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まずは、ツイートをしたところです。
えっ、ちょっと待って。
あっ、間違えたかな。
全然違うアカウントでツイートしてしまった。
えっとね、ちゃんと僕のアカウントでやらないと。
ここですね。
はい。
今日ですね、いくつか面白いようなことをつぶやいてるんですけど。
今日もね、ボットが多いんですけどね。
昨日のことだけと、インストールって言葉についてつぶやいてたんですけどね。
えっとね、こんなこと書いてあるんですけど。
と思った、インストールという言葉を使うようになったのは、
80年代後半から90年代初めにかけて、
ハードディスクが一般化して、いくつものソフトを切り替えて使うということが可能になってから。
それまではフロッピーを入れ替えていたから、インストールという概念がなかったんだよっていうことを書いてるんですね。
これもね、あの黎明期ですよ。
インストール黎明期ですね。
あのね、本当にインストールという言葉を80年代には聞いたことがなかったですからね。
インストールって、ハードディスクの中にコピーすることじゃないですか。
インストールっていうのはコピーすることでしょ。
でもそれは、フロッピーディスクを昔は入れ替えていたんですよ、昔のコンピューターって。
例えばね、ワープロを使うときにイチタロウって名前のついたフロッピーを入れるんですね。
イチタロウシステムディスクっていうフロッピーがあって、
もう一つイチタロウ文書ディスクっていうディスクがあって、
そのイチタロウシステムディスクっていうのを一つ目のフロッピーのところにね、
ドライブに入れて、ガシャンって入れて、文書ディスクをガシャンともう一つの方に入れて、
03:01
そして電源を入れるわけですね。
で、そのことによって、ただの箱であるコンピューターがイチタロウのプログラムを読み込んで、
イチタロウというワープロに変身をするわけですよ。
コンピューターというのはそういうものなんですね。
で、文書を書いたら、右側の方のシステムディスクで立ち上がって、
ワープロになったそのコンピューターがね、
そこの上で文書を書いたら、保存は左側の文書ディスクの方に保存するわけですね。
で、その文書ディスクっていうのを持っていきさえすれば、
同じイチタロウというものが使えるパソコンではどこに行ってもね、
そのイチタロウのフロッピーさえ持っていけば、
どこでもワープロを、イチタロウというワープロを立ち上げることができるという、
実に画期的なことですよね。
すごいことですよね。
ただの箱であるからこそそれができると。
ワープロ専用機だったら、ワープロ専用機自体を持ち歩かないといけないんですけど、
ただの箱があちこちにあってくれるから、
僕らはそのフロッピーディスクというものさえ持ち歩きさえすれば、
行った先のただの箱を、イチタロウに変えることができるという。
これはすごいですよね、今考えてみると。
っていうか、今ももちろんそんなことはありもしないんだけど、
当時はですね、そういう時代だったんですよね。
ソフトウェアっていうものがどんなものかっていうのをね、
当時は本当にみんながやっとわかったと。
ソフトウェアだったらそのソフトウェアを持って行きさえすれば、
ハードをね、動かさなくてもいいという。
ハードのところにソフトウェアを持って行きさえすればいいというね。
いやいやいや、そういうような概念というのはそれまでなかったんですからね。
で、それがフロッピーディスクの時代です。
そうやって書いていたんですね。
なので、ゲームしたいなと思ったら一旦電源を切って、
フロッピーディスクを抜いて、そして今度はゲームディスクを入れて、
ゲーム保存ディスクを入れて電源を入れる。
そうするとついさっきまではプロだったこの箱は、
いつの間にかゲーム機に変わっちゃったということになるんですね。
これもすごい発明ですね。考え方の発明です。
ソフトウェアという考え方の発明ですよね。
一つの箱が何にでもなるというね。
このことに通し、パソコン例明記の僕たちっていうのはね、
大興奮していたわけですよ。
ソフトウェアのフロッピーさえ持っておけば、
いろんな種類のソフトウェアを持ってましたよ。
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ゲームも持ってたし、ワープロも持ってたしね。
音楽を作るためのソフトもあったし、いろんなのを持ち歩いてましたね。
小田郎さん、こんばんは。
今ね、インストールという時代の話をしていました。
ソフトウェアというものが80年代に出てきて、
同時にワープロ専用機というのがあって、
ワープロ専用機というのは持ち回らないとダメじゃないですかね。
ワープロ仕事をしようと思ったら、
そのハード自体を持ち回らないとダメなんだけど、
フロッピーの中にソフトウェアというものを入れて持ち歩くことができることで、
その箱があちこちにありさえすれば、
フロッピーさえ持っていけば、
あちこちでその箱をワープロにすることができたという、
すごいソフトウェアの考え方だよねということを言ってたんですよね。
ワープロ専用機はワープロ専用機だけなんだけれども、
ソフトウェアというものの考え方がある上に、
そのソフトウェアはアップデートされるわけですね。
またはアップグレードされるわけですね。
そのことによって一太郎は3から一太郎4になったりすることができていたのです。
これもソフトウェアとハードと分けて考えていたので、
それが可能になったわけで。
これはね、僕らの頃、80年代の頃ってね、
ワープロ専用機買うのがいいのかな、パソコン買うのがいいのかなって、
みんな悩んでた人たちがいたんですよ。
僕たちはもう早々に、当然パソコンだろうと思ってパソコンをやってたんで。
で、ワープロ専用機を買った人たちはずっとそれを使い続けているんだけど、
僕たちは次々にアップデートされていくワープロで、
次々に便利になっていくね。
ワープロの新しい機能をどんどん使いながらやっていったわけですね。
当時は文しか書けなかったんで、そこに図なんか入れられなかったからね。
ところが印刷したやつに丸いとか四角とか三角とかの図が入ってて、
どうやったんですかとかよく言われてましたけど、
新しい機能がついてからみたいなね。
パソコンどうやみたいな感じだったんですよね。
だからゲームにもなることができると。
アップデートってもう一つが全然別のものにすることができる。
さっきまで市太郎だったのが、いつの間にかゲームになっちゃったと。
ゲームを終えたら今度は絵を描くための機械になっちゃったというようなね。
あとパソコンの通信をするものになっちゃったとか。
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そういうようないろんなものに化けることができたわけですね、ソフトを持っていけばね。
だから僕らって当時はフロッピーケースっていうのを持ってて、
50枚入りみたいなフロッピーの、なんていうんですか、
今で言えばなんだろうか、100円ショップに行ったらプラスチックのケース売ってるじゃないですか。
あんなのの中にフロッピーをザーッと入れてね、50枚分くらい入れてね。
それを持ち歩いてましたね。
これが僕の全てみたいなね。
文書ディスクもソフトウェア、プログラムもいろんなものをその中に入れてね、持ち歩いて。
持ち歩いてっていうか、なければね、持ち歩いて先にハードがなければ何もならないんですけど。
ハードがある人のところに行くときにはそれを持って立ち上げていたり、ゲームとかやっていたりとかしたわけですよね。
前置きが長くなったけども、結局じゃあインストールっていう話に戻るんだけど、
ハードディスクっていうのがね、一般的に出だしたのが80年代の終わりっていうか、90年代になってからですよね。
当時1メガ1万円って言われてたから、10メガのハードディスクだったら10万円だったんですよ。
40メガだったら40万円ぐらいしてたわけですよね。
そういう時代だったんです、80年代の終わり頃って。
僕の頃ですが、80メガのハードディスクが一気に安くなったことがあって、10万ちょっとで買えたんですよね。
80万のハードディスクを10万で買ったって友達に言ったら、
なんかそれ捕まされたんじゃないのかみたいな感じでぐらい一気に安くなったんですけど、
結局その80メガの10万円のハードディスクをそれから7年間、何の故障もなく、
一切途中で壊れることもなく使い続けましたよ、その7年間。
Windowsマシンになるまで。
なんと恐ろしいことに、その後30年間まだそれあるんですよ。
この前立ち上げてみたんですよね、98とそのハードディスク、ちゃんと立ち上がるんですよ。
すごいですよね、その当時のハードディスク。
今もちろん98という機械もすごいけど、そのハードディスク全く壊れずにね、まだ今でもあるんですよね。
ちょっと話が逸れたけど、そのハードディスクを初めて外付けで付けて、
その時に80枚分の1メガのね、1枚1メガだからですね、フロッピーディスクが。
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このフロッピーディスク80枚そのまま入れられるのかという、その感激というか万能感というかね、
もうなんかあらゆることから自由になったような気がしたんですよ。
全部入れとけるのか、この中に。
持ってたフロッピーでね、市太郎だとかね、あのP1というすごいソフトウェアがあったんですけど、
P1とかね、絵を描くソフトとか、通信ソフトとかね、あとゲーム。
いくつもの数ある、もうたくさんゲームを持ってたんだけど、それぞれのゲームをね、全部中に入れるわけですよ。
コピーして中に全部入れちゃう。
結局、その時に初めてインストールという言葉が出てたんですね。
それまではコピーしてるんですよ。
その時にね、要は、ただそのフロッピーディスクのようなコピープロテクトがかかってるんで、
そのままコピーとかにはできないわけ。
なのでそのインストールディスクみたいなのができて、このインストールディスクで立ち上げて、
そして市太郎を中に入れることによってインストールが可能になったってことね。
それとか、当時売り出されたソフトウェアはハードディスク対応とかいうようなのが付けてあって、
これは立ち上げてそのままハードディスクに入れられますよ。
でもね、コピーしてるのと同じなんで、不正コピーがいっぱい出たら困るから、
このディスクをカギにしますよと。
立ち上げる時はこのディスクを入れた状態で立ち上げてねと。
一回ディスクを呼びに行くからと。
で、ちゃんと持ってるねって確認したら立ち上げるからねみたいなね。
そういうようなカギとしてフロッピーが使われたりっていうこともしてましたね。
まあそのことによって何が起きたかというとね、
インストールという言葉が生まれたというのはもちろんそうなんだけども、
一番自分の中でね、
多民同士だというのは何かと言ったら、
フロントエンドプロセッサーが一本化されたということです。
何のことかわかります?
フロントエンドプロセッサーって今の時代にはもうわからないかもしれないんですけどね。
FEPって言ってたんですよ当時ね。
フロントエンドプロセッサー。何かというとカナカンジ変換プログラムです。
市太郎で言えばATOC。
あれがもうカナカンジ変換だし、
Googleなんだっけ?
Google文字のなんかあるじゃないですか。
Google文字入力なんだっけ?
Google日本語入力。
それとか日本語マイクロソフトIMEとかある。
まず最初からついてるでしょ。
このカナカンジ変換プログラムのことをフロントエンドプロセッサーって言ってたんですね。
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僕らは何でも選べるじゃないですか。
ちなみに僕は今日本語の、Google日本語入力を使うことがほとんどなんですけど、
買ってきてすぐは日本語のマイクロIMEが入ってますよね。
市太郎とか買ってる人はフロントエンドプロセッサーとしてATOCを使うことができるわけですよ。
そのようにカナカンジ変換だけを好きなものに切り替えることができたわけですね。
それの何がいいかって言ったら、
昔はね、ワープロとかね、いくつか持ってるわけですよ。
僕のP1EXEっていうね、すっげーワープロソフトだったんですけど、
当時したいことが全部できるというワープロソフトだったんですけど。
それはですね、カナカンジは何か忘れちゃったけど、付いてたんですね。
市太郎には市太郎、ATOCっていうのが付いてたし、
またサムシンググッドのデータベースの、あれは将軍じゃないや、忍者。
っていうデータベースには刀っていう名前のフロントエンドプロセッサーが付いてたりとかね。
要はね、ソフトウェアごとにフロントエンドプロセッサーが付いてたんですよ。
それぞれに名前が付いてたんです。かっこいいでしょ。
刀とか忍者だったら刀っていう名前が付いてた。
市太郎だったらATOCっていうのが付いてるし。
いろいろとあったんですよね。
ところが、いくつものパワプロを使っていると操作が違うんですよ。
市太郎を使っているときは市太郎のATOCの使い方でカナカンジの変換の仕方をするわけですね。
空白キーを打って変換と。
ところが刀を使っているときにまた全然違う変換をするわけです。操作をするわけです。
混乱するわけですね。
さらにもっと悪いことに、辞書を作ってもそれぞれ作らなきゃいけないわけですよね。
市太郎で辞書を作ったらその市太郎の辞書ディスクの中にそれが入る。
でもデータベースを立ち上げた時の刀にはそれが入ってないわけですからね。
刀には刀でしなきゃいけない。
そのようにソフトウェアごとに辞書を作らなきゃいけなかったり、操作が違ってたりとかね、いろいろ大変だったんですね。
でもハードディスクにすることによってプログラム部分は一気にインストールされて中に入っちゃってるわけですから。
どんどん呼び出すだけですからね。
フロントエンドプロセッサーだけは切り離して使い回せるようになったんですよ。
これは大きかったですね。
なんで市太郎を使ってようと、PYXを使ってようと、サムシング・グッドの忍者を使ってようと、
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全てADOCというカナカジエンカンプログラムを使うことができて、一つの辞書で全部使うことができてという。
今考えたら何そんな驚いてんのって言うぐらいなことだけど。
当時それができるっていうことはものすごいことだったんですよ。
だって一回登録すれば全部で使えるんだからね。
というか逆に言ったらそれまではそれができなかったということですね。
これも黎明期ですよ。
僕が黎明期、黎明期って言ってるのの価値は何かというと、今は失われてしまった感覚。
それ以後の人には思うこともできない感覚を黎明期を味わった人は知っているので、それを残しておこうという意味なんですね。
なのでインストール以前とインストール以後の人は、今のようなインストールをすることによって、うわっすげーと思った感覚っていうのがあるわけですね。
すごいでしょ。インストールだけでもそんだけの感覚がある。
これね、今日朝ね、インストールという言葉を使うようになったのはね、っていうようなね、ハードディスクが一般化してからだよっていうようなツイートをしたんですけども、そのことによってね。
ちょっと今お話を膨らませたところ。
はい、ということですね。もう20分も喋りましたね。
あとちょっと面白い一つのネタなんですけど、これもね、昨日つぶやいてたことなんですけどね。
これ一つのネタですね。
あのですね、昔ある学校に勤めてたんですね。
するとその学校にね、いのたがたか。
彼がこの地を即領した日の日記の写しが残っていたんですね。
僕の学校があったその何々村っていうね。
何々村を即領した時に日記の写しが残ってたんです。
すごいと思ったんですよね。
いのたがたかのような歴史的な偉人がね、この地に来たなんてすごいと感動したんですよ。
ところがしばらくしてからね、実は理屈的にはすごい話ではなかったということに気づいたっていうところで昨日のツイートを終えたんですけど。
意味わかります?
いのたがたかのような歴史的な偉人がこの地に来たことに最初はびっくりしたんですね。
ところがちょっと考えた後、実は理屈的には全然すごい話ではなかったということに気づいたと。
わかりですかね。
はい、答えを言うとですね。
全部のね、市や町に残っていておかしくないんですよ。
全部を回って即領してるんだから。
だから行った先、行った先、すべてを即領して、そしてその日の日記を書いてるわけなんですね。
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その町、そこの村を即領した時の日記というのがあるわけですよね。
なので特に大したのは本当はすごい話ではないと。
どこにでもあっておかしくないんだよっていう話なんだけど。
まあそれはね、あの理屈の上での話で、厳密に言うとね、すごいのはすごいですよ。
コウタロウさん、ツイッター見て少し考えた後笑ってましたか。
そっか、コウタロウさんちゃんと気づいてくれたんですね。
いやあ、若中インテリジェンスですよね。
うん、すごいですよ。
まあでも本当はね、すごいことではありますよね。
残ってたんだからそれが。
それをちゃんとコピーして残していた人がいるというね。
それはね、すごいことではありますね。
はい。
というような人でいたらですね。
あと今日はね、あ、昨日はマルフォイの誕生日だったっていうことを昨日つぶやいてました。
マルフォイの誕生日だったそうですよ。
あとはね、今日はね、大したこと全然つぶやいてないですね。
全部BOTですね。
全部BOTがつぶやいてる。
でもね、BOTつぶやいてるんですけど、毎回ね、そのBOTに反応してくれる方がいて。
やっぱ、理屈としては何だいんだけど、まるまるピッニョン。
そうですね。
BOTで色々つぶやいてるんですけど、
初めてね、やっぱり見る方がいるみたいで、
そういう方々っていうのはリツイートしてくれたりしてね、色々言ってくれて。
今日もね、僕のロイドさん。
これをよく聞いてくださってるロイドさん。
近頃よく反応してくださって嬉しいんですけど。
知的生活500の中の23番目ですね。
ネット時代における知的生活者にとって大切なことはコミュニケーションを図ること。
引きこもって読書さんの前ではもったいない。
人と交わり、その知見からさらに自分の知見を広げていく。
これがネット時代だからこその知的生活の在り方だと思います。
というのをBOTが喋ってたんですけど、
それにロイドさんがご反応してくださって引用リツイートしてくれたんですね。
知的生活という言葉なんか響きがいいというか、好きですねというふうに書いてくださった。
何度も何度もこれっていうのは実はBOTだから何度も何度もタイムライン出てきてるんですけど、
見る人にとっては初めてというね。
そういうことで毎回こうやってやってると、
誰かが初めて見る人がやっぱり反応してくれるということがあるんで。
BOTで時々やるのもね、
小太郎さんみたいにずっと見てくれてる人はまたこれだってきっと思うかもしれないんですけど、
それを初めて見る人もいるということはしばらくは整理しつつもね、
24:03
残しておこうかなというふうなふうに思っているところです。
はい、もう24分くらい喋ってしまいましたね。
そうですね。
昨日山傘に行ってっていうような話も昨日はちょっとして、
小太郎さん山傘行かれて、本当に来られた。
次の年くらいにもう山傘見に行かれて、
動画にもあげてやったけれども、
僕60年近くここに住んでて一回も行ったことないですよね。
とんでもないですよね。なんか行ったら大変なことになりそうだと思って全然行ってないんですけど。
でもね、今回初めて行ったんですよ。
大山のコースをガイドしてくれるツアーに昨日申し込んで行ってきました。
大雨の中3時間かけて歩いてましたけど、
これをね、あんな重いもの持ってね、
大いさ大いさって走っているのかと思うと、
すごいなと思いましたよ。
でもやっぱり思った一遍やると、
もうやめられなくなると言われているのはもう気持ちわかりましたね。
そうだろうなって。
あ、僕ですか。ゴールまで行ったんですか?
はい、行ったんですよ。
最初の山溜まり、
一番最初のレーゼン公園のところにずらっと山が並ぶでしょ。
そこでスタートして、ずっと歩いていって、
山門のところね、山止っていうところ。
ここで一旦泊まってて、
そして太鼓が鳴ったらわーって串台にするんですよねっていうところからスタートして、
そして奥志田山に入って青道、ここを回るんですよ。
で、出て、あの通りを、今度は大白通りまで行って、
大白通りを渡ったところに東標寺があるじゃないですか。
で、そこに青道があって、そこを今度ぐるっとそこを回って、
そして今度は博多駅の方に南下して行って、
上天寺に行って、上天寺が山勝八将の家なんで、
そこの青道にまたぐるっと回って、
あとは極小の通りの狭い道ね。
驚きますけど、この狭い道を一気にですね、
まっすぐ北に抜けて行くんですね。
明治通りを越えてね。
そして今度左折して今度は大白通りをまたわーって戻って行って、
で、また右折して今度は麗寺の方に行って、
そこにあれがあってますよ。
すごい細い道を走ってきて、今度はその細い道を直角に北にまた行く。
いやー、山勝最南竿の地っていう看板があったらしいんですけど、
いや、そりゃそうだろうなと思って。
どうやってここ直角に回るの?みたいなところを曲がってね。
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狭いんですよ。そこをまた全力で曲がってまっすぐ行って、
そして最後回り止めっていうところで終わりっていう。
そこまでね、行ったり来たりしてね。
5キロ?3時間かかりましたけどね。
すごかったですね。
で、ツアーをガイドしてくれてるのは山口信仰会の方々だったんですよ。
相談の方とかね。
他にいろんな方々がね、水を張ってずっとついてくれて、いろいろ話をしてくれるんですけど。
いや、面白かったのが、僕ら全然博多っ子じゃないですよって言われてね。
そうですか?って言ったら、いや、この中の博多っ子って木水の博多っ子は、
隣のパーティー、全部で10本あったんですけど、
隣の旧飯のいらっしゃる人ぐらいですよ。
あの人だけがね、木水の博多っ子で、後の人はみんなね、
なんかの縁で博多に来て、
で、ちょっと参加したら、もう離れられなくなってずっと。
僕は串田神社周りの案内だけ聞いたことがあるんです。
はい、そうですね。
で、僕に説明してくれた人は、僕は矢部から来ました。
あの会社でね、こちらの方に出張してきた時に、
みんなで出てみようということで出てみても、それっぽり離れられなくなる。
で、総代の方は北九州の方ですもんね。
なんかの縁でこちらに来た時に参加しても、それから40年ずっと携わってありますもんね、みたいな感じ。
もうそんな感じですね。だから懐深いなと思いましたね、山崎さん。
本当は宇治子さんの神社なんですけど、宇治子さんの神社だから外の人は本当に入れないのかなと思ってたら、
もうほぼ外の人たちからどんどん受け入れられて、
今の山崎さんをどんどん支えているっていうね、ありましたね。
明治通りを北に渡る時、明治通りじゃない、小六品なのかな、あれ。
北に渡る時、右側に五福町ランプがあって、
五福町ランプで降りてくるところがあったんですけど、
本当は五福町ランプもっと天神寄りのところまで作ってよかったんだけど、
ここで切って降ろしたのは山崎があるからだっていう話を聞きましたね。
山崎の三越が通るところの上を高速が通るっていうのはやっぱり奥中野ということで、
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やっぱり山崎は千何百年の歴史が、高速を手前で降ろしたっていう話を聞いて、
すごいなと思ってね、そういうようなことをちょっと思ってて。
やっぱり面白いですね、そんなの聞いたら。
このコースって面白いでしょ、行ったり来たり、ジグザグあっちに、北に行き、また戻り、また北に行きみたいな。
なんでそんなコースになってるんですかって聞いたら、
山崎八将のうちの上天寺の将さん、
これがね、西暦700何年というとんでもない古い時代のことなんですけど、
疫病が入ったらしいんですよね。
三越というかね、台を作って、自分がそこに乗って若い人たちに担がせて、
清水を振り巻きながら清めていったんですよ。
それの後を、神事としてずっと三越でずっとね、練り歩くっていうのが山崎のスタート。
江戸時代に何かの調子でね、別の流れがね、抜こうとして、
抜かれてたまるかって走り出して、何つって、また追いつこうと、抜こうとして、
そこで抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げて、走り出したらしいんですよ。
これって面白いんじゃないっていうことになって、
抜き抜きからみんなで走り押せになって、ワーッと走るようになったっていうのがね、今の大山の始まりだって。
どうですか、それみたいに。
さらに面白いのが、その時の抜きつ抜かれつのようなことの発端になった、
二つの流れの原因になった人の子孫がね、今でもおられてね、
博多松林の代表されている方とかね、そういうような方が子孫なんだそうですけど、
今でも何か飲んだりするときに、あの時のあれ野郎がみたいなのまで言ったりするんですよね。
新人なのにタイムトライアルっていうのが笑っちゃう。本当そうですよね。
オクシダイに出るまでが何秒とかね、本当に面白いですよね。
なんでそんなことするんだろうって思いますけど、
あのね、本当はね、詳しく言うと、そのある町、流れって言いますか、ある流れがあって、
ある流れからある流れにね、お嫁さんをもらったんですね。
とっても綺麗なお嫁さんで、みんなが好き好きって思ったお嫁さんだったのを、
その嫁取りをしたもんだから、その若い旦那にみんな嫉妬してね、
33:00
なんか水かけたりね、頭からバケツっていうか木をかぶらしたりしたらしくて。
で、やりすぎちゃって漏石を働いてるんですよ、水かけてね。
で、その若旦那が戻って、町の人に言ったらそれは許せんって言って、
待ち合われての大喧嘩になろうとしたらしいんですけど、まあまあまあみたいな。
で、次の年のその営業やる気をしている時に、
その二つのところのね、山同士が、
抜こう抜かれ抜いて、その例の因縁からやり始めてね、
っていうのがあったんだというような、
もっとそういうような話を聞いたら面白いですよね。
これもちょっと昨日ある程度話はしたんですけれども、
後藤さんがいろいろ質問してくれたんでね、
さらにいろいろと出てきて面白かったですね。
ということでもう34分も話しちゃったので、
そろそろね、今日は終わろうと思います。
今日は聞いてくださる方がたくさんいらっしゃいますね。
どうもありがとうございます。
ということでね、今日はこれで終わろうかなというふうに終わります。
今日も本当にね、聞いてくださってありがとうございました。
また明日、今日はちょっと遅くなっちゃったんですけどね、
また明日9時ぐらいから始めたいと思います。
どうも皆さんありがとうございました。
それではまた。