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はい、えー、土曜日の22時ですね。
今日の知的迷走ライブを、ちょっと緩くやりたいなぁと思います。
今日の福岡はすごくね、雨が降って、まさかこれだけ雨が降るとは思わなかったんだけども、
その雨の中をですね、今日は5キロも歩いてきました。5キロです。5キロって言わないんじゃないかな。
記録を見てみたらね、7キロくらいになってたけど、実質5.5、6キロくらいかな。
何かというとね、山笠のコースを歩いてきたんですよ。
信仰会の方々がね、実際のコースを説明しながらずっと回ってくれるというツアーに申し込んでいて、
それ当たっちゃったんですね。
でね、結構たくさん来てて、全部で10班に分けられて、それぞれが6、7名くらいいたんで、かなりの大勢だったんじゃないかと思ってね。
それだけの人数のね、10班が博多の市内をずっと回るわけですので、
結構すごい状態じゃないかなと思いますね。
スタートは霊前公園で、霊前公園っていうのは山溜りだったっけ、なんだっけね。
最初、串田入りって言ってね、串田神社に最初ワーって入るところからスタートするんですけど、
そのための山がね、8つかずらっと並ぶんですよね。
そこから順番に従って山止めっていうところね、串田神社の門のすぐ近くのところまで行って、そこで待機して、
そして10分の晩の太鼓の音が聞こえたら、一斉にワーって走り出して、すぐに串田神社の中に入って、
清戸、清い道って書く、清戸というね、旗があるんですけど、そこの旗の周りぐるっと回ってですね、
そして博多の街にワーっと出ていくわけですよ。
それから道を通ってね、大きな道を通って、いろんなところをね、こう回っていくわけですけど、
上天寺っていうね、お寺に行くわけですね。
2番目にね、そこで一周ぐるっと、清戸を回るんですけど、
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そこの上天寺っていうのは何で行くかというと、700年代に初めて山笠新寺の元になる、山笠八聖の寺っていうようなところなんですよ。
そこのお嬢さんが、疫病退散のために三越を作って、和歌一周に担がせて、
それに乗ってずっと博多の街を回りながら、清水ですね、それをきよめの水を巻いて回ったという。
で、その時のコースがですね、今の山笠のね、老井山の走るコースになっているということで、相当古いですよね。
本当に古いですよね、700何年というところからね。
この間ずっとね、博多の街の人たちは、その新寺を大事にしてきたわけですね。
で、太古秀吉の時に町割りができて、今の七津の流れっていうのができてっていうような話をずっと聞きながら回ったんですけど。
僕今ブログ書いてて、山笠に関するブログ書いてるんだけど、実際にその道を歩いてみたことで、そのブログにものすごいオリジナリティがきっと出るなと思ってね、
リライトをちょっとしていこうと思ってるんですけど。
動画として撮ってきたので、YouTubeにもできるなと思って、連携させられるなと思ってね、今いるところですけど。
いや、それにしてもね、いわゆる博多の街をワーッと走るわけなので、
こんな狭い道をあんなとんでもない重たいものがね、走り抜けていくのかってものすごくびっくりしましたね。
だって、下手すると何トンってあるんですよ。
で、ちょっと左に行ったとか右に行ったとかで、それを簡単にコントロールできないですからね。すごい勢いで走ってますからね。
いやー、あれはね、人死に出ますよね。
もちろんそういうことないように、ものすごい訓練を積んだりとかね、いろんな仕組み方を作ってやって、そんなことはないんですけれども。
途中ですね、直角に曲がるところがあるんですよ、街の中。
本当に狭い道から狭い道に直角に曲がるんですよね。
あれは本当にね、その場所に初めて行って戦慄を覚えましたね。
ここに突進してきてから直角にバッと曲がってまた行くのかと思ってね。
今はね、その直角のところには少し余裕のある空間ができたね、なんかホテルみたいなのができてて。
曲がりやすくはなってるんだけれども、昔ギリギリまでね、塀があったらしくて。
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山崎最南間の場所みたいなね、なんか看板があったらしいですね。
そういうところも実際見て、やっぱり5キロぐらいの道のりを全力でね、あんな重たいものをね、
担いで走っていくんだから、とんでもないですよ、やっぱり。
だから途中で後退するんだけど、その後退の仕方も下手すると下敷きになりますからね。
それも今日いろいろ聞いてきたんだけども、簡単にはいかないなって思いましたね。
面白かったのはね、上天寺から北に一気にワーッと何キロか走っていくんですけど、
一直線の細い道があるんだけれどもね、それがね、見たらね、下ってるんですよね。
スーッと下り坂になってるんですよ。
この道はね、勢いが出るんですよ、つって。
大変ですよ、ここは、みたいに言われてたんですけど。
なんで下ってるかわかりますか?って言われてね。
ブラタモリじゃん、と思ったんですけど。
下ってガクンと落ちてるでしょ、って。
ここがね、昔の海岸線だったんですよ、って言われて。
完全にブラタモリじゃん、と思ったんですけどね。
いやー、確かになー、と思いながらね、今その場所に歩きながら。
ここの道はすごい勢いが出るっていうのをね、読んだことがあるんだけど、
そういうことかと思ってね、歩きながらね、思いましたね。
あとの掛け声はね、オイサオイサっていう掛け声なんですよ。
YouTubeとか見ていただいたらわかるんですけどね。
オイサオイサオイサってものすごい言うそうな掛け声なんですよね。
ところがね、7月1日と9日に行われる清めの潮を取りに行くね、
オシヨイ鳥っていうのがあるんですよ。
箱崎宮のところのね、海岸にね、箱崎浜にそこの潮を取りに行くんですね、オシヨイっていうね。
その時だけね、オッショイって言うんですよね。
なんでかなと思ったら、オシヨイ鳥だからオッショイって言うんだって。
そういう話を聞いて、えー?と思ったね。
それ前に聞いてたんだけど、今日連れて行ってくださった方に、
本当ですかって聞いたら、本当ですよって言われて、なんか不幸しましたね。
すごく腑に落ちましたね。
でね、やっぱりね、今日歩いたところ、3時間かかったんですよ。
今日歩いたところ、あれを一気に走るなんてね、とてもじゃないけどやっぱりできないと。
当然途中で後退はしますよね。
当然途中で後退はしていくんだけれども、
最後のね、山止めっていうゴールがあるんですよ。山止めだったかな。
まわり止めだっか。まわり止めだっけね。そこのゴールがあるんですけど。
そのゴールに行く最後のラストスパートのところがあって、
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このラストスパートのこの地点からは変わっちゃならないっていうなんかね、
しきたりがあるみたいで。
つまり最後のそこのところで変わった人が、いわゆるゴールってゴールテープを着れるわけですね。
10何人の人がね。
それになりたくてね、みんなその直前になるとどんどん後ろから肩をカンカンって叩いて、
肩叩かれたら変わらなきゃいけないっていうルールがあるらしくて。
で、まだ数歩しか走ってないのにみたいな顔して、
誰が叩いたんだと思って見たら、
そいつの顔を覚えて、それですぐにそいつ叩き返すって言ってましたね。
ポンポンってゴールじゃなくてバシーンって叩くんだって言ってました。
だからそこの直前はもうなんかぐちゃぐちゃになるらしいんですけど、
そういって最後のラストスパートを勝ち得た人たちっていうのはね、
一気にワーッと走って、
その代わりね、めちゃくちゃきついそうですね、最後のラストスパートって。
やっぱそれでも1キロ以上、そこからあるんでね。
やっぱ1キロ以上最後走り抜けなきゃいけない。
あんな重たいもん持ってね。
いやー、戦慄で走りましたけど、やっぱそれでもやりたいんだって言ってね、やっぱやるんだそうですけど。
一度やったら抜けられないって言いますよね。
私の友人も、教授をしていた友人もその博多の方の学校に行ったら、
もう子供たちみんな当然山の母性ですからね、
みんな山に山かさ山かさって勉強習うわけですよ。
先生たちもね、どれかの子供たちの町に属して一緒になってね、やるんですよね。
そうやっていっぺん参加してその中の雰囲気の中に入っちゃったらもう抜けられないって言って、
それがきっかけでもうその後何十年ってずっとね、やってる人たちがいますよ。
若い時に入ってそのままずっとして、最後校長先生になって戻ってこられて、
でその校長先生として今度は台上がりみたいな、上に乗るような人になったりとかね。
なんか胸アツだなと思って見てるんですけど、それぐらいやっぱり。
今日聞いてすごいなと思ったのがね、
今日山ヶ谷振興会の方々がね、何人もね、ついて一緒になってね、
例の水ハッピーですよね、あれを着て。
ずっと連れて行ってくれるんだけど、ある方が言ってたんだけどね。
ここにいる人って、ほとんどね、はかたくこといないですよと。
今ここのいらっしゃる総代は文字の方ですと。
私はやべですよと、みたいな感じでね。
どこかで繋がって縁があって、その後ずっと入れ込んでますと。
この中には1人もね、自分たちの10番の組の中には1人もいませんと言われました、はかたくこの人は。
1つの9番にたった1人だけはかたくこの人がいると。
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あとは全部ね、なんかの形で出張してきた時に、
その会社の中で参加してそれっきり、それっきりじゃない、それからずっとというような方とかね。
そういう方々で成り立っているというね、懐広いですよね。
本当は串田神社の宇治子さんの神事だったのが、
そんな形でたくさんのね、はかたじゃないところからの人たちをどんどん受け入れて、
そして山のぼせ、山のぼせって言うんですよね。
もうのぼせてしまった人たち。これは悪い言葉ではなくて、継承として使うんですけど。
山のぼせたちをたくさん産んで、でとうとうですね、数年前にユネスコの無形文化遺産ですかね。
ユネスコの文化遺産になったということで、素晴らしいなと思いましたね。
千年というようなね、期間ずっとそれが行われているというのは、本当にすごいことだなというふうに思います。
はい、ということでね、今日は少し早いです。また明日から一週間が始まりますので、皆さんまた張り切っていきましょう。
はい、それではまた何か始めたの流スタイルでした。