1. リブラの 精神科のバックヤード
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2024-02-28 09:48

おせっかいは利己的、おせっかいが患者を追い込む

#NFT #健康
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おはようございます。抜粋の精神科リブラでございます。 今日はですね、精神のバックヤードからまたお届けしておりますが、
今日はおせっかいの話をしましょうかね。
いつもね、我らが精神のPライン仲間であるですね、
スカンクさんのおせっかいの、スカンクさんがおせっかいであるというような話をよくしますよね。
スカンクさんはおせっかいはね、愛情だというようなことでね、 おせっかいしない人は冷たいんだというようなことで、俺はそれが素晴らしいと、
まあいうようなことをよくおっしゃる。まあそれはそれで、 まあ良いでしょうとは思うんですけど、
今日はですね、スカンクさんのおせっかいの話ではなくてですね、僕のおせっかいの話をしましょうかね。
僕はおせっかいなんですよ。スカンクさんのおせっかいを時々、
利己的だとか言って非難することがありますけど、 あれはですね、
自分がおせっかいなところがあるからなんでしょうね。 おせっかいっていうのはなんていうかな、
相手が、
求めていないのにアドバイスをしたりね、指導したりね、それはおせっかいですけども、 それは相手のためになるんだというようなことでよくね、スカンクさんもおっしゃる。
それは僕もそう思って、僕もおせっかいですからね。 僕もやるんですが、
それはね、人のためにと言ってやってることはですね、 こちらの価値基準であってね、相手の価値基準ではないんですよね。
おせっかいというものは基本的には利己的なものですね、僕のね。
それがね、普段だったらただおせっかいで嫌われるってことでいいわけですけど、 僕は精神科医ですから、
これが診察の場面に出てくるんですよね。 これがね、そうするとね、
ひどい時にはですね、ひどいと患者さんの命に関わりますね。 僕のおせっかいが人を殺すということですね。
とね、
ちょっとあんまり具体的なことは言いたくないので言いませんけども、
例えばね、
そのおせっかいさというのは僕のね、 特に最近はあんまりおせっかいじゃないんだけど、それはいろいろ反省をして
こういう姿になったんですけど、 それでも今でも僕はおせっかいな人ではあるんだけれども、
若い頃は今よりももっと熱心だったんだよね。 精神科医としてね。熱心な精神科医だった。
これがね、精神科医にとっていいわけじゃないというか、 精神科医はもう少し冷静で俯瞰でものを見られる人の方がいいんじゃないかなと思うんですけども、
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僕は若い時はもう少し盲目的で熱心な人だったんですよね。 今でもそういうとこありますけども、もっとそうだった。
で、それがね、例えばね、統合視聴症と言われている患者さんの話をしましょうかね。
例えば統合視聴症の人っていうのは、幻覚妄想やらがあってね、お薬を使ってみたいなね、 その幻覚妄想を抑えてというふうなことになっているんですけど、
僕よく言うでしょ、その言ってないか、 統合視聴症というふうになっているけども、
実際は違うんだというみたいなことを僕よく言うんですよ。 今現在、僕見ている患者さんでもね、
よその精神科の病院でね、 大暴れして具合が悪いということで、この前も言いましたよね、お薬たくさん持ったらさ、
どんどんどんどん薬を持っていったらさ、増やしていったらさ、 最終的には副作用が出ちゃってさ、運ばれてきて、うちの病院にね、精神科の病院から。
で、僕は薬はやめちゃダメだと言って、 薬を全部中止して、違う間違えた、偽物の薬を出してね、
今落ち着いてますけどね、その後落ち着きましたけどね、 例とかさ、いっぱいあるんですよ、そういうの。
ずっと薬を飲まなきゃいけないとよそで言われている人をね、 僕はたまたまちょっとね、体の病気で入院されてね、
僕は本人が薬を飲みたくないって言うので、話を聞いて全部中止したりね、 そういうことをよくやるんですよ、やるんですけど、
これは求められているときはいいんだけど、 求められていないときもやるんだよね、その、
一生懸命。で、それは例えばですね、 正しい診断を僕はしようとして、正しく診察をしようとしているんですけれども、
精神科医ってやる気のない人とかみたいなのもいっぱいいてね、 そういう人が見てたらね、例えばね、
まあ、何も言わずに、よそから来た患者さんなんだし、 またよそに戻ってくるとしたらバーって同じ薬を出して、
ただよそを見るみたいな人いっぱいいるんですよ。で、そっちの方が多いんですよ、精神科医はね。 やる気がないわけ、基本的には。
ところがね、それがね精神科医としての素晴らしい素養だったりするんだよね、ある種。
えー、僕なんかはね、そういうことができなくて、いちいち介入していく。 ここがおせっかい。ね、患者さんを治そう、治そうということでね、
少しでも良くしようということで、僕はね、割と入ってしまう。おせっかい。ね。 良いことじゃないかと思うでしょう?思うでしょう?
良いことなんですよ。良いことなんですけど、少なくとも精神科においては、必ずしも良いことじゃないという時がある。
えーとね、 端的に言えばですね、精神、まあそうだなぁ
端的に言えば、 やる気がなく薬を出しているってことは、まあ
ある種ね、それはね、 現状を前任しているわけでしょ?その何もやる気なく、ただ同じ薬を前の医者と出すということはさ。
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それはね、患者さん、良くもならんけど悪くもならんだ。同じなんだ。ね。
そこでこの僕のこのやる気のあるこの、まあ今はだいぶありませんけど、もうちょっと若い時はだいぶやる気があった。
なんとかしよう、なんとか治そうというね、こういう精神科に僕ね、 僕が言うとこのおせっかい。良くない。ね。僕が見ます。
なんとかしようとしてね、薬を減らしたり増やしたり、いろいろやるんですよ。ね。 今まで安定している人なんですよ、その病院で。それでも薬を減らしたり増やしたり、いろいろやるんだ。
これはもう、おせっかい。ね。それが、つまりね、僕が薬を変えたり、なんか治そう治そうということはさ、
現状を前任してないわけでしょ。今の状態が悪いっていうことでしょ。だって、治そうとしてるから。何かここから良くするということは、今が悪いということじゃない。
つまり、僕はそういうメッセージが僕から出るんですよ。ここ、乾燥してるな。
つまりね、熱心さというものは、現状を変えようというメッセージだから、つまり、現状は良くないというメッセージに繋がるんですよ。
この熱心さがね、患者さんを追い込んだり苦しめたりすることがあるんですよ。面白いよね。良くしようとしてるんだよ、僕は。
なのにさ、良くしようとしないさ、医者の方が結果が良かったりするんですよ。
それはね、僕がね、やっぱり良くすることで僕の価値を上げようと思っているところがあるわけだ。
ね、患者さんが治ったら、僕の医者としてのレベルがちょっと上がる感じがするんだ。
患者さんが良くなったら、ありがとうございますって言ってもらえたりするわけだ。
そのありがとうございますを求めているのは僕だから。それは僕の利己的な理由だから。
という側面があるということ。
なので、ここから少しでも治そうというのは、しかも大して求められてもないのにやるというのは、これはね、場合によってはおせっかい以外に何者でもないときがある。
で、これは僕の患者さんが、何て言うのかな、僕が熱心にやることによって、患者はもっと悪い状態を作らないといけなくなったりすることがある。
いや、本当に難しい。
ということを、ちょっと今まとまっていませんけど、今日はね、一つ言っておこうと思って。
また、このコントに関してはまた考えていきます。
ただね、そういうことがあるわけ。本当に。
まあ、今日はこの辺にしておきましょう。
さあ、今日の話をまとめますと、
えーとね、熱心さというものがね、おせっかいになることがありますよ。
僕の精神科の治療というのはそういうところがあって、僕は反省しているところですけども、
僕の特性なのでなかなかどうしようもない。
例えば、患者は僕は治そうとしすぎるときがある。
それは、今安定している患者さんに対して、それを治そうという僕のスタイルは、
つまり、今のが悪いということを治さないといけないということは、
さらに、今の現状はダメだということを、僕の治療からはそういうメッセージが伝わる。
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つまり、現状を善に僕はしないという。
どこまで良くなっても僕はもっと良くしようとする。
ということは、僕はどこまで行っても現状を善にしないので、僕はね、否定していくんだよ。
ということは、患者さんの現状を否定していくことになる。
これにね、患者さんが僕の診察に追い込まれるときがあります。
ということで、まあ難しいところですね。
ということで、まあまたね、やっていきましょうね。
またね、ツイッターのタイムラインに載せていただいても嬉しい。
ここでやりとりをしているのも楽しい。
以上、罵声の精神科エリブラでした。
ちょっと今日は声が枯れております。
さようなら。
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