1. リブラの 精神科のバックヤード
  2. 「でも」「違うんですよ」外せ..
2025-08-08 15:52

「でも」「違うんですよ」外せば印象アップ! 〜自分をぱんさんと思って喋るべし〜

📻🦨スカンクとリブラの精神のPライン🐘
https://stand.fm/channels/6161e521afa93b18fcd77817

ヒーロースカンクさんのスタエフ
https://stand.fm/channels/664b1a48316143a771f4d710

リブラ X(Twitter)
https://x.com/okawari

#健康 #子育て
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6349996e0cee2a08caf592dd

サマリー

このエピソードでは、三宅健さんの否定から始まる話し方について議論され、コミュニケーションにおける自信の重要性が強調されています。また、ドイツ語の言葉を例に挙げながら、二言論的思考の限界について考察されています。さらに、自己表現における否定的な言葉の影響と、それらの言葉を取り除くことで印象を良くする方法についても議論され、特に三宅健さんの言葉を例に、自分を「ぱんさん」として話すことの重要性が強調されています。

三宅健さんの否定からの話し方
いやー、そしてもう一個がですね、 三宅園さん問題でしたね。
三宅園さんがゴネケンと辞書をしていらっしゃったけど、
まあ半分辞書的に、辞帳的に言っていらっしゃったんですね、前にね。
で、その話、しばしばでゴネケンが出ますけども、
あの、否定から入るじゃないですか、三宅園さんの話って。
で、これ昔スカンクさんも同じことになっていてね。
いや違うんですよ問題ね。スカンクさんのいや違うんですよが気になるなーっていう。
面白いから言ったらすごい気にし始めた時期がありましたね。
すっかり影を潜めましたね、スカンクさんのいや違うんですよ問題。
あのね、面白いもんですなー。
で、まあ飽きたのもあるんでしょうけど、そのやり取りにね。
一つはね、もちろん飽きたのもあるし、いろいろあるんだけど、
一つはやっぱり大きいのはスカンクさんが成長してしまったというか、
してしまったというと申し訳ないんだけど、ちょっとしっかりしちゃったよね。
で、その理由はやっぱり仕事がうまくいってるというか楽しいというか、
自分の価値を感じられてるんだろうなと思うんですよね。
やっぱり自信って大事だなーって思うわけですね。
で、自信があるとね、やっぱり、
なんかそのいや違うんですよっていう否定する必要があまりなくなるんだろうね。
否定をしなくて、まあそうかなーって受け入れて、
話を進めることができるんですよね。
二言論的思考の限界
あの三宅健さんのコメントが、
僕らの三宅健さんって誤寝るよね、違うな、なんだっけ。
三宅健さんって否定から入るよねかな、なんだっけな。
なんかそういう流れになったんですよ。どこで書いたっけ。
なんかその三宅健さんって否定に、
あれ、三宅健さんって否定に入るよねの話はどこでしたかな。
僕がどこで写真をちょっと。
これかな。
三宅健さんの、そうね、否定から入るよねを肯定できないのをどうしたらいいのかとね。
否定から入るよねって言われてそんなことないですよって言ったら、
ほら否定してきたって言うから無限ループに入るというふうに言うわけね。
それはその通りなんですよね。
ところがね、それは非常になんていうかな、
ロボ的な発想だなと思うんですよね。
問題はそういう二言論じゃないんですよね、物事っていうのはね。
その二言論的思考スタイルでいくとそれはそうなりますよね。
肯定か否定かっていうことなんだけど、
人の思考とか言葉っていうのはあまり実際は二言論にはなってないんですよね。
ロボは二言論的に物を考えがちですが、
肯定でなければ否定かと、否定でなければ肯定かと、
そういうわけでは実はないんですよね。
日本語だけじゃなくて、
ドイツ語にさ、ドイツ語ではさ、
イエスのことをイヤって言うんですね。
ノーのことをナインって言いますよね。
でもドイツ語にはヤインって言葉があるんですよね。
正しい言葉なのかどうか忘れましたけども、
ドイツ語を学んだときにヤインって言葉があったなと思って思い出すわけですけど、
どういう意味だったらどっちとも取れるようなアレでしたけども、
だせつけな。
コミュニケーションの改善
ですけども、そういうのが二択の言葉ではないんですね。
で、例えば、どこだったかな。
そのことで僕らのコメントに三宅さんが書いてきた文章があるんですけど、
皆さんちょっと一回読んでみようか。
読みますよ。
三宅さんのコメント。
三宅さんは否定から入るよねの流れがバーッと盛り上がって、
Pラインですね。
政治のPラインでまた三宅さんが言い訳してるみたいな流れで、
否定から入るみたいな流れになったのかな、
ちょっとはっきり言う流れになったか。
Pラインの中ではそんな話してなかった気がしますけども、
ちょっとコメント欄が長すぎて読むのが嫌なの。
コメント欄がスレッド長すぎて、
表示するのに1分以上かかるんですよ、ちょっとずつ。
しかも待ってれば映るわけじゃなくて、
ちょっとずつ指でちょっとずつずらしてね、
1分以上かかるの。
そんなコメント欄誰が読むんだよっていうところなんですけど、
そこのね、そこのやりとりちょっと読みますよ。
ちょっと待ってよ。
読むためには止まらないといけないのでね、
ちょっと止まって読みますけどね。
だからちょっと変なところから始まりますよ。
かぎ括弧。
見た方がいいよ。
括弧閉じる。
ってコメント多いわ。
コメント多いわ。
ごめんなさい、もう一回いきましょう。
見た方がいいよ。
ってコメント多いわ。
読めるか。
でも、
持論を展開するは自覚あります。
ちょっとやっぱちょっと動き出した。
ちょっと後にしよう。
読めるか。
読むか。
読むか。
読むか。
読むか。
読むか。
読むか。
読むか。
読むか。
ちょっと後にしよう。
はい、車止めました。
ちょっと字を読まないといけないので、さすがに車止めないということでね。
これ、流れを言いますと、
チカラさんがここのコメント欄、
Pラインのコメント欄を、
三宅健さんにね、
ぜひ読みなさいと、
読んだほうが、見た方がいいよと、読んだほうがいいよと、
言った、
そういうふうに、
三宅健さんが、
チカラさんに言われた流れからの、
それを読んだというところの、
ボール犬さんの三宅健さんのコメントです。
いきます。
三宅健さんのコメントをね、
こういうふうに書きました。
見たほうがいいよ。
ってコメント多いわ。
読めるか。
でも、
持論を展開するは、
自覚あります。
人の話をきっかけに、
自分の話をすぐする。
リアルでは、
よくやってしまいます。
かっこ、
配信でも出てますかね。
配信は、
お互いのトークありきだから、
気をつけてるつもりですが、
てんてんてん。
かっこ閉じる。
トーク、
トーク泥棒の自覚ありますが、
自分の意見をしっかり言うと、
持論を展開すること自体は、
どこが違うのか。
相手がいるか、
いないかの違い。
そもそも、
僕は否定から入ってませんよ。
それ、
どの場面ですか。
コメント欄ですか。
チャーケンですか。
僕自身は、
ほとんど記憶がないので、
分かりません。
だとすると、
やはり、
トーク泥棒と、
持論展開に、
問題ありなのかな。
次のチャーケンでは、
そこを自粛してみます。
という、
今読んだのは、
ちょっと読み方下手ですけど、
こんなような文章が載っていた。
ここで、
三宅さんが、
すでに否定。
すでに否定、
わら。
やっぱり人は、
自覚できることしか、
自覚できないんですね。
わら。
というふうに、
ちょっと嘲笑を入れて、
三宅さんが、
うーんって。
そんなこと、
否定から入るよねって、
言ってきて、
否定から入るよねって、
言われたのに、
否定から入りませんよって言ったら、
ほら否定したって言われるんだったら、
もう言いようがないじゃん。
で、
五音犬が出たと。
こういう流れになってます。
だけど、
三宅さんは、
持論を展開すると、
自覚がありますと、
肯定してるんじゃないかと、
思うか、
まあいいや、
これはね。
というようなことで、
今の話をどうですか、
今聞いたのね。
やっぱり、
否定してるように聞こえません?
やっぱりね、
パーッと否定していきたいのね。
ここなんでね。
どこでしたっけ。
そもそも僕は、
否定から入ってませんよっていうね、
この一文がいらないんですよ。
どういうことかっていうと、
これね、
でもとかだからとかね、
違いますとか言う言葉ってね、
実はいらないんですよ。
いらないって何ってことですよね。
これね、
完全にね、
抜いてもね、
話通じるんですよ。
抜いても通じるように入れてるってことはね、
言いたいってことでしょってことになるわけよ。
ってことは、
否定したいんだねって見えるわけ。
何かっていうとですね、
さっきのね、
なんだっけ、
デモの下のところね、
ちょっと、
僕はね、
デモとね、
否定の言葉を抜いたやつを作りました。
それに抜いただけ。
デモを削除して、
僕は否定してませんよの文章を削除しました。
どう聞こえますか。
いきますよ。
それ以外のコメントは全く同じ。
一文一句変えてない。
デモを抜いたのと、
僕は否定はしてませんよの文章を、
だけを抜いた。
あと、
あとほぼ変えてない。
いきますよ。
持論を展開するは自覚あります。
人の話をきっかけに、
自分の話をすぐする。
リアルではよくやってしまいます。
配信でも出てますかね。
配信はお互いのトークありきだから、
気をつけているつもりですが…。
トーク泥棒の自覚ありますが、
自分の意見をしっかり言うと、
持論を展開すること自体は、
どこが違うのか、
相手がいるかいないかの違い、
否定から入っているの、
どの場面ですか。
コメント欄ですか。
チャー券ですか。
僕自身はほとんど記憶がないので、
分かりません。
だとすると、やはり、
トーク泥棒と、
持論展開に問題ありなのかな。
次のチャー券では、
そこを自粛してみます。
となったです。
どうですか。
文字で見た方がいいのかもわからないね。
全然イメージ違いませんか。
否定的な言葉の影響
文字で読むと、
全然イメージが違います。
今、話ちゃんと通じたでしょ。
実はね、
でもとか、
いやだからとか、
いや違うんですとか、
今回で言うと三宅園さんの、
そもそも僕は否定から入っていませんよ。
この言葉は、
実はね、
なくても完全に話し通るんですよ。
ほとんど同じ意味に聞こえるはずなんですよ。
ところが、
このでもと、
そもそも僕は否定から入っていませんよ。
の文章があるために、
非常に自分を認めない、
頑固な人に見えるんですよ。
その言葉なくたって、
言いたいこと全部伝わったんじゃないのって、
僕なんか思いますけど。
ならですね、
これをなくせばいいんですよ。
これは、
僕もよくやりますけど、
一回自分で文章見た後に、
このでもとか、
いや違うんだとか、
いや、みたいな。
いやだからとか、
いやでも、
みたいな。
そういう風になっている言葉を、
自分で見つけて、
そこのところを一文消します、
スッと。
意味が通じるかどうか、
自分で見ます。
消しても意味が通じるっていうのを確認したら、
これ僕、
これ、
いらないのに入れたなって、
僕は思うようにします。
ってことは、
僕は、
このことに対して否定の気持ちがあるなって、
思います。
それを消しても通るんであれば、
もう消しておこうって思います。
逆に、
これがあるとどういう風に見えるかなって言うと、
なんかこう、
反論してきたなっていう風に見えるなって思いながら、
で、
その文章は、
僕は消します。
で、
それは消しても成立する場合は消します。
消しても成立しないときは、
それはないとおかしい言葉なんだろうから入れます。
なくても通るのに入っている場合は、
これはただ僕が、
気持ちが拒否しているだけだという風に自分で理解して、
これはもう消してしまいます。
なので、
さっきの文章で、
三宅園さんの文章で言うと、
でも、
でも、
持論を展開するときは、
自覚あります。
この、
でもっていうのいらないんだよね。
えっと、
反対の言葉を言うときでも、
別にでもとかしかしとかって、
なくてもいける場合いっぱいあるんですよ。
もう一個は、
そもそも僕は否定から入っていませんよの文章、
なくしたって完全に通るんで、
否定から入っているのって、
どこですかって聞くんだけど、
別に言ってませんよ。
どこですかって言うと、
ちょっとなんか否定しているように聞こえる。
そういう流れに聞こえるんだけど、
その、
否定していませんよなしで、
どこですかって聞けば、
ただ聞いているように聞こえるんで、
この、
していませんよの否定の言葉、
実はいらなかったんですよ。
というちょっと工夫をするだけで、
ずいぶん頑固な人に、
見えなくなるんですよね。
言葉を取り除く工夫
受け入れているように見えるんだよね。
なのでそういう言葉をまずはね、
消すのをお勧めしますね、僕はね。
で、もう一個は、
もう一個っていうか、
これは同じく、
その、
なんていうかな、
テキストのときは後から消せるけど、
トークしている最中にも同じものが出るんで、
あの、
スカンクさんに関してはトーク中の、
いや違うんですよ、
僕はしてきたんですけど、
トーク中もね、
そのふうに、
僕なんかも気をつけて、
言いますけど、
言いますけどね、
それでも、
でもなるべく言わないように気をつけてるんですよ。
その、
でもとか、
いやでもとか、
いやだからとかね、
こういうのね。
それを、
言わなくても結構ね、
それをごくんとその一言、
いやでも、
違うとか、
いや違うとかっていうのを、
ごくんと飲み込んで、
それがいやでもって言った後の言葉を、
その後続ければいいだけなんですよ。
いいだけなんですよ。
いやでもとか、
いや違うんですよとかを、
言わないだけ。
思ってりゃいいの。
おもとけが発生するわけ。
で、
心に思いながら、
そのまま論詞をそのまま言ったらいいわけ。
別に、
いやでも、
なしで。
でもちゃんと意味は通じるの。
でも、
でも、
なしでも、
でもね。
で、
なしでも話が通じる。
話が通じるんだったら言わなくていいじゃん。
っていうことなんですよ。
話が通じるならもう言わなくてよくて、
そのまま話してしまうっていう訓練をしておくと、
だんだん減りますよ。
いや、
でも、
自分で意識してるからね。
減ってなくてもちゃんと通じるわけ。
だから実はいらなかったってこと。
ぱんさんの視点
っていうことで、
どうでしょうかね。
ちょっとテキストじゃないからわかんないかもしれませんけどね。
ということを、
三宅健さんのところで言おうかなと思って、
たけど、
今朝は言わなかったんだけど、
せっかくだから今、
覚えてる間に言いましたとさ。
おしまい。
じゃあ週末楽しんでね。
いきまっしょい。
あ、そうそう。
今、いきまっしょいって思い出したけどさ。
三宅健さんがもし聞いてればですけど、
例えばね、
これパンさんだったらどう言うかなと思ってくださいよ。
パンさんはもう全然反論してこない。
パンさんだったら、
多分、
パンさんは否定から入るよねって言ったら、
パンさんどう言いますかね。
パンさんはいつも否定から入るよねって言ったら、
えぇー。
あ、そうなのかなぁ。
そうですか。
そうなのかなぁ。
あ、でもそうなのかもしれないですね。
そうなのかもしれない。
分からないですね。
気をつけなきゃいけないかな。
とかって、
多分そんな感じのテンションで言うと思うんだよね。
いや、否定してませんよ。
とかって、
否定して見えるっていう人の意見に対して、
否定してませんよって分かんないじゃん。
本当のこと言うと。
なので、
絶対パンさんはね、
そういう言葉絶対、
僕そもそも否定から入ってませんよって、
絶対言わないと思う。
なので、
もう一つ、
ヒントがあるとすると、
そういう、
イマジナリーパンさんみたいなやつを頭に入れて、
分からないときは、
パンさんだったらどう言うだろう。
みたいなね。
人に否定すると思われてない人たちだったら、
もしこれをね、
否定したいとき、
という気持ちを持った、
これは否定したいと思ったパンさんだったらどう言うかな。
っていう風に考えて、
シミュレーションして、
パンさんのつもりになって、
コメント書いてみたりすると、
あんまり否定的に見えないかなっていう風には思いますね。
というような工夫をすると、
もうちょっと、
感情がよく見えるんじゃないかと思ったというね。
三池さん以外の人も、
ちょっとこれ、
参考になるんじゃない?って思ったので、
書き、
言いました。
おしまい。
さようなり。
ポチッ。
15:52

コメント

スクロール