東京の雪と交通手段
ご番です。地名が出てくる歌が好きなバタンとかをお届けするポッドキャストです。よろしくお願いいたします。
今回は、雪の日の交通手段という話です。
この収録をしている本日3月19日、2025年ですね、東京で雪が降りました。
3月も後半に差し掛かるタイミングで雪が降って、ちょっと桜のつぼみも大きくなってきたのかな、みたいなタイミングで雪という感じで。
なかなか気温は、気温と言いますか気候は難しいですね。読めないですね。
そんな感じなんですけども、雪が降ってビショビショだったんですよ、朝。
いつもは自転車で子供を保育園に送って行ってたんだけども、さすがにちょっとこれぐじぐじで危ないから歩いていこうという感じにしました。
歩いているとさ、道路を通る中で思うのは、東京で雪なんて降るなんて誰もね、この3月に思ってなかったからさ、
ノーマルタイヤで走っている車とか、あとはたまた自転車もいつもより少ない感じはしたけど、
自転車しか交通手段ないから頑張って自転車で行くか、みたいな人とかもちょっと見受けられました。
ちょっと今はもう危ないなと思いながら、一方で20年前、学生の時は平気で自転車に乗ってたなというのをちょっと思い出しましたね。
仙台に住んでたんですけども、雪は2回3回ぐらいちゃんと積もるみたいなことがありましたね、僕が住んでた時は。
大学には授業とか研究室のその時の状況によって違ってたんですけども、自転車か原付きで行っていましたね。
自転車、原付きって言ったら基本原付きか、原付きで行ってました。
原付きで行くんだけど、一応その自転車も持ってたんですよ。
で、自転車は雪の日に使ってたんですよね。
どうしてそう思ったかよく覚えてないんだけど、原付きはちょっと雪の中危ないなっていう時、自転車だと原付きより安全だみたいな感じで当時乗ってた感覚があったんですよ。
なんでなんだろう、バランス感覚的なものなのか、ちょっとよく覚えてないんだけど、自転車で雪はあまり滑らず、安心してむしろ行けるというツールでした。
なんだったんだろうね、あれ。
仙台の雪の日の思い出
よく覚えてないけど、仙台の自転車ってスタッドレスなの?スタッドレスってことはないか、あんな細い自転車で。
なんで、当時は平気だねよとか思ってたけど、今考えると命知らずでしたね。
若き日のやんちゃ自慢っぽい内容になっちゃって失敗したかなと思いつつ、そんな感じでした。
原付きは雪の日はできるだけ乗らないようにしてたけど、乗らざるを得ない時もあったんですよ。
キャンパスが山の上にありまして、朝原付きで大学にキャンパスに行って、夜まで授業とか研究とかして、夜中に帰るかみたいな時もあるわけです。
日中に雪が降り出しちゃうと、日中のうちにガッツリ積もるみたいなこともあったんですよ。
山の上のキャンパスだったので、山の上のほうが積雪しやすいとかしにくいとかはあるのかわからないけど、よく積もってたんですよね。
そうすると原付きで来たはいいけどガッツリ積もってますみたいな時があるのよ。
迷うのよね。歩いて帰った時もありますもちろん。これはちょっと危ねえなって。
一方で原付きで帰った時もあるの。
その時はブレーキをかけないで、かつエンジンも吹かさないで、またがって自重で降りていくのに沿って、いつでも足で止められるような感じにして、自然のスピードに任せて下っていくみたいな感じをしてました。
ブレーキをかけるとタイヤがロックされちゃうから、そうすると一気に雪にとられてスベる。
そうならないようにね。かつハンドルを回してもシュッとなっちゃうから、できるだけ体重の移動でじわじわ曲がるみたいなテクニックを当時は持ってましたね。
山の上からめっちゃ降ってる中、途中に乗り捨てられた原付きとかあるのよ。
同じようにさ、なんとか原付きで帰るかみたいに思ったけど、途中で断念した仲間のムクロが置き捨てられているように、ここでちったかと。
お前の分まで俺は下山する。俺はハンドルも切らずブレーキも握らない。重心移動だけで降り切る。その思いを受け継ぎながら、無事下まで降りてきましたね。
坂道越えちゃえば、そろりそろりと原付き走ってもいけたなという感じでした。今はもうできないね。
雪の日はね、雪がある仙台で暮らしてたときは、普通に交通手段として二輪を使ってたなというのを思い出した話でした。
真似しないでください。気をつけましょう。そんなわけで、今回は雪の日の思い出でした。おばんでした。