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  2. #43 インターネットというもの..
2020-04-25 23:51

#43 インターネットというものを初めて見た人がいかに驚天動地したか 【黎明期回】

1994年のある日,テレビで初めてインターネットというものを操作している場面を見ました。
驚き,戦慄が走りました。
パソコン通信時代に暮らしていた私達には,そのことの凄さが一瞬で理解できました。
時代は変わる!
そう直感した日となりました。
それぞれが自前のホームページを持てる時代がくる。
パソコン通信時代には考えられなかったこと。
ネット上の自分のお店に人がやってきてくれる。
そんなことが可能になっていく世の中の動きを感じました。
少しでも25,6年前の,インターネットというものを始めてみた人の感慨を感じていただければ幸いです。
これは「知的生活ネットワーク」の記事を本にしたものです。

「初めてインターネットを見たときの衝撃〜インターネット黎明期」
https://lala.idea4u.net/archives/108445659
00:04
Lyustyleの知的迷走ラジオ、第43回目のきょうは、黎明期回です。
1990年代の人がインターネットというものを初めて見たときの驚きについてお話ししたいと思います。
はい、知的生活ネットワークの中に黎明期というカテゴリーがあって、
その中にインターネット前夜ということで、
1994年、初めてインターネットを見た私の驚愕というね、そういうタイトルの記事を書いたことがあります。
今日のポッドキャストはそれをもとにしてお話をします。
インターネットという言葉は、1994年頃からですね、私たちチラホラ聞くようになっていたんですよ。
当時はですね、いわゆるパソコン通信というのが前世時代なんですね。
パソコン通信というのは、今のインターネットとは全然違っていて、
ホスト局の中に電話をかけてつなげて、
そのホスト局の中にある情報をみんなで見たり、共有しあったりするというような、それがパソコン通信だったんですね。
ですからホスト局というのはいろいろあって、無料の草の根というようなのもありましたし、
商用用では有名なですね、PC版とかNiftyサーブとか、そのようなホスト局があったんですね。
それは有料だったんですけど、僕はその両方にもどちらにも加入をしていました。
僕だからですね、あるものは何でも試してみないと気が済まないということでですね、
どちらにも入っていたら、その双方の有名な掲示板を見ることができますし、情報の漏れがないんじゃないかというふうに思ったんですよね。
それとは別に地元の新聞社がやっている草の根BBSというのにも入っていましてね、
地元の人ならではの会話、あそこの川でこんなことがあっているとかね、
そういうようなことをやって楽しんでいたわけですけれども、
それをどのようにやっていたかということに関しては今日はお話はしないですけれどもね、
その中にね、最初PC版とかマニフティサーブとか、最初立ち上げるとね、画面にずらっとメニューが出るんですね。
1、電子メールとかね、2、若葉マークとかね、ずらーっと出ていくんですけれども、
そのメニューを1とか2とか、マウスクリックじゃないんですよ。
1とか2とか、そのメニューの番号を押してそのメニューの中に入っていくわけですね。
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そのようなメニューの中の一つにですね、インターネットというメニューが現れたんですよ、ある日急にね。
ある日急に現れたって言うんですけど、気づいてはいながら意識はしていたんですけれども、
いつの間にかあったという感じですね。
一体何だろうかなと思ってましてね。
でもね、インターネットってすごくいい響きじゃないですか。
きっとですね、パソコン通信の国際版みたいなね、
全世界を覆うパソコン通信サービスみたいな、そういうようなイメージを持っていました。
当時の人間ですね、1990年代初頭の頃の人間というのは、
その頃すでにある概念の中で生活をしたり考えたりしているので、
そこを超えるものについてはね、想像すらできないんですよね。
その僕たちがね、超えられなかったというのは、
ネットワークというのは、あるソフトに電話かけてつないで、
そこにデータを見に行くものだっていう、そういう概念になったんです。
電話かけなきゃいけなかったんですよね。
電話というのは、モデムというものを通して機械的にかけるんですけれどもね。
ですから、PC版とかNiftyサーブとか、
それが独立して行っているサービスのホスト局ですね。
みんなどこかに登録してですね、そこに電話をかけてつないで、
そこにある掲示板とかメールシステムとか、データベースとか、
そういうものを使うのがネットワーク、パソコン通信というものがあったんですね。
だからですね、使うサービスが違うと、
基本的にメールにしてもデータにしてもね、つながることはできないんですね。
PC版のメールシステムを使って、
Niftyサーブの人にメールを送るというのは、
できないことはなかったような気がするんですけど、
確かお金がいったのか分からないですけど、
基本的にですね、一般の人はそれはできないと。
登録している人同士の中でしかできないということですね。
だから自分たちは自分が登録しているプロバイダー、
プロバイダーじゃなかった、ホストですね、サービスの中に知人が何かやりたいよと言ったときには、
ここに入り、ここに入りと言ってね、
そうするとその人とメールでつながれますのでね、なるべく自分が入っているサービスに
人がたくさん登録してほしいなと思っていたものなんですね。
だから僕どちらにも入っていたということなんですけどね。
まあそれが当たり前だと、不便でも何でもないんですよ。
不便どころかとっても便利だったんですよ。
電子メールというものを使い始めた人間というのは、
こんなに便利なものがあるのかという。
今から見れば不便かもしれないけれども、
当時の人間にとっては最先端のデータの伝達法ですからね。
だから今から見れば不便だけど当時から言えばそんなもんだと。
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とっても便利だけどホスト局が違うと伝わらないのは仕方ないなと。
そういうような感じですね。
そういう概念の外に私たちは当然出ることはできなかったんです。
用意された水槽の中で泳いでいたというような感じですか。
ですからね、当時の人たち、私というのはね、
インターネットって何と、パソコン通信とどう違うのと聞かれたときにですね、
インターネットってパソコン通信みたいにホスト局がないんだよ。
ウェブのようにそれぞれがつながり合っているというイメージなんだよとか
よく当時言われてたんですけど、意味がわかんないんですよね。
ウェブのようにパソコン同士がつながり合う、どういうことなんだという。
最先端のですね、当時ITで言えば一番先端を走っていた、
途中しているようなね、自分でさえイメージがわかなかったんですよね。
その後ね、その概念を理解するためにね、だいたいこんな会話が続いていくんですよね。
ホスト局がないっていうなら、じゃあどこに電話かけたらいいんだ。
それはね、プロバイダーっていうところにかけるんだよと。
プロバイダー、初めて聞いた。
何それ、ホスト局と一体どう違うの。
ホスト局っていうのはね、その中に全てが詰まっているだろう。
私たちはね、みんなそこにアクセスして、その中にあるデータを利用するよね。
うん、そうだそうだ。
プロバイダーっていうのは、個々のコンピューターがインターネットの世界に入るための門の鍵みたいなものなんだよ。
だからそれ自体にデータが入っているわけじゃないんだよね。
え、じゃあデータはどこにあるの?
それはね、サーバーと呼ばれる格納庫のような何千何万というコンピューターが、
そのサーバーというところにね、場所を借りてデータを格納しているんだよ。
え、じゃあそれがホスト局みたいなものなんだね。
似ているけど違うね。
パソコン通信のホスト局と決定的に違うのは、そのサーバー自体がつながり合っているということなんだよ。
え、それじゃあホスト局がつながり合っているみたいなものなの?
そんなもんだ。
それってすごいことじゃないの?
PC版のホスト局にあるデータを、Niftyの人がアクセスできるっていう、そういうもんじゃないの?
そうだね、そう考えるとわかりやすいね。
それって世界中?
もちろんそうだよ。
今ここにいながら、ルーブル美術館のサーバーのデータが見られるよ。
アメリカのある大学の研究室のコーヒーサーバーのコーヒーが出来上がっていることさえカメラで見ることができるんだよ。
え、今ここにいながら?
なんてことだ、インターナショナルな。
だからインターネットなのか。
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という一連の会話をしてね、初めてインターネットというものがね、理解できていったということなんです。
これまでなかった概念を理解するっていうのは本当に難しいことですよね。
だからね、それを生み出す人っていうのはやっぱり天才ですよね。
でね、そういうような状況、文字だけでの情報交換だったんですけれどもね、
1995年くらいになるとテレビでインターネットというものの特集を見るようになっていきます。
よくテレビでね、これからはインターネットの時代だみたいな、そういうような番組が特集されるようになっていったんですよ。
そこでですね、私初めてホームページというものをね、見たんですが、驚愕しました。
何に驚愕したのかというとね、画面のあちこちにリンクがあって、それをクリックしたら別のページに飛ぶっていう、そういう画面です。
当たり前でしょ、今の人聞いて。
いやそうじゃんと、あちこちにリンクがあって、そこを押せば飛ぶじゃんと。
何にびっくりしてるの?というわけですよね。
なので、そのクリックしたら飛ぶというね、ハイパーリンクって言うんですけど、そういう仕組みっていうのはすでに知ってたんですよ。
ハイパーリンクっていうのはね、ソフトウェア上で実現されてて、私はあるソフトを使って、
当時に市太郎4っていうのがあったんですが、その文書にハイパーリンクを貼って、文書同士がつながり合うというような、そんな仕組みを作ろうという、熱中してたんですよ。
だってデータベースということがすごく私の中の一番大きな興味だったんで、
作ったそれぞれの知的生産物がボタン一つでつながり合うっていう、そのことっていうのはね、ものすごい魅力的なことだったんです。
パソコンじゃないとできないことですよね。
で、ソフトの中でやってたんですよね。
5年くらい後にWordに挿入、ハイパーリンクっていうのが実装されるんです。
今では当たり前ですよね。文章、言葉をマウスでグーッと引っ張って選択をして、
そしてそこにハイパーリンクっていうのを入れれば、ネット上であろうが、自分の中のローカルであろうが、その文章がパッと開きますよね。
それがね、90年代中頃までの人間にとってはものすごく魅力的であり、それを実現するためにいろんなソフトを買ったりして、何とかそれを実現しようとしていたんですね。
それがなんで驚愕していたのか、なんかわかってたらいいじゃんっていうところなんだけど、ネット上にそれが設置されていたということなんです。
ハイパーリンクを配置した画面がネット上にあったという、まさにそのことに驚愕したんですよね。
なんでかというと、パソコン通信をやっていた人間にとってね、通信しているときの今の部分っていうのはね、ディスプレイの一番下の最下行の一行だけだったんです。
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当時のパソコン通信の画面というのは、黒い画面に白い文字、文字だけですよ、当然。文字だけがずらーっとどんどんどんどん上にスクロールしていくのを読むというのがパソコン通信だったんですからね。
写真もなければ、色もありません。そのようなテキストだけがスクロールしていくようにそれを読んでいくというのがパソコン通信だったんですけれども。
文書というのは下からどんどん上にスクロールする形で表示されていくんですよ。
その今読んでいる行、一番下の行ですね、それが一行上に上がるじゃないですか、スクロールして。
そして次の行が表示された瞬間ですね、さっきの一行というのはもう見えているだけになってしまう。意味わかります?
つまり、イエスかノーかを答えたりとかね、番号を入力したりとか、何らかのコマンドを入力したりとか、そういうことができるのは一番下の行だけなんですよ。
で、次の行が表示された途端、さっきのイエスノーはただ表示されているだけで、もう手も足も出せなくなってしまっているんです。
もはや過去のものであって、呼び戻してやり直すということができない。下から上にどんどんどんどん流れていく情報なんですね。
だから私たちにとって情報にアクセスするというのは、下から上にどんどんスクロールしながら読むことであり、そしてそれに対して何らかのコマンドを打つことができるのは最下行。
今は一番下の一行だけ。それが当時のパソコン通信の当たり前だったんですよ。
だからお分かりでしょう。画面全体の中にリンクがある。それがいかに当時の人間たちが驚かせたかということです。
一枚ぺろんとそこに貼り付けられたような、絵が貼り付けられているような画面だったんですね。さらに写真もあり色もある。
そういうのをパソコンの画面で見たことがなかったということなんですよ。初めて見たんです。
テレビの中のそれを読む人は画面のあちこちをクリックして次のページをどんどん開いている。
最下行だけでなくて画面のすべてが今。それがインターネットだと。
すでにハイパーリンクの外源というのを知っている私たちだったので、その仕組みを通信の画面上でソフトの中、ローカルのソフトの中でなくて、
通信の画面上でそれが行えるという、そのことの一点で私たちを含めて、私たちというのはインターネットのすごさというのを直感したんですよ。
何を直感したかというと、自分もそんな画面を作ってどこかに設置しておいたら人が見に来るという。
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そこまでパッと発想が行ったんですね。
1994年に私それを見たんですけど、ホームページというものの概念ですね。
まだそういう言葉を知らないんですけど、概念を初めて理解した日だったんですね。
そんな私は1995年に、その時はオーストラリアに駐在していたんですけど、帰国します。
すぐにプロバイダーと契約をしました。
当時ベッコアメというのがあったんですけどね。
ベッコアメというのは当時ホームページを無料で作れたんです。
どういうことかというと、さっき言ったように自分自身のページですね。
そこを表示しておくことでクリックしていろいろ見てもらえるという。
そういうようなホームページの仕組みは有料だったんですよ。
それはもう有料級というか、相当高いお金を払わないとそれができなかったんですね。
考えられないと思いますけれどもね。
そこはお金をもらう一番の財源だったわけですよ。
ところがベッコアメというプロバイダーがそれをタダにしたんですね。
50メガだったんですけどタダにしたんですよ。
それが衝撃的だったんですよね、当時はね。
私もそことすぐ契約をしまして。
それでインターネットをするためのソフトの詰め合わせみたいなソフトを買ってきましたね。
まだインターネットエクスプローラーもありませんよ。
確か前身のネットスケープか。
ネット一時も世界中を設計したブラウザーのソフトですけどね。
ネットスケープそんなのもありません。
その前のモザイクというような世界で確か一番最初に開発されたブラウザじゃないかと思うんですが、
そのブラウザからちょっと毛が生えたような、そういうのがソフトとして売ってたんですよね。
ニュースを見るためのソフトとか、メールをするためのソフトとか、検索をしに行くためのソフトとか、
さまざまなソフトがハウルの城のように組み合わさって
インターネットの情報のやり取りというのが当時は実現していたんですよ。
見ること、書くこと、集めること、見に行くことですね。
そういうのはそれぞれ別のソフトが担ってたという、そういう時代なんです。
今は全てのことができますよね。
インターネットのクロームだとか、エクスプローラーとか、
そういうのさえ立ち上げればそこで全てメールはできるし、
当然情報もできるし、検索もできるしみたいな。
ブラウザを立ち上げるだけでほぼ全てのことができるというような、ダウンロードもできるしね。
時代になってますけど、当時はそれぞれを別のソフトが担ってたんですね。
だからそういうソフトの積み合わせみたいなものを買ってこなきゃいけなかったんですけれどもね。
そうやってネットサーフィンというのをし始めました。
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もう相当苦労しましたけどね。
ネットのPC版で情報をいろいろ聞きながらね、中のコマンドとかを自分で書き換えて、
そして最後ピーコロコロっていってね、モデムを使って、
そのプロバイダーに電話をかけて、インターネットの世界につながった瞬間ですね、
もう戦慄しました。
もうブラウザの画面に初めてようこそみたいなのが出た時ですよ。
びっくりしましたね。
そこですぐにね、本屋に行って控えていた、
ルーブルのURLとか、スミソニア博物館のURLとか、
そのメモを見ながら打ち込んでいきました。
そしてそこの場からね、パリへ行ったり、スミソニアに行ったりする、
クリック一つで世界をあっちに行ったりこっちに行ったりするという、
その驚愕の経験を、私は96年の5月ぐらいだったか、
すごい興奮しながら、その世界を味わったんですね。
すぐに弟に電話をかけて、すごいものを見せるから来いって言って、
なんだなんだって言って弟が来ましてね、
なんだこれって、これ今かみたいなね、今の状況なのこれみたいな、
そうだよと、これ今のパリの美術館のとこに今いるんだよみたいなね、
今そこにいるんだよっていう言い方が、
当時の人たちには分からせやすかったっていうようなのがありますよね。
そうやって、私は最初のインターネット経験をしたんですね。
ある程度インターネットという概念を理解したので、
いよいよ夢だった自前のホームページを立ち上げることに、
次の年に挑戦をしたんですね。
ペインターワールドっていう、ペインターという絵を描くソフトを使って、
いくつかイラストを描いてたんですけども、
そのポートを利用サイトを作ったんですね。
いやまだね、グーグルが現れるのはそれから5年くらい後ですか、
2000年くらいですからね。
ヤフーなんかもまだ当然ありません。
だから検索するという概念がなかったんですよ。
ネットを検索するという概念なかったんですよね。
どうやってたどり着いたかというと、
いろんな人たちがですね、ポータルのページを作ってて、
リンク集を作ってたんですよ。
そのリンク集のURLとかが雑誌に載ってて、
その雑誌だとかそのPC版ですね、
NIFTYとかそういうところでこんなリンク集があるみたいなね、
の情報を交換して、そのURLをメモしましたね。
それをブラウザで打ち込んで、
そこからいろんなとこ行くっていうのがね、一般的だった。
当時その後ヤフーがその役割を担っていくことになるんですけれども、
まあそうやって行きたいページというのは、
雑誌とかでメモしてくるものだったわけですね。
びっくりでしょ。雑誌でメモしてくるんですよ。
そしてURLを手打ちですよ。
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だからね、検索というような概念というのはまだないんですね。
Twitterなんてね、考えもしませんからね。
拡散自体もできませんよね。
いわゆるアクセスカウンターというのが、
時々まだ付けてあるのを見ることがありますよね。
あんなのも一般的になるのはね、その5年ぐらい後の話なんですよ。
だからね、作ったホームページはね、
人が見に来てくれているのかということさえね、
一般の人にはわからないわけですね。解析の技術なんかないし。
だから当時の一般の人のネット世界への参入というのはね、
実にハードゲームだったんじゃないかなと思いますよね。
こういう中でですね、少しずつ検索ということが一般化していって、
アクセスカウンターとかの便利な機能が利用されるようになって、
刑事版という、無料刑事版というのがね、
コミュニケーションツールとして不可欠になっていきました。
そしてね、だいたい役者が揃ったところで2000年代のね、
ホームページブームという、そういうのが訪れます。
いろんな人たちが自前のホームページを立ち上げて、
そこへね、訪問し合って。
そこにある刑事版というリンクをポンと押すと、
無料刑事版につながってね、自分のアカウントに。
そこに質問書いたり、コメント書いたりというような。
そういうので、みんなで楽しみ合うという。
その中にウェブ日記というサービスが始まりましてね、
個人の日記をそこに書いていく。
なんで個人の日記というのは、その、重要があるのかと。
当初思ったんですけども、人の日記って興味があるんですよね、結構ね。
そういうことでね、ウェブ日記というのが流行り始めまして。
で、ブログの時代、2003年ぐらいからのブログの時代が始まっていくというような時代のことでした。
はい、ということでね、インターネット雷鳴役のお話でした。
はい、いかがだったでしょうか。
今の人たちから見れば、とても考えられないような時代だったと思いますが、
そういうところに今自分が戻ったら一体どうなるんだろうと思いますよね。
通信の概念が全く違う時代ですからね。
それがほんの25年前だったという、今考えれば驚きの進化だなというふうに思うわけですが、
これから一体、さらに25年後というのは一体どうなっているのかなと思いながらですね、
今日の配信を楽しんで行いました。
それではまた。リュウスタイルでした。
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