隣の芝は青い
たーなーの生存戦略ラジオ。このラジオは、1日5分、なんだかこの世知辛いですね、この世の中をどうにか生き抜いていこうぜってことをですね、話している雑談ラジオです。
みなさんおはようございます。今日も息抜いてますか。第948回、隣の芝が青く見える理由についてお話ししたいと思います。
はい。今朝、ボイシーを撮りましたし、今これも撮ってますって感じですね。
さっきボイシーでは、異世界転生物が流行っている理由みたいなことを話して、それはヤフーニュースであった記事にコメントがついてて、
なるほどなーと思ったことを、だらだらと20分くらい話しました。なんかね、こうやって、アルヤムのボイシーでは自分が思っていることをタラタラ垂れ流していいのかなと思いつつ、
土日はいいんだって思いながらやってるんで、よかったら聞いてみてください。そこの中のちょっと一部をスッとピックアップした今日の話なんですけれども、
隣の芝が青く見える理由ですね。隣の芝は青いみたいなことわざありますよね。青く見えるみたいなね。
だからそれは、周りの人のところの成功の部分、いいところだけ見えちゃうから、やっぱり自分のところよりもよく見えるとか、そういう意味だったりするのかな。
もしくは、自分のことを過小評価しているというか、自分だって青くできるのに、自信のなさみたいなことわざの意味は言っときながら曖昧だったんですけど、
多分そんな意味だと思ってて。ただその今日のタイトル回収的には、隣の芝が青く見える理由っていうのは、青く見せてるからっていうのが僕の中での現代ではですね。
大体そうなんじゃないかなって思っている歪んだ見方でございます。世の中の成功していると見える人たちのことはですね、成功しているように見せてるだったりとか、
本当に成功していると思うんだけれども、裏側の努力の部分とか、めちゃめちゃ頑張ったら苦しかったってことはわざわざ言わないですよね。あまり聞きたくないですしね、みんなも。
基本的には裏側の部分を言わないので、キラキラして成功しているというところを発信しているから、
発信している人が演出していると言えば演出しているようにも聞こえるし、別に悪いことではないです。それは悪いことではない。全部が悪いことではないし、
過度に煽ってですね、俺のような生活するんだったら、コミュニティに入れば稼げるよだったりとか、コミュニティがセミナーに来れば、
悪徳商法みたいなね、そういうの言っちゃうのはやっぱりちょっとあんまり良くないなと思いつつですね、みんな基本的にはキラキラしたものをSNSに発信しているし、
それをすることによる、みんなからいいねとかっていう自己肯定感みたいなもので生きていると、それ自体は全然悪く聞こえるかもしれないですけど、否定ではないです。
みんなそれでメンタルが精神が良いのであれば良いのではないのかと思っております。
今日のところで言いたいのは、ちょっと僕今、頭が抹茶モードになってるんで、隣の芝が青く見えるのはですね、青く見せてるだけだから気にしなくていいぞみたいな感じですね。
成功の見え方
それよりも自分の芝が青くなることを考えたらっていうか、自分のところを芝にするのか、お花畑にするのか、天然芝人工芝とかね、木植えるのかとかですね、
はたまた全部刈り取っちゃって荒野にするみたいなね、なんかわかんないですけど、何でもありじゃんって思っちゃうんですね。
芝じゃなくても桜の木を植えてもいいし、果樹植えてもいいですよね。
よくわからないんですけど、あっちが芝生の青さを強調してくるんだったらですね、
こっちは桜の花を咲かせましょうとかっていう戦い方でもいいと思うし、ルールがわかんないですけど、勝ち負けでもわかんないですけど、勝つ負けるとかではなくて、
そのようなことを考えている、今日この頃というところでしたね。
別に言いたかったのは、芝生が青く見えるのはですね、皆さんのその芝、遠くで見てるからそう見えるだけであってですね、もしかしたらさ、ペンキで青く塗ってるとかね、スプレーとかで青く見せてるとかっていう風なこともあるかもしれないし、
もしかしたらVRとかですね、ああいうのですね、バーチャルの世界かもしれない、そこには何も入ってないのにVRでめっちゃ青々しく生えてるように見せてるだけかもしれないし、
スーパーフライさんの愛を込めて花束をっていう歌があって、その歌詞の中で綺麗なものは遠くにあるから綺麗なのっていう、
これはもう名言のような、至極のような歌詞がありましてですね、まさにそれかなっていうところです。
遠くから見てるとそういったものは綺麗に見えるんだが、近くにいるとか、そのほとんど本人はですね、もちろん汚いとかですね、苦しいとかですね、なんか大変とかなんかその裏っかのですね、
そういったものをしっかり感じているはずでありですね、そういったものを遠くで見たら綺麗だねって見えるけど、近くで見たらもうなんかめっちゃその人傷だらけみたいなこともあると思うんですよね。
なのでですね、過度にそういったものに対して憧れを持つのではなくてですね、そこから何かこういろんなことを感じ取れるようになったほうがいい、
なったほうがいいっていうか、僕はなんかそういったことをちょっと穿ってるかもしれないですけどね、そういう見方でいろんなことを見ています。
それやるとですね、なんか人間不審というかですね、なんか疲れるんですけどね、なんかどっかのタイミングからなんかそういうふうに目線がですね、
いくようになっちゃったっていうのは、なんかまたどっかのところで話せたらいいなと思っております。ということで最後までお聞き下さりありがとうございました。
明日もお耳が空いてましたら、ではではお後がよろしいようで。