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2020-01-21 10:56

第9回【福岡博多トリビア回】 福岡と博多は違う〜!

「福岡博多トリビア回」では,福岡,博多にまつわる面白い話や,イベント情報等について配信します。

第1回めは,福岡と博多のちがいについて

そして,「原」と書いて「はる」と呼ぶ地名がたくさんあることについて


実際にそれらの場を歩き,話しながら撮影した動画をたくさんつくっています。

どうぞ御覧ください。

■ LyustyleのYoutube

https://www.youtube.com/user/earl2003


■「福岡ぶらり散歩」

また,福岡,博多の紹介のブログ「福岡ぶらり散歩」にも,上のような話をたくさん書いています。

「福岡ぶらり散歩」

https://sanpo.idea4u.net/

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Lyustyleの知的瞑想ラジオ第9回の今日は、福岡博多トリビア回です。
福岡に住むLyustyleが、福岡と博多の違いなどについてお話をします。
はい、それでは始めましょう。
まず、福岡と博多は違うということについてお話しますね。
まずですね、福岡と博多って言ったときにね、どちらの名前は知っているけれども、
よく使い分けがわからないという方がたくさんおられます。
福岡の方に出張するときに博多へ行くと言ったりとかね、されると思います。
一体どう違うんだろうかなと思っている方もいっぱいいらっしゃると思うんでね、ちょっとお話したいと思うんですが、
まずね、博多っていうのはね、福岡に比べてずいぶん古くからあるんですよね。
もうあの辺は2000年以上前から中国や朝鮮との関わりがあったところなので、
今の博多一帯というのはですね、もう2000年ぐらい前から開けた港町としてあったんですね。
そして博多自体はですね、8世紀に作られた《植日本議》という詩書があるんですけれども、
そこに博多大津という名前で出てくるんですよ。
少なくとも800年、700年ぐらい前から続いている、失礼、1200年以上前から続いている名前なんですよね、博多というのはね。
そしてですね、関ヶ原よりもちょっと前か、秀吉が九州を平定したときに、結構やけの針になっちゃったんですが、
そこが秀吉がね、ここは重要なところだと、大陸へ出ていくための重要な拠点だということでね、待ちわりをして復興したんですね。
そういう意味で博多というのは非常に歴史が古い場所なんです。
対して福岡というのはですね、当時今は福岡、福岡と言っているあたり、福岡城とかがあるあたりはね、当時もう何もなかったところなんですね。
何もないので700年前に元が攻めてきたときの戦場になったというところなんですけれども、
そういうような福岡はいつ始まるのかというと、これは関ヶ原の功績でこの辺一帯を治めることになった黒田長政が始めていくんですね。
当時ね、何もなかった赤坂の丘というところがあって、そこに城を築いたのが今の福岡城ですね、前鶴城とあるんですけど、そこのお堀が大堀公園ということで今残っています。
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福岡に来られた方はね、よくそこに観光で見えるんですけれども、そこがスタートになって、少なくとも400年くらい前くらいからこの福岡というのが出現をしたということになります。
その城下町が福岡と言われているところなんですね。地形的に言うとですね、福岡市の東の方を流れている中川というのがあります。
この中川より地図で言えば右側ですね、東。そっちの方は博多。左側ですね、西の方が福岡というと覚えておいていただいたらいいと思うんですね。
博多はですね、やっぱり昔から続く文化があるところです。博多祇園山傘というのが有名ですよね。これはですね、博多の串田神社の氏子さんのお祭りです。
ですから、博多の山傘と言ったら博多なんですよね。博多の人の誇りなんですよ、山傘というのはね。
それから博多弁もそうです。博多弁も昔からそこに住んでいる人たちが話していた言葉が博多弁なんですね。
で、リュースタイルはどこに住んでいるかというと、リュースタイルはですね、福岡側に住んでいます。福岡の方に住んでいますのでね。
それも昔から続いているんじゃなくて、父の代からね、福岡に引越してきて、せいぜい50年ぐらいなんですよね、住んでね。
ですから博多子というものとは全く違うと。福岡に住んでいて福岡弁をしゃべる人間ということでね。
ですからこちらの住んでいる人はみんな博多弁をしゃべると思われているんですけれども、まあ大きな影響は受けていますけれども、
あのですね、こっちに錦鞘とかね、何々首都圏博多隊とかね、そういうような博多弁に大いに影響されている言葉はしゃべるんですけれども、
この錦鞘の博多弁ですね、私たち聞いてもやっぱりわからないというようなこともありますね。やっぱりそれだけ伝統があるのが博多です。
でね、そういうようなね、非常に伝統がある博多なんですけれども、じゃあなんで福岡市というのかということなんですね。博多市じゃなくて福岡市って言うでしょう、今ね。
なんでなんだということなんですけど、これはやはり明治時代にね、市ができた時にやっぱり議論になったところで、昔からある博多が当然市の名前になるべきだということでですね、
ずいぶん議論されたそうなんですね。その結果福岡市になったんですけれども、当然博多の人たちはいい思いしませんよね。
ずっとね、くすぶってたんですけれども、でもその後鉄道ができる時にその駅を博多駅と名前をつけるということでね、バランスを取ったというような話が残っています。
そういう意味で福岡市の博多駅、なんで博多駅というんだ、福岡駅じゃなくてとよく言われるんですけど、そういうような意味があるんだということですね。
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さて今の天神という福岡市の中央のあたりにある天神というところがあるんですけれども、そこに福岡市役所があります。
そこの東にですね、元福岡県の県庁跡地というのがあるんですが、今中央公園と言っているんですけどね、その中央公園から東の方へ地図で言えば右の方ですね、行くと川があります。
その川を越えるとですね、非常に古い建物ですね、貴賓館、古いと言っても立派な建物ですよ、昔明治時代からある貴賓館というのが建っているんですが、そこをですね、さらに次の川を渡るとそこが中須なんですね。
そしてその橋はね、福博出合橋という名前がつけられています。
で、その川の向こうが博多、そして中須、そしてこちら側が天神ということでね、福岡ということでね、昔はね、武士の町福岡と商人の町博多と江戸時代は自由に行き来できなかったんですけれども、
この今はね、この福博出合橋というところでね、ちょうど真ん中のところに橋のちょうど真ん中のところが大きく円形に作ってありましたね。
そこで出会えるというようなイメージになっていますので、ぜひ福岡に来られたらこの福博出合橋でここで福岡と博多が出会うんだなと思っていただけるといいんじゃないかなと思います。
福岡と博多の違いということについてざっくり説明をしました。お分かりいただけましたか。
もう一つお話ししますね。面白い地名がたくさんあるんですけれども、ハラッパのハラですね。
ハラッパのハラって書く地名がね、実は福岡にいっぱいあるんですけれどもね、実はそのハラって書いて春と呼ぶんですよ。
そういう地名がすごくたくさんあるんですね。
例えば白い木のハラと書いてね、普通白木ハラっていうようなものなんですけどね、それを白木バルっていうんですよね。
カスガのハラって書いて、カスガハラと言わずにカスガバル。
ヤカタのハラって書いてヤカタバル。
塩バル、ヒバル、トウノハル、ミョウバル、シモバルといろいろな春があるんです。
こう読むのはね、ハラと書いて春というのは全国99カ所ぐらいあるうちの97カ所が九州沖縄にあるんだそうですね。
そしてそのうちのですね、27カ所が九州福岡県にあるということで、これは九州最多ということなんだそうです。
なんでこんなにね、日本の中でもたくさんこのハラと書いて春と呼ぶ地名がたくさんあるのかなということなんですが、
いろんな説があるんですけど、その一つがやっぱり古代の中国朝鮮半島とのつながりがあったその当時の名前ではないだろうかと。
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韓国、朝鮮の方にはボルという名前があるんだそうですね。
やっぱりそういうのとのつながりを指摘する方もおられますね。
そこはね、どういうことになっているのかってよくまだわからないんですけど、
そのようにそういう名前がね、はるか昔の中国や朝鮮半島とのつながりということで考えていくと、なかなか楽しいんじゃないかなというふうに思います。
はい、福岡博多トリビュア会いかがだったでしょうか。
リンスタイルの喜的迷走ラジオでは、福岡博多にまつわる面白い話をしていきたいなというふうに思っています。
あのですね、私のブログ福岡ぶらりさんぽというブログがありますが、そこでもね、今話したようなことに関して福岡の博多の面白いものを記事にあげていますので、ぜひ読んでいただければありがたいと思います。
それから私の動画の方もね、今今日話が出たようなことに関して、実際にその場を歩きながら、
ここがその川ですよとかね、ここが福岡福博出会い橋ですよとか言いながらね、天神から博多までずっと歩く動画なんていうのもね、あげていますので、説明欄にリンクを貼っておりますので、どうぞその動画の方も見られてください。
はい、ということでですね、また次の福岡博多トリビュア会をどうぞお楽しみに。
はい、それではまた。
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