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おはようございます。精神科のリブラでございます。
今日もね、やってまいりましょうかね。
うちの病院なんかは、大きな病院なもんですからね。
研修院の先生というのがいましてね。
その人にいろいろ、研修中だからね、いろいろ、
患者さんを見せたり、
実際に手術をやってもらったり、 場合によっては手術をしたりね、
いろいろ解説をしたりね、
この患者さんはこういうことだよ、 なんて言うんですけどね。
研修院の先生と話しててね、
僕らが当たり前だと思うことが、 当たり前じゃないことって結構あってさ、
こっちはずっとやってるからさ、
慣れてくから当然だと思っちゃうんだけど、
それはこちら側の勝手な常識でしてね、
研修院の先生からすると当たり前じゃないってことは よくあるんですよ。
そんなことが昨日もあったんでね、
ちょっとその話をしようかなと思いますけどね。
研修院の先生に限らないんだけど、
内科の先生なんかとも話してても、
共有されてないことありますし、
この件に関しては、
同じ精神科医でもあまり慣れてない、
この件っていうのは接触障害の話をしようと思うんですけど、
慣れてないと同じ精神科医でも、
あまり理解されてないというか、
通じないことがあるものですからね、
ちょっと面白いなと思って、
昨日話してたら、
僕にとっては当たり前だけど、
そんなこと分かんないかと思って、
分かんないって言うのかな、
そういう風に思うんだと思って、
ということがありましたね、昨日ね。
どんなことかって言うと、
声がガラガラだな、
この部屋めっちゃ乾燥してるんだよね、
まあいいや、
どんなことかって言うと、
接触障害っていうのはですね、
何らかの病気で、
接触に異常があるんだけども、
食べれない病気だって思ってる人が多いんだよね、
内科の先生なんかもね、
本人もかもしれない、
家族もかもしれないけど、
ただね、僕なんかはですね、
僕なんかはね、
食べれない病気とは思ってないんですよね。
本人も食べれない病気だと思ってることが多いんだけど、
あれはね、食べない病気なんですよ。
でね、
昨日、研修院の先生に言ったのは、
患者さんが結構逃げちゃうんだけど、
逃げちゃうっていうのは、
僕が見てても、
僕やらうちの心理師とチームで見ててもね、
来なくなっちゃうんですよ。
他行っちゃうんだね。
他行っちゃうんだね。
それは僕らがちょっと厳しいからですね。
厳しいっていうのは、
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僕らは一生懸命患者さんを治そうとしてるんだけども、
その中で、
僕らの対応の仕方が必ずしも、
患者さんに寄り添って優しいというわけではないので、
厳しい人のところからは去りたくなるじゃないですか。
ダメだなこれ。
そういうことでね、
いなくなっちゃうことがあるんだけど、
そのいなくなっちゃった先で、
いなくなっちゃうっていうか、
僕がみんな、
僕との資料関係から逃げて、
いなくなっちゃって、
別のところに行くんでしょうけども、
その別のところ、
どこも行かないときもあるでしょうけどね、
別のところに行った先がね、
優しい内科の先生なんかだったら、
その患者さん死んじゃうんだよねって話をしたら、
え、どうしたんですか?
みんなそうおっしゃるんだよね。
そんな当たり前じゃんって僕なんか思うんだけど、
現に何人か亡くなってるし、
僕の患者さんが逃げてっちゃって、
他の先生のところに行って死んでますよ。
あるいは、
どこにも通わなくなってね、
うちにも来なくなって、
よそにも行かなくなって、
亡くなったりするんだけど、
そんな当たり前じゃんと思うんですけど、
これは共有されてない。
特に優しい、
声全然出ないね、これ。
まあいいや。
じゃあ今日はガラガラこうやってやりましょうかね。
ガラガラボソボソでやりますか。
えっとね、
それはいいんだけど、
本当に声が出ない。
優しい内科の先生のところに行くと患者さん死ぬんですよね。
どういうことでしょう。
簡単に言いましょうね。
えっと、
大概ですけど、
接触障害の人はさ、
あんまり患者さんに直接言わないけど、
そう言うと、なんていうか、
決めつけみたいで、
決めつけの言葉が刺さる。
決めつけの刃が刺さりますんでね。
俺は長男だから我慢できる。
長男じゃなかったら我慢できない。
なんだあれ。
懐かしいこと言っちゃいました。
なんだその決めつけ。
それはどうでもいいんだけど、
そうじゃなくて、
接触障害は、
大概ね、
女の人なんですね。
中には男の人もあるんだけど、
ちょっと通常ないっていうね。
一般的には女の人ね。
そして、
ほぼ100で、
母子関係に問題を抱えてるんだよね。
そういうパターンで、
物事が起こるんだけども、
過食応答の人はだいたい
パティシエになろうとするとかね。
過食応答しない、
挙食だけの人は、
管理栄養士になろうとしたりね。
それはまあいいんですけど、
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それはいいんだけど、
多くの例においてですけど、
なんやかんやあるわけだ。
ちょっと短いポイントだけは話しますけど、
なんやかんやあって、
接触障害の人っていうのは、
ボディーイメージを言うんだけども、
基本的にはね、
痩せたいんだよね、
という気持ちがあるんです。
いろいろな理由があって、
結果痩せたくなっちゃうんだよね。
ところがさ、
痩せたら死んじゃうんじゃないですか、
人は。
過食するでしょ、
痩せすぎたらさ。
痩せたら死んじゃうから。
その時にさ、
どっちなのよという人がたまにいるんだけど、
痩せたいのか死にたくないのか、
だって愛入れないわけだから、
痩せすぎたら死ぬんだからさ、
どっちなのよっていう人がいるけどさ、
両方でしょうがと、
思いますよね。
だってさ、
勉強はしたくないけど、
いい学校に行きたいとか別にあるでしょ。
どっちなのよあなたと。
あんたいい学校に行きたいって言ったら、
学歴はあきらめなさいよと。
例えば。
そう思うかもしれないけどさ、
勉強はしたくないけど、
いい学校に行きたいとかあるでしょ別に。
働きたくないけど、
高い給料欲しいとかあるでしょ別に。
普通のことじゃんそんなの。
ってなことでですね、
痩せたいけど、
太りたくないけど、
どんどん痩せたいけど、
死にたくはないっていうね。
それ普通の話ですよ。
気持ちがあるわけですよね。
そうするとさ、
これ愛いれないわけでしょ。
愛いれない期待、
期待の中にはですね、
葛藤が生じるんですよ。
通常。だって。
愛いれないんだもん。
痩せたら死んじゃうんだもん。
死にたくないもん。
体重増やせばいいか。痩せたいもん。
っていう、
接触障害の人の感情があるわけね。
そうするとさ、
痩せたいけど、
痩せたいけど、
死にたくないっていうね。
そういう狭間に落ちるわけね。
これ苦しいわけ。
苦しいとね、
患者さんはね、
これ無意識だと思う。
意識的にやってるわけじゃないんだけど、
食べれなくなってきてるんですけど、
本当のところは僕は食べないんだと思うんですけど、
それは意識的な食べないじゃなくて、
無意識かもわからない食べないなんだけど、
食べれないと食べない。
接触障害は食べれない病と、
もう一つ実は食べない病なんですけどね。
って僕は思ってるんだけど。
その葛藤があるでしょ。
痩せたいけど、
死にたくない。
その葛藤に対する対策として、
無意識だとは思うんだけども、
患者さんは、
その
死にたくないを、
医者に預けようとするんですよ。
預けようとするっていうのは、
自分の責任じゃないところに
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つまり、
例えば病院に入院したりね、
精神科でもいいんだけど、
精神科だとちょっとやっぱり、
医者が厳しかったりするんで、
意外でしょ。
精神科の方がこの場合厳しい対応しますよ。
まぁ、
内科の方に逃げちゃったりするんだけど、
一つはさ、
内科の先生、僕としてはさ、
うちは専門じゃないから、
精神科の先生に聞いてと言って、
断ってくれるとありがたいんだけど、
心の中に優しい人がいるよね。
内科でも。
もっとビジネスライクに俺知らんって言ってくれるとありがたいんだけど、
優しい人がいるじゃないですか。
心の中に優しい人が。
そうするとさ、僕が見るよってなっちゃうわけよ。
優しい人ってのはだいたいね、
えー、その、
褒められたいっていう気持ちがあったりとかね、
それはいい医者の条件なんだけど、
褒められたいなっていうふうに医者が思うことっていうのは、
だから頑張るわけだからね、
っていうようなところがあるんだけど、
ただそれがちょっとね、
ちょっと興味ない人もいて、
今回はこっちの方がありがたいんだけど、
褒められたいっていう気持ちがあって、
優しいんだよ、とにかくね。
優しい内科医とか行くでしょ。
そうするとね、
例えばですね、
内科の先生、
例えば何がいいかな、
ある種の条件を、
条件下において、
その患者さんが入院したときに、
だからね、ご飯食べれちゃうわけ。
先生、先生がこういう風にしてくださったら、
私、ご飯食べれました。
こういう風に、
で、また先生が別のこと、
先生がこういう風にしたら、私食べれなくなりました。
Aをやったら食べれる、
Bをやったら食べれない、
Aをやったら食べれます、先生、ありがとう。
これからもAをやってくれると、
約束してください。
Bの点滴はとにかく嫌です、
とかね、
点滴をしないって先生が言ってくださったら、
私、どんどん食べれました。
現にこの1週間、
あ、もう食べてるでしょ、みたいな。
内科の先生、わかった、もう、
二度と点滴はしないって約束するよ、みたいな。
よかった、これで私、体重増えるわ、
みたいな感じで、
実際増えていくんですよ。
で、また何か先生が違うことをしたら、
先生、これやったら私、やっぱり食べれません。
これを、もう一回やっぱり点滴はやめてください。
点滴はやめます。
やっぱり食べます、みたいな。
こういうことが繰り返されます。
すると内科の先生はね、
あ、やっぱりこれをすると食べれるんだ、
みたいなことで、思います。
で、約束しちゃいます。
これが危ないんだよね。
これね、
それやって約束をガチッとね、
患者さんとね、先生がね、
内科の先生がね、
組んでね、
ガチッと固まった瞬間にね、
絶対約束ですよ、
っていうようなことでね、
この約束をね、先生がね、
内科の先生がね、
破れないなという状態までね、
順調だからね。すごい治療順調。
そこまで治療はめちゃくちゃ順調。
体重どんどん増えている。
そこから突然体重が減り始めます。
慌てます、内科の先生。
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あれ?今までうまくいったのに。
2ヶ月うまくいった。あるいは3週間うまくいった。
ね、まあこんな感じで。
なかなかうまくいっている治療がね、
突然ね、音を立てるように崩れていきます。
体重は突然減ります。
突然あんなに食べれた患者さんが、突然食べれなくなります。
慌てます。
じゃあ、点滴だと。
点滴チューブだと。
内科の先生が何とかしようと思います。
ところが、もはや時すでに落とし、
約束している。
先生それやらないって約束じゃないですか。
約束を、
もう破れないぐらいまで追い込まれている。
内科の先生が。
そこで結局その約束通りに、
ある種の点滴やらの治療ができなくて、
体重は減っていって死にます。
こんなことになるわけ。
これね、何が起こっているかというと、
患者さんは、
痩せたいけど、
死にたくないという気持ちがあったんですよ。
それがね、
内科の先生に、
死にたくないを預けちゃっているんですよ。
構造的に。
死ぬか死なないかのことは、
迷い、
考えたくないので、
内科の先生が全力で
死なないようにしてくれるでしょ。
そこで預けるの。
形式的に。
自分は、痩せたいの方に全力を、
情熱を注いで、
痩せるんですよ。
死にたくないでしょ、だけど。
でもそれは、内科の先生に預けちゃっているから。
自分の意識があると思うんですよ。
という構造にして、
しかも、
内科の先生が、
やっぱりやめたってならないように、
治療はしばらくうまくいくんですよ。
ここで最初の方に言った、
食べる食べない問題の、
捉え方の問題が出るわけ。
患者さんもかもしれないけど、
内科の先生は、
食べれない病気と認識している。
僕は食べない病気と認識している。
本人が。
そうするとさ、
私、食べれるようになりました。
っていう言葉をね、
僕の頭の中で変換されて、
私、食べるようになりました。
食べます。
食べれますじゃなくて、食べます。
食べれるようになりましたじゃなくて、
食べるようにしました。
僕の頭で聞こえているわけ。
その人の主観でね、
その患者さんの意思でやっているのよ。
結局のところは。
無意識かもしれないけど、
広い意味でその人の意識、
意志なんですよ。
いかようにでも動くわけ。
食べたり食べなかったり。
そんなの約束しちゃダメなんだけど、
そんなこと慣れてないもんだから、
例えばですね、
精神科の僕がね、
内科の先生自身がないから、
患者さんが飲まれたりするんだけど、
精神科のリブラ先生が来ると、
私食べれなくなります。
こういうことを言い出す。
例えば患者さんが。
僕が、さっき言ったような構造を理解して、
内科医が患者さんに取り込まれないように
注意したりとか、
助言したりするから。
邪魔だから。
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死にたくないという、
その気持ちを患者さんから、
医者に預けさせないように。
僕が邪魔するから。
邪魔するから。
そうすると患者さんは、
苦しみながら死なない状態にならないといけない。
葛藤を抱えながら生き続けなければいけない。
苦しいわけ。
だからその死なないという責任を、
内科医に預けて、
できれば患者は死にたくないんだけど、
内科医に預けてしまいたい。
ところが僕が預け、
それは絶対、
医者が受け取ってはいけない責任なので、
死ぬから、患者さんがね。
受け取っちゃダメなんだ。
複雑な構造ですけど。
そうすると、
リブラ先生が来ると、
私食べれません。
僕が会心に行った日は、
適面にご飯を食べないわけ。
ということが何回も繰り返されます。
するとね、
内科医の先生からね、
リブラ先生、大変申し訳ない。
こちらから頼んでおいた立場で、
リブラ先生が悪いとは思ってないです。
本当にそうなんです。
ただ、ちょっと会心やめてもらえませんか。
全力で止めた。
そんなことしちゃダメです先生。
言ったんだけど、
いや、ここは僕が主治医なので、
従っていただくことになります。
ただ、僕はリブラ先生のこと、
全然悪いと思ってません。
リブラ先生のおかげだと思っているぐらいです。
ただ、僕は患者さんとの契約と約束もあるので、
リブラ先生、来ないでください。
みたいにして精神科医を、
僕を排除する。
僕が邪魔をするからね。
僕は排除されてしまって、
僕は無理矢理に診察することはできないので、
僕は排除される。
そうすると、患者さんの体重はどんどん増えていく。
ああ、リブラ先生来ないね。
で、先生。
患者さんが内科医の先生に言う。
リブラ先生、もう二度と絶対呼ばないでくださいね。
私、ほら順調でしょ。
約束してくださいね。
分かったよ。
精神科のリブラ先生は呼ばないようにするよ。
君、こうやって体重が増えているからありがたいことだ。
よかったよかった。
その先生は嬉しくなって、
僕の方がいいじゃないか。
やっぱり内科医の僕の方が力があるよ。
こんな気持ちになる。
さあ、その気持ちが固まったらおしまいです。
突然痩せ始めます。
もう中川先生どうにもできない。
精神科医の僕を困ったから呼ぼうにも。
呼ぶことができない。
呼んでくれたら僕行きますけど、
それでも無理矢理行くことはあるけど、
まあでもちょっと難しいよね。
なかなか呼ぶことができない。
だって患者さんとかその中川先生、
もう約束しちゃったもん。
自分でやろうとするところが取り込まれてますから。
どうしようもない。
そしてだいたい2ヶ月くらいで亡くなるね。
僕の感覚で言うと。
みたいなことが起こる。
優しい内科医の先生が勝手に入ってくると、
患者さん死ぬんだよ、接触症が。
面白いでしょ。
面白いって言ったら申し訳ないんだけど。
という構造があって、
こういうことが慣れてない。
接触症からの治療経験があまりない。
精神科医だとやっぱり同じミスをする。
精神科医でも。
何事も経験と知識だなと思うんだけど、
知識だけ聞いても、
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実際何例か見たことがないと、
なかなかできないね。
というのが、
これが僕の専門性なんですよ。
手術ができるわけでもないし、
家庭テロ検査ができるわけでもないし、
何もできない。
僕喋ってるだけなんだよ。
ところが、
こういう微妙な契約関係とか、
治療の構造みたいなものを
組み立てるというのが、
プロの仕事なんですよね。
というようなことを、
昨日思ったんで、
声も出ていませんし、
話がまとまっていません。
うまく言えなかったけど、
面白いって言われたけど、
興味深いでしょ。
インタレスティングでしょ。
というようなことを、
今日は言ってみました。
接触障害というのは、
非常に難しい病気で、
自殺以外で、
精神科では、
接触障害ぐらいなので、
めっちゃ難しい、重要な、
重篤な病気だと言われています。
その接触障害というのは、
非常に難しい病気で、
いろんな事情があるんだけども、
女の子が多くて、
食べれない病気ということになっているけども、
僕は食べない病気というふうに、
頭の中で置き換えていて、
それはなぜかというと、
そこに考えないと、
実は死にたくない、痩せたい、
その死にたくないを、
医者に預けてしまって、
それを医者が預かってしまった途端に、
患者さんは、痩せに全力投球をしてしまって、
そして、実は、
約2ヶ月ぐらいで、
亡くなってしまうことが、
何件か僕は見ていますので、
めちゃくちゃ怖いんだよということで、
そこが僕の精神科医の専門性、
プロたるゆえんで、
そういうことがならないように、
構造を、
時に冷たいわけですけど、
僕らが預からないから、
僕ら精神科医が、
死なないという責任を、
これは絶対預かっちゃダメなんだよね、
みたいなことを、
今日は話しました。
以上になります。
今日は以上にしましょう。
また、コメント欄に書き込んでいただいても、
承認いたします。
台風の面白い文化でございます。
ただ、ご意見、ご感想などあれば、
できれば、
皆さんのTwitterのタイムラインなどに、
内岩のコミュニティ以外の、
人の目にも触れるのではないかな、
と思っている次第でございます。
それでは、
今日も元気にやって参りましょう。
それでは、皆さん、さようなら。
おや、
入れませんな。
さようなら。