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2025-03-25 06:49

配信196:桜はタイミングが読めないから美しい

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今年の府中市民さくら祭りは、桜の開花より早い開催となりました。人間の歴史は自然をコントロールしてきた歴史だけど、自然はコントロールしないから美しいところもあるよねという話。

【番組紹介】
・地名が出てくる歌のコレクターによる配信。
・国内唯一のご当地ソングメディア「ご当地ソング捜索隊」(府中コミュニティFMラジオフチューズ内のラジオ番組)のバックナンバーも、時々お届けします。
・ラジオ放送は、毎月第4土曜日 ~絶賛放送中。

【パーソナリティ】
◆ワタンド
本配信のメインパーソナリティ。地名が出てくる歌のコレクター。都市と音楽が大好き。多摩地域で暮らす。
◆しゃり
ラジオ放送のパーソナリティ。ご当地ソングは素人。オーストラリア在住のエンジニアで主にリモート参加。

【Twitter】
https://twitter.com/RRwatandia
【note】
https://note.com/localsong


サマリー

桜祭りを通じて、自然現象の予測の難しさや美しさについて考察されています。桜の咲くタイミングの難しさや、自然との関わりに対する感謝の気持ちが語られています。

桜祭りの体験
お晩です。地名が出てくる歌が好きなワタンドがお届けするポッドキャストです。よろしくお願いします。
この配信を聞いて面白いと思ったらフォローを拡散の方よろしくお願いします。 今回は
自然現象はコントロールできないからこそ美しいというふうな話です。
週末、桜祭りというイベントが近所で開催されていってきました。
近くの大きい道路なんかも封鎖して人々が練り歩いたりとか、あとステージができてイベントがやられたりとか、
あと出店が出てきたりとか、いろいろ盛りだくさんという形で地域が本当ににぎわっていました。
僕はその中でよさこいを踊ってきて、家族で本当に近所が盛り上がる、ちょっといつもの雰囲気からガラッと変わって晴れの場になるというところで大いに満喫してまいりました。
ただ、ただね、桜祭りという名称だったんだけど、桜は咲いていませんでしたね。
3月末にいつも開催してるんだけど、今年は遅いのかな、平年からすると。
ちょっと残念ながらというとこです。毎年この時期に開催してるからね、タイミングとしては一番最大公約数的に咲いてるだろうという時期に開催してるんですけども、
年によってこういうのはどうしてもタイミング違いますよね。
桜はやっぱ難しいですよね。一週間、旬は一週間ぐらいだよね。
難しいですよね。あの学生時代花見とか企画したけど全部散っちゃったとかもありましたし、もちろんまだ咲いてないとかもありますし、
結構数週間ブレることも多いですからね。
こういう自然現象を相手にしたイベントっていうのは他も難しいなというふうにも今回、桜が咲いてないのを見て感じました。
もみじ、紅葉祭りみたいなものはもう少し尺が長いかなという気がするので、かするかなというふうな開催してたイベントにね、何かしら色が変わってたりするのかなというふうにも思います。
はたまたドンピシャで花じゃなくても開催したイベントが天気によって潰れたりということもありますよね。
雨天じゃとてもじゃないけどできないイベントだけど、めっちゃ台風来ちゃったみたいなことで開催が中止になるとかもありますよね。
自然観光系だと海外でオーロラを見に行こうといった時も、あれも全然見れないとかって聞きますし、
行っては見たけど見れずに帰ってくるということもあろうかなと思います。
僕も星が有名なところに旅行で行った時に、天気悪くて全く見れずにね、星が目的で行ったけど見れなかったという悔しい経験をしたこともあります。
自然との関わり
こういう自然系はどうしても難しいですよね。
一方で人類の発展してきた歴史って結構自然を乗り越えてきての歴史だったと思うんですよね。
川の氾濫とかが昔は本当に生命を奪う、作物を奪う大きなところだったのが、堤防を作ったりだとかダムを作ったりだとかいういろいろテクノロジーでクリアすることで乗り越えてきたわけじゃないですか。
今も川が氾濫してダメになっちゃうとかっていうのは本当に減ったと思うんですよね。
その他、天候が悪いことで作物を取れないとか、そういうこともいろんな技術で乗り越えてきましたし、過酷な環境であっても快適に暮らせるというようなものになってきたと思います。
そういう意味では自然環境はどんどん乗り越えてきてるんですよね。
そういう意味では、もしかしたらこういった花の咲くタイミングとかもある種、室内とかであればコントロールできるもんだろうし、
はたまた桜の木とかも咲きゃっていったら咲くみたいな感じの桜を作ろうと思えば作れるんじゃないかなという気はするんですよね。
できるんであれば満開の桜の中で狙った通りにイベントが開催できるというところですよね。
あとはそれでいいのかというふうな話なんだろうなと思います。
遺伝子をいじる、デザイナーベイビーみたいな話とかで、命の形をいじるのはかなり倫理的な抵抗感があるんだと思う。
一方で植物に対して手を加えるというのは、もう少し動物の命からすると倫理感がまだ低い認識なのかなと思うんですよ。
だから狙ったタイミングで花を咲かせるというところは、流行っていってもおかしくない、もっと普及していってもおかしくないなというような感触を持っています。
どうなんだろうね、そういうふうなところまで至るのか、それともやっぱり自然の中で偶然咲いたものだからこそ美しいというふうな感じるんじゃないかなというふうにも思うんですよ。
苦労して見えた、今年はタイミングがあったから良かった、だからこそ桜が美しい、だからこそオーロラが綺麗に見えるというところはあると思うんですよね。
自然の神秘と何か自分のタイミングが重なったからこそ感動できるというところがあるんだと思うんですよ。
狙った時にいつでも咲いているピンクの花っていうふうになった時には、桜の有難味っていうのは今の花見の心からは少し遠のいてしまうと思うんですね。
イベントとしては都合が良いかもしれないし、より狙った絵姿みたいのを作り出すことができるかもしれない。
けどね、それが求めていた花見の姿なのか、桜祭りの形なのかというところはやっぱりブレーキがかかってそこまでは至らないんじゃないかなというふうに思っています。
この桜祭りというふうな心自体が、桜が咲いて1年間、また春が来たねというところを祝う気持ち、
信じというかそういう感謝の気持ちだとか自然への心の表れだと思うんですよね。
そういうところにはやはり手を加えないというのが今の倫理観なんじゃないかなというふうには僕は思っています。
そんなところで、桜祭りで桜が咲いていなかって残念だというふうな気持ちを開催者側も見る側も思うことはあるのかもしれないけど、
それがある形なんだろうなと、自然に感謝するということなのかなというふうにも思っています。
そんなわけで、今回は桜祭りで感じた自然ってタイミングが難しいよねというふうな話でした。
またお会いいたしましょう。
おばんでした。
06:49

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