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2020-12-23 07:15

#163 拍手されるより拍手する人間に・・(高倉健)【知的迷走回】

高倉健さんの言葉として紹介されていました。
拍手されるより,する人間に。
承認されることを望むより,
人を承認してあげたい。
究極のギブギブ&ギブの姿だなと思いました。
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Lyustyleの知的迷走ラジオ、第163回目の今日は知的迷走回です。
高倉健さんの言葉と言われる、拍手されるより拍手する人間に、という言葉について考えてみます。
よくですね、見返りを求めずに、とにかく与えろとよく言いますよね。
まずは、しっかりと自分が与えてと。
ギブ&ギブ&ギブ、ギブ&テイクじゃなくてですね、ギブ&ギブ&ギブと、よくそのようなことを聞きますよね。
非常に人間の真理として大切なことだというふうに僕も思います。
見返りを求めていろいろやっているとですね、きちんと商売としてね、お金の価値のやり取りというのは当然、見返りというのはもちろん必要なんですけども、
そうでなくて、人間関係においてですね、その関係を築く際に、何か見返りを求めて人に何かしてやろうというのは、人に見透かされますよね。
そういうことで、やっていることの価値がすごくその人にとって下がっていくというような気持ちがあります。
ギブ&ギブ&ギブって何のためにするかというと、やっぱり信頼を積み重ねるためというようなことです。
たくさん与えて、自分が何かをしてもらおうという気持ちなしに、とにかく与え続けているという、そういう人というのは信頼残高とよく言いますけれども、やっぱりどんどん信頼がたまっていきますよね。
そして、この人の言うことならという、この人の言うことは信用できるなとか、この人の勧めるものは僕も買ってみようとか、
そういうように人間というのはなっているんじゃないかなというふうに思うし、自分自身もそうですよね。
やっぱり信頼のある方の書いたブログだとかメルマガだとか読んでいたときに、その中でオファーされていたものがあったら、それをこの人から買ってあげたいなと思いますよね。
そういうような気持ちで、とにかく先に自分から与えなさいというようなことというのは、とても自分の経験からしても納得がいくなというふうに思います。
このような言葉がありまして、拍手されるよりもする側になりたいという言葉です。
高倉健さんの言葉だと言われているんですけども、拍手されるよりもする側になりたいと。まさに義務の精神というのを言い表した言葉だなというように思うんですね。
拍手されるということは嬉しいですよね。人間は誰でも承認欲求がありますので、褒めてもらうと嬉しい。拍手してもらうと嬉しいですよね。
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だから拍手してもらうためにいろんなことを一生懸命やると思うんですけれども、拍手されるためにいろんなことをやるというようなのはやっぱり見透かされてしまうというようなことがきっとあるんじゃないかと思うんですね。
それよりも相手のために何か一生懸命やっていることによって信頼が高まって拍手されていくという、そういうようなことがあるのでしょう。
ですから拍手をね、人のために拍手を一生懸命にすること、人のために拍手を一生懸命しているとその人への信頼が高まって、いざ自分が何かしたときに拍手をしてくれるという、そういうことにきっとなっていくんだろうと思うし、高倉健さんの場合は人から拍手をしてもらうというようなことすら超越しているというように思いますね。
いやそれって高倉健さんがもう十分に人から拍手をされたから言えることだろうと、拍手もされない人がまず拍手をする側になりたいとか言っても、それって単なるねえみたいになりがちな気がしますが、それでもね、僕はやっぱりそうじゃなくて、拍手される側にまずなりたいという気持ちがやっぱり大事かなというふうに思いますね。
高倉健さんの場合はもう何もしなくても信頼が高まっているわけですから、何を言っても拍手される人にもなっているわけで、もう承認要求はもう十分すぎるほど満たされている方なのでね、どんどん今から先は人に拍手をしていきたいというふうな気持ちがあるとは思いますけれども、
そういう高倉健さんにしてもですよ、若い時には一生懸命良い演技をして、人様のために人が見てうっと言ってくれるために感動してくれるために一生懸命演技をきっとしてきたと思うんですよね。
この演技をすることで誰かが拍手してくれるんだろうということでなくて、ひたすら見る人のために一生懸命演技をしてきた。そのことが、残高と信頼として溜まっていって、拍手されていくというようにね、きっとなったんじゃないかなというふうに思いますね。
ですからやっぱり僕たちというのは誰かに認められようと思ったら、認められよう認められようとしていろいろするんじゃなくて、やはり何かまず自分がその人のために一生懸命にやっていくという、そういう人のために何かやっていくんだという気持ちをまず持っていくということが、きっと将来自分が承認されるということにとってきっと必要なことなんだろうなというふうに思います。
今朝であった、拍手される側よりする側になりたいという言葉ですね。実にまたそのことによって信頼されるという、そういうことについて今日は考えることができました。
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はい、いかがだったでしょうか。やっぱり営業とかで売り込んだりとかしに行くんですけれども、すぐに行って売り込んで売れるということっていうのはなかなかないのであって、
何度も何度も足を運んで顔を覚えてもらって、その上で少しずつ信頼を得ている上でようやく物が売れるという、財産効果と言うんですかね。
そのようなことを非常に理解ができますね。自分のところにもよく何度も何度も足を運んでこられる業者さんがおられる。
何するでもなく、こんなのがありましたよとか言っておいていってくれると。
そうやって何度も何度も顔を合わせて良い情報を送れるということを繰り返しているうちにね、
その人が時々こんなのがあるんですけどって言ったときに、じゃあ買ってみようかっていうような気にもなりますよね。
そういうようなことかなというふうに思います。拍手されるようにする側。
とにかくひたすら拍手をしていくという、そういうような生き方もいいなというふうに思いました。
それではまた。
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