライズFMの今日は第20回ですね。
もう早いもので20回目に突入するんですけれども、
20回やってもまだまだ若干慣れないところはあるんですけどもね。
今日も頑張ってやっていきたいと思います。
今日はですね、ちょっといつものWebのフロントエンド開発とかとはちょっと毛色が違うゲストかなと思うんですけれども、
個人的にはね、以前からTwitter上とかではお付き合いがありまして、ぜひね一度お話ししてみたいと思っていた方がね、今日はゲストに来てくれています。
今日のゲストはTwitter上のハンドルネームは@sazameki、Kazeno Sazamekiさんというハンドルネームで活動されている方で、
現役の大学の教員をされていまして、大阪電気通信大学デジタルゲーム学科で教員をされています沼戸里さんに今日はゲストでお越しいただいています。
沼戸さん今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、もう現役の先生がゲストに来てくれるということでね、めちゃくちゃ今日は楽しみにしているんですけども、
ちょっとね今コロナの影響で授業の開催の仕方とかも何年か前と比べるとだいぶ違うようになっちゃったりしているのかなとか思うんですけども、
その辺もねちょっといろいろ聞けたらいいなと思っておりますので早速始めていきたいと思います。
[音楽]
はい、じゃあ沼戸さんちょっとね早速なんですけれども、今大学名とかはちょっと簡単に紹介させていただいたんですけども、改めて自己紹介ちょっとしていただいてもよろしいでしょうか。
はい、先ほどご紹介いただきましたデジタルゲーム学科という学科で教員をしております沼戸里と申します。
Twitterでは「風のさざめき」というハンドルネームで時々投稿しているんですが、
ここ10年ぐらいでiPhoneおよびMacのプログラミングの専門書をですね、8冊ほど出版させていただいておりまして、
こういったiPhone、Macプログラミングの専門家でありプログラミング教育の専門家という風に自負しております。
本日はドクサスさんといろいろとお話しできるのを楽しみにやってきました。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。いやもう本当にね、なんかその学校の先生でもありながら普通にその開発者としてのスキルであったりとか、
03:04
あとは執筆者としてのキャリアであったりとかね、すごくなかなかいらっしゃらない感じの方なのかなとね、私は勝手に思っているんですけれども、
お仕事自体は基本的にはもう教員のお仕事を基本的にはやられているという感じですよね。
そうですね。で、その傍らでちょっと出版社の方からいろいろとお問い合わせいただいたところで、書けるものを提案して、その時代時代にあったものを書いていこうと。
で、私が執筆を始めた時にはiPhoneのプログラミングというのはなかなか日本ではあまり書籍が出回っていなかったので、そこでいろいろ本を書かせていただいた形ですね。
いや、私もその書籍の執筆者としてやったことあるんで、なんとなく想像はつくんですけど、本を書く作業ってぶっちゃけめちゃくちゃ大変だと思うので、
長冊も出されているっていうのはすごく個人的にはもうその点がちょっと信じられないというか、本当にすごいなって思っちゃいますけれども、
なんかそのあたりってどうなんですか?そのモチベーションっていうのはどのあたりにあるんですか?その執筆に対してっていうと。
そうですね。あの執筆のモチベーション実は最近変わってきていまして、やっぱり執筆始めた時には日本にこういうiPhoneのプログラミングの情報がないなっていうところですね。
これが一番の動機で、ないなら自分で作らなきゃいけないというなんか使命感みたいなものがあってですね。
それで、2001年ぐらいからAppleが開催しているWWDCというWorld Wide Developers Conferenceですね。
開発者向けの6月に開催されていた会議がありまして、ここに10年ぐらい足しげく通っていたんですね。
そこでいろいろ聞いて、こういう情報が次新しく出てくるぞっていった情報をまずは自分で事前検証してあってですね。
それを本に書き起こすとなった時に、動くサンプルコードを作って、ちゃんとそれを添えて解説を書くっていうことをしなきゃなと思ってやってきたというところですね。
それがずっと続いてきました。
いやすごい、それ実際に海外まで足を運ばれてっていう形だったんですか。
そうですね。最初は慈悲で、大学に所属してからは大学の出張費で半分ほど出してもらえるんですけど、やっぱりほぼ慈悲で行ってましたね。
いやすごいですね。そこでしか聞けない、鮮度というか新しい技術に関する情報であったりとか温度感みたいなところをしっかり体験した上で、さらに書籍の企画にそれを展示していくというとちょっと日本語としておかしいかもしれないですけど、うまくまとめていくみたいな感じですか。
06:10
そうですね。WWDCという場所が結構、やっぱり参加していない人は想像しにくいのかなと思うんですけど、今はもうオンライン開催で無料になっちゃいましたから、当時お金を払って参加してたのは何だったんだろうと思わないところもないんですけど。
そうですよね。
あれすごい特別で、やっぱりその6月っていう時期のアメリカ旅行っていうのはすごい良い時期なんですよね。だからまず旅行客も結構多いので、結構旅費がかかってしまう。なので下手すると30万円ぐらいかかったりしてですね、それだけで。
なかなかですね、それは。
そうなんですよ。で、その中で今度参加費も大体日本円にして10万円から15万円ぐらい払わないと参加できないっていうところがあるんですけど、最初に私が学生だった時代にAppleさんが学生さんご招待の枠を用意してくれてて、それで実はその当時は飛行機代まで持ってくれて、タダで行けるっていうことがあったんですよ。
で、1回それでやっぱり第一線で活躍しているその開発者の人がいろんな質疑応答したり、最新の技術を公開したりっていうことをしてる場に行ってしまうと、これはもう有料でも全然価値があると思って、もうとにかく毎年行かないといけないっていうのが自分の中で確立されて何とか時間を作っていってましたね。
へーすごい、でも確かにAppleの最前線にいる開発者の人たちの生の声が直接聞けるっていうのは、冷静に考えたらものすごいプレミアというか、すごくなかなか稀有な経験ですよね、それって。
で、当時は質問する時間があったんですね、講演の最後に。で、マイクの前にみんな並んで、俺は今こういうことをしてるんだけどこのAPIでは足りないとか、ここAppleはちゃんとできてるのに一般の開発者ができないってのはどういうことだとか、そういう質疑応答の場所があって、で、それを何でしょうね、みんな同じことを思ってるんだとか、
ここは意外と自分が気になってるけどみんな気にしてないんだとかいうところを学び取れたのが、最初は全くそれが本に反映されるとかなかったんですけど、結構重要な経験だった気がしますね。
いや面白いなあ、でもなんかちょっとわかる気がします。例えば、すごくスケールの小さい話かもしれないんですけど、日本でよく勉強会とか開催されていた時期があったと思うんですね、何年か前は。
09:04
ちょっと最近はね、感染症の影響で難しい場合が多いと思うんですけど、ちょっと前までは結構勉強会のイベントとかよく開催されていて、そのツイッターでしか見たことがない憧れのあの人が目の前で喋ってるみたいなのって、やっぱりすごくプライスレスな経験というか、
ちょっとね、多少有料とかお金払ってとかでも全然いいなって思うぐらいの体験だったりするのは、私もなんとなくわかるし、それがね、当時のAppleってなったら確かに多少大変でもやる価値あるんだって確かに思っちゃうかもしれない。
2007年にiPhoneが登場しているので、2001年に私がいてた時代ってのはMacオンリーなんですよね。だから今のそのWWDCの注目度とは結構違って、本当にそのMacというプラットフォームが好きだって言って、
開発者愛もあるし、最新の技術を求める人たちが集まってるっていうのもあるので、そこからiPhoneが登場したことによって変わってきた雰囲気だとか、今のオンラインになってさらに変わったことだとか、いろんなことが経験できたので、そこの流れは大きかったかなと思いますね。
いやすごいなー、なんか私とかは、自分自身が開発者としてやっていくぞってなったのも結構最近の話だったりするんで、まだ2001桁台、2007年とか1桁台の時って全然開発者でもなかったし、
そのAppleというものも、まあ企業の存在ぐらいは多分知ってると思うんですけど、Macとかも全然使ったことなかったし、本当に今更想像することしかできないんですけど、今いろいろわかった上でその歴史の変遷も含めて全部を見てきたっていうのはすごいですね。
あの結構軽侮な経験を持ってるかなと思っていて、今ね、Macのプログラミングの知識を持っている人が少ないんじゃないかなと思っているんですよ。
ちょっとそうですよね、なんかそのiPhone、iPadみたいなこのモバイル系のデバイスのイメージがすごくあって、そうですね、MacOSのイメージってなかなか最近あんまり聞かないというか、それに注力している人がパッと思い浮かばないというか。
そうですね、iPhone用に開発したらMacでも使えますよっていう形になってきてますけど、それでもMacに向けていろいろチューニングするときには、MacのUIのことを知らないといけないし、
で、Macでこれどうやったら簡単にできるんだろうってことを考えたり、あとファイルシステムの考え方がそもそも根本的に違うんで、いろいろそういうことを知るためにはやっぱり昔の知識が意外と一定ですね。
12:05
ただ、昔の本を、私が書いた本も含めて引っ張り出してきても、今のMacの多分開発環境では使えないんですよ。
だから、昔のその経験をしてて、直にそれが動いている時代を経験した上で、今Macのプログラミングができる人ってなかなかいないような気がするので、そこはもうちょっと今AppleにMacのプログラミング開発者を育ててほしいなと思っているところは結構ありますね。
そうですよね。なんか多分、ちょっとわかんないですけど、Apple的にはやっぱりSwiftみたいな、iPhoneで動きますよみたいなものをやっぱりここ数年は重視してきたと思いますけど、
Macアプリも、言うたらなんか定番なものっていろいろパッと思い浮かぶのはいろいろありますけど、じゃあ新しくいろんな開発者が参入してってるかっていうふうに考えると確かにちょっと若干今寂しい時期なのかもしれないなと思うんで、
そのあたりなんか今後もしかしたらまた先祖帰りじゃないですけど、またMacOSの上で動くものがいろいろ見直されるみたいなことももしかしたらあるのかもしれないんで。
そうですね。昔は結構MacはMac、iPad、iPhoneは別々ですよっていうことApple言ってたと思うんですけど、結構最近それをコンバインしよう、ユニットしようとしてるような気もするので、
でもやっぱり大学教員としてはパソコンというその知的ツールっていうんですか、研究者の人はよくそういう言い方をするんですけど、パソコンという知的ツールというのはiPhoneとは結構違うと思うんですよね。
キーボードがあって、入力してマウスで選択してっていうことをして思考ツールとして使うというのと、iPhone、iPadみたいに紙の延長線上というかね、タッチベースで何かを直感的に操作していくっていうのとは、ちょっとその人間の頭に及ぼす影響が違うような気がするので、
もうちょっとそのMacの方の思考ツールとしての可能性をAppleにもう一度見直してほしいなと思って結構あります。
なんかすごい、なんかちょっとこういう言い方失礼かもしれないですけど、本当になんか先生っぽいというか、なんか我々みたいなふんわりテクノロジーと接してますっていうのと、やっぱりちゃんとしっかり研究目線とか教育者目線で見てる方との捉え方の違いみたいなものをなんかすごく感じてすごい面白いですね、今の話。
ありがとうございます。ただ私自身正直あまり大学の先生というよりはやっぱり経歴的にもプログラマーだなと自認してるところがあってですね、本当にその研究ベースで研究してきている先生よりはどっちかっていうと普通のプログラマーというと失礼でしょうか、プログラマー寄りの目線だと思っているんですけど、
15:07
それでもやっぱり伝え聞く話だとか、あと学生を教えている目線だとか、そういうところでやっぱり先生目線は大きいですね。それはもう10年以上大学の先生をしてきたので。
はいはいはい、なるほど。なんかそのあたりの、なんていうんでしょう、そのキャリア的な部分ももしよかったら聞かせていただいてもいいですか、どういう感じの経緯で今先生になられている、その前に何かやられたこととかも含めてちょっと私全然呼ぶ知識がないんですけど。
それに関しては私もドクサスさんにいろいろとお聞きしたいことはあるんですけれども、お互いに経歴を知らないところはかなりあると思うんですけど、おそらくそもそものとしては私の母親が大学の先生をしていたというのは大きいんだろうなと思います。
国文学の先生をしていたので、母親が。なので、大学の先生というのというか、親というのは結構いつでもノートを開いて専門書を何冊も開いてノートを書いて勉強、勉強とは当時思ってなかったかな。
そういうことをしているのが当たり前なんだと思っていたというのが、幼少期の思い出として結構ありますね。
大学に入って、大学2年か3年ぐらいしたところで、実は今自分が楽しんでやっているプログラミングというのは世間でいうところの勉強をしているということなんだなということに気がつき始めてですね。
それまで勉強しているという意識が全然なかったんですけども、勉強をしてそれがすごい自分の楽しんでやっているプログラミングというフィールドに、実は自分がこうやっていろんな立場で関わることができるんじゃないかって思い始めたのがそれぐらいですね。
で、そこで指導教員になっていただいた先生にいろいろ相談したところをその先生に紹介していただいて、今いる大阪電気通信大学にもともと学生として在籍してたんですけど、そこから大阪大学に博士課程から入学する機会をいただいたんですね。
大阪大学に行っていろいろと勉強しているうちに、この今いる大阪電気通信大学の方でこのデジタルゲーム学科という学科ができるという機運が高まってきてですね。
で、そこにどうですかと呼んでいただいて、入ったという感じですね。
で、そうすると意外と自分が趣味で勉強していたダイレクトXだとかオブジェクト思考だとかですね、そういったことの知識が総合的に活かせる場所だったんだなということに気がついて今に至るという感じがする。
18:15
なるほど。いやすごい、じゃあなんかあれなんですね、いわゆるソフトウェア開発の会社とかそういうところを経由したわけではなくて、結構アカデミックな世界でずっとお仕事までシームレスに道が繋がったような感じだったんですね。
そうですね。だからめちゃめちゃいわゆる大学の先生っていう経歴になっていると思います。
見た目上はなってるってことですね。
そうですそうです。だからあえて言うなら、大学1年生後期ぐらいの時ですね、18か19かの時にちょっとそのやっぱり外で勉強したいなと思ってアルバイトに行ったんですね。
プログラミングのアルバイトさせてもらえるところを探して行ったら、そこの会社員の人がこういう本読んでおいたらいいよって言って、ジェラルドMワインバーグさんという方のプログラミングの心理学っていう本を見せてもらったんですよ。
で、この本がめちゃめちゃ古いんですね。確か1970年代だったか80年代だったかに書かれているプログラミング言語もPL1とかですね、もう私も見たことがないすごい古い言語をサンプルに書かれている本なんですけど、チームで開発するためには人間を知らないといけない。
で、例えば当時はエレベーターを操作するのにエレベーターボーイというのが必要だったんですけど、そのエレベーターボーイが1階2階3階っていう風に上がっていく時に手紙の受け渡しをしてくれるサービスを個人的にやってたと。
確かなんかそのエレベーターボーイがそれでチップを受け取ったりしながら機嫌よくやってくれてた。でもそれが新しい社屋に改装した瞬間に必要なくなって最新式のエレベーターが導入されて必要なくなって、部署間のやり取りがすごくうまくいかなくなって仕事にすごい意志を来だしたみたいな話があったんですよ。
で、それを紹介されて読んだ時にプログラミングの世界っていうのは結構こういうなんて言うんでしょう人文社会の学問の世界だというか、私が当時思ってたようなサイバーな世界ではなくてすごく人と人とのつながりを考えないといけないというのがバックグラウンドにある技術なんだなということに気がついて、
ちょっとこれをコンピューターのプログラミングももちろん好きだし、そういう人文社会という気づいていなかったところがバックグラウンドになっているってことも色々探りたいと思って、で本格的に大学の先生を目指したっていうところはありますね。
21:00
いや面白い、めちゃくちゃ面白いですねその話。
いやなんか確かにそうですよね、なんか最終的には人って、まあ私も結構たまにツイッターとかで似たようなこと言ったりすることありますけど、なんかその結局どこまで行ってもね、生活、我々の生活に根差したものではあるはずで、どういったプログラミングでも開発でもね、その機械だけで完結してないというか、結局使う人間があってのことじゃないですか。
結構その人がどう動くかっていうことが重要かなと思っていて、私がプログラミングを始めたのって中学生の時なんですね。
えっと当時何年になるんでしょうね、えっと90年ぐらいですかね。
で当時のプログラミングって、N88BASICというプログラミング言語を当時使ってたんですけど、もう本当にプログラミングなんですよ。
コンピューターにプリント3+5って言って命令を打ち込んだら8が表示されるっていう。
で今振り返ると当時やってたことっていうのはコンピューターに何かをしてもらってたっていうことだと思うんですね。
でもiPhoneが登場して、今私たちがやってるプログラミングって何なんだろうって改めて考えると、これって人を動かすということをやっていると思うんですよ。
で例えば、今私たちの目の前に収録を止める赤いボタンが表示されてるんですけど、これって明らかに押すなっていう警告ですよね。
でもだからこそ押さないし、でもそこにその赤いボタンがあることによってここで一つの区切りがつくんだっていうことのメッセージになってると。
でこういうことっていうのは、人をプログラミングするための道具なんだなっていうのが思ってるところですね。
なので、GUIが登場して、Windowsが当たり前のように普通の人の一般的な仕事をする人たちの間でも使われるようになり、
でiPhoneが登場したことによってスーパーコンピューター並みの性能のものが手の上で動くようになって、
で今何が起きてるかというと、我々人間が人間を動かすためのサービスをスマートフォンを通じて提供してるんだなっていうことのような気がするので、
そこら辺でプログラミングの対象がですね、コンピューターから人間に結構変わったなと思ってるところがあります。
なのでプログラミング自体もそうやって変遷しましたし、プログラミングのターゲットも変わってるんだなっていうことが思うところですね。
いやほんとなんか、めちゃくちゃ素人みたいな感想になっちゃうんですけど、本当に聞いてて楽しいです。
ありがとうございます。
なんか本当に授業を受けてるみたいでめちゃくちゃ面白いです、本当に。
大丈夫ですか、こんなお話で。
24:01
大丈夫です、大丈夫です。
正直に言えば、私あんまり学校の授業とか好きじゃない学生だったというか、学歴的にも高卒ですし、学校イコール、いやいや勉強しなきゃいけない場所だったんですよね、私にとっては。
大人になってから後悔する、定石通り大人になってから、あの時ちゃんとやっとけばよかったなっていう後悔することにはなるんですけども、
とはいえやっぱり、当時はあんまり学校好きじゃなかったんですけど、なんかその大人になって、やっぱり学校で学べることってすごく貴重だなってあったりとか、
あるいはやっぱりプログラミングと付き合っていく中でもっとちゃんと数学やっとけばよかったなとか、いろんなことを思ったりするんで、
やっぱり大人になってからその学ぶことの大切さというか、自分にとって楽しい領域なんだなということに対する気づきだったりとか、まあ大人になってからいろいろ得てきた中で、
なんか今の沼戸さんの話はまさになんかその、自分が当時こういう話をもし聞けてたらもっと学問に興味を持てたかもなって思うような内容ですね。
よかったです。そうですね、大学の教員として今考えていることは主に2つありまして、1つはやっぱり僕が12歳の時にプログラミングに出会ったように、
プログラミングを楽しんでほしいということがありますね。楽しんでいるうちに多分いろんなことを勉強できるし、勉強の仕方がそれでわかってくると。
いろんな多分自分に合った勉強の方法が個々違うと思うので、それが大学の先生としてこの10何年間で思ったことなんですけど、やっぱりその人に合った勉強の仕方で、
しかもね今、コロナ禍とはいえ医療技術が発達しているのでひょっとすると100歳まで生きてしまうかもしれない。
これ逆に怖いなと思っててですね。60歳であなたは死にますよとか80歳で死にますよって言われたら人生説教のやり方は結構やりやすいと思うんですけど、
80歳まで生きるって言われたら大体私でもう2倍ぐらいまだ生きなきゃいけないんだっていうことになって、
で、それまで楽しんで生きるには多分いろんなカルチャーが変わると思うんですよね。
今回コロナが生まれたことによって人との関わり方も変わったし、メディアの楽しみ方も変わると思うんです。
で、あと最近はツイッターとか登場したことによって結構集中力が持たないというかですね、
私個人はもう2時間の映画を1回もツイッター見ずに、iPhoneでツイッター見ずに、画面だけ見て見切るということができなくなってるんですよ。
ドクターさんはできますか?映画を見るときって。
27:02
さすがに映画館とか環境が揃っちゃえば多分なんてことはないんですけど、
例えばPC上のディスプレイでNetflixで見てるとしたら多分行っちゃいますね、ツイッターの方に。
そうですよね。だから映画館の価値って今そこにあると思ってるんですよね。
映画に集中するための場所として映画館があるし、
あと何だったらオンライン授業に今ほぼ切り替わったんですけど、この2年間ずっとオンライン授業してきて思うのはやっぱり、
大学の場所っていうのは1時間半授業に集中できる場所っていうのがあったんだなと思うんですけど、
そうですね。
まあなんかそんな感じで集中力奪われている中で、いろんなメディアの作り方も変わるんだろうなと思うんですよね。
だからこそ、大学では自分の楽しみ方っていうのを見つけて、
勉強すると実はいいことがあるんだぞっていうのを覚えてほしいってのがありますね。
なるほどなるほど。
実は今ちょっとお話聞いてて、全然そのスケールは違うんですけど、
私も一応WebGLスクールっていう、ちゃんとした学校のカリキュラムとは全然違いますけども、
はい、全5回ぐらいで大体開催されていますかね。
そうですね、スクールの種類がもともと2種類ありまして、
WebGLを広く扱ってるやつと、シェーダーだけにフォーカスしてるやつの2種類があって、
シェーダーにフォーカスしてる方はちょっと短期的な感じになってて、5回ぐらいですね。
WebGLの方はちょっと長くて、8回から9回ぐらいなんですけど、
そういう、言うたら昔で言うとこの私塾みたいな感じですかね、
私個人が塾を開いていて、そこに皆さんに来ていただいてるっていう形なんですけど、
でもそういう、なんて言うんですかね、個人的に開催してる小さなスクールやってても、
ちょっとおこがましようではあるんですけど、同じようなことをやっぱり感じるというか、
もう千差万別なバックボーン、千差万別なスキルセット、千差万別な目的を皆さんそれぞれ持っていて、
その中でなんかこれさえやれば全員が100点になれるものってないんですよね、どう考えても。
で、じゃあ自分で講師側の目線に立った時に、受講者さんたちに平均すると最大一番大きい利益を出せるものって、
なんなのかなっていうのを考えるとすごく悩ましいというか、
まあ答えがなかなか、明確な答えはなかなか見出せないというか、すごく悩んでしまうんですけど。
やっぱりうちもデジタルゲーム学科という名前で学生募集している以上、
30:04
単純な成績だけで見てしまうと、下の方の学生から上の方の学生まで結構広くいるんですね。
多分この成績というのは数学的なことの理解速度の違いかなというふうに思っているんですけど、
やっぱりいろんな学生がいる中で、どの学生を主体として授業を進めていったらいいんだろうっていうのは結構いつも悩みますね。
いや、ほんとそうなんですよね。だから結構WebGLスクールは、WebGLのスクールっていうくらいなんで、
Webの開発者さんが多いんですよね。
とはいえ、多いとは言っても中にはHTMLとCSSを普段は書いてるけども、プログラミングあんまり得意じゃないけど興味がありますみたいな人もいれば、
逆にUnityとかああいったツールではゲーム開発やったことあるんですけど、自分でスクリプトで書いたりしたことはないんですっていう人だったりとか、
ほんとにいろんな人がいて、基本私は低い方に合わせると言うとちょっと言い方悪いんですけど、
できない人がいるんであれば、その人が分かるところから始める方がいいのかなっていうふうに考えて、
普段はサインとかコサインの話から始めるんですよね。ラジアンというものがまずありますよと。
皆さんもしかしたら角度は度数で考えるのに慣れてると思うんですけど、プログラミングの世界ではラジアンで考えるんですよみたいな話からやるんですけど。
大体私が1年生にやってるお話と同じですもんね。
そうですよね。
私も1年生向けにラジアンの話をして、ラジアンの方が実は簡単ですよって言い方私はします。
そうですね。いろいろ説明をしていく中で、これ度数でやってたら大変ですよみたいなところが自然と伝わっていくのかなと思うんですけど、
そういうのも、こういう話を今まで誰かと同じ目線で共有したこと全くなかったんで、すごく新鮮ですね。
そうですよね。
私は周りに大学の先生とかがいるわけではなくって、1人でずっと個人でスクール運営っていう感じでやってきてるので、
現役の先生と比較するのはちょっとおこがましいんですけど、
とにもないとにもない。
初めて、いろんな仲間内でトークしてる感じに今初めて慣れてますね。
よかったです。
とにもないと今言ったのはですね、多分ターゲットにしてるお客さんが違うと思うんですね。
私はもう18歳から20歳過ぎの学生がターゲットなので、
それこそ勉強って面白いよ、自分のためになるよっていうところなんですよ。
だから将来の自分のために勉強しましょうねって、そのための準備運動みたいなことを提供してるわけですけど、
やっぱり多分、独卒さんのやられてるスクールに来られる方は、
33:02
もうちょっと厳正利益が欲しいという感じで、
もっと具体的な多分目標があって来られるので、
そこにどうやって対応していくのかっていうところとはちょっとポイントは違うのかなという気がするんですけど。
そうかもしれないですね、確かに。
いやー面白いですね。
なんか、いや本当にこういうなんかちょっと立場は違うんですけど、
やっぱ教育だったり育成だったり、なんかそういう話を聞けるのが、
自分にとってもすごく新鮮ですし、めちゃくちゃ今、ためになってます。
ありがとうございます。
いや、私もね、こういうお話をあまり教員同士ではしないと言いますか、
そうですよね。
オンライン授業始まってから会議も結構オンラインでやるようになりましたし、
仲間同士でどういう教育をしたらいいんだろうねって、
ひょっとすると高校の先生、中学校の先生の方がたくさんしていて、
大学の先生同士はもう自分の専門のことをいかに教えるかっていうところがありますから、
あまりこういうお話はしないですよね。
そうですよね。やっぱ大学っていうとね、全然雰囲気が一変するというか、
学問に対する取り組み方だったりとか、実際内容もそうなんでしょうけど、
かなりやっぱり一気にグッとレベルが上がるというか、
高校までとちょっと違ってくるとは思うんで、
確かに先生同士も本当にそれぞれがそれぞれの専門だからっていう、
縦割りとはちょっと違うのかな。
でも専門が全然違うからっていうようなイメージはありません、確かにね。
そうですね。でもそれこそ、何でしょう、いわゆる電子工学科とか、
そういう名前がついてる学科と違って、デジタルゲーム学科、うちの場合は、
プログラミングを教える学科でもあり、グラフィックデザインを教える学科でもあるんです。
で、大きく分けてその2種類の学生にいろんな授業を通じて、
専門家になっていってもらうというそういうカリキュラムになっているので、
先生も結構バラバラなんですよ。
なので本当にゲーム会社で勤めていましたという先生もいらっしゃいますし、
CMでビデオを作ってましたという先生もいらっしゃいますし、
本当に私と同じようなアカデミックなバックグラウンドを持っている先生もいるしで、
いろんな先生がいる中でやっぱり教え方も違った方が効率がいいんですね。
やっぱり学生の興味もいろいろなので。
でも何でしょう、いろんな教員がいるので、
その教員の中であまりお話しするという機会はやっぱりないですね。
なんかその全然想像つかないんですけど、
結構その、私今回ちょっと沼田さんとお話しするにあたり、
36:01
事前にざっとその大学のウェブサイトとかは見させていただいたんですけど、
どういったことを教えているのかの触りだけちょっといろいろ聞いてもいいですか。
えっとね、えっと、そうですね。
学科として言った時にやっぱりゲームと名前のつく授業とそうでない授業に分かれます。
で、えっと、ゲームというその専門家になっていく学生は実はひと握りなんですね。
どっちかというとそのゲーム開発ということをキーワードにしていろんな勉強していきましょうという学科だと私は思っているんですけど、
なので私が担当しているところだと、えっとそうですね。
もう科目名だけ見上げるとオブジェクト思考プログラミング実習とか、
オブジェクト思考ソフトウェア開発チーム開発技法プログラミングシステム論とか、
こんなところで私は結構そのカチッとしたプログラミングの先生としてやってるんですね。
はい。
なのでやっているのはC言語C++の演習授業であるとか、
それからオブジェクト思考ソフトウェア開発なんかではUMLが読み書きできるようにしましょうって言って、
そのツールを紹介したりとかオブジェクト思考の考え方を紹介したりとかっていうところだし、
プログラミングシステム論っていうところではインタープリターを作ってみましょうって言って、
なんかそこまでスキルがない人でもちゃんとインタープリターが作れる授業をしたりとかですね。
大体そんなことをしてますね。
面白い。じゃあ結構あれなんですね。
その学科にゲームと入ってはいるけども、別にそこにこだわらないというか、
プログラミングの基本みたいなところもしっかりカバーしているみたいな感じなんですね。
そうですね。やっぱりゲーム開発を目指している学生が集まりやすいので、
同じ志を持った学生が見つけやすいというメリットは学生さんにとってあると思ってます。
やっぱりゲーム会社にいた先生もいるので、
「こんなゲーム作りましたけど」って先生に見せたときにかなり的確なアドバイスをもらえる。
こうした方がいいよとか。私だったらプログラミングとして、
このやり方はやらない方が拡張性が上がるよとかですね。
そういうアドバイスができるっていうところが一番のメリットだと思っているんですけども、
授業としてはそこまでゲームゲームした感じではないですね、実は。
なるほど。
就職活動をする学生によく言っていることなんですけど、
ゲームクリエイターになりたいんだったら、
就職活動を始める前にゲームをクリエイトしてないといけないよっていう。
まあそうですよね。
ことですね。
いや、それは本当に、私がTwitterのタイムラインで見ている、
おそらくゲーム会社に所属しているであろう現役のプログラマーさんたちが、
39:04
やっぱりリクルートの季節になると、
だいたいみんな言ってることを見てると、
確かにそういう感じの空気がありますね。
やりたいんですって、
じゃあなんか出してくれないと本当にやれるのかやりたいのかわからないよねみたいなのはよく見るというか。
そうですよね。
だからその、あと自分の意識の問題があると思っていて、
自分はゲームクリエイターなんだっていう意識で、
面接を受けに行って、
で、こいつは仲間なんだって思ってもらえるのと、
もうなんか、僕はこれからゲームクリエイターになりたいんです、入れてくださいっていう言い方で、
受けに行くのとは結構違うと思うんですよね。
で、そこら辺のこのマインド的なところで、
いろいろさっき言ったその、
同じような学生が集まってきている中で、
自分はこれだけのゲームを仲間と一緒に作ってきたっていう自負があって、
ゲーム会社を受けに行くっていうのは結構意味があることかなと思って。
そうですね。
そうですね、そこの部分が結構大きいですね。
だからぶっちゃけた話、別にゲームクリエイターになりたいからといって、
デジタルゲーム学科に来ないとなれないよってことはないので、
そこの学科でどんなふうに勉強したいのかとか、
ひょっとしたら専門学校のほうが合っている学生もいるかもしれないし、
あるいは専門学校も、こういう大学も来なくていいから、
一人で勉強したほうが合っている学生はそうしたらいいし、
YouTubeで今すごいもう、英語、日本語問わずに勉強すれば、
いろんなコンテンツが上がっていて、自分でどんどん腕を磨ける時代なので、
もうそういうことが合っている人はそうした方がいいしと思いますね。
えっと、このオンライン授業になって、
絶対的に学生が奪われたものがあるなと、私が最近思ってるんですけど、
それ、ノートを書くということなんですね。
大学に来て、90分間教室に座らされて、
目の前に先生がいて、黒板を書いてたり、
あとスライドを目の前にお写しされてたら、
まあ、なんかノートを取り出して、
取ってないといけないのかなっていう雰囲気になるし、
周りの人も多分そうしてるし、
もし写してる社協だとしても、多分ある程度写してるでしょう。
でもこれが、下手するとiPhoneで流し見してたりとかするだけだと、
多分そこまでノートを書いてる人は少ないんじゃないかなと。
あと最近多分スライドが結構作り込まれた状態でPDFで提供されるので、
それはわざわざ同じことを書かなくてもいいじゃないかということがあると思うんですよね。
42:00
だからノートを書いて、自分の頭に1回取り入れて、
勉強するっていうことをしなくなってるのかなという気はするので、
そこはね、このオンライン授業が学生から奪ったところなのかなという気がちょっとしてます。
なんかどうなんでしょうね。実際それによる影響というか、
そういうふうに環境が変わってしまったことによって、
なんか学生さんたちに変化というか、そういうのがあったりします。
なんか感じるものはありますか、そういうの。
どうなんでしょうか。そもそも学生と会う機会がめっきり減ってしまったので、
まあそうですよね。
その検証すらも実はできてないんですけど。
そうですよね。確かにそうだ。
ただオンラインの授業で、学生と距離が近くなったように感じるところは結構あります。
今、独卒さんとちょっと画面を見ながらお話しさせていただいてるんですけど、
この距離なんですよ、学生との距離が。
だから絶対的に多分、学生が今まで、多分2,3メートル離れたところに見てた先生、
後ろの学生だともっとですよね。離れたところから見てる先生との話をしてるという環境とは結構違うので、
学生と距離が縮まったし、私最近ニコニコ動画形式でコメントを送ってもらえるコメントスクリーンというシステムを導入してまして、
それをニコ動のようにこんなことができるんだとか、ザーッとコメントが流れてくるところにリアルタイムに対応することができるんで、
結構学生との距離が縮まったなと思うところも実は大きいんですよね。
なるほどな。確かに大学の大きい校道みたいなところで講義してたら、基本もっと遠いですもんね、距離が。
そうですそうです。めちゃめちゃ遠いんですよね。
だからそのメリットデメリットがお互いにあるし、あとやっぱりオンラインでやってるとレコーディングできて、
レコーディングしたものって後で1.2倍速とかで見返すことができたりするので、
そのあたりのメリットっていうのはうまいこと活用してほしいなというところはありますね。
確かにな。WebGLスクールとかも実地でずっとやっていまして、その会場を借りて、
勉強会の会場に来ていただいて話すっていう形だったんですけど、
コロナウイルスの影響でちょっと今年はできないかもみたいな話になったときに、
でもリモートでできるんだったらやるほうがいいのかなと思っていろいろ準備とかして、
2年前のときから確かリモートでやるようにしたんですけども、
それによって東京近郊じゃない人も受けられるようになったってあったりとか、
1回仕事の都合で見れない会があったとしても、
45:01
その場にいなくても全部その様子をもう1回後から見ることができるってあったりとか、
メリットは確かにいろいろあるんですよね。
だから本当に一概に全てが良くないってわけでもないし、
対面でやることの良さとか距離感、実際に目の前にいることの距離感みたいなところも、
影響がないかっていうと多分何かしら違いはあるんでしょうけど、
でもリモートでやることのデメリットばかりでもないな、
メリットもあるなっていうのは確かに感じますね。
確かに確かに。だから今まで自動的に当たり前にできていたことが、
結構素因数分解されてできなくなっている、
自動的には提供されなくなっていることって結構あると思ってまして、
例えばさっきのノートを書くもそうですね。
雰囲気的にノートを書かされないといってノートを書いてた。
それによってある程度の学力を保ってたってところが1個あるかなというのと同じように、
友人と雑談をするっていうのもそうだし、
友達を作る恋人を作るのもそうだし、
あと大学に行くために歩いて電車に乗ったりして移動するっていうのもそうだし、
で、おそらく散歩をしないと、
自分の頭の中にこうふわふわ浮いているアイデアが結びつくっていうことがないと思うんですよね。
うん、わかりますわかります。
はい、だから散歩ってすごい重要ですよね、このコロナになってから改めて気づいたんですけど。
通勤のために街路樹の下を歩いていたほんの数分間とかっていうのが、
実は物事を無意識に整理してるんですよね、たぶん歩きながら頭の中で。
そういう時間がやっぱりなくなってしまったことによって、
気がつくと結構コンツメちゃってたりとか、
新しい発想が乏しい状態で、最近あんまり自分の中でモヤモヤしちゃってるなみたいな感覚があったりとか、
そういうのは確かに感じますね。
だから結構今まで当たり前に自動的にできてたことっていうのを、
自分の意識的に能動的にやっていかないといけないというところはすごいあるのかなという気がするので、
雑談したいとか友達を作りたいって言うなったら、いろんなサークルにコロナの中でも能動的に参加してみるとか、
歩くって言うなったら図書館に行ってみようとか、目的を決めて移動するということをしてみるとか、
そういうことが今必要な時代なのかなという気がしますね。
本当そうですね。もちろん社会人も学生も今の話って当てはまるというか、
みんなそれぞれに気分転換する時間だったりとか、
そういう外を歩く時間だったりとかもそうだし、
あとやっぱり対面で直接コミュニケーションできる場を何か作っていかないとっていうのは、
48:05
なんとなく感じるところがあって、
私の場合はですね、ちょっと急に自分の話をしちゃうんですけども、
うちは結構子どもが大きくて社会人なんですね。
その子どもを見てると、社会人とは言っても本当に成り立て、まだ社会人2年目かな、なんですけど、
いわゆる我々が経験してきた職場で新しい人たちと出会ってみたいな経験が、
もうめちゃくちゃ乏しいんですよね。
最初から入社式とかはやったけど、その後はもうリモートで仕事をしてますみたいな感じの。
それもちろん職種によっては違うと思うんですけど、うちの子の場合はそんな感じで働いていて。
そういう方も多いですよね、多分。
だから同期の友達、要は職場の友達みたいな、同期の人たちみたいなのとか、
あと異性とのやりとりだったりとか、そういったものも一切ないですよね。
リモートで黙々と分からないながら勉強しながらプログラムを書くみたいなことを仕事にしてるみたいなんですけどね。
だから、例えば私の親心からすると、もっとお前外にどんどん出て、
いろんな人とも関わって人生経験をいろいろ積んでいきなさいよっていうことを言いたいなって思うことがあったとしても、
できないじゃんって言われちゃうと何も言い返せないというか、
確かにだね。
そういう場がないんですよね、実際。
ないですよね。
私なんかは本当に、若い頃全然プログラマーとかでもなかったんで、
それこそ肉体労働みたいな職場で働いたりもしてたし、飲食店みたいなサービス業で働いたこともあるし、
やっぱ同じ同世代の人もいれば、年が離れた人もいれば、上司もいれば、部下もいれば、
いろんな環境で自分の人生を歩んできたことが今につながってるなって思うんですけど、
今のそういう若い子たちって、それすらも許してもらえないというか、
そもそも経験の場を用意してもらえないじゃんみたいな人がいっぱいいるのかなって思うと、
すごく難しいなって思っちゃいますね。
そうですね。人生において結構無駄って重要ですよね。
重要ですね。
遊びっていうんですかね。
そうですね。なんかその、実際に人と会って、感情的になっちゃって喧嘩になっちゃうとか、
そういうことも含めてやっぱり人生経験だと思うし、なんかこう失敗して痛い目見て分かるみたいなこともね、
なんかあんまりその、何ていうんだろ、古臭い考え方のような感じもして、あんまり自分で言っててどうかなっていうところはあるんですけど、
とはいえ、やっぱり失敗の中で学んでいくことっていっぱいあるし。
いや、そうですよね。大人になって、頭が退化して勉強できないことっていうか、新しいこと取り入れられないことってほとんどないと思ってるんですよ、私は。
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何歳になっても、もちろん脳細胞レベルで見たらそれは衰えてるんでしょうけど、
そこまで実は人間の能力で低下してないよと。
ただ、失敗できなくなるんですよね。
初めてやることが本番だったりすることが多くなっていくので、いかに失敗しないかっていうところ、
あとその、1回こっきりの出会いで終わってしまうようなビジネスの相手とかだと、どうしてもそこで失敗してしまうことがすごい大きなマイナスになるので、
いかに失敗しないかっていうところに注力してしまうけども、
そういえば、失敗することっていうような遊びっていうのがすごい必要だと思うので、いかに失敗できるか、失敗してもいいんだと思えるかっていうところは重要な気がしますね。
いや、ほんとそうなんですよ。だから最近、なんかこれいきなりちょっとなんか人生相談みたいになっちゃうんですけど、
ほんとに私、夜中結構眠れないくらい思い込んじゃうというか、悩んじゃうのが、ほんとにうちの息子をどうしてあげるのが一番いいんだろうっていうのをすごい悩んじゃうというか、
こう無理やり、今実家住まいというか、私と一緒に住んでるんですけど、無理やり外に放り出して、その社会経験を積ませるべきなのか、
例えば、なんかその引っ越すのってめちゃくちゃ手続き多くてめんどくさいですよね。で、ちょっと手続き忘れたりすると、ガス電気止まっちゃいましたとか、そういうとても困ったことになる。
で、それを知らないんですよね、彼は。やったことないはずなんで。で、私は多分それをやらかしたんで、知ってるというか、
失敗したときのデメリットの大きさがわかってるから、絶対そうならないように先行投資する、てかちゃんと最初にやるっていうふうにできる。でもそれって多分失敗してるからできるんですよね。
で、なんか彼がじゃあ30歳40歳とかになってから、なんかの都合で出なきゃいけない、外に出なきゃいけなくなったときに、いざやろうとしてもそれがわかりませんってなったら、まさに今沼田先生がおっしゃったみたいに、
失敗できない状態になっちゃってると思うんですよ。40歳とかになって引っ越し1回もしたことありません。電気ガスの手続きどうやったらいいかわかりませんとかってなったら、
ね、スタイリングジャンって思っちゃうんですよね。 私が、どうでしょう、さっきの移動、歩く機会が減った、移動する機会が減ったっていうのからちょっと思い出したのが、黒川貴昭さんという建築家の方がいらっしゃって、この人がですね、人はホモモーヴェンスであるっていう言い方をしてるんですね。
これは、人というのはホモサピエンスなんですけど、日本語にするとこれは、知ろうとする人、これが人間の本質であるというのがホモサピエンスという言葉なんですけど、ホモモーヴェンスというのはこの黒川貴昭さんが作った言葉で、人は動こうとする動物であると。
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で、人は歩くことも含め、あとその引っ越しをしたり、いろんなシステムのところに移動することによって、人たり得るというかですね、自分の立ち位置を知るというか、そういうことがあるっていう風に言っているんですけど、やっぱりその動くことを経験するっていうのは何かしら必要なんだと思います。
で、私個人の経験で言うと、35歳ぐらいでしたかね、の時にバタバタっと両親とも亡くしてしまって、いなくなったんですよね。
で、当時はどうやってお米を炊くかも正直わからないっていう状態で、最初料理をしたりするのがすごい苦労したんですけど、
で、ただその経験がやっぱり今に生きてるなと思うことはあるので、死んだことに感謝するというとすごい人気悪いですけど、
ただ、それまで自分からある意味遠ざけてくれていたものと、そこでようやく向き合うことができたので、そこで自分ってどういう人間なんだろうって初めて気づくことはできたというのがありますから、
一つはやっぱり何かしら無理やりでも動いてみる経験をするのはいいことなのかなという気はします。
いやー、なんかそうですね、強制的に環境が変わっちゃうっていうのも、それをやっぱり前向きに捉えられるかどうかっていうのもあるじゃないですか。
あります、あります。
だからその辺も結構難しいですよね。
ここら辺はもうキャラクターですかね。
そうですよね。
自分の成長にプラスに向き合えるのか、それともずっとそれを引っ張り続けるのかっていうところですけど、私はまあその経験が結構プラスに働いてくれたという捉え方をしているので、もうマインド一つだと思うんですけど。
そうですね、それ素晴らしい考え方だなと思います。最近本当になんかツイッターとか見てても結構料理とかもされてるじゃないですか、よく。
はい。
だから多分そういう経験が、なんか今につながってんだなっていうのをすごく今感じられましたね、お話しすると。
そうですね、だから当時は料理をしたことはなかったけど、料理をしないともうお金がかかってしょうがないと外食ばかりだと。
そうですね。
で、やってみようっていうところから始まって、お米の炊き方、そもそも炊飯器ってどうやって使うんだろうと思いながら、おそるおそる触るところから始めて、
で、実は料理が好きだっていうマインドセットに切り替えられるなということに気がついて、マインドセットを結構切り替えたんですよね。
で、最近では結婚して子供が生まれて、やっぱり自分の時間が以前本をめちゃめちゃ書いてたほどには取れなくなったんですけど、
ここもマインドセットの切り替えが結構強制された感じがします。
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で、時間の使い方が結構ビジネス的だったというか、ここからここまでの時間で何々を書こうとか、こういうプログラミングをしようとかいう時間の使い方をしてたんですけど、
なので結構時間管理という考え方をしてた気がするんですね。ここに15分費やそうとか、ここに30分費やそうとか。
なんかプログラマーっぽい感じですよね。
そうですね。いろんなことをプログラマー的に処理してたんですけど、実はそれをやってるとお皿洗いとかしてると辛いんですよ。
で、その日その日のメニューによってもボリュームって変わってくるし、あと子供が起きてる時間とかでも結構日によって変わったりするので、洗わないといけない量とかも変わったりすると。
そうなると、もうこれ目の前にある仕事にとにかく今向き合うっていうふうにマインドセットを切り替えることによって、実はこれって楽になるんだと思って。
変わったところがありますね。
いや、本当になんて言うんでしょう。
たぶん人生、その人間の人生全体を見たときに、もちろん人によって差はあるにせよ、子供ができるっていうイベントはもう全然違うことになりますよね。今までの人生の歩み方が全く別物になるというか。
そうですね。いや、本当に変わりました。
なんか生活のリズムも含めて、考え方ももちろんそうだし、今の沼戸さんがおっしゃったみたいな生活のリズムとかもそうだし、本当に全く違う世界に一瞬にして切り替わるというか。
そうですね。よく怖かすがいなんて言いますけど、よくわかった気がして。
いや、本当そうですね。
結婚してからの生活って、いかに今まで自分が一人でできていたことができなくなったのを取り戻そうかって言って正直考えてたんですけど、でももう子供が生まれたことによってそういう感覚ではいけないんだというか、そうじゃなくていかに自分の過ごし方を、この家族と過ごすのが今の自分の、何でしょう、家族と今自分がいるのが一つのシステムなんだと。
昔は自分という一人しかいないシステムで動いてたからこんなに本を書いたりするって自由にできてたけど、家族といるときにどういうゴール設定をして、どういうふうな動き方をするのが自分にとっての幸せなのかなって、今一度考え直さないといけないっていうのは結構大きな変換点になりましたね。
いや、ほんとそうだと思います。なんか、多分みんな、開発者の皆さんで、結構私の周りで最近お子さんできた方結構いらっしゃるんですけど、多分みんなその、なんていうんですかね、新しい世界に不安もありながらも基本的には正しくワクワクしながら生きてるなっていうふうに、私の周りにいる人たちは見えるんですけど、
やっぱりそう、なんかそれもみんなそれぞれに、なんか捉え方とか独特というか、プログラマーらしい捉え方してるなとかって思うことが結構あって、例えば前にゲストで来てくれたよもつさんっていう、WebGLとかを触られているフロントエンドの方がいらっしゃるんですけど、
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彼は子供が成長していく様子を見てて、もう機械学習に見えるらしいんですよね。一つ一つ試していって、ちょっとずつ最適化されていく様子が、いやー、なんかAIみたいだなって感じるらしいんですよね、彼は。
面白い。 開発者の人たち、私も、もうなんかすごい昔のことなんで、あんまりちょっと覚えてないんですけど、やっぱり子供ができたり子育てしてるっていうその時には、それ以前と比べるとやっぱ生活とかも全然変わってくるし、
なんていうか、優先順位が変わる感じがしましたね、私の中では。自分自身がどうなのかってことはちょっと後回しになるというか。
やっぱりそうなんですね。いや、これって、私が今44だから43の時に子供ができたんで、ある程度そのバックグラウンドもできてしまってるというか、さっき言ってたみたいに、私はこういう専門家ですよって自己紹介できるように多分今なってるんですけど、そうじゃない状態で子供が生まれてたらまた違ったのかなとかも思ったんですけど、やっぱりそれって違うものなんですね。
いやもう、そうですね。一緒のですなんですね。
あのそうですね、なんか、やっぱり例えばなんかすごいわかりやすく例えるなら、やっぱり漫画とか買っちゃうっすよ、その若い頃の自分を思い返してみると、漫画好きだな、漫画買うな、そういうことに全部稼いできた金の余剰分は全てそういう褒美とかに使ってしまうような生き方をしていて、
でも子供ができたとなったら、自分のことは別にいいんですよね、なんかそういう漫画とかも欲しいっていう感覚がなくなったというか、まずは生き残らなきゃいけないみたいな、子供のためにちゃんと蓄えもしなきゃいけないなとか、なんかそういう思考に切り替わるというか、
だから自分の中で当たり前だった、その新しい漫画の最新刊が出たら、まず何よりも差し置いてそれを買いに行くみたいな行動があんなに大切だったのに、1ミリも別に大切じゃなくなるみたいなのはありましたね、やっぱり。
なるほど、いや変わりますよね。
いや変わりますよね。
だから、そう、だから多分それで私もアニメを見なくなりましたね、この1年間で。
なるほど、いや結構だから、別に何だろう、それをなんかあんまり残念にも感じないというか、別に嫌じゃない変化、自分の中での自分の変化自体は別に嫌だとは感じないというか、なんかそういうとこありましたね、私も結構もうゲームとか、
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漫画、アニメ、もうそういうものすごく好きで、なんかそれがない生活って考えられないみたいな感じでしたけど、なんかそういうのどうでもよくなっちゃいましたもんね。
どうでもよくなっちゃう。 いや、でもそうですよね、変わりますね。見えなかったことがあと見えるようになって、よく言われることだと思うんですけど、これだけ街中にベビーカーをしてる人がいっぱいいたんだっていうことにまず気づきましたし、
あと、うちはこのベビーカー選んだけど、この人はどういう視点でベビーカー選んだんだろうと思って、なんかこのベビーカーはここがいいところだし、このベビーカーここ使いにくいけど、この人はこういうのを選んでるってことは、車を使わない生活をしてるのかなとか、なんかいろんなことがこう見えるようになって。
いや、それは本当にそうですよね。なんか、例えば飲食店とか入ってもベビーシートあるかどうかとか、やっぱ見ちゃいますもんね。なんか今はもう必要ないんですよ、うちは。必要ないんだけど、お店に行ってあるのを見ると、あーちゃんとしてるなって思ったりするし、本当になんか見える世界が変わりますよね。
そうですね。子供さん連れて抱っこしたりして買い物してたりすると、これ実は大変だよなとか、で、今度子供じゃあ下ろすときに自分の靴の履き替えは結構大変だからとか、なんかいろんなことが見えるようになって。
いやー、わかります。なんかすごいわかります。
だから、実は自分が知らないその世界線っていうんですかね、自分が知らないこう、人生のステージというのが結構いろいろあって、でもそこのステージにはいろんな人がそこにいて、なんかそこにこう子供が生まれたっていうことで一個移動して立てて見えない世界が広がったんだなって思うと、ひょっとするともっといろんなところに自分の知らない世界があるのかもしれないと思い始めてるとこですね。
いや本当にそうですね。だから、なんかその子育ての話で言うと、やっぱ面白いところはそれが年々やっぱり変わっていくんですよね。
その一番最初はやっぱりこう、もう一言で表すなら尊いというか、もう何者にも変えがたいみたいなやっぱりものではあると思うんですけど、やっぱ年をだんだん重ねていくと子供が大きくなって、そのただの尊さ以上のものがまあいろいろ出てくるんですよね。その憎たらしい部分もそうだし。
結構キャラクターってありますよね、初めから。
いやありますあります。なんか可愛らしいとこももちろんそうだけども、憎たらしいとこだったりとか、なんかいろんなことがやっぱり出てくるんで、子育ては本当に終わりがないというか。
そうですね、なんか私の子育ては終わったとはいえ一緒に住んでる以上は、なんか見てて感じることってやっぱあるし、まあいいことも悪いこともね、いろいろあって、なんか多分これからまだまだいろんなことが起こると思います。
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まあでも、そうですね、それが楽しみに思えるようになったっていうのが大きいですね。
いや本当そうですよ。多分なんか今日、沼田さんと初めてこうやって対面で話してますけど、やっぱりその物事の捉え方が全部前向きな方なんだなっていうのがすごく感じました。
ありがとうございます。
多分それ大事なことだと思います、すごく。
前向きだし、あとここ数年で変わったこととしては、占いの本を読むようになります。
なんかちょっとまたおかしな感じもしますね。
ちょっと違う方向に思えるでしょう。何かというと、今ここにですね、占いの本があるんですけど、毎年出版されるんですよ。
で、毎日の行動指針みたいなのが書いてあるんですけど、これをね、盲信してるというよりは、毎日これをこう習慣化して見ていくんですよね。
そうすると今日は見たことがない、でも買って積んでおいている本を読むといいでしょうとか。
人におすすめしてもらって映画を見に行くといいでしょうとか、そういうことが書いてあったりするんですよ。
今まで自分一人では行動を起こせなかったようなことがちょっと行動指針として載ってたりして、こういうのも一つの、何でしょうね、ランダム性を獲得する方法だなというか。
はいはい、いやなんかちょっと面白いな、なんかその、いや今の話、ちょっと最初にその話を聞いた時に、
我々プログラマー的なロジカルな世界に生きてる人間が、何で占いなんだろうって思ったんですね、最初は今。
でも今お話全部聞いたら、要するにランダムなノイズを程よく入れることによって、そのランダム性を楽しんでるんだなっていうのが分かったんで、なんかそうするとやっぱちょっとプログラマーっぽいなっていう感じもしますね、やっぱり。
結局なんかプログラマーなんでしょうね、それは自分の本質のような気がする。
いやなんか面白い、なんか占いをランダムなシードの一つとして考えてるみたいなの面白いですね、それ。
そうですね、だから子育てをしてる時も今、遊びをですね考える時にも、ゲームのその作り方を教えたりする時に、遊びには4つの要素がありますよみたいなことを言うんですよ。
ロジェ・カイオワというですね、フランスの社会学者が提唱していることで、遊びっていうのは結構いろんなものがあるんですけど、まずめまいがあります。
もう人の体があるからにはめまいが起こりますよね。
人はモノマネをするものですよねというのが2つ目ですね。
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もう1個は競争するものですと。自分との競争だったり他人との競争だったり。
それからあと偶然という言い方ですね。これフランス語でもっと難しい言い方で言ってるんですけど、分かりやすく言ってるのは、この偶然というのは例えばルーレットとかくじとかこういうのも偶然なんですけど、
それだけじゃなくて、例えば1秒間に1回回転して水が放射されるような遊具があったとして、それの感覚というのは人間にはきっちりはわからないので、
そういう人間が把握できないものすべてのことを偶然という言い方をしているんですけど、
これが人間の基本的な遊びの4要素ですよっていうのがこのカイオワの提唱している理論で、
これを自分の考えたゲームの企画に当てはめてみると、結構改良のポイントとか見つかってくるかもしれないねってそういうお話でこれを使ってるんですけど、
このうちねやっぱりうちの子供が獲得しているものっていうのは、まずめまいは結構最初から獲得してるんですよね。
抱っこして揺らしてあげると結構喜んでくれる。でも最初は真似すらしてくれない。で、最近1歳を超えてようやく結構いろんなことを真似するようになってきて、
これってこの今まで気づかなかったんですけど、遊びの4要素っていうのは当たり前のようにそのあるのかなと思ってたら、だんだんと遊びって獲得していくものなんだってことがあったりしてですね。
まあ結構日々の暮らしから学ぶことっていうのは多いなと思いながら、これもでもその大学で教えてることっていうのがすごいなんか自分の生活に当てはめてしまってですね。
先生のという病というか先生病なのかなと思いながらいるんですけど。
いやなんか本当にあれですね、なんかそのプログラマー的な部分も大学の教員としての部分も、あとはそのお父さんとしての部分もいろんなものがすごく
根前一体とはしてるんだけども、なんかそれぞれがちゃんとしっかり立っているというか、根前一体とはしてるんだけども、ちゃんとそれぞれの特徴をうまく組み合わせて今の沼田さんが存在しているんだなというのがすごく。
そうですね、そんな感じになってました。
[音楽]
あのさっきその自動的に当たり前にやっていたことがどんどん奪われていて、自分の能動的にやらないといけないというお話をさせていただいたんですけど、このノートを書くというのは結構学生だけの問題ではないなと思ってるんですね。
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で、私教員としてもここ2年間で初めてこの授業ノートというのを書くようになったんです。
で、あの、というのは多分授業の内容を最適化したかったんですかね。もっとこう学生にとってわかりやすくて興味が持てる内容を掘り下げていこうと思って、何を教えていたんだろうかってことを書き出したんですけど、
そのノートを書くっていうことは結構重要で、あとそのノートのサイズが重要だと思ってるんです。
はいはいはい。
あの、高校生とか中学生の時とかってB5のノートを使ってると思うんですけど、これは結構小さいノートなんですね。
で、いわゆる大学ノートっていうのはA4のノートで、A4の見開きのノートを片っ端から文字で埋めようとすると結構な労力が。
そうですねそうですね。
はい、で、慣れなかったら多分1時間半から2時間かかって、慣れてもそれが1時間かかるんですけど、これをその書き切るというのがノートを書くことなんだなと。
自分の中にあるそのいろんなものの関連をこうビジュアライズしながら、目の前にこう、なんて言うんでしょうね、まな板に載せる作業というか。
で、ノートを書いてようやくまな板に載せ終わるんですよね。
今度はそこから、例えば私だったら授業をしないといけないですし、学生だったら多分それを今度自分の作品作りとかいろんなことに応用しないといけないというところがやってくると思うんですけど、
まあなんか、結構ノートテイキングの技術というのは、まずその考え始めるための事前準備としてのすごい重要な作業なんで、
皆さんちゃんと勉強したらノート書いてますかってことをちょっと伝えたいなと思ってるんですよね。
なるほど、なるほど。
そうなんです。Twitterを見てる人が、最近というのかな、Twitterを見ていろいろ勉強してる人にも問いかけたいんですけど、
Webブラウザーで最近ブックマークしてますかっていうのが思うんですね。
これ多分、今ブックマークをしないといけないようなWebページを見つけることの方が難しい。
というのは、多分ほとんどの人がGoogleスライドであるとか、スライドの共有サービスなのか、スプレッドシートなのか、
あるいはTwitterで短文を書くとか、あるいは聞いたとかに書くとか、そういうところに分散してしまって、
ブックマークしないといけないようなページが出ることっていうことが少なくなってきたのかなと思ってるんですけど、
特にそれがTwitterで出てくると、例えばこういう、なんでしょうね、パッと例が思いつきませんけど、
こういう例の時にはこうした方が見栄えが良くなるよとか、漫画はこう書くよりこう書いた方が訴求力上がるよとか、
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そういうTipsが画像付きでバンと出ていて、それがいいねを集めることってすごく多くなっている気がする。
ありますね。
でも、実はその分野のことを勉強してみると当たり前のことだったりするんですよね。
そうですね。
デザイン的には。
じゃあそれってその当たり前のことをそこをいいねボタンを押すだけで満足していいんですか?と思うんですよ。
そこをいいねと思うんだったら、ちゃんと例えば色彩検定の教科書であるとか、IT系だったらITパスポートの教科書であるとか見て、
ちゃんと勉強した方がもっと広いことが実は知れるんですよ。
で、その中で勉強したことっていうのをノートに書き起こして30ページだったら30ページ書くとですね、
ちゃんと自分が勉強してきたことっていうのが目の前に現れますよ。
こんなことを自分ができるようになってるんですよっていうことが思うので、
そういったことを学生に問いかけたいし、世間みんながやるようになっていくと、
ちょっとこう、何でしょう、全体の勉強レベルというか学習の仕方レベルが上がるのかなという気がするんですよね。
いや、なるほどな。なんかあんまりブックマークしないくなったよね、確かにそうで。
私も全然ブックマーク最近しないですよ。
あんまりこれは有益なサイトだなと思ってブックマークするっていう経験が確かに減ってると思うんですね。
で、ちょっと前にまさにタイムリーな感じで私Twitterでつぶやいたんですけど、
これが環境の変化なのか自分のメンタルの主体的な変化なのかどっちなのかなってそれを思ったんですよ、行こうなよと。
今の沼田さんのお話聞いてたら、確かに環境的にも変わってきてるというか、
全ての知識が離散的になってるって言ったらいいんですかね、小さい細切れになって無秩序に散らばってる状態になっていて、
多分両方ですね。
そうですよね。だから多分昔だったら結構、やっぱりまとめてくれるキュレーターみたいな人がいて、
その人がたまたま文采もあったりすると、ガーッときれいな説明文付きで画像も整理整頓されたものが一つのドキュメントになっていて、みたいなページがやっぱりあって、
そういうのを見つけた時に、教科書的にやっぱりブックマークするというか、
これ絶対自分の役に立つなと思って撮っておくみたいな経験って確かにあったなと思うんですけど、
最近ってなんか考えてみるとそういうものが割合としては減ったのかな。
あとは自分自身が知識もついたことによってそういうふうに感じることが減ったっていうのが、
相互的に作用して、私自身はあんまりブックマークをしなくなってるのかなっていうような感じがしました。
1:18:06
お話聞いてて。
多分40歳ぐらいになってしまうと、ある程度知識もついてしまうし、ブックマークの量実際減るんでしょうけど、
でもそれとは別の問題として、ブックマークというそのウェブブラウザの役割自体も変わっているし、
すごいサービスの窓口という形に今なってるのかなと思うんですけど。
それをさらに自分なりにノートにまとめるという行為をしていくことによって、
もう1次元上の段階がもっとあるんじゃないっていうことですよね。
そうですね。そうですそうです。
そのノートを文字だけで埋め切ろうとするとですね、
自分はそもそも何をやりたいんだろうというところに結構言及せざるを得なくなっていくんですよ。
これってなんでっていうことを深く追求していくと、
絶対的に自分はなんでこれを勉強してるんだろうとかいうところが重なってくるので、
これが好きなんだったら、実はコンピューターと直接関係なくてもこういうことって好きなんじゃないということに気がついていくわけですよね。
だからそういうトレーニングとしても、ちょっとノートを書くということは皆さんやってほしいなというのを大学の先生として最近強く感じるようになりました。
いやーなんか面白いですね。確かにノート取るっていう経験してないですもん、全然。
しないですよね。
紙にペンを何かするっていうのが、本当になんかたまに契約書に代表者のサインが必要とかそういうのでしかペンを持ってないっていうか、
紙と向き合うことが全然ないなっていうのはあるかもしれないです。確かに。
最近、ここ1年半ぐらい趣味でペン字のトレーニングをするというのをずっとやってるんですけど、
それのそもそも論としては、なんでそれをやり始めたのかというと、もっとノートを整理された形で書けるようにしたいと思うようになりまして、
なんでノートを書いた方がいいかっていうとですね、これ別にメモ帳とかにキーボードで打っても同じことじゃないかと、
例えば学生なんかはよく言うんですけど、違うんですよね。何かというと、キーボードで文字入力をしたりしてると早すぎると思うんです。
早すぎるし雑音が多い。
どういうことかというと、予測変換が結構効いてくれるので、人間が文字を書く以上に早く入力できてしまう。
なので、例えばメールを書いたりするときに「沼田です。いつもお世話になっております」っていうのを「沼田」まで入れると、もう勝手に補完してくれるんですよ。
で、思い返してみると、そのメールを打ってるときに「いつもお世話になっております」ってもう感じなくなってるんですよね。
感じないですね、確かに。形式的に書いてますね。
1:21:01
そうなんです。だから、ちゃんとしたメールを書くように形式を整えてるという行為をしているだけであって、
「いつもお世話になっております」とはその時は感じていない。
で、同じようにノートを取るっていう時に、例えば、なんでもいいんですけど、WebGLとかUnityとかMetalとかですね、そういったことのキーワードを入れていくと、ある程度保管されてしまうんですね。変換とかいろんなものによって。
で、自分の頭を結構スキップして、テキストが作られてしまうということが多い。これってすごいマイナスだと思ってるんです。
自分の、せっかくキーボードを打つ時間をかけているにもかかわらず、自分の頭を経由せずに、単にパソコンの画面と自分が見ているコンテンツの間だけでやりとりがされてしまっていて、自分が経由して関わっていない。自分が成長できていない。
で、私が最近ノートを取る、自分で字を書くのが重要だと思っているのはここなんですよね。自分で字を書いていると、予測変換とかで別の字が出てこないんですよ。
そうですね。
で、例えば簡単にとか書こうと思っても、びっくりするっていう簡単とかも変換候補に出てしまう。そのノイズが絶対に出てこない。
で、ありがとうございましたって書こうと思ったらありがとうございましたっていうことを心の底から思いながら、少なくともお辞儀をしているような風景を思い描きながら書いていると。
で、その状態でいろんなことを考えていくと、やっぱり見える世界は違うのかなと思ってですね。
なので、書くことによってスピードを落とすっていうんですかね。デジタルにキーボードで打っている時よりもゆっくりと頭に浸透させながら考えることができるっていうのが結構最近は重要なことなのかなと思ってペン字を勉強しています。
なるほど、そういうなんかいろんな背景があってあのペン字だったんですね。
そうですね。
なるほどな。
で、できればそれで字がきれいな方がこんなことやってますよって見せやすいかなっていう。
もちろんそうですね。もちろんそうだと思います。
はい、あのー、なんかその生き方みたいなところでもよくスローライフなんて言い方したりしますけど、確かに思考もそうですよね。なんか今って結構その文明危機側に引っ張られているというか、自分でこう自発的に歩いているっていうよりは牽引してもらってるみたいなところあるなって確かに思いますね。
なんかそのGitHubのCopilotとかもそうですけど、勝手にコードを保管していってくれるような機能ってめちゃくちゃ便利だし、わー未来だって感じるけど、でもそれって自分自身のこのパーソナルな部分と向き合った時にって考えると、
1:24:09
まあ確かにいろんなものを欠落しているというか、必要なくない状態になっちゃって、必ずしもそれって進歩とは言えないよなっていうふうに思いますもんね。
そうなんですよね。あのVisual Studio Codeとかも結構最近、あのコードを書いていると変数名とか勝手に良さそうなものを選んでくれたりとかしてくれちゃうので、これって勉強する機会を奪っているなと。
そこはなんでしょうね。もしかしたらそのどう向き合うかの個人個人のそれぞれの問題なのかもしれないですけど、でもなんかそこで機械任せな方を選んじゃうのは確かに切な的には楽だし。
いや楽だし、効率的だと思うんですよ。だから使い分けだと思うんですけど、例えばGoogle翻訳とかDeepL翻訳とかそういった翻訳サイトって私も実は使います。
いろいろ英語を勉強してきて、英語の発音とかに関してはトレーニングの学校の理事をしてたりもするんですけど、いくら慣れてもやっぱり根本的には日本人なんで、日本語がやっぱり来た方が直接的に理解できるんですよね。
だからもうちょっとある程度文章量のある論文を読んだりするときには翻訳機にかけて、で、大体どういうことがどこら辺に書かれてるのかなっていうのをパッと読んだりするんですよ。
そういう意味では便利なんですけど、でもまだ個々の一文一文で見たりすると、全然白黒逆のことを言ってたり、翻訳してたりすることもあるし、
やっぱり道具として活用する部分と、あと自分がやっぱり考えるための道具としてですよね、英語を使えるかどうか。
僕は英語ってコミュニケーションのツールだと思うんですけど、思考のツールの一つだと思うんですね。
例えば「あなたが好きです」とか言ったりするときに、英語だったら「I love you」っていうふうに絶対的に主語と目的語は両方必要なんですよ。
でも「あなたが好きです」って言うだけだったら「I」って言わなくていいんですよね。
まあそうですね、そうですね。
これってある意味、自分ということを考えなくていい省略パターンになっているというか。
ここが英語だとフォーカスしないといけないですよね。
今、ラブと言おうとしている主体は何だろうっていうときに、これ自分だっていうことを認識しないと発言することができない。
これが英語を勉強する理由だと私は思ってまして。
すごい考え方だな。そんなこと考えたこともなかったけど、確かにそうですね。言われてみれば確かにそうだと思います。
1:27:04
言語的な特性というか、日本語とちょっと違う部分でしょうね、そこらへんは。
日本語は日本語で省略するところも省略しないところもあるし、英語は英語で省略するところもあるし、文化的に言わないところもあったりするので、
もちろん日本語で考えてたほうがいいところもあるんですけど、
なぜ私たちが大学教育を通じて外国語、しかも第二外国語みたいなものもほとんど使わないかもしれないのになぜやらないといけないかというと、
いろんなフレームワークを知ることができて、プログラミング言語で言うなら、C++ができればOKなんですかって言ったら、
DISPとかですね、考え方の違うもの、あとシェルスクリプトみたいな構造の違うというかですね、
ものを知っておくことによって、それぞれのいいとこどりができるというか、そういう意味合いがあるのかなというふうに思っているので。
確かに、そういうふうに考えたことなかったですけど、確かにその通りだと思います。
しかも、ノートの話とか、今のノートからつながってペン字の話があり、さらにそこからつながって言語の話がありって感じでしたけど、
やっぱりあれなんですね、沼田さんの思考って、ちゃんとしっかりつながってるというか、
ペン字をやってるなっていうのをツイッターで見てるだけだったら、ペン字をやられてるなっていうところまでしかわかんないんですけど、
こうやってやっぱり色々話を聞いてみると、いろんな背景があってのアウトプットの結果の最終結果があれだったんだなっていうのが。
こういう機会をいただけて初めてそれが見えてくる。
料理の話とかもそうだったけど、やっぱり人間色々あるんですね。
そうですね。
[音楽]
はい、色々なね、ちょっと今日は普段とは違う色んな教育の話だったり、ペン字の話だったりね、本当に色んなお話が聞けてめちゃくちゃ面白いなと思っていたところ、
またこうして時間がめちゃくちゃ経ってしまいまして、またね、ちょっと長くなりすぎちゃうと聞くのも大変だと思いますのでね、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
沼さん本当に子育ても大変なこの時期にお呼び立てしてしまってね、申し訳ないなという気持ちもありつつ、色んなお話聞かせていただいて本当に楽しかったです。ありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。色々と、すいません、脈絡なくお話をしてしまったので。
1:30:05
いやでも本当になんかあれですね、色んなことが全部繋がってて面白かったです。
そうですね、先生の特性として繋げてストーリーを作らないといられないんでしょうね。
本当になんか、いつものゲストの人たちってなんかちょっとやっぱり違うというか、先生独特の考え方とか、あと話し方とかもそうですね、やっぱりなんかちょっと違うなっていうのがすごく垣間見えて、
今日はすごく面白かったです。ありがとうございました。
ありがとうございました。
また機会がありましたらちょっとお声掛けしますので。
ぜひぜひ。
ぜひよろしくお願いします。
今日はもう独撮さんと初めてお話しできるというのですごい楽しみにしてきて。
本当に私も楽しみだったんですけど、なんか想像以上に色んな発見とか、新しいひらめきとかそういうのが得られたなっていう感じがして、すごく有意義な時間になりました。
ありがとうございます。言っていただけてよかったです。
ありがとうございます。
では最後にノーマライズFMのいつものお知らせですけども、ノーマライズFMでは#のノーマライズFMというハッシュタグで感想等を募集しておりますので、何か聞いてて感想、あとはご意見とか、何か感じたことなどあれば気軽にシェアしていただけると嬉しいです。
はいじゃあ今日はこの辺りで終わりにしたいと思います。最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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