1. リブラの 精神科のバックヤード
  2. 【NotebookLM】安易な診断の落..
2025-05-06 18:05

【NotebookLM】安易な診断の落とし穴 慢性疲労症候群編

📻🦨スカンクとリブラの精神のPライン🐘
https://stand.fm/channels/6161e521afa93b18fcd77817

ヒーロースカンクさんのスタエフ
https://stand.fm/channels/664b1a48316143a771f4d710

リブラ X(Twitter)
https://x.com/okawari

#健康
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6349996e0cee2a08caf592dd

サマリー

このエピソードでは、慢性疲労症候群(CFS)の診断に関する曖昧さやその影響について議論されています。診断基準の多様性や過剰診断のリスク、診断名を求める患者の心理も取り上げられ、根本的な問題を見逃す危険性が指摘されます。慢性疲労症候群の診断において、患者と医師の間には隠された理由が存在し、表面的な関係が回避的な診断を助長することがあります。適切な評価と個別対応が求められる中で、安易な診断のリスクとその影響が考察されています。

慢性疲労症候群の概要
さて、先ほどアップしました配信をですね、【慢性疲労症候群】をですね、その前にチャットGPTと僕が話していた長文の音声データを【NotebookLM】に入れてぶち込み、
その前に、僕が自分の考えを整理するのにチャットGPTと話し合った全会話を、その会話も【NotebookLM】にぶち込み、
僕が話して、どういう話をするかのまとめた、結局うまくいかなかったけども、そのまとめの文章みたいなものを【NotebookLM】にぶち込み、
そして、スタジオ機能で音声にするときに、僕が一番言いたいのは、安易な診断をすることで、こういう曖昧な診断であることはちゃんと理解しないといけないし、
そういう曖昧な診断、何て言うかな、異界用とかね、糖尿病みたいなね、客観指標でわかるような病名じゃないから、慢性疲労症候群って、
そういうものが潜むね、その病名がつくことによるね、何て言うのかな、問題点みたいなものをね、ちゃんとまとめてね、というようなことを【NotebookLM】に書き、
そして音声に上げましたね、今チラッと聞いたけど、ろう作語のことをろう作語と言ったりね、いくつか変てこな、
やっぱりアメリカのね、Googleが作ったやつだから、若干おかしいなと思うところがありますが、まあおおむね言いたいことをうまく喋ってるんじゃないかなと思う、
【NotebookLM】のお二人、やっぱりお二人が話すとね、わかりやすいなというふうに思って、僕は自分でも聞いておりますけどね、一度ちょっと一回とにかく聞いてみましょうか。
はい、では、いつもの【NotebookLM】、いろんな人の解説をしていらっしゃるね、いきはやさんもやってるのかな、いろんなところで聞きます、このいつもの声。では【NotebookLM】のお二人、どぅーずー。
さて、今回皆さんと一緒にちょっと考えてみたいのが、慢性疲労症候群みたいな、あの名前を聞くとなんだか心が燃やるって感じることありませんか?
あーわかります、その感じ。
なんでそう感じるのか、まあ手元にある資料をヒントにして、診断っていう行為の意味とか、そこに潜む問題点とかを一緒に探っていけたらなと。
えー、非常に考えさせられるテーマですよね。
資料を見ると、診断基準の曖昧さとか、なぜ人は診断を欲しごるのか、みたいな心理的な側面、あとは社会的な背景とか、いろいろな角度から書かれてますね。
そうですね。例えば胃海用とか糖尿病みたいに、検査でバシッとわかるものとは違って、症候群って名前がつくと、その定義自体が掴みどころがない。
この曖昧さが診断するお医者さん側、診断される患者さん、そして社会全体にどういう影響を与えているのか、資料からそこを読み解いていきたいですね。
多分そのモヤモヤ感の源泉もそこにあるんじゃないかと。
まず、そもそも論として、慢性疲労症候群、CFSですね。これは血液検査とかで客観的にこれだって測れる指標、いわゆるバイオマーカルがない症候群だっていうのが大前提ですよね。
ええ、その通りです。資料にもありますが、原因についても免疫がおかしいんじゃないかとか、神経系の問題だとか、代謝がどうとか、いろいろ説はあるんですけど、決定的なものはない。
うーん、ないんですね。
だから診断基準も一つじゃなくて、いくつかあるんです。有名なのは福田基準とか、もうちょっと新しいIOMSED基準とか。
あ、聞いたことあります。
でも、どの基準を使うかで、CFS患者さんとされる人の範囲が結構変わっちゃうんですよ。
なるほど。それがまず、それって本当に一つの病気なの?みたいな疑問とか、診断されたけどなんかすっきりしないみたいな、そのモヤモヤ感につながるわけですね。
そういう側面は大きいと思います。で、資料に出てくる感度と得意度の話、これも重要で。
はいはい、感度と得意度。それはどういう?
感度を上げるっていうのは、その病気の可能性がある人をできるだけ見逃さないように、診断の網を広げるイメージです。
ふむふむ。
一方で、得意度っていうのは、本当にその病気の人だけを正確に診断する制度みたいな。
なるほど。
で、この2つって基本的に、なんていうか、あちらを立てればこちらが立たず、みたいなトレードオフの関係にあることが多いんです。
ああ、なるほどなるほど。
資料が指摘しているように、特にアメリカなんかだと、訴訟リスクとか保険制度の影響もあって、見逃しをすごく恐れる。
はい。
その結果、診断基準がちょっと緩くなって、感度は上がるんだけども得意度が下がって、結果的に過剰に診断しちゃう、いわゆる過剰診断になりやすい傾向があると。そういう指摘ですね。
資料に書いてあった半年間の疲労と、あと、老作後の強い倦怠感。PMでしたっけ?それだけで診断がつきかねないっていうのは、まさにその現れってことですか?
ええ。PM。ポストエクザーショナルマレーズですね。老作後、つまりちょっとした運動とか活動の後に、もうぐったりしてしまうような極度の消耗感とか症状が悪化することです。
ただの疲れと違って、回復にすごく時間がかかるのが特徴で、一部の診断基準では必須項目にもなってます。
なるほど。
ただ、じゃあどの程度の活動で、どのくらい悪化したらPMなのかっていう客観的な線引きが、これまた難しいんですよ。
ああ、そこも曖昧さが。
そうなんです。そこも曖昧さを生む一因になってるんですね。
でも、それだけ定義が曖昧なのに、なんで人々は診断名をそんなに求めるんでしょうか?
資料には、やっとわかってくれる先生に出会えたって診断されてホッとする患者さんの様子も書かれてましたけど。
うーん。
それはやっぱり、診断名がつくことで、自分が怠けてるわけじゃないんだとか、これはちゃんとした病気なんだっていう一種の証明、お墨付きみたいなものを得られたって感じる心理は大きいでしょうね。
お墨付きですか?
ええ。あるいは社会的なエクスキューズ、言い訳とまでは言いませんけど、そういう側面もあるかもしれない。
資料にあったみたいに、うつ病だって診断されて喜んだり、逆に否定されるとすごく怒ったりする例も、診断っていうものが持つ意味の複雑さを表していると思います。
病気なんだから仕方ないよねっていう状況ですよね。
でも資料を読んでいると、本当に深刻な苦痛を抱えている方が怠けてるだけだとか、周りに誤解されることへの切実な反論として、診断を求めているという側面もすごく感じましたけど。
まさにそれも非常に重要な点です。
そして、その仕方ないっていう状況から生まれる二次的なメリット、いわゆる疾病利得ってやつですね。これも無視できない。
疾病利得。
資料によると、例えば日本では周りの人からの配慮が得られやすくなるとか、アメリカだったら障害年金とか保険金みたいな経済的な保障につながるとか、そういうのが診断を求める動機の一つになり得るという可能性が示唆されています。
ただ難しいのは、その一時的な安心感とかメリットが、じゃあ長期的な回復に本当に結びつくのかっていうと、それはまた別の問題だということです。
その一時的な安読感が逆に問題を生むこともあると。ここが私たちが燃やるって感じる一番確信の部分かもしれないですね。
資料をご指摘している心難の弊害っていうのは具体的にはどういう?
例えばですね、本当の原因というか背景にはもしかしたら発達障害の特性とか、あるいは職場とか家庭環境の強いストレスみたいな、そういう根本的な問題があるかもしれないのに、CFSですとか、うつ病ですねっていうラベルをポンと貼ってしまうことで、本来なら必要だったはずの、例えば環境を調整するとか、心理的なサポートをするとか、そういうアプローチが見過ごされちゃう危険性があるということです。
あー、ラベルによって他の可能性が見えなくなる。
そうなんです。診断名が付いたことで、本人も自分はこの病気だから仕方ないみたいに思い込んでしまって、回復に向けて主体的に何かやってみようっていう気持ちが停滞しちゃうなんてこともあり得るわけです。
うーん、なるほど。資料にはADHDの例も挙げてましたけど、製薬会社が診断基準を広げることに関与している可能性みたいな話も示唆されてましたよね。
ええ。
それって、診断基準そのものが純粋な医学的な正しさだけじゃなくて、経済的な力学にも左右されちゃうことがあるってことですか?
そういう側面も資料は指摘していますね。診断基準が広がって、患者さんとされる人が増えれば、当然その治療薬のマーケットも大きくなりますから。
うーん。
これは診断の信頼性とか妥当性よりも、ある意味利便性とか経済合理性みたいなものが優先される場合があるっていうちょっと構造的な問題を示唆しているのかもしれないですね。
もちろん全ての診断がそうだって言ってるわけではないですけど。
なるほどなあ。今回こうやって皆さんと掘り下げてきたように、CFSみたいな曖昧な診断っていうのは、本当に苦しんでる人への理解を示すっていうすごくポジティブな面もあるんだけど、
診断の社会的な側面
一方で過剰診断だったり、根本的な問題を見えなくしちゃったり、回復を妨げたりするリスクも同時に抱えているわけですね。
ええ。
診断名をもらって一時的にホッとすることと、本当に長い目で見て回復に向かうことって必ずしもイコールじゃないんだなと。
ええ。本当に複雑な問題だと思います。
資料を通して見えてきたのは、結局診断っていう行為が、純粋な医学的な判断だけじゃなくて、個人の心理とか社会の仕組み、あるいは経済的な力学みたいなものとすごく深く絡み合ってるっていう現実ですよね。
だから私たち自身が病気っていうものと単なる困難とか、あるいはその人の特性みたいなものとの境界線をどう引くのか、そしてそれにどう向き合っていくべきなのかっていうのを改めて問い直す必要がありそうだなと感じます。
診断というラベルはあなたにとっては救いになるんでしょうか?それとも時には見えない足枷になったりするんでしょうか?
ちょっと立ち止まって考えてみる。そんなきっかけになります。
いかがだったでしょうか。相変わらずお上手に喋りますな、お二人。よかったですね。
結局だから、このノートブックLMが言うには、提供された音声及びテキストソースに基づいて、
慢性疲労症候群をめぐる診断上の曖昧さ、精神化、疾患、特にうつ病、発達障害との関連、診断の社会的な影響、そして日米における医療システムの際における理解を深めることを目的としています。
音声ソースは精神科医の視点からの率直な見解を含み、テキストソースはより構造化された情報と研究動向を提供しています。
と書いてありますね。結局今回の話はですね、タイトルは安易な診断の落とし穴というようなことにしますかね。それはこのLMがそう言っているからね。
今回はですね、お二人のノートさんとブックさんのお話の中にもありました、慢性疲労症候群、うつ病、発達障害、そういう病名ね、
特に精神科の病名はね、肺炎とか糖尿病とか違って客観的な指標があまりないわけですね。あるんだけどかなり、だから実際上はないんだよね。
慢性疲労症候群の診断問題
一応決めてるけど実際上機能してないというか、慢性疲労症候群なんかずっと疲れてるっていうのは勝手についちゃう。他の病気じゃなければ、だからその先生の習慣でついちゃうみたいなね。
患者さんの習慣でつくというのかな、うつ病もそうですけどね。そういう状況でね、そこにはエクスキューズが隠れているしね、そこにはね、製薬会社の思惑が隠れているしね、そこにはね、医者のエクスキューズも隠れている。
患者のエクスキューズと医者のエクスキューズがこういうふうにね、表面上のね、表面上のウィンウィンの関係みたいなのが成り立ってね、みんながそっち側に行くと言い訳ができるということで行くんだけどね。
ただね、一番困るのは長期的に患者さんが困るんでしょうね。さっきもね、別の患者さんを見てきたんだけどね、患者さんを見たんだけど、今一応到着中だからね。
結局さ、甘えちゃってるって言うとかわいそうなんだけど、病名は統合視聴症とかってついてるんだけど、統合視聴症でわけわからなくなってむちゃくちゃをするってことになってるんだけど、表面上というかね。
まあそういうふうになる、見えますよ。見えますけどね。よーくよーくね、その人に寄り添ってね、あの状況を見るとね、統合視聴症でね、わけもなくね、症状が出てるわけじゃなくてね、やっぱりね、背景には小さい頃からうまくいかない発達障害の問題があってね、いろんな小さい頃からうまくいかないもんだからそこにやっぱさ、つらいからさ、言い訳が必要なんだよな。
言い訳がどうしても必要でさ、やっぱ病気の不利じゃないけどさ、病気じゃないと困るんだろうなってことが見えてね。妄想とかね、現状もあるんだけどね、一応ね、あることになってるというかあるんでしょうね、嘘じゃないとは思うけどね、あるんだけどね、その妄想っていうのがね、なんかね、一見するととんでもなくわけわからない妄想なんだけど、よーく聞くとね、よーく人生全体をね、詳しく調べてみるとね、その人の、何とかな、ちゃんと心が見えるんだよね。
まあいろんなつらい、あんまり個人情報は言えないですけど、ある種のつらい過去が、やっぱうまくいかない歴史がありね、そのことによってね、諦めざるを得なかった物語がありね、その諦めざるを得なかった物語を諦めきれてないでしょうね、おそらく、そのことに関する妄想なんだよね。
妄想っていうか、否認っていうかね、認めないっていうね、私はそんなことないっていうね、でももう厳然たる事実でもう取り返しがつかない事実があるんだけどね、そのことをやっぱり今でも認めていないんだろうな、どうしても納得がいかないんだろうな。
なので例えば、違う話ですけど、カニさんの話じゃないけどね、野球選手になることは諦めざるを得なくてね、野球選手は諦めたんだけど、いや私はドラゴンズの選手ですよって言い張るみたいなね。
あのね、なんで急にドラゴンズの選手だって言ってるんだろうって変な妄想だなーみたいな思ったんだけど、よーく聞くとね、いろいろそこには物語があってね、ドラゴンズの選手でありたかった、実はね、ギリギリまでね、ドラゴンズに入りそうになってるけどダメだったとかね、のが見えたりとかね、
実はなんか音楽のなんかで妄想で自分はスターだみたいな、実はよくよく聞いたら本当にね、本当に東京まで行ってね、本当に実は一瞬プロで行きかけていた事実があったりとかね、
ある種のね、実際に本当の事があってね、今の例ちょっと適当に嘘で言ったから、嘘っていうか、作って言ったから今一つしっくり来ない、しっくり来る例言いたいんだけど、しっくり来る例は言うと個人情報になっちゃうと言えない話があるんで、言えないですけど、とにかくそういう心が見えると、この人、ある種の何て言うかな、意図が見えたりするんだよね。
そういうものが精神科の診断にはあるからさ、精神科の診断っていうのはさ、非常に難しいんだよね。それがさ、安易な診断でそちら側に逃げていくと一瞬ウィンウィンなんだけど、長期的にはその人が損するような事がいっぱいあるんだよね。
精神科の診断と対応
一時的な安心感は得られるけどね、結局一時的な安心感、一時的な社会的免罪婦、エクスキューズみたいなのが得られてね、医者もエクスキューズが得られて、医者は別に患者本人じゃないからね、その場が逃げられればいいんでね、それはいいんだけど、適当な診断付けでね、いいんだけど、患者さんがちょっと可哀想だよね、とは思うもののね。
さっきも言ったけど、患者さんがね、そのぐらいの力しかないんだというふうに考えることもできるわけでね、そういう意味では安易な診断仕方がないのかなと思ったりしますけどね。難しいところね。だけどね、基本的には多面的な評価、個別に対応する、そういう診断名をつけてみんな一緒くたに扱うとかではなくて、やっぱり一人一人の個別の事情に向き合っていかないとね、本当は精神科はうまくいかない。
なので精神科はやっぱり精神科医一人がやってることではなくて、調整って精神科医一人じゃできないんで、結局ワーカーとかケースワーカーとかがやるんで、精神科の医療っていうのはほとんどワーカーの力によって結果がね、PSWとかね、そういう職種の人の実力次第だな、あるいは周りの環境次第だなと思ったりする、ちょっと話広がりましたけどね。
そんな風に思いましたというね、本日2本目のノートブックLMSギエなと思った次第でございますがね。ということで今回はそんなところにとりましょう。これが2本目でございます。どうしようかな、5分遅れて配信上げようかな。はい、それでは皆さん、さようなり。
18:05

コメント

スクロール