1. 1000人の声あつめ
  2. #1-46 2019年7月/足立区/千住..
2025-10-21 11:10

#1-46 2019年7月/足立区/千住/Tさん

#1-46 2019年7月/足立区/千住/Tさん

00:01
古い記憶ですか?私が多分5歳ぐらいじゃないですかね。
その時に、車宅の前にバスが通ってたんですよ。
バスに向かって石を投げて、バスの運転手に怒られたんですよ。
それが一番古いんじゃないかなっていう感じですね。
遊びとして。
もう、いたずらですよね。通るものに石を投げてたという。
ちっちゃいからね。ただバスに向かって石を投げるというだけ。
ただ単に投げただけですね。
怒られるところで辞めたんじゃないですかね。怒られて。
バスが止まって怒られましたよね。
お前はどこの子だって。
やっぱり、私の頃っていう野球とかね、そういうのが流行ってたからね。
三角ベースで野球をやったとかね、そういうやつですよね。
ベースが3つしかないんですよね。三角ベースで。
メンバーとしても結局は三角だから、9人はいらないんですよね。
6人ぐらいでできるような。
そういう野球ですよね。
柔らかいボールだったんじゃないかな。
高級はほら、ちっちゃい子は使えないから。
ソフトボールか、南球か、あるいはテニスボールか。
そんなやつじゃないですかね。
中学校入るまでぐらいはそこでやってたんじゃないですかね。
中学校入るとクラブとか入るから、遊ぶ時間は多分クラブの方に捉えてたんじゃないですかね。
だからそんなに毎日学校帰ってから遊ぶんじゃなくて、
中学校入るとクラブ活動やるから、暗くなってから帰るからね。
遊びの時間がクラブ活動に変わったということじゃないですかね。
やっぱり我々の時代って大罰が当たり前の時代ですからね。
何かあると殴られるんですよね。
別にその理由があろうがなかろうが殴られてしまうというね。
誰彼構わず殴られたという記憶がありましたね。
だから理由があって殴られるんだったら分かるんだけど、
とりあえず近くにいたから殴られたという記憶がありましたね。
一番手の届く範囲にいたからビンタをくらったとかね。
悪いことをやってその理由を説明されて殴られるんじゃなくて、
突然目の前にいたらビンタが飛んできたと。
そんな感じですよね、我々の時代は。
だから納得する以前ですよね。
突然何か分からないけど飛んできたと。それがビンタだったというね。
僕の場合は音楽ですね。音楽だけはずっと今だに続けているというんじゃないですかね。
この楽しさを感じた最初のきっかけとは?
03:05
きっかけはですね、人の前で演奏するというのは意外としんどいんですよ。
何というか自分をさらけ出さないといけないから。
それって非常に嫌なことなんですよね。
だから誰もいないところでやるのが一番いいんだけど。
そうやったら全然上手くならないし。
やっぱり人前で演奏することで、嫌と思いながらも人前で演奏する。
そういうのを続けていくうちにだんだん慣れてきちゃうんですよね。
人前で演奏することに対して抵抗感がなくなってきちゃって。
逆にそういうことが、何ていうのかな。
人が何と言うか、いいや掻き出して吹いちゃうという、
そういうわがままな気持ちにつながっていっちゃうんですよね。
人の気持ちを考えないで、とりあえず自分のやりたいものをやってしまうというね。
非常にわがままな演奏になっちゃうんですよね。
やっぱりそれは回数でしょうね。場を積む。
何だって場を積んでいくとだんだん慣れちゃいますよね。
人の目線を意識しなくて、自分の中で人の目線を意識しなくて、
なんか吹けるようになってきちゃったというかね。
別に人の目を気にしないわけだから、
やってることに対して、後ろ向きの考えにならなくなっちゃったんですね。
とりあえずやることがいいよと。やれればいいよと。
やる場所があればいいよとか、そういう感覚ですよね。
いろんなケースがありますよね。
まず目を開けて演奏すると周りが見えますよね。
さっき言ったように人の顔が見えるんだけど、目をつぶっちゃって見えないですよ。
だから周りのことがちょっと気になるようだったら目を開けるし、
気にならなければ目をつぶって、あとは自分の世界の中で。
ただ耳だけは周りの演奏者の音を聞いとかなきゃいけないから、
少しは耳だけは周りを聞こうかなって気になって。
そうしないと合わせられなくなっちゃうから、
やっぱりその辺は耳は感覚的に察知を、周りを見ながら。
目は開けたりつぶったり、好きな感じですよね。
ちょっと周りの状況を見たければ目を開けるし、見たくなければ目はつぶっちゃうという感じですね。
やってる形がジャズという世界だから、
要は誰かがテーマを吹けばそれに合わせてやるっていうようなね。
自分の持ち時間っていうのがあるからそこの中で演奏していくっていう、
06:00
ある程度形式が決まっちゃってるんですよ。
だからそれに対してどう考えるかの考え方があるんですね。
だからやっぱりそこで周りのレベルに対してもっとシビアになってると、
自分のやりたいことができなくなっちゃう場合もあるけれど、
楽しいっていうことを全面出してやると、
その全然周りのことにそんなに気をつけなくても、
自分の好きなパフォーマンスができますよね。
だから今日はどういう風にやりたいなとか、
それは行ってそこの場所を見てみないと分からないから、
そこの場所を行ってそこの場所の状態を見て、
今日はこういう風にやるかとか、
やりながらまた状況を見て、
みんな喜んでるからもうちょっと頑張るかとかね、
今日はこの辺で良かったとかね、
それはその時の状況、場の状況で判断することが多いですよね。
あんまりみんなが聞きたくないようにやってもしょうがないから、
楽しんでるかなぐらいはちょっと見ますよね。
楽しんでくれてればもうちょっとやってもいいのかなとかね、
そんな形ではやりますね。
謎じゃないんだけど、一番いつも思うのは、
誰にも私言うんだけど、音楽は共通の言語だねっていう話をするんですよ。
要は日本語は日本人しか通じない、英語圏のしか通じない。
別にどっちも日本人だとか外人だとか関係なく、
ひとつのツールとしては世界で共通するツールになるなっていうね、
それは思いますよね。
だから音楽をやることによって、
すぐにでも打ち解けられるし、
言葉っていうのかな、コミュニケートの手段、
言葉に自分の気持ちを伝えるんじゃなくて楽しいとか、
そういうことを共有できるツールだなって気がします。
言葉だといろいろ説明しなきゃいけないんだけど、
そんなことはいらねえなという気がしますね。
要は空気の振動だからね。
だから振動が相手に伝わるか伝わらないかだから、
振動が伝われば気持ちよくなるし、
気持ちよくなるために多分こういう音楽ってのもあったんじゃないですかね。
楽しむって書くわけだからね。
やっぱり楽しまなきゃいけないから。
楽しむっていうことで気持ちがリラックスしたり、
気持ちよくなるわけですよね。
そういうもんじゃねえかな。
あんまり絶景がいいとか思わないほうがいいかもしれない。
例えば、夜、仮に夜だとしますよね。
09:01
例えばその時、状況の設定だと思うんですよ。
例えば月が出ました。桜が咲いてます。
間に川があります。
そうするとすごくいい状況になるんですよ。
それってあえて自分が設定するんじゃなくて、その場を探すんですね。
探してあるときにそこへ行けば、
それはすごいいい状況が感じられるんですね。
だけど花って季節のものっていうか瞬間のものだから、
何回になるだとか、七分だとか八分だとか、
それは気をつけてないと終わっちゃうんですよね。
あら、もう花切っちゃったとかね。
だからいろんな意味で、そういう状況をうまく自分の中で感じ取れば、
今日は満月の日だ。夜は雲がないね。
ちょうど桜が咲いてる時だね。
ちょっとそこを行くと、確かに満月の光の中に桜が。
これだって、その場所さえ知っていれば、
あとタイミングが合えば、絶景に近い状況を楽しめますよね。
さりげないところに条件さえあれば、素晴らしい光景を発見できる。
あとは、やっぱり自然の夕日だとか、あるいは朝日だとか、
そういう時の出る時期を知ってて、
真冬の雪の降った日に朝日が出るとすごく綺麗だとかね。
いろんな組み合わせがあるわけだから、
あえてものすごい継承地に行かなくてもない。
条件さえうまく自分の中で知っていれば、
その場所へ、さりげなく当たり前の場所でも
めったに見えない状況を見ることが可能かなという気はしますよね。
はい。ありがとうございました。
どうもどうも。
11:10

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