1. リブラの 精神科のバックヤード
  2. 東島丹三郎は「ていうかボケや..
2025-10-29 20:01

東島丹三郎は「ていうかボケやん」でした 〜メタ認知階層の話やん〜

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サマリー

ポッドキャストでは、東島丹三郎と仮面ライダーに関する感想が述べられ、ぼけの概念が深く掘り下げられています。特に、ぼけの構造やそれに付随するキャラクターの行動について詳しく議論され、創作の背後にある感情の表現が探求されています。このエピソードでは、東島丹三郎の「ていうぼけやん」について、メタ認知階層の観点から深く掘り下げています。特に、ダンサーインザダークや西野さんの映画を例に挙げ、真面目な表現がどのようにしてお笑いに変わるのかが論じられています。

東島丹三郎の感想
はい、おはようございまーす。バス園の精神科リブラでございます。 今日もやってまいりましょう。
今日はね、スカンクさんからのお題でしたね。
東島丹三郎は仮面ライダーになりたいの感想を言うように応接書いておりますので、応接書いてはおらんかもしれませんが、回答していこうと思いますけど。
まずイージさんが先に新たにチャージグループに入った。嬉しい恥ずかしいチャージグループ。入っているのかな?入れてもらえてないのかな?でも入ったら入ったで、なんか恥ずかしいな。カッコ悪いな。これがだから東島
東島、新二郎、新三郎、東島、何だっけ、東三郎、丹三郎と同じですよね。なんかね、ちょっとね。嬉しい恥ずかしいなね。
イージさんがね、まず最初に挙げてらっしゃったね。何話をしたっけな、イージさんはどうだったかな。
あ、イージさんの感想忘れちゃった。何て言ったっけな。あ、わからない。で、チカラさんの感想。イージさんの感想はイージさんが変人だと思ってないもんだから。
うーんと思って、なるほどと思って、体に染み渡っちゃうんだよね、多分イージさんの話はね。浸透する。チカラさんの話は浸透しませんよね、あんまり。やっぱり引っかかるでしょ。だから多少記憶残る。
三宅健さんは聞いてないので、ちょっと見当外すっていうことされていた。通常の、見てないわけですからね。想像で話をしてました。構造の話をしてました。あれはあれで参考になりましたよね。
まあそうかと、フリです。3つぐらいまでは漫画はフリですから、内容はね、とかなんだけど。で、まあ感想ですけど、チカラさんは確か、東島タンザブローの、その1話は東島タンザブローに感情移入して、達成した、ギャグでも感実達成なんかね、目的を達成して、
嬉しい、なんか良かったねと思う反面、偽のショッカーを倒すというね、でもショッカーは現れないというね、そこに哀愁を感じたということでしたね。
で、2話はあまり何も思わなかったですから、なんだっけ、なんかストロンガーの女の子、なんだっけ、あーもうわからない、なんだっけ、わからない、忘れちゃった、タックルだ、電波人間、タックルが出てきて、そこの、まあ同じような話なんだけど、そこはあまり感情移入しなかった、女の子だからかな。
で、第3話でショッカーが、本当のショッカーが出てきちゃって、ちょっと凶詰めしたという、イージーさんも凶詰めしたとおっしゃったかな、という風なのが今までのね、流れでした。
で、三宅園さんは1話、2話、3話あたりはフリですよという話をしていらっしゃった。そして僕の感想ですけどね、もともとこれはスカンクさんが、ていうぼけやんの流れで聞いてきたんで、その点に関して答えようと思うんですけど、
ちょっとよくわからなかったですよ正直言うと、ていうぼけやんってなのかな、まあ、ていうぼけやんといえばていうぼけやんかな。
僕が思うていうぼけやんは、たとえばある種類とちょっと似てるなと思うのは、東島タンタブローと似てるなと思うのは、ギャグ漫画なんですけど、ちょっと感動の要素とかが入れてあるんだよね。
でもていうぼけやんって言うほど難しくはなってなくて、それはそういうぼけだよねって思う。つまりぼけというもの自体が、そもそもていうぼけやん感があるわけで、つまり本来そうであるべきものがそうでないからぼけに見えるということなんですよね。
なぜかとさんに教えてもらったところによると。なのでぼけというもの自体が本当っぽくやるわけで、本来そうであるところがちょっとずらすんで、本当っぽくやるとは関係ないから。
本来そうであるかどうかの共有がいるのと、少しのずらしが面白くなるので、あまりずれてるように見せてしまっては面白くないので、重ねていくところがあるんだよね。本当っぽく見せるんですよね、ある程度ね。
本当にそう思ってるっぽく言わないとぼけにならないから、ぼけにならないことはない。本当っぽく言わないとぼけのキレが出ないから、ある程度本気っぽくやっていて、でもちょっとずれてるというのが面白いということになるわけですね。
そういう意味で全てのぼけは概念をしっかり共有してないとぼけと気がつかないわけで、そういう意味で全てのぼけは本当っぽいんだよね。なので、ぼけの精度が高度なぼけみたいなことをされると、高度なぼけっていうのはつまりほんの少しのずらしなので、そういうふうに高度にぼけられると概念の共有が少ない。
例えば、プロ同士のぼけ合いは僕なんかの素人からするとよくわからないっていうことなんですよ。なので、例えば前言ったダンサーインザダークを見て笑うっていうセンスは僕にはないですよね。
千原ジュニアさんがダンサーインザダークってぼけやろっていうのは、僕には全然そういう見方もあるんだって思うだけで、しっくりもこないしピントもこないんだよね。変わった人っていうのはすごいな、そのセンスって思うだけなんだよね。
なので、共有の度合いによるわけだよね。なので全てのぼけは本当っぽく見えるときがあるわけよね、そのレベルに到達してなければ。
僕なんかは千原ジュニアさんのレベルには、これはもうあえて三宅さんの言葉を無視してレベルと言いますけど、これはレベルですからね。
それはどっちにレベルっていうかな。レベルが上に行けば偉いというわけではないかもしれないけど、僕はでもそうじゃなくて、そこはだって上限の関係があるから、上限の関係がないとか、
大阪の人たちがマウントしてないとか、嘘だからね。という体ですからね、三宅先生はね。あの人たちはマウントを取ってきてるし、僕もマウントを取りに行ってるしね。
それはそういうふうに見えればそういう面はありますからね。ということで、堂々とレベルが上、向こうのが上だと思うしね。
それはだけど、まあいいや。そのレベルだと僕はわからない。という意味で、全てのぼけは本当に見えることは見えると思うんですよね、場合によってはね。
そういう意味で言うと、遠島…遠島…遠島…遠島…なんだっけ。
さっきからね、炭治郎ってね。窯戸炭治郎を想像して、炭治郎だから炭沢郎っていつも頭で変換してるんで、炭治郎出てくるまで炭沢郎出てこないんですけど。
遠島炭沢郎はしっかりぼけに見える、最初から。
ので、ていうぼけやんにはあまり見えないです、僕には。
ていうかぼけやんだね、僕に見えるのは。ていうかぼけやん、最初から。ていうかぼけでしょ、これって。堂々とっていう。
鼻から全体にぼけてるように思って、そこでかっこいい要素があるんですよね、遠島炭沢郎。
窯戸炭治郎、遠島炭沢郎にはかっこいいところがあるわけ、その感動したりとかね。
まあでもそれも含めてぼけでしょって、ていうぼけやんって確かに思うっていうか、
ていうかぼけやん、そりゃあっていうふうに見えるので、まあそりゃそうだよねっていうね。
僕が思うっていうぼけやんとしては、遠島炭沢郎じゃなくて、ぼけなのかぼけじゃないのかちょっとわからない。
ぼけの概念
ギリのところの方がぼけが鋭いので、マクドナルドでハンバーガー買ってきます。
さあ続きやりましょうかね、続きも何もね、マクドナルド行った後にね、結局食べてね、普通に仕事ばっきり寝る時間になっちゃった。
もうやりたくて眠たいということで、もう先ほど何の話をしたかはっきりわかりませんが、遠島順一郎じゃなくて、ちょっと時間が経っちゃったんでね、炭沢郎。
遠島から炭沢郎は仮面ライダーになりたいの話しましょう。
僕は第3話、第4話で見ましたけど、特に氷冷めすることもなく、っていうぼけやんに特に見えるわけでもなくでした。
普通にぼけですよね、全体的にぼけが重ねてあって、表面的にぼけを重ねながら裏側に仮面ライダーの物語が進む。
この後どう展開するのかわかりませんけど、今のところ普通の仮面ライダーのような展開が裏に悪いやつが出てきて、それを倒す、その秘密は何なんだろうみたいなことが裏でずっと後ろの層で展開しながら、
表面には発達障害的な、いわゆる通常のぼけのキャラクターがいて、主人公遠島、鎌田炭治郎、炭沢郎、遠島炭沢郎がずっと、ちなみに炭治郎もぼけてますよね。
鎌田炭治郎もずっとぼけキャラだよね。いいんですけど、いつも思うんだけど、遠島炭沢郎じゃない間違えた、鎌田炭治郎って宇多谷さんだよねっていつも思うんだけどね。
綺麗な顔してね、真面目で真っ直ぐでちょっとずれるっていう、かわいらしいっていうね。あれ宇多谷さんだなと思いながらいつも、少なくともテレビ版の鎌田炭治郎なんかいつも宇多谷さんのイメージあるんですけど、それはいいんですけど、
それは別として、遠島炭沢郎は全然宇多谷さんじゃないな。遠島炭沢郎は炭沢郎、遠島鎌田炭治郎、炭沢郎か、遠島炭沢郎はもうちょっと激しくぼけキャラですよね。
常にぼけキャラ。タックルの女の子もぼけキャラなんですけど、ぼけとツッコミは入れ替わるので、高校の中学校かな、高校の生徒の前ではタックルの女の子は先生はぼけキャラとして進行しますけど、
遠島炭沢郎と一緒に出ているシーンでは炭沢郎がぼけキャラで、それをタックルの先生がツッコミの役で、心の声みたいなやつもツッコんでるしね。
言にツッコんでるしね。表面の言葉でなんだっけ、喫茶店の店主の人が食感の話をしたときに炭沢郎は聞かせてくださいって言ってるところ、女の子は私は帰りたいですけどっていうね。
なんでそんな盛り上がってんねんのツッコミですよねあれはね。私は帰りたいですけどね。聞いてます?みたいなツッコミをしてますよね、あれツッコミですよね。
ということで炭沢郎と一緒にいるときはツッコミの役に回って、っていう風にツッコミぼけを交換する。遠島炭沢郎は大ぼけの場所にいるんで、あの人がツッコミ役に回ることあったかな、ちょっとあんまりはっきり覚えてませんけど、みたいなぼけツッコミの構造で言うとそういう構造になってますよね。別によくあることですよね、それはね。
レストランの店長さんもぼけ役に行ったり、ツッコミ役に回ったりっていう普通のね。ぼけツッコミの構造を使ってますね、アニメはね。だけどそれは表面で、その表面にお笑いの要素をまぶして、後ろに普通の話が進んでいくっていうね、いう構造に見えますけど。
キャラクターの行動
その全体が、ていうぼけやんっていう、いやそうなんだけど、なんていうかな、ていうぼけやんっていうほどの、あれじゃないよねっていう。ていうかぼけだよねっていう感じはしましたね、別にそのなんていうかなっていう。
僕が思うそのていうぼけやんの、ダンサーインザダークがていうぼけやんはすごい構造で僕にはちょっとピンとこないですけど、僕が感じられるていうぼけやんはあれですよね、カンナもスターあるじゃん、なんだっけ、I'm a perfect human。
なかった、なかった、なかった、なかった、なかった、なかった、I'm a perfect human。あれはていうぼけやんですよね、一生懸命真面目にやってかっこいいんで、本気でかっこよくやることによって面白さを増すっていう、なんで本気でやってんねんっていう、お笑いなのに本気でやるっていうのがぼけになってるわけでしょ。
これを一段上に上げたていうぼけやんはダンサーインザダークとパーフェクトヒューマンの間にあるのが西野さんの映画だと思うんだよね、西野さんの映画は本気でしょあれに見えるじゃない、でもていうぼけやん感はありますよね、あれぼけだと思ってる人いると思うんだよね。
思ってるっていうかぼけだに見えているっていう見え方の問題なので、そんなの本人に聞いてみなきゃわからないっていうようなことを三宅さんよくおっしゃるけど、本人の意図がどこにあるかっていう問題が一つあるのとどう見えるかっていう問題があって、あとどこまで本人が自覚をしてるかっていう問題があるので、無意識と意識の中でね。
西野さんなんかはどうなんだろうね意識的にぼけてるかの意識もたまにそういうこと言うからちょっとあるんじゃないかと思うんだけど、なんだかんだ言っても俺お笑い芸人だぞもっともっととね。
でこの俺絵本作家ですって言ってるのは含めてこれぼけだろうかと思ってるところがあるんじゃないかなと思うけど、それはもうおそらくたまにおっしゃるから似たようなこと、そういうふうに思ってるぽいことだから本当はちらっと思ってると思うんだけどそれ言っちゃったらもうぼけにならないから本人は言わないと思うんですけど基本的には。
ということでっていうぼけ案はなんていうかなフペルですよねって思うんだけど、それのさらに高度なやつがダンサーインザダクで、ダンサーインザダクは僕にはぼけには全然見えないということですけど、まあまあそういう可能性はあるわなとは思うものの現実には感じないっていう感じですね。
でダンサーインザダクの作者に聞いたって言わないだろうし、仮にぼけだとしてもぼけだとは言わないだろうし、ぼけという言葉はないだろうし、そういうつもりがあるにしても無意識かなというふうには思いますけどね、ダンサーインザダクに関してはわかんないけどね全く。
とにかくそれは見え方の問題でね、真実はどこにもわかりませんけど。
ということで、東島タンザブローは手ゆうぼけやんには思わなかった。
でまとめますと、手ゆうぼけやんっていうのはどこまでのメタ構造を意識するかによるんですよね。
表面のぼけを感じてしまったら手ゆうぼけやんにならなくて、手ゆうかぼけやんになるんで、手ゆうぼけやん論は人によってずれるんですよね。
手ゆうぼけやんは、しはらジュニアさんの手ゆうぼけやんはダンサーインザダクのところにあるんで、僕からすると全然そんな感じはしないし。
僕はプペルとか子供のためにっていうイベントがぼけにちょっと見えているので、どうかなと思いながらその辺のレベルでぼけだと思ってるし、
あともう少しどこまでのメタ構造を見るかによるので、もっと表面で見てる人は全然ないし、
僕は僕の見方の方が深いと思ってるし、そうじゃない人からすると僕の見方は間違ってると見えるだろうし、
こういうふうにメタ構造のどこまでメタ構造で見るかによって手ゆうぼけやんに見えるかどうかはずれてくると思うんです。
どれが合ってるとか間違ってるとかじゃなくて、僕は僕が合ってると思ってますけど、それは相対的なものでわからないわけですけど、
どこまでのメタ構造かということによるんだと思うんです。
なので、だから僕は東島炭三郎っていうぼけやんには見えなかった、
ていうか最初からお尻までぼけやんに見えている、真面目にぼけに見せてないところは特にない、
ぼけはぼけで進行しながら裏にコントが走ってるっていうふうに見えたかなと思うんですね。
それは僕なんかは特に東京のシティボーイズ的なコントが好きなので、
あれは表面に笑いを全編流しながらナンセンスで回しながら裏に物語走らせているんで、
それも含めてだからコントだって言ってるのにそれも完全にぼけなんで、
ていうぼけやんじゃないんだよね。
ていうかぼけやんっていう感じですね。
だから言っちゃってるから。
そういう構造もあるんですよね。
別に力さんがおっしゃるように全てはぼけと突っ込みだけで構成されているわけじゃないので、
表にぼけと突っ込みの構造がありながら、
別に裏には物語を進めながら表面的にお笑いを入れてくるっていうことで、
と思います。
なのでていうぼけやんの構造にはそんなに見えなかったというのが僕の感想でした。
よろしくお願いします。
ありがとうございました。
ねえよ。
おやすみ。
おはようございました。
まあいいや。はいさよなり。
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