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2025-09-22 09:06

最初の本を出版するのに7年もかかったよというお話


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サマリー

著者は最初の本を出版するのに7年かかった経験を語り、自費出版から商業出版に至る過程を振り返っています。特に、Kindle Direct Publishingの登場が自らの執筆活動に与えた影響や、出版への決意を強める過程について深く探求しています。

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9月22日の月曜です。今日は、飛び石連休の中日ということで、お休みを取っている人が多いのかな。
さっき米田に行ってきたんだけど、結構人がいましたね。パソコン開いてですね、一生懸命お仕事をされていました。
本を書く決意
さて、今日はですね、最初の本を出すのに7年かかりましたというお話です。
前からちょこちょこと話はしているんですけど、僕はですね、結構早い時期から本を書くぞということを思っていました。
20代ぐらいの頃から思っていました。当時はですね、当然のように自分で本を書く道っていうのはないんですよね。
情報もないので、本屋に行って、本の出版の仕方みたいな本を買ってきて、どうやったらいいのかなと思うぐらいが、
石の山でですね、それ以外の情報とか何もないと。
自費出版という道があるっていうのは知ってはいたんだけれども、そこ以前に本当は商業出版みたいな本をちゃんと出したいという気持ちを持ってはいたんですよ。
でもどうしようもないので、結局自費出版に手を染めてしまうことになるわけですね。
手を染めてしまうと言ったら、なんか悪いことやってるみたいな感じがして、ちょっとね、申し訳ありません。
そんなダメだというつもりはないんですけれども、自費出版って言ったらでも何十万てお金かかる上に、在庫は抱えるわ、人は呼んでくれないわっていう、そういうことっていうのはやっぱあるわけですよね。
なので、なるべく避けたいなとは思ってたんですけれども、どうしようもないんで、やっちゃったということなんですよね。
それは、シドニーに駐在をしているときのことなんですけど、シドニーの3年間の、日本に3年かけてずっとレポートを送ってたんです。
まだ当時はインターネットはなくて、パソコン通信だったんですね。
パソコン通信でPC版という、そういうものがあったんですけど、そこに毎週レポートを送ってたんです。
それをずっとテキストが残ってたので、それをまとめて、あとはいくつか追記して原稿を作ったんですね。
95年の1月ぐらいのことだったので、既に前の年にWindowsが出ているので、Windowsマシンは手に入れています。
そしてWordも6っていうのがあったので、Wordも買いました。
これでですね、Wordで原稿を作ったという、かなり早い時期に作ったんじゃないでしょうかね、そういうものを。
さらに日本から輸入をしていたんです。レーザープリンターを輸入していたもので、それでかなりきれいな印字で、レーザーだからね。
当時まだワープロの時代で、アウトラインがそろそろ入っては来ていたんですけど、
ギザギザフォントがまだかなり主流だった中で、もうきれいなアウトラインのフォントで打ち出した原稿を作ることができたんですよね、自分でね。
それでこれはもう原稿は自分で作って出せばいいんだからっていう気持ちがあって、あとは印刷だけ頼もうっていうような意味で自費出版を頼んだわけです。
分量はですね、A4びっしり書いて210ページですので、十何万文字かなんかあるんですよね。
あとで調べてみたら新書版4冊分くらいあるんですよね。
それを作りまして、25万円でですね、200部刷ってもらいました。
日本の印刷会社に頼んだんで、それがまた送られてきたんですけどね、25万円ということで。
それでお世話になった学校に寄付して、日本に帰ってから今度当時の文科省ですね、当時はまだ文部省って言ってたんですけど、文部省とそれからあと外務省も僕らの派遣に関わっていたので、
外務省に行ってその研本をしてきたと、これが私の研究の成果ですみたいな形でしてきたと。
戻ってきて、自分の研究会とかね、そういう学校関係の仲間に配ったということですね。
ただまず非出版で配られたようなものですからね、そんなに読もうと思ってくれる人ってのはそういないもので、
何人かだけですね、読んでくれてとても役立ったから、自分のその後20年後に自分の息子が海外に行くときこの本読みなさいって渡したのよとかね、言ってくれる人もいてよかったんですけど、ほとんどそういうことっていうのはなくて。
まあ自費出版というのはそんなもんだということをやっぱり思ったわけですね。
原稿作成の苦悩
やっぱりちゃんとしてね、あと売る本を作らなきゃいけないと思って、KDPが始まる直前です。2009年ぐらいかな。
2009年ぐらいにやっぱりちゃんと本を書くぞということで、改めて原稿を作り始めたんですね。
2012年にKindle Direct Publishingが始まって、自分で出せることになって、それでまた拍車がかかってですね。
すでにもうそのとき3年ぐらいかかってたんですけど、また改めて原稿を作り直してですね。
だいたいできたんですけど、できてはやり直し、できてはやり直し、構成から何から全部やり直しですね。
何のやり直しとかわからないんですよ。こんなのじゃダメだとかね、これじゃ多すぎるとか、もっとわかるように書かなきゃいけんとかね。
いったいこのテーマは何なんだろうとか、もういろいろ考えたわけわかんなくなってね、もうずっと出せなかったんですね。
で、2016年頃にやっとですね、Twitterでつぶやいたんですよ。もう全然本が出せませんって言ったら、
当時作家の方とちょっとブログでね、やり取りが出て縁があったんですが、その方が私見ましょうかって言ってくれたんで、本当ですかってその人に原稿送ったら、
いやだいたいいいんじゃないですか、もう出しちゃえっていうことでですね、それで勇気を出して、それから1ヶ月でバタバタ仕上げて、2016年の9月ですかね、出したということです。
まあ7年ですよね、7年かかりましたね。本当に7年かかりました。
2009年に志して、2016年ですからね、何やってたんだということなんですけど、まあ人生最多暴起がその中入っているんですけど、だからといって中断はしてないんですよね。
毎週毎週本を出す本を出すっていうのが終始レビューの中に文言としてずっと残ってて、いつもそれ見ながらね、よし必ず出すぞ出すぞと思いながらやってはいたんですけど、
でもね、やっぱり踏み切れなかったっていうのがずっとありましたけど、まあね、やっぱりそれはあれですよ、本として出す時にめちゃくちゃいいもの出そうと思いすぎてたっていうのがありますね。
2012年にKDPが出た時にね、さっさと出しとけばね、本当に良かったと思います、今考えたらね。だから僕は今、みんなにとにかくまずさっさと出しましょうと、売れる売れないとか考えずにさっさと出しましょうと、
その時の知識、経験、それが本当に自分が世に出せる本を出す時の力になるから、まずは出して経験してみましょうという言い方をしているところですね。
今ストア化で僕が今出しているのがね、2時間半でゼロから出版デビューをするための講座というのをやって、明日夜に第1回目の初めての講座でお客さんがね、来ていただいたのでやるんですけど、
全くのゼロですね、原稿もゼロ、そこから一気にAIを使うんですが、原稿を作ってね、それなりにちゃんとした内容ですよ、ちゃんとした質の本を作って、そして手続きまでをして、2時間半後には出版ボタンを押すというね、そういうところまでやって、まずはデビューするというそういう講座をね、明日はやるということにしています。
出版への道
はい、ということでですね、最初の出版に7年もかかった僕ですけど、というか7年もかかったので、志を持った人にはなるべく早く出版してもらいたいなと思ってね、そういう講座をやりたいというふうに思っています。
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