子供の意見を押し通す力
お晩です。地名が出てくる歌が好きなアバタンドがお届けするポッドキャストです。よろしくお願いします。
今回は、子供を見ていて思った押し切ることの強さという話です。
今月3月は卒園シーズンということもあって、結構子供の保育園の行事にも参加したりしました。
長く通った保育園だったので、子供の他の保育園のお友達のキャラクターなんかも、なんとなくこんな子だなとか、ああいうふうなことはイメージがこれまでついてきました。
その中で子供たちの関わりを見る中で、やっぱり力強い子がいるなというふうに思うんですよ。
自分これしたいとか、あれするよーってグイグイと引っ張っていくような子ですよね。
大人になってももちろんそういうリードする人というのはいますよね。
大人になるとお互い反応を見ながらコミュニケーションするじゃないですか。
グイッと行くのが相手に合わなければ、ちょっとグイッと行くのやめようかなとかいうのもあるだろうし、
グイッと来るのがお互いマッチすれば、そのリードした人の流れに乗ってくるだろうし、そういう双方向があってコミュニケーションって成り立つかなと思うんですよ。
一方で子供時代だと、基本的に強い子の意見が押し通るなというふうにも思ったんです。
グイッとされた時に、あんまりまだノーサンキューみたいな感じの主張がそんなにないことも多くて、本当に嫌だったら嫌だっていうのかもしれないけど、
グイッとしてば押し通ることが多いし、かつグイッとする方も、あまり相手のことをまだ見る時期じゃないのかなというふうにも思うんですよ。
空気を感じ取って、ちょっと嫌がっているな、ちょっと合わなそうだなとかいうふうに思わなくて、やっぱり自分がこうしたいんだ、ああしたいんだって思ったら、基本的にそれを伝えてその通りに進めていくと。
これが大人になるとやっぱりなかなかできないパワーだなというふうにも思ったんですよね。
どうしてもやっぱり反応を見るでしょ。
言葉にはされなかったとしてもね、ちょっとした表情なのか、間なのか、そういったのから嫌がっているな、ちょっと合ってないなみたいなことをやっぱり感じ取って、それでチューニングして行動をするのは大人になったら誰でもあるのかなというふうにも思います。
それだからね、世の中うまく回る、相手の言葉の外のことを理解し合うからこそうまくいくというところもある一方で、自分のやりたいように進めていく、思いを実現するっていうことがね、少し遠ざかるところはあると思うんですよ。
この相手をおもんばからない力強さっていうのをね、ちょっと子供たちを見ていて感じました。
大人になることの影響
なんかさ、初めての人とかと会話するときもさ、どういう会話をしていいかみたいな時で迷って、「あ、どうも。あ、そうです。あ、じゃあ始めますか。」みたいな会議とかね。
そういう感じだったんだろう。どっちがリードするの?リードします?こっちですか?どうします?みたいな雰囲気になるんだよね。
そのね、それはおもんばからなくてもいいのかもしれないなって思うね。
お互いをわからんのならリードしちゃって、自分でリズムを作っちゃってさ。
でも本当にそれが向こうに合わなければそのタイミングでさ、ノーサンキューのリアクションが何らかあると思うんだよね。
いやーちょっとグイグイ行き過ぎですよ。いや僕はこういうふうにやりたいんだよ。
その時初めて考えればよくて、なんか最初からお見合いになる。
あ、え、あ、じゃあこっち行きます。みたいな。感じはね、なくていいんだろうなーってちょっとなんかね、最近初めての人と会議する中で思ったので。
思ったのと、その子供のね、相手をおもんばからない力強さっていうのをちょっと見たときにね、
なんかこう、おもんばかる大切さもある一方で、ダメならダメでストップがかかるんだから、基本自分の思うようにブンブン行くのがいいんだろうなってね、ちょっと最近思います。
いろいろ気にするようになりますよね。大人になると。
この行動は同僚の人に対して良くないかなとか、これやってみたいけど家族にちょっと負担かかるかなとか、やっぱりね人との関わりの中で暮らす中で相手のことを考える、それがやっぱ大切ではある一方で、
自分のね、気持ちをどう形にしていくかっていうのは常にシーソーだなと思って、かつまあ人の方の比重が、おもんばかるときの負担として大きくなっていってるなという気もするのでね。
そういう無垢な子供のパワー、行くぞ!これで行くんじゃー!っていうのはね、気持ちとして忘れずにいたいなと、ちょっと感じさせてもらった3月でした。
はい、そんなわけで、押し通す力、ちょっと思い返していきたいと思います。またお会いいたしましょう。おばんでした。